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カテゴリー: greater india

  • インドのチベット人

    以前、MAJNU KA TILLAと題して書いてみたデリーのマジヌー・カー・ティッラーだが、この地はasahi.comの連載:地球を食べるの記事でも取り上げられているのを見つけた。

    (地球を食べる)望郷の味チベット料理 (asahi.com)

    中国による「チベット解放」後にインドに難民として逃れてきたチベット人たちに、インド政府は相応の待遇を持って迎えてきたと言える。その中で経済的に成功した者も少なくないが、彼らはあくまでも異国インドに難民として仮住まいをしている立場にしか過ぎない。

    しかしながら、すでに三世代目、四世代目に入ってしまっており、国籍は持っていないものの生まれも育ちもインドで、祖国チベットを訪れたことさえない、事実上の「チベット系インド人」化してしまっている現在、彼ら自身がこれからどうしていくのか、またインド政府も将来的に彼らに対してどのような対応をしていかなければならないのか、真剣に取り組まなくてはならないだろう。

    現在のダライラマも未来永劫に彼らとともにこの世におられる訳ではない。インド中に散らばるチベット人たちを結ぶ大きな求心力が失われたとき、彼らのコミュニティはどうなっていくのだろうか。

    インドをはじめとする在外チベット人コミュニティをまとめあげる存在の代替わりは、それがたとえ次に転生するダライラマであっても、俗人の中から選ばれた人物がその役割を担うことになっても、相当な混乱が生じることは間違いない。中国当局による工作の可能性はもちろんのこと、彼ら自身の中にも野心を抱く者たちの存在があり、激しいさや当てが繰り広げられることは避けられない。

    また、現在のチベットの情勢が変わる見込みもないわけだが、万が一、将来何か思いもよらないことが起きて、彼らが帰還することが可能になったとしても、すでに数世代に渡り生活基盤を築き上げ、それなりに安定した生活を営む現在インド在住のチベット人たちの果たして何割が戻ろうと決心することだろうか。

    遠くない近未来には、彼らインド在住のチベット人たちがインドに帰化することを求めなくてはならず、そしてインド政府もそれを受け容れなくてはらない日がやってくることは想像に難くない。

  • National Geographic 11月号

    Facebookである方が書き込まれたことから知ったのだが、National Geographic11月号の特集はSorrow on the Mountainと題して、今年4月にエベレストで発生した大規模な雪崩による「エベレスト史上最悪の日」とされる歴史的な事故が取り上げられている。

    地元ネパールで登山に関わる人たちの仕事と暮らし、事故の顛末と遭難した人々やその周囲の動き、山をめぐる経済効果や労働問題、事故の後に持ち上がった政治的な動き等々が各種メディアを通じて報じられてきたが、それらを俯瞰する形で読んでみると、この事故が起きる前から、その背後にあった社会問題が浮き彫りにされているように思う。もちろん、それらは現地で登山関係の仕事に従事している人々にとっては、周知の事実に過ぎないのかものであったとしても。

    そこに登山の仕事がある限り、そこでの稼ぎを求めて行かなくてはならない男たちがいる。名峰を征服する登山隊の華々しい活躍は彼らの支えがあってこそのものであり、登山活動がそこにある限り、こうした男たちやその周辺の産業で働く人々にも恩恵が及ぶことになる。また、登山料等の収入は、国家に対しても貴重な財源となり、300万ドルもの収入を与えることになるなど、経済的な効果は計り知れない。

    それほど重要な産業なのだが、これを支える最前線の現場、つまり登山の仕事でほとんどの補償もない状態で、命の危険を冒して働く人々に依存している現状。だが、その仕事による収入を必要としている男たちや彼らが養う家族があり、登山者たちもそうした彼らを必要としているというジレンマ。労働条件の改善は必要であるとはいえ、そこにマオイストたちがツケ入る隙間も大きなものであるわけで、これが政治絡みの騒動へと繋がる。とりわけこの国の「基幹産業」のひとつともなれば、なおさらのことだ。

    上記に示したリンク先でも記事内容のあらましは判るとはいえ、ぜひ印刷された今月号を手に取っていただければ幸いだ。記事内にいくつも散りばめられて、文章同様に、あるいはそれ以上に多くを語りかけてくる写真とその解説を読みながら、この問題についていろいろ考えさせられるものがある。

