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カテゴリー: column

  • アンゴラでイスラーム教が禁止に

    インディア・トゥデイのウェブサイトで、こんな記事を見かけた。アフリカ南西部に位置するアンゴラが、世界初の「イスラーム禁止国」となったとのこと。

    Angola ‘bans’ Islam, Muslims, becomes first country to do so (India Today)

    特定の信仰を禁止するということは、基本的人権にもかかわる由々しき事態ではあるが、アンゴラという国のことについては、今世紀初頭まで30年近く内戦が続いていた国であること、住民の大半がクリスチャンということ以外にはよく知らず、同国内での政治動向等に関する知識は持ち合わせていないのでなんとも言えない。

    しかしながら、おそらくこれまでずっとイスラームとの関係が薄かった国で、近年急激に広まってきたイスラームの信仰や文化との摩擦が生じていたり、同国の政治にとって好ましくない政治的勢力が浸透しつつしていたりするということが恐らく背景にあり、危機感を抱いた政府が、これらの締め出しを図るようになった、という具合なのではないかと想像している。そうでもなければわざわざ政治が信仰に介入することはないだろう。

    それにしても「イスラームの禁止」ということでこうした形で報じられることにより、当然「イスラームの敵」というレッテルを貼られることは必至であり、イスラーム世界とは縁薄い地域であるように思えるが、それでもこれを信仰に対する宣戦布告と受け止めて、同国内に存在する数は少ない信者たち、あるいは国外からの勢力から過激な行動に出る人たちもあるかもしれない。

    とりわけラディカルな聖戦思想を掲げる組織にとっては、信仰を禁じて礼拝施設の取り壊しに出ている同国の政府に対する攻撃は、信仰の敵に対する戦いとして目的が非常に明確だ。志を同じくする仲間たちに連帯を訴える格好のターゲットとして、純真な若者たちをリクルートするための舞台装置としてアピールできることだろう。

    非常に長い期間続いた内戦の後、ようやく平和を享受しているアンゴラにとって、何か新たな大きな危機の始まりであるように思えるが、これが杞憂であることを願いたい。

  • NIKKEI ASIAN REVIEW創刊

    NIKKEI ASIAN REVIEW創刊

    今年9月からPre – Launch Issueとして出ていた週刊NIKKEI ASIAN REVIEWが、11月21日号をもってついに正式に「創刊」となった。PCで閲覧はもちろんのこと、iPad、iPhoneやAndroidで専用のアプリをインストールして読むこともできる。創刊号の目玉はミャンマー関係の記事で、やはり今のアジアではミャンマーが最も注目されるのは当然のことであるのは言うまでもない。

    ひょっとすると日本初の国際的に影響力のある週刊経済誌となるかと、少々期待したのであるが、残念ながら少なくとも今のところはそのようなレベルではない。あまりに表面をなぞったような短い記事が並んでおり、取り上げられている事象の背景の詳細な分析もないため、経済誌の見出しだけ読んでいるような気がする。これではあまりに貧弱すぎる。

    今後の発展に期待することにしたい。

  • 印パ分離のドキュメンタリー

    当時のものとしては珍しいカラー映像を交えた印パ分離時を取り上げた、BBCによるドキュメンタリー作品がある。

    Pakistan And India Partition 1947 – The Day India Burned (Youtube)

    この作品にところどころ挿入されるカラーの実写映像も同様にYoutubeで視聴できるようになっている。

    Very Rare Color Video of Indian Independence 1947 (Youtube)

    印パ分離により、双方からそれぞれムスリム、ヒンドゥーとスィクの住民たちが先祖代々住んできた故郷を離れて新たな祖国へと向かった。もちろん新国家のイデオロギーに感銘したり、賛同したりしてのことではなく、彼らが父祖の地に留まるのがあまりに危険になってしまったがゆえの逃避行である。双方から1450万人もの人々が移住を余儀なくさせられたとともに、移動の最中で暴徒の襲撃で命を落とした人々、両国の各地で発生したコミュナルな暴動による死者も数え切れない。

    恐らく人類の歴史上、かつてなかった規模の巨大な人口の移動であるとともに、最大級かつ最悪の宗教をベースにした対立であったといえる。この出来事が今も両国の人々の間で記憶され、家庭で子や孫に語り伝えられるとともに、両国間の問題が起きるたびにメディア等による報道等により、新しい世代もそれを疑似体験することになる。さらに悪いことに、往々にして両国の政治によって利用されることであることは言うまでもない。

    印パ分離は英国の陰謀か、ガーンディーの力及ばずの失敗か、ジンナーの成功かはともかく、政治が犯した罪は今も償われてはいない。カシミール問題も、印パ分離がなければ生じることはなかった。

