サッスーン家の上海

上海の外灘のランドマーク、和平飯店北楼(旧サッスーンハウス)、和平飯店南楼(旧パレスホテル)ブロードウェイマンション・・・。

いずれも租界時代の建物だが、サッスーン商会による建築(現在はサッスーン一族の所有ではない。)もちろん現在の外灘の風景そのものがサッスーン家を筆頭とするバグダードからボンベイに移住して財を成した(当初は東インド会社から払い下げられたアヘン貿易の権利から上がる利益で大きく成長したため「罪を成した」とも言えるが・・・)ユダヤ資本の大量投下あっての大事業。そんなわけで、戦前の上海には「ボンベイの隣街」のような面もあったことになる。

当時のサッスーン商会は、カルカッタ、ラングーン、香港などでも操業しており、神戸にあるサッスーンハウスもこの一族の所有であったもの。サッスーン家はイギリスでも財閥を成し、現在英国サッスーン家の当主のジェイムス・サッスーンは政界でも活躍し、イギリスの財務大臣まで務めた。

そんな華やかなサッスーン家の栄光の始まりは、当時の君主との関係悪化によりバグダードを離れることになった商家サッスーン一族の長、デイヴィッド・サッスーンが1830年代初頭にボンベイに上陸したところから始まる。

デイヴィッド自身が非常に優秀なビジネスマンであったことに加えて、家族からも次々ときら星のように優れた人材を輩出し、家業を拡大させていき、100年も経たないうちにアジアを股にかけるビジネスエンパイアを構築。

当初は「ユダヤ教を奉じるアラビア人」として、生活スタイルもアラビア半島式であったサッスーン一族は植民地体制下のインドで英国の買弁として頭角をあらわすとともに、迅速に「白人化」していく。このあたりの変り身の早さもさすがだ。

欧州で代々過ごして歴史を築いてきたユダヤ家系とは異なり、イラク発インド経由の家系というのは、英国のユダヤ系社会の中でもとても異色なものであるはずだが、財の大きさや社会的地位の高さなどから、サッスーン家は英国のユダヤ系家系を代表する存在とさえなっている。

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