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カテゴリー: life

  • 靴底が抜けた

    靴底が抜けた

    困ったことに靴が壊れた。
    半砂漠の土壌のシェカワティー地方の暑さのためらしいが、歩いていたら靴底が抜けてしまった。接着剤部分が糸を引いている。気温は46度くらいだが、路上はそれよりもかなり高いはず。貼り合わせ部分が溶解してこうなったのではないかと思う。履いているのは、古くなったので外履きに転用したフットサルシューズ。
    ちょうどうまい具合に、目の前が靴の修理屋であった。「これはインドア用のシューズでしょう?この気温だとダメなんです。接着し直しただけだと、また剥がれてしまうのは目に見えているので縫い合わせしておきます。」と店の人は言う。
    さすがにこういう気温なので、彼は路上で商っているわけではなく、ちゃんと店舗を構えた修理屋さん。壊れた靴やサンダルを直すだけではなく、新品の履物も多数販売している。傍らに新聞や小説類も積んであるので、日常的に読書をする習慣のある修理屋さんらしい。こういう人は珍しい。道理で、この辺で履いている人はいなさそうな「インドアシューズ」に関する知識もあるということなのかもしれない。

  • 砂漠の風景

    砂漠の風景

    シェカワティー地方で町を出ると延々と続く砂漠の風景。
    鉄道による大量輸送の時代の到来まで、ラクダの隊商が行き交っていた大地。

  • 小ぶりなハヴェリーもいい感じ

    小ぶりなハヴェリーもいい感じ

    ナワルガルはシェカワティー地域の中心地のひとつだけあって、美しいハヴェーリーのある風景には事欠かない。
    小ぶりながらも落ち着いた佇まい、保存状態も良好な屋敷の前でしばし足を止め、思わず見入ってしまう。
    この地域特有のミナレット付きの井戸の姿もいい。デリー首都圏やハリヤナー州から地理的に近いにもかかわらず、19世紀にインドに旅しているような気がしてくる。

  • Kamal Morarka Haveli Museum

    Kamal Morarka Haveli Museum

    1990年代後半に修復工事を終えて博物館として公開されるようになったハヴェーリー。
    先日取り上げたDr. Ramnath A. Podar Haveli Museumとともに、この地域の美しいフレスコ画で飾り立てられたハヴェーリーの存在を世の中に知らしめて、現在のように貴重な文化遺産として認識させる大きな力のひとつとなった。
    シェカワティー地方独自のこうしたフレスコ画だが、面白いのはこの地域の人々が共有する伝統であるかといえば、そういうわけではなく、バニヤーカーストの人たちの間に広まった様式であり、一部の例外を除けば、他の有力なコミュニティの人々もこうした絵で飾り立てた館を競って建てたのかといえば、そういうわけではないことだ。
    同じ地域に暮らしながらも、ときにほとんど交わることのない伝統を持つ「複数の社会」が重層的に共存しているのがインドらしいところである。

    Kamal Morarka Haveli Museum

  • Dr. Ramnath A. Podar Haveli Museum

    Dr. Ramnath A. Podar Haveli Museum

    ここは改修して公開されるようになったハヴェリーのパイオニアで、まさにこの施設によって、シェカワティーの屋敷群が貴重な文化遺産として認知され、現在に至っていると言える。

    シェカワティーのハヴェリーの中には、この土地固有の様式のものと洋館風のものがあるが、これは1階(日本式に言えば2階)が従来のスタイル、そこから上は洋風館風になっている。

    その部分は1920年代以降に建て増しされたとのことで、各地にある洋館風のハヴェリーもだいたいその頃に出来たものらしい。そうした様式が流行したこと、それに応えることが出来る職人が出てきたことなどが背景にあるようだ。

    上階は洋館風

    このハヴェリーの所有者、ポーダルのコミュニティは、各種基金を運営しており、それらによって病院や学校などを経営しているため、シェカワティー地域のあちこちの町で、ポーダルなんとかと名付けられたそれらを目にするのだが、彼らの活動はインドの他地域はもとより、世界各地に及んでいる。

