シェカワティー地方特有のカラフルかつ豪奢な館は、マールワーリーのバニヤーのカーストの人たちが陸上交易時代に力をつけ、さらには鉄道の時代になるとカルカッタやボンベイに進出し、稼いだお金をせっせと故郷に送金したことによるもので、「外地からの送金=豪邸の建築」という現象面では、中国の福建省、広東省で多数の出稼ぎ成金豪邸村ができたのと少し似た部分があるかもしれない。
彼らが都会に定住することにより、次第に故郷との縁が薄れ、世代を継ぐとさらに繋がりは細くなり、商人たち一族の中で、野心と才覚ある者は身内のツテを頼んで先達に続き、そうしたギラギラ向上心と機知に恵まれない者は故地に残ったため、シェカワティーの屋敷町は当然衰退することとなった。
どの屋敷も程度の差こそあれ、かなり傷みが目立つのだが、もう廃墟同然になっていたり、原型をほぼ失っていたりするものものさえある。
なかには、もうこんなひどい絵というか、落書きまでなされているものもあって考えさせられる。