    ヒンドゥーがマジョリティーの『世俗国家』の一部となって支配されることに対するアンチテーゼとして成立したムスリムがマジョリティーのイスラーム共和国パーキスターンが存在するということは、国防上の懸念が将来に渡って続くことを意味する。しかしながら分離がインドにもたらした恩恵があることも無視できない。

    現在のパーキスターンのバルチスターンの分離要求運動のような地域的な問題とは無縁でいられることはともかく、ムスリムがマジョリティーの地域ならではの、奥行と広がりがあり中央政界を揺るがすほどの規模の各種のイスラーム原理主義運動やアフガニスタンを巡る様々な問題と直接対峙する必要がないというメリットは非常に大きい。

    またパーキスターンの北西部のアフガニスタン国境地域のFATA(連邦直轄部族地域)のような連邦議会の立法権限が及ばない地域が存在することは、治安対策面でも大きな問題がある。

    独立以来、インドが一貫して民主主義国家としての運営がなされてきたのに対して、血を分けた兄弟であるパーキスターンは残念ながらそうではなかったのには、地理的・思想的背景があるように思えてならない。

    印パ分離はまぎれもない悲劇であり、現在の両国は今なおその傷が癒えているとはいえず、分離による代償を両国とも払い続けている。

    しかしながら現在、パーキスターンとインドが別々の国となっていることについては、少なくともインド側から見れば好都合である部分も決して少なくないことは否定できないことである。分離という大きな痛みからあと数年で70年にもなろうとしている今、これまでとは異なる視点から評価・検証する必要もあるように思う。

  • 紅茶レジェンド

    紅茶レジェンド

    慌ただしい朝に少々時間を気にしながらも楽しむ一杯の紅茶、昼下がりに読書をしながら楽しむ紅茶、午後に友と語らいながら楽しむ一杯の紅茶、夕方になって傾く陽を眺めながら楽しむ一杯の紅茶。どれもとっても素敵な時間を与えてくれるものだ。

    紅茶というものが世の中になかったとしても、同じように時間が経過していき、同じように日々が過ぎていくのだろうけれども、この一杯の安らぎのない生活というものは考えられない。コーヒー好きの人にとってのコーヒーと同じことだが、この一杯あってこその充足感、気分の切り替え、解放感がある。

    味わいをゆっくりと楽しみ、気持ちがすっきりするけれども、酔わないのがいい。だから朝から晩まで、時間帯を問わず、場所を問わずに楽しむことができる。お茶を淹れることができる設備がないような場所では、もちろんペットボトルに入った紅茶だって立派な紅茶に違いない。カップで熱い紅茶を啜るのとはかなり気分は違うけれども、やっぱり気持ちを解放してくれる。

    私は紅茶が大好きだ。けれども産地やブランドへのこだわりは正直なところまったくない。色合い香りともに派手なセイロンティー、上品で風格のあるダージリンティー、地元原種の茶の木がルーツのアッサムティー等々、それぞれの個性がどれも楽しい。

    はてまた、イギリス式のティーでもインド式のチャーイでも私にとってはどちらも紅茶。どんなお茶でも自分で淹れるし、淹れていただけるならばどんな紅茶でも美味しくいただく。

    あればいつでも嬉しい紅茶だが、長年茶商として営んできて、紅茶エッセイストとしても知られる著者によるイギリスと紅茶の歴史の本がある。

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    書名:紅茶レジェンド

    著者:磯淵猛

    出版社:土屋書店 (2009/01)

    ISBN-10:4806910155

    ISBN-13:978-4806910152

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    紅茶と血を分けた兄弟である中国茶の数々、中国沿岸部から雲南までを経てミャンマーへと広がる茶の栽培地域。そのさらに先にインドのアッサム、ダージリンといった紅茶の産地へと足を運び、それぞれの地域での特色ある喫茶習慣はてまた食べ物としてのお茶を紹介。

    トワイニングとリプトンという、紅茶業の二大巨頭の事業の変遷、イギリスや世界各地での喫茶習慣の普及と大衆化についての流れが語られていく。

    そしてともにスコットランド出身、それぞれアッサムとスリランカで茶の栽培の先駆者として歴史に名を刻んだチャールズ・アレクサンダー・ブルースとジェイムス・テイラーの生涯についても紹介されている。後世に生きて紅茶を楽しむ私たちにとって、どちらもありがたい恩人たちだ。

    茶園で働く人々によって手摘みされる茶葉、製茶場での加工の過程、その後の流通やパッケージング等々に想像を働かせつつ、現在の紅茶世界の背後にある歴史に思いを馳せると、カップの中で湯気を立てて揺れている紅茶がますます愛おしくなる。

    人類の長い歴史の中で、紅茶出現後、しかも紅茶の大衆化以降に生きることを大変嬉しく思う・・・などと書いては大げさ過ぎるだろうか。

    蛇足ながら、近年刊行された紅茶関係の本としては、こちらもお勧めだ。

    紅茶スパイ(indo.to)