    Dr. Ramnath A Podar Haveli Museum

  • 悲惨な修復

    悲惨な修復

    前回は、シェカワティーのハヴェーリーの安直な修復例について取り上げてみたが、さらに悲しい例もある。

    描かれていたフレスコ画が荒れ果てて、壁を守ってきた漆喰自体も崩落が目立つようになったためだろう。建物自体の保護のために、石壁をあしらったビニール素材の壁紙で壁面を覆ってしまった例もある。

    おそらくオーナーは古くから残されてきた絵には関心を持たないか、それを修復する費用の支出を賄うことが困難なのだろう。しかしながら家屋自体については末永く使っていきたいという意思の元でこのようになされているはずだ。

    私有財産であること、フレスコ画の修復には多大な費用がかかるのでやむを得ないことであるし、所有者ではない私たちがとやかく言える筋合いでもないのだが。

    石壁を模した壁紙で覆われてしまった例
    ビニール素材の壁紙なので風雨には強いのだろうが・・・。
    レストランに転用されたハヴェーリー。フレスコ画が描かれていた壁は白い漆喰で覆われてしまっている。
  • ハヴェーリーの安直な修復

    ハヴェーリーの安直な修復

    近年は、シェカワティーが世界遺産登録を目指す動きなどがあるように、郷土の伝統として認識されるようになってきているこの地域のハヴェーリー。各地で積極的に保存や修復に取り組む例も増えているのは好ましいことだ。

    しかしながらその一方で、安直な修復も目立つようになってきており、このような例も決して少なくない。バザールで売られている神様の絵のような感じで描かれており、遠目にはキレイに見えるかもしれないが、かなり残念なことと言えるだろう。

    私有財産であるハヴェーリーは文化財登録されているわけではないし、ハヴェリーが条令等で保護されているわけでもないため、どのように処するかはオーナー自身の裁量に任されているわけなので、どうにもならない部分が大きい。

    遠目には色鮮やかでキレイに見えるかもしれないが・・・。
    本来あるべき姿とは大きくかけ離れている。
    それでもかなり費用をかけていることは間違いないのだが。
  • PODAR GATE

    PODAR GATE

    施主の苗字がそのままゲートの名前になっていたり、所有する一族の名前で知られていたりするハヴェーリーなども多い。
    写真はナワルガルのポーダル・ゲート。スマートフォンのHuawei社製品、Mate 10 Proで撮影したが、ライカとのコラボを標榜する製品だけあって、ちょっとライカっぽい写りを楽しむことができる。
    今回、シェカワティでの撮影の大半はこれで撮影しており、もはやちょっとしたデジカメと同等に使えるようになっているスマホのカメラ機能の進化ぶりは大したものだ。
    ほんの数年前には想像も出来なかったこと、期待もしなかったことが実現していくのが、デジタルの世界である。

  • 宿の近くのハヴェーリー

    宿の近くのハヴェーリー

    ハヴェーリーは間貸しに出されているところも多く、元々の所有者と縁もゆかりもない人が借りていることはよくある。そのいっぽう、今でも元々の所有者である家族や親族が寄り添うように住んでいる屋敷もあり、そうしたところのほうが保存状態も良いのではないかと仮定できるだろう。

    ハヴェーリーの出入口にはこうした立派な扉がある。日常の出入りに使用されるのは大扉の中の小扉。

    ナワルガルの宿泊先の向かいにあるハヴェーリーはそうしたもののひとつで、家の人から少し話を聞いたが、一族はマールワーリーで、やはりずいぶん前の世代の人が財を成して建てたという立派な屋敷。現在の所有者一族は、いったい何をしているのか尋ねてみると、「ウチはみんな公務員か教員だよ」と、ちょっと意外な答えが帰ってきた。

    だが、考えてみるまでもなく、マールワーリーといっても、誰もが商売上手でギラギラしているというわけではなく、地味に給与生活している人もたくさんいるのは当然のことだ。この静かな町で雑貨類を扱う、ごくごく小さな商店で生計を立てる「貧しいマールワーリー商人」だって少なくないのだから。

