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投稿者: ogata

  • 飛行機に立ち乗り?

    飛行機に立ち乗り?

    ローコストを売りにする新興航空会社の伸長著しいアジア各地。日本はその波にすっかり乗り遅れた感がある。インドでも2000年代に入ってから航空会社の数が増え、多くはチケットのネット販売中心の低価格のビジネスモデルで既存市場に切り込む、あるいは新規路線を開拓するキャリアだ。 

    結果としてフライト数の増加は国内の空港等をはじめとする関係施設の整備を促し、航空券が低廉化することにより、経済成長に伴う可処分所得増と相まって、飛行機を利用できる層が大幅に増えることとなった。 

    新興航空会社の中でも安易な価格競争のみに走ることなく、競合他社との差別化を明確に打ち出して自社をブランド化するキングフィッシャーのような成功例もある。近ごろの同社は国際線への進出も加速させている。 

    それでもアジアにおける新興航空会社の華やかな主戦場はインドであるとはまだまだ言えない。やはりこの流れをリードしているのはインドの東、アセアン諸国で『多国籍化』しているエア・アジアならびにその関連会社を筆頭とする格安航空各社だろう。すでに域内で国境を越えて格安航空会社がシームレスに行き来するシステムが出来上がっている。 

    シンガポールを本拠地とするタイガー・エアウェイズは、すでにバンガロール、チェンナイ、トリバンドラム、テイルチラッパリといったインドの都市に就航しているが、飛行時間が1時間程度の短いもの(そのためインド便は対象外)に限り立ち席の導入を検討している。これにより乗客の支払う運賃は十数米ドル程度になる見込みだ。 

    この『立ち席導入検討』の口火を切ったのはアイルランドの航空会社ライアン・エアーだが、それに先立ち体重の重い乗客から追加料金徴収、トイレ使用の有料化などといった提案により物議を醸してきた。 

    飛行機の立ち席が具体的にどういうものかについては、下記リンク先の動画をご参照願いたい。もちろん何もないフロアーに立つわけではなく、乗客が身体を固定する装置が用意される。それでも離陸の際にはちょっとスリリングかもしれない。 

    Plans for new standing area on Ryanair flights (Youtube)

    目下、安全面からの検討の余地があるようだが、立ち席の装置のスタンダードが確立されれば、この流れは他国に間もなく波及することだろう。インドにおいても飛行時間が1時間前後あるいはそれ以下のセクターは多いため、他国での動きを注視しつつ導入を考えているところもすでにあるのではないかと思う。 

    実は90年代初めに飛行機の『立ち席』を見たことがある。カンボジアの国内線でシェムレアプからプノンペンに戻る際、なぜか乗客のうちの1名が席からあぶれてしまった。驚いたことに、客室乗務員は何食わぬ顔で、乗客に『通路に座るように』と指示していた。離陸の際、彼は緊張した面持ちで腰を下して右側の席の手すりにしがみついていた。水平飛行に入ってから目的地が近づいて着陸態勢に入るまで、その人物は通路に立たされていた。 

    当時のカンボジアは、総選挙のために国連が平和維持活動を行っていた時期であり、あらゆる面において現在とはずいぶん違う異なるものがあった。 

    隣の乗客と『こんなの初めて見たなぁ!』とビックリしながら話し合ったものだが、運賃の低廉化とともに近い将来には『立ち席』がごく当たり前の風景になりつつあるのだろうか。

  • 憎悪の連鎖

    世界を震撼させたアメリカの同時多発テロから9年になる。不幸にも被害に遭われた方々やその遺族の方々は言うまでもなく、『9/11』がその他の私たちに与えたインパクトは大きかった。まさにあの時を境に『世界は変わった』と言えるだろう。 

    被害者といえば、また事件直後のアメリカでは、外見から中東あるいは南アジア系と見られる人々に対する襲撃事件が相次ぎ命を落とした例も少なくないし、事件後アメリカが取り巻きの国々とともに直ちに取った『テロとの闘い』の名の元に展開させた報復行動により、この世から葬り去られたアフガニスタンとイラクというふたつの国(の政権)とそれと命運を共にした当時の体制側の人々やその巻き添えになった無辜の一般市民たちも同様だ。 

    サッダーム・フセイン政権が崩壊直後、それまで厳しく社会を律してきた治安機構そのものが不在となったイラクでは、それまでこの国で長らく弾圧の対象となっていた思想や信条を抱く集団が大挙して周辺国・地域から流入して、強力なリーダーシップで国を率いてきた独裁者のいなくなった『新天地』に地歩を固めることとなり、イラクの社会に混乱と暴力を、人々に怖れと生命への不安をもたらすこととなった。 

