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投稿者: ogata

  • Lonely Planet 1

     ロンリー・プラネット社といえば、言わずと知れた世界中で売れているガイドブックの版元。 

    元々は主に欧米から世界各地を旅するバックパッカー向けの旅行案内書としてスタートしたが、今ではあらゆる層の旅行者たちがこれを手にあちこちを訪れている。 

    シリーズがカバーする国の多さ、それぞれのガイドブックで紹介されている地域やスポットが広範囲に渡っていること、旅行するに当たってのプラクティカルな情報量の豊富さと正確さが支持される理由の主たるものだろう。

    また広告収入に頼らないことからジャーナリスティックで客観的な記述がなされていることも重要だ。そのためシリーズ内のどのガイドブックもほぼ同様のフォーマットと視点による記述がなされている。 同社による一連のガイドブックはどれも一定のインターバル、概ね2~3年程度で版を更新というのもちょうど適当なところだろう。 

    各地の見どころそのものの紹介にはかなりあっさりしたものがあるが、これについては個々が興味のあるものについて他の書籍を買い求めるなりすればいい。旅行案内書としては、安旅行者から富裕層のバカンスまで、いずれにも対応する内容である。特定の国や地域については、同様に便利なガイドブックは出ているようだが、総体的には他社の追随を許さないものがある。 

    ベストセラーのガイドブックだけあり、世相を如実に反映する部分もあるようだ。travel survival kitと題されていた各国ガイドブックは、いつごろからかシンプルにtravel guideとなっている。大陸規模の広域ガイドブックのShoestringシリーズは、東南アジア、ヨーロッパ、中央アメリカ、南アメリカといったものは出ているが、アフリカシリーズ、南西アジアシリーズは絶版となっているようだ。 

    世界的な不況のためか、あるいは日本同様に若者たちの海外旅行離れがあるのかどうかよくわからないが、仕事を辞めてフラリと気ままに長い旅に出るという人が少なくなってきているのかもしれない。 

    その分、各国の都市ガイド、山や海あるいは特定の地域などに特化した案内書が増えている。インドに関するものだけ取り上げてみても相当な数になっている。

    India

    Northeast India

    South India

    Mumbai & Goa

    Goa Beaches

    Rajasthan, Delhi & Agra

    Trekking in the Indian Himalaya

    Asia & India: Healthy travel guide

    Hindi, Urdu & Bengali phrasebook

    India phrasebook 

    上記に加えて、North India, Delhi, Mumbai, Kerala, Goaといった、個々の独立したガイドブックが出ていたこともある。 

    <続く>

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 2

    現在、Iリーグには、日本国籍である和泉選手以外に、オーストラリア、ガーナ、ギニア、セルビア、ナイジェリア、ブラジル等のプレーヤーたちが在籍している。ちなみにIリーグにはゴアをホームとするサルゴサールSCというチームにもう一人の日本人プレーヤーがいる。末岡龍二選手で、彼も自身のブログを公開している。 

    ブログに書かれたプロフィールにあるとおり、この選手もアルビレックス新潟シンガポールでのプレー経験があり、Jリーグのアルビレックス新潟に在籍していたこともある。その後、Sリーグ、タイ・プレミアリーグそして現在のIリーグとアジアのリーグを複数経験してきた猛者だ。 

    今年前半まで、同じくゴアを本拠地とするスポーティング・クラブ・デ・ゴアに所属していた新井健二という選手もいたが、現在シンガポールのSリーグに移籍している。この選手が運営するウェブサイト『海外で活躍する日本人サッカー選手』の中にアジア・オセアニア各国でプレーする選手たちに関する情報を集めた項目がある。オーストラリアはさておき、アセアン域内のサッカー王国タイでプレーする選手たちの中に、読売クラブのユース時代からJリーグのヴェルディ川崎で出場していた時代まで、当時の中盤の名手として知られていた財前宣之選手の名前を見つけて驚いた。 

    タイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドのウェブサイト中の選手紹介ページにアクセスしてみると、財前選手は背番号28とある。日本サッカーの将来を担うことを期待された選手であったが、度重なるケガに泣かされていたと記憶している。今はタイでどんなサッカー人生を送っているのだろうか。 

    欧米のリーグに渡った選手の場合と違い、日本のメディアで取り上げられることはあまりないが、とにかく職業としてサッカー選手をやるのだ、という強烈なプロ根性と情熱が感じられるとともに、個人の生き方としてより多くの魅力を感じる。Iリーグでインド各地を転戦する日本人選手たちはもちろんのこと、世界の様々な国々でプレーする彼らの今後ますますの活躍を期待したい。

    <完>

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 1

    以前、2009年から今年までインドのIリーグに所属していた伊藤壇選手について取り上げてみた。その後、Iリーグに所属する他の日本人選手も取り上げてみようと思っていたが、しばらくそのままになっていた。 

    リーグにおける日本人第一号選手といえは、2006年から現在まで同リーグでプレーしている和泉新選手である。父親がインド出身の在日2世選手(日本国籍)として知られているが、Iリーグで初めてプレーする日本人選手がインド系であるということはちょっと因縁めいたものを感じる。和泉選手自身が近況を綴っているブログを読んでみると、本人がインド系であるということはほとんど感じられず、インドで暮らす普通の日本の青年といった印象を受けるのだが。 

    海外のクラブチームを渡り歩いている和泉選手だが、プロとしての最初のキャリアがシンガポールのSリーグというのが興味深い。当時の所属チームはアルビレックス新潟シンガポールである。 

