ネット環境はありがたい

アッサム州にあっても、少し大きな町の郊外くらいまでは3G接続が有効で、スマホにフェイスブックや電子メールなどのメッセージが絶える間なく入ってきているのがわかる。友人たちの動向にコメントしたり、自分がアップロードした写真にすぐさまメッセージが入ってきたりすると、なんだか旅行している気さえしなくなってくる。こういうときくらいはネット環境から遮断してしまえばいいと思いつつも、仕事関係等で何か大切な連絡が入らないとも限らないので、なかなか踏み切れずにいる。

物心ついたときから周囲にネット環境があるのが当然という中で育った世代の人々はとくにそういう違和感を持つことはないのかもしれないが、「旅行=日常とはまったく切り離された時間」というのが当然と考えられていた頃から思えば、ずいぶん事情が異なるようになってきている。このように通信環境が整ったがゆえに、ネットでインドの国内移動の予約の手配などを事前に済ませて、簡単に旅行できるようなっているわけでもある。

スマホ以外に、昨年購入したSAMSUNGのGALAXY CAMERAにもSIMを挿入してあり、こちらにもちゃんとネット環境が備わっている。インドではプリペイドの安価なプランがあるのはありがたい。デジタルカメラとしては起動の遅さがネックではあるものの、ネット通信端末としても利用できるのは今更ながら便利なものだと思う。通話面では携帯電話機能はないがSkypeの利用は可能だ。またテザリング機能を用いてパソコンをネットに繋ぐことも出来る。

数年前ならば、タッチスクリーンのスマホを持っている人は珍しかったので、人前で取り出して操作するのはためらわれたものだが、今や廉価機種も含めて沢山流通しており、こういう言い方をするのは甚だ失礼かとは思うが、オートの運転手さんたちもけっこうスマホを持っているということに、その普及ぶりを感じることができるのではないかと思う。特に若い人ほど新しいそうしたモノに関心が高いため、少々無理しても購入するという傾向があるようだ。特にフェイスブックなどをやりたいらしい。

運転手さんたちはともかく、多くの人々にとってのコミュニケーションとは、これまで身近にいる人たちと直接会話するだけのことであったものから、携帯電話の普及により、その場にはいない人たちとも気軽に話が出来るようになった。意中の彼女の父親が電話に出ることを恐れることなく、彼女自身が所有している携帯電話と自分の携帯電話が文字通り直通の「ホットライン」として機能するようになったことが、インドにおける男女の交際の自由化(?)に大きな役割を果たしていることに疑いの余地はない。

また、デリー準州の政権を担うことになったAAP (Aam Aadmi Party)の躍進は、既成政党に対する「市民の乱」という側面が強いが、それにしてみてもSNSの普及なしにはあり得なかった現象であると私は考えている。政治的に分断されている社会で、個々の市民が共通する主張や願いをもとに繋がるインフラにより成し得た革命である。AAPの今後は未知数であるものの、彼らが巻き起こした波乱が既成政党に与えたインパクトは多大であり、たとえデリーにおけるAAP政権が政治的な未熟さにより失敗に終わるようなことがあっても、インド政界に及ぼした影響は総体的にプラスの作用をもたらすものと私は信じている。

さて、バスや鉄道の出発待ちのようなヒマな時間も、これまでならばボ~ッと座っているか立っているかしかなかったものが、今はスマホで家族に現在地を伝えておいたり、仕事関係の連絡の有無を確認したり、後に訪れる土地の宿の予約のためにメールしてみたり、カルカッタの書店に書籍取り置きあるいは取り寄せの依頼をしたりなど、それなりに有意義?に過ごすことができるようになってきている。

ともあれ、世の中やはり忙しくなってきていることは間違いない。ゆえに隙間の時間をいかに楽しむことができるか、活用できるかといったことが、余暇の楽しみ方のひとつのポイントになってきているようにも感じている。それがゆえに、プライベートな時間でも仕事関係のチェックが必要であったりするものの、仕事中でも旅行の航空券の手配、訪れた先での交通機関の予約などの連絡が可能であったりもする。旅行中もネットだのケータイだのというものに縛られるのは癪な気がする反面、いろいろなメリットもあるのだから、あながち悪いものではないようだ、と思い直したりもする。

そういえば、昔は長期旅行に出た息子や娘がなかなか旅先から便りを寄越さずに、親御さんたちが大変心配したというような話を聞いたことがよくあった。旅している本人たちは毎日楽しく過ごしているのだが、事情を知らない日本の家族たちが不安に思うのは当然のことだろう。ごくたまに、場合によっては数か月に一度程度しか届かない絵葉書などでは詳しい日常のことは判らないし、情報も向こうからこちらへの一方通行だ。たまに局留めで息子や娘に郵便を送ったりしたとしても、そこに本人が本当に現れるかどうかはよくわからないし、手紙をピックアップするためにその局にやってくる前に、保管期限が過ぎて返送されてしまうかもしれない。

ネット時代がやってくる前に、こんな若い女性に会ったことがある。たしかドイツの人だったように思うが、3日に一度は実家に電話しないといけないのだという。ずいぶん厳しい家なのかな?と思いきや、数年前に兄が外国旅行中に事故で亡くなったとのことで、ご両親は一人旅に反対していたのだという。何とかそれを説き伏せた結果、自身の安全を伝えるために3日に一度は必ず電話するということになったのだと言っていた。3日に一度国際電話とはずいぶんお金がかかって大変だろうと思ったが、毎回コレクトコールを申し込むのだという。それで受ける側の両親はコレクトコールのリクエストを断る。だがそういう形で連絡が来ることによって、娘の無事が伝わるからいいのだということだった。緊急時にはどうなるのかといえば、確か「非常事態用に少し違えた名前を使うことに決めている。」とかいうようなことを言っていたと思う。無事を伝える手段として、タダで賢く国際電話を利用するやりかたがあるのか、と感心したものである。

だが今はそんな必要はまったくない。メール、スカイプ、そしてLINEはもちろんのこと、ランチに注文した食事が出てきたらそれをスマホで撮って、フェイスブックにアップでもすれば、ごくさりげない写真から家族はもちろんのこと友人たちも、旅行している本人が無事であること、楽しく過ごしていることが瞬時に伝わるからだ。

そんなことを考えていると、親しく行き来させていただいているスィッキム州の大学の先生からメールが入り、しばらくカルカッタに帰省されていることが判った。すぐさま電話してみて、先生がカルカッタにいらっしゃる間にお会いすることになり、アッサムから戻るフライトを少し前倒しすることにした。そんなわけで、早速スマホでcleartripで取っておいた予約の変更・・・をしようにもうまくいかなかったので、新規に予約して、既存の予約をキャンセル。既存の予約を変更する場合と、かかる費用はあまり変わらないようだ。

これがネット環境出現以前だったらひと仕事だったなぁ・・・などと、ついつい昔々の事情と較べてしまったりするのだが、やはりよくよく考えてみると、日常生活でも旅行でも、以前のアナログ環境に戻ることは無理であろうし、敢えてそんなことを自分に課したりしたら、ひどい苦痛以外の何ものでもないだろう。

もっとも、そんなネット環境をありがたい、ありがたいなどと言うのは、アナログ時代に生まれ育った世代であるがゆえのことで、物心ついたときからそういうモノに囲まれて育った人たちに言わせると、「そんな当たり前のことがなぜそんなにありがたいんですか?」ということになってしまうことと思う。

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