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カテゴリー: greater india

  • 池袋西口の「リトル・ダッカ」な日曜日

    4月19日(日)に東京の池袋西口公園にて、「第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ」が開催される。

    いくつかのカレー屋さん、ハラール食材屋さんがあることを除けば、バングラデシュはともかく南アジアとの繋がりはほとんどない池袋ではあるが、この西口公園だけは、長年恒例の行事となったこのイベントとともに、2005年にカレダ・ズィア首相(当時)来日時に贈られたショヒード・ミナールのレプリカが置かれていることからも、ずいぶんバングラデシュと縁の深い公園となっている。

    当日、こうしたイベントが開かれていることを知らずに通りかかった人たちは、この一角だけに着飾ったベンガル人たちがワンサカと溢れていることに驚くことだろう。日本で生まれの「二世」たちの姿も少なくなく、単なる一時滞在ではない、日本にしっかりと根を下ろして暮らしているベンガル人たちが多いことも感じることができる。

    さて、この機会に春の喜びを在日バングラデシュの方々とともに、みんなで分かち合おう!

    第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ (Japan Bangladesh Society)

  • ナガランド 暴徒による性犯罪者のリンチ殺害事件の背景

    2月24日にナガランド最大の街であるディマープルで起きたナガ女性に対する暴行事件で逮捕された男性が収監される刑務所が暴徒に襲われ、この男性が外の往来に引きずり出されて殺害されるという凄惨な事件が3月6日に発生した。

    Indian ‘rapist’ who was lynched by mob who broke into prison and beat him to death had ‘offered his victim £50 to keep quiet about the attack’, she claims (MailOnline)

    メディアが掲げるヘッドラインを目にする限りでは、インドで近年増加している性犯罪に対して業を煮やした市民たちの怒りが社会の秩序と正義を求めて暴発という具合に読めるだろう。もちろんそれには間違いないのだが、もうひとつの側面がある。

    文化も人種も異なる「抑圧者」インドに長年虐げられてきたとされる鬱積とベンガルやアッサムからの移民流入に対する不満の爆発で、こちらは前述の社会秩序や正義とは大きくベクトルが異なるコミュナルなものとなる。

    今回の事件については、ディマープルでしばらく続いていた市民による抗議活動の延長線上にある。

    Protest against Feb 24 rape rattles Dimapur city (Nagaland Post)

    レイプ事件を起こした犯人はアッサム州出身のムスリム男性(2月24日の事件発生後以降しばらくはそのように伝えられていた)であった。そして被害者は地元のナガ女性。ディマープルは、ナガランドの最大都市でありながらも、州内のその他の土地と異なり、アッサム州に隣接する平地にあり、人口の相当部分がナガランド州外の平地から来た日々とであるため、まったくナガランドらしくない普遍的な「インドの街」に見える。
    そんなディマープルの刑務所に押し掛けた数千人とも言われる群衆の大半は地元ナガランドの人々であったようだ。

    ナガランド州首相は、この事件の背景にコミュナルな対立の構図があることを否定しているが、同州内のいくつかの有力な在野政治団体がこの機を利用しないことはないだろう・・・というよりも、そうした組織がこれを絶好の機会とみて、市民による抗議活動の中に活動家を合流させて扇動し、数の力に任せてこの事件を起こしたと捉えるほうが正しいことと思われる。この事件は、現在それなりの安定を手に入れたナガランド州をふたたび不安定な状況へと陥れる導火線となり得るかもしれないため、今後の進展から目を離すことができない。

    また、2月24日にこの事件が起きた際の報道では、犯人の男性は「アッサム出身のムスリム」ということになっていた。また3月6日のこの事件を受けて、アッサム州首相は、おそらくこの事件がナガランドの野党勢力中の政治団体による反ベンガル人、反アッサム人のシンボルとして利用されていることを念頭に置いて、デリーの中央政府に対する治安強化を促す発言をしている。