    その名の示すとおり、Jリーグのアルビレックス新潟の関連団体である。クラブとしては独立しており、シンガポールを本拠地とし、現地のプロサッカーリーグのSリーグの構成メンバーであると同時に、アルビレックス新潟のサテライトチーム、つまり二軍にも当たる。 Sリーグでは、外国人選手の人数制限枠がないため、同クラブのウェブサイト登録選手紹介ページを参照してみると、全員が日本人ないしは在日外国人であることがわかる。 

    インド代表のエースストライカー、ブティヤー選手も所属するコールカターのキングフィッシャー・イースト・ベンガル・フットボールクラブを振り出しに、ムンバイーのマヒンドラー・ユナイテッド、そして現在はプネー・フットボールクラブでプレーしており、背番号8を付けているのが和泉選手だ。 

    Jリーグ出身のサッカー選手で欧州等のチームに移籍し、その活躍ぶりが日本に伝えられている選手は少なくないが、彼ら以外にも日本国外で活躍する日本人プロサッカー選手はかなりあり、その一例が和泉選手ということになる。 

    かつてJリーグの草創期で、欧州やラテンアメリカの国々の盛りを過ぎた有名選手たちとともに、自国ではあまり名前の知られなかった選手たちも、当時の日本で始まったばかりのプロサッカーリーグを大いに盛り上げてくれた。そうした中で日本人選手たちは良い刺激を受け、大舞台に憧れるサッカー少年たちの良き手本となった。今やワールドカップ出場常連国となった日本のサッカーのレベル向上に対する外国人選手たちの功績は大きかった。 

    前身のNFL (National Football League)からIリーグへと移行したのが2007年。ちょうど日本で1992年に、それまでの日本リーグを元にJリーグが発足したのに相当する。Iリーグは、インド初のプロリーグとして、この国でのサッカーの普及を目指しているわけだが、まだまだ歴史も浅ければ、人気もレベルも決して高くない。まさに今、その歴史の基礎が形作られつつあるフロンティアだ。 

    チームごとの外国人枠は4名。このうち同じ試合で3人まで出場できるようになっている。当然のことながら外国人選手は、一部の傑出した選手を除いた他のインド人プレーヤーたちより格段に高い技術と能力を持つ『助っ人』としての役割が期待されているわけだ。 

    <続く>

  • エアアジア(タイ) インド便就航間近

     これまでマレーシアからは、エアアジア(マレーシア)で、クアラルンプルからコールカーター、ハイデラーバード、バンガロール、コーチン、トリバンドラム、ティルチラッパリといったインドの都市へ、加えてエアアジア Xにてデリー及びムンバイーに向かうことができる。 さらに、今年12月1日からはエアアジア(タイ)によるタイのバンコク発のデリー便とコールカーター便が就航することになっている。 

    Thai Air Asia to launch Bangkok flights from Delhi, Kolkata (Deccan Herald) 

    旧来は西の方角にある国々(湾岸諸国等)との間のフライトが密であったインドだが、近年は東方向への便も数を増していることは、インドのASEAN諸国との接近ぶりを示すとともに、このあたりをも含めた地域大国として頭角を現しつつあることを反映している。 

    そうした中で、空のゲートウェイとしてバンガロール、ハイデラーバードその他の街がこれまで以上の存在感を示すとともに、他の大都市の発展と自らの停滞のため、相対的に経済的な魅力を失ってきていたインド有数の大都会コールカーターも、地理的にこれらの国々と近いことも幸いして、ここ発着の国際線に内外の航空会社次々に乗り入れするようになってきている。インドとその近隣国の距離は確実に狭まりつつある。 

    だが、ちょっと目を東に移して、もうひとつの大国である現在の中国の『横暴』について思いを巡らせておきたい。近年、日本のメディアのみならず欧米その他からも中国の脅威に関する様々な論調を目にする。以前のように是が非でも外国からの投資や技術等を呼び込もうと汲々とする国ではない。依然、貧富の格差が大きく、地域差も甚だしい社会でありながらも、総体としてはもはや日本を抜いて世界第二位の国内総生産(GDP)を誇る経済大国となった。 

    自国で蓄えた鉄道技術(元々は日本から与えられた技術がベースになっているにしても)を海外に積極的に売り込む、他の途上国へ援助攻勢をかける、地下資源等を確保するために世界各地へ進出していき、これまで彼らに様々な支援を与えてきた先進国と各地で利害が衝突し、火花を散らせるライバルにのし上がってきている。政治的にもそれらの国々を向こうに回して『大いにモノを言う』存在となった。 

    同様に、インドとその周辺地域との間の相互依存関係がより密で抜き差しならぬものとなったとき、かつ膨大な貧困層を抱えつつも、国家としては経済的に圧倒的な存在感を持つようになった暁には、どのような態度でそれらの国々に接するようになるのか少々気にかかったりもする。 

    国と国のエゴが衝突する外交の世界で、国と国との間の力関係によって、交渉の行方が決まる。立場の弱い側から見て『傲慢な大国』はあっても、『謙虚な強国』というのはあまり例がないだろう。 

    今の中国の姿は、将来のインドのそれときっと重なるのだろうと想像するに難くない。従前より南アジアで圧倒的な存在感を持つこの国が、周辺国に及ぼしてきた影響力の届く範囲が、さらに遠くへと広がっていくことは間違いない。 

    目下、ブームのこの国をもてはやすだけではなく、私たちはこの大国との将来に渡っての付き合い方についても、よく考えておくべきではないだろうか。

  • ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

     

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3のThat’s Bollywood 2000’sが発売された。 

