コラバコーズウェイ

コラバコーズウェイ

ポルトガルのカタリナ王女が英国王室に輿入れする際、ダウリーとして英国に譲渡されたころ、ボンベイは「7つの島」(及びたくさんの岩礁)であった。
港湾として有望と見られた今のフォート地区に城塞を築いたのは東インド会社。ここに統治の中心としての行政機関や郡駐屯地を置く。
当初は島々は船で結ばれていたのが、次第に埋め立てにより陸地が繋がっていく。
フォート地区からすぐ南にあった島とは、コーズウェイつまり土手で盛り土した道で結ばれるようになった。
ちょうど今のシンガポールとジョホールバルーを結ぶコーズウェイを想像すれば、だいたいそんなイメージかと思う。
やがて両側が埋め立てられて、「コーズウェイ」ではなくなったのだが、そのままそう呼ばれている。
現在のフォート地区には、城塞らしきものは残っていない。この付近には鉄道駅のある「チャーチゲート」その他、ゲートの名のつく地名が残っているが、東インド会社建造によるフォート地区を取り囲む城壁があったころにいくつかあった「ゲート」の名残りだ。
砦も城壁も取り壊されて埋め立てに使われたため、コラバコーズウェイ両側の地下でも掘れば、そうした過去の残骸が出てくることだろう。

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