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カテゴリー: travel

  • 一品8,000Rsの料理

    一品8,000Rsの料理


    ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

    一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

    メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

    「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

    とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。

  • ムシャッラフ元大統領の生家

    ムシャッラフ元大統領の生家

    デリーのダリヤガンジでよく書籍類を購入する。パーキスターンの元大統領パルヴェーズ・ムシャッラフ氏が生まれた地域であり、2005年に彼が大統領在職時に訪印した際に訪れている。

    ダリヤガンジのGolcha Cinemaからデリーゲートに向かって少し歩いた先の右手にある左側の「MEHTA’S」というスナック屋のところで路地を少し入ったところにある。

    Golcha Cinema

    ここで画面左手にある小路へ

    道なりに進んでいくとすぐに袋小路に突き当たる。

    袋小路突き当りに向かって右側がその場所

    現在は新しい建物に建て替わっており、細部の仕上げが進行していた。近年までは荒れ果てたオリジナルの家屋があったらしい。その様子はYoutubeに動画でアップされている。父親はAligarh Muslim University卒業で、当時としてはエリートの部類に入る人物であったが、住まいは簡素であったようだ。

    Pak Prez Parvez Musharraf’s Chilhood Home – Nahar Wali Haveli (Youtube)

    おそらくムシャッラフの幼少時代には、ここの路地で近隣の子供たちと遊んでいたのだろう。界隈はヒンドゥーの人たちやヒンドゥー寺院が多い。印パ分離時に大勢のムスリムたちがパーキスターンに移住するまでは、ずいぶん異なった雰囲気であったことだろう。

  • Huawei Ascend Mate 7

    Huawei Ascend Mate 7

    Huawei Ascend Mate 7

    使い始めてから半年くらいになるが、高性能でストレスを感じないし、国外への旅行時にも重宝している。

    SIMロックがかけられたスマホをロック解除しても、その機種を販売している携帯電話会社により制限がかけられている機能があったりするが、最初からSIMロックフリーで発売されているモデルの場合は、本来の機能をフルに活用することができる。

    例えば前者の場合、他社SIMを入れて、すぐに通話することが出来ても、インターネット接続設定は最初からしなくてはならず、少々苦労することも少なくないのだが、後者の場合はメジャーどころのSIMを挿入するだけで、普通にブラウジングすることが可能であったりする。

    OSはAndroid 4.4、CPUはオクタコア。キビキビ動き、フリーズすることもなく、快適に操作できる。2014年12月の発売時には「ハイエンド機」という位置づけであったが、今では同程度のスペックの機種は沢山出ていることから、特にこのモデルに拘泥する必要はないかもしれないが、バッテリーの持ちが大変良いことは特筆できる。待ち受け状態で少なくとも2日間は大丈夫で、ヘビーに使用してみても朝から晩までは優に持つ。容量の大きな外付けバッテリーも携行しておけばなお安心だ。

    ロンリープラネットのガイドブックその他、旅行情報や読み物などを保存して、カサが張って重たい紙媒体は相当省略することができる。

    最近のスマホのカメラ機能はなかなか使えるようにもなっており、カメラまで省略してしまうほどの思い切りの良さは持ち合わせていないが、手軽にこれで撮影してみたりということも多い。

    前述のとおり、今は同等の高性能モデルが他社からもいろいろ出ていることから、敢えてこれを「性能の割には安価」ということで選択したくなる優位性は発売当時ほどではないかもしれない。

    それにしても、安かろう悪かろうではなく、性能の高さで顧客を引き寄せるハイエンドなモデルが中国企業から出るようになったということは注目に値する。こうなってくると、すでに韓国のSamsungに大きく水をあけられている日本メーカーには、失地回復の機会のチャンスが巡ってくることはないのだな、とも思ってしまう。

  • インド国鉄のウェブ予約 2015年アップデート

    インド国鉄のウェブ予約 2015年アップデート

    2012年にIRCTCを通じてのインド国鉄のチケット予約についてのアップデートを書いてからそのままになっていたが、現状においての最新情報について掲載することにする。

    IRCTCのサイトは、ときどき不安定であったり、インターフェイス面でもやや使いづらい部分があるなど、あまり芳しくないことがあるため、インドのポピュラーな旅行予約サイトCleartripを通じてブッキングするほうが簡便でいいだろう。Cleartripは手数料として20ルピーを徴収するが、動作が非常に安定しているのでお勧めだ。

