木のたもとに宿る神性②

街路樹あまたあれど、このように祀られる個体は固有のめぐり合わせのようなものがあるように思う。

さらにはコンクリートの基壇が作られて、そこに人々が集うようにもなり、さらには祠というよりも小さな寺と呼ぶ冪規模になり、専属のプージャーリーが常駐したり、周囲に供物の花輪を売ったり、茶屋が出たりと「小さな門前町」の様子を呈するものも出てくる。

多くの場合はこの画像のごとく、小さな祠が出来る程度とはいえ、祀られる木にもそれぞれの格がある。これまたそれぞれ、そういう星のもとに生まれたとしか思えない。

生きている木に限らず、岩や石にしてもそうだ。山にそのまま転がっていたり、山肌で雨に濡れていたりするのが岩だが、中には切り出されて石畳や舗装のバラストとなり、人々に踏み付けられて年月を重ねる岩や石もあれば、神像として彫られて末永く人々がひれ伏して大切にする岩もあるではないか。

たまたまそうなるとはいえ、そのたまたまのめぐり合わせが決まるのは、その石なり岩なりがもともと持ち合わせていた徳性によるものがあるのかな?と思ったりすることがある。

〈続く〉

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