    アメリカは『イラクに民主主義をもたらした』と言う。確かに野心と才覚を持ち合わせた個人が策略を弄して上へ上へとのし上がることのできる自由は与えられたかもしれない。だがそれよりもずっと沢山の人々が、上昇しようにも見えない天井があるものの、彼らの社会に課せられた規範を踏み外さない限りは、生命や財産の心配をすることなく日々安心して暮らしていくことのできる社会とどちらが大切だろうか。 

    ご存知のとおり、イラクは確認されている原油埋蔵量は、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の1,120億バレル。しかも埋蔵量の9割は未開発であるとされ、本来ならば非常に豊かな国である。人口およそ3,000万人のイラクでは豊富な石油関係の収入を背景に、1990年8月2日に起きたイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸危機とこれに続く国連による経済制裁や湾岸戦争以前には、それなりに豊かで安定した市民生活が営まれていた。市民や外国人が過激派に誘拐されて殺害されるようなことなど想像もつかない、極めて良好な治安が保たれてもいた。 

    『9/11』やその後の一連の動きの中で被害に遭った人々たちの住む地域や社会的な背景は様々であり、思想や信条による色分けはない。たまたま犯人たちが特定の宗教を信仰することになっている人々であった。だがその事件とこれに対する報復劇の最中には、関連地域に生活するキリスト教徒であれ、イスラーム教徒であれ、あるいはユダヤ教徒も大きな被害を受けてきた。事件そのものが政治化されたがゆえの未曾有の『災害』だ。 

    この災害はイラクに先立ち、1978年以来続いてきた内戦の復興からほど遠いアフガニスタンをも呑み込んでしまった。こうした『政治的災害』は、今なおそのエネルギーは衰えることなく、地殻のすぐ下で不気味な響きを立てているその奔流は今後どこへと向かうことになるのか。 

    こうした災害をもたらした『政治屋』たちの謀略をよそに、アメリカで『未知なる人々への憎悪』という市民の間からも火の手が上がりつつあることについては、これまでとはまた違った注意が必要なのではないかと思う。 

    あるキリスト教系の団体が、今年の9月11日をイスラーム教の聖典であるクラーンを集めて、これらの焚書を実行すると宣言している。 

    9月11日にコーラン焼却集会を計画 フロリダの教会 (CNN.co.jp)

    彼らは嫌イスラームの姿勢で広く知られており、同教団のウェブサイトでは、反イスラームのメッセージを伝えるTシャツや書籍の販売も行なっている。 同サイトには、この教団による『クラーンを燃やす10の理由』『クラーンを燃やすあと5つの理由』といった主張も書かれている。 

    他者に対するこれほどの過激な姿勢については、まさに『カルト』と表現するほかなく、彼らの主張がアメリカや他国の大衆や世論をどれほど感化するのかといえば、その影響力はごくわずかなものであると信じたい。それでもイスラーム社会全体を敵とみなすこうした団体の存在は大変センセーショナルであることから、メディアによる取材・報道の格好の材料となる。ゆえに国内外に与える社会的なインパクトは大きい。 

    彼らの行動は、イスラーム原理主義過激派により反米感情を煽る格好の材料として使われる。イスラーム社会に暮らす大衆の間で『反米・反キリスト教』感情をかきたて、彼らの側でも『未知なる人々への憎悪』の炎を燃え上がらせることになる。今後もアメリカ政府機関や多くの罪なきアメリカ国籍の一般人たちがテロや誘拐といった暴力行為の標的となる理由づけに利用されることは想像に難くない。多くは直接出会ったこともないし、声を交わしたこともない未だ見ぬ人々同士の間での憎悪の連鎖を断ち切るにはどうすればよいのだろうか。 

    交通や通信手段の発達により、世界は狭くなったとはよく言われることだが、地域・信条・思想を越えての人々の距離はそう簡単には狭まることないようだ。むしろコミュニケーション手段の進化とともに、疑いや憎悪といったネガテイヴな感情がいとも簡単に国境を越えて人々の間でこれまでにない速度で伝わることが可能となっていることについて、大きな不安を抱かずにはいられない。

  • 日本式の食事処 2

    そんな『和食圏外』のインドで、しかも都市圏から遠く離れていながらも健闘している和食レストランがある。ダラムサラのマクロードガンジにあるルンタ・レストランだ。 ルンタ・ハウスという建物の中にある。 