    タイトルに『2000’s』とあるとおり、2000~2009年までのボリウッド映画の総まとめである。今年は2010年、ゼロ年代といえばつい昨年までのことだが、次第に遠い過去の話になっていま7。ボリウッド関係の書籍、とりわけ最近のものがほとんど存在しない日本で、こうした形で大きな変化と飛躍を遂げた映画界に関する出版物が出ることの意義は大きい。 

    2009年から2000年までの年ごとの主要作品と傾向を検証し、スターの世代交代や新たなカリスマの出現なども併せて、この10年間のボリウッドを俯瞰できる図鑑のような仕上がりだ。ページをめくっていると、大ヒットしたフィルミー・ソングや心に残るシーンなどが走馬灯のように脳裏を巡る。 

    1990年代以降、衛星放送の普及により、エンターティンメントの『グローバル化』の波がインドに押し寄せたこと、また各地で大型のシネコンが増えたこともあり、ボリウッドにおける映画作りが相当変化した。かなり乱暴な言い方をすれば、ボリウッドがハリウッド化してきたことにより、旧来の『インド映画圏』以外でも、充分観客のテイストに応えられる内容になってきたといえる。とりわけ2000年以降のゼロ年代においてはその傾向が急速に進んだ。 

    さらには近年、ボリウッドを巨大な市場として期待するハリウッド関係の資金が盛んに流入するようになってきており、インドでの興行収入はもちろんのこと、インドで製作された作品の国外でのロードショー公開なども併せて、急速に国際化が進展することになった。上映時間もずいぶんコンパクトなものが多くなっている。 

    そうした意味で、90年代前半の日本における『インド映画ブーム』は時期尚早であったともいえるだろう。当時、日本で公開された作品のタイプが重なっていたこともあるが、『踊る』『ハッピーエンド』『貧者が憧れるゴージャスな夢』などといったフレーズでインドの映画作品を語る論評が多く、それらの多くがそれまでインドの映画に縁のなかった映画関係者たちから頻繁になされていた。 

    そうしたスタンスで映画の興行がなされていたこと、それらを取り上げるメディアもその物言いを増幅して日本社会に喧伝したため、インドの映画に対するステレオタイプなイメージが定着することになった。ブームが一服すると従来の映画好きの人たちの間では『メッセージ性がなく中身もない映画』『長すぎて疲れる』となり、それ以外の人たちからは存在さえも無視されるような・・・としては言い過ぎかもしれないが、総じてB級、C級以下の作品群であると一括りにされてしまっているようであることが残念だ。 

    ひとたび固定観念化してしまうと、それを拭い去るのは難しい。少なくとも当時の『ブーム』の記憶がある世代の間でインド発の映画に対するネガティヴなイメージがある限り、どんなに良い作品が日本で公開されても、特にインド映画に関心のある人でなければ映画館に足を運ぼうとはあまり思わないようだ。 

    そうしたイメージを抱いている観客を相手に、興行会社も二の足を踏んでしまうのも無理はない。そもそも興行側にしてみてもインドの映画といえば『踊る×××』『やたらと長い』という認識しかないのかもしれない。 

    近年大きく変貌しているボリウッド映画作品。それがゆえに前述のとおり、都会のシネコン向けの映画が増えているが、これにより取り残される形になったそれ以外のファン層を狙ったボージプリーその他の方言による映画も隆盛するという多層化の時代を迎えている。

     こういう時代なので、本来ならば今こそ日本でのヒットを狙うことのできる作品が多く出てきているはずなのだが、それらの多くは日本国内での映画祭での公開に留まってしまうのは、やはり90年代前半に突如訪れた『インド映画ブーム』の影響を引き摺っているという部分が大きいのだろう。 

    ボリウッド作品を含めたインド映画とはいかなる形においても無縁で真っさらな状態であれば、より多くの人々が『IT大国の映画って何だろう?』と純粋な好奇心で映画館に足を運び、スクリーン上で展開しているストーリーとまっすぐに向かい合いことができたのではないかとも思う。メディアという限りなく大きな影響力を持つ存在によって創り上げられた『イメージ』が日本市場におけるインドの映画作品参入の障壁となっているとすれば、あんまりな話だ。 

    もちろん今となってはそんなことを言っても仕方ない。まさにそういう状況を打開するために渾身の力を込めて頑張ってくれているのがNamaste Bollywoodであり、今後益々の発展を期待したい。 

    幸いなことに、今の20代前半までの年齢層の人たちは、昔のインド映画ブームによる刷り込みがなかったり、そもそも記憶自体が存在しなかったりする。同時に余暇や趣味の時間が充分に確保できる年代でもあることから、前述のような状況は今後大きく変わっていくものと思われる。もちろんインドという国に対するイメージについても、それより上の年齢層とはかなり異なるものがあるとともに、ボリウッド作品内容の普遍化、グローバル化という流れもあり、今後興味、関心を持つ層が急増しないまでも、年々拡大していく下地はあるはず。 

    今回のThat’s Bollywood 2000’sにて、様々なジャンルの作品の紹介のみならず、巻頭ではゼロ年代の主要作品の海外ロケ地(非常に多くの国・地域が世界地図上に書き込まれている)とともに、これらの映画に出演している俳優、製作者、音楽関係者等のプロフィールにもページを割いてあり、ボリウッド映画の多様性を実感できるつくりになっている。『ゼロ年代のBollywoodを語る』という対談記事と合わせて、今のボリウッドを知るため大いに役立つことだろう。 

    また欄外にもボリウッド映画の予備知識、ゴシップ、スターの来日に関するもの等々の記述がふんだんに散りばめられているなど、寸分の隙もなく充実した内容になっている。グラフィックの美しさはもちろんのこと、豊かなコンテンツとともにボリウッドに対する限りない愛情と情熱に満ちたお薦めの一冊である。

