インド算術大流行り

巷ではインド式数学がブームなのだそうだ。大手書店で『頭が良くなるインド式計算ドリル』『脳をきたえる インド数学ドリル』『インド式計算練習帳―脳力がみるみるアップする』『インド式秒算術』等といった書籍がズラリと並ぶ様は壮観だ。
数字が不得手な私はパラパラめくってみただけで頭が痛くなりそうだが、やはり昨今インドがIT産業で注目されていることに加えて、子供たちが学校で学ぶ二桁の掛け算のことなどが広く知られるようになったことで、算数はインドに学べ!という風潮になっているのだろう。図書類はもちろんのこと、GoogleやYahooでキーワードを「インド 算数 数学」と入れて検索をかけてみると、すさまじい数のインド算術サイトが引っかかってくる。
そんな中、横浜市でインド料理店を経営する方による「インド人シェフのブログ」にインド算数の教科書の紹介記事がある。小学校1年生用のものだそうだ。計算表は2の段から始まって20の段まであり、それぞれ×1から×20までズラリと書かれている。10の段から「九×九」の世界で育った私にとっては未知の世界だ。しかも各表の半分は二桁同士の掛け算で、ペンか電卓なしにはとても解けそうにない。たとえば18の段はこんな風にスゴイ。頭の柔らかい子供時代に暗記してしまえばどうということもないのだろうか?
「インド式」であろうがなかろうが、こうした「算数ブーム」をきっかけに数というものに関心を持つきっかけになるといいのだと思う。子供時代に苦手意識を持つのも大好きになるのも、ごく些細なはずみによるものであることが多いのではないだろうか。他者よりできる、できないは二の次で、興味を持ったことについてはひたすら打ち込んだりするのが人というもの。テニスにサッカー、釣りに登山、写真に料理、どんな趣味や楽しみだって、自分が抜きんでて優れているから好き…というものではないだろう。他人との比較ではなく、自分自身がそれと親しむことが心地よく楽しいのである。
こんな本が市中にあふれている今、「数字はイヤだ」なんて食わず嫌いするのではなく、どれか一冊手にして頭の中をグルグル回転させてみると何かささやかな発見があるかもしれない。

右ハンドルでKeep Right !

インドの隣国ミャンマーの道路について特に印象に残ったことがある。路上を走る車両のほとんどが右ハンドルながら右側通行であることだ。
この環境下で左ハンドルという『正しい仕様』のクルマといえば、日本のマツダが現地で合弁生産しているジープ、ポンコツの中国製トラック、さらに稀なものとしてメルセデスやBMWなど西欧の自家用車など非常に限定的なものである。それに対して大多数のクルマは商用車から自家用車、小型車から大型車まで、目にするクルマのほとんどが日本やタイといった左側通行の国から運ばれてきた日本メーカーの中古車ばかりだ。聞くところによると、ミャンマーでこれらの車両の輸入に関わる人たちにはインド系、とりわけムスリムの人々の存在が大きいらしい。日本から自国やロシアなどに中古車を輸出するパーキスターン人の業者は多いが、これらの取引でいろいろつながりがあるのかもしれない。
ともあれ、左側通行の日本を走るクルマがほぼすべて左ハンドルになったようなもので、なんとも危なっかしい。自家用車はもちろんのこと、特にバスやトラックのような大型車両が前を走る同サイズのクルマを追い越そうとする際、本来あるべき左ハンドルの車両よりもずっと大きく反対車線にハミ出ることになるのが恐ろしい。
中央車線寄りに運転席があれば、少し白線を越える程度で先方の状況がわかるが、運転席がその反対にあれば巨大な車幅のほぼ全体を左にスライドさせないと見渡すことができないのだ。この原因による事故はかなり多いはずだ。
対向車線を走るバスがいきなり『ニュ〜ッ』とこちら側に飛び出してくるのを目にするのも怖いが、そこにしか空きがなくてバス前方左側に座らされるのもかなりスリリングだ。
こういう環境に育つと『右側通行である。ゆえに右ハンドルなのだ』という間違った思い込みをしてしまうのではないかと思う。ほとんどのクルマの供給元が左側通行である日本(およびタイ、シンガポールといった近隣国)を走っていた右ハンドルの中古車である以上、右側通行に固執するのには無理がある。
バスの場合は乗降口の問題もある。ヤンゴンの市バスはさすがにドアを車両右側に付け替えてある(ゆえにドアの折り返しが反対になってしまう)が、同様のタイプで都市間を結ぶ数時間程度の中距離バスにも使用されているものは日本で走っていたままに左側のドアから客を乗り降りさせている。大型シートのハイデッカータイプの長距離専用バスについても同じだ。国道で他のクルマがビュンビュン走る側に降車することになるため、見ていてハラハラする場面が少なくない。
ところで旧英領であったこの国は元々右側通行であったそうだ。1970年のある日、突然右側通行に変更になったのだという。切り替え後には相当事故が起きたことだろう。もっともその時代はクルマ今よりずっと少なかったはずではあるが。今となってはまた左にシフトするのは無理だろう。
それがゆえに、右ハンドルの日本車ではなく左ハンドルの韓国や中国の車両の需要が大きいのではないかと思うのだが、前者がほぼ皆無で後者もごく限られた数しか入ってきていないのはどうしたことだろうか。
実情をわきまえずに左側通行から右側通行に変更するという、今から40年近く前に起きた過ちのツケを今なお人々危険な思いをし、時にはそのツケを『命』でもって支払っていることであろうことは容易に想像がつく。民意の届かない国ではあるが、早急に何とかしなくてはイカンのではないだろうか。