    NGOルンタ・プロジェクトが、現地のチベット難民たちによるNGO組織であるグチュムスの会とともに、難民に対する職業訓練施設を兼ねて運営しているものだ。ルンタ・レストランは彼らの活動のための収益部門のひとつである。 

    そんな訳で通常のレストランとは性格が異なるのだが、ここはずいぶん繁盛している。日本人旅行者その他の滞在者による利用とともに、ロンリープラネットにも紹介されているため西洋人客が非常に多いことも特徴だ。またインド人観光客の姿も散見される。 

    パッと見た感じでは、店内に日本式食堂という雰囲気はあまりないが、奥の方には座敷風になっているコーナーがあってくつろげる。 マクロードガンジに多いツーリスト向けのレストランやカフェの中のひとつだが、店内が広くてキビキビしたスタッフの応対が良いことに加えて、普通ならば日本国外ではかなり高い値段の付く日本式の料理を、バックパッカー向けの食堂の価格で提供していることが人気の理由だろう。 

    お好み焼きが50Rs, かき揚げ丼は60Rs, 日替わりの定食(巻き寿司の日もあり!)は120Rsといった具合だ。日本国外で『和食』を謳うレストランの中で格段に安い。他にもうどんや日本風のカレーライスもあり、どれも男性客にとっても充分な分量が出てくる。パンやデザートといった洋風のアイテムもある。ピュア・ヴェジのアイテムもあるので、菜食主義のお客も安心だ。 味のほうは、質実剛健というか、男の手料理というか、ちょっとごっつい感じはするものの、私たちが普通に作って食べている家庭料理といった印象だ。 

    日本人観光客や滞在者が多いとはいえ、『和食圏外』の国で、しかも都市圏から遠いこと、また値段の面でも格安であることから、NGOの収益部門であることも併せて、通常の和食レストランとは異なる型破りな存在である。 運営母体であるNGOの活動はもちろんのこと、ルンタ・レストランの今後ますますの繁盛を期待したい。

     <完>

  • 日本式の食事処 1

    海外にある日本式の食堂、和食レストランといえば、主に日本人在住者や訪問客が多いところ、あるいは現地で日本食に関心の高いエリアという、言うまでもなく大きなマーケットが成立する場所に出店している。それらは往々にして大都市である。 

    裾野の広がりがグローバルな中華料理やファストフードの類と異なり、まだまだ日本の『民族食』的な色彩が強いため。縁もゆかりもないところにいきなり出店というケースはあまりない。『日本ブランド』は、世界中どこに行っても評判の高いクルマや家電製品などとは違い、食の分野ではマイノリティだ。現地にそれなりの『和食文化』的なインフラが存在していることが不可欠だ。 

    多くは個人事業主による出店で、日本人がオーナーであることが多いが、同様にかつて日本に留学した経験があったり、働いた経験があったりするなど、日本とのゆかりの深い現地の人が開業した店も数多い。また日本人と現地の人による共同経営(日本人とその配偶者である地元の人という組み合わせを含む)もよくみかけるところだ。 

    特に日本企業が多く進出しているところでは、接待などで使われるような高級店も少なくないが、日系企業オフィス近隣でランチや仕事帰りに一杯引っかけるのに利用してもらうような店、単身赴任者を主に相手にしているような大衆食堂と居酒屋を兼ねたような店も多い。 

    大衆食堂風とはいえ、途上国においては現地の気楽なお店に比べるとずいぶん高いため安食堂とはいえない。主な顧客層といえばたいていは日本人客ということになる。 

    これらとは別に、近年は日本の外食チェーンの海外進出も盛んになってきており、和食では大戸屋がタイ、台湾、香港、インドネシア、シンガポールにいくつも出店している。居酒屋の和民はアジアの複数の国々で展開している。 

    また『和食』と表現していいのかどうかわからないが、日本発の食としてのラーメンを味千ラーメンが中国、韓国、東南アジア、北米、オセアニアに進出しているし、餃子の王将が海外展開するのは、本場中国の大連だ。 

    日本式カレーのCoCo壱番屋もアジア5か国とハワイに店を出している。海外でも日本国内と同じルーを使用しているという。なんと6年後あたりを目途にインドへの進出を画策しているようだ。日本のカレーがインド上陸となれば、日本国内での話題作りにはなるかもしれないが、これについてはレシピそのものを根本から見直さなくてはならないだろう。