    購入先についてはこちらをご参照願いたい。

  • 日本でムスリム観光客増加の気配

    クレセント・レーティングをご存知だろうか。『Halal Friendly Travel』をモットーに、イスラーム教徒が利用しやすいホテル、レストラン、空港、パッケージツアー、医療等に関する情報を提供しているサイトだ。ホテルについてはハラールな食事を提供しているか、ムスリムの礼拝に対する配慮があるか等々の観点による格付けもなされている。 

    同サイト内ではイスラーム教徒向けの旅行書籍(?)の販売も行なっている。 スリランカ出身のムスリムのビジネスマンが立ち上げたサービスだが、その目新しさからちょっと注目されつつあるらしい。 

    ところで、もともと土地っ子の間でムスリム人口がほぼ皆無に近く、これまでムスリムの人々による訪問も少なかった日本では、当然のことながら食事その他さまざまな面において『ハラールな』環境を得がたいのは無理もない。 

    その日本では、2008年10月に設置された観光庁が、ビジット・ジャパンというキャンペーンを通じて、訪日外国人3,000万人という目標を掲げているところだが、訪日外国人旅行者数の多い15の国・地域(アメリカ、イギリス、インド、オーストラリア、カナダ、韓国、シンガポール、タイ、台湾、中国・香港、ドイツ、フランス、マレーシア、ロシア)を重点国と定めてプロモーションを展開している。 

    それらの中でもっとも効果が顕著なのは、中国大陸からの日本渡航者に対する査証取得条件の緩和による中国人観光客の急増だろう。このところ尖閣諸島を巡る政治問題によって訪日予定者の中から多数のキャンセルが出ることによりブレーキがかかった感はあるが。 

    しかし中国が安定した経済成長を続けている限り、地理的に至近で有利であること、元々中国人たちの中で日本に対する関心が高いことから、今後とも急カーヴを描いて訪日者数が増加していくことは間違いないだろう。 

    さらには来年度からサウジアラビアとアラブ首長国連邦もこの『重点国』に追加されることが予定されているという。両国とも豊かな産油国で可処分所得が高く、滞在中の客単価が高いであろうことが期待されているようだ。 

    ちなみにムスリム観光客による旅行市場は、全世界で再来年あたりには8.5兆円という巨大なものとなることが予測されており、日本もその流れに乗り遅れないようにと、手始めにこの2か国(サウジアラビアとアラブ首長国連邦)を重点国に指定したという経緯がある。 

    同時に日本での観光客としてはあまり馴染みのなかった人々で、受け入れ側としてもムスリム客誘致のノウハウがほとんどないこともあり、訪問者を送り出す側の国では訪日関連、また受け入れ側となる日本のほうでもムスリム客誘致関係といった、新たな商機が生まれることが期待されている。 

    同時に、これまで日本国内では、ハラール食材、映画等の娯楽関連、安い国際電話カード等といった、主に在日の南アジアや東南アジアのムスリムたちの日常生活に必要なものをまかなう程度で、ごくごくニッチなマーケットであった『ムスリム関係市場』が、豊かな産油国からやってくる観光客という新たな顧客を得て、価格帯や品揃え等もこれまでとは異なる次元のものへと発展していく可能性も秘めている。

  • ミャンマーはどうなるのか?②

     さて投票日が11月7日に予定されているミャンマーの総選挙だが、同国最大の野党NLD (National League for Democracy 国民民主連盟)を率いていたアウンサンスーチー氏をはじめとする民主化運動指導者たちを排除(そしてNLDは今年6月に解党)することにに成功した軍事政権は、自らの翼賛団体であるUSDA (Union Solidarity and Development Association 連邦団結発展協会)から衣替えしたUSDP (Union Solidarity and Development Party連邦団結発展党)にて選挙戦に臨む。 

    今回行われる選挙により、国政レベルの連邦議会と管区・州レベルの地方議会の議員が選出される。連邦議会は二院制で合わせて664議席、地方議会は合計888議席となる。 

    無政党が選挙に参加するには1,000人以上の登録された党員数が必要とされる。無所属で立候補することはできない。また各候補者ひとりあたり約500ドルという同国としては高額な登録料が課せられている。また日頃から政治活動に対する当局による監視の目も厳しいこともあり、志ある市民が政治の道を目指すことは難しいようだ。 

    それでもこのたびの総選挙に参加するのは37政党と、なかなか賑やかなものとなる。だがトータルで3,000人ほどとされる候補者の内訳で見ると、1,000人超の候補者を擁する最大政党USDPと同じく1,000人規模の候補者を持つNUP (National Unity Party)が突出している。 

    NUPとは、1988年8月8日に始まった大規模な民主化要求運動を抑えきれず、同年9月に軍のクーデターにより政権を追われるまで、1962年から22年間の長期に渡り、ビルマ式社会主義を標榜する政治を運営してきたBSPP (Burma Socialist Programme Partyビルマ社会主義計画党)がその前身である。 

    1988年7月まで同党のトップである議長の座にあったネ・ウィン将軍は、国防大臣であった1962年にクーデターに成功して政権を握った直後、自ら創立させた軍人主体のビルマ社会主義計画党に政権を横滑りさせている。ゆえにBSPP時代からして国軍の間接統治による独裁政治であり、それに対する国民の不満がついに噴出したのが1988年に大きな民主化要求運動であったといえる。この出来事により、ネ・ウィン氏は事実上失脚した。 

