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投稿者: ogata

  • ダウリー問題 こんな例も・・・

    『ダウリーと闘い続けて: インドの女性と結婚持参金』『インドの女性問題とジェンダー: サティー(寡婦殉死)・ダウリー問題・女児問題』といった邦訳本が出ていることもあり、インドの結婚の際のダウリー問題については日本でも知られるようになっている。
    法律では禁止されているとはいえ、結婚持参金(現金ならびに物品等)根強い慣習であるどころか、これまでそういう習慣のなかったコミュニティや階層にも広まっており、雑誌等にその実態等についての特集が掲載されることもある。
    インドのメディアでもときどきダウリーにまつわるトラブルや犯罪等の事件が取り上げられるし、2003年に大きな話題となったニシャー・シャルマーさんのニュースを記憶している人も多いだろう。婚約者側からの度重なる不当な要求とハラスメント、加えて結婚式直前に更なる要求が彼女の父親に対して突きつけられたことから、堪忍袋の緒が切れて警察に通報。彼女自身、『この人と結婚したら最後、人生が台無しになる』と悟ったのだろう。
    花婿となるはずであった相手は逮捕されて収監、彼の家族も捜査を受けるところとなった。メディアはセンセーショナルにこの出来事を取り上げ、デリーに暮らす普通のお嬢さんであったニシャーは一転、時の人となった。この件については様々な続報があったが、彼女の勇敢さを讃える声が多かった。その後、彼女は無事に理解ある男性と結ばれている。
    Dowry demand lands groom in jail (BBC South Asia)
    だがこの慣習は一方的に悪と決め付けられるものでもなく、両親からの生前分与という意味合いもあり、それなりの合理性があるようだ。これについてはインドの民法上の規定の関係等との絡みもあるので、ここでは省くことにする。
    男性上位の社会で、嫁ぎ先の家に対して、花嫁の実家が与える現金や物品であるため、概ねに前者の立場のほうが強いことが多いだろう。花婿側について、家柄はもちろんのこと、本人の学歴・資格、職業、年収水準等といった条件が高くなるほど、『実入り』が多くなるのはもちろんのことだ。
    新郎新婦が結婚した後は、両家は姻族としてよい関係を築いて付き合っていかなくてはならない。社会的な地位を問わず、ちゃんと良識のある人たちは、相手からあまりに無闇な金額を踏んだくろうということはないはず。当然のことながら周囲の目も気になるし、良からぬ噂を立てられたくもないだろう。
    何よりも、自分の大切な子供が結婚するのだから、幸せになってくれるのを願うのは親として当然のこと。相手からよほど理不尽なことをされたり、深刻なトラブルでもないかぎり、息子の嫁をいじめたり、その実家を窮地に陥れたりということはないだろう・・・と思う。
    だが、あまりに大勢の人々が暮らすこの世の中、ごく少数の人たちの間ではこうしたことがまかり通り、ダウリー絡みのハラスメント、ときにはそこから発展して起きた殺人などが後を断たないだけに、社会の怒りを呼び起こす。
    だがこれまでダウリー関係の問題は、夫ならびにその家族が加害者で、妻とその実家が被害者という図式で捉えていたが、必ずしもそういうわけでもないらしい。
    インディア・トゥデイの9月2日号で、シムラーで開かれたSave Indian Family Foundationの集会について取り上げられていた。これは妻によるハラスメントに悩む夫たちから成る団体で、『4万人の被害者』の声を代弁しているとのことだ。 同様の活動をしているProtect Indian Family Foundationという団体もある。
    ダウリーを巡る嫌がらせや暴力などの被害に遭った女性たちの訴えの大半が正しいものであっても、中には夫とその実家の人たちを陥れるために仕組まれた嘘で固められた罠も少なからず含まれているのだという。
    インド刑法には、女性を家庭内暴力等から守るための定めあるが、かなり性的にバイアスがかかっているというのが、こうした団体の主張だ。
    とりわけ、条項498 Aが問題であるのことである。
    …………………………………………………….
    498A. Husband or relative of husband of a woman subjecting her to cruelty. Whoever, being the husband or the relative of the husband of a woman, subjects such woman to cruelty shall be punished with imprisonment for a term which may
    extend to three years and shall also be liable to fine.
    Explanation- For the purpose of this section, “cruelty” means-
    (a) any wilful conduct which is of such a nature as is likely to drive the woman to commit suicide or to cause grave injury or danger to life, limb or health (whether mental or physical) of the woman; or
    (b) harassment of the woman where such harassment is with a view to coercing her or any person related to her to meet any unlawful demand for any property or valuable security or is on account of failure by her or any person related to her to meet such demand.]
    …………………………………………………….
    あくまでも夫が加害者で妻が被害者という前提の法律であることから、性差別的であるという主張だ。
    この法律を意図的に悪用する女性は少なくないとのことだ。つまり条項498 Aに違反しているとの虚偽の訴えにより警察に検挙させるというのである。それによって夫はもちろんのこと、夫の実家の父母兄弟姉妹までもが警察に逮捕されて留置される。
    嫁入りした女性の人権は法律による保護が講じられているのに、不運にして謀略を巡らす女性を迎え入れてしまった夫側の家を守る手立てがない、ということに対する問題提起だ。
    検挙された多くのケースの場合、まともな捜査もなされないままに立件、起訴されるとともに、裁きの場でも夫側が一方的に悪であるという暗黙の了解があることから、著しく不利な立場に置かれるという。これにより失職したり、自殺に追い込まれたり例も少なくなく、こうした行ないは『司法的テロリズム』であるとしている。
    ダウリーにまつわる問題については、広く世間で言われているようなステレオタイプな事例以外にも、まったくその逆を行くような出来事も起きているようである。だがこうした訴えに対して反発するフェミニスト活動家も少ないないかもしれないのだが。
    結婚はゴールではなく出発点に過ぎない。結婚すること自体よりも、長い結婚生活を継続していくことのほうがはるかに大変なことだ。最も密なつながりを持つ家庭という中にあっても、それはひとつ小さな社会のようなものでもある。
    元々他人同士であった男女が一緒に暮らしていく中、いろいろなことが起きるものだ。そこに両者の実家の利害等も絡めば、そう易々と解決できるものではなくなってしまう場合もある。家庭という社会の中の最も小さな単位の『政治問題』とも表現できるかもしれない。

