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投稿者: ogata

  • パーキスターン 女性による女性のためのオートリクシャー

    パーキスターンのラーホール初の女性による女性のためのオートリクシャーのサービスが開始された。同地で環境NPOを運営する女性が始めた事業で、現在操業している車両はまだ1台のみ。

    Lahore gets first women-only auto-rickshaw to beat ‘male pests’ (DAWN)

    女性のエンパワーメントを目指すという目的もあるとのことで、これからの発展を期待したい。しかしながら、同国の中ではリベラルな都会ラーホールとはいえ、女性がこの分野に進出するのはインドよりもハードルが高いといえるだろう。

    もちろん女性運転手によるサービスであるがゆえに、女性利用客からの需要は高いことと思われるが、こうしたサービスを始めることよりも、むしろ今後継続していくこと、そしてこの事業を拡大していることについて、さらに大きな困難が待ち受けているのかもしれない。この「Pink Rickshaw」の今後の展開について、続報をウォッチングしていきたいと思う。

    ラーホール初のこの事例は、パーキスターン初というわけではないようだ。DAWNにこういう記事もある。

    Wajiha, the rickshaw driver (DAWN)

    上記リンク中にあるように、ラーホールのPink Rickshawのような前向きなものではなく、身体が不自由になった父に代わって、わずか11歳の娘が運転するという悲しい話である。せめて何か危険な目に遭わないようにと祈るしかないのがもどかしい。

  • W杯アジア二次予選 アフガニスタン代表

    サッカーのワールドカップのアジア二次予選の組み合わせが決定した。

    日本、シリアなどと同組…サッカーW杯2次予選 (YOMIURI ONLINE)

    非常に有利なグループ(日本・シリア・アフガニスタン・カンボジア・シンガポール)に入ったとメディアで取り上げられているが、そのとおりだろう。また、個人的には組み合わせはともかく、アフガニスタンと一緒のグループに入ったことについて興味深く感じている。

    2011年にアジアカップ一次リーグでシリアと対戦して、2-1と日本が苦戦した相手シリアはともかく、まったくノーマークのアフガニスタンに注目したい。FIFAランキングのシリア126位と同じく、アフガニスタンの135位はどちらも苦しい国情のためもあり、国際試合の機会が希薄であることからくるもので、実力を反映したものとは言えない。

    南アジアで開催された国際大会やアフガニスタン国内リーグなどをネット中継で観戦したことがあるが、南アジアサッカー連盟加盟の8か国(アフガニスタン、インド、スリランカ、ネパール、パーキスターン、バーングラーデーシュ、ブータン、モルジヴ)の中で、アフガニスタンは一線を画す存在だ。

    南アジア選手権においては、2011年大会に大躍進を見せて準優勝、続く2013年大会では見事優勝している。この大会の決勝戦で対戦したのは、2011年大会と同じくインド代表であったが、2-0でこれを下した。ちなみにこのときのインド代表には、日本で生まれ育った日系インド人(父親がインド人、母親は日本人)のMFプレーヤー、和泉新(いずみあらた)選手が出場していた。アルビレックス新潟のサテライト(シンガポールのSリーグ加盟)でプレーしていた選手だが、日本のアマチュアチームを経て、インドのIリーグの名門イーストベンガルに加入後、同じくIリーグのマヒンドラ・ユナイテッドFC、そして現在はプネーFCでプレーしている。

    さて、長年国内リーグを安定的に運営してきたインドをはじめとする国々が出場する大会で、これまでサッカーのインフラもなく、復興に向けてゆっくりと歩みを重ねつつある国の代表が制するというのは尋常ではないが、実はそれには訳がある。

    アフガニスタン国内を横断するトップリーグ「ローシャン・アフガン・プレミアリーグ」は2012年に始まったばかり。それでいながら、報酬を得てプレーする「プロ」選手も少なくない。現状はよく判らないが、少なくとも発足当時、選手たちは年契約ではなく、試合ごとに「日払い」で報酬を受け取るというのが普通であったようだ。もちろん勝敗や個々の活躍ぶりによって受け取る額は変動したのだろう。