  • ダム建設工事で危機的状況の文化遺産

    パーキスターンのダム建設でこのような問題が生じているとのことだ。

    ダム湖に沈む文化遺産を救うために(特定非営利活動法人 南アジア文化遺産センター)

    太古の時代より、様々な民族や文化が興亡したこの地域についての概略やダム建設の背景等については、上記リンク先のスライドをご覧いただきたい。

    この問題のあらましについては下記リンク先にも記されている。

    Diamer-Bhasha threatens ancient heritage sites (DAWN.com)

    Bhasha dam and heritage sites(DAWN.com)

    南アジア文化遺産センターのウェブサイトによると、ダム建設で水没する地域で失われる岩絵その他の文化遺産は3万点にも及ぶという。長い歴史の中でこうした遺産を残した様々な民族の生活等に関する調査はまだほとんど手つかずだそうで、ダム竣工まで残された時間が10年という状況は非常に厳しい。

    この件に関する講演は、11月8日(土)に日本大学文理学部3号館で開催されるシンポジウム・パーキスターン2014でも行われるとのことである。

    シンポジウム・パーキスターン2014 (特定非営利活動法人 南アジア文化遺産センター)

  • ミャンマーからインドへの陸路越えが可能に

    ある方のFacebook書き込みで知ったのだが、なんとミャンマーからインドへの陸路による国境越えが可能になっているようだ。ミャンマー側でのパーミット取得が必要なようである。

    その陸路による出国・入国地点は、ミャンマーのサガイン管区のMorehからインドのマニプル州のTamuである。この情報は、こちらをご参照願いたい。

    Myanmar / India Land Border Crossing at Tamu/Moreh Open (Lonely Planet THORN TREE FORUM)

    Crossing the Indo-Burmese Border on Motorcycle (THE IRRAWADI)

    どちらの地域も現在では自由に旅行できるようになっている。しかしながらどちらの地域にも長く抗争を続けてきた反政府武装勢力が存在し、現在は停戦状態にあること、ときおり治安に関する問題が生じていることは頭に入れておきたい。

    Trade resumes at India-Burma border (DVB)

    もしかすると、数年後にはポピュラーな国境越え地点となっている可能性もある。数年前にパーミット無しでの入域が可能となったものの、さほど注目を浴びることなく、期待されていたほど観光の振興に繋がっていないインド北東部が、ちょっとしたブームとなる可能性もあるかもしれない。

    しかしながら、外国人の出入境も可能となっていることから、物流ルートとしてもそれなりの機能を果たすようになっているものと思われることから、両国側ともこの出入国地点のエリアがもはや辺境ではなく、ダイナミックな通商のルートとなりつつあることが、容易に想像できるだろう。

  • Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma)

    今年7月にロンリープラネット「ミャンマー」の改訂版が発売されている。

    このところ政治・経済の分野で大変注目されるようになったことから、これまでにない速度で変化していっている国だが、同様に旅行事情についても情報がすぐに古くなってしまうようになった。

    たとえば両替ひとつとっても、ほんの数年前までは闇両替しかなかったものだが、今ではメジャーなところには店やブースを構えた両替商があり、そうしたところでは米ドル以外の主要通貨も扱うようになっている。

    ごく当たり前のことがまったく当たり前ではなかったこの国では、ネット事情も同様で、外国のニュースサイトやウェブメールが普通に使えるようになるなんて、2010年の総選挙前の軍政時代には考えられなかったことだ。

    人々の装いも同様で、老若男女問わず、都市部でもロンジー(腰布)姿ばかりであったのは、まるで遠い昔のことのような気がするが、実はそんなことはない。

    目次を覗いてみると、紹介されている地域に大きな変化はないようだが、観光目的でも訪れる人たちが急増していることから、魅力的な場所が新たに発見されていることであろうし、これによって情報源も多くなったことから、中身がより充実していくのは自然なことだ。

    政治や治安等の理由から、まだ外国人が訪れることが許されていないエリアも多いこの国だが、各地の軍閥との和解も進展していることから、現在はオフリミットであっても、今後私たちが訪問可能となるところも出てくることだろう。