  • 未だ見ぬ『怖い新型インフルエンザ』

    日本では学校の新学期が始まり、新型インフルエンザによる学級閉鎖等のニュースがメディアに登場しない日はない。自らはかかっていなくても、身の回りに罹患したことのある人があるという方は少なくないだろう。
    早いうちに罹ってしまって、免疫とやらを獲得するのもいいかもしれないが、我が家の下の子供はまだ1歳。私が罹患するということは、自動的に家族も感染・発病してしまうということで、特に乳幼児は新型・季節性を問わずインフルエンザ脳症のリスクが高く、何としても新型に対するワクチンを接種させるまでは、少なくともこの新しい病気をもらってこないことを願っている。
    この病気があまりに一般化してしまい、発生件数をカウントすることに意味がなくなってしまったこと、加えて症状や治療方法等が他のA型の場合と変わらないことから、医療機関で簡易検査を行なってA型であることが判明しても、特に新型か季節性までを確定することは通常行なわなくなっているようだ。この時期インフルエンザにかかるということは、非常に高い確率で新型であるということもあるだろう。
    新型インフルエンザ – Googleニュース
    新型インフルエンザの出現と流行に関しては、他の多くの地域よりも遅れたインドでもSwine Fluとして、やはり同国のメディアにはよく取り上げられている。患者数もかなり増えてきている。
    Swine Flu – Google news
    本日時点までで、これまでバンガロールだけで36名が死亡しているとのことだ。その他各地で相当数の方々が亡くなっており、類型の死亡者数は9月5日時点で125名を越えている。適切な医療へのアクセス、生活水準等の問題から、特に社会的に弱い立場の人々の犠牲が多いのではないかと思われる。
    貧困層の乳幼児や老人、元気なはずの世代でも日銭を稼いで何とか大家族を養っており、体調が思わしくないからといって休めないような人々の間で感染が広まれば、それなりの割合で重症化することは容易に想像がつき胸が痛む。
    新型ということで、このタイプのインフルエンザの出現以降、これまで罹患したことのある人を除き、誰も免疫を持っていないため、今後どのように流行していくのか注目される。
    新型の毒性は季節性と同程度とはいえ、私たちがこれまで冬になるとよく罹ってきた通常のインフルエンザにしても、持病のある人は重症化しやすく、乳幼児や高齢者もリスクが高く、健康な大人でもこじらせると厄介なことになったりする危険な病気であった。日本だけでも毎年インフルエンザに罹患したことにより、あるいは合併症などを起こして亡くなる方々は1万人以上であるとされる。
    現在言われているところの『新型インフルエンザ』のみが怖いのではなく、これまで私たちが慣れ親しんだ?季節性のものも含めたインフルエンザという病気全般が、これと同じ程度に危険なものであることを認識させてくれる機会になったと言えるかもしれない。
    数年前から『遠くない将来、新しいタイプのインフルエンザが出現する』という前提のもとで、WHOならびに各国政府が新型インフルエンザに対する行動計画の策定を進めてきた。その進捗状況には国・地域差があったものの、先進国を中心に概ね本格的な体勢が整ってきたところで、今回の新型インフルエンザ出現となった。
    世界各地で蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、関係当局はその対応に忙殺され、メディアは煽り立てて、騒動に拍車をかけてきた。まさに『予想されたパンデミックの最中』に私たちはある・・・ということになる。
    だが『ちょっと待ってくれ』と言いたいのは私だけではないだろう。確かに新型インフルエンザが出現した。だがこれはここ数年来危惧されていた高病原性のH5N1型トリインフルエンザではなかった。現在までのところ、トリからヒトへと散発的な感染が観察されていることからWHOの言うところの『フェーズ3』にある。
    遠からず、トリインフルエンザが、これに感染したヒトからヒトへと効率よく感染が広まっていく状態が現れることが予想されており、しかもこれまでトリから感染したヒトの死亡率が約6割という。世界的に大きな災厄を及ぼすことが予想されているインフルエンザである。
    今回、意外な『伏兵』の登場により、私たちが本当に気をつけなくてはならない真の敵に対する注意が散漫になってしまっているように感じられてならない。目下、流行している『新型』対応のワクチン生産その他に対して持てる力の大半を注ぎ込んでしまい、いつ出現してやろうか・・・と機会をうかがっている『本命』に相対する余力は残っているのだろうか?と少々心配になったりする。
    もちろん、このたびの毒性の低いインフルエンザの流行は、やがて来るであろう『危険な新型』に対する予行演習にはなるだろう。これまで想定してきた対策のうち、何が有効で何がそうでないのか。新たにどういう対策を打ち出すべきなのか、いろいろ検証できることと思う。
    私たちが肝に銘じておくべきことは、目下『とうとう怖いインフルエンザがやってきた』のではなく、近い将来『本当に怖いインフルエンザがやってくる』ということである。