    1990年に軍事政権の意志決定最高機関であるSLORC (State Law and Order Restoration Council)の元で総選挙にて、同機関と旧BSPPによって設立し、当然政権を継承するものと体制側が目論んでいたNUPだが、獲得したのはわずか10議席という惨澹たるもので、対するアウンサンスーチー氏がトップを務めるNLDは392議席と誰の目にも明らかな結果となり、ついにこの国が民主的な体制に移行するものと内外からの期待を集めた。 

    しかし、与党となるべきNLDへの政権の委譲が行われず、軍事政権側に批判的な活動家たちに対する弾圧が行なわれ、国民議会も招集されていない状態が続き、現在に至っている。SLORCは、1997年にSPDC (State Peace and Development Council)へとその名称を改めている。 

    そうした経緯もあり、現在の軍政の翼賛団体から衣替えしたUSDPとNUPは、どちらも国軍と非常に縁が深い。ただし現在の軍事政権と一心同体の存在であるUSDPに対して、1988年に政権を追われた後、1990年の総選挙では軍事政権を代表する政党として再登場したもの、まったく話にならない大敗北を喫してからは、隅に置かれてしまい存在感を失っている旧BSPPことNUPは、現在では前者並びに国軍とは少々スタンスを置いた立場であるらしい。 

    今回ようやく実施される総選挙について、USDPとNUPというふたつの大政党があまりに突出していること、さらには総議席の四分の一が軍人に留保されることなど問題は多く、極めて軍の影響力を留保させた政権が誕生することは間違いないようだ。 1990年総選挙におけるNUPの大敗北の苦い記憶のある軍政側は、実に長い時間をかけて民主化運動を冷却させるとともに、こうした勢力の影響力を排除していった。そしてついにNLDを解党に追い込み、満を持しての選挙戦となる。

    NLD解体以降のリベラル勢力は小規模なものが割拠している状態であるのに対して、軍政側には、選挙によらず軍が指名する四分の一の軍人議席という、いわばセーフティ・ネットがあるため、USDPとNUP合わせて最悪でも総議席数の四分の一をわずかに超える程度確保すれば政権に就くことができるという極めて有利な状況にある。 

    つまり『体制側(現在の軍政) vs民主化勢力』 という構図ではなく、大方は現体制側の立場の候補者の中から『人物を選出する』ものとなる。今回の選挙に向けて、慎重かつ周到に準備を重ねてきた軍事政権側は、USDPの候補者に軍や政府関係者以外にも、ビジネス界その他で名前の知られた有名人たちも多く擁立しているようだ。規模の上でも資金力の上からも同党が圧倒的に有利である。

     アウンサンスーチー氏は、支持政党がなければ選挙をボイコットすべきであると旧NLD支持者たちに呼びかけているが、同党を支持していた人たちがこぞって投票を控えた場合、小所帯のリベラル政党へ流れるべき票が失われてしまうため、かえってUSDPを利することになってしまうのが悩ましいところだ。 

    この選挙について『看板の架け替えに過ぎない』『軍政が軍服脱いで文民面するだけ』『軍政にお墨付きを与える手続きに過ぎない』といった批判は多く、本来1990年選挙の結果を受けて当時与党の座に就くべきであったNLDが参加できなくなったことにより、西側諸国の多くも今年11月の『総選挙』を正当なものとみなすかどうかは別の話である。おそらく選挙後に新たな政府が発足してからも先進諸国による経済制裁は続くことだろう。 

    しかし制裁が続いたところでミャンマーの新政権に与える打撃とは限定的なものとなることだろう。もとよりASEAN諸国はこの国の軍事独裁政権については黙認状態で経済交流は続いていたし、近年では中国の進出が著しい。欧米諸国企業が事実上ほぼ不在の中で、中国企業にとって、ミャンマーはまさに『草刈り場』といった具合である。ミャンマーは欧米諸国が考えているほど孤立してなどいない。ゆえに彼らによる経済制裁が政権を崩壊に追い込むなどと考えているとしたら、誤った思い上がりにすぎない。 

    今回の選挙により、次期政権にて軍人勢力が温存されることになるため、政府が喧伝しているような民主化にはつながらないだろう。しかしそれだからといって、何も変わらないと考えるのも間違いだろう。

    曲りなりにも複数の政党が参加して各選挙区で競合する候補者の中から有権者たちが選び出すというプロセスが実施されることの意味は大きいだろう。総議席中の軍人枠を除いた四分の三は、国軍系の政党候補者であろうと、その他政党から出馬した人物であろうと、選挙というプロセスを経て国民から直接信任されるという点が重要だ。

    またリベラル勢力や少数民族政党(こちらには軍政寄りのスタンスの党も含まれるが)からも当選する者が出てくることから、これまでの軍事独裁政権に賛同しない人々、常にビルマ族に圧倒されてきたその他の民族出身の人々が中央ないしは地方政治の舞台に参加できることの意義も無視できない。 

    軍政とイコールの関係にあるUSDPとこれに近い関係にあるNUPが政権を担うことになるであろうことは誰もが予見するところだが、前述のとおり前者と後者とでは、その立場に異なる部分があり一枚岩ではない。そのため現在、軍政の最高意思決定機関であるSPDCによる政権運営と比較して、かなり活発で多元的な政策論争が展開していくはずだ。 

    軍と政治のかかわりについても変わっていくだろう。軍籍から抜けて政治家に横滑りする国軍幹部が多数あるいっぽう、それらが軍で占めていたポストには下の世代の人たちが持ち上がってくる。同一人物がUSDPと軍双方の要職を占めることにはならないため、世代交代した軍幹部の意志がUSDPましてやNUPのそれとイコールという具合になるとは限らず、時に対立することもあるはずだ。 