    個人的に楽しみにしているのは、ミャンマー北西部からインド東北部に抜けるルートがオープンする日。アセアン諸国と南アジアを繋ぐ動脈としての道路建設、ナガランドからミャンマー側へと繋がる鉄道建設などといった計画があることから、ミャンマー側にしてもインド側にしても、あまり経済的には利用価値のない辺境の地であったところが、交易や人の往来によって潤う地域へと変貌する日が遠からずやってくるようだ。

    辺境であるがゆえ、あまり外から干渉されることなく受け継がれてきたものがあり、それが変化とともに失われていくというのは残念な気がするものの、その変化によって新たに生み出されてくるものもまたある。

    これまで時計の針が止まっていたかのように見えたところが、今度は弾みのついた車輪のように勢い良く回り出す。そんな躍動する現代を目の当たりにするとともに、そのダイナミズムを体感することができれば幸いである。

  • インド亜大陸にアルカイダの支部

    アルカイダのリーダーのアイマン・ザワヒリーの声明は気になるところである。

    亜大陸に支部を設立することを宣言するとともに、ミャンマー、バーングラーデーシュとともにインドのアッサム、グジャラート、カシミールのムスリムたちに対する支援を表明している。

    Al Qaeda Opens New Branch on Indian Subcontinent (New York Times)

    アルカイダは従前よりアフガニスタンやパーキスターンで活動を続けてきたが、ここにきて「支部を設立する」と言うからには、亜大陸での活動を本格化させるという強い意志の表明ということになるだろう。

    これを受けて、インドのメディアの反応はこのような具合。

    Nation on alert as al-Qaida launches India wing for ‘return of Islamic rule (THE TIMES OF INDIA)

    Al Qaeda Launches Wing in Indian Subcontinent (NDTV)

    Al-Qaeda declares new front to wage war on India, calls for jihad in the subcontinent (The Indian EXPRESS)

    http://indianexpress.com/article/india/india-others/al-qaeda-leader-ayman-al-zawahiri-announces-formation-of-india-al-qaeda/

    イスラームの敵 ?

    今年5月にインド首相に就任したナレーンドラ・モーディー氏。インド国内で清廉なイメージとグジャラート州首相として発揮した行政手腕とその果実としての同州の経済成長などから期待値が高く、改革に対する果敢な姿勢から現在までのところ好調な滑り出しを見せている。また、つい先日の訪日の際には安倍首相とともに経済面のみならず国防面でも積極的な協調姿勢を打ち出し、日印新時代の幕開けを印象付けたモーディー氏である。

    しかしながら、アルカイダは氏を「イスラームの敵」と位置付けることも想定しているらしいとの報道もある。もとよりインド国内においても2002年のグジャラート州で発生した暴動の際に、その前年に同州の首相に就任したモーディー氏による関与が長らく疑われてきたこともあり、インド国内外でそれなりの説得力を持つものとなることは否定できない。

    Al-Qaeda wants to portray Narendra Modi as enemy of Islam (The Indian EXPRESS)

    過激派活動家を生む土壌

    本家のアルカイダと袂を分かったISISのイラクにおける戦闘に加わっているムンバイ―近郊出身のインド人ムスリムもいることがすでに明らかになっているが、その中の1人が戦死したことも8月下旬に報道されていた。

    Indian youth dies while fighting for ISIS (DIGITAL JOURNAL)

    Fighting for “Islamic Caliphate”, Kalyan Boy dies in ISIS war against Iraq (THE INDIAN REPUBLIC)

    インターネットの普及により、こうした過激派のリクルートが容易に国境を越えるようになって久しいが、インドにおいては英語を理解する人口が膨大であること、世界有数のムスリム人口を抱えているにも関わらず、ヒンドゥー教徒の大海にあってはマイノリティーの地位に甘んじており、英国からの独立の際に分離したパーキスターンとの関係などから、相対的に不利な立場にあるといえる。

    そのため世俗的に抑圧感を覚えていたり、社会生活に信奉しているイスラームの見地と相容れない部分を感じていたりしているムスリムは少なくないはずであるとともに、貧困層の中においては、自身の不遇をムスリムに対する社会の不条理な対応であると理由づけしてしまうこともあるだろう。とりわけ若年層、精神的に不安定で、家族に対する責任や義務などがまだあまり生じていない者たちの中から、過激思想に共鳴する者がある一定の割合で出てくることを防ぐのは容易ではない。