  • Namaste Bollywood #20

    20090906-namaste20.jpg
    アムリター・ラーオが表紙のNamaste Bollywood第20号。今回の巻頭を飾る記事は、『男性プレイバックシンガルの誘惑』だ。実力派揃い・・・というよりも、ケタ外れの超人的な歌唱力を持つシンガーで溢れる映画音楽界を代表する、クマール・サーヌー、ウディット・ナラヤン、シャンカル・マハーデーウァン、スクヴィンダル・スィンその他キラ星のように輝く歌手たちの特集。
    彼らの姿はスクリーンに出てこないが、作品にピリリとスパイスの効いた味わい以上の大きなインパクトを与えてくれるのが彼らの存在。映画自体はイマイチだったりしても、心に残る素晴らしい曲は数知れず。
    街角で、どこからともなく流れてくる、昔よく耳にした曲、よく口ずさんだメロディーを耳にして、それがヒットしていた頃のことが脳裏にフラッシュバック、思わずホロリとしてしまったり、足を止めて聴き入ってしまったりということもあるだろう。流行歌というものには、人それぞれの『あの頃の記憶』をしっかりと頭の片隅に刻み込む作用があるようだ。
    普段はすっかり忘れていた、曲のイントロの部分を、あるいはサビの部分を耳にするだけで、それに親しんでいた当時の悲喜こもごも、いろんな出来事が鮮やかに蘇ってくるのだ。
    話は誌面に戻る。アジアフォーカス福岡国際映画祭で『Welcome to Sajjanpur』が上映されるのだそうだ。これまでも『Maine Gandhi ko Nahin Mara』や『Khuda Ke Liye』といった、華やかさや派手さはないが、じっくりと練られた秀作をいくつも取り上げている。各国の作品を取り上げる映画祭という、枠の限られた場における確かな選球眼に敬意を表したい。
    他にも嬉しいニュースがある。ボリウッド日本版DVDが、ワーナーやメディアファクトリーなどから続々とリリースされるのだそうだ。版元からの正式に許諾を得て日本語字幕が入った作品を販売するティラキタのボリウッド作品のラインナップと合わせて、日本でもボリウッド作品やプレイバックシンガーたちの歌声にに触れる機会が増えそうである。
    今に街中のカラオケボックスにも、韓国語や中国語の歌に混じって、ヒンディーの歌のタイトルもチョコッと顔を出す日が来るのだろうか?

  • PANASONIC DMC-GF1

    GF1
    パナソニックから新しいデジタル一眼が発表された。ルミックスのDMC-GF1は、今年7月に発売されたオリンパスのP1と同様の路線の極小一眼デジタルカメラだ。
    P1同様、こちらも内蔵ファインターを排したコンパクトなスタイル。ボディのカラーも黒、赤、白と三色の中から選ぶことができる。マイクロフォーサーズ規格第一号機G1、これにハイビジョンのビデオカメラ機能をプラスしたGH1も平行して販売されるため、これらの後継機という位置付けではないようだ。
    赤もなかなかカッコいい
    白もなかなかいいかも?
    GF1は、ボディにファインダーを装備していないと、焦点距離の長い望遠レンズを用いての撮影にはちょっと・・・と思う向きもあるかもしれないが、オプションで専用のライ部ビューファインダーが用意されている。レンズを通り、イメージセンサーで捉えた画像を確認できるとのことなので、特に違和感なく使えることだろう。
    ボディ重量が285gと驚くほど軽量。ちなみにG1, GH1はともに385g。外寸も一回り小振りになった。『従来の一眼的なカタチ』を放棄したデザインとなったこともあり、特に高さと厚みが縮小されており、ミラーボックスを排したマイクロフォーサーズ規格ならではのメリットが大いに生かされている。
    GH1同様に、ビデオ撮影機能が付いているが、GH1がAVCHDを採用しているのに対して、こちらはコンパクトデジカメに搭載されているAVCHD Liteとなっている。
    しかしながらビデオにそれほどこだわるわけでなければ、パナソニックのマイクロフォーサーズ3機とも同クラス(入門機)であることから、価格帯もそう大きく変わるわけではないことからも、わざわざ同社の従来機を選ぶ理由は見当たらない。敢えて一台選ぶならば、G1、GH1を先行して発売し、すでに3台目のリリースとなるGF1が最善の選択となるだろう。
    マイクロフォーサーズ規格のカメラは、パナソニックから3機種、オリンパスから1機種の合計4機種となっている。しかしながらどれも先述のとおりエントリータイプのモデルである。レンズ群のバリエーションの広がりとともに、中級クラスのモデルの登場が待ち望まれるところだ。
    今のところ、マイクロフォーサーズのデジタル一眼の広告は、どれも女性ユーザーを強く意識したものとなっている。市場を独占している状態のキヤノン、ニコンの二大巨頭と直接衝突することを巧みに避けたマーケティングを展開している。だが今後そうしたメーカー製品のユーザーたちも、多くはメーカーの異なる複数のカメラを所有していることから、マイクロフォーサーズの軽量・コンパクトさに惹かれて食指を伸ばすといったことが期待できるだろう。
    加えてフランジバックが短いことから、マウントアダプターを手に入れれば、ライカRマウント、ニコンFマウントその他、銀塩時代の古いレンズを装着できるため、マニアックなユーザーも多く、あながち初心者用カメラとは言い難いものがあることも付け加えなくてはならない。要するにCMやパンフレットから受ける軽いイメージとは裏腹の実力と潜在力を秘めているのだ。
    GF1と同時に発売される予定のレンズもまた大いに気になる。20mmでF1.7の単焦点の厚みが25.5mmしかないパンケーキレンズだ。ボディと合わせて『インドでどうだろう、この一台?』ということで、旅先でも日常でも常に携帯して重宝しそうなコンビの登場である。
    20mm F1.7
    大きくゴツいデジタル一眼ブームも一服といった状態の中、どこにでも気軽に持ち歩ける高級コンパクトデジカメの復権かと思われた時期もあったが、やはりセンサーの小ささや被写界深度の関係等から、前者に肉薄するモデルはなかなか出てこなかった。
    しかしマイクロフォーサーズは、デジタル一眼からの小型化という逆のアプローチにより、一眼画質の小型カメラという新しいジャンルを築こうとしている。今後ますます魅力的なモデルが世に出てくることだろう。とても楽しみである。