    そもそも国軍に対する批判は多いが、北を中国、西をインド、東をインドシナに囲まれた文明の交差点とでも言うべき複雑な民族・文化背景を持つこの国で、まがりなりにも国土を今の形で維持できたのは彼らあってのことだ。イギリスが去り、主権を取り戻したこの国では長らく地方の反乱が続いてきた。それは国軍への反感というよりも、中央つまり支配民族であるビルマ族が彼らに対する抑圧者として映っていたからに他ならない。

    何かと問題は多いが、総選挙が実施されるということ自体は歓迎したい。一足飛びに大きな変革が起きることにはならないが、政治に多少なりとも国民の意志が反映されるようになることは間違いないだろう。リベラル勢力に対しては、与えられた枠組みの中で、今後粘り強く努力を続けていくことを期待したい。 ミャンマーはきっと変わる・・・と思う。時間はかかるはずだが。

    もちろん選挙管理の問題もある。果たして現在示されている枠組みの中での公正な選挙が実施されるのかどうか。選挙報道について、外国メディアを排除していることも気にかかる。とりあえずは行方を見守りたい。 

    1886年から1937年まで、英領インドの一部を成していたミャンマーは、西隣のインド同様に多民族・多文化から成る国ではあるが、多様性を有すると同時に国としての一体感があり、独立以来民主的な政治運営がなされているのとは実に対照的だ。 

    ミャンマーの将来が明るいものであることを願うとともに、インドという国の偉大さをも今さらながら感じずにはいられない。 

    <完>

  • ミャンマーはどうなるのか?①

    ミャンマーはどうなるのか?①

     つくづく不可思議な国である。軍政から民政移管を標榜する『総選挙』を11月7日に控えた今、また2008年に新憲法が公布されたがまだ発効されてもいないのに、なぜ10月21日に突然国名がミャンマー連邦がミャンマー連邦共和国へと改められるとともに、国旗、国歌が変更されることになったのか。 

    Myanmar gets new flag, official name, anthem (REUTERS CANADA)

     ミャンマー 国旗の変更を発表 (NHK)

    Cries of foul play as ‘new Burma’ is hoisted (Democratic Voice of Burma)

     従前の国旗の赤色は勇気、青色は平和を象徴しているとされる。社会主義時代の1974年に制定されたもので、社会主義的なシンボルを取り囲んでいる14の星は、この国を構成する7つの管区と7つの州、合計14の地域の統合の意味を有するとされる。

    新国旗については、緑色は平和、黄色は団結、赤色は勇気、中央の星は国家の永続性を示しているとのことだ。 

    国旗変更の背景について、各メディアによる様々な憶測が飛び交っているが、つまるところ国内外に向けて『国体が改まる』ことについて内外へのアピール、そして『国民の総意に基づく民主的国家』を創るための総選挙へのムード作りといったところなのだろうか。 

    この国は、1948年に独立した後、1974年に一度国旗を変更している。1973年以前は以下のものであった。青字の部分のデザインがそれ以前と異なる。

    ところで他人の空似、ということになるのだろうが、今回新しく制定される前までのミャンマー国旗は、中華民国(台湾)のそれとよく似ていた。

     新国旗も実はよく似たデザインのものがかつて存在していた。それは1943年から1945年までの日本による傀儡政権時代の国旗である。中央に配置されているのは星ではなくクジャクだが。1942年に日本軍とともに、その協力関係にあったアウンサン (アウンサンスーチー氏の父)率いるBIA (Burma Independence Army)が同国からイギリスを追い出すことに成功した。そして1943年8月に発足した日本の傀儡政権だが、前述のBIAから再編された国軍であるBNA (Burma National Army)が起こした1945年3月にのクーデターにより転覆し、再び英国支配下に戻ることになった。その後1948年にイギリスからの独立を達成した。

     

    クジャクといえば、1937年に英領インドから分離する際に制定された英領ビルマの旗にもこれが描かれている。このデザインは、ビルマ最後の王朝であったコンバウン朝の旗に描かれていたものであり、歴史的な図柄だ。 

    わずか1年半ほどしか持続できなかった傀儡政権が定めたものとよく似たカラーリングの新国旗は、この国の行方を暗示しているようである・・・などと言うつもりはないが、国旗変更のタイミングといい、新たに定められた図柄といい、決して幸先の良いものと感じられないのは私だけではないだろう。

     <続く>

  • 在日ムスリムの人々の墓地問題に思うこと

     日本で暮らすムスリムの人々の間の墓地不足が深刻であることから、栃木県足利市にて新たに用地を取得しようとの試みが難航している。その原因は埋葬方法が土葬であることにある。下記リンク先記事にあるとおり、日本に暮らす彼らの人口は、外国籍の人々が約10万人、日本人が約1万人と推定されるとのこと。 

    日本のイスラム教徒永眠の地は土葬の墓、住民ら反発 (asahi.com)

    『日本人が1万人』の部分ついては、外国人ムスリムの方と結婚した日本人でその多くは女性、その結婚相手で日本国籍を取得した南アジア諸国をはじめとする外国出身の人々で多くは男性、そして夫婦の間に生まれた子供たちといったところがかなりの部分を占めるものと思われる。 

    今日取り上げてみたasahi.comの記事によると、日本国内でイスラーム教徒向けの霊園は山梨県甲州市と北海道余市町の2か所だけであるとのことだ。アメリカによるアフガニスタン攻撃の際に同国の難民支援のための募金その他の運動を活発に行なった『大塚モスク』で知られる日本イスラム文化センターが墓地問題の解決に乗り出したところ、地元住民たちからの反発により、行政からの許可が下りずに足踏み状態が続いているということのようだ。 

