良き仲間たち

4月17日(日)に東京豊島区の池袋西口公園にて『第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が行なわれた。

3月に発生した東日本大震災の影響で、様々なイベントや催し等の中止や延期が相次いでいる中、地震による被災者支援チャリティを全面に打ち出しての開催である。

在日のバーングラーデーシュ人と日本人との交流の機会であるとともに、前者にとっては毎年開かれているこの集まりで『同郷の友人・知人がやってくるから』とわざわざ東京から離れた地方からも長距離バスや新幹線等で駆けつける人も多い。

そんなことから自粛という選択肢ではなく、地震による被災支援という姿勢で臨んだということもあるかと思うが、何も生み出すことのない後ろ向きの『自粛』ではなく、能動的な形で取り組んでくれたことは高く評価できるだろう。

ともあれ地震、津波はもとより、福島第一原発の事故による放射能に対する懸念から、3月中旬以降、東日本在住の外国人たちは大挙して国外に出て行った。

たまたま仕事その他の都合で一時的にこの地域に居住している人たちにとって、帰国あるいは第三国にも収入の途あるいは就業機会が容易に得られる見込みのある状態にあれば、わざわざこの地に残らなくてはならない理由というのはあまり見当たらないはずだ。日本からの出国は至極当然の行動なのではないかと思う。

そんなわけで、今年のボイシャキメーラーではバーングラーデーシュの人たちの姿はかなり少ないのではないかと想像していた。昼ごろまでは人出もまばらであった池袋西口公園だが、午後になると急速にベンガル系の風貌の人たちが増えてきて相当な混雑となり、昨年以前とその様子は変わらないようである。眺めた感じ、 会場内の群衆の三分の一くらいはバーングラーデーシュの人々であったと思う。

家族連れも多く、ステージで順次繰り広げられる詩の朗読、音楽の演奏、舞踊といったプログラムの中で、バーングラーデーシュ人と日本人を両親に持つと思われる少年が日本語訛り(・・・と思われる)ながらもベンガル語で立派にスピーチをこなし、ステージ周辺ではベンガル人の両親に連れられてやってきた小学生が複数の日本人同級生とおぼしき子供たちと一緒に遊んでいる姿も見られる。

日本人と結婚した人が多い(主に夫側がバーングラーデーシュ人)ということもあるが、在日のバーングラデーシュ人たちは日本での定住・永住志向が強い人が多い。そんなわけでこうした子供たちが通う学校は普通の公立学校であったりする。同様の傾向が最初は同国から留学生としてやってきた人たちにもいえる。例え結婚相手は故郷の両親が決めた自国の女性であっても、就職後は日本に定住するというライフプランを描いている人が多く、前者と同様に日本国籍を取得している例も少なくなく、日本社会への同化の度合いはかなり高い。

主にバブル期に来日して日本に定住した後に日本で家庭を持ったバーングラーデーシュ人の子供たちの中で年長の部類の中からそろそろ実社会に出る者が出てくるころである。

新規来日組では、留学・就労その他の目的での男性の単身者の来日が多いコミュニティではあるが、経済的にはあまり楽ではないと思われるそうした若い人たちの中でも、募金箱に千円札をソッと入れてくれている人がけっこういることに気が付いた。

震災後、世界各国から寄せられた様々な支援についての報道を目にするが、日本社会に根付いて暮らすバーングラーデーシュ出身の良き仲間たちからの温かい善意も決して忘れてはならないと思う。

※『生業2』は後日掲載します。

第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

4月17日(日)午前10時から午後5時まで、東京都豊島区の池袋西口公園にて、第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラが開催される。

このところ日本国内、とりわけ東日本においては何かにつけて自粛ムード一色。こういう時期なので、普段行なわれている行事等の開催を手控えるという形で、被災地と気持ちを分け合うという考え方もわからなくはない。だが個人的にはそうした萎縮した思考こそ避けるべきだと考えている。

とりわけ自らの価値観によるものではなく、『周囲がそうだから』『そういう空気だから』と思考停止した状態で、そうした流れに同調してしまうのはもっといけない。日本人の長所として『規律』と『団結』が挙げられることが多い。もちろん今回の震災での人々の対応についてもそういう書き方をしたメディア等は多かった。