    私が話をした奥さんは、現在は嫁ぎ先のハイデラーバード在住とのことだが、毎年一回は子供たちと実家に帰省しているとのこと。今回はひと月滞在するのだそうだ。

    その隣、つまり私の宿寄りにはもう一軒のハヴェーリーがあり、屋敷の入口の部分に歴代の当主らしき男性、その奥方らしき女性の肖像画が描きこんである。屋敷のひとつひとつに個性があって面白いシェカワティだ。

    隣のハヴェーリーでは入口付近には、歴代の当主と奥さんとおぼしき人物の肖像画が描かれていた。
  • クールワル・コーティー

    クールワル・コーティー

    ナワルガルでの宿泊先は、クールワル・コーティー(Koolwal Kothi)。この建物は1934年竣工。19世紀終わりから20世紀初めにかけて、建てられたハヴェーリー(屋敷)は、それ以前とは違って西洋風建築が主流となるが、1930年代半ばともなると、こうした大きな建物が造られた最後の時代と言っても良いだろう。

    近年は、シェカワティーのハヴェリーで、異なる様々な時期やタイプのものが、こうして宿泊施設に転用されているため、いろいろ宿泊してみると楽しい。

    ちょっとアップマーケットな施設が多いのだが、シーズンオフとなる暑季には宿泊客がほとんどいなくなるため、各種予約サイトを通じて大幅に値引きされたプランで出ている。

    かつて様々な藩王国が割拠したラージャスターン州、グジャラート州では、各地にそうした王たちのパレスであった建物で、現在は「宮殿ホテル」となっているものが沢山あるが、シェカワティー地方においては、往年の「豪商の館」がご当地ならではの宿泊施設となっている。

    シェカワティー地方に共通して言えることだが、小さなダーバー(安食堂)を含めて食事をできる場所が極めて少ない。往々にして宿泊先で済ませることになるだろう。

  • ナワルガル到着

    ナワルガル到着

    夜汽車は良かった。乗り込んでしばらくは、人々は賑やかに会話。忙しげにケータイで話し込む者、デリーに住む親戚とビデオチャットを楽しむ母娘。スマホで音声流しながら映画や音楽を楽しむ男性・・・。

    長距離列車内はこれで良いのだ。

    スマホの目覚ましを午前4時半にかけておき、目が覚めてからしばらく待っているとナワルガル駅に到着。まだ外は真っ暗で深夜のようだ。

    待合室で少し明るくなるまで待とうかと思ったのだが、どうやら駅は市街地からかなり遠いらしい。客待ちしている乗り合いオートはあるのだが、今着いたお客たちが行ってしまってからだと足に困ると思い、そのまま宿に向かうことにした。

    まだ夜明け前、マーケットの一角まで来て下ろされたのだが、果たしてここから宿泊先まで、どのくらいの距離があるのかわからないし、この時間帯の野犬の群れも危ないのだが、案外、人の行き来はあることがわかった。こんな時間帯からお寺を参拝する人たちがいるようだ。

    ちょうど宿の方向とおぼしきダイレクションに向かう熟年夫婦がいたので尋ねてみると、彼らはその前を通過するとのことなので、一緒に行かせてもらうことにした。

    進んでいくとフレスコ画の壁を持つ大きな屋敷が見えてきて、いかにもシェカワティに来たという気がする。

  • 鉄路の深夜

    夜10時過ぎにデリーのサライロヒラー駅を出発の急行列車。

    乗り込んでしばらくは、世間話に興じる人たち、デリー滞在時にお世話になった親戚筋と子供たちも交えてビデオチャットしている家族連れなどで大変騒々しかったが、いつしか彼らも寝静まり、夜汽車は粛々と進んでいく。

    寝台で、背中にレールのガタゴト感じて寝る夜行列車は心地良く、いつしか私も眠りに落ちて行くのだが、隣のオヤジの高イビキに「えーい、うるさい!」と目が覚めてしまうのだが、周囲を見渡すと、意外にも静粛な車内。

    そうか、イビキの主は自分であったか!と気が付く、インド汽車旅深夜過ぎ。