カルナーには汚いダーバー(簡易食堂)しか見当たらず、ちょっと残念な気がしたが、クグってみると良さげなのが出てきた。短い滞在なので食事は美味しいところで楽しみたい。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

カルナーには汚いダーバー(簡易食堂)しか見当たらず、ちょっと残念な気がしたが、クグってみると良さげなのが出てきた。短い滞在なので食事は美味しいところで楽しみたい。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ベヘラームプル駅到着は午後7時50分くらい。駅舎を出るところでホテルに電話をかけるつもりだった。迎えの人を寄越すと聞いていたからだ。
実は予約サイトでブッキングすると、直後にこのホテルのレセプションから電話がかかってきて驚いたのだが、その後質問したいことがありSNSでこのホテルのページを探してコンタクトするとすぐに回答が届くとともに「駅へ迎えを寄越す」という連絡。
駅出口はかなり人々でワサワサしていて、とても見つけようがないのではないかと思ったが、こちらがスマホからコンタクトしようとしているまさにそのときに迎えの人が現れた。その男性は私のほうへ真っすぐ歩いてきて「お待たせしました」などと言うので、最初は何か怪しい奴かと思ったりしたのだが、スマホに私の写真を持っていた。やはりSNSかコピーしたのだろう。もっとも駅出口で東アジア系の顔をした人は私だけだったので、写真がなくてもそうと見当を付けて声をかけてきたことだろう。
エアコン付きのホテルの名前が入ったクルマだったので、日ごろからお客のピックアップサービスを実施しているようだ。たいへん繁盛している宿らしく、しじゅう人々が出入りしている。やはりこうした営業努力の成果なのだろう。
予約サイト経由ではなく、直接電話で予約したほうがかなり安いことがわかったが、特に良い宿だと思うので、ウェブサイトを以下に記しておく。



※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

西ベンガル州内で鉄道車内によく売りに来るラール・チャー(文字通り紅茶)。ジンジャーティーである場合が多いが、汗を思わせるような匂いのマサーラーを入れたものもある。その場合、生姜は使用されない。いずれも美味で、ときにはチャーイでなく、こういうお茶も良いと思う。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。
やっとおととい5月4日から酒屋が開いたデリーで大行列だったらしいが、デリー首都圏においては、なんと昨日5月5日からは小売価格に対して70%という高い高い「Corona fees」がかかるとのこと。呑兵衛にはたまらないが、行列に並ぶ人が減って、感染防止には有効かもしれない。
Delhi Govt to Impose 70% ‘Special Corona Fee’ on Liquor from Today to Boost Revenue (news18.com)



カルカッタの朝で外せないのは、やはりラールバーザール地区の中華朝市もそうだが、そこから歩いて5分程度のところにあるナコーダー・マスジッド向かいのスーフィヤー・レストラン。
ここはビーフアイテムが充実しているため、ランチあるいはディナータイムにも来てみたいのだが、これまで早朝の散歩のときにしか立ち寄ったことがない。







1929年にナコーダーマスジッドのあるザカーリヤー・ストリートで創業した老舗。
美味しい食事処を把握しておかないと、食事の時間が近づくのが憂鬱になることが少なくない西ベンガル州の田舎町(他の州でも往々にしてそうだが)と違い、信じられないほど旨いものがあちこちに溢れるカルカッタ。市民の可処分所得の差と市場規模の違いによるものだが、この不均衡ぶりは凄まじい。
市内で9店舗を展開しているが、1947年に営業開始したニューマーケット店を除けは、ほとんど近年出店したものばかりだ。1996年に開店したゴールパーク店を除けば、どこも2010年代になってから競うように出店している。
このレストランはHPではメニューも紹介されているのでご覧いただきたい。決して品数は多いとは言えないが、デザートまで妥協のない良いものが用意されている。







コールカーター中心部、ニューマーケットのすぐ北側にあるNizam’sで夕食。フイッシュティッカマサラー、チキンチャープ、ライス。そしてデザートにフィルニーで腹いっぱい。良質で美味な食事というものは、味わいに満足して腹が満ちるだけではなく、心地よい高揚感と陶酔をも与えてくれる。1932年創業。そしてコールカーターのストリートフードの代名詞のようにもなっているカティー・ロールは、この店が起源であるという。Nizam’sの美味しいケバーブが具材として作られて評判を呼び、市内各地でこれを真似たものが見られるようになった。