  • Google翻訳

    昨日、アーンドラプラデーシュ州首相、Y. S. ラージシェーカル・レッディー氏を乗せたヘリコプターが行方不明になっているとの報道があった。軍その他のヘリコプターを出動させて捜索にあたっているとのことだが、悪天候のため進展が思わしくないとのことであった。
    同日午後、インドの民放ニュースは、豪雨のため視界がゼロ状態で、ジャングル奥深いところに不時着することになったのかもしれないと伝えられていた。氏は、ある式典に出席するため10時45分にチトゥール地区に到着する予定であったが、離陸した後に9時35分から連絡が取れなくなっているのだという。
    ナッラマーラー森林地域を中心とするエリアで捜索が続いている模様だが、ラーヤルスィーマー地区内のこの地域は、極左組織ナクサルの活動が盛んな地域でもあるとのことだ。
    このニュースをいくつかブラウズしていると、デーニク・ジャーグランからニュース提供を受けているYAHOO ! INDIAの記事にたどり着いた。
    आंध्र के सीएम हेलीकाप्टर समेत लापता ( जागरण YAHOO ! INDIA )
    この記事を読んでいると、インターネット・エクスプローラーの画面枠にこんな表示が出ているのに気がついた。
    『これはヒンディー語のページです。Googleツールバーを使用して翻訳しますか?』
    私のパソコンでこんなものが出ているのに気がついたのは初めてだが、以前インストールしたGoogleツールバーは知らないうちにどんどんアップデートされているらしい。
    試しに『翻訳』タブをクリックすると、まもなくその訳文とやらが出てきた。
    ………………………………………………………………………..
    アーンドラCMは、行方不明のヘリコプターを含む
    ハイデラバード。アーンドラプラデーシュ州首席大臣RajasekharaレディバイスBegumpet空港からは18日午前9四半期の時間にヘリコプターが行方不明の後に今のところ見つかっていない。自分たちの懸念をKariytについての成長です。
    ツインエンジンのヘリコプター政府は、チットゥール地区で35分のフライトを失った時にいる船2人のパイロットVesli昇順また、幹事長大臣sのサブラマニアムや最高セキュリティ責任者を持つ校長に連絡Bjkr 9。
    検索操作に従事されている4つの空軍のヘリコプターを含む少なくとも3つのヘリコプターが、これまで欠落しているヘリとの接触を確立するために失敗しました。ている状態の秘書室長P.ラマカントレディこれは、自分たちのヘリコプターどこで窮地を脱する未知の場所、現地に向かったとみられる。
    彼は、今のところ任意の連絡先を確立していないと述べた。これは、強風や悪天候のために彼のヘリコプターがされている可能性がある未知の場所、ここで出てくることは困難ですで下車した。我々の前に夕日をされても、時間と大雨が限られている。
    鉛のヘリコプター2つの最終的な
    議会5月で、ロークサバーと議会選挙が59歳の主任大臣Rajasekharaレディの完勝で、イベントに出席するためチットゥール地区だった。 11の時の彼のヘリコプターが朝の4分の1チットゥールに上陸した。
    CMのが悪い天気、セクンデラーバードのために返さ空軍司令Hakimpetから2つのヘリコプターヘリコプターを追跡する。 3と空軍司令ネロールバンガロールから、民間のヘリコプターを中心Nllmala森林面積はコーミングがビジーです。ナクサライトRayalseemaエリアのこの地域はGDに考えられている。防衛省自衛隊の航空機は、この作業ではドライバなしにインストールされています。
    Rosayaチットゥール、Mahaboobnagarとクルヌール地区Rprkashm不足しているヘリコプターのがあれば詳細を表示され、すぐに届け出なければならない公共訴えている。警察、森林局は、キャンペーン全体のセクターの協力。
    彼は、首相官邸、ユニオンホーム部と国防部がされている間の状態議会大統領ソニアガンジーの事務所は常に接触している慎重にしている。家庭や省航空局のデリーでは不足しているヘリコプターからの接触はされていないと述べた。内務大臣チダンバラム個人的には状況を監視している。航空局長官メートルMadhavanはニューデリーナンビアーでは、ヘリコプターの任意のアドレスを持っていなかったと述べた。内務省の検索操作で協力しています。

    ………………………………………………………………………
    なんだか凄まじい翻訳である。
    分進秒歩といわれるデジタルの世界、私が初めてパソコンに触れたのはウィンドウズ95が世の中に広まってからだが、それから十数年のうちにハード面でもソフト面でも、当時とまったく比較にならないほど進化していることをひしひしと感じずにはいられない。
    もはや仕事にも生活にも欠かせないものとなっているし、『人間との勝負』でも、将棋やチェスといったゲームにおいて、名人と互角に渡り合うほど強くなっているというではないか。それでもまだコトバというものは、コンピュータの手に負えないほど奥の深いものらしい。
    仔細にチェックすれば、自動翻訳にどういうクセがあるのか、どこに弱点があるのかといった改善すべき点が見えてくるように思う。またイタリア語・スペイン語のように、ごく近い間柄にある言語か、相互の繋がりが薄いものとでは翻訳の出来具合がかなり違ってくるのではないかと思われる。
    もちろん、先に挙げたラテン系言語同士ほど近似した関係にある言語ではなくても、商業的に需要が高く、開発側も資金やエネルギーを注入しやすいもの、例えば日本語・中国語、日本語・韓国語の自動翻訳は、完成度がかなり高いものとなっていることだろう。
    言語間の翻訳はともかく、ウィンドウズに標準装備されている日本語入力システム、マイクロソフトIMEの漢字変換機能はいつまで経ってもなかなか改善させていないようでイライラすることがよくある。それがゆえにわざわざジャストシステム社が『日本語入力ならば我が社の製品のほうが断然優れていますよ』と同社の入力システムATOKを勧めたりすることができるし、これを用いたタイピングのスムースさに感激した消費者が購入したりするわけである。
    アーンドラプラデーシュ州首相のヘリコプター失踪事件から始まり、そんなこんなで取り留めのない話になってしまったが、私たち人間が用いる生身の言葉には、進化著しいITの力をもってしても、ちょっとやそっとではカバーしきれない深遠なるものがあることに、畏敬の念を抱いてしまう。もちろんこれとて、あと向こう10年ほどの間にずいぶん事情が変わってしまうのかもしれないが。