    とにかく私は紅茶が大好きである。

  • バーングラーデーシュ市場に販路を目論むユニクロ

    中国一辺倒であった生産拠点を他国への分散を図るユニクロがバーングラーデーシュでの製造に力を入れ始めるとともに、マイクロ・クレジットの成功で知られるグラーミーン銀行との提携で、現地会社グラーミーン・ユニクロを設立したのは2010年のこと。

    ユニクロのソーシャル・ビジネスという位置づけにて、地場産業から調達できる素材による現地請負業者が生産した製品を、現地の委託請負販売者が顧客に対面販売をするという形での取り組みがなされていたことは以前取り上げてみたとおり。

    Grameen UNIQLO (indo.to)

    おそらくこうした試みの中で、このビジネスがモノになるという確信を得たのであろう。ユニクロは同国で今後1年間に30店舗のオープンという目標を掲げるに至った。カジュアル衣料販売で世界第4位の同社が、ZARA、H&Mといったライバルを追い抜いて世界トップに躍り出ることを画策する同社の狙いは、これまで競合する他社が手を付けていない最貧国市場での大きなシェアの獲得である。

    11月17日(日)午後9時からNHKで「成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~」という番組が放送されていた。

    内容は近年の業界の勢力図とライバル各社の動向、そしてこれまでターゲットとしていなかった最貧国市場への進出と現地でのスタッフたちが格闘する日々、そして現地を代表するアパレル企業トップからユニクロへのアドバイス他といった具合だ。

    その中で、ユニクロが展開するカジュアル衣料は現地の女性たちにあまり受け入れられず、今年7月にオープンした第1号店ではあまりに女性客への売れ行きが芳しくないので、急遽地元のバーザールからシャルワール・カミーズを調達して店舗で販売するといった一幕、女性スタッフが現地の女性たちのお宅を訪問してクローゼットの中を見せてもらったら、誰もがほとんどサーリーやシャルワール・カミーズ以外の服をほとんど持っていないことに驚くなどといった場面があったが、いくら何でもこのあたりの事情については事前のリサーチで判っているはずの基本的な事柄なので、何らかの作為のあるヤラセのストーリーなのではないかと思った。

    いずれにしても、今回の路線転換により、「ソーシャル・ビジネスです」と、トーンを抑えていた同国での市場展開が、「ビジネスそのものが目的です」という本音を剥き出しにした市場獲得へのダッシュとなったことは注目に値する。最貧国市場への浸透といってもこれが意味するところの地域は世界中各地に広がっているが、バーングラーデーシュは、人口は1億6千万人に迫ろうかという巨大な規模であるにもかかわらず、国土の面積は北海道の2倍弱という地理的なコンパクトにまとまっているという魅力があり、今後同業他社や異業種の企業等の進出も期待されている中、ユニクロの進出が呼び水となり、同国のマーケットとしての魅力がこれまでよりも大きく取り沙汰されるようになるのだろう。

    こうした番組について、以前であれば「再放送されることを期待しよう」などとするしかなかったのだが、最近のNHKはウェブでのオンデマンド放送も実施しているので、興味関心のある方は視聴されることをお勧めしたい。本来は有料だが、まだアクセスしたことがなければ無料でお試し視聴もできるようになっているようだ。

    成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~ (NHKオンデマンド)

  • Campa Cola

    Campa Cola

    1990年代初頭に始まったインド経済の本格的な対外開放に踏み切るまで、インドのソフトドリンク市場の中のコーラの類の分野では、Thums Upとともに国内市場を二分してきたブランド、Campa Cola。

    れっきとした民主主義国家ながらも、経済政策面では社会主義的な手法を取り入れた「混合経済」として知られていたインドの経済産業界では、特に基幹産業部分に国営企業や国家の強い指導と統制の下で経済活動を行なう財閥が中核となっていた。

    それに拍車がかかったのは、独立運動以来の「スワーデーシー志向」により、外資に対する規制も厳しかった。初代首相ネールーが親ソ的な政治家であったこともあるとともに、当時の指導者たちが総体的に(今から見れば)左寄りであったこともあり、経済とは国が統制すべきものであった。

    幸か不幸か、それに拍車がかかったのはネールーの娘、インディラー・ガーンディーが首相の座にあった時代(1966-1977、1980-1984)で、金融その他の部門で急進的な国有化政策が実施された。

    清涼飲料のコカコーラが存在せず、独自ブランドのCampa Colaが販売されていた時代のインドは、まさに「マッチ棒から人工衛星まで」といった具合の「自力更生」型の経済体制時代にあり、そこを訪れる人の多くが「外界と隔絶した独自の世界」にいることを感じたことだろう。

