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投稿者: ogata

  • シェーカーワティー地方へ5〈マンダーワーの風景〉

    シェーカーワティー地方へ5〈マンダーワーの風景〉

    規模は小さくてもなかなか凝った装飾

    マンダーワーに限ったことではないのだが、シェーカーワティー地方のどこに行っても特徴的な風景はいくつもある。規模は様々ながらも、どれも華麗なハヴェーリー。中庭を中心に「ロ」の字型のプランを持つのが基本だが、ときにその枠にはまらない独創的な姿の屋敷も見かけることがある。

    門の上に乗っかる形になっているハヴェーリー
    こちらはその背面

    かなり複雑な構造のハヴェーリー

    大きなハヴェーリーが建ち並ぶ地域は道路が広く取ってあり、徒歩ですぐに抜けられてしまうほどの規模の小さな町にしては、やけにきちんと区画されている印象を受ける。

    富を築いた豪商たちが地域の社会貢献のためにいくつもの井戸を造ったが、遠くからでもそれとわかる2本ないしは4本のミナレット状の塔が建ち、この地域以外では見かけることはない。

    こちらは井戸

    もちろん寺院も小さな田舎町には似つかぬ大規模なものが多いとともに、ハヴェーリー同様に非常に派手に飾り立てられており、参拝するのはとても楽しい。

    こちらは寺院

    寺院内

    寺院から眺めた外の風景

    〈続く〉

  • シェーカーワティー地方へ 4  〈タークルの屋敷〉

    シェーカーワティー地方へ 4  〈タークルの屋敷〉

    マンダーワーのタークルのハヴェーリーを見学。商家ではなく、小領主的な存在であったため、「城」を名乗っている。現在の当主はジャイプル在住とのことだ。

    ここは現在、Castle Mandawa Hotelという名前で、おそらくリゾート運営の会社が委託を受けて運営しているようだ。他にもマンダーワーにあとふたつ、ジャイプルにひとつ、チェーン展開している。
    建物内は自由に見学できるわけではなく、宿泊客以外はスタッフによるガイドツアーで見学することになっており、その料金は250RSもする。

    それはさておき、「宮殿」といっていい規模と内容のヘリテージホテルで、一泊6,000Rsほどのようだが、「オフシーズンなので5,000Rsにしますよ」とも言われた。一般的な感覚として、このくらいの料金でちゃんとしたヘリテージホテルに宿泊できるのならば、充分に価値がある。ラージャスターン州からグジャラート州にかけて、数々の藩王国が割拠したところでは、それこそ無数にといっていいほど沢山の宮殿ホテルがある。とても手の届かない料金のところもあるが、ここのようにそうでもないところも少なくない。ここはそうした中で比較的エコノミーな料金で楽しむことが出来る宿泊施設と言えるだろう。

    ただひとつ気に入らないのは、宿泊していない者が見学する際に250Rsという料金を取ること。その料金にはカフェテリアのメニュー内で250Rs分までの飲食が含まれているとのことであったが、実際にはソフトドリンクくらいしかその範囲で頼めるものはなく、結局はそれを大きく上回ることになる。そんな姑息なことをするくらいならば、「見学料金は250Rs」として欲しいものだ。

    このホテルをガイド付きで見学してみた。立派な制服を来た(ラージャスターンの伝統的なスタイルの衣装)スタッフが案内してくれるのだが、建物内の特に立派な部分をいくつか回ってくれる。やはり屋敷というよりも、これは事実上の城、あるいはパレスである。モダンなスイミングプールがあったり、おそらく音楽の演奏や結婚式にも使われるであろうマンダップのある中庭もあった。敷地内に立派なシェーカーワティー式のハヴェーリーもある。

    メインの建物の屋上からは町全体を見渡すことができる。ごく小さな町ではあるが、上から眺めてみると、大規模なハヴェーリーが多いことに改めて驚かされる。映画「PK」のマンダーワーでのロケの際、アーミルやサンジャイなどが宿泊したとのことだ。