    しかしながら、国内リーグの惨状とは裏腹に、海外のクラブにて活躍中で、母国の代表に招集される選手たちの存在と彼らのポテンシャルの傑出した高さがあるのがアフガニスタン代表の特異なところだ。代表選手たちの半数ほどは欧州を中心とする様々な国々のクラブでプレーしており、国外生まれの者も少なくない。

    よって、スタメンで出てくる主力は海外仕込みの選手たちとなるであろうことから、日本が相手にする相手の大半は、本格的なサッカー環境とはほど遠いところで育った「アフガンの地場産の選手たち」ではなく、外国の2部や3部のクラブに所属とはいえ、紛れもない「本場仕込みのプレーヤーたち」であることを念頭に置く必要があり、他の南アジアサッカー連盟に加盟している国々の代表とは格が違うのは当然ということになる。

    地域では突出しているとはいえ、日本代表が圧倒されるケースは想像しにくいが、「意外にいいサッカーをする!」と評価される可能性があるアフガニスタン代表だ。国内が安定して成長が見込めるようになると、今後さらに急伸していく可能性もある。

    アジア二次予選では、ホーム&アウェイ方式で二試合ずつ、合計8試合行われることになるが、情勢が緊迫しているシリアもさることながら、果たして首都カーブル(「カブール」という表記がメディア等で見られるが、ペルシャ文字で「کابل」と綴るので、「カーブル」が適切)で今年9月8日に予定されているゲームが実現できるのか、第三国での開催となるのかについても注目したい。

    安全確保が最優先であるのは当然だが、関係者たちの努力により、カーブルでのアフガニスタン代表のホームゲームが開催されるとなれば、アフガニスタンサッカー界にとって歴史的な快挙となるだけではなく、アフガニスタンのサッカーファン、とりわけ元気な子どもたちへの大きな贈り物にもなる。また、長く続いた内戦でズタズタになった国で、異なる民族の人々が声をひとつにして「私たちの代表」を応援できるということは素晴らしいことだ。

    スポーツが平和のためにできることはいろいろある。勝ち負けだけではない「絆」や「共感」を持つことができることもまた、スポーツの国際大会の大きな意義のひとつだろう。アフガニスタンのサッカーファンにとっては、今や世界的な強豪国の一角となった日本を迎え撃つ「ワールドカップ予選試合」をホームで実現することは、日本がこの二次予選、そして最終予選を制して6度目の本大会に出場する以上に大きな意味のあることだ。勝敗はともかく、これを実現するということは、人々の心に届く、真に勇気ある国際平和貢献となることは言うまでもない。

    はなはだ残念なことであるが、シリアにしても、アフガニスタンにしても、こうした大きなイベントは反政府勢力にとって格好のターゲットとなり得ることは間違いない。スポーツに政治を持ち込むことなく、誰もが心ひとつにして自国代表を力いっぱい声援できる環境を造ることは、思想や主義主張を越えて、FIFAや日本とアフガニスタンサッカー協会関係者たちはもちろんのこと、アフガニスタンの行政、治安当局や反政府勢力等々にかかわるすべて大人たちひとりひとりに課せられた責任でもあるとともに、私たち日本人もまた実現に向けて世論を後押ししていくべきだろう。

    アフガニスタンで、後世に語り継がれる「伝説の試合」が現実のものとなることを期待したい。

  • ニュース雑誌 Northeast Today

    インド北東地域の通称「セブン・シスターズ」。アッサム州、アルナーチャル・プラデーシュ州、トリプラー州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州、メガーラヤ州のことだが、「充分にインドらしさがある」アッサム州とそれ以外の州では様相が大きく異なる。

    地理的には隣接していながらも、民族的にも文化的にも差異が非常に大きく、それぞれ別々の国であるかのようだ。ヒンドゥー教や仏教に取り込まれることがなかった地域さえある。
    北東地域を総括する共通項といえば、「どれもインド共和国に所属している」ということくらいではないだろうか。