コールカーターのサダルストリート近くにある香港飯店の鐘さんからは、いつもカルカッタの華人コミュニティに関する情報を教えてもらっており感謝している。
家族経営で、華人兄弟とその家族が切り盛りしている。メニューのレパートリーは豊富とは言えないかもしれないが、当たり外れもなく良心的と言えるだろう。
どれを注文しても美味しいのだが、個人的にはSTEAMED MOMO (水餃子)とCHOW CHOW RICE(あんかけご飯)が好みだ。前者は説明不要だが、後者は野菜の具だくさんのグレイヴィーなアイテムで、「ご飯ものには汁たっぷり」という、インド料理の影響を強く受けた「インド中華」の典型のような具合ではあるが、実はこうした「あんかけ丼」は、華人経営の店以外では、ほぼ見かけない。
店の規模はこじんまりとしているが、食事どきにはいつもそれなりに忙しそうだ。鐘さんと話をしたいので、いつも混雑する時間帯を外して訪問している。




コールカーターの旧チャイナタウンにある寶昌(ポウチョン)は最近とても勢いが良い。
客家華人が経営する老舗の中華食材屋だが、近年息子、娘世代が経営に携わるようになってからというもの、店舗は増えたし、点心類を食べさせる店は出すし、ドラゴンボートレースも企画と、たいへん頑張っている。当然、雇っているインド人スタッフの数も増えたようだ。コールカーター東郊外のテングラー地区では工場も操業している。
店を切り盛りする若世代のひとり、Jさんはカナダの大学を出てから家業に加わった。まだ20代半ばくらいの若い女性だが、見るからに才気煥発といった感じである。
彼女は、シンガポールのNGOに参画させてのチャイナタウン復興のプロジェクトにも関わっており、このところ少しずつ旧中華街が中華街らしい彩りを取り戻しつつある。
ゴミの山に埋もれていた、伝説の「南京大飯店」の建物がようやく見られるようになった(修復を施し中華寺院として再オープンした)のも良いことだ。
Jさんの顔を見ようとオフィスを訪ねが、あいにく不在。前もって連絡しておくべきであった。
それにしても人口流出が続くカルカッタ華人コミュニティの中で、昇竜の勢いで成長していくポウチョンとそれを取り仕切る若世代は実に頼もしい。






コールカーターのティレッティー・バーザールのエリアで開かれる中華朝市。もともとは華人が盛大に開いていたそうだが、現在では売り手もお客も華人たちの人数は多くなく、華人の商売人の手伝いをして仕事を覚えたインド人が引き継いでいる露店も多い。
近年は名所として知られるようになったため、地元コールカーターの人々はもちろん、他の地域から来たインド人旅行者も訪れるようになっているため、売り子たちは露店のディスプレイに少し気を遣うようになってきた。

ここでいくつかのアイテムつまんでから、すぐ北にあるナコーダー・マスジッドの方角を目指す。目当てはマスジッドの向かいにある「スフィヤー・レストラン」だ。ここのネハーリーは絶品なのである。朝の時間帯にこれを食すためにしか来たことがないが、ここはビーフアイテムが充実しているため、ランチあるいはディナーの時間帯にも来てみたいと思う。

ナコーダー・マスジッドの脇、つまりラビンドラー・サラニーを通る市電が廃止になったことは実に寂しい。BBDバーグにある市電の大きなデーポーから出発していたが、これを起点とする路線すべてが廃止となっている。デーポーはすでに跡形もなく消失している。


華人たちが集住するチャッターワーラーガリー。カルカッタの旧中華街南側にある小路だ。
昼間はその存在すら感じさせないが、休日の昼間には華人の子供たちが遊び、朝方や夕方には散歩に出てくる大人たちの姿がある。
このすぐ南にあるのが、アングロインディアン地区にある英領期からのアパート。アングロインディアンの勤め人が多く住んでいたところだが、今もアングロインディアンが暮らす集合住宅として知られる。


そのアパートの前に露店を広げている人たちふたりがいた。インドのマーケットの野菜はどれも新鮮に見えるけど、「自家農園直送」を謳う華人の店は素敵だった。





バングラ国境近いバスィルハートの農園で収穫して、ここに直送しているとのこと。どの野菜もピチピチで美しかった。やはり華人は気の利いたことやってくれる。
アングロインディアン住宅隣にある仏教寺院。テラワダ仏教のお寺だが、どういう由来かどういう教団なのかいろいろ尋ねてみたかったが、お坊さんたち食事中につき、他の予定もあるので早々に退散。