    このサイトの鉄道予約の部分に進み、日付、予約クラス、出発地、目的地を入れると候補となる列車が表示される。

    そして、予約したい列車について、「Check availability」をクリックすると、「Log in to you IRCTC accout」という画面が出てくる。

    すでにIRCTCのアカウントを持っていれば、それでログインすればいいし、持っていない場合は新規に取得することになる。そのあたりの作業については、Cleartripは判りやすい画面表示でフォローしてくれるため、その指示に従って操作していけばよい。

    指示どおりに進んでいくと、CleartripのアカウントとIRCTCのアカウントを結合がなされる。ここまできてから、Cleartripのウェブサイト上で、インドの携帯にIRCTCからSMS送信された認証コード、続いてワンタイムパスワード(OTP)を入力すると、めでたく両方のアカウントが結合され、以降はCleartrip上にて、フライトその他の予約をするのと同じような調子でブッキングすることができるようになる。

    インドの携帯電話については、SIMが有効かつ必要な残高があれば、国外にいてもローミング可能な対象国にいれば、SMSを受信することができる。vodafoneやairtelならば日本もそうした対象となっており、前者についてはsoftbankの通信回線を使ってSMSが送られてくる。

    インドの携帯電話を持っていなくても、パスポートの写しをIRCTCにメール添付で送信すれば、翌日あたりにはメールで認証コードとワンタイムパスワードを送信してくれるので心配は無用。そのあたりのやりかたについても、上記Cleartripのサイトの指示に従って進んでいけば丁寧な解説がなされているので、「どうもうまくいかない」ということはまずないはず。

    こうした懇切丁寧さや必要に応じてメール、電話その他により問い合わせをしたときの親切かつ迅速な対応からも、インドの大手旅行予約サイトの中でも、私にとってCleartripの印象はすこぶる良いため、もっぱらこればかり利用するようになっている。

  • アーグラーの近くで現代のタージマハル建設中

    元郵便局長のファイズル・ハサン・カードリー氏は、アーグラー近くのブランドシャヘル近郊の村の住民。3年前に亡くなった妻との間に子供はなかった。生前、「私が死んだら誰も思い出してくれる人はいないでしょうね」という妻の言葉に「いや、私が廟を建ててあげる」と答えたとのことだ。

    その約束を実行中のファイズル氏だが、経済面の問題から廟は完成していない。UP州CM(チーフ・ミニスター=州首相)のアキレーシュ・ヤーダヴが資金援助を申し出たりするのは、いかにもムスリム票獲得のためにイスラーム関係者の集会その他に足しげく通う、彼とその父親ムラーヤム・スィン・ヤーダヴが率いるサマージワーディー・パーティー(社会党)らしいところではある。

    ムガル朝第五代皇帝、シャー・ジャハーンが愛妃のために建設したタージマハルとは違い、大理石ではなく焼き煉瓦を積みあげて作る簡素な造りではあるものの、一般人がこうしたものを、私財を投じて建てるというのは大変なことだ。

    58年間連れ添った妻との愛のモニュメント。ファイズル氏が元気なうちに完成することを願いたい。

    Uttar Pradesh Government to Help Retired Man Build ‘Mini’ Taj Mahal in Bulandshahr (NDTV)

    Bulandshahr postmaster builds Taj Mahal in memory of his Mumtaz (Newzstreet)

  • 箱根がピンチ

    箱根がピンチ

    インドとまったく関係のない話で恐縮である。
    8月最後の週末に泊りがけで箱根を訪れてみた。

    箱根観光マップ(箱根離宮)

    箱根山の火山活動が活発化し、「大涌谷周辺の想定火口域から700メートル程度の範囲まで影響を及ぼす噴火が発生する可能性」のため、警戒レベル3となり、入山規制が敷かれていることは常々報道されているところだ。

    この影響により例年になく行楽シーズンの箱根が空いているという話をよく耳にはしていた。直前になってコンタクトしたにもかかわらず、箱根登山鉄道の終点の強羅駅目の前にあり、エコノミーな料金ながらも豪華なバイキング形式の夕食と朝食で人気の宿泊施設が予約できたので訪れてみることにした。

    小田急線で小田原を経由して箱根湯本に到着した時点ではわからなかったが、箱根登山鉄道のプラットフォームで到着電車を待つ時点で、おかしなことに気が付いた。

    「電車を待つ人がいない・・・」

    8月最後の土曜日の午前9時ごろである。普段は週末であれば(箱根は首都圏各地からのアクセスの良さ、温泉場でもあることから、年中「シーズン」であったりする)、それなりの混雑があるものだが、到着した車両のドアが開いて着席すると、車両内にはひと組の家族連れ以外には誰もいなかった。本来ならば、ラッシュアワーの通勤電車なみに混雑していいはずの休日の朝なのだが。
    ほとんど空気を運んでいるような具合の電車は、途中幾度かスイッチバックをしながら高度を上げていく。聞こえてくるのはエンジンのモーター音と車輪の軋む音だけだ。静まり返った途中駅で降りる乗客はなく、乗り込んでくる人もない。