    そんな民族のモザイクのような魅力に溢れる北東地域だが、アッサム州を除けば巷にこの地域の情報があまり多くないのは、同州以外は経済的に重要な地位を占めていないという事情はもちろんのこと、人口が少なく、地元マスメディアのインフラが貧弱であることなどがあるだろう。情報発信力が弱いだけではなく、記事の質や信憑性といった面でも、アッサム州を除く北東地域以外とは比較にならないといって間違いない。

    そんな中で、北東インド地域を包括する月刊ニュース雑誌Northeast Todayはなかなか重宝する。アッサム州の州都グワーハティーをベースとするメディアだが、ヨソではあまり話題にもならない「セブン・シスターズ」各地のニュースを精力的に取り上げている。

    興味深いことは他にもある。誌面で取り上げられる中央政界のニュース、対中国その他の国際関係の記事などが、北東地域の視点から書かれていることだ。

    近年は、MAGZTERで定期購読もすることができるようになっているのだから、インド世界も狭くなったと言えるかもしれない。月刊誌であることから、トピックのフレッシュさの面で不利になることは少なくないため、同誌のウェブサイトのほうも併せてチェックしていくといいだろう。

  • ダージリンヒマラヤ鉄道 4年ぶりに全線開通のニュース

    大規模な崖崩れのため4年間ほど部分的にしか運航されていなかったダージリンヒマラヤ鉄道だが、このほどようやく全線開通となったとのこと。

    DHRS NEWS UPDATE – 31 MARCH 2015 (DARJEELING HIMALAYA RAILWAY SOCIETY)

    2013年にダージリンを訪問した際には、ダージリンから発車したトイトレインはカルセオンで折り返していた。

    ダージリンでトイトレイン乗車 (indo.to)

    上記記事には、崖崩れの現場の様子を伝えるDARJEELING HIMALAYA RAILWAY SOCIETYウェブサイトへのリンクが張ってあるので、参考までご覧いただきたい。

    道路沿いに走るルートが多いため、被災地域では車道も同様に崩落してしまったため、当時は従来のルートよりもかなり道幅が狭い迂回路をクルマが通行するようになっていた。

    多雨に見舞われる山岳地の宿命ともいえる災害だが、復旧作業にあたってはそれに関わる人々の多大な苦労があったに違いない。

  • 成田空港第3ターミナル開業

    4月8日に成田空港第3ターミナルが開業した。

    成田空港「第3ターミナル」出発・到着ロビーをチェック (トラベルWatch)

    LCC専用ターミナルで、今後は国内外の多くの航空会社の乗り入れを模索しているようだ。
    国際線については、現時点ではジェットスター、チェジュ航空、バニラエアの3社のみだが、将来的にはインド方面への直行便の就航も期待したいところだ。

    首都圏にLCC専用ターミナルが出来たからには、南アジア方面へ直接アクセスできるLCCの乗り入れが待たれるところである。日本から「インドへの道」の選択肢が増えることを願いたい。

  • Hooghly Tales

    Hooghly Tales

    かつて「10 SUDDER STREET」で取り上げたように、タゴール家の持家のひとつがここにあった。同家から出た詩聖ラビンドラナート・タゴールがしばらく起居したこともあるというがあったと聞く。そんなサダル・ストリートは、今のような安宿街という趣とはまったく異なる閑静な住宅地であったのだろう。

    大きな商業地域を抱えるチョウロンギー通り界隈に隣接しているが、ごく近くにインド博物館、Asiatic Society、サウスパークストリート墓地のような植民地期の白人墓地があるとともに、由緒ある教会もある。

    また、「サダル・ストリート変遷」で紹介してみたように、19世紀あたりから、ユダヤ人たちも多く居住する時期もあった。著者であり、主人公でもあるSally Solomonという女性が、この作品内で描いた自分自身の子供時代から新婚時代までにかけての物語は、彼女ら家族が居住していたエスプラネード北側のBentinck Street、そして引っ越した先でSudder StreetとMarquis Streetの間に挟まれたTottee Laneで展開していく。