    和食ないしは日本式の食事関連以外にも、イタリアンのサイゼリヤ、ステーキが中心のペッパーランチも積極的に海外に進出している。 

    こうした日系の外食チェーンの主戦場は東アジアと東南アジアの大都市だ。各国・地域の消費文化の中心地でもある。もともと味覚、食材、調理法などで共通するものが少なくなく、親しみやすいこと、サブカルチャーやファッションその他の面でも日本の影響が濃く見られることなどからも、和食ならびに日本食以外の分野についても『日本ブランド』がそれなりの浸透力を持つことができる。

    そのため地場資本の外食チェーンでも『和食』アイテムを取り上げるところが増えてきており、現地レベルの庶民的な価格で日本食らしきものを食べることができるようにもなりつつある。 

    ただし食事の分野において日本のネームヴァリューがまったく通じないところも少なくない。欧米においても都市在住者以外では日本食といっても『中華料理と違うのかい?』とまったくイメージさえ沸かない人は少なくない。また同じ『アジア』の中でもヒマラヤの西側の国々となると一気に『和食圏外』となる。とりわけ中東あたりまで来ると、刺身や寿司の類を『奇食』ととらえる人さえ少なくない。 

    インドやスリランカあたりで大都市には和食レストランがいくつかあるが、いかんせん『圏外』であるため、東アジアや東南アジアでの和食に比べると、食材の供給の問題もあるがコストバリュー、ヴァリエーションともに著しく低くなってしまうのは致しかたない。 

    <続く>

  • 代々木公園で『スリランカ』『インド』

    暑くも短い日本の夏が過ぎようとしている。本格的な秋の訪れはまだ少し先だが、再び屋外のイベントを快適に楽しめる時期がやってくる。

    東京渋谷区の代々木公園で、9月11日(土)ならびに12日(日)に『スリランカフェスティバル2010』が、そして同じ9月の25日(土)と26日(日)には『ナマステ・インディア2010』が開催される。

    『ナマステ・インディア』にて、一昨年はスワーミー・ラームデーヴ、昨年はカラン・スィンが来ていたが、今年もそうした目玉となる人物の来日はあるのだろうか?

    それらの日程の間にあたる9月18日(土)と19(日)には『ベトナムフェスティバル2010』という催しもある。

    季節柄、台風がやってくることでもなければ、まずまずの気候でのんびりと休日を過ごせるのではないだろうか。

    秋は代々木公園で良い週末を!

  • エコノミスト『インド攻略』

    エコノミスト『インド攻略』

    現在発売中の週刊エコノミスト(9月7日号)の特集記事は『インド攻略』だ。 

    外国企業にとっての草刈り場してのインド、同国市場における日韓企業の対決、小売革命、ジェネリック薬の生産・輸出大国、デリー・ムンバイー産業大動脈等々といった見出しが並ぶ。経済というモノサシから俯瞰したインドが描き出される。

     言うまでもなくインドのメディアの経済関係記事とは異なり、日本からの視点に立ったものであるため、日本のビジネスマンたちがインドのどのあたりに関心を抱いているのか、巨大市場の中での日本企業の位置取りといった、観念的なものではない経済活動という極めて現実的な日印関係を簡潔に俯瞰することができる。

    書店で見かけたら一読してみるといいかもしれない。

    週刊エコノミスト『インド攻略』(9月7日号)

  • GR Digital Ⅲ

    GR Digital Ⅲ

    久々にカメラについての話題を取り上げてみたい。2009年8月に発売されてから1年経過のGR Digitalシリーズの現行機である。値段もかなりこなれてきており、発売直後は7万円台であったように記憶しているが、現在は販売店によるが、安いところでは4万円強で売られている。

    初代GR Digitalは2005年10月に発売された。後継機のGR DigitalⅡは2007年11月、そして現行のGR DigitalⅢは2008年8月にリリースされた。コンパクトデジカメとしては2年間というサイクルはかなり長い。GRシリーズの次期モデルが出るまであと1年くらいはあるため、しばらくすると4万円を切る店も出てくるのかもしれない。

    私自身、銀塩のころからGRを気に入って使っていたので、『いつかGRのデジタル版が出ないものか?』と心待ちにしていたのだが、ついに2005年にGR Digital登場。これを発売日に購入して以来5年近くなる。