    そうした人々は隣国パーキスターンで活動するラシュカレトイバをはじめとする組織や地元インドで結成されたインディアン・ムジャヒディーンのようなグループで活動したりしてきたわけであるが、そうした選択肢の中にアルカイダも加わることになるのだろう。

    亜大陸のムスリム社会への影響

    ここしばらく鎮静化しつつあったインドにおけるテロ活動、カシミールの治安情勢が今後危惧されるとともに、亜大陸全体におけるムスリムのコミュニティ内の対立や分断も生じさせることになるかもしれない。各地に聖者廟があり、カッワーリーのような宗教賛歌の伝統も豊かなこの地であるが、こうしたものはワッハーブ派の流れの延長線上にあるアルカイダの視点からすれば、異端以外のなにものでもないからである。

    また、こうした中から非ムスリムの間からはムスリムに対するさらなる不信感が生じてきたり、これを政治的に利用する動きが出てきたりすることは誰にでも予想できる。とりわけ先の選挙で大勝したヒンドゥー保守派のBJP政権においては、そうしたことが懸念される。

    宗教的な信条はともかく、テロ活動に対する国民会議派を中心とする前政権の弱腰を批判していただけに、こうしたテロ対策については強硬な態度が求められるところでもあり、それは大きな事件が発生した場合の外交上の対応のみならず、国内における引き締め策にも反映されるであろう。

    過激派の「安全地帯」

    こうしたアルカイダの細胞組織や潜在的な賛同者は、亜大陸各地に散在することになるのであろうが、その核となる部分はやはりパーキスターンのFATA (Federally Administered Tribal Areas ※連邦直轄部族地域)に置かれることになるのだろう。いや、もうすでにそれは存在していることだろう。この地域は、こうした組織にとっても「セイフ・ヘイヴン」となっており、インドにとってはもちろんのこと、その地域を抱えるパーキスターンにとっても政治面においても、治安面においても大きなリスクとなっている。

    ここは、中国に対するジハードを唱えるETIM(East Turkestan Islamic Movement)の拠点も置かれているとされていることは、今年7月にETIM パーキスターンと中国と題して記事をアップしたところだ。

    亜大陸の多国間の協調が求められるが・・・

    当然のことながら、亜大陸におけるアルカイダと対峙するにあたり、主要な鍵となるのはパーキスターン政府の対応ということになり、ここしばらく落ち着いたムードにある印パ関係に多大な影響を及ぼすことも考えられる。

    アルカイダの脅威に対しては、各々の国が個別に対応して解決できるものではなく、南アジア地域全体の包括的な協力と協調が求められるところであるのだが、果たしてそれが実現できるのかどうか。それが容易に実現できるとは思えないところに、アルカイダの活路があるということにもなってしまうのだろう。

  • ミャンマーのe-visa運用開始

    今年4月に「ミャンマーのEヴィザ」と題して取り上げてみたことがあったが、ついに今年9月から運用が始まるようだ。

    この関係の情報は、在日ミャンマー大使館の正式なウェブサイトにはまだ掲載されていないのだが同大使館のFacebookページに情報がアップされている。

    e-visaについては、こちらから申請手続きをするようになっており、料金の支払いはクレジットカードで行なうことになる。経済制裁解除前には利用できなかったカード支払いだが、現在では急速に普及しているため、ミャンマー国内線予約も含めて、ずいぶん便利になったものだと思う。

    どなたか早速利用された方があれば、ご感想を伺いたいものである。

  • ひと続きの土地、ふたつの国

    今年もまたラダック地方に中国軍による侵入の試みがあった。

    Chinese troops try to enter Indian waters in Ladakh (The Indian Express)

    ほぼ時を同じくして、中国でラダックの一部とアルナーチャル・プラデーシュ州全域を自国領として描いた地図を出版している。

    Leh residents object to China’s claim over Ladakh in new map (india.com)

    繰り返しこのような行為を繰り返すことにより、これらの地域がインドに帰属するものではなく、中国の一部であると内外に主張することにより、これらの地域が係争地であることを風化させることなく、機が熟して何らかの大きな行動を起こした場合にそれを正当化させるための企みであることは明白だ。