    彼女の先祖はシリアのアレッポから移住したShalom Aaron Cohen。カルカッタのユダヤ人社会では伝説的な偉人だが、彼女の時代にはごくありふれたロワー・ミドルクラスの家庭のひとつとなっている。

    先祖が日常的に着用していたアラブ式の装いや家庭内で使用していたアラビア語は、彼女の世代にとってはとうの昔にエキゾチックな存在となっており、これらは洋装と英語に置き換わっている。これは17世紀初頭から19世紀にかけて、中東地域からインドに移住した、いわゆる「バグダディー・ジュー」と呼ばれる人々に共通した現象で、インドに定着するとともに生活様式が洋風化していったのは、偶然の所作ではなく、商業の民の彼らの稼ぎ口が当時インドを支配していた白人社会にあったからである。

    英領時代のカルカッタの街のコスモポリタンぶり、市井の人たちの暮らしぶりを知るための良い手がかりになるとともに、カルカッタを旅行で訪れた人にとってもなかなか興味深いものとなるのではないかと思う。20世紀前半のサダル・ストリート界隈での暮らしや出来事、ごく近くに立地するニューマーケットの様子などが活写されており、カルカッタで現存する最古の洋菓子店あるいは様式ベーカリーとして知られる「ナフーム」も出てくる。

    サダル・ストリート界隈に、今なお多く残る昔はそれなりに立派であったと思われる屋敷や建物(たいていは内部が細分化されて貸し出されていたり、転用されていたりするが)のたたずまいから、そうした過去に思いを巡らせてみるのはそう難しいことではない。

    Hooghly Tales – Stories of growing up in Calcutta under the Raj (English Edition) [Kindle版]
    著者 : Sally Solomon
    ASIN: B00EYTNNMK

  • 植民地末期ビルマでの暮らしの回顧録 Every Common Bush

    植民地末期ビルマでの暮らしの回顧録 Every Common Bush

    著者である主人公の女性、パトリシア自身の英領ビルマでの生活の回顧録。彼女は1923年にラングーンで生まれて、日本軍の侵攻により1942年にインドに脱出するまで、ビルマで暮らしている。

    彼女の先祖は、1840年代に軍人として赴任した初代(1857年のインド大反乱の際、アラーハーバードで死亡)とその妻、彼らに伴われて渡ってきた二代目となる子供たちがインドに根を下ろした。インドに暮らしてきた家族がビルマに移住したのは主人公の親の代であったようだ。主人公は本国から離れてアジアに移住した家系の五代目であり、植民地で暮らす最後の世代となる。

    彼女の父親は自動車整備工。やがて企業して自らの自動車販売会社を持つようになり、順風満帆な生活を送るが、いつしか事業が不振に陥ってしまう。仕事に行き詰った結果、行政関係の仕事に就くが、独立運動とともに社会不安が高まる中、身の危険を感じて運輸関係の民間企業に転職。

    第二次大戦開始による暗雲はアジアにも着実に影響を及ぼし、日本による真珠湾攻撃のニュースはビルマに暮らす主人公やその家族たちの生活にも暗い影を落とすようになる。

    父は、勤務する運送会社がビルマから中国に至る「援蒋ルート」で軍需物資を運搬するという危険な業務に従事するようになるとともに、子供たちはビルマ中部のシャン高原にあるヒルステーション、メイミョーに疎開。

    1942年、ラングーンに侵攻した日本軍はまもなくビルマ中部以北にも進撃を続ける中、まだ任務から離れることができない父親よりも一足早くインドに脱出。飛行機でチッタゴン、船でカルカッタ、そして鉄道でデヘラドゥーンへと向かい、主人公はしばらく看護婦として勤務することになる。