    殺害された性犯罪者について、いつしかナガランドポストのような地元メディア、そして全国をカバーする大手メディアでもこの男性をアッサム人ではなく「バングラデシュからの不法移民であることが疑われる者」と報じるようになっている。「外国人による犯罪」とすることにより、国内でのコミュナルな色あいを薄めようという当局の意思が反映されているのか、報道機関による自制ということなのかもしれない。あるいは隣国から不法に移住したがゆえに、逮捕された際に自らのアイデンティティーを偽っていたことが後になってから判明したということなのかもしれないが。

    Centre concerned as tensions run high in Nagaland (The Hindu)

    北東インドでコミュナルな色合いの濃い流血事件が起きると、その背景には奥深い闇が横たわっていることが多々ある。

  • バーングラーデーシュの2タカ硬貨は日本製

    すでに1年ほど前の話になるが、日本の独立行政法人造幣局がバーングラーデーシュの2タカ硬貨を製造することとなっている。

    バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注(独立行政法人造幣局)

    バングラデシュ2タカ貨幣製造受注に関する契約調印式(独立行政法人造幣局)

    他にもニュージーランド、スリランカ、カンボジア、ブルネイ、ミャンマー、オマーンなどの記念硬貨の製造を受注している。また、独立行政法人印刷局はインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を交わしている。

    独立行政法人国立印刷局とインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を締結 (独立行政法人国立印刷局)

    日本の紙幣の印刷に使われているのは株式会社小森コーポレーションの印刷機だが、インド中央銀行に紙幣製造一貫プラントを1996年に納入開始している。

    日本の貨幣製造技術が国外でも高く評価されているがゆえのことであり、人々が日々手にするお金に日本の「技」が生きているということは喜ばしく思う。

  • インドの華人コミュニティ

    TAIPEI TIMESのウェブ版に、中印紛争以降のインドで迫害や不利益を受けてきた中華系コミュニティに関する記事が掲載されている。

    FEATURE: India’s fading Chinese community reflects on war past (TAIPEI TIMES)

    彼らが紛争勃発後に、敵性国民としてどのような扱いを受けてきたかについては、上記リンク先にあらましが書かれているので、あらためて説明するまでもないだろう。

    彼らのコミュニティは、コールカーターに集中しているが、紛争以前にはムンバイーにも小さなコミュニティは存在していただけでなく、その他の主要都市にもいくばくかの華人人口があったようであり、現在もまだ残っている人たちがあるようだ。

    北東地域もその例外ではなく、アッサムにもかなりの数の華人たちの姿があったようだ。紛争勃発当時はまだアッサムの一部であった現在メガーラヤ州の州都シローンで、今でも商いを営む中華系の家族があることからも容易に想像がつくだろう。

    近く、インド人作家のリター・チョードリーによる、アッサム地方に暮らした華人たちに焦点を当てた歴史小説が出版される予定だ。

    Makam by Rita Chowdhury

    この本は、今年の春あたりに出る予定であり、私自身もそのころすでに予約しているものの、どういう理由なのか知らないが、かなり遅れているようだ。大変興味深い内容であるに違いないので、とても楽しみにしている。まぁ、気長に待つことにしようと思っている。

  • インドのチベット人

    以前、MAJNU KA TILLAと題して書いてみたデリーのマジヌー・カー・ティッラーだが、この地はasahi.comの連載:地球を食べるの記事でも取り上げられているのを見つけた。

    (地球を食べる)望郷の味チベット料理 (asahi.com)

    中国による「チベット解放」後にインドに難民として逃れてきたチベット人たちに、インド政府は相応の待遇を持って迎えてきたと言える。その中で経済的に成功した者も少なくないが、彼らはあくまでも異国インドに難民として仮住まいをしている立場にしか過ぎない。

    しかしながら、すでに三世代目、四世代目に入ってしまっており、国籍は持っていないものの生まれも育ちもインドで、祖国チベットを訪れたことさえない、事実上の「チベット系インド人」化してしまっている現在、彼ら自身がこれからどうしていくのか、またインド政府も将来的に彼らに対してどのような対応をしていかなければならないのか、真剣に取り組まなくてはならないだろう。

    現在のダライラマも未来永劫に彼らとともにこの世におられる訳ではない。インド中に散らばるチベット人たちを結ぶ大きな求心力が失われたとき、彼らのコミュニティはどうなっていくのだろうか。