    その時期の世界において、いわゆる東側の世界の多くは、国家が決めた方針に基づく計画経済が実施されており、社会のあらゆる分野において統制が厳しく、国外の人々が自由に行き来したり、滞在を楽しんだりできるような体制ではなかった。国によっては国民による自国内の自由な往来さえも制限が敷かれているようなところも少なくなかった。

    経済が国家による厳しい管理と統制下にあった国々の中で、インドの政治体制はそれとは裏腹に民主的に運営されており、国外からの人々の往来には寛容であった。経済開放前にはインドへの国外からの投資は今とは較べようもなく少なかったし、駐在その他で在住している外国人の数も非常に少なかった。それでも観光目的で訪れる人々は多かったことは特筆できるだろう。

    他国と比較して格安に過ごすことができることやドラッグ類の入手が容易であったことなどもあり、1960年代から70年代にかけては、長期滞在するヒッピーが多く、ゴアやマナーリーあたりでは彼らの存在が社会問題化したこともあったが、そうした人々を強権で排除するようなこともなく、またヒッピーという存在が西欧社会から消えてしまってからも、しばらくの間はインドのそうした場所では彼らのライフスタイルを受け継いだかのような「亡霊」が彷徨っていたのは、やはりインドという社会の懐の深さゆえだろうか。

    話はCampa Colaに戻る。外界から隔絶した社会の独自路線のコーラであったかのように言われることも多かったが、実はそうとも言えない。このコーラを製造販売してきたPure Drinks Groupは、1950年代から提携先のCoca Colaをインドで製造販売してきた企業であり、1978年にCoca Colaがインドから撤退するにあたり、Coca Colaブランドと同社のレシピを使用することができなくなり、独自のCampa Colaブランドと自前のレシピでの製造販売に切り替えたという経緯があるからだ。

    外国の主要なメーカーやブランドの参入がなかった1980年代は、Campa Colaブランドが燦然と輝いた時代であったといえる。街中を走る車両のほとんどがアンバサダーやパドミニーといった旧態依然の「クラシックカー」ばかりで、トラックも大昔からのボンネット型、バスもヨソの国とは違ったこれまた苔むしたような感じの車両ばかり走っていた時代、当時はほぼ世界中どこに行っても見かけるはずであったCoca Colaが見当たらず、それとちょっと似て非なるCampa Colaの看板や味わいを前にして、それはもう相当なエキゾシズムを感じたということは想像に難くないだろう。

    1990年代初頭に始まった経済開放政策により、清涼飲料の分野でインドにいち早く上陸してきたのはペプシであった。当初は外資の出資比率と外国ブランドの使用についての制限があったため、インド参入初期はLEHAR PEPSIという名前で製造販売されていた。

    当時の地場ブランドのCampa ColaもThums Upも今の標準的なサイズよりもかなり小さい180 cc入りのボトルで販売されていたのに対して、アメリカからやってきたPEPSIは250 cc入りであったため、本場感覚と量の多さによる割安感もあり、一気にシェアを拡大したようだ。Campa Cola陣営は、当初「味わいは量に勝る」などと、負け惜しみのような広告を打っていたこともあったが、Campa Colaを含めた地場ブランドはまもなくボトルを大型化して増量に踏み切ることとなった。当時のメディアは、こうした地場資本コーラとペプシの攻防を「コーラ戦争」と表現していた。

    だが1993年にCoca Colaが満を持してインド市場に復帰したことにより、Campa Colaの命運が尽きたと言えるだろう。ある程度年齢を重ねた人ならば、Campa ColaはCoca Colaが1978年に撤退したことを受けての代替品であったことを知っているし、そうした背景を知らない若者たちにとっては、見慣れているけれども垢抜けない地場コーラと較べて、華やかなCMや広告による宣伝とともに登場したアメリカ製品がとても眩しく感じられたことだろう。

    その後、コーラ戦争の最終的な勝者はグローバル・プレーヤーのCoca ColaとPEPSIとなったことはご存知のとおり。だが皮肉なもので、Coca Cola社に買収された地場コーラThums Upやレモン風味ソフトドリンクのLimcaは、その後も一定の存在感があるのとは対照的に、暖簾を守ったPure Drinks Groupは、かつての栄華は見る影もない。

  • 異なる世界の狭間 ミャンマー

    3回連続でのミャンマー関係の話題で恐縮である。

    しかしながらインドの隣国であること、英領期にはインドと合邦していた時期もあること、ムガル最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルの流刑地であったこと、20世紀初頭のヤンゴンは事実上「インドの街」であったことなどから、インド繋がりで関心のあるミャンマーということでご容赦願いたい。

    Travel Visionのサイトを閲覧していると、今年の7月から8月にかけての古い記事になるが以下のようなものがあった。

    ミャンマー国際航空、9月にチャーター4本、JTB九州単独で (Travel Vision)

