『民資主義』は善なのか?

インドのパスポート発行事務について、申請受付と引き渡しの部分が民営化されるのだとか。これについては数年前から旅券事務に関わる現場で働く公務員たちの組合による抗議活動などが報じられていたが、ついに民営化の大枠の部分は決まったようである。
ちょっと前のことになるが、インディア・トゥデイ3月5日号にこの関係の記事が出ていた。これにより、パスポートの発給が迅速化され、わずか3日間で可能となる見込みとのこと。だが現在までのところ、世界的にも旅券事務の民営化の例は稀で、同誌は機密保持の観点から生じる懸念に焦点を当てていた。


機密上問題があるかどうかはさておき、日本国籍である私にとって、特に関係のない話ではあるものの、インドにあっても日本にあっても、安易な『民営化』には常に懐疑的な私である。
『ああ、またコストの削減を理由に仕事を放棄している』
『現場でマジメに働いてきた人をクビにしようとしている』
という風にしか思えないことが往々にしてある。
日本での郵政民営化のときもそうだったが、市民の間で『民営化しろ!』なんて声は特に上がっておらず、ただ『民間資本』の運送業者の親玉みたいなのや大銀行の関係者だとかが、これら政府系の事業が民間に開放されれば、自分たちの儲け話が増えるため前向きであっただけだ。
もともと日本の郵政は、公営事業としては非常に優秀なものであった。また赤字が出ているわけでもなければ、不正やずさんな仕事ぶりなどで問題が生じているわけでもなかった。そこを時の政府与党が、自らの人気取りのために仮想の敵をでっちあげ、これと対決して最終的にブッ潰すことによりマッチョで頼もしいところ(?)を披露して『実績』を上げた。
せっかく効率・サービスともに良く、常に時代の要請に迅速に応えてうまく機能していた国の事業を解体してしまい、この謀略に尽力したセンセイ方は以後順次人生の晩年に入り、そう遠くない将来にはこの世にオサラバしてしまうのだからいいかもしれないが、こうした先達の過ちのツケを長きに渡って払わされるのは、『さあこれから』という世代の私たちだ。
必要もないのに安易に民営化された例は郵政に限らないがここであえてその他の事柄について言及するつもりはない。だが何でもかんでも民営化、合理化、解体、小さな政府・・・というのはどうかと思う。たしかに時代とともに社会のありかた、私たち市民の生活スタイルや働きかたが変わってくれば、政府が行なうことが実情に合わなくなってきたという事業等もあるだろう。
だが単に政府の行政コスト削減や人減らしのための合理化、福祉や教育といった民営化になじまない分野の民営化には賛同できない。社会全体が株式会社化していくことについて、大きな危機感をおぼえるのは私だけではないだろう。
収益を上げることを目的とする企業は、貢献度の低い社員をクビにできるかもしれないが、『国』ないしは『行政』は、自分たちに邪魔な国民がいても、それをクビにして放り出すことはできないのだ。
おそらく昨今の小さな政府への志向は、いわゆる『勝ち組』の利益を代表するものだろう。成功者たちは『負け組』を支える社会的コストを負担したところで、彼ら自身にとってのメリットは特にない。それならば『私らそんな無駄金使いたくないから、みんな自己責任でいきましょうョ』と考えるのは何ら不思議はない。
勝ち組にはカネがあり発言力もある。政治献金等を通じて、政界への影響力も強い。国民ひとりひとりの投票により選ばれたはずの代議士たちの中でも多数派を構成する『与党』は、彼らよりの姿勢でモノを言い行動しがちだ。なんだかんだと理屈をつけて、『行政=非効率で不公正で悪』『民間=競争による効率化で善』という根拠のはっきりしない伝説(?)を流布させて、これをあたかもグローバルな事実であるかのように、人々の頭の中に刷り込もうとする。
もちろん民間企業が元気に頑張って生産活動を行ない大きな収益を上げ、財を増大させていくことは、納税等を通じて社会に再分配する財源を拡大するという意味で大切なのだが、民営化するということそのものが社会的にフェアであったり、民主的なものであったりするわけではない。そこに参入しようとする事業主を利するものではあっても、かならずしも市民の利となるものとは限らないことに留意すべきだ。
冒頭のインドにおけるパスポート発給事務の関係はさておき、これまで行政が行ってきた様々な分野について『合理化』という名目のもとに進行していく民営化の波は、日本はもちろん世界各地における同様の動きと同じ流れの中にある。しかしその進展たるや、80年代末までは政治体制を除き経済運営は限りなく社会主義的なスタイルで行われていたインドだけに、90年代以降は日本その他の旧西側諸国のそれとは比較にならない大渦の中で過ごしてきたといえるだろう。
一般的に、お役所仕事がとかく画一的であったり、もともとのアイデアは良くても、施行に問題があったりする部分は否定できないだろう。また権力を背景にした不正や汚職等についても同様だ。かといって、本来政府がきちんと責任を持つべきこと、市民に対してなすべきことを放棄し、業務をどんどん民間に丸投げしてしまい、あとは『自己責任』と知らぬ顔をする結果として『小さな政府』が実現し、あとは資本力と市場原理がすべてを支配する世の中となっていいのだろうか?
国を問わず、昨今の『民主主義』ならぬ『民資主義|』の風潮には、どうも不穏なものを感じて仕方がない。

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