    すでにビルマから外に出るフライトが無くなってしまった父親は、仲間たちとビルマからインド北東部を経て逃れる決断をしなくてはならなくなってしまう。

    道中、命を落とす仲間たちも出る中、なんとかインドにたどり着くことができた父は家族と再会。家族はボンベイを経て、バンガロールに落ち着くこととなった。

    作品の前半から中盤にかけては、主人公のどかな子供時代と家の中での出来事、彼ら家族を取り巻く人々の平穏な日常と在緬イギリス人たちや地元の人々の様子が描かれている。幼い子供だった主人公が成長していくとともに、植民地ビルマで暮らしていた様々な人たちとの付き合いも深まり、家や学校の外の社会に対する観察力が深まっていく。青春時代を迎えた主人公が、第二次世界大戦の戦況やビルマの独立運動の盛り上がりなどに対して、冷静に観察していた様子がうかがえる。

    植民地在住のイギリス人とはいえ、ワーキングクラス出身で、5世代に渡ってインド・ビルマに在住。決して特権階級などではない主人公たちは、当時のラングーンの社会各層との繋がりは深く、そうした中で巧く世渡りをしていくたくましさを持っていたようだ。家庭内での英語以外に、ビルマ語やヒンドゥスターニー語(現在よりもインド系の人口が占める割合が高かった)をごく当たり前に使用する多言語・多文化環境にあったようだ。

    バンガロールに落ち着いたあたりでストーリーは終わる。その後まもなくインドは独立を迎えることになるが、パトリシアとその家族たちはその後どうなったのだろうか、と少々気になるが、おそらく他の多くの英領インド在住のイギリス人たちがそうであったように、英国に「移住」あるいは第三国に転出し、その後は大過なく暮らしていたがゆえに、こうした本を出版することになったのだろう。

    植民地末期の生活史として貴重な一冊であるが、amazonから手軽なkindle版が出ているので、多少なりとも関心があればご一読をお勧めしたい。

  • ソンクランフェスティバル2015(4月)とタイフェスティバル2015(5月)

    4月25日(土)と26日(日)に東京都渋谷区の代々木公園にて、「ソンクランフェスティバル2015」が開催される。

    その翌月、5月16日(土)と17日(日)には「タイフェスティバル2015」が開かれるが、こちらはまた例年どおり大盛況かつ巨大なイベントとなるであろうことから、タイのビールとつまみを片手に、のんびり休日を楽しみたい向きには前者のほうが具合はいいかもしれない。

    昨年はデング熱騒動により、夏の終わりから秋にかけては屋外イベントが低調となってしまったこの公園だが、屋外イベントのシーズンもすぐ目の前まできており、賑わいが戻ってくるのが楽しみである。

  • 池袋西口の「リトル・ダッカ」な日曜日

    4月19日(日)に東京の池袋西口公園にて、「第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ」が開催される。

    いくつかのカレー屋さん、ハラール食材屋さんがあることを除けば、バングラデシュはともかく南アジアとの繋がりはほとんどない池袋ではあるが、この西口公園だけは、長年恒例の行事となったこのイベントとともに、2005年にカレダ・ズィア首相(当時)来日時に贈られたショヒード・ミナールのレプリカが置かれていることからも、ずいぶんバングラデシュと縁の深い公園となっている。

    当日、こうしたイベントが開かれていることを知らずに通りかかった人たちは、この一角だけに着飾ったベンガル人たちがワンサカと溢れていることに驚くことだろう。日本で生まれの「二世」たちの姿も少なくなく、単なる一時滞在ではない、日本にしっかりと根を下ろして暮らしているベンガル人たちが多いことも感じることができる。

    さて、この機会に春の喜びを在日バングラデシュの方々とともに、みんなで分かち合おう!

    第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ (Japan Bangladesh Society)

  • フライトの振替 250km先から出発

    フライトの振替 250km先から出発

    グジャラート州カッチ地方の中心地ブジの町に滞在していると、夕方以降の遅い時間によく飛行機の爆音が聞こえてくる。民間機が発着する時間ではないため、おそらく軍の飛行機なのだろう・・・などと思いながら、ウトウトしているうちに眠ってしまった昨夜。

    今朝は早起きして出発準備。本日この朝7時半にチェックインとのことなので、6時50分に階下でチェックアウト。このホテルは空港までの送りをクルマでしてくれるとのことでタクシーを呼ぶ必要はない。午前7時でもまだまだ暗いのは、広大なインドの西端にいるがゆえのこと。