    閑散とした途中駅

    執着駅の強羅もこんな具合

    強羅駅前 休日の午前中とは思えない寂しさ

    出発駅の箱根湯本から40分ほどで終着駅の強羅に到着。ここから早雲台へ行くケーブルカーが接続しているのだが、早雲台から大涌谷を経由して桃源台までを結ぶロープウェイへの乗り継ぎのためにあるがゆえに、そのロープウェイが運休している今、利用する意味はほとんどなくなってしまった。
    出発直前のケーブルカー車内はガラガラであった。

    そのため、強羅駅前から桃源台までの代替バスが運行されているのだが、登山鉄道でやってくる観光客よりも、この案内のために配置されているスタッフのほうが多いように見える。

    桃源台、箱根町、元箱根を繋ぐ遊覧船に乗り込んでみる。もともと少ない乗客の半数ほどが外国人であった。その大半は中国語話者、そして若干の西洋人。話し声が大きいのはやはり中国語での会話であること、周囲の山の景色などから、四川省の九寨溝にでも向かっているような気さえしてくる。

    「海賊船」という遊覧船からの眺め

    箱根町船着場の目の前にある食堂に入ったが、他のところがそうであるように、お客のいない店内で、ただ時間ばかりが過ぎていく。みやげ物屋も同様で、品物が山積みされた傍らでそれを手に取って眺めたり、購入したりするお客が不在。

    宿泊したのは家族連れに人気の宿で、夕食時にはテーブル席の半分くらいが埋まっていたが、それでもこの時期としては大変少ないのだという。流行っているところでさえもこんな具合なので、その他の宿泊施設は目も当てられない状況だろう。

    温泉場が発展してリゾート地化した箱根には、固有の歴史や文化と呼べるものはないため、見るべきものといえば山あいの景色くらいだ。その中でも目玉であった大涌谷が立入禁止となっているため、「とにかくのんびりして温泉を楽しむ」のが正解となる。

    のんびりするといっても、それがなかなか出来ない人たちのために「××美術館」「××博物館」「××ギャラリー」といった、土地に縁もゆかりもないものを、取ってつけたような施設がたくさんある。特に興味も関心も抱くことはできないが、やはりこうしたところに立ち寄ることになる。訪れてみると、それなりに楽しむことはできるのだが、やはりこれらでも訪問者よりもスタッフのほうが多いような印象を受けた。

    宮ノ下駅近くの富士屋ホテルはジョン・レノンが家族で滞在したことで有名。こちらはそのホテル近くの写真館に飾られていた写真

    一番のピークの時期のひとつでこんな有様ならば、週半ばの平日などはどのようになっているのかと心配になる。箱根山の火山活動の状況は、警戒レベル3となっており、噴火による災害が発生する可能性があることを呼びかけているわけだが、統治の経済(ほぼすべてが観光ないしは観光関連に依存しているといって間違いないだろう)にとっては、すでにこの閑散とした状況そのものが甚大な災害であるともいえる。

    今年4月と5月にネパールで発生した大地震の影響により、インドのラダックでも観光客の数が大きく減っていることはすでにindo.toにて伝えたとおりだ。もともと不要不急の観光という目的への出費については、その時々の景気の波に左右されやすく、政治や治安状況によっても大きな変動に見舞われることが多々ある。これらが安定している国においても、気象の変化や災害の発生といった予見できない要因に翻弄されるリスクが常につきまとう。いずれも地元の努力では解決のしようもないのは辛いところだ。
    観光業というものは、まさに水物であることを改めて感じずにはいられない。

  • ラダック やけに訪問客が少ない2015年の夏

    ラダック やけに訪問客が少ない2015年の夏

    ラダックの中心地レーのメインバーザール

    このところ4年続けて7月にラダックを訪れている。この時期はシーズン真っ盛りで、レーの中心部には各国からやってきた外国人観光客、国内各地からやってきたインド人観光客でごった返し、彼ら相手の仕事、土木工事、農繁期の作業のために来ているインド人出稼ぎ人やネパール人もまた大勢来ており、まったくもってどこの土地にいるのだか判らなくなりそうな多国籍空間・・・というのが例年のこの時期であったが、今年はだいぶ様相が違った。