メトロの「セントラル駅」で下車して進行方向側のエンドから外に出ると、そこはもうチャイナタウンの東端である。すぐそばには雑居ビルの中にある「ビルマ寺院」もある。
Sun Yat Sen St.へ。Sun Yat Senとは孫逸仙こと孫中山、言うまでもなく孫文のことである。つまり「孫文路」という道路があるのは、いかにも旧中華街らしいところだ。
十数年前に初めてお会いして以来、カルカッタを訪れる際には顔を出している方のお店「HAP HING Co.」がある。(FBページは、インターネットもスマホもせず、アナログな方だったチェンさんが開いたものではなく、彼女の店に出入りしていた地元のカメラマンによるもののようだ。)
客家華人の年配女性で、父親から引き継いだ店で、長年中華食材や漢方薬などを商っているため、華人事情には当然大変詳しい。
夜明け前に店を開けると、目の前のエリアで開かれる中華朝市で魚ボールのスープなどを食べて、この方の1日は始まる。商いは午前7時には終わって店を閉めてしまうという、朝型人間のチェンさんだ。
私がコルカタ華人に大変興味を持っていることを知っているので、訪問すると、いつも「えーと、このあいだは何を話したっけ・・・。」から始まって、界隈の古いゴシップ、幼い頃の話、カルカッタから外国への移民の話、香港に仕入れ旅に行ってみた話等々、お茶を淹れていろいろ話してくれるのだ。
この方のおかげで、カルカッタの華人関係のことをいろいろ知ることができたし、訪れることもできた。あけっぴろげな人で、「チェンさん、子供の頃の話をしてよ」と言うと、旧正月の話、親戚との宴会の話をとともに彼女の父親のもうひとつの家庭との微妙な関係など、引き込まれるけど、「ちょっとそんなこと話していいの?」と思うようなことまで、いろいろ聞かせてくれた。
彼女によると、比較的稼ぎの良い華人男性がふたつ目の家庭を持つのは珍しくなかったそうだし、同じ父親による「公式」「非公式」の世帯は、当然親密ではなく距離を置いたものではあるが、まったく往来がないというわけでもなかったらしい。
「ちょっと向こうのお母さんのところにお使いに行ってきて」とか、「向こうの兄弟と遊ぶ」というのはよくあることであったようだ。
そうは言っても嫡流の世帯と傍系の世帯がイーブンな関係であるはずはなく、子供時代のCさんも複雑な視線で「傍系の家族」を眺めていたようだ。
「でもね、もうとっても昔のことだし、私もほら、こんな歳だからねー」とケタケタ笑いながら喋る賑やかな人だった。傍系の親族たちも含めてすべてカナダに移民してしまったとのことだが、年に一度旧正月に何人かはカルカッタに戻ってくるとも聞いた。
中華朝市は、もともとは華人が盛大に開いていたそうだが、今は人数は多くなく、華人の商売人の手伝いをして仕事を覚えたインド人が引き継いでいる露店もある。

その華人チェンさんだが、お店の常連客は夜明け前からの朝市に来る人たちなので、もう6時を回ってしまうと暇であるため、私に「中華レクチャー」をしてくれるのだ。いつものように今回も日本から小さな手みやげを持って訪問するつもりだった。
ところが今回はなんだか違う。店が開いていないし、看板もなくなっているのだ。

ちょっと嫌な予感がした。
店の向かいのタバコ屋に尋ねてみると、なんと昨年3月に亡くなったとのこと。ちょうど通りかかった若い華人女性にも聞いてみると、「店がしばらく閉まったままになっていて、どうしたのかと思ったら、亡くなっていたことに誰も気付かなくて・・・」とのこと。いわゆる孤独死であったそうだ。
彼女は生涯独身、兄弟を含めた身内はカナダに移民しているので、カルカッタに親戚はひとりもいないということは知っている。糖尿病の具合が良くないことは前回の訪問の際に聞いていたが、界隈の人たちの話によると、心臓発作じゃないだろうか、とこのと。かなり太っていたし、血圧が高いことも聞いてはいた。
インターネットはやっていないし、ガラケーしか持っていない人だったので、近況は知らなかった。毎年、年賀状を交換していたのと、ときおり思いついたように手紙をくれていたが、今年もらった年賀状に続いて、「中華新年に遊びに来ないかい?界隈では獅子舞とか歌ったり、出し物とかの集まりもある。いろいろ案内してあげるよ」というお誘いの手紙ももらったのだが、これがチェンさんとの最後のやりとりになってしまった。
今やもう、「えーと、このあいだは何を話したっけ?」というチェンさんの言葉を耳にすることはできなくなってしまった。
チェンさんのご冥福をお祈りする。
コールカーターの「魯迅路」と「中山路」4 (indo.to)
再びコールカーター中華朝市へ 3 華語新聞 (indo.to)