    土葬に対する反発は、習慣上の相違と公衆衛生上での懸念によるもののようだが、日本で火葬が普及したのは近世以降のことであったようだ。それでも神道的な価値観からの反発もあったようで、火葬に対する禁止令が出された時期がある。 

    以降、火葬の技術が進歩したこと、人口の拡大と都市化の進展に伴い、衛生にかかわる問題はもとより埋葬地の取得も困難となることから、近代化とともに急速に火葬が一般化していくこととなった。 

    現在でも墓地埋葬法によって土葬が禁じられているわけではなく、各自治体の判断と墓地管理者の裁量に任されているのだが、ほぼ日本全国で火葬が一般的であるのはご存知のとおり。 

    イスラーム教徒やユダヤ教徒と同様に、キリスト教徒の間でも教義上の見地から土葬が行われてきたものの、国や地域にもよるが、日本同様に衛生面、用地取得、加えてコストの面から火葬を合理的な手段であると選択する人は決して少なくないようだ。保守的な価値観にはそぐわないものがあることは否めない。 

    在日ムスリム人口がどのように推移について詳細なデータは持ち合わせていないが、かつて存在がゼロに等しかった彼らが近年急増していることは街中の様子を眺めるだけで実感できる。この世に生きている人々すべてが、やがて人生の終末を迎えることから、墓地の問題は是が非でも解決していかなくてはならない問題であることは誰も否定できないだろう。 

    だが現地の反発にも理解できる部分がある。地元に縁もゆかりもない人たち、イスラームという、土地の人々にとってよくわからない信仰を持つ人たちの埋葬地を自分たちのところで引き受けるということを不条理だと感じる気持ちはごく自然なものであるともいえる。 

    『他者への寛容』を唱えるのは易しいが、何処からともなくやってきたよく知らない相手に『どうかご理解・ご協力を』と求められたところで『ああそうですか』と受け入れるのは残念ながらそう簡単なことではないのだ。 

    人の死に関する問題は墓地だけではない。過日、私の身近なところで、やがては自国に戻るはずであった西アジアのある国出身の若い男性が突然亡くなってしまった。人の死は老いてから訪れるものとは限らない。当然、彼の祖国の家族は遺体を故郷まで空輸することを希望した。それが可能な経済力のある人たちであったがゆえに遺体の運搬について特段問題はなかったのだが、もしそうした財力のない人であったとしたら、関係者たちにはどのような対応ができただろうか? 

    これまで日本では馴染みがあまりに薄かったムスリム人口が一時滞在、定住ないしは永住を問わず増加していくにあたり、今後様々な摩擦が生じてくることは予想に難くない。現在報じられているこの問題は、まさに今後の日本社会に求められる在日ムスリムの人々をめぐる課題のはじまりであると思われる。

  • ニュース、報道、メディア・・・

     活字中毒・・・というわけでもないが、いつも手元に何かしら読み物がないと落ち着かない。小説でもノンフィクションでもいいのだが。加えて日々の出来事に目を通さないと何だかスッキリしない。日常の暮らしの中でも旅行先でも目覚めてから一番にすることといえば、新聞を広げながら朝食を取ること。 

    朝起きてすぐに手に入らなければ、近くのマーケットに散歩がてら出かけて新聞売りを見つける。あるいは早い時間帯から鉄道、バスその他で移動する際には、駅やバススタンドで、まず最初に買うのはスナック類ではなく新聞だ。                                                                                                          

    全国規模のメディアで広大なインドの政治、社会、経済等の様々なニュースを目にするとともに、ローカルな新聞も押さえておきたい。広域紙には出ない地元の出来事がいろいろ掲載されているので、数日間読み続けると今そこで話題になっているらしいことについておおよそ検討がつくようになってくる。 

    往々にして退屈な記事が多いことも事実だが、例えばモンスーン期に激しい雨が降り続いているときにヒマーラヤ地方を旅行する際、あるいは付近で洪水その他の天変地異が起きている場合など、参考になることはとても多い。 

    また政治関係も同様だ。アッサム等の北東州を訪れた際には、ULFA (United Liberation Front of Asom)やNNC(Naga National Council)をはじめとする各地の分離活動を行う組織にかかわる記事をいろいろ目にすることができて興味深いものがあった。北東州関係については、コールカーターあたりであっても、地理的に北東州に近いこともあり、そのあたりに関するニュースはその他の地域よりも格段に豊富だ。 

    南インド、とりわけタミルナードゥやケーララあたりでは、新聞をはじめとするヒンディーによる印刷物はほとんど見当たらないものの、都市圏以外でも英字紙が豊富なのはありがたい。だいぶ前のことになるが、2005年12月のスマトラ沖地震による津波災害の際にちょうど南インドの沿岸部にいたため、いろいろ参考になった。 

    各地でメディアの活動が盛んであることは言うまでもないが、報道の自由度が高く周辺各国とは大きな開きがある。人々の『知る権利』が尊重されているからこそ『読むに値する新聞』が豊富であることはありがたい。 

    もちろん新聞といっても様々なので、報道の質についてはいろいろあり、それは報じる側、読み手側の双方のスタンス、加えてこう言っては大変失礼かと思うが、それらの質の問題もあることは否定できないのだが。もちろんそれこれは読み手自身がメディアを選択すればいい。 

    報道の自由は必ずしも手放しで称賛できるものとは限らず、報道機関とて大きな資本によるいわば『営利事業』であるがゆえに、ニュースの『売り手』の事情が紙面に現れることがあってもおかしくない。また近年の民間放送局による視聴率を意識してのセンセーショナルな報道(興味本位の犯罪特集番組、ヤラセや捏造ニュース)や視聴者からの携帯電話のSMSによる人気投票的なマーケティング手法等、ちょっと良識を疑いたくなる面も否定できない。 