    とにかく外国人旅行者が少なく、同様にインド人訪問客も多くない。「天候の不順により雨が多いこともあるかと思うが、やはりネパールで4月と5月に発生した大地震の影響だろう、それ以外に考えられない」というのが地元で暮らす人たちの大方の意見だ。

    ラダックのシーズンといえば、およそ6月から9月までの短い期間ということが、インドの他の観光地と大きく異なる。5月や10月あたりならばラダックへの陸路は開いているし、その他の時期でも飛行機で訪れることはできるのだが、ラダック地域でアクセス可能なエリアや楽しむことのできるアクティヴィティは限られるため、夏の季節の人気ぶりとは裏腹に閑散とした状態で商売にならないため、店や宿も閉めてしまうところが多い。ゆえに今シーズンの不振はとても痛いという話をよく耳にした。

    観光業は水物だ。現地の状況は決して悪くなくても、政治や経済の動向、隣接する地域(ラダックからネパールまでは1,000kmほどあるのだが、外国から来る人たちにとっては「同じヒマラヤ山脈」ということになるのだろう)での災害などが、如実に影響を及ぼしてしまうという不安定さがある。

    人気の宿はそれでも込み合っていたりはするものの、それ以外では閑古鳥が鳴いているし、とりわけ内外からのツアー客をまとめて受け入れていたような規模の大きな宿泊施設においては、例年の強気な料金設定とは打って変わって、かなり大胆なディスカウントを提供しているところも少なくないようであった。

    トレッキングに出かけてみても、やはりトレッカーの少なさには驚かされた。おそらくヌブラやパンゴンレイクその他、クルマをチャーターして訪問するような場所でもそんな感じだろう。

    インドにあっては西端にあたるラダックでさえもこのような有様なので、今年はヒマラヤ沿いの他の地域でもかなり厳しいものがあると思われる。

  • Skyscanner

    今年9月のシルバーウィークは、曜日の並びがなかなか良いともっぱらの評判。かなり前からこの休みを狙って予約して楽しみにしている人も多いだろうし、直前まで都合がつくかどうかわからず、これから動き出すという人も少なくないだろう。

    航空会社が直接販売する早売りは、さすがにこの時期になるともう空きがないだろうが、さまざまなフライト検索サイトで調べてみると、まだまだ何とかなることも少なくないようだ。

    もちろん金に糸目をつけなければ、たいていのところには行けることになるが、「ピークではない通常のハイシーズン程度の価格で」となると、選択肢はグッと狭くなる。そんな中で頼りになって使い勝手が良いのは、やはりSkyscannerだろう。

    出発地、目的地、出発期日その他の条件を入力すると、Skyscannerに登録されている航空券販売各社の膨大なデータの中から、マッチしたものを引っ張り出してくれる。

    どんな便が適当な価格で出てくるかは時の運。例えば東京からデリー行きの場合、今ごろの時期だと引っかかってくるのが、8万円強くらいで中国国際航空あるいは中国東方航空のそれぞれ北京か上海で乗換えるフライトだが、ときに同程度の価格でJALの直行便が出てきたりすることもある。

    Skyscannerで検索して出てきたものについて、それを選択して進んでいくと当該のチケットを販売している会社のサイトに転送されて、そこから直接購入することになる。あるいは「これは!」というチケットが見つかった際に、その会社のウェブサイトに直接飛んでもいいだろう。

    ともあれ、何かいい価格のチケットを見つけて、思わずドキッとして考えていると、すぐに売れてしまい表示から消え去ってしまったり、また翌日に同様の便が見つかっては消えていったり。お買い得なものが出てきた場合はまさに即座の判断が必要となる。

  • OLD & NEW

    スマホでタクシーを呼んだり、アプリでオートリクシャーをつかまえるといったサービスは、インドの都会では当たり前のことになって久しいが、ついにサイクルリクシャーも同様に利用できるようになった。チャーンディーガルでの話である。

    ECOCABS Chandigarh

    ECOCABSの創始者であるナウディープ・クマール・アスィージャー氏は、IITデリー校出身の38歳。サイクルリクシャーという古い乗り物とスマホによる新しいサービスの融合が面白い。

    「環境に優しい」というお題目とともに、街中のチョイ乗り、お年寄りの外出などにも役立つことだろう。利用者の身近に良心的なサイクルリクシャーワーラーが入れば、その人物を推薦することができるし、近所のリクシャー引きをアプリで探して呼び寄せることもできるとのこと。