    空港にはまだ人影は少ないが、早く到着する分には損はない。警備の人たちの立ち話から、昨日夕方のエアインディアの便がキャンセルとなったことが判り、何故かちょっと気になる。私が利用するのはジェットエアウェイズのムンバイー行きのフライトであるが。

    預け荷物のXレイ検査機械の前で一番で待っていると次第に私の後に列が出来てくる。ジェットエアウェイズの人たちが次々に入ってきて、ようやくチェックインの始まりとなるようだ。

    ・・・と思っていたら「ロンドン行きの人は来てください」という案内があった。てっきりムンバイーからロンドンに向かう乗り継ぎ便がキャンセルとなった人たちがあるのかと思いきや、実は私が搭乗するはずのフライトがキャンセルになったとのこと。「ロンドン行きの人たち」を呼んだのは、国際線の乗る人たちを優先して振り分けようということだったようだ。

    振り分け作業も遅々たるもので、ようやく私の番となり、どうなるのかと思えば、アーメダーバードからムンバイー行きのフライトに振り替えるとのこと。クルマで空港まで送るとは言うものの、7~8時間の道のりだ。本日午後のブジからムンバイーへのフライトについて聞くと、満席のためチャンスはないとのこと。他の乗客についてもブジからの午後便に振り替えられた者はないようで、カウンターでの喧々諤々のやりとりを耳にする限りでは、誰もが他の空港からのフライトをあてがわれているようだ。

    「とにかく急ぐので」と頼むとラージコート行きのフライトとなった。これとて、ここから5~6時間くらいはかかるだろう。正午過ぎのフライトに間に合えばそれに乗れるし、それがダメだったら午後5時のものになるという。こればかりは仕方ない。ラージコート便への振替の他の乗客たちとともに、航空会社差し回しのクルマで出発する。

    つい先日、ラージコートからブジに移動したが、まさかこうして再び同じ道をたどるとは想像もしなかった。ムンバイーからのフライトを予約したとき、カッチ地方のみを見て回るつもりであったのでブジ往復で予約したのだが、ブジに到着してから思いついて、サーサンやラージコート周辺も訪れることにした私である。ラージコートに着いた時点で、ブジからムンバイーに戻るフライトをキャンセルして、ラージコートからムンバイー行きを確保すれば良かったではないか、などとも思うが、今さら仕方のないことだ。

    それにしても、フライトがキャンセルとなって、乗客全員を250km先の(ラージコート)、や400km先の(アーメダーバード)まで振替を実施したジェットエアウェイズだが、これが国営のエアインディアであれば、そのような措置はおそらくなかったことと思われるので、やはりジェットエアウェイズにしておいて良かったと思った。

    ブジを出てからしばらく経つと、クルマは大きな幹線道路に出た。カッチ地方とサウラーシュトラの境のあたりの広大な塩田と発電の巨大な風車がたくさんならんでいる景色を眺めつつ、クルマは進んでいく。ちょうどリトル・ラン・オブ・カッチのあたりである。

    カッチ地方とサウラーシュトラでは少し景色が異なるようだ。後者のほうが緑がかなり多くて畑も多いように思われる。さきほどの風力発電や塩田のあたりを境に、どちらも平坦ながらも急に風景のイメージが変わるのが面白い。ブジからラージコートに行くときにそう感じて、ラージコートからブジに帰る際にその印象を再確認した。またこうしてふたたびラージコートに向かっていてもそうなので、やはりこれでまちがいないのだろう。

    ブジを出てから4時間ほどでラージコートに到着。途中幾度も停車していくバスではなく乗用車なので、その分早かった。市街地の混雑した中をクルマが進んでいくと唐突に空港が現れた。人口規模130万人ほどの街だが、これほど中心部に近いところに滑走路があるというのは、他にあまり例がないことだろう。この時点で12時半。すでにフライトはドアを閉めたとのことで搭乗できなかった。よって午後5時のフライトとなった。