    首都圏や大阪エリア以外でもミャンマーへの航空需要の観測気球が上げられているようだ。今年のGWには成田と関空以外からも、福岡と沖縄からミャンマー国際航空(MAI)のチャーター便が飛んでいたとは知らなかった。

    またこんな記事もある。

    全日空、ミャンマーの新興航空会社に投資、株49%取得 (Travel Vision)

    「現在は国内線のみを展開しているが今年10月には国際線の就航を予定」とあるものの、今年11月現在までのところ、国際線への進出は果たしていない。しかしながら今後は全日空とのコードシェア便等の導入がなされることがあれば、大いに利用価値のあるものとなるかもしれない。

    一度就航して、間もなく運休していた直線距離にして100km程度ながらも、タイ南部からが再就航した、こんなルートもある。

    ミャンマー、タイ、ノックエアー「モーラミャイン~メーソート」間の直行便再開(9月~)(Travel Vision)

    ミャンマーのモーラミャインとタイのメーソートの間にあるミャワディ/メーサウ国境は、今年8月末ごろから、ミャンマーとタイの他の3つの地点(タチレイ/メーサイ、ティーキー/プナユン、コタウン/ヤナウン)とともに、往来がタイ・ミャンマー以外の第三国の人々に対しても自由化(これまでは制限付きでこれらの地点を越えることができた)されることとなった。人の流れとともに、物流も盛んになることだろう。

    Four border checkpoints to be opened to all this week (The Nation)

    もとより、タイひいては東南アジア地域とインドを結ぶ動脈としての展開が期待されているミャンマーだけに、国境の東側、つまりタイ側と較べて半世紀ほど時代を遡ったようにみえる現在のミャンマーのこの地域においても、その時差をダッシュで取り戻そうとしているかのような変化が訪れることになるであろう。

    タイ側は経済活動が活発なので、いろいろな動きが伝えられてくるが、反対側の国境つまりインド側は経済面でも政治面でも後背地であるため、華やかなニュースに欠ける。しかしながら、ナガランドからミャンマーへの鉄道接続計画、北東インドの街からミャンマーの街への国際バスルート開設の構想なども聞こえてくる。

    当然のことながら、同じく国境を接している中国とミャンマーの間の行き来も非常に活発で、雲南省と隣り合わせのミャンマー北東部のラーショーなどのように、商売のため越境してくる中国人のプレゼンスが大変目立っていたり、このエリアで走り回る乗用車、トラック、バイクなども日本車ではなく、中国からの輸入車両が多かったりといった具合に、中国の存在感が大きい。

    何よりも、ミャンマーが欧米先進国等による経済制裁下にあった時代、大手を振って進出してきて広く浸透したのが中国資本であり、市場を席巻する中国製品である。

    中国と東南アジアの狭間であり、南アジアと東南アジアを繋ぐ地勢でもあり、また中国とインドをリンクする地域でもある。

    経済発展により、多民族国家の生活様式や文化の多様さは失われていく運命にあるのかもしれないが、周囲との行き来が活発になることにより、ミャンマーを取り囲む、文化・伝統が異なり、政治体制も経済も何もかもが異なる「世界」からの影響を受けて、どのように変化・発展を遂げていくのか非常に興味のあるところだ。

  • ミャンマーの空が近くなる

    今年のGWにミャンマー国際航空(MAI)がミャンマーと日本の間のチャーター便を飛ばしたことは以前お伝えしたとおり。

    MAI (Myanmar Airways International) ミャンマーから日本への直行便就航 (indo.to)

    ※2013年のGWのみ

    このときには成田からマンダレー、ヤンゴンから成田、そして関空からマンダレー、ヤンゴンから成田のフライトであったが、来年2月には茨城からマンダレー、ヤンゴンから茨城というルートで5本のチャーターフライトが運行する予定だ。

    ミャンマー国際航空、2月に茨城チャーター、計5本 (Travel Vision)

    すでに全日空が成田からヤンゴンへの直行便が毎日就航しているところだが、ミャンマー側の航空会社も定期便を飛ばすようになると直行便の選択肢が増えてありがたい。

    同様に、以下のような動きもある。これまで隣国のタイと較べて、実質の距離以上の隔たりが感じられたミャンマーの空が、少しでも近くなってくれるとありがたい。

    ミャンマーと航空当局間協議、オープンスカイ視野に (Travel Vision)

    ミャンマー、成田路線が自由化、以遠権も (Travel Vision)

     

     

  • ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    クレジットカードによる支払いとEチケット発行ができるようになった!

