アフマドナガル・フォート

アフマドナガル・フォートは、ムガルによる占領そしてその後は在地のヒンドゥー勢力の手に渡り、さらには英国へと所有が移り、20世紀には政治犯(独立運動家)の収容施設となったり、さらに時代が下ると軍の駐屯地となり現在に至っている。

広大な城壁の敷地全体が軍用地となり、私たちを含めた市民の入場は認められないのだが。ごく一部、市内に面する大きな「ハーティー・ダルワーザー(エレファント門)」と宮殿のあった部分のみ、インド陸軍兵士によるチェックを受けてから訪れることができる。

ただし宮殿というのが軍用地内であるため保護活動がなされていないのか、荒れ放題、崩落寸前であり、とても見学すべき価値のあるものには思えなかった。崩れそうな入口からはコウモリの糞尿の強烈な臭いとともに「キキキィ〜」という癪に触る鳴き声が聞こえてくる。夜になると、このあたりではドラキュラが徘徊しているものと思われる。

国に接収された城が軍用地となる例はとても多い。市街地近くに広大な敷地が用意できるのはそのような場所であるがゆえであること、さらには統治の中心でガバナンスの力の源泉であったところから権力者がいなくなるという「権力の真空」を放置しておくわけにはいかず、「新たな権力機構の象徴」であり、騒擾が起きた場合には即刻弾圧を加えることが出来るよう、新たな権力による暴力装置を据えておく必要があったからという理由もあったのだろう。ちょうど日本で各地の藩が解体された後、藩主の城に明治新政府の警察や軍が駐屯地したのと同じようなことだ。

城内を歩いていると、幾度も地元の見学者、家族連れであったりカップルであったり・・・に呼び止められて、どこを観ると良いかと尋ねられる。聞けばこういう人たちは州内のいろいろな街からやってきた観光客のお上りさんたちであった。

元宮殿のお化け屋敷、ハーティー・ダルワーザー、城壁の上の遊歩道などを見学して帰る頃になると、まずまずのアドバイスをしてあげられるようにはなった。ほとんど訪問者の姿がない城内とはいえ、どこから見ても詳しそうに見えない私なんかに聞いてとうするの?という気がするが、まあ田舎からのお上りさんというのは得てしてそんな人がけっこういるものだ。

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