  • 世界へ広がるキングフィッシャー

    航空不況の中、意欲的に国際線進出を進めるキングフィッシャー・エアラインス。6月に『国際線もキングフィッシャー!』で取り上げたとおり、すでにバンガロール・ロンドン、チェンナイ・コロンボ、コールカーター・ダーカー、コールカーター・バンコク、バンガロール・ドバイといった路線を展開している。
    9月15日からはムンバイー・香港、翌日16日からはムンバイー・シンガポール間をいずれも毎日往復するようになる。これらに加えて近いうちにムンバイーからバンコク、コロンボ、ドバイへ、デリーからもロンドン、ドバイ、バンコクへの乗り入れが計画されている。
    それらだけではない。将来的には国外への発着が予定されているインドの都市はアムリトサル、コーチン、ハイデラーバード、トリバンドラムなどがあり、就航先も長距離のルートでは、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、カナダのトロント、ヴァンクーヴァー、欧州ではジュネーヴ、マドリード、アムステルダム、オーストラリアのシドニー、南アフリカのヨハネスブルグへの乗り入れを視野に入れているという。
    中・近距離においては、中国の北京、広州、上海、湾岸諸国ではドーハ、シェルジャー、マスカット、バハレーン、マレーシアのクアラルンプルなどが候補地に挙がっているとともに、SAARC加盟の近隣国でもネパール、モルジヴ、パーキスターンへの乗り入れが検討されている。
    上記のプランが、いつごろまでにどの程度実現するのかはまだよくわからないが、昨年9月にバンガロール・ロンドン便で国際線デビューを果たした同航空会社が、今年9月中旬までに海外に7都市(ロンドン、コロンボ、ダーカー、ドバイ、バンコク、シンガポール、香港)の就航先を持つに至るという勢いには驚かされる。
    世界的な不況の中、多くの航空会社がリストラに励んでおり、減便や就航先の縮小といったニュースに事欠かない昨今、キングフィッシャーの拡大攻勢には『本当に大丈夫なのか?』という気がしなくもないが、こうした情勢をよそに国際的にも知られたキャリアへと成長していくのだろうか。今後も同社の進展には注目していきたい。

  • インド検定

    インド検定というものが始まるのだそうだ。
    検定という名前が付いていても、本格的な資格を得られるものではなく、インドに関するクイズの類のようだ。インド株で運用する投資信託を日本で扱う会社が開設し、インド・ビジネス・センターに運営を委託したものである。
    その『検定』は、初級、中級、上級と三段階に分かれている。初級以外は現在まだ準備中である。
    体験版も用意されており、こちらは特に会員登録することもなく無料でトライアルできる。
    まだ正式にスタートしていないようなので何ともいえないが、あちこちで××検定という文字を見かける検定ブームの昨今、ついにインドを題材にしたものが登場したということになるのだろう。
    だがこれをきっかけに、インドの歴史、文化、社会、政治等各方面に関心を持つ人が増えてくるならば、とても喜ばしいことである。