    このような動きがある限り、J&K州に広く展開する軍備を削減することはできず、財政的に大きな負担を抱える現状は変わることはない。観光以外にこれといった産業のないこの地域において、駐屯する軍に依存する構造も変わることはないだろう。

    また、この地域が事実上、地の果ての辺境であるということも変化することはない。もし中国とインドとの間で領土問題が存在せず、国境の両側が経済的に相互依存する関係にあったらならば、地元の人々に対して大いに利することになるはずなのだが。

    両国の間に設けられた国境という壁は、ふたつの世界を分断し、相互不信の関係をさらに醸成させていくことになる。北京とデリーという、どちらもこの国境地帯から遠く離れた政治の中心の意思が、地元に住む人々の間でひと続きの土地に引かれた国境の向こうにいる人々に対する敵意を焚き付けて反目させる。

    不条理ではあるが、これが現実。さりとてこれが現実とはいえ、はなはだしく不条理なことである。

  • ネパールからやってくる人たちが増えた

    近ごろ、首都圏でネパール人の姿を見かけることがとても多くなった、とりわけ若い人たちがよく目に付く・・・と感じている人は少なくないことだろう。

    それもそのはず、ここ数年来、日本留学の入口となる日本語学校に入るために来日するネパール人が急増しているのである。

    こちらの資料(一般財団法人日本語教育振興協会による「日本語教育機関実態調査」P5)をご参照願いたい。

    ここに示されているのは、平成21年度から25年度までの日本語教育機関の学生数とその国別内訳だが、従前から日本への留学生出身国のベスト3といえば、中国、韓国、台湾の「御三家」であったのだが、すでに平成21年度において、それ以前は留学生の中ではマイノリティであったベトナム、ネパールが急伸しており、トップの三国に迫るところに来ている。

    平成23年度に入ると、すでにベトナムは台湾からの留学生数を抜いて3位に食い込み、4位の台湾とほぼ同じレベルにまで達しているのがネパールだ。ベトナムとネパールは平成25年度には韓国を抜いて、それぞれ2位、3位となり、首位の中国からの留学生の規模には遠く及ばないものの、現在では御三家といえば、中国、ベトナム、ネパールとなっている。

    留学生たちの実数で見ると、平成21年度にはベトナム847名、ネパール839名であったものが、4年後の平成25年度には前者が8,436名、後者が3,095名となっている。伸び率はそれぞれ9.96倍、3.69倍である。

    その間に、元御三家の韓国は8,360名から2,386名、台湾は2,304名から1,425名へと、それぞれ元の数の0.29倍、0.62倍へと激減しているという背景もある。不動の首位の中国にしてみても、26,632名から18,250名へと、0.68倍という急激な減少がある。

    留学生総数にしてみても、平成21年度の42,651名から平成24年度の29.235名という0.69倍という激しい落ち込みから平成25名は37,918名へと持ち直しているものの、それでも平成21年度と比較すると0.89倍という芳しくない数字である。

    こういう具合になったことにはいくつかの要素があるので簡単に解説しておきたい。平成18年から19年にかけて、中国からの留学希望者に対する入国管理局や在外公館での審査が厳重となったため、多数の留学予定者対する在留資格認定証が不交付となったり、在外公館で査証が発行されなかったりという事態が多数発生し、日本語学校によっては中国からの入学予定者の半数前後が来日できず、留学をキャンセルというケースが生じた。

    もともと零細な規模のものが多い日本語学校の世界では、送り出し数の多い国にパイプを持ち、そこから安定的に学生を供給してもらおうという傾向が強かったのだが、そうした中で、とりわけ中国への依存度が高かった学校の多くは、これを死活問題と捉え、他なる留学希望者送り出し国の開拓に乗り出さなくてはならなくなり、そうした学校にとってそれまでは視野に入っていなかった地域に精力的に働きかけることとなった。

    その努力の結果、とりわけ新規来日学生の大規模な招致に繋がったのがベトナムとネパールであった。どちらも移民圧力の高い国であり、その当時までは日本における不法残留率も高くはなかったため、比較的順調に導入することができたといえるのだろう。