    インドをはじめとする在外チベット人コミュニティをまとめあげる存在の代替わりは、それがたとえ次に転生するダライラマであっても、俗人の中から選ばれた人物がその役割を担うことになっても、相当な混乱が生じることは間違いない。中国当局による工作の可能性はもちろんのこと、彼ら自身の中にも野心を抱く者たちの存在があり、激しいさや当てが繰り広げられることは避けられない。

    また、現在のチベットの情勢が変わる見込みもないわけだが、万が一、将来何か思いもよらないことが起きて、彼らが帰還することが可能になったとしても、すでに数世代に渡り生活基盤を築き上げ、それなりに安定した生活を営む現在インド在住のチベット人たちの果たして何割が戻ろうと決心することだろうか。

    遠くない近未来には、彼らインド在住のチベット人たちがインドに帰化することを求めなくてはならず、そしてインド政府もそれを受け容れなくてはらない日がやってくることは想像に難くない。

  • National Geographic 11月号

    Facebookである方が書き込まれたことから知ったのだが、National Geographic11月号の特集はSorrow on the Mountainと題して、今年4月にエベレストで発生した大規模な雪崩による「エベレスト史上最悪の日」とされる歴史的な事故が取り上げられている。

    地元ネパールで登山に関わる人たちの仕事と暮らし、事故の顛末と遭難した人々やその周囲の動き、山をめぐる経済効果や労働問題、事故の後に持ち上がった政治的な動き等々が各種メディアを通じて報じられてきたが、それらを俯瞰する形で読んでみると、この事故が起きる前から、その背後にあった社会問題が浮き彫りにされているように思う。もちろん、それらは現地で登山関係の仕事に従事している人々にとっては、周知の事実に過ぎないのかものであったとしても。

    そこに登山の仕事がある限り、そこでの稼ぎを求めて行かなくてはならない男たちがいる。名峰を征服する登山隊の華々しい活躍は彼らの支えがあってこそのものであり、登山活動がそこにある限り、こうした男たちやその周辺の産業で働く人々にも恩恵が及ぶことになる。また、登山料等の収入は、国家に対しても貴重な財源となり、300万ドルもの収入を与えることになるなど、経済的な効果は計り知れない。

    それほど重要な産業なのだが、これを支える最前線の現場、つまり登山の仕事でほとんどの補償もない状態で、命の危険を冒して働く人々に依存している現状。だが、その仕事による収入を必要としている男たちや彼らが養う家族があり、登山者たちもそうした彼らを必要としているというジレンマ。労働条件の改善は必要であるとはいえ、そこにマオイストたちがツケ入る隙間も大きなものであるわけで、これが政治絡みの騒動へと繋がる。とりわけこの国の「基幹産業」のひとつともなれば、なおさらのことだ。

    上記に示したリンク先でも記事内容のあらましは判るとはいえ、ぜひ印刷された今月号を手に取っていただければ幸いだ。記事内にいくつも散りばめられて、文章同様に、あるいはそれ以上に多くを語りかけてくる写真とその解説を読みながら、この問題についていろいろ考えさせられるものがある。

  • ダム建設工事で危機的状況の文化遺産

    パーキスターンのダム建設でこのような問題が生じているとのことだ。

    ダム湖に沈む文化遺産を救うために(特定非営利活動法人 南アジア文化遺産センター)

    太古の時代より、様々な民族や文化が興亡したこの地域についての概略やダム建設の背景等については、上記リンク先のスライドをご覧いただきたい。

    この問題のあらましについては下記リンク先にも記されている。

    Diamer-Bhasha threatens ancient heritage sites (DAWN.com)

    Bhasha dam and heritage sites(DAWN.com)

    南アジア文化遺産センターのウェブサイトによると、ダム建設で水没する地域で失われる岩絵その他の文化遺産は3万点にも及ぶという。長い歴史の中でこうした遺産を残した様々な民族の生活等に関する調査はまだほとんど手つかずだそうで、ダム竣工まで残された時間が10年という状況は非常に厳しい。

    この件に関する講演は、11月8日(土)に日本大学文理学部3号館で開催されるシンポジウム・パーキスターン2014でも行われるとのことである。

    シンポジウム・パーキスターン2014 (特定非営利活動法人 南アジア文化遺産センター)