    一眼レフ並みに操作性が高く、機能も充実しているカメラだが、レンズは28mmの単焦点なので、『これ1台で何でもかんでも撮る』というわけにはいかない。それだけに、いろいろと頭をひねって工夫を加えて撮影するのが楽しく、そうすることが可能かつ快適で極めて自由度の高いカメラである。

    それでも、このところエラーが頻発するようになってきた。電源が入りにくくなったり、それとは逆にオフにしてもレンズ鏡胴が引っ込まなくなったりといった、ハード面での不具合である。そろそろ寿命が近いのではないだろうか。

    そんなわけで、現行のGR DigitalⅢのほうに目が行くようになるのだが、さすがにデジタルの世界で4年の時差(2005年発売の初代機と2009年に出た現行機)とでは、まるで別物のように大きな進化がみられる。

    まずは開放値が2.4から1.9へと、2/3段ほど明るくなったため、感度を上げずとも手持ちで撮影できる機会がより多くなる。スナップや風景にも、記録用としてモノを撮る際にも明るいレンズのメリットは大きい。インドでは概して夕暮れ以降は街中も室内も暗いが、だからといって感度をむやみに上げると画像が荒れる。そんな『昼間しか使いものにならないカメラ』では困るのだ。 

    加えて高感度域でのノイズもかなり軽減されている。初代機ではISO400くらいになるとかなりノイズが増えるため、ISO200以下でしか使う気がしなかったが、現行モデルではISO400まで特に問題はないし、ISO800くらいまで上げても、なんとか我慢して使えるかな、といった具合だ。明るいレンズと合わせて、夕方から夜にかけて使用できるシーンが増えることにもなる。もちろん大型のセンサーを搭載したデジタル一眼と比較するわけにはいかないのだが。 

    フォーカス性能も格段に良くなった。初代機も発売当時としてはキビキビ動作するほうだったが、少し暗いところではすぐにフォーカスに迷いが生じていた。現行機ではちょっとした暗がりでも小気味良く合焦する。 

    またホワイトバランスの精度がかなり向上していることに加えて、『マルチパターンオートホワイトバランス』というセッティングも用意されている。色温度が異なる光源が複数混在しても、それぞれ見た目に近い色合いを再現できるということになっている。

    背面の複数のキーに、様々な設定を割り当てることができて便利なのは初代機もそうであったが、さすがに2世代分進化すると、使い勝手も飛躍的に向上している。よく使う細かなセッティングを最大6パターン保存することができるのも便利だ。これらは軍艦部右側にあるモードダイヤルで呼び出すことになっている。

    ・・・と、いろいろ挙げてみたが、GRシリーズについてのレビューは、それこそネット上に沢山出ているので、操作性等について敢えてここで詳しく書き連ねる必要はないだろう。

    操作感はもとより、従前の仕様を最大限継承する姿勢には親近感を覚える。設定メニューは基本的に共通しているため新型機種を手に取って戸惑うことはない。外観もほぼ同一といってよいくらい非常に似通ったものである。

    GR Digital (第1世代)

    GR DigitalⅡ(第2世代)

    GR DigitalⅢ(第3世代)

    現行機であるGR DigitalⅢは、先代よりレンズの径が少々大きくなった分、ボディの嵩もほんの少し増えたが、並べて見ても一目ではそうとわからない程度だ。ゆえに買い替えても、これまで使っていたモデルを引き続き愛用しているかのような気にさえなる。

    電池については、液晶画面の大型化(現行機は3.0型。初代は2.5型、その次が2.7型)に伴ない、容量も大きくなっている。カメラ屋の店員には、カタログだけチラリと見て『バッテリーの型番が違うので旧型のものと互換しません』などと言う者もいるが、これは誤りである。容量が違うだけで、従前の機種のものもちゃんと動作するのだ。

    ただし以前の機種のオプション類で使用できなくなったものもある。レンズの口径がやや大型化したため、従前のワイコンとアダプタは取り付け不可となった。ワイコンのアダプタがあると、必要に応じてフィルタを使用できて便利だったりもするのだが、薄着の季節でもシャツやズボンのポケットに無造作に放り込んでおける気軽さを生かして『生のまま』であっても、本格的なカメラとしての性能を楽しむことができるのが、このカメラの最大の利点かもしれない。

    しかも先述のとおり、従前のモデルに比べてF値がかなり明るくなったこと、高感度設定時のノイズの軽減という進歩の結果、24時間活用できるカメラとなったと言えるだろう。

