北デリーのコロネーション・ダルバール

Coronation Parkとして整備が進む

ここは15年ほど前に訪れたことがある。当時は、子供たちがクリケットで遊ぶ広大な空き地であったが、現在は史跡公園として整備され、今もその工事は進行中。

1877年、1903年、1911年にイギリス国王の「インド帝国皇帝としての戴冠式」が、まさにこの場所で行われている。もっとも最初のふたつは、イギリスから本人が渡航して儀礼を行うことはなく、来印して戴冠を行ったのは、1911年のジョージ5世が最初で最後。

これが可能となったのは、1903年の即位時点ですでに高齢であったエドワードと異なり、1911年即位のジョージ5世は若かったのはもちろんのこと、1877年にはまだ建築中であったインドの鉄道ネットワークが完成の域に達していたことなどがある。このときジョージ5世は、ボンベイのインド門から上陸し、鉄道でデリーまで移動している。

ジョージ5世の像

この地でのダルバール開催について、英領時代から残る記念碑

さて、ダルバールでは、内外の要人たちが集まるとともに、インド各地の藩王国からも王、王子、側近などが専用列車などを仕立てて参列し、この周辺には豪華なキャンプが設営されて、仮設ながらも文字どおりの華やかなダルバールが出現していた。

1930年代には、英国国王はエドワード8世、ジョージ6世と2回変わっているが、インド独立運動の高まりで、大衆を動員して大規模なデモやストが頻発、加えて要人暗殺や爆破テロ事件なども頻繁するようになっていたため、ダルバールは開催されていない。

1911年のダルバールの様子はyoutubeで閲覧することができる。

長く打ち捨てられていた、植民地時代の旧宗主国の支配にまつわる場所で、独立以来、ことあるごとに英領時代の地名、英国の支配層にちなんだストリートの名前などが、改められてきたのだが、ここに来て「英国人のインド皇帝の戴冠式典」が行われたとして整備されるというのは注目に値する。

しかしながら、コロネーション・ダルバールを整備しているのは、ASI(インド考古学局-考古学だけではなく文化財保護・研究などを包括的に行う政府機関)ではなくDDA(デリー開発公社)であることから、歴史や文化的な背景についての考察等はなされず、ただの公園建設となるのだろう。

ちょっと残念だが、やっぱりという気もする。

DDA管理下の公園であることを示す看板。(園内は禁煙、ゴミ捨て禁止、家畜進入禁止等々の注意が書かれている。)

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