まさに混沌

朝7時すぎに鉄道駅前のパルターン・バザールの宿を出て、このエリアから南方向へ向かうG.S.ロードに出たところでちょうど私の目的地に向かうバスがつかまった。
通りには沢山の民間バス会社がオフィスやチケット販売窓口を構えている。州内外の各方面に向かう無数のバスがそれらの前から発着しているのだ。 『今日は幸先良い』と得した気分になったが実は決してそんなことはなかった。まだ空席が目立つこのバスはG.R.ロードをチョロチョロと徐行しながら客集めにいそしんでいる。開け放った扉から車掌が身を乗り出して、あるいは道路に降りてノロノロ進む。その後とりわけ人通りの多い一角で路肩に寄せて停車。更に多くの客が乗り込んでくるのをひたすら待っている。
またバス会社があちこちに散在しているというのもかなり不便だ。どこの会社がどの時間帯にバスを走らせているのか、それらがどこから発着しているのかについて俯瞰できないと、よほどこの街に通いなれていないと見当もつかないだろう。 複数のバス会社のチケットを取り扱うエージェントも軒を並べていたりするのだが、バスによって『××時ごろ前を通る』とか『××にあるオフィスに行け』などとまちまちなので利便性はすこぶる悪い。 この街に住んでいる人だって、街からあまり出ることがない人ならば長距離バスの 『システム』がどうなっているのかよくわからないのではないだろうか。
こんな具合なのは何も私が乗ったバスだけではない。もとより長距離バスの往来が多いこの時間帯、目抜き通りの両側はバスの洪水になっており、空席を抱えるそれらの車両が客をひとりでも多く乗せようと躍起になっている。そのため本来の交通量はそうむやみに多いようには見えないのだが、これら沢山の大型車両が障害物となってひどい渋滞を引き起こし、結果としてクルマを捨てて歩いたほうがよほど早いくらいだ。
駅前南側が広いエリアに渡り、『商店、ホテル、一般車両などの障害物で遮られ機能不全となった巨大バスターミナル』とでも形容できるだろうか。もちろんバス会社の関係者や利用客以外の人々からしてみれば、これらのバスこそが大変な障害物である。


あまりの無秩序ぶりによそ者の立場にありながらもちょっと許せない気がする。早いうちりに政府系・民間双方のバスの発着すべてを集中させたターミナルを造らなくてはならないのではないか・・・と憤っていると、実は郊外に新しいISBTを建設中であることがわかった。 一刻も早く完成してこのメチャクチャな混沌状態が解消されることが望まれる。
駅から遠ざかるにつれて街の密度も少しずつ薄くなってくる。ひどかった渋滞も次第に緩和されてくる。少し南下した先には近代的なショッピングコンプレックスやコンドミニアムなども立ち並んでいる。次々に大きな建物が出来上がり変わりゆく街の姿も、たくさんの民間バスが各地を結んでいる様子も、この国の豊かな民間活力を感じさせてくれる。
こうした旺盛なパワーを各々の才覚と責任による営利活動を活性化させることよりも、公益という視点に立ちよりこれらを良い市民生活に還元できるよう調整していくことのほうがよほど難しいのかもしれないが、収入が上がり身の回りに便利なモノが豊富になってくると、やがてより質の高い行政と政治が切実に求められるようになってくるだろう。
そのときになってインドは本当に『変わる』のだと私は考えている。
こう書いてしまうと、受け止め方によっては大変失礼にもなるかもしれないのを敢えて承知で言えば、民主主義という制度において、選ぶ人々も選ばれる人たちも互いに相手を写す鏡のようなものだ。モノが豊かになったから『進んだ』わけではないし、おカネに満ちるようになったから『発展した』わけでもないのだ。そういう意味で、日本の行政・政治についてもこれらの質が高いのかどうかについては、私なりにいろいろと疑問のあるところであることを付け加えたい。

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