    それまでしばらくの間、他の振替え客たちとの雑談や日記書きの時間となったのだが、時間というものはいつもあれよあれよという間に過ぎてしまうものだ。やがてチェックインの時間となった。

    フライトは1時間ほどでムンバイーへ至る。広大なダーラーヴィーのスラムを眼下に見ながら着陸。こういうロケーションにあるスラムは、中国ならばとうの昔に取り壊していることだろうが、そうはならないのはインドらしいところである。

    着いて荷物を待っていると、同じジェットエアウェイズの午後便は、こちらよりも少し早く到着していたようで、乗客たちは荷物をピックアップしている。どうせならこちらにしておけば良かったのだが、こればかりはその時にならないと分からない巡り合わせなので仕方ない。キャンセルとなるとわかっていて、そのフライトを予約するわけではないのだから。

  • ゴーンダル3

    ゴーンダル3

    ナウラーカー・パレスの入口

    オートでナウラーカー・パレスに移動。こちらは前述のふたつのパレスに比べるとかなり古いが実に豪奢な造りである。オーチャード・パレスでもそうだったが、ここでも自由に歩きまわることはできず係員がついて周り、いちいちカギを開けて室内の電気を付けて、という具合になる。やはり管理上の理由からであろう。ここでのコレクションは主に古い文物であったりして、あまり印象に残らなかったが、それらとはかなり異なる展示物もあった。王家の子どもたち、おそらく女の子たちのための人形がたくさんあり、これらは欧米からのものだろう。いかにも俗っぽいところが、ちょっと微笑ましくもあった。

    王女たちの人形コレクション

    「藩王の執務室」であったのだとか。

    また子どもたちのものが中心と思われるが、膨大なミニカーのコレクションもある。現在の当主はロンドン在住だが、若いころはヨーロッパでレースに出場するなど、やはりクルマ好きであったそうだまた、ここの宮殿には馬車のコレクションがあるが、これまた大変な数である。これらの車両は英国からの輸入らしい。自動車出現前からこの一族はやはりクルマ狂であったらしく、やはり血のなせる業なのだろうか。

    オーチャード・パレスの自動車コレクション同様、ナウラーカー・パレスの馬車コレクションも秀逸

    パレスの塀には無数の割れガラスが刺してある。こうした「防犯装置」は庶民のそれと特に変わるところはない。

    過去の王家の人々のポートレート

    王家の子供たちの遊戯室

    朝、宿を出る前にトーストとチャーイしか腹に入れていないので、非常に空腹である。しばらく付近を散策してからマーケットで見つけたレストランで軽食。まったくもってひどい「ピザ」だが、まあ味は悪くない。

    食事を終えて、オートでゴーンダル駅に向かう。この駅からラージコートまでは10Rsと、バス代の四分の一くらいである。本数が少ないので日々の行き来に利用するのはたいていバスだろう。だがここからラージコートに向かう列車に乗る人たちはけっこうあった。ここには一日に数本の急行も停車する。

    バクティナガル以降はガラガラの車内

    ラージコートまでの間にひとつだけバクティナガルという停車駅がある。駅だ。さきほどまでは車内はいっぱいだったが、ここで大半の乗客が降りてガラガラになった。ラージコート郊外の住宅地である。スマホの地図を表示すると、Bhaktinagar Stations Slumというのが駅の西側に表示されたが、そちらに目をやると、周囲の落ち着いた住宅地とはずいぶん環境の異なるひどい状態のスラムが広がっていた。

    ラージコートに到着。駅に表示されている主な列車の中にラメースワラム行きのものが週に2、3本あることに気が付いた。ここからだとかなり時間がかかることと思うが、かつてはメーターゲージだったはずのこちら(ラージコート)とあちら(ラメースワラム)が直接繋がったのは、インド国鉄が全国的に進められている線路幅の共通化、つまりブロードケージ化への努力のおかげである。

