タージ・マハルvsテージョー・マハーラヤ論争の続き

このような論争で、史跡を管理するASI(インド考古学局)がいちいち回答しなくてはならないのはおかしいし、裁判沙汰になることもまともではない。

しかし興味深いことに、こうしてイスラームに関係する史跡や礼拝施設は、「元はヒンドゥーの寺だった」と疎外化されていくのに、ヒンドゥー教以前からのアミニズム信仰については、どんどんヒンドゥー化されていくという流れがある。

チャッティースガル州を訪問して同州南側のアーディワースィー(先住民)が多い地域の定期市を訪問した、親の仕事の関係で、そうした人たちと一緒に育ったというムスリム男性にガイドを依頼して、何日間か一緒に回ってもらったことがある。眺めただけではわからないこと、先住民に関する知識がないとわかり得ないことなどとても多いので、たいへん勉強になった。

その中で彼はこんな例を挙げていた。

アニミズムを信仰するアーディワースィーの人たちの礼拝施設は、「デーウグリー」と呼ばれるが、ただの石が置かれているだけだったり、なんの変哲もない木のある空間だったりすることが多い。そんな場所に一般の人々が住み着いて人口が増えてくると、いつの間にかヒンドゥー教のお寺になってしまうのだという。

その場所に神性があるがゆえに、建物が建てられて、プージャーリーがそこを司るようになり、一般の人たちが出入りするようになる。そこを信仰してきたアーディワースィーの人たちにとっては、それ以前からある石ころ(?)こそが神聖なものなのだが、結局ヒンドゥー教の大海に飲み込まれてしまうらしい。

今は大きな街となっているジャグダルプルにも、もともとはデーウグリーがいくつもあったそうだが、今はほとんどヒンドゥー教寺院になっているのだとか。

土着の信仰は敵視することなく、懐広く包み込む特性がある一方で、外来の信仰を奉じるムスリムやイーサーイー(キリスト教徒)は執拗なまでに拒絶する、そんな面が感じられる。

No Hindu idols in Taj Mahal basement: Archaeological Survey of India in response to RTI plea (INDIA TODAY)

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