    How it works (ECOCAB Chandigarh)

    リクシャーの利用において、何かトラブルがあればコールセンターも用意されており、運転手の身元が判るだけに、女性や子供の利用にも安心かもしれない。

    地域に根差した、利用客とサイクルリクシャー運転手の双方に対してフェアなサービスとして、今後の進展に期待したいところだ。

  • Markha Valley Trek  The Day 6

    Markha Valley Trek The Day 6

    早朝のニマリン

    カンヤツェ峰の頭の部分が覗いている。

    この日はトレッキング最後の行程となる。

    朝7時に朝食。ここに宿泊の人たちが一堂に集まることになるので壮観だ。当然全員は入りきれないため、時間ずらせて来る人たちも少なくない。ローティー、バターとジャム、チャーイ、ブラックティー以外にポリッジもあり、これがなかなか好評。

    簡単に朝食を済ませてから早々に出発。もし天気が悪かったら、ニマリンでの宿泊者たち全員まとまって行こうということを、各グループのガイドたちの間で相談していたそうだが、晴れ間も見えているまずまずの天気なので、その必要はなさそうだ。よって各自バラバラに出発していく。

    キャンプ場の手前にある川の橋を越えてから上へ上へと斜面を登る。雲で朝日は見えないが、少し登ったあたりから残雪がところどころ見られる。あるいは昨日降った雨はここでは雪だったのかもしれない。最初の登りはけっこう急だが、しばらく登ると少し緩やかになる。そしてコンマル・ラへの最後の斜面はかなり勾配だ。

    コンマル・ラまであと少し

    あとひとガンバリで峠頂上というあたりまで来ると回りは雪だらけになる。今日はカンヤツェも頂上まで顔を出してくれている。天候としてはまずまずである。昨夜の雨がウソのようだ。このあたりはすでに海抜5,200メートル近いので。歩みが遅くなり息が上がる。さりとて苦しいとか大変というほどではないのだが。さきほどの斜面でフランス人の還暦夫婦を追い越したのだが、しばらく峠で写真などを撮影していると、やがて彼らもここにやってきた。

    峠よりも低い周囲の山々からはまるで湯気が立ち上っているかのように雲がかかっている。峠の部分から東側には尾根が伸びていて、その部分はここよりも高くなっており、雪で覆われている。今日のハイライトであり、またこのトレッキングのハイライトでもあるコンマル・ラである。しばらく景色を楽しむ。

    タシはここから携帯で電話をしている。ここまでの村では通じなかったし、昨夜のキャンプ地でも繋がらなかったそうだが、この峠にくると電波が届くらしい。レーに戻るためのクルマの迎えのために連絡している。

    コンマル・ラからのカンヤツェ方面の景色も素晴らしく、心が洗われるようであった。

    カンヤツェ峰

    しばらく写真を撮ったりして過ごしてから、下りに入るが、かなり急な坂を進んでいくことになる。反対側からやってくるトレッカーたちがある。彼らはすべてがマールカーの全行程を行くのかどうかはわからないのだが、おそらくそうなのだろう。私たちが来たルートのほうが少しずつ高度を上げていくことになる分、体力的に楽なはずだ。また、コンマル・ラとニマリンあたりがこのルートのハイライトでもあるため、最初ににここを訪れてしまうと、後が少々退屈なものとなってしまうかもしれない。

    あとはどんどん下るだけと思っていたが、実はこの最後の行程はあまり楽ではなかった。けっこう深い谷間になっている部分も多く、そうしたところでは流れの速い急流を渡渉しなければならないからである。それが連日の雨で増水しているため、膝よりも深かったりする。
    後でレーに戻ってから再会したイギリス人とフィリピン人でキャンプ用品持参でトレックに来ていたカップルによると、彼らはもっと遅い時間帯に通過したようで、腰までの深さのところがあったり、フィリピン人女性のほうは、急流の中で転んでしまったりと、かなり大変だったようだ。

    下りでの小休止
    峠からの細い流れが周囲の湧き水等を集めて、やがて急流となっていく。

    下りの途中、茶屋で休憩
    村々に荷物を運ぶ馬たちもお疲れの様子

    私自身もかなり緊張感を伴うものであった。またその渡渉の回数もこれまでで一番多かった。やっと渡ったと思ったら、またすぐに渡らなくてはならなかったりする。どんどん高度が下がるにつれて、川は周囲の湧き水を加えて大きく、深くなってくるため、さらに厄介になってくる。