  • ポーカラーの日本語教室

    H学院
    半日歩き回って、レイクサイドに戻るとかなり暑くなっていた。この時期、ポーカラーの午前中早い時間帯は涼しくて快適なのだが、昼前くらいからずいぶん気温が上がってきて、午後になると汗だくになる。WiFi付きのレストランでしばし休憩する。
    ここの上階は、H学院という日本語教室になっている。レストランの従業員の中の1人もここで学んでいるとのこと。彼が言うには、教え方が非常に上手くて理解しやすいとのこと。しばらくすると、その教室で学んでいるという人たちがポツリ、ポツリと集まってきた。午後4時半からレッスンが始まるそうだ。こうした彼らからヒンディーで話を聞けるのだから、隣の大国インドの言葉は重宝する。
    ネパールでは広くヒンディーが通じる。これを母語とする人は総人口のわずか1%程度でしかないというし、この言葉による出版活動はほとんど無に等しいようだが。もともとネパール語がヒンディー語圏の外縁部にあり、文法や語彙の点で近似する部分が多いこと、インドに出稼ぎに行く人がとても多いことに加えて、テレビ番組や映画などを通じ、ヒンディー語に触れる機会が非常に豊富だ。ゆえに人によって置かれた環境により差はあれども、自然と素養が身につくものらしい。
    広く通じるからといって、またエンターテインメント等で馴染んでいるからといって、諸手を挙げてこの言語に親しみを感じているかどうかはわからない。最近、このヒンディー語に関して大きな問題が生じている。昨年ネパールの初代副大統領となったパルマーナンド・ジャー氏が就任式の宣誓をヒンディーで行なったことは違憲であるという議論について、司法判断を仰ぐ事件にまで発展しているのだ。
    SC orders VP oath in 7 days (Himalayan Times)
    パルマーナンド・ジャー氏は、テライ地方のマデースィーと呼ばれる民族の出身。インド側では主にビハール州北部に、ヒンディーの方言であるマイティリーを話す同族が住んでいるわけだが、これまでネパールで政治的に不利な待遇を受けていた彼らの地位向上を目指すマデースィー人権フォーラムのリーダーである。
    事の本質はもちろん、ヒンディー語に対する感情論などではなく、ネパールの国政をあずかる副大統領という地位に就く者が、憲法によれば当然ネパール語により宣誓を行なうべきであると解釈されるところを、他の言語で行なうことがふさわしいものであるかどうかということであるのだが。
    話はH学院に戻る。しばらく生徒たちと話をしていると、ここで教えているという男性が姿を現した。ここの経営者であり、教員でもあるL氏は、10年ほど前に始めて日本語に触れ、その後は研修生として日本で暮らした経験があるのだということで、しばし日本語で話をうかがう。
    彼は毎日午前6時、正午、午後4時からと、それぞれ2時間ずつ教えている。『もしよかったら授業を見ていってください』とのことなので、生徒たちと階段を上り、教室にお邪魔する。
    生徒たちは、ほぼ全員が商売で日本語を使おうとしている人たちで、年齢は20代前半から40代までと幅広い。授業開始後が始まったが、しばしば生徒たちの携帯電話が鳴り、教室の外に出て話などしている。
    教えている内容は特にどうということはなく、先生が教える文法には怪しげなところが少なくないし、語彙の面でも不足している部分が多い。また漢字にいたっては、ごく基本的な文字以外は知らないようだ。正式な日本語教育を受けたことがないらしく、こればかりは仕方ない。
    それでも、ゆったりと自信に満ちた余裕ある態度で、また先生らしい威厳を保って教壇に立つ姿は、ここで学ぶ人たちに信頼感を与えるのだろう。持てる日本語知識は決して高いとは言えないものの、持てる力をフルに活用して創意工夫を加え、日本語とネパール語を交えて、豊富な実例を挙げながら生徒たちに教えている。教授能力はかなり高い人物であるようだ。
    基本的に板書はしないし、それに重きを置いていないので授業にスピード感があるが、生徒たちは積極的に反応しており、見ていて気持ちがいい。生徒たちは、先生の問いに対して競うように答え、新たな言い回しが出てくると級友同志ですぐに実践してみたりと、早く日本語を身につけたいという旺盛な意欲が感じられる。
    一応、教科書らしきものはある。しかし会話が中心で、あまり読み書きは重んじていない。教える側の日本語能力の関係もあるのだが、生徒たちの目的である『商売人として日本人とある程度の会話ができるようになる』というニーズに適うものとなっている。
    教室に集まる生徒たちは、基本的に仕事を持っている人たちであるため、授業開始からだいぶ経ってから教室にノッソリと入ってくる人たちもあるが、それでも着席してから熱心に学ぶ姿勢は同じだ。
    授業がある程度進んでから、L先生に『日本の文化について話してください』と言われた。突然のことで、何を話そうかと思ったが『日本の時間感覚』について話すことにした。
    日本では時間に対して厳格であること。通勤電車がトラブルで10分遅れただけで新聞記事になるほどである。仕事のスケジュール等も同様で、個人的にはもうちょっと応用でもいいのではないかと思うのだが、まあそういう風土なので仕方ない。日本に住んでいる南アジア系の人々が、日本人も交えて何かを行なう場合、『時間はJSTで!』という言い方をすることがある。これはJapanese Standard Timeの略だが、ネパールよりも3時間15分進んでいるということではなく『日本式の時間感覚で』という意味である・・・などといったことを話してみた。
    この後、先生は私が話した『日本の時間感覚』をテーマにして授業を進めていく。その中で、『日本では出勤に10分遅れるとその日の給料はパーになる』と話しており、彼が研修生として働いていた場所では、そうした慣習がまかり通っていたことがうかがわれ、気の毒になった。
    そうした話の中で、ある生徒は『ネパールの時間の感覚は、私たちの大切な文化でーす』と答えて皆の笑いを誘っている。眺めている私には、この気取らなさが楽しい。
    言葉を習うには人それぞれの動機や目的がある。学術目的で学ぶ者があれば、仕事や生活その他必要に迫られて習う者もある。今回訪れたのは後者だが『新たな言葉を身に付けたい』という意欲に満ちた教える側の熱意と教わる側の意欲がぶつかり合う現場に身を置くのは久々で、なかなか新鮮な体験であった。