    このところ、インドのお隣のミャンマーを巡る様々な動きは実に目まぐるしく変化しているが、旅行事情も同様である。

    従前は、基本的にクレジットカードは使用できなかった。ヤンゴンのような大都市の一部の外資系高級ホテルではカードによる支払いは可能であったようだが、実際の決済は国外でなされる形であったため、厳密に言うとミャンマー国内での支払いということにはならなかったようだ。もちろんその分、割高になってしまうのは言うまでもない。

    そんな具合であったので、ミャンマー到着前に国内線のフライトを押さえようという場合、同国内の旅行代理店に依頼して予約を取ってもらう必要があった。代金は現地に到着してから航空券と引き換えであったり、代理店がミャンマー国外に持っている銀行口座に振り込むという具合であったりした。

    筆者が幾度か利用した旅行代理店の場合、ミャンマーに到着してから米ドル現金払いであったが、先方にとっては決して小さくないリスクを負う取引きであったはずだ。

    フライトを依頼した人がちゃんと約束の日時に現れなかったりしたら、そのチケット代金は代理店自身が被ることになってしまう。世の中にはいろんな人がいるので、もともと行く気がないのにいたずらで予約を依頼したり、あるいは突発的な理由により予定直前にミャンマーを訪れることができなくなり、代理店で発券後であるにもかかわらず、放置してしまったりするような人もいるのではないかと思う。

    いっぽう、利用者側にしてみると、旅行代理店に対して搭乗したいフライトについて、電子メールで自分の目的地、日程、希望の時間等々を伝えて、予約が確定するまでの間に、おそらく数往復のメールがあることだろう。その間に数日間はみておかなくてはならないので面倒であるとともに、急に思い立って訪問という場合にはなかなか難しい。加えて現地での航空券の受け取りという手間もある。平日の昼間に到着する便で、受け取りが空港であればいいかもしれないが、夕方以降であったり、週末であったりすると、別料金というケースも少なくないようだ。

    他の多くの国々の場合は搭乗を考えている航空会社のウェブサイトあるいはskyscannerその他の予約サイトで簡単に席が確保できてしまうのと較べるとずいぶんな手間である。

    そんな事情も、ミャンマーでクレジットカードの決済が可能となったことにより、大きく変化した。今のところ国内線航空会社により対応は様々かもしれないが、エア・バガンはカードによる支払いにより、即時Eチケット発行という形になっている。間もなく他社のサイトも同様に整備されることだろう。

    航空券の事前予約と同様に、ミャンマー旅行において不便であったことのひとつのお金の事柄もある。観光地の入域料や宿泊費の支払いが基本的にはドル払いであったことだ。これにより、小額紙幣を含めた米ドル現金をかなり多量に持ち歩く必要があった。

    だが、これについても変化の兆しはあった。「ミャンマーブーム」の今年前半ならびにと昨年同時期の訪問で、場所によっては現地通貨チャット払いの選択もできたことである。それが今では、すべての場所についての適用かどうかよくわからないが、入域料はチャット払いとなっている。

    ミャンマー、各観光地の外国人入域料、現地通貨チャットでの支払いに (Travel Vision)

    外貨による支払いとなっていたのは、同国の外貨事情が逼迫していることによるものであったため、現在のように外国からの投資がブームとなると、当然の帰結として必要度が下がる。また、言うまでもないことだが、現金を扱う出納上でも現地通貨のほうが都合がよいことはもちろんのことだ。

    先述のクレジットカードのことはもとより、トラベラーズチェックも基本的に使用できなかったミャンマーだが、これについては経済制裁により、欧米先進国等との金融ネットワークから遮断されていたことが理由である。制裁を加えていた側との関係改善により、様々な方面での規制が廃止されたり、大幅に緩和されたりしている。

    日本から持参したカードでATMから現地通貨で引き下ろすこともできるようになっているため、従前のようにミャンマーで両替するお金はすべて米ドル現金で持参という不用心なこともしなくてよくなってきている。

    VISAカード、ミャンマーでATM取引開始 (ミャンマービジネスニュース)

    国内の様々な少数民族と政府の間で続いてきた紛争も、このところ和解が進んでいることから、外国人が入域することすらできなかった地域も次第に訪問が可能となってくると、新たな見どころが「発見」されていくことになることが予想される。

    そうした地域は同国の周縁部に多いため、やがては大手を振って陸路で行き来できる地点も出てくるはず。タイやマレーシアはもちろんのこと、インドの北東部とも長い国境を接しているため、東南アジアからインドへ陸路で抜けることが可能になるのもそう遠い未来のことではないだろう。

    経済制裁により孤立していたことにより、ちょっと特殊であったミャンマーの旅行事情だが、今後加速がついてどんどん「普通の国」となっていく方向にある。

    目下、ミャンマーをめぐる様々なニュースから目が離せない。

  • SAFF CHAMPIONSHIP NEPAL 2013

    隔年で開催されるSAFF (South Asian Football Federation) Championship。今年の開催国はネパールで、8月31日から9月11日にかけてカトマンズで開催された。

    indo.toに掲載する時期を逃してしまっているが、せっかくなので簡単に触れておくことにする。SAFFの公式Youtube Channelにて、各試合のハイライト画像はもちろんのこと、ゲームをフルで観ることもできるようになっているのも幸いであり、南アジアのサッカー事情に多少なりとも関心のある方はぜひ視聴していただきたいと思う。