    コンパクトカメラであれ、一眼であれ、およそデジカメなるものに通常愛着を感じることはないのだが、GRシリーズに限っては『壊れるまで使う』気になる。GR Digital Ⅲについても、今後長く使用することになるだろう。

    そんなわけで、これまで幾つかのデジカメについて言及してきた、日常でも旅行先でも便利な『インドでどうだろう?この1台』の筆頭にGR Digital Ⅲを挙げたい。

  • Missing ! 大量の爆発物

    ラージャスターン州のドールプルにある公営企業の工場からマディヤ・プラデーシュのサーガルに運ばれる途中だった爆発物と起爆剤を積んだトラックが、今年4月から7月までの間になんと61台も行方不明になっているというニュースがメディアで報じられたのは8月半ばであった。 

    これらは掘削目的で製造・運搬されていたものということだが、トラック61台の積荷は合わせて300トンという大量の爆発性の危険物であり、テロ組織等の手に渡っているのではないかと懸念されていたことは言うまでもない。 

    61 trucks carrying tones of explosives go missing (videos from India) 

    その報道の数日後、行方不明になったトラックのうち4台が発見されたとのニュースが流れたものの積荷は見つかっていない。またトラックを運転していた人々はどこに行ってしまったのだろうか。行方不明の61台のうちの58台は、書面上では目的地であるサーガルに到着しているように偽装されていたとのことだ。 

    4か月のうちに散発的に起きた事件とはいえ、全体でこれほど大掛かりなトラックを蒸発させることができるのは一体どういう犯人たちなのか。これほど沢山の『戦利品』をどこに秘匿できるのかという点から、第一に疑われるのは当の取引関係者たちだ。これが積荷の横流しや架空取引等を繰り返していた結果であるとすれば、金額はともかく扱っていたものが爆発物と起爆剤という国の治安への影響から、歴史に残る経済事件となる可能性がある。 

    300 tonne explosive missing (The Tribune) 

    だがここにきて、事件はとんでもない展開を見せている。行方がわからなくなっているトラックが、なんと『あと102台もある』というのだ。これらも先述のラージャスターン州のドールプルからマディャ・プラデーシュのサーガルならびにアショークナガルに運搬途中に蒸発してしまったものだという。積荷の総量は合わせて850トンに達する見込みだ。 

    163 explosives-laden trucks went missing: MP police (ZEE NEWS) 

    まだ事件の全容や背後関係が明らかになっていないため、現時点でいろいろコメントするのは早計かもしれないが、危機管理という点においてインドという国の足元そのものが脆弱であることを如実に示した事件でもある。 

    今年10月の英連邦大会開催までひと月あまりとなっているが、失踪中の163台のトラックに積まれた危険物の行方が気になるところだ。

  • 受難の地

    5年ほど前に、『デリーの古城で』と題して、第二次大戦中に当時は英領であった各地に在住していた日本の民間人たちがインドまで連行されたうえで抑留生活を送ったことについて書かれた以下の書籍について取り上げてみた。 

    書名:インドの酷熱砂漠に日本人収容所があった

    著者:峰 敏朗

    出版社:朝日ソノラマ

    ISBN-13: 978-4257034384   

    収容施設は当初デリーのプラーナー・キラーにあり、後にラージャスターンのデーウリーに移されている。

    今年8月中旬、産経新聞のウェブサイトにて、当事の日本人抑留にかかわる次の記事を見かけた。ここで取り上げられている『収容所』とは、ラージャスターンのデーウリーのことである。

    「憎めない人たちだった」インド西部の日本人収容所を訪ねて (産経ニュース)

    インドにおける日本の民間人抑留の事実については以下のウェブサイトをご覧いただきたい。

    インドに抑留された日本人民間抑留者 (日本の現代史と戦争責任についてのホームページ)

    また以下のサイトならびにPDFファイルにも関連する記述がある。

    インド抑留中の川内先生の記憶 (川内光治先生の記憶)

    シンガポールにおける日本人社会と学校教育の歴史(福岡大学研究推進部)

    『日本人被収容者』の中には、日本人たちが居住していたマレー半島などで結婚した現地の人々で日本国籍を取得していたケースも含まれる。また当時日本の支配下にあった台湾や韓半島の人々も少なからず含まれていることについて、当事の世の中を考えるうえで留意が必要だ。

    またデーウリーの収容所は、日本人被抑留者たちが去った後、インドがイギリスから独立を得た後も『活用』されている。1962年の中印紛争により、中国とインドの敵対関係が鮮明になった時代である。