  • 先達なき道

    やはり実績ほどモノを言うものはないということなのだろう。今年5月にLTTE最高指導者を殺害することにより、1983年から長期に渡り続いた内戦の終結を高らかに宣言したスリランカがパーキスターンに教えうるものは少なくないらしい。
    Sri Lanka to train Pakistani army (BBC South Asia)
    スリランカは、パーキスターン軍に対する訓練を与えることを打診されているのだとか。上記の記事中には、スリランカのすでに同様のトレーニングを米国、インド、バーングラーデーシュおよびフィリピン対して実施しているとのことだ。
    パーキスターンにおいて、バルーチスターンで長く反政府武装組織による活動は続いてきた。だがそれとは比較にならない大きな問題が、近年イスラーム原理主義過激派武装組織の著しい台頭だ。近年は、大規模なテロ事件をはじめとする様々な挑発や破壊行為、こうした組織による特定地域の実行支配とその拡張、本来の行政機構とりわけ警察や軍との緊張等々、気になるニュースが日々伝えられるようになっている。
    彼らの存在は、不安定な同国の政治基盤をゆるがすものとなりかねない。2008年2月の総選挙後にはおそらく国政を担うことになると思われたベーナズィール・ブットー氏がその前年2007年12月の遊説後に暗殺されたことは記憶に新しい。そのわずか2ヵ月ほど前に帰国する前後から、彼女を好ましく思わない組織から幾度も脅迫を受けていたことは周知のとおりである。
    またパーキスターンを本拠地とする組織による、隣国インドへの度重なるテロ事件は外交上の大きな障害になっている。これらの組織を取り締まるべき政府の当事者能力の問題もさることながら、今後パーキスターンそのものが、自国ならびにインド以外の第三国対するテロ実行犯の出撃基地となるのではないかという、さらに大きな危惧もある。 加えて、近い将来に事実上の核保有国が、こうした勢力を含む原理主義的なスタンスを取る勢力に乗っ取られたらどうするのかという悪夢さえも決して否定できるものではない。
    こうした事態に至るまでに長い伏線があった。パーキスターンの歴代政権が、軍政・民政両時期を通じて対アフガニスタン工作ならびに内政の運営においても、こうした勢力を温存しつつ利用してきた過去のツケであるといえる。かつては時の政権に都合よく操られてきた勢力も今では力を充分蓄えており、政府そのものと競合するところにまで成り上がってしまった。
    そうした中、パーキスターン軍が、国内の騒擾を鎮圧した先達としてのスリランカから学べるものは少なくないのかもしれない。だがスリランカにしてみても、長らく政府と対峙してきた武装組織が壊滅し、その首領も死亡したとはいえ、そもそも長く続いた武装闘争の原因としての、政府に対するタミル系の人々の反感との土壌となっている部分が解消されたわけでもなく、根本的な解決に至ったと評価することはできない。
    腕力で捻じ伏せた相手がそのまま黙って服従するのか、あるいは彼らの胸の中で大きな渦を巻く怒りの奔流がふたたび堰を切って立ち上がるまで、束の間の『空白期間』に過ぎないのか、まだよくわからない。
    スリランカのタミル人たちによる分離活動は、当初複数の勢力が並立する形であったものが、次第にLTTEという組織に集約されるようになった。その中でも最高指導者であった故プラバーカラン議長の存在は突出していた。そのため昨年後半からのスリランカ政府軍による大攻勢と『LTTE首都』キリノッチ陥落、北東海岸地域に背走する残党を掃討、親玉のプラバーカラン殺害による『反乱終結』という構図は明解であるように見える。
    パーキスターンの不安定要因のひとつとなっているイスラーム武装組織の場合、LTTEのようにひとつの核からなるものではない。そうしたグループないしは運動が多極的であり、特定の指導者を叩いてみたところで、それが終わるものではない。これは民族の枠組みの中に限定される運動ではなく、彼らの理想、教条、行動に感化される可能性のある人たちが住んでいるところならば、どこにでも広がり得るという特徴もある。
    攻撃の矛先が向くのも、居住国の政府はもとより、彼らが自分たちの運動に敵対的な立場を取る国ならばどこでも攻撃対象となり得る、極めてユニバーサルなリスクだ。アフガニスタン、パーキスターンに続き、同様の窮地に陥る国が今後出てくるかもしれない。
    8月5日、米軍の空爆により、パーキスターンのタリバーン運動の指導者、ベートゥッラー・メヘスードの死亡を伝えるニュースが流れていたが、このほど彼の直近の部下であったズルフィカール・メヘスードがその地位を継いだことが確認されている。死亡した旧指導者は、まだ34歳という年齢であったが、彼を継いだズルフィカールは28歳とさらに若い。『向こう見ず』という評もある彼は、今後どんなプランを練っているのか。
    彼らと対峙するパーキスターンが模範とすべき前例は存在しない。彼ら自身が事例を積み上げていくことになる。先達なき道を歩んでいかなくてはならないことから、この国の指導者たちの知恵が試されるところだ。同時に、周辺国を含めた国際社会は、パーキスターンに対して、どういう形で協力の手を差し伸べることができるのかという意味でも、まさに世界全体の英知が問われているといっても過言ではないだろう。
    昨年11月に起きたムンバイーのテロ事件は、決して印パ二国間の問題であると割り切れるものではなく、次の10年には他の国々にも降りかかってくるかもしれない脅威の前触れかもしれない。パーキスターンの現状から、私たちが学ぶべきこと、試みるべきことは多いに違いない。さりとて誰が何をすれば良いのか誰にもよくわからないのが現状だ。
    手本とすべき先達がなく、頼りになる道しるべさえもない危険なルートに踏み込むパーキスターンを独りで歩ませるのは、果たして賢明なことなのだろうか。

  • ニッポンは選挙真っ盛り

    インドとはまったく関係のない話で恐縮である。今月末に投票日を控えたニッポンの総選挙をめぐり、政権交代を睨んだ様々なニュースが過熱気味だが、最近各政党から最近リリースされた宣伝ビデオがなかなか興味深い。
    そうした作品の中でも特に面白かったのが自民党によるこのビデオである。

    自民党を追い落とそうかという勢いに見えるものの、根拠のない口約束ばかりが耳に付く民主党への強烈な当て擦りで、思わず噴出してしまった。
    是が非でも与党の座を得たいがためにシャカリキになるのはわかるが、政権を担うようになってからのヴィジョンが感じられないと揶揄する次のビデオも『うむ、そのとおり』とうなづいてしまう。

    リーダーたちの『ブレ』を皮肉るこの作品もなかなか良かった。

    どの作品も良く出来ているのだが、当の自民党にしてみても他党に対してこうしたネガティヴ・キャンペーンを繰り広げることができるほど立派な行ないをしてきたのか?と多くの人々が感じることだろう。それならば今後のことは政権交代してもらってから考えようかと。
    ところで民主党からはこんなアニメがリリースされているが、あまりインパクトは感じられない。私は自民党支持者ではないが、少なくともこの部分では民主党を打ち負かしているようである。

    宗教団体を母体とする政党としては、公明党からこうしたものが出ている。

    アニメではないが、圧巻なのは幸福実現党の『北朝鮮の核ミサイル着弾』かもしれない。なかなかリアルで怖いドラマだが、果たして国家予算が日本の滋賀県ほどでしかない国が核を持ったからといって、それほどまでに大きな脅威であるかどうかははなはだ疑問だ。