    A組(インド・ネパール・パーキスターン・バーングラーデーシュ)とB組(アフガニスタン・スリランカ・ブータン・モルジヴ)に分けてのリーグ戦にて1位、2位を占めたチームがそれぞれ決勝トーナメントに進出するわけだが、A組では地元開催のネパールがインドを下すという大健闘を見せて1位通過、2位がインドとなった。インドの初戦はパーキスターンで、サッカーにあってもやはり印パ戦ということを感じさせる激しい試合であった。B組はモルジヴとアフガニスタンがともに2勝1分で同率であったものの、モルジヴが持前の得点力で稼いだ得失点差にて1位、アフガニスタンが2位という形になった。

    地元開催でぜひとも初優勝を狙いたいネパールだが力及ばず、0-1でアフガニスタンの決勝進出を許してしまう。同様に勢いに乗るモルジヴもたびたびインドのゴールを脅かすものの得点に至らず、安定感に勝るインドが1-0で寄り切る形で決勝戦へと進むこととなった。

    決勝戦は、まさにインドで開催された2011年大会と同じく、インド対アフガニスタンというカードとなった。前回、決勝戦の笛を吹いた主審はシンガポール国籍のスィク教徒であったが、インドのほうに肩入れしたい私からしても、不可解なジャッジが重なり、何かウラがあるのではないかと勘繰ってしまうほどであり、インドの優勝にも素直に喜ぶことができなかった。

    今回も内容は互角の好ゲームではあったものの、アフガニスタンが2-0で勝利することにより、前回の雪辱を果たした形となった。

    ここのところ地域の大会で躍進しているアフガニスタン。政情が安定しており、スポーツが振興する環境にあり、それなりに育成面でもシステムが機能しているはずのインドを初めとする他国のありさまを不甲斐ないとするか、国内事情もままならない新興国ながらも活躍しているアフガニスタンを賞賛するかという点について、人それぞれ考え方は違うかもしれない。

    欧米その他(インドのI Leagueを含む)の外国のクラブでプレーしている選手たちがかなりいるという事情はあるため、他国の代表チームと単純に比較できない部分があるのがアフガニスタン代表チームの特徴ともいえる。同国内では昨年からアフガン・プレミアリーグが始まっており、国策としてのサッカーの振興という意図が背後に見える気がする。この世界的なスポーツが国民や地域の心をひとつにまとめるという、平和貢献の役割が期待されているのではなかろうか。

    さて、次回大会は2015年となるが、ふたたびインドが開催国となることが決まっている。前々回に引き続いてなぜ?という気がしなくもないが、やはり国力と企画実行力という点で地域において圧倒的な存在感がある大国の責任ということにもなるのかもしれない。

    さらに先の2017年が行われるのはパーキスターン。開催国となるにあたっては、南アジアの頂点を狙う地域の強国としての台頭を期待したい。

    蛇足ながら、南アジアのサッカーといえば、現在までのところ日本と最もゆかりが深い国はブータン。2008年から行徳浩二氏、松山博明氏、小原一典氏と3代続けて日本人が代表チームの監督に就任している。

    日本で中継されることはもちろん、試合内容が新聞等で報道されることもまずないが、ブータンのサッカーファンたちの間では、「日本のサッカー」に対する関心度はかなり高いのではないかと思われる。

  • SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM

    SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM

     

    SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM

    今年6月下旬に発売となって以来、とても気になっているレンズがある。

    18-35mm F1.8 DC HSM (SIGMA)

    APS-C用のレンズだが、35mm判換算でおよそ28-53mmという画角。これ一本でなんとかオールマイティーにという訳にはいかないが、ズーム全域でF1.8というのが凄い。単焦点レンズ数本分の画角をカバーするとともに、その間の画角も自由自在となれば、思い切り割り切って、このレンズだけ装着してインドで思い切り撮りまくってみると、さぞ楽しいことだろう。

    必ずしも「サードパーティーのレンズ=純正品に対する価格優位性」ではなく、しばしば「純正品にはない超絶性能」で勝負できるのは、さすが自社一貫生産方式の「日本製」にこだわるSIGMAブランドである。

    日常も旅行の際も「軽量・コンパクト」で、いかに写真を楽しむことができるか、ということにこだわる私としては、用途の割には決して小ぶりとはいえないこのレンズに食指を伸ばすということは、ポリシーに齟齬をきたすものの、唯一無二の製品を世に送り出した企画力と現場の「職人力」に敬意を表して、「インドでどうだろう、このレンズ!」として取り上げることにいたしたい。