だが、そうした美点と表裏一体であるのが、主流派と異なる考え方、価値観を持つ人を受け入れがたい『強い排他性』と自己の意見を殺して周りの流れに任せてしまうという『主体性の無さ』という短所と表裏一体であることを忘れてはいけない。

自身が被災したわけではないのに、テレビ映像で悲惨な映像等を繰り返し見ることにより、仮想体験として刷り込まれてしまうことと合わせて、被災地のために頑張らなくてはならないそれ以外の地域が、元気を失ってしまうわけにはいかない。

実施できる状態にあるのに、予定されていることを取りやめたり、先送りしたりすることによって得られるものは何もない。それとは裏腹に個々の精神的にも群集心理的にも、後ろ向きになってしまうこと、加えてその周辺で動くはずのおカネやモノも停滞してしまうことによる社会全体の経済的な損失につながり、復興に寄与するどころかかえって悪い影響を及ぼしてしまう。

このところ様々なイベントやプログラム等が中止あるいは無期限延期となる例が多い中、このイベントは先の地震被害に対するチャリティプログラムを看板に実施される。今の私たちにはそういう前向きな姿勢が必要だ。私たちひとりひとりが、それぞれ被災地に対してできることを行なうこと、そしてずっと立ち止まっていたり、必要以上に内省的になったりすることなく、自らの場所では普段どおりの仕事や生活の中で活発に動き続けることが、みんなの利益につながることを信じていきたい。

自粛ムードの中で例年のイベントを実施してくれることに感謝したい。私たちもぜひ彼らに続こう!元気なニッポンを取り戻すために!!

ワルリ絵画展 2011

本日3月1日(火)から3月6日(日)まで、東京渋谷にて、インドのマハーラーシュトラ州北西部のターネー周辺に住む先住民ワールリー族の絵画展が開催される。

毎年この時期に開かれてきた催しである。ご興味ご関心のある方は、以下のウェブサイトをご参照願いたい。

ワルリ絵画展2011【誕生】(warli.jp)

※コーラープト2は後日掲載します。

国境の儀式

アムリトサルから国道一号線を国境へと進んでいく。デリーから続いているこの国道は、GTロード (Grand Trunk Road)の一部でもあり歴史的なルートだ。 

途中、右手に見事なコロニアル建築の薬科大学が見えてしばらくすると料金所があり、このあたりからはどこもかしこも広大な田園地帯だ。そこを通過してさらに西へと進むと、アッターリ―村を通過する。 

国境手前で最後の村はアッターリーであるが、本当の『最後の村』はワガーである。印パ分離により、国境の東西にまたがることになったのがここであったが、現在ではイミグレーション、税関、国境警備施設等の政府機関が固まっており、『村』ではなくなっている。 

いよいよ国境に着いた。いくつかレストランがある裏手は広い駐車場になっている。訪れたのは月曜日であったが、それでもかなりの人出であった。週末に訪れたらちょっと大変だろう。 

セレモニーの会場には、カバン類を持ち込むことができない(カメラ、ビデオ、携帯電話、ウエストポーチは可)ため、クルマに残しておくことになる。 

見学のスタンドに行くまでの間に、パスポートチェックが3回、ボディチェックが2回ある。途中、一般通路とVIP通路に分かれるが、外国人は後者へ進むように言われる。VIP席にも通常のVIP席とVVIP席があるが、ここでは前者に座るように指示される。これらのチェックと誘導をしているのはBSF兵士で、セレモニーで勇壮な儀式を展開する兵士たちと同じいでたちである。皆、体格がとても立派なので、交代で任務に着いているのかもしれない。 

午後6時前に到着すると、すでに人で一杯になっていた。すぐ向こうはパーキスターン側である。こちらではボリウッドのポップスをかけて人々が踊っているが、反対側も同様に音楽を大音響で鳴らしている。ただしこちらほどの盛り上がりは見せていないようだ。印・パ両側ともに大勢の人々がスタンドで観覧している。 