    最盛期には華人人口2万人を擁したコールカーターを中心にインド全国で5万人もの華人が暮らしていたとされるが、これにともない『敵国人』として逮捕状もなしに拘束されて収容所送りになった人は少なくない。

    祖国とインドの関係の険悪化による不安、インド政府や国民による華人への敵対姿勢等により、経済活動や市民生活への支障をきたすことから、その後多くの華人たちが海外に新天地を求めることとなった。

    冒頭で取り上げた産経ニュースの中にあるとおり、現在この施設は国や公共の重要施設等の警備を担当するCISF (Central Industrial Security Force)の訓練施設となっているため、ここを一般人が見学することはできないが、日印交流史の中でそういう厳しい時代もあったということは、今の時代を生きる私たちも記憶しておくべきだろう。

  • 無線タクシー

    以前、MERU TAXIと題して、ムンバイーをはじめとするインドの大都市で操業している無線タクシーについて書いてみたが、デリーでも幾度か利用したので感想を記しておく。

    MERU以外にもEasyCabs, MEGA CABS, quick cabs等、この手のサービスは増えている。どこもシステムは似たようなもので、対応もマニュアル化されているため利用方法はほぼ同じ。どの会社にかけてみても、非常に礼儀正しくキビキビとした応対をしてくれる。

    まずは携帯電話(基本的に携帯電話を持っていることが必要)でコールセンターにかける。一度でもその会社を利用したことがあれば、こちらの氏名と携帯電話番号、利用した日時や場所等といった先方の記録が残っているため、こちらの氏名を名乗る必要はない。コールセンターのオペレーターは、電話を取るなり『Hello, Mr. ×××, may I help you ?』と答えてくれる。

    オペレーターに利用したい時間、出発地と目的地を伝えると、こちらが保留で待っている間に、相手は配車の手配を進めている。『今すぐ利用したい』といった場合、特に込み合う時間帯であったりすると『都合のつくクルマが見つかりません』と断られる場合もままあるようだが、前述のとおり同種のサービスを提供している会社は複数あるため、どの時間帯でもタクシーがまったく見つからないということはあまりないだろう。

    予約の受付が完了すると、タクシー会社からすぐに携帯電話にSMSが入る。これからやってくるクルマの番号、運転手氏名、運転手の携帯電話の番号が記されている。そして到着少し前になると、ごく近くまで来ている運転手自身からの電話が入るといった具合だ。携帯電話でなくPCにてネット予約も可能だ。

    こうした無線タクシーで使用されているのは小型のセダン。アンバサダーやパドミニーのようなクラシックなものではなく、日本でいえばカローラに相当するモダンな車種である。

    乗車すると、メーターのある液晶モニターにこちらの氏名、携帯電話番号その他の情報が表示されている。車内もきれいでエアコンも効いている。運転手のマナーや運転そのものも、従来のタクシーより丁寧だ。コールセンター同様、こちらもマニュアル化されているらしい。

    料金は完全にメーター制。目的地に着くと車内に装備した小型プリンターから領収書が印刷される。降車するとまもなくタクシー会社からSMSが届く。内容はタクシーを利用した感想についてのアンケートだ。

    従来のタクシーとの明確な差別化あってこその商売なので、運転手の仕事ぶりはしっかり管理されているようだ。先述のとおり、タクシー会社には個々のお客の利用履歴が残っている。顧客からクレームが寄せられるとその内容も保存しているのだ。

    予約のため携帯からコールセンターに電話すると、オペレーターが電話を取るなり『昨日は運転手が遅刻しまして申し訳ございませんでした』と言うのでびっくりした。前日に利用した際のこと、タクシーはすぐ近くまで来ていたようだが、こちらの指定した場所がちょっと込み入った場所にあったため見つけるのに手間取り、30分くらい遅れていた。その際、到着を待つ間にコールセンターに電話して一言文句を伝えておいたのがちゃんと記録されていたらしい。

    応対がきちんとしているうえに明朗会計。加えてクルマにGPSを搭載していることから、クルマがどこにいるかはタクシー会社から一目瞭然でもある。とりわけ女性客には好評だろう。

    ドライバーたちの立場については、インドの従来のタクシー運転手と大差ないようではある。日本のように『××タクシーの社員』という身分ではないため、被雇用者ではなく運転業務の請け負うという形だ。簡単に言えば、タクシー会社に一定の金額を支払ったうえで預かった車両を運転するのである。