  • インドの次期首相候補最有力者 ナレーンドラ・モーディー

    インドの次期首相候補最有力者 ナレーンドラ・モーディー

    近ごろ、Androidのアプリでこんなものが出回っている。いろいろな種類があるが、ナレーンドラ・モーディーの写真、スピーチを取り上げたものであったり、簡単なゲームであったりする。この初老ながらも眼光鋭い男性、モーディーはご存知のとおり、現在のグジャラート州首相にして、近い将来にインドの首相の座に上り詰める可能性が高い人物だ。

    ナレーンドラ・モーディー関係の様々なアプリ

    来年前半、おそらく5月に実施されることになりそうな独立以来16回目のインド総選挙。BJPの優位と国民会議派の苦戦が予想されている。近ごろ評判が芳しくない国民会議派、支持の着実な高まりがみられるBJPのどちらが第一党になったとしても、いずれも単独過半数を獲得することはないと思われるため、連立工作が政権奪取への鍵となる。

    国民会議派vs BJPという構図は従前と同じだが、これまでとはその中身がずいぶん異なる。前者では現在副総裁の地位にあるラーフル・ガーンディーが党の主導権を握るに至り、党指導部の大幅な世代交代が予想されている。

    後者にあっては、85歳にしてなお首相の座への意欲を見せていたL.K. アードヴァーニーが党内の争いに敗れて、グジャラート州首相の三期目を務める地元州での圧倒的な支持がありながらも、それまでの党中央との折り合いが良くなかったため雌伏を余儀なくされていたナレーンドラ・モーディー氏が次期首相候補に躍り出ることとなり、BJP内での勢力図が大きく塗り替えられている。

    BJPは、従前からヒンドゥー至上主義の右翼政党として知られているが、ナレーンドラ・モーディーが主導権を握ることにより、右傾具合にさらに拍車がかかることから、これまでBJPと連立を組んできた政党の離脱と他陣営への接近といった結果を生み、政界の新たな合従連衡の再編の時期に来ているといえる。

    凋落の方向にある国民会議派の新しいリーダーとしての活躍が期待されるラーフル・ガーンディーは、インド独立以来長く続いた「ネルー王朝」直系男子という血筋と支持基盤、そしてハンサムな風貌には恵まれているものの、政治手腕は未熟で、演説も青臭い「怒れる若者」的な調子で、とても「世界最大の民主主義国」にして、「多様性の国」の様々な方向性を持つ民をひとつにまとめて引っ張っていく器には今のところ見えない。首相としての任期をまだ半年残しているマンモーハン・スィンとの乖離には、副党首としての調整力の欠如は明らかだ。

    対するBJPの首相候補のモーディーは、2001年にグジャラート州で起きた大規模な反ムスリム暴動の黒幕であるとの疑惑を払拭することができずにいるものの、しかしながらそれがゆえにヒンドゥー至上主義に賛同する層からは強力な支持を受けるとともに、インドでもトップクラスの経済成長を同州で実現させた政治的な力量と実力は誰もが認めるところだ。州外の人たちの間でも「グジャラート州のようになりたい。中央政界をモーディーに率いて欲しい」と思わせるだけのカリスマ性のある政治家である。

    今後、両党のトップとなる二人の政治家たちの器という面からは、国民会議派のガーンディーの力量不足とBJPのモーディーが着実に積み上げてきた実績は比較のしようもない。

    BJP体制になることにより、これまで国民会議派支配下にあることにより保護を与えられてきたムスリムや後進諸階級の人たち以外にも、不安を感じる人たちは少なくないはずだ。党内の有力者たちの中でもとりわけ「サフラン色」が濃厚で極右的な人物であるだけに、「ナレーンドラ・モーディー首相誕生」とは、それ自体がひとつの災害ではないかとさえ思う。それでもBJPが魅力的に見えてしまうのは、やはり国民会議派の無能ぶりがゆえのこととなる。

    そうした状況なので、来年の総選挙により、インド中央政界は今後よほど想定外のことが起きない限りはBJP体制に移行することになるのだろう。今後の国のありかたを決定付ける大きな転機となるが、それを決める主体が国民自身であるということこそが、まさに世界最大の民主主義国インドだ。

    だがBJPについては、同党の方針や政策そのものが大半の国民の大きな信任と信頼を得て当選ということにはならないであろう。最大政党のコングレスが不甲斐ないがゆえの、いわば「Protest vote」が集まった結果ということを重々認識しなくてはならない。

    以前、BJPがインドの中央政権を握った際の首相はアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーという、右翼政党指導部にありながらも、大いに自制の利いた賢者であった。ナレーンドラ・モーディーがどういう政権運営をするのかということに、彼の政治家としての器が果たして「世界最大の民主主義国の首相」にふさわしいものであるのかどうかが問われることになる。