    これを玉石混淆とまで言うつもりはないが、そうした様々なソースから流れるニュースを人々が個々の意志と良識で取捨選択できる状況は健全であると私は思う。 

    ともかく新聞をはじめとするメディアにより、人々は国、地域や社会の動きを知り、自身の頭でそれを理解する。私たち外国人も同様にそれにあずかることができる。これはとても大切なことだ。ミャンマーや中国のようにメディアやネット環境にも大きな制約のある国々と比べるのは極端に過ぎるかもしれないが、インドという世界最大の民主主義システムの根幹にあるのは、活発で自由度がとても高い報道の存在であるといって間違いないだろう。 

    政府により、報道に関する制約が厳格な国々以外に、現地のアンダーワールドな部分からの圧力により、メディア自身が事前に『自己検閲』をしてしまう国もある。たとえばメキシコのように政府と拮抗する勢力である麻薬カルテルによる報復への恐れから、これらの組織に関する分野は報じられないようになっているようだ。既存のメディアでは伝えられない『空白地帯』を一人の匿名の大学生(・・・ということになっている)によるBLOG DEL NARCOというブログが情報を流しているという状況は決して肯定できるものではないだろう。 

    ブログ運営者のもとに、多数の発信者たちから連日大量の情報が写真や動画とともに届けられ、これらを編集したり裏を取ったりすることなく、そのまま掲載しているとのことだ。血なまぐさい内容が大半で、凄惨な画像も含まれている。 

    すべてスペイン語で書かれているが、ブラウザにGoogleツールバーがインストールしてあれば、日本語に自動翻訳したものを読むことができる。いささかぎこちない和文となるものの、おおよその内容を掴むことはできるだろう。 

    もちろんインドを含めた各国のメディアにおいても、報道する側の身の安全という点から世の中に伝えることが難しい事柄は存在するであろうことは否定できないし、もちろん日本もその例外ではないのだが、こうした出所のよくわからないソースによる情報を日々綴ったブログが、本来それらを伝えるべき報道機関に取って代わってしまうという状況はとても危うい。 

    話はインドに戻る。

    報道の本質にかかわる事柄ではないのだが、インドの外にある国々からしてみると、現地の各メディアによる各分野における英語によるニュース配信を大量に入手できることについても大きなメリットがある。とりわけインターネットが普及してからは、その感がさらに強まっている。 

    全国ニュースからかなりローカルなものまで、各地のメディアによる立ち位置の異なるソースから手に入れることができるという点で、とりわけ非英語圏の国々に比べて非常に『オープンソースな国』という印象を与えることだろう。 

    世にいう『グローバル化』とともにインターネットによる情報通信の普及と進化の過程の中で、これまで以上に英語が突出した存在感を示すようになっていることから『英語支配』の趨勢に対して主に非英語圏から危惧する声が上がっているが、インド自身はその英語による豊富な情報発信量から得ているメリットについては計り知れないものがあると思われる。 

    もちろん英語による情報のみでインドという国を理解できるとは思えないし、カバーされる範囲にも限界がある。それでも英語という広く普遍性を持つ言語によるソースが非常に豊富であるという点から、私たち外国人にとっても非常に利するものは大きいといえるだろう。報道の自由度の高さと合わせて、インドのメディアは自国内のみならず国外に対しても、非常に公益性が高いとも言えるのではないだろうか。

  • K-1のリングで戦うインド人

    ボクシング以外の格闘技についてはあまりよく知らない私だが、東京育ちのパンジャービーのK-1選手がいるそうだ。『シング心ジャディブ』というリングネームで試合に出ている。 

    Youtubeで以下の動画を見つけた。 

    K-1 WGP 2009 -ASIA GP- Aug.02.2009 – 1/2 

    K-1 WGP 2009 -ASIA GP- Aug.02.2009 – 2/2 

    Singh “Heart” Jaideep – Pre-Fight Interview – Sep.24.2009 

    3歳のころから東京で暮らしているため母語は日本語であるとのことだ。 

    この選手のことはごく最近知ったばかりで、そもそもK-1という格闘技について多少の関心はあるものの、あまり詳しくないので具体的なコメントは控えたい。しかし身長195cmで体重100kg超と体格に恵まれており、身体もパワフルで柔軟な印象を受ける。ハンサムな風貌で、実績を上げれば一気にスターダムを駆け上っていきそうな予感がする。

    日本を拠点に戦うインド人(国籍はインドらしい)格闘家という稀有な存在でもあり、機会があれば今後もフォローしていきたい。

  • サイクルリクシャー日本一周

    自転車で各国を旅する人は少なくないが、サイクルリクシャーでというのは珍しい。この乗り物で日本一周する日本人の写真家がいる。10月3日に、151日がかりで無事ゴールインしたことがブログに綴られている。 

    日本一周に先立って、これを手に入れたバーングラーデーシュもサイクルリクシャーでひと回りしているのだという。 

    ギアも付いていない重たい乗り物で走るのはさぞ骨の折れる旅であったのではないかと思うが、日々の様々な出会いが活き活きと描かれていて楽しい。 詳しくは写真家の三井氏のブログをご参照願いたい。 

    10月9日(土)に東京都北区の飛鳥山公園で開催された『バングラデシュ祭』(会期は10月10日まで)にて、講演が行われていたようだ。

     同氏はウェブサイト「たびそら」を運営しており、アジアを中心とする各地の写真を公開している。