小さなお寺と大きな寺院

道端のこんな小さなお寺(・・・というか、この写真はお寺というより祠か)もあれば、壮麗かつ巨大な寺院もある。祀られているのはシヴァやヴィシュヌであったり、その他のいろんな神々であったりする。

規模は大小様々で、小さいお寺でもロケーションが良かったり、霊験あらたかであったりするのかどうかは知らないが、人気があり賑わっているところもあれば、大きいのになぜか閑古鳥が鳴いているような寺院もある。

だが概ね、よほど条件が悪くなければ、大きな寺院というものは信者を集めて、それなりに繁盛しているものだ。

しかしながら、どうしてそんな大小の差が出るのかといえば、元々はさほど大きくなかったものが人気上昇とともに周囲の土地を買収したり、寄進を受けたりして拡大していくケースもあれば、昔の王や大商人が唸るほどある財産の一部を使って開かせた寺院があったりといろいろだ。

時代が下ると、大きな教団が信者たちから集めた巨万の富をもって各地でビックリするほど大規模で立派な寺院を建立する例が増えてくる。BAPSなどはその典型で、インド経済が順調な成長を続けていくとともに、転がり込んでくる財もどんどん拡大していくため、その勢いに拍車がかかる。

町中の小さなお寺とこうした大規模な寺院との違いといえば、やはり卓越した経営戦略、マーケティング、それらを支える優秀なスタッフや政治力の有無であるのだろう。

ちょうど、商店街で人気の唐揚屋さんとケンタッキーフライドチキンの違いのようなものとも言えるかもしれない。前者は、日々買い物に来てくれるお得意さんの笑顔と売り上げがもたらす収入から成る日々の糧をありがたく頂き、家族円満に日々楽しくやっているのだが、後者はそういうミクロな視座ではなく、日々の成長と事業の拡大こそ是として邁進しているわけだ。どちらも似たような鶏の調理品を売っているのだが、価値観や生き方の違いなので、どちらが良いというものではない。

小さなお寺の聖職者に非常に徳が高く知識も深い人もいれば、日々の生活に汲々としていて、修行で学識や研鑽を積んだりする余裕のない人もいるだろう。かたや、大きな寺院には本当に尊敬すべき高僧もいれば、いかにもビジネスマンみたいな坊さんがいたりもする。

私たち一般人にしてみれば、寺が小さくても大きくても、そこに祀られている神サマは同じなので、どこに行こうが本質的な違いはないはずなのだが、大きな寺院はたいてい、その寺院自体の謂れだとか由来だとかのような権威を振りかざしていたりするので、せっかくお参りに行くならば・・・と思わせがちだったりする。やはり経営手腕というものが、寺院の隆盛を左右するので、俗世間と何ら変わるところはない。

インド各地で何時も姿を目にする聖者たちにしてもそうだ。観光客たちにたかって食い扶持を稼ごうとする一部の聖者?たちはともかく、実はとてつもない高みに達している聖人が、自己の追求のみに関心があって、教えを広めたり、社会に働きかけたりしようという意思さえ持たず、人知れずこの世を去っていくことは少なくないはずだ。

概ね、世の中で広く知られるようになる宗教家というのは、自己顕示欲、名誉欲、金銭欲の権化であることが多いので、ご近所にある馴染みのお寺でチャリンとお賽銭入れてお参りしておいたほうが安心かもしれない。祀られている神サマは同じなのだから。

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