    その後、来日数が安定的に増えてくるにつれて、すでに来日している者と自国との繋がり、日本語学校による更なる努力による留学需要の掘り起し、送り出し国側のそうした斡旋機関もそうした渡日熱の高まりにアテ込んで、これに加担したということもある。やはりそこは商売である。

    異常が、ベトナムとネパールから来日して日本語学校に入る者が急増している背景についての簡単な説明であるが、いっぽうで今も御三家ながらも人数が大幅に減っている中国、元御三家から転落した韓国と台湾の落ち込み具合にはどのような理由があるのかについてもざっと述べておくことにしよう。

    まず中国、韓国、台湾いずれについても共通して言えることは、自国経済の順調な成長ぶりと日本の長引く不況から、相対的に日本に対する魅力が薄れてきていることがある。これまで高く見上げていた対象が、相対的にその背丈が自分たちの居る場所から見て、さほど上のほうにあるように感じられなくなってくる。

    日本語学校に入るということは、その中のマジョリティは大学や大学院への進学、そして日本での就職、将来的には日本のそのまま定住するという、移民のステップとして捉えている部分は決して少なくない。日本での留学の目的といえば、日本という国そのもの、日本の文化を学ぶというよりも、経済、金融、理工学、その他ハイテク分野といった、いわゆる「実学」を志向する割合が非常に高く、学業を終えた後での定着先としての日本についての期待があまり持てなくなってきているであろうことは、誰も否定できない。

    とりわけ韓国については、グローバル市場における自国の一流企業の隆盛と、それに対する日本企業の地盤沈下を目の当たりにして、日本に対する興味・関心が急速に萎んでいくのは仕方のないことであったのだろう。

    もちろん中国や台湾と日本の間にある尖閣諸島問題、韓国と日本の間の竹島問題その他の領土に関する論争、はてまた今なおくすぶり続けている歴史問題等々の政治的な事柄による日本に対する政治的なイメージの低下という面も無視できないものがあるにしても、やはり大半は私費で来日する留学生たちにとって、そうした思想的な要因よりも、実利的な要因が大きく作用するのは当然のことだ。

    平成20年代に入るあたりから、上で述べた事柄を背景とする留学生数の頭打ち傾向があったのだが、これをさらに決定付けたのは平成23年の春に起きた東日本大震災、いわゆる3.11という大きな出来事であった。

    「落ち目だった日本もこれで終わりだ」とまで言うわけではないが、地震、津波よりもむしろ原発事故による影響が大きかった。日本では大変センセーショナルながらも、極力抑えた調子で報道されていたのに対して、海外とりわけ近隣国での報道に抑制を期待できるわけもなく、日本に対する期待値は非常に低くなってしまった。

    そうでなくても、これらの国々から人気の留学先としては、アメリカその他の欧米先進国がまず一番手にあり、二番手以降に日本という選択肢があったわけだが、その地位が大きく後退してしまっているのが現状である。

    ベトナム、ネパールからの留学生の急増については、もともと需要の高くなかった地域であるだけに、勉学意欲の面でも経費支弁能力の面についても疑問符の付くケースが少なくなく、実際に来日してから雲隠れという事例も多いため、入国管理局による審査も非常に厳格そなものとなっていることは、元御三家の韓国と台湾とは大きく異なる。

    総体的には、中国、韓国、台湾からの留学生の落ち込みを補うという点において、数の面からも質の部分からも決して充分なものとは言えないのが現状であるとともに、他にも様々な問題を抱えていることは否めない。

    しかしながら、視点を変えれば、これらの国々と新たに緊密な関係を構築する良い機会であるということもあり、とりわけITの分野で地味ながらもそれなりに着実な成長を続けているベトナムから日本に留学する人が急増している中で、様々な問題はあれども、知日家が倍増していくという状況は将来的にプラスに作用することを期待したい。

    ネパールについては、すでに日本で実業界その他で活躍している人たちがNRN(Non-Resident Nepalis)として様々な活動をしていることは一部で知られているが、とりわけ著名な存在として、今のネパールからの留学生たちよりもずいぶん早い時期に来日して学び、飲食業界での起業を手始めにネパールからインド、中東の産油国方面へのフライトを飛ばす航空会社を設立するまでに至るとともに、日本からネパールへの空の便の開設を企図しているB.B. Airwaysの代表のヴァッタ・ヴァバン氏が挙げられる。