    シャン・スムドのあたりまで出た。このあたりは車道が通っているところに近くなるためか、家屋はこれまでよりも立派できれいな感じになる。クルマが入ってくることができるエリアになった。川の左右には広い川床が広がっている。さきほどのような両側を狭い谷に挟まれた中に流れる急流ではなくなるため、渡渉も楽になる。

    このあたりまで下ると川の流れは緩やかになり、身を切るような冷たさではなくなる。

    迎えに来たクルマに乗り込み、一路インダス河沿いの地域に出る。ここまで来るとると、まるですっかり低地に来たかのような気分。またずいぶん景色が開けたところという印象にもなる。これまで歩いて通過したのは、こじんまりした集落ばかりであったので、レーの町など素敵な都会に見えてしまう。

    タシはレーの町の下の端にあたるガソリンスタンドとロータリーがあるエリアで下車。
    これまでの6日間、どんなガイドと過ごすかによって、トレッキングの印象が異なってくるものだが、タシは実に好青年でよく気が付く人でもあり本当に良かった。心から感謝である。

    〈完〉

  • Markha Valley Trek  The Day 5

    Markha Valley Trek The Day 5

    ハンカルの村のホームステイ先からカンヤツェ(中央の雪山)の眺め

    昼食用の弁当を準備してくれるホームステイ先の女性たち

    ホームステイ先を出発



    午前6時起床。昨夜の雨はすっかり上がった。天気はいまひとつとはいえ、雨ではないのは幸いだ。7時半にハンカルの村を出発して、川沿いを歩いて次第に高度を上げていく。足元に生えている背の低い高山植物を眺めつつ、時にかなり急な勾配があったり、少々緩やかになったりする。マールカー村以降は基本的に登り基調なので、どんどん気温が低くなっていく。



    キャンプを撤収する人たち















    ホームステイ先を出たときにはカンヤツェを仰ぐことができたのだが。それでも谷間の眺めは素晴らしい。これで晴れていたならば、もっと素晴らしい眺めとなるのだろう。
    ニマリンのキャンプサイトに到着

    この日宿泊のテント






    正午前にはニマリンのキャンピングサイトに到着。海抜4,800メートル。私にとって、これまでで最も高地での宿泊となる。テントと寝具は用意されているので、身ひとつで泊まることができる。ここには村はないため、ホームステイできる家はない。キャンピングサイトを運営するのは毎年違う村の人たちが輪番で行なっているとのことで、今年はハンカルの村の住民であるとのこと。

    本日の宿泊先はここしかないため、早めに着いてテントを確保する必要があったのだが、途中の集落にあった茶屋で、ガイドのタシ君が彼のポケットマネーで買ったコーラのペットボトルを他のグループの女性ガイドに渡して何事か頼んでいる。

    先に着いたらテントを確保しておいてね、と頼んだとのこと。翌日、コンマル・ラから下ってからのレーへのクルマに乗ったときもそうだが、タシは運転手と彼と一緒に来ていた娘らしい女の子にファンタを買って渡していた。何かとホームステイ先の子供に小さなお菓子を渡したりしてもいたが、マメな性格なのか、それともラダック人が全般的にそうなのかはよくわからない。

    女性ガイドといえば、ユルツェのような宿泊客の多い家でのホームステイの際には、男性ガイドもいろいろと家の人たちの手伝いをしていたが、女性ガイドや女性ポーターはなおさらのこと、マメにいろいろと手伝いをしている。明るくて溌剌とした性格、大きな荷物を背負って、臆することなく川の急流をジャブジャブと渡っていく行動力と合わせて、お嫁さんにしたいと思う男性は多いのではないだろうか。私がまだ20代かつ未婚であったならば、きっとそう考えることだろう。

    ガイドとしては、女性であるがゆえに月経という、避けては通ることのできない不利な面もある。昨夜のハンカルで同宿であったキューバ人とイタリア人のカップルのガイドは、そのために道中苦しんでいたそうだ。

    午後1時から2時までテント内で昼寝。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良かった。
    午後2時過ぎからは、ガイドのタシ君とカンヤツェベースキャンプに行く。斜面を上る途中で雨が降り出したのだが、途中から雪となった。しばらく登ったあたりでは残雪もある。ニマリンから1時間強くらいは上っただろうか。ここだけのことではないが、場所によって足元が泥であったり、岩石の板状のものがゴロゴロしているガレ場だったりする。