6時半くらいになると、ようやく式典が始まった。インド側では司会役のような男性(平服だがBSF兵士のようだ)による「Bharat Mata ki」という呼びかけに対して『Jai』と観衆が応じ、「Hindustan」の呼びかけに『Zindabad』、「Vande」に対して『Mataram』という具合に盛り上がりを見せている。 

向こう側ではクルアーンの朗誦に始まり、「Jinnah、Jinnah」『Pakistan』と声を張り上げている。いかにも両国の現代国家としての成り立ちの違い、分離独立したことの理由を表しているかのようである。   

兵士たちの儀式が始まる。最初に数人の女性兵士たちが大げさに足を踏み鳴らして国境ゲートに向かう。続いて複数の長身で着飾った兵士たちが続き、足を高く上げて踏み鳴らす動作もある。一連の流れの中で、両国とも調和の取れた動作をしている。パーキスターン側での動きはここからよくわからないのだが、同じタイミングで始まり、同時にセレモニーを完了する。 

幾度か儀式に出ている兵士による大きく長い掛け声が流れる。印パ両側でほぼ同時に発声が開始されるのだが、自国の兵士がより長くそれを続けることができると大きな拍手と歓声が上がる。 

以前、Youtubeでこのセレモニーの様子を動画で見たことがあるのだが、まさに両国側によるしっかりとしたパートナーシップがあるからこそ、毎日のこの式典が成り立っていることがわかる。何か敵意に満ちたものであるのではないかと思っていたが、決してそんなものではなかった。   

儀式が終わり、家路に着く人たちに国境のセレモニーやBSFにまつわる映像を集めたVCDやDVDを売りつけようとする商売人たちが群がる。どこからかスピーカーで「皆さん、くれぐれも海賊版VCD、DVDに手を出さず、正規版を買ってください」などという、当局からの呼びかけが聞こえてくるが、正規版なるものがどこで売られているのか見当もつかない。道路脇にあるレストランもまさにこの時間帯が書き入れ時のようで、どこも満員だ。 

アッターリー村、ワガー村の人々にとって、それ以前は、このあたりから大きな街に出るという場合、アムリトサルに行くのもラーホールに行くのも同じようなものあったことだろう。 

アムリトサルやラーホールの住民たちにとっても、長い歴史の中でずっと「隣街」であったものが、分離により遠い街になってしまった。今の時代の人々にとってはごく当たり前のことであっても、それまでの人々にとっては、学校出てから仕事に就くにあたり、インドもパーキスターンもない同じ国内であった。 

おそらく今の80代以上の人々(分離時にそれなりの年齢に達しており、当時の記憶を自己の体験としてはっきり認識している最後の世代。その頃の幼児や子供は含まず)にとっては、いろいろと思うところがあるに違いない。 

当時はもちろんブログもなければ、村民で日記をしたためていた人もあったかどうか・・・?「オラが村がふたつの国に分かれた」体験をした人たちは、その過程で様々な事柄を目にしてきたことだろう。また村という小さなコミュニティの中で、そこに国境が引かれるということで、どんな出来事があったのだろうか。 

村民の間でも人口の移動、分離後の人間関係や個々人の力関係においても、友愛と裏切り、信義と謀略、その他いろいろ大変なことがあったことと思う。そこが国境になったがゆえに国防施設や行政機関等が建設され、地権上でも様々な出来事があったはずだ。印パ分離の縮図とでもいうべき大きなドラマが小さな村の中で展開していったのではないかと想像される。

ナマステ・インディア 2010

今年もナマステ・インディアが代々木公園にて、9月25日(土)から26日(日)にかけて開かれるが、なんと18回目の開催となるのだそうだ。 

昨年はカラン・スィン、その2年前にはスワーミー・ラームデーヴと、ちょっとサプライズな人物の登場があった。今年も誰かびっくりするような有名人がやってくるのだろうか? 

インド出身の演歌歌手チャダは、すっかりこのイベントの常連となった感があり、今年も彼のステージが行われるようだ。 

9月も下旬とはいえ、今年はまだまだ気温が高く、秋が訪れたという実感のわかない日々が続いている。それでも確かに朝夕は涼しくなってきているし、日中の最高気温もそれほど上がらなくなってきた。 

そろそろ秋雨の時期に入るはずだが、今度の週末は天気に恵まれることを期待したい。