『FOR HIRE』 for sale

インドの旧型タクシー・メーターが『楽天市場』で売りに出ているのを見かけた。『FOR HIRE』の日焼けした文字、幾度も塗り重ねてきた思われるペイントの具合といい、いかにも『インドで長年頑張ってきた!』という雰囲気が味わい深い。
価格は7万円とのことで私にはチト手が出ないし、そもそも今どきのクルマにこのメーターが装着できるのかどうかわからないのだが、助手席側の窓から手を回して『ガチャコン!』とレバーを倒して出発するとけっこう気分かもしれない。ビニールでカバーした料金換算表があれば、一日の終わりに『おお、今日は×××ルピー分走ったな』なんて悦に入る向きもあるだろうか。
タクシーやオートに電子メーターが導入されてから『走行距離のみでなく、混雑などで余計にかかる時間への課金という概念が初めて実現された』と思っていた。でも実は旧式のアナログメーターにも一応『時間に対するチャージ』の初歩的な概念はすでに折り込んであったのだそうだ。裏面下部のネジを巻くことによって可能となるとのことだが、時間による最初の課金がなされるまで1時間以上かかるとのこと。クルマが増えて都市部の渋滞が日常茶飯となった今の時代にはとても合わないが。
しかしながらこのタクシー・メーター、クラシカルなスタイル、重厚な質感、職人さんたちによるハンドメイドな仕上げといい、実用の域を超えて愛用されそうなムードがある。使い込んだメーターもいいのだが、個人的にはツルツル、ピカピカの新品同様のこうした金属メーターがどこかで手に入らないものかと思っている。具体的な用途があるわけではないのだが、部屋の片隅にでもチョコンと飾っておきたいのだ。

郵政公社からインドな記念切手発売

記念切手
先日、YOMIURI ONLINEの記事で知ったのだが、このほど郵政公社がインドにちなんだ記念切手を発行する。
図柄は10種類で、タージ・マハル、ラクダとタージ・マハル、ベンガルトラ、インドクジャク、サーンチー仏教遺跡、サーンチー仏教遺跡の女神像、細密画、更紗 、バラタナティヤム、カタカリが用意されている。各々額面は80円。
上記の10枚で1シートになっているが、バラで一枚からでも購入可能だ。この特殊切手は『日印交流年』の記念事業の一環として5月23日(水)に発売される。
インドの友人・知人に郵便を出すときなんかにいいかもしれない。『プライベートで切手貼って手紙を出すなんて近頃ないなあ』なんていう方も、これを機会に肉筆で便りをしたためてみるのもいいかと思う。
インドの遺産 切手に(YOMIURI ONLINE)
特殊切手「2007年日印交流年」の発行(郵政公社)

国ってなんだろう?

アッサム、メガーラヤ、トリプラー各州を訪れてみて、インド北東部とバングラーデーシュは、別々の国であるがゆえに不利や不便を蒙っている部分がとても多いように思われる。それらは通商や水利などを含む経済活動や国土の開発全般にかかわることでもある。これらの地域がふたつの違う国家に属することから、住民たちが勝手に越境して移住すれば『不法移民』ということになる。もちろんこの隣国は近代史の中で、しかるべき経緯があって出来上がった国である。かつてアッサム州の大半もデルタ地帯に広がるこの国の前身である東パーキスターンになりかけた歴史を持つが、結局これがインドの一州として現在に至っていることもまたひとつの必然である。
時の為政者たちの綱引きによって画定された国境により、人々が暮らす土地はそれぞれの国家に従属することになる。そしてこれらを操るそれぞれの政府が人々のアイデンテイティ、思想、歴史観を規定するものとなるため、ひとつながりの地域がふたつの国に分かれて以降、地域文化や伝統のありかたにも大きな影響を与えることもあれば、隣国に対するスタンスが政争の具となり、相互に反発や敵対感情を生むこともある。これがかつてのパンジャーブ州や現在のJ&K州の不安定さにも如実に示されるとおり、地域の政情を不安定なものとすることもしばしば見られる。
そうした視点で見れば、北ベンガルのごく細い回廊部でかろうじて『本土』と接する北東諸州は、バングラーデーシュ、中国、ミャンマーといった諸手を挙げて友好的とはいえない国々に囲まれている地理条件を思えば、非常に不利であることは言うまでもない。
また人々の生活レベルではどうだろうか。もともと『本土』とはかなり違った風土や文化を持つ地域であり、とりわけ本土のマジョリティとは信条、民族、伝統どこを見ても自分たちは異なると自覚している人々が、すぐ目の前にある『隣国』よりも自分たちのほうが『インドとは違う』ことに理不尽さを感じることもあるかと思う。自分たちが国境向こう側に比較してよっぽど高度に発展していて経済的にも優位であったりしなければ、国への帰属意識よりも『占領されている』という感情が先に立ってもおかしくないだろう。インドという国への参加意識をなかなか持ちにくいのではないかと想像する。
こちら側がインドに属していること、そこに国境線があり向こうには別の国が厳然と存在していることは歴史による必然であるから、その是非について云々するつもりはない。だが人々の営みはともかく、雨雲はその境目に関わりなく大地を潤し、生物たちもまた彼らの目には見えない結界に縛られることなく行き来している(動物たちには縄張りがあるとはいえ)ことを思えば、人間という生き物がいかに特異な存在であるかということを感じなくもない。