    共産党は相変わらず生真面目だが、そういう地味さがゆえに、庶民にとって厳しい時代にありながらも、いまひとつ人気の伸びに欠けるのだろうか。

    自民党が政権を死守するのか、それとも前評判どおりに民主党が大きく票を伸ばして政権交代を実現するのか。国民による審判が下されるのは今度の日曜日である。

  • 街角

    カトマンズのタメルの夕暮れどき、『そろそろ食事にしようか?』と歩いていると、このあたりに多いスーパーの店先で、10歳前後くらいの男の子たちが仲間たちと額を寄せ合っている。彼らが手にしているのは、空になった牛乳のビニールパックであり、嫌な予感がした。
    よくよく見ると金属チューブから何か絞り出してそこに入れて、ふくらませた袋から息を吸い込んでいる。おそらく有機溶剤の含まれた接着剤に違いない。
    その日の昼間も他の街角で、堂々と同じようなことをしている子供たちの姿があった。歩道の向こうから歩いてきた二人連れの幼い子供たちが、同じようなビニール袋を手にして交互に吸い込んでいる。ちょっと歩いていて気がつくだけでもこんな具合なので、私の知らないところではもっといろいろなことが起きているのだろう。
    ネパールで、子供たちをめぐる問題は他にもいろいろあるし、ここ以外の国々でも同様だ。子供たちが置かれた家庭、環境、教育、社会等々、さまざまな形でいろいろな事例があり、そうした事柄を告発するメディアがあれば、積極的に働きかけようという団体もある。
    しかしながら、そうして解決の糸口を探している間にも、いろいろな問題行動を重ねて身体を壊したり、より深刻なものに手を出していったりする子供たちは大勢いる。そうした子供たちをいいように利用する大人もあれば、子供たち自身が犯罪に手を染めることもある。
    こうした子供たちもやがては大人になり、何らかの形で社会の一部を構成するようになっていく。自分で将来を切り拓き、自らの居場所を見つけなくてはならない。
    この子たちに将来はあるのか?と思うと暗澹たる気持ちになるし、そういうことをしながら育った子たちが、どういう大人になるのかと想像すると、これまた空恐ろしい気がする。
    都市化が進み、特に商業地で、そこで商売等で出入りしたり働いたりする人たちと地域社会との縁が薄くなり、周囲の人たちが『赤の他人化』していくと、そうした子供たちを注意したりする大人も少なくなる。
    子供たちもまた、他のエリアから監視の目の甘いところに行って大胆な行動をすることもあるだろう。そうした子供たちの影には良からぬ大人たちの姿もチラついているかもしれない。
    子供たちを律することができなくなってくると、相手が大人ともなると言わずもがな・・・である。どこの国でもいえることだが、地域を大切にするため、私たちがしなければならないことは、周りの人々の様子に目配り・気配りをすること、地域の様子に関心を持って積極的にかかわっていくことなのだろう。
    それは都市化によって生じる、地域の人々の『他人化』と相反することであり、生易しいことではないが、決して放置しておいて済むものではないと思う。もちろんこれはどこぞの国や街に限ったことではなく、およそどこに暮らしていても私たちが気に留めていなくてはいけないことだと思う。

  • ナガルコート 3

    雨雲迫る
    昨日は『閑古鳥の鳴く雨季のナガルコート』と書いたが、近年この季節はそうヒマでもないのだという。
    ナガルコートを訪れる人たちは乾季にドカッと集中していたのだが、最近はこの時期にネパール人客が増えているそうだ。ちょうどインドのヒルステーションに、平地の都市部の人たちがワンサカ押し寄せるように、雨季でもけっこう暑いカトマンズの中産階級等の人々が、ナガルコートにやってくるのはわかる気がする。
    先述のとおり日帰りも充分可能な距離だ。ネパールの首都ではそれなりの可処分所得を持つ中産階級が台頭していることの証ともいえるだろう。
    避暑地といっても、宿泊施設その他の商業地の密度が薄く、霧の中にボンヤリ浮かび上がる松の木々の景色は、どことなくインドのヒマーチャル・プラデーシュのカサウリーを思わせるものがある。もちろん英軍の香りが色濃く残るカサウリーその他、インド各地で旧英領時代以来の伝統を持つヒルステーションには、新興避暑地には真似の出来ない伝統や雰囲気があり、これをナガルコートと比較することはできない。
    だが、このナガルコートの尾根から、冬季の晴れ渡った朝に眼前に広がる雪を冠したヒマラヤのパノラマほどの見事な景色(今回の私たちは結局写真で見ただけであるが・・・)は、多くのインドのヒルステーションで望むべくもない。
    夕方近くなってから、雲がだんだん厚くなってきた。西のほうでは山肌がずいぶん暗くなっており、そこでは雨が降り出しているようである。だんだん霧のような雲が近づいてきたと思ったら、激しい雨が降り出してきた。すでにテラスは雲の中に入っており、すぐ目の前や階下の様子さえも見えなくなっている。ちょうど冬のデリーの濃い霧のようである。
    大雨がやってきた
    すっかり暗くなってから雨は上がった。テラスに出ると、薄い上着があってもかなり寒い。しかし雨の後で空気が澄んでいるためか、山間に点々と灯がともっているのがわかる。地上に星を降り撒いたようで美しい眺めだ。
    山の中の村であっても、また夜10時すぎというのに、ずいぶん夜更かしだな?と思いきや、宿の人の話しでは『農村では泥棒対策のために、電気を点けたまま寝るのが習慣になっているんだよ』とのこと。そうした灯の数を見て「こんなに家があっただろうか?と思うのだともいう。確かに、眼下にちょっとした町がいくつも点在しているかのように見える。
    雨上がりのしっとりとした空気、ここのところ蒸し暑さで毛穴が開いたようになっている身体に冷たい空気がピリッと心地良い。さきほどまで部屋の中で絵を描いていた息子に、テラスから声をかけると返事がない。窓越しに覗いてみると、すでに毛布にくるまって気持ちよさそうに眠っていた。