    斜面を登るとしばらく勾配が緩やかになったと思ったら、再び急坂になってくる。そんな状態で幾度も緩急を繰り返す斜面を登っていく。最初は遠くに見えていた、本日のキャンプ地がその段のためにやがて見えなくなってきた。




    カンヤツェの氷河下端。山そのものの姿は雲で覆われて見えない。


    カンヤツェを正面に見る下り斜面までやってきた。標高5,000メートルはあるため、息が切れる。ここにはかなり残雪があり、曇り空から降ってくるのは相変わらず雪だ。周囲の高山の上半分にも雲がかかっているので、同じように降雪が続いているのだろう。カンヤツェも下半分のみが見える。谷間を挟んだ正面には氷河の先端。


    ベースキャンプといっても、現在これからアタックする準備をしている登山隊はないので、特にここには何もないし、誰もいない。それにしてもタシは普通に歩いているように見えても実はかなり速い。ラダック人全般に言えることだが、山道でゆっくり歩いているように見えても無駄のない歩き方?のためか、実際にはかなり速いので、ついていくのは容易ではなかったりする。とりわけ下りが速いようだ。同じようなことをかなり昔にボリビアでも感じたことがある。上るスピードはついていくことができても、下るときの速さは山の民ならではのものなのだろうか。

    これまで村のホームステイだったり、キャンピングサイトに宿泊していたりした人たちは私たちと同じルート上を来ているため、しばしば追い越されたり、追い越したりといったときに顔合わせて話をするようになっている。こうした人々が本日は一堂に集まることになるため、賑やかに会話するようになる。食事のときにはトレッキングルート途中の茶屋に使われているような大テント内のテーブルに料理の大鍋が置かれてセルフサービス。マールカーのトレッキング最終日を目前にして、これまで同じルートを歩いてきた人たちとお別れパーティーみたいな具合だ。楽しさのあまり、うっかり失念していて、その際の写真を撮っていないことに後になってから気が付いた。

    たまたま、ここにやってくるまで顔を合わせることがなかった人たちもいた。ベンガル人の3人連れで、国鉄マン、ソフトウェアエンジニア、民間の会社員の男性たち。彼らは写真仲間で、コールカーターで展覧会を開いたり、年に数回、こうした形で撮影旅行をしたりしているとのこと。撮影対象は自然であったり、祭りであったりと様々らしい。趣味でお金にはならないことに対して情熱を燃やし、費用手間をかけることを惜しまないのは、文化を愛好するベンガル人らしい。

    夜は激しい雨となった。強い雨により、ひとつテントが浸水のためダメになったとのことで、午後9時頃からカヤーの村出身のガイドがひとり、私たちのテントにやってきた。この人はフランスの学生団体の案内をしている。元々は、学生時代にパートタイムでガイドをしていたとのことだが、現在では専業でやっているとのこと。オフシーズンの冬には、スノーレパードを観に行く人たちがいて、私たちが初日に通過したルムバクに行くことがあるとのこと。

    テントを打つ雨音、テントが風でばたばたとはためく音などが煩くてなかなか寝られない。時計を見ると、12時、1時、2時、3時・・・。
    ときおり雨が止んだと思うと、ロバがうるさく鳴き始める。雨をしのぐ屋根もなく、まるで寒さに耐えきれずに泣いているかのように思えたりして不憫である。翌朝起きてロバを見てみると、やはり寒いのには違いないのだろう。身体が震えていて気の毒になる。

    夜中、トイレに行きたくなるが、雨は激しいし風も強い。しかもトイレはラダック式トイレのアウトドア版。この天候ではびしょびしょでもあり、想像するのもおぞましい場所である。ゆえに翌朝まで我慢することにした。ゆえになおさらのこと眠れない。
    それに川の状態も心配である。歩いて渡れるのだろうか、と。

    〈続く〉

  • Markha Valley Trek  The Day 4

    Markha Valley Trek The Day 4

    朝6時過ぎにマールカーのホームステイ先で起床。一昨日宿泊したスキウは高度が低かったのだが、マールカーは少し高いところなるようで、曇ったり、雨が降ったりすると急に寒くなった。

    7時半にマールカーを出発する前にホームステイ先の家の隣にあるゴンパに参拝。ガイドのタシは100ルピーのお布施を置いていた。彼にとっては決して少なくない額だろう。信仰の厚さといったところか。昨日、ここの僧侶がホームステイ先に来ていたため、タシは携帯の充電を依頼していた。今朝方、お寺で充電してくれたその僧侶がタシの携帯を家まで持ってきてくれていたので、そのお礼もあってのことかもしれない。

