アングロインディアンの家族史

Sunday's Child

1942年にアーンドラ・プラデーシュ州の港町ヴィザーグ(ヴィシャカパトナム)で生まれ育った女性の自叙伝。

英領末期のインドで、アングロインディアンの家庭で育った著者。父親はカルカッタに本社を置いていたベンガル・ナーグプル鉄道の従業員(機関車運転手)だった。インド独立とともに、こうした各地の鉄道会社は統合されて、現在のインド国鉄となっている。

職員住宅で暮らしていた頃もあったが、後に一軒家を購入している。英国系の人たちが多いエリアであったらしい。

著者が結婚した相手は、同じアングロインディアンで税関職員。植民地インドの政府系の職場には、英国系市民への留保制度があったこともあり、そうした方面での勤め人の占める割合は高かったようだ。

クリスマスが近くなると、アングロインディアンを中心とする鉄道ファミリーの中から若者たちがカルカッタまで汽車に乗って、祝祭のために買い出しに出かけたり、コネを頼りに洋酒を買い付けたりといったエピソードが出てくる。また、同じ『肉食系』のよしみで、ヴィザーグ界隈のムスリムの人たちから解体した食肉を調達といった話も興味深いが、彼らの料理自体もアングロインディアンたちには馴染みの味覚であったらしい。

英国系といっても彼女の家族はカトリック。地域に依る部分が高いとはいえ、アングロインディアンの世帯でカトリックが占める割合は意外と高い。

この本の内容から逸れる。私自身、ヴィザーグの事情はよく知らないのだが、現在のマハーラーシュトラ州において、アングロインディアンたちの中に占めるカトリック人口の割合は高い。その背景には、ポルトガル領であったボンベイが、カタリナ王女の英国王室への輿入れにより、英国に割譲されたため、ポルトガル系をはじめとする在地のカトリック女性(及びインド人のカトリック女性)が英国から渡ってきた男性と結婚するケースは多かったようだ。

『専業主婦』という言葉さえなく、経済的には稼ぎ手である夫に依存していた時代だが、家庭内での仕切りや子の養育の面では専制君主的な存在であったカトリック妻たちは、子供たちをカトリック化して育てたため、夫以降の次世代からは『カトリック世帯化』したらしい。

これについては英国本国も危惧を抱いたものの、さすがに家庭内の事柄だけに、どうにもならなかったようだ。母は強し!である。

本題に戻る。著者のファミリーは1961年に英国に移住。アングロインディアンの最初の国外脱出の大波からしばらく経ってのことであるが、独立インドの混乱がほぼ解消してからも、やはりイギリス系の市民には風向きが悪過ぎると判断の上で出国だ。

インドでは「英国系市民」としての扱いやアイデンティティを持っていたアングロインディアンたちだが、到着した先祖の母国では『インド系移民』として捉えられるわけだが、当時の英国の『揺りかごから墓場まで』と言われた手厚い保護もあってか、比較的スムースな定着に貢献したのかもしれない。

当時着々と増えてきていたインド人をはじめとする南アジア移民たちへの『同胞』としての愛着が表現されるのも興味深い。

英領末期から1970年代に至るまでが舞台となっているが、この書籍が出版されたのは2016年と新しい。amazonのKindleフォーマットでの出版(紙媒体の書籍では発行されていない)というのも今の時代らしく、amazon.co.jpからでも容易に購入できるのはありがたい。著者も現在まだ75歳で元気なようだ。今後もアングロインディアンの生活誌的な作品を発表してくれることを期待したい。

書籍名:Sunday’s Child: An Anglo-Indian Story
著者:Hazel LaPorte Haliburn
ASIN: B01MTT6SGS

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