    様々な背景や動機により、日本を必要としてくれている若いネパール人たちの中から、将来の日本が必要とする人材が輩出し、新たな絆が築かれていくこともまた大いに期待したいものである。

  • ETIM パーキスターンと中国

    ETIM パーキスターンと中国

    このところ中国ではイスラーム主義者によるものであるとされるテロが相次いでいる。中国の新疆ウイグル自治区の分離独立を訴える集団による犯行であるとされるが、中国に対するジハードを唱え、中国から民族自決を要求する運動から、中国をイスラーム教徒の敵であると主張するものに変質してきている。

    この組織、ETIM(East Turkestan Islamic Movement)は現在パーキスターンのFATA (Federally Administered Tribal Areas ※連邦直轄部族地域)に活動拠点を置いており、中国の手が及ばないところで軍事訓練、武器や資金の供与などを受けているとされる。

    この地域はインドが英領であった時代に遡る歴史的な経緯から、パーキスターン領内でありながらも、同国の立法権限が及ぶのは「国道上のみ」という形になっている。同国政府による行政ではなく、ここに暮らす部族による統治がなされる特殊なエリアである。中央政府の権限が及ばない「無法地帯」であることに加えて、部族民たちの尚武の気風もあり、同じイスラーム教徒の反政府組織やテロ組織等に対しては格好の潜伏場所を提供しているとも言える。

    常々、「テロ組織を隠匿している」と名指しでインドから非難されてきたパーキスターンだが、これまで地域の最大の友邦として同国を厚遇してきた中国にとって、自国でテロを展開するETIMの活動がエスカレートしていくにつれて、この集団が潜伏しているパーキスターンに対して、強い態度に出る日も遠くはないものと思われる。パーキスターンの港湾や道路等々のインフラ整備に手を尽くすほかに、地域最大の友好国として厚遇を与えてきた中国も、そろそろ考えを改める必要性を検討しているかもしれない。

    もちろん中国だけではなく、同地域に潜り込んでいるテロ組織に対する強い懸念を抱く国は少なくないため、パーキスターンに対する外圧は相当なものであるため、ときおりこの地域への軍事作戦がなされている。

    ETIM operatives among 50 killed in Pakistan airstrikes (INTER AKSYON)

    しかしながら、このような行動は根本的な解決からほど遠いことは誰の目にも明らかであり、パーキスターン政府にとっての「一応、出来ることはやっている」というアリバイ作りに過ぎない。各国が望みたいのは、このような無法地帯の存在を許す現在のシステムの変更であるが、パーキスターンにとってはそのような「暴挙」は自国北西部の安定と秩序を破壊するものであり、隣国アフガニスタンにもまたがって暮らす部族民たちとの信頼関係を根底から崩すことにより、内戦に突入する危険をも覚悟しなくてはならない一大事となる。

    最も大きな問題は、当のパーキスターンが自国領内のFATA地域のこうした問題を解決する能力も意思も持たないことだ。FATAのありかたは、今まで以上に地域の安定と秩序に及ぼす影響は非常に大きなものとなる可能性があり、今後目を離すわけにはいかない。

    標的にされる中国 「全イスラム教徒の敵」(asahi.com)

    ジハード呼びかける動画、狙いはウイグル族 (THE WALL STREET JOURNAL)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 1 (CCTV)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 2 (CCTV)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 3 (CCTV)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 4(CCTV)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 5 (CCTV)

    Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 6 (CCTV)

  • ミャンマー初の世界遺産登録

    このほどユネスコの世界遺産として、ミャンマー中部のエーヤーワディ河流域の「ピュー古代都市群」が登録されることとなった。同国の経済関係以外の文化面における国際社会への復帰を象徴するかのような出来事といえるだろう。

    ビルマ族最初の王朝であるバガン王朝以前に、ミャンマーの先住民族であるピュー族が建設した古代都市遺跡で、みっつの都市の遺構に宮殿、要塞、埋葬所、産業地域、仏塔、灌漑施設等が残っている。