    晴れるとかなり暑い

    本日、スタートした時には薄曇りで歩くにはちょうどよかったが、途中から晴れてきた。すると非常に暑くなってくる。このところ続いている雨のためとのことだが、川床が広くなっていて、明らかに水が引いたと思われる場所が沢山ある。まだ少し湿った部分もあり、そんなときにここに来ていたら、川が広くて深くて、しかも流れも速いことから、越えることができなかったのではないかと思う。マールカーの村でしばらく足止めになっていた人たちもあったのではないかと思う。

    渡渉するが、昨日同様に膝上くらいまでの深さ。水が氷水のように冷たい。足がシビレてチリチリする。雪解け水や氷河が水源になっているためだ。まさにそれがゆえに、朝はまだこの水量であっても、気温が上がる午後には増水することになるので渡るのは困難となる。

    マールカー川の右岸に開けた渓谷。ここを進むとザンスカールに迷い込んでしまうのだとか。

    しばらく進んでいくと、上流に向かって右手にはガイドのタシが言うには、「間違えてここに入ってしまい、ザンスカール方面に向かってしまう人がいる」という箇所がある。トレッキングのコースがマールカー川沿いであるということを頭に入れていれば間違えることはないのであろうが、川の左岸にあるマールカーの村を出てから一旦渡渉してこちら側を歩くことになる。山々が重なる良い眺めの渓谷が開けていて、ついつい間違えて吸い込まれてしまったとしても不思議はない。
    卒塔婆のような形でちょっと不吉な感じ




    ここの後はしばらく川床の平たくなったところを進むが、山の上にそびえるゴンパがあり、道のところで大きなチョルテンが門構えのようになっているところまで来ると、少し起伏のある地形になってくる。

    しばらく川床の端の部分を歩き続ける。左側は急な斜面である。このあたりで「女性による運営によるカフェ、徒歩1分」という看板があった。実際には歩いて15分くらいかかるハンカルの村の西外れにあり、ここで小休止。アメリカ人女性がボラティアで働いていた。村に着いてから1週間とのことだが、これからひと月半ボランティアをするのだという。

    村に入ると耕作地があり、瑞々しい緑が目に優しい。


    本日のホームステイ先は、村の東外れの丘の上。しばらく斜面を上ったところに小さなゴンパがあり、その少し先にある。

    ラダック式家屋の居間はとても居心地の良い空間

    しばらくするとフランス在住のキューバ人とイタリア人の夫婦がやってきた。キューバ人は国の体制を嫌い、欧州に渡ったとのことだ。しかし祖父と祖母は1930年代に生活苦により、スペインからキューバに移民したとのことである。ちょうど日本人が南米に渡ったのと重なるものがあるといえる。その後、学校の教員をしているというアメリカ人女性と女性ガイドがやってきた。マールカーの村をはじめとするトレッキングで立ち寄る村は、観光シーズンには国際色豊かなものとなる。
    銀色のお椀状のものは太陽熱を利用した調理器具。これでやかんにお湯を沸かしたりできる。

    マールカーのホームステイ先で今朝方用意してくれたランチを食べてから、外を散歩してみようと思いきや、雨が降り出したのでやめる。しばらくすると雨が上がり、雲が切れてきた。カンヤツェの高峰を仰ぎ見ることが出来た。
    カンヤツェの峰(6,400m)

    山の中の小さな村にある家で、輸送手段といえばやはり馬かロバということになるのだが、この家の居間には大きな画面のサムソンのテレビがある。前日のマールカーの家でもそうだったが、夕方特定の時間になると、家の人たちが居間に集まって、ラジオのラダック語のニュースを聞いている。J&K州の公用語であるウルドゥー語放送もあるとのことで、衛星経由なのだそうだ。

    夕食後にしばらくおしゃべりした後、翌日も朝から山を歩くため午後9時くらいになると寝ることになる。外ではまた雨が降り出した。今回のラダックに来てから雨が降らない日はない。異常気象であると人々は言う。年間降水量が平均80ミリほどしかない地域とはまったく思えない状態だ。



    キューバ人男性のレオは雨具を着て、ヘッドランプを装着して外に出ようとしていた。
    「どこに行くんだい?」
    「Toilet Expedition !!」
    そう、屋外にあるトイレは真っ暗で、天井も落ちており、そのままで出るとずぶ濡れになってしまう。土を固めた床に開いている穴に落ちることがあったら、まさに「遭難」である。

    レオ君、それではお気をつけて!幸運を祈る!!

    〈続く〉