  • ミャンマーからインドへの陸路越えが可能に

    ある方のFacebook書き込みで知ったのだが、なんとミャンマーからインドへの陸路による国境越えが可能になっているようだ。ミャンマー側でのパーミット取得が必要なようである。

    その陸路による出国・入国地点は、ミャンマーのサガイン管区のMorehからインドのマニプル州のTamuである。この情報は、こちらをご参照願いたい。

    Myanmar / India Land Border Crossing at Tamu/Moreh Open (Lonely Planet THORN TREE FORUM)

    Crossing the Indo-Burmese Border on Motorcycle (THE IRRAWADI)

    どちらの地域も現在では自由に旅行できるようになっている。しかしながらどちらの地域にも長く抗争を続けてきた反政府武装勢力が存在し、現在は停戦状態にあること、ときおり治安に関する問題が生じていることは頭に入れておきたい。

    Trade resumes at India-Burma border (DVB)

    もしかすると、数年後にはポピュラーな国境越え地点となっている可能性もある。数年前にパーミット無しでの入域が可能となったものの、さほど注目を浴びることなく、期待されていたほど観光の振興に繋がっていないインド北東部が、ちょっとしたブームとなる可能性もあるかもしれない。

    しかしながら、外国人の出入境も可能となっていることから、物流ルートとしてもそれなりの機能を果たすようになっているものと思われることから、両国側ともこの出入国地点のエリアがもはや辺境ではなく、ダイナミックな通商のルートとなりつつあることが、容易に想像できるだろう。

  • Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma)

    今年7月にロンリープラネット「ミャンマー」の改訂版が発売されている。

    このところ政治・経済の分野で大変注目されるようになったことから、これまでにない速度で変化していっている国だが、同様に旅行事情についても情報がすぐに古くなってしまうようになった。

    たとえば両替ひとつとっても、ほんの数年前までは闇両替しかなかったものだが、今ではメジャーなところには店やブースを構えた両替商があり、そうしたところでは米ドル以外の主要通貨も扱うようになっている。

    ごく当たり前のことがまったく当たり前ではなかったこの国では、ネット事情も同様で、外国のニュースサイトやウェブメールが普通に使えるようになるなんて、2010年の総選挙前の軍政時代には考えられなかったことだ。

    人々の装いも同様で、老若男女問わず、都市部でもロンジー(腰布)姿ばかりであったのは、まるで遠い昔のことのような気がするが、実はそんなことはない。

    目次を覗いてみると、紹介されている地域に大きな変化はないようだが、観光目的でも訪れる人たちが急増していることから、魅力的な場所が新たに発見されていることであろうし、これによって情報源も多くなったことから、中身がより充実していくのは自然なことだ。

    政治や治安等の理由から、まだ外国人が訪れることが許されていないエリアも多いこの国だが、各地の軍閥との和解も進展していることから、現在はオフリミットであっても、今後私たちが訪問可能となるところも出てくることだろう。

    個人的に楽しみにしているのは、ミャンマー北西部からインド東北部に抜けるルートがオープンする日。アセアン諸国と南アジアを繋ぐ動脈としての道路建設、ナガランドからミャンマー側へと繋がる鉄道建設などといった計画があることから、ミャンマー側にしてもインド側にしても、あまり経済的には利用価値のない辺境の地であったところが、交易や人の往来によって潤う地域へと変貌する日が遠からずやってくるようだ。

    辺境であるがゆえ、あまり外から干渉されることなく受け継がれてきたものがあり、それが変化とともに失われていくというのは残念な気がするものの、その変化によって新たに生み出されてくるものもまたある。

    これまで時計の針が止まっていたかのように見えたところが、今度は弾みのついた車輪のように勢い良く回り出す。そんな躍動する現代を目の当たりにするとともに、そのダイナミズムを体感することができれば幸いである。

  • インド亜大陸にアルカイダの支部

    アルカイダのリーダーのアイマン・ザワヒリーの声明は気になるところである。

    亜大陸に支部を設立することを宣言するとともに、ミャンマー、バーングラーデーシュとともにインドのアッサム、グジャラート、カシミールのムスリムたちに対する支援を表明している。