    タクシー会社は、クルマの整備と携帯電話ないしはPCによりネット予約したお客の斡旋を行ない、運転手はお客から受け取る料金の中からタクシー会社への支払いとガソリン代を差し引いた分を手取り収入とする。もっともこれはMERUの場合であるので、他社には少し異なる形態のものもあるかもしれない。

    こうした無線タクシーのサービスは、デリー、ムンバイー、バンガロールなどといった大都会で広がってきている。またアムリトサルくらいの規模でも、この類のタクシーを目にする街が出てきている。

    インドで無線タクシーは、年間成長率100%といわれるホットな業界だ。大都市圏をはじめとする中間層の人口がそれなりのサイズを持つエリアでは、今後かなりの速度でこうした業態のタクシーが浸透していくことになるはずだ。

  • TNSA (Tibetan National Sports Association) 5  国技としてのサッカー

    チベットでのサッカーの歴史は、20世紀初頭にギャンツェに置かれていたイギリスの商館員たちが現地で競技を楽しんだことに始まる。その後、やはりイギリスが首都ラサにおいて1913年に当時のチベットの軍隊に訓練を施し、続いて1920年代に警察組織の発展に協力した際に現地の人々に伝えたとのことだ。チベットにおける近代スポーツとしてのサッカーの歴史はなかなか長い。

    TNSAは、サッカーをチベット人たちの国技として育もうという姿勢を明確にしている。在印チベット人たちのクリケットに対する関心は決して低くはないようだが、世界的なクリケット大国にあって大海の一握りの砂に過ぎない彼らの立場だ。これを『国民的スポーツ』として、それなりのモチベーションを持って強化していくことには難しいものがあるだろう。

    またサッカーという競技の、よりグローバルな広がりを考えれば、対外的に自分たちの存在をアピールしていくにあたり広告塔的な役割もあり得る。これがひとつの形として実現したのがFIFI Wild CupELF Cupへの出場、そして幾つかの欧州遠征試合ということになるだろう。

    それでも道は決して平坦ではないようだ。サッカー人気の低調なインドにあって、亡命チベット人社会でもサッカー人気がそれほど高いとはいえない。TNSAも競技人口の拡大には腐心しているようだ。

    また彼らの活動に関心を寄せるのは、概ね在印の人々を初めとする亡命チベット人社会の中に限られる。資金的な面は言うまでもないが、選手たちの指導や育成といった部分についても相当な困難がある。

    日本代表は、1998年のフランス大会以来、4回連続でFIFAワールドカップに出場し、韓国と並んでアジアからの常連国となっているが、サッカーという競技を愛する人の気持ちや自国代表を応援する心情は、チベット人亡命者たちの間でも変わることはないだろう。

    インド・ネパール各地およびその他の国々に暮らすチベット人たちの心をつなぎ、また世界の人々との結びつきを強める絆として、このスポーツが彼らの間で今後ますますの発展をしていくことを願う。

    チベット人コミュニティの『サッカーをこよなく愛する仲間たち』に大きなエールを送りたい。

    <完>

  • TNSA  (Tibetan National Sports Association)  4   チベット代表ゲームシャツ

    TNSA (Tibetan National Sports Association) 4   チベット代表ゲームシャツ

    TNSA事務局ではチベット代表のゲームシャツも販売している。売上は活動資金に充当しているとのことだ。マクロードガンジの土産物屋などでもよく見かけるが、それらはすべてTNSAから供給されているとのことで、どこで購入しても一律500 Rsであるとのこと。

    TNSAウェブサイトでも同じものを国外向けに通信販売しているが、こちらは送料込みで45米ドルという価格設定になっている。

    このゲームシャツは、実際に代表選手が試合で着用するのと同じもので、違いは背番号が付いていないだけだという。品質については、ナイキその他の国際的なメーカーが製造したものとはずいぶん違うのは価格からして仕方のないことではある。代表とはいえ、やはり資金的に苦しい台所事情もうかがえるようだ。

    2006年のドイツでのFIFI Wild Cupや北キプロスでのELF Cupでは、hummel社製でデザインも良いものを着用していたが、かなり大口のスポンサーが付いていたのだろう。

    私は、以前からそのhummel社製造のチベット代表ゲームシャツも持っている。2006年FIFIの大会の際のモデルである。こちらに付いているエンブレムはTNFA (Tibetan National Football Association)で、デザインそのものも違う。

    現在、TNFAのエンブレムは使用されておらず、代表チームのゲームシャツに付ける紋章として正式なものはTNSAであるとのことだ。

    <続く>