昔々の習慣

さすがに今はドミトリーに泊まることはないのだが、最近ムンバイ利用した宿は、金額(2,135Rs/泊)の割にはバストイレが共同であった。

昔からムンバイは宿泊費が高いことで知られている。かつてバックパッカーをしていたころは、コラバ地区、フォート地区で可能なオプションは、コラバにあるサルベーションアーミーのドミトリーであった。それでも当時の私がデリーやカルカッタなど、他の大きな街でのシングルルームに払う宿泊費(安宿)よりも高かった気がする。それは当時の貧しかったインドにおいて、ムンバイが突出した商都であったこと、周囲に郊外地域が広がる余地のない半島の形状などが背景にあった。

現在では、デリー周辺には隣接するUP州西部やハリヤーナー州なども含めて、工業団地が発展しており国外からの投資も佐官になっている。またアーメダーバード、バンガロール、ハイデラーバードなども同様で、宿泊費がどんどん高くなっている地域が多い。そのため今ではムンバイだけが非常に高いという具合ではなくなりつつある。

話は戻る。その共同バストイレで思い出したのは、カイロのバックパッカーの常宿だったオックスフォードホテルのドミトリーでのこと。当時はアジア人バックパッカーといえば、ほぼ日本人しかいなかった(ときどき香港人はいた。海外旅行が自由化された直後の韓国からは中高年の団体旅行者はときおり見かけたが若者のバックパッカーはほとんどいなかった)ためもあってか、ここの宿のドミトリーは「西洋人部屋」と「日本人部屋」に分けられていた。なぜそうだったのか、管理上そうすると楽なのかは知らないが、いつ利用してもそんな具合であった。

大きくヘリテージな感じの見事な石造りの 建物上階にあり、清潔で広々としている割には宿泊費は安く人気の宿だった。確かギリシャ系のエジプト人による経営である。ときどき映画やCM出演者を求めるブローカーがやってきて、そうした機会と小遣い程度野お金を得る人もいた。

ドミトリーの日本人部屋では、夕方に連れ立って食事に出た後はトランプに興じるのが常となっていた。そんなあるとき、「大富豪」をやっている輪の中のAくんが突然、「やべー!」と叫んで脱兎のごとく廊下へ駆け出して行った。

みんなビックリして、しばらく固まっていたが、しばらくすると青ざめた表情の彼がドミトリーに戻ってきた。

「やられたー!」

なんでもシャワーを浴びる際、所持金やパスポートなどの入った貴重品袋をビニール袋に入れて、シャワー室内の壁に掛けておいたのだそうだが、ついそれを忘れてドミトリーに戻り、トランプに興じていたというのだ。

ドミトリーにいた旅行者たちは、手分けしてフロントに聞いたり、他のドミトリーや浴室に出入りする人たちに尋ねまくったが、出てくることはなかった。A君自身は気の毒であったし、持ち去った者は、その晩に宿の中に居た者であることか確実なので、とても気分の悪いことでもあった。

彼は翌朝、警察に出向いて盗難の証明書を発行してもらい、アメックスに出向いてトラベラーズチェック(当時の旅行者はこの形で大部分の旅費を所持していた)の再発行を申請してきた。

そんな一件があってから「毎日のことだから共同シャワーへの置き忘れって、いつかやりそうだよな。」という会話がドミトリーの中で広まり、しばらくの間は新しく入ってきた宿泊者たちにもAその「レガシー」が引き継がれていたようだ。ネット出現前の時代であったため、情報交換の意味もあり、同宿になった者たちは互いにいろんな話をしたものだ。A君自身は大変だったが、同じ旅行者仲間たちに身を以って注意喚起してくれたことになる。

実はそのしばらく後にも同じようなことがあった。日本人宿泊者のひとりがシャワー室に入ったら誰かの貴重品袋がドア内側にぶら下がっていたというのだ。そのときはすぐにフロントに知らせて、中に入っていた旅券で所持者がわかり、シャワーから上がってきたばかりの本人にマネージャーから引き渡せたので事なきを得た。貴重品袋に変なことがないようにと、僕らははしばらくそこで立会っていたのだが、持ち主は西洋人だった。知らされるまで本人は置き忘れに気付いてさえいなかったのだが、事情を呑み込むと、言いようもないほど狼狽していた。

そんなこんなこともあり、先述のムンバイのコラバのホテルの共同シャワーを出るとき、かつて安宿を泊まり歩いていたときの如く、「貴重品袋よーし!」「確認完了!」と小さく発声しながら指差し確認をしていたのであった。昔々の古い習慣が、ひょんなことから自然と蘇ってくることはあるものだ。それまですっかり記憶の彼方にあったA君の青ざめた表情が脳裏に浮かんだ。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

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