    Al Qaeda Opens New Branch on Indian Subcontinent (New York Times)

    アルカイダは従前よりアフガニスタンやパーキスターンで活動を続けてきたが、ここにきて「支部を設立する」と言うからには、亜大陸での活動を本格化させるという強い意志の表明ということになるだろう。

    これを受けて、インドのメディアの反応はこのような具合。

    Nation on alert as al-Qaida launches India wing for ‘return of Islamic rule (THE TIMES OF INDIA)

    Al Qaeda Launches Wing in Indian Subcontinent (NDTV)

    Al-Qaeda declares new front to wage war on India, calls for jihad in the subcontinent (The Indian EXPRESS)

    http://indianexpress.com/article/india/india-others/al-qaeda-leader-ayman-al-zawahiri-announces-formation-of-india-al-qaeda/

    イスラームの敵 ?

    今年5月にインド首相に就任したナレーンドラ・モーディー氏。インド国内で清廉なイメージとグジャラート州首相として発揮した行政手腕とその果実としての同州の経済成長などから期待値が高く、改革に対する果敢な姿勢から現在までのところ好調な滑り出しを見せている。また、つい先日の訪日の際には安倍首相とともに経済面のみならず国防面でも積極的な協調姿勢を打ち出し、日印新時代の幕開けを印象付けたモーディー氏である。

    しかしながら、アルカイダは氏を「イスラームの敵」と位置付けることも想定しているらしいとの報道もある。もとよりインド国内においても2002年のグジャラート州で発生した暴動の際に、その前年に同州の首相に就任したモーディー氏による関与が長らく疑われてきたこともあり、インド国内外でそれなりの説得力を持つものとなることは否定できない。

    Al-Qaeda wants to portray Narendra Modi as enemy of Islam (The Indian EXPRESS)

    過激派活動家を生む土壌

    本家のアルカイダと袂を分かったISISのイラクにおける戦闘に加わっているムンバイ―近郊出身のインド人ムスリムもいることがすでに明らかになっているが、その中の1人が戦死したことも8月下旬に報道されていた。

    Indian youth dies while fighting for ISIS (DIGITAL JOURNAL)

    Fighting for “Islamic Caliphate”, Kalyan Boy dies in ISIS war against Iraq (THE INDIAN REPUBLIC)

    インターネットの普及により、こうした過激派のリクルートが容易に国境を越えるようになって久しいが、インドにおいては英語を理解する人口が膨大であること、世界有数のムスリム人口を抱えているにも関わらず、ヒンドゥー教徒の大海にあってはマイノリティーの地位に甘んじており、英国からの独立の際に分離したパーキスターンとの関係などから、相対的に不利な立場にあるといえる。

    そのため世俗的に抑圧感を覚えていたり、社会生活に信奉しているイスラームの見地と相容れない部分を感じていたりしているムスリムは少なくないはずであるとともに、貧困層の中においては、自身の不遇をムスリムに対する社会の不条理な対応であると理由づけしてしまうこともあるだろう。とりわけ若年層、精神的に不安定で、家族に対する責任や義務などがまだあまり生じていない者たちの中から、過激思想に共鳴する者がある一定の割合で出てくることを防ぐのは容易ではない。

    そうした人々は隣国パーキスターンで活動するラシュカレトイバをはじめとする組織や地元インドで結成されたインディアン・ムジャヒディーンのようなグループで活動したりしてきたわけであるが、そうした選択肢の中にアルカイダも加わることになるのだろう。

    亜大陸のムスリム社会への影響

    ここしばらく鎮静化しつつあったインドにおけるテロ活動、カシミールの治安情勢が今後危惧されるとともに、亜大陸全体におけるムスリムのコミュニティ内の対立や分断も生じさせることになるかもしれない。各地に聖者廟があり、カッワーリーのような宗教賛歌の伝統も豊かなこの地であるが、こうしたものはワッハーブ派の流れの延長線上にあるアルカイダの視点からすれば、異端以外のなにものでもないからである。

    また、こうした中から非ムスリムの間からはムスリムに対するさらなる不信感が生じてきたり、これを政治的に利用する動きが出てきたりすることは誰にでも予想できる。とりわけ先の選挙で大勝したヒンドゥー保守派のBJP政権においては、そうしたことが懸念される。