    インド亜大陸の鉄道は、他ならぬ大英帝国の偉大なる遺産だが、かつては幹線鉄路はブロードゲージ、支線は往々にしてメーターゲージであったことから、旅客や貨物の輸送に支障をきたすという「負の遺産」も抱えていた。大量輸送と高速化に有利なブロードゲージで統一するという、大きなコストや手間と時間のかかる作業にインド国鉄は取り組んでいる。

    ちなみに、異なるゲージ幅の鉄路への対応として、隣国バングラデシュは、これとは異なる「デュアルゲージ化」という手法で対応している。つまりひとつの軌道に三本目のレールを敷設することにより、どちらの車両も走行できるようにするというものだ。

    線路は続くよ、どこまでも 3 (indo.to)

    鉄道輸送に依存する度合が相対的に低く、低予算という面からは効率の良い手法だろう。

    〈完〉

  • ゴーンダル2

    ゴーンダル2

    ゴーンダルのもうひとつの宮殿はオーチャード・パレス。これは比較的新しい洋館である。入場料は中のいくつかの展示と写真代を含めて120Rs。王家のクルマのコレクションが大変なものであった。とにかく大きくて豪華なクルマが好きであったようで、多くはアメリカ車だ。

    職員の説明によると、どれもが今でも走ることができるコンディションに保たれているとのこと。1950年代の黄金期のアメリカ車を中心にその前後の時代のクルマやその後のものもあった。こんなにたくさんのクルマを購入して、それらすべてを頻繁に乗り回すことはなかったのではないかと思う。収集癖というものだろう。

    こうした高価なクルマをしかもこんなところまで運ばせるには相当なコストがかかったことと思う。すでに藩王国が廃止されている時代以降のものでもあるわけで、インド独立により共和国に編入されてからしばらくは政府からの年金が補償的な意味合いで支給されていたにしても、それだけ多くの蓄えがあったわけである。独立前、1930年代に王は自分の体重と同じだけの金を貧窮のために寄付したこともあるとのことだが、それにしてもそれ以上に人々から収奪していたということになる。

    宮殿中は大半が洋風である。だがラウンジ(Baithak)のみは、室内は洋風であるものの、フロアーにマットレスを敷いて、枕状のものが置かれており、いかにもインド式だ。宮殿内は、豪華絢爛というほどではないが、美しくまとめられている。ゴーンダルの宮殿は、政府に接収されていないので、また王家が今でもメンテに費用をかける余裕があるということもあるのだろうが、実に美しく保っている。これが政府のものになっているところだと、かなり悲惨というか、過去の栄華をあまり感じさせない苔むした感じであったり、すっかり日焼けしてしまったりするものだ。ふと思い出したが、2008年にネパールの王室が廃止されてから1年余り過ぎたあたりの頃、博物館として市民に開放されるようになった王宮を訪れたことがある。当時、まだ王室が放棄してから日が浅かったため、とてもいいコンディションであったが、今はどんな具合だろうか。

    ゴーンダルの旧王家の人々は、現在ロンドンでビジネスを展開していているとのことだ。その中にはホテル業もあるという。時折、ゴーンダルに戻ってくることはあるとのことで、その際には本日見学した宮殿の少し裏手にあるもう屋敷に滞在するのだそうだ。

    ここで働くスタッフについて興味深いことに気が付いた。ここで働いている人たちの多くは、藩王国時代から世襲で雇われている人たちであることだ。王家の人たちとの長年の信頼関係ということのようだ。彼らは、ここの敷地内に住居が与えられている。

    宮殿のすぐ横にはロイヤルサルーンと書かれた、王家が鉄道で移動する際に使用した専用車両が置かれている。嬉しいのは、その車内に入って見学できることだ。キッチン、シャワー室、トイレ、リビングが装備されている。これまた豪華である。こうした車両で移動したならば非常に快適で疲れることはないだろう。こういう車両は、単独で機関車に接続して独自の時間で走ったのか、既存のエクスプレスに連結したのか、質問するのをつい忘れていた。

    王室専用車のキッチン

    王室専用車のシャワー室
    王室専用車のトイレは意外なほど普通な印象

    〈続く〉