
ジャイガオンに来てから食事をしたり買い物をしたりすると、しばしばお釣りがブータン通貨ニュルタムで渡される。国境の町なのでインド・ブータン両国のお金が広く流通しているのだ。おそらくブータン側でも同じことだろう。インドルピーと等価なのでなおさらのこと使いやすいといえる。この町を通じて両国の経済がいかに深く関わっているかということを端的に表しているともいえる。
珍しいお札やコインが手に入り最初はうれしかったが、あまりに人々がニュルタムを渡したがるのには閉口した。 ここは国境だからいいとしても、この町から離れればブータン通貨など受け取ってもらえないはずだからだ。 いくら等価とはいえ、外国紙幣であるブータンのお金がインド国内で法的な効力を持つわけではない。便宜上、習慣上日常の小さなやりとりについてはルピー同様に市中で扱われていても、たとえば銀行への預金や決済などといった正式な取引について、この外国通貨をそのまま使用することはできないはずだ。
つまり当地における「正式なお金」ではないため、商売人たちは手元になるべくルピーを残し、お客にはニュルタムを渡すことを選好しているように私には感じられた。
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目の前はブータン 2 壁の向こうは外国

ジャイガオンのタウンシップはどこも新しい(それでもインドらしく『急いでボロくなる』現象のため古く見える部分もある)ため、比較的最近になって両国間の交易のために開かれた町ではないかと思う。
国境のインド側のジャイガオンとブータン側のプンツォリンは事実上ひとつの町のように見える。例えば前回の記事の末尾に載せた写真、メインストリート突き当たりのT字路にそびえる大きく立派な建物は一見ジャイガオンの役所かのようだが、実はブータンのものである。ここから右へ進むとそのゲートをくぐってブータンへ、左に進むとジャイガオンの商業地が続いている。
インド領とブータン領の間には特に緩衝地帯は設けられていない。国境ゲートの並びは密集した住宅地になっており、大きな建物の屋上から眺めるとどこまでがインドでどこからがブータンなのだか判然としない。だが界隈を歩いてみると「いつの間にかブータン側に入っていた」なんてことのないように、一応両国の境は低いコンクリート壁ないしはドブのような川によって仕切られていることはわかった。
目の前はブータン1 プンツオリンに入れなかった

ブータンのすぐ手前まで来てみた。『手前まで』というのはヴィザを持っていないのでブータンを訪れることはできないかったためである。国境のブータン側の町プンツォリンにはヴィザなしで訪れることができると、かつて耳にしていたのだが・・・
シリーグリーからバスで来たのだが、途中の眺めはなかなか気に入った。丘陵地に茶畑が延々と続く。地図で眺めるとバングラデシュとブータンにはさまれた回廊地帯なのだが、景色は広大なのでそんな狭い土地を走っている気はしない。本来大地というものには国境はないのだ。途中幾度かアッサム方面へと走る鉄路と並走する部分がある。幾度か通過する列車や鉄橋を目にする。
バスの中には、「シリーグリーに買い物にやってきた」というブータン人の親子連れが いた。昨日インドに入国したのだという。彼はとかく明るい人柄で、しきりに冗談を飛ばしている。おかげで闇夜をひたすらガタゴトと走る暗い車内がパッと明るくなるようだ。
どうやって食べる?

西ベンガル州の内陸部、ある町角の魚マーケットでウナギが売られているのを見てふと思った。「これをどう料理するのだろうか?」
インドで海岸地域などに行くとあまり目にしたこともないような魚もあり、「どうやって食べるのか?」と思うことはあるものの、他方に目を移せばもうそんなことは忘れてしまう。
なぜウナギにはこだわるのかといえば、私の大好物だからである。幼いころの私が物心ついてからの記憶は、祖母が作ってくれたウナギの蒲焼から始まるほど、私にとって特別な魚なのである。
その割にはこの世の中に蒲焼、ひつまぶし以外にどんなウナギ料理があるのかまったく知らないのだが。フランスや中国でも食用にされるということは耳にしているが、具体的な調理方法についての知識は持ち合わせていない。
ネットで検索してみると、「ウナギ・カレー」「Curried Eel」「Malay Eel Curry」などいろいろ出てくるので、世間にはいろんなウナギ料理があることはわかった。
コールカーターで中華三昧 6 何が華人たちを引き寄せたのか?
ところで「移民」という現象の背景には、送り出す地域の側のプッシユ・ファクターと受け入れる側のプル・ファクターとがあるが、前者についてはほぼ同時期に世界中に散っていった華人たちの流れの背景に、当時の彼らの祖国における社会情勢があったことはインドにはどんな引き寄せ要因があったのだろうか。
マレー半島の錫、インドネシアの××など、各地にそれぞれ主たる誘因があった。インドにおいては何だったのだろうか。もちろん英領インドの当時首都であったカルカッタだが、そこには中国大陸からの人々を引き寄せる何があったのか知りたいところだ。
現在コルカタで華人に多い職業は、レストラン、皮なめし工場、大工、クリーニング、美髪店だが、かつて多くは身ひとつで渡ってきて『徒手空拳』で運命を切り開いてきた華人たち。昔はアジア一帯に広く利用されていた「人力車」についても、その普及にあたっては中国系の人たちによる何かしらの役割があったかもしれないし、導入期にこの街で車夫として働く貧しい華人があったとしてもおかしくないかもしれない。
それとともかく、コルカタ華人たちの歴史等ついて書かれた適当な本はないかと探してみたらほどなく見つかった。近いうちそのコンテンツについて取り上げてみたい。