    宗教的な信条はともかく、テロ活動に対する国民会議派を中心とする前政権の弱腰を批判していただけに、こうしたテロ対策については強硬な態度が求められるところでもあり、それは大きな事件が発生した場合の外交上の対応のみならず、国内における引き締め策にも反映されるであろう。

    過激派の「安全地帯」

    こうしたアルカイダの細胞組織や潜在的な賛同者は、亜大陸各地に散在することになるのであろうが、その核となる部分はやはりパーキスターンのFATA (Federally Administered Tribal Areas ※連邦直轄部族地域)に置かれることになるのだろう。いや、もうすでにそれは存在していることだろう。この地域は、こうした組織にとっても「セイフ・ヘイヴン」となっており、インドにとってはもちろんのこと、その地域を抱えるパーキスターンにとっても政治面においても、治安面においても大きなリスクとなっている。

    ここは、中国に対するジハードを唱えるETIM(East Turkestan Islamic Movement)の拠点も置かれているとされていることは、今年7月にETIM パーキスターンと中国と題して記事をアップしたところだ。

    亜大陸の多国間の協調が求められるが・・・

    当然のことながら、亜大陸におけるアルカイダと対峙するにあたり、主要な鍵となるのはパーキスターン政府の対応ということになり、ここしばらく落ち着いたムードにある印パ関係に多大な影響を及ぼすことも考えられる。

    アルカイダの脅威に対しては、各々の国が個別に対応して解決できるものではなく、南アジア地域全体の包括的な協力と協調が求められるところであるのだが、果たしてそれが実現できるのかどうか。それが容易に実現できるとは思えないところに、アルカイダの活路があるということにもなってしまうのだろう。

  • ミャンマーのe-visa運用開始

    今年4月に「ミャンマーのEヴィザ」と題して取り上げてみたことがあったが、ついに今年9月から運用が始まるようだ。

    この関係の情報は、在日ミャンマー大使館の正式なウェブサイトにはまだ掲載されていないのだが同大使館のFacebookページに情報がアップされている。

    e-visaについては、こちらから申請手続きをするようになっており、料金の支払いはクレジットカードで行なうことになる。経済制裁解除前には利用できなかったカード支払いだが、現在では急速に普及しているため、ミャンマー国内線予約も含めて、ずいぶん便利になったものだと思う。

    どなたか早速利用された方があれば、ご感想を伺いたいものである。

  • ひと続きの土地、ふたつの国

    今年もまたラダック地方に中国軍による侵入の試みがあった。

    Chinese troops try to enter Indian waters in Ladakh (The Indian Express)

    ほぼ時を同じくして、中国でラダックの一部とアルナーチャル・プラデーシュ州全域を自国領として描いた地図を出版している。

    Leh residents object to China’s claim over Ladakh in new map (india.com)

    繰り返しこのような行為を繰り返すことにより、これらの地域がインドに帰属するものではなく、中国の一部であると内外に主張することにより、これらの地域が係争地であることを風化させることなく、機が熟して何らかの大きな行動を起こした場合にそれを正当化させるための企みであることは明白だ。

    このような動きがある限り、J&K州に広く展開する軍備を削減することはできず、財政的に大きな負担を抱える現状は変わることはない。観光以外にこれといった産業のないこの地域において、駐屯する軍に依存する構造も変わることはないだろう。

    また、この地域が事実上、地の果ての辺境であるということも変化することはない。もし中国とインドとの間で領土問題が存在せず、国境の両側が経済的に相互依存する関係にあったらならば、地元の人々に対して大いに利することになるはずなのだが。

    両国の間に設けられた国境という壁は、ふたつの世界を分断し、相互不信の関係をさらに醸成させていくことになる。北京とデリーという、どちらもこの国境地帯から遠く離れた政治の中心の意思が、地元に住む人々の間でひと続きの土地に引かれた国境の向こうにいる人々に対する敵意を焚き付けて反目させる。

    不条理ではあるが、これが現実。さりとてこれが現実とはいえ、はなはだしく不条理なことである。