    他にも文化的遺産が豊富な同国で、ちょっと専門的な知識がなければ見物してもよく判らないような遺跡がなぜ一番最初に登録されることになったのか不思議に思う向きもあるかもしれないが、敢えてビルマ族による文化遺産ではなく、先住民族が創り上げた都市国家遺跡を登録することによlり、従前はビルマ族の民族主義をゴリ押ししつつ、国内に暮らすその他の民族のナシュナリズムの高揚を圧殺してきた同国政府が、国内外に自国における多民族・多文化の共存をアピールする政治的な意味があるのではないだろうか。しかもピュー族自体はすでに消滅してしまっているがゆえに、現在ミャンマーに暮らしている少数民族たちのナショナリズムを刺激することもないため、政府にとって「安心」でもある。

    世界三大仏教遺跡に数えられるバガンの遺跡群については1996年に当時の軍事政権が申請を提出したものの、保全計画の不備を理由(ならびに軍事政権に対する圧力?)により、却下されてしまった経緯がある。今後はバガンの世界遺産登録に向けての最申請の準備が進められているようである。観光業振興にも大いに役立つ看板にもなるため、他にもこの国から世界遺産登録申請はいくつか続くことと思われる。

    Myanmar’s first site inscribed to World Heritage List (UNESCO)

  • サイクルリクシャーあれこれ

    サイクルリクシャーあれこれ

    Rickshawの発祥の地といえば横浜(東京の日本橋という説もある)で、日本発祥の乗り物はアジア各地に伝播して、それぞれの土地で発展していき現在に至っている。

    リクシャー、つまり力車こと人力車を文字通り人がテクテク走って引いていたころのものは、日本から輸出した車両とそれを模倣したものが幅を利かせていたため、どこの国も白黒写真に残るそれらの姿は、これらの復刻版が行楽客向けに走る横浜、浅草、鎌倉などの観光地で見られるものとほとんど同じ形をしている。現在、唯一カルカッタの残るこうしたオリジナルの様式のリクシャーは、江戸東京博物館に展示されている人力車にほぼ忠実なコピーと言って差し支えないだろう。

    この人力車の発展形がサイクルリクシャーであり、日本でもリンタクとして一時期走っていた。江戸東京博物館のウェブサイトによれば、信じられないことにこれが1988年まで東京で走っていたということだ。今はイベント等で営業している業者がいるのだが。また、Velo Taxiはサイクルリクシャーの最新型ということになる。

    しかしながら、このサイクルリクシャーについては、動力の効率や操作性の観点からは、南アジアの引き手の後部に座席が備わっているものが一番良いのではないかと思うのだが、ベトナムやカンボジアのように乗客の座席が前に付いているもの、ミャンマーのようにサイドカーとなっているものなど、いろいろなバリエーションを生んだ。

    インド
    ベトナム
    ミャンマー

    座席が前だと眺めは良いし、乗り心地も優れているのだが、自動車やバイクその他の乗り物が忙しく行き来する現代においては、混雑している交差点などではちょっとスリリングである。右折しようとしているところで、腰かけている乗客のところに他の車両が突っ込むという事故を目にした際には「やはり」という気がした。サイドカーのタイプだと、運転手との会話が容易であるところが好ましくも思える。後部が座席となっているものの場合、往々にして乗客が座る部分はかなり高い位置となるので、見晴しは良かったりするし、多少の雨ならば蛇腹式の傘部分である程度防ぐことができる。もちろん運転手はずぶ濡れになるしかないのだが。

    サイクルリクシャーの駆動部分の自動化を進めたものがオートリクシャーであり、このエンジンの環境負荷を取り除く目的で開発されたのが、サファー・テンポーであり、e-rickshawでもある。

    これまでサイクルリクシャーが活躍してきた地域でも、都市の過密化と住民たちの自前の交通手段の普及による交通渋滞、市街地の拡大による生活権の拡大等により、利用者の減少、乗り入れ地域の制限などにより、先細りの稼業であることは間違いない。先進国におけるVelo Taxiにしてみても、これが実用的な交通手段として機能するかといえば、そうであるとは全く言えないだろう。いずれは各地で消えゆく運命にあるとはいえ、中進国や途上国においては小規模な町での需要はまだまだ高い。

    先進国においても環境意識の高まりや都市部以外での若年層人口の流出などによる高齢者の日常の足としての可能性も否定できるものではなく、サイクルリクシャー営業を試みたら、一定の評価を得るのではないかと思ったりもする。