    〈続く〉

  • シェーカーワティー地方へ 3  〈映画をこよなく愛する人々〉

    シェーカーワティー地方へ 3  〈映画をこよなく愛する人々〉

    せっかくマンダ‐ワーに来たので、昨年公開されて今年の初めにかけて大ヒットした映画「PK」で、この町でのロケ地であった「チョウカーニー・ハヴェーリー・チョウク」という横丁であることはすぐにわかった。小さな町なのでどこに行くのもすぐだ。

    田舎町で、人気スターがやって来ることに大興奮したであろうことは、特にちょっと若い人たちに声かけると、期待を大きく上回る反応がかえってくることから見て取れる。
    「この路地の出口で、アーミルがサルマーンのクルマに(確かトラクターであったはず)にひかれた」
    「あの歌のダンスシーンで挿入された場面が撮影されたのはここ!」
    「映画の中でアーミルにサーモーサーを勧めたのはこの人!」と、わざわざその人物の仕事場まで連れていってくれる人までいた。

    映画の中でアーミル・カーンが轢かれたスポット

    ダンスシーンが撮影された場所はここなのだとか。



    映画「PK」の中でアーミルにサーモーサーを勧める役を務めた人

    「おーい、兄貴ィ、日本から記者があんたのことを取材に来たでぇ・・・。オレ、お茶注文してくる。よーく話聞いとってな!頼むでぇ!」なんて具合に早足でどこかに行ってしまった。私は記者ではないし、取材しに来たわけでもないのだが・・・。

    ちょっと尋ねると、芋づる式に次から次へとこの映画ゆかりのナントカカントカが出てくるレスポンスの速さ!
    「PK」の後は、「バジラン・バーイージャーン」というサルマーン・カーン主演の映画の撮影もなされたとのことで、今後もマンダーワーが他の映画作品のロケ地として使われることが幾度かあることだろう。

    やはりどこに行っても映画をこよなく愛する気持ちは誰もが同じであることは、ボリウッド映画ファンの私としても嬉しい。

    〈続く〉

  • シェーカーワティー地方へ 2 〈Hotel Mandawa Haveli〉

    シェーカーワティー地方へ 2 〈Hotel Mandawa Haveli〉

    滞在先のマンダーワーで宿泊先としたのはHotel Mandawa Haveli。古いが立派な屋敷をホテルとして活用したものである。18世紀から20世紀初頭にかけて、最初は陸上交易、そこで蓄財した商人たちが都会に進出して稼いだ資金を故郷に送ったことから、豪壮で華麗なハヴェーリー (屋敷)が残されたことで知られるシェーカーワティー地方。そのハヴェーリーの内部・外部ともに美しい壁画による装飾が施されているのが特徴だ。

    だが、多くはオーナー家族が大都市に転出していったり、売却してしまったりということもあり、田舎町に似つかわしくない大規模な邸宅が間貸しでテナントを得るようになり、地上階は商店、ファーストフロアーから上は集合住宅というような形態になってしまっているところが多い。伝統的なジョイント・ファミリーの邸宅として、中庭を中心に「ロの字型」となっている屋敷に身内の複数世帯が起居するものであったため、間貸しするのにちょうど良いということもあるのだが。

    その結果、ハヴェーリーの内部は荒れ放題であったり、オリジナルの形態とは似ても似つかぬ安手の増改築がなされたり、ということになり、壁に精緻なタッチで描かれた絵に対する敬意が払われることもなく、危機的状況にあることは様々なメディア等で伝えられつつも、現地では相変わらずの無頓着という状況が続いていたのが1990年代までのこの地域であった。

    21世紀に入ってからは、こうしたハヴェーリー、それらを建てた豪商たちが寄与した建築物(ハヴェーリー以外に寺院や共同井戸など)が歴史的・文化的な価値が高いものであるとして認知されてきてはいる。しかしながら、細切れに賃貸に出されているハヴェーリーについては、長年賃貸で居住している世帯ないしは商店があることから、以前と同様の厳しい状態にある。

    ホテルに転用されたハヴェーリーについては、華麗な絵による装飾は見事に復元されていたりするものの、ここでもまたオリジナルの形態とはかなり異なる部分も生じるのは当然のことだが、少なくとも文化的な価値に焦点を当てて、ヘリテージな宿泊施設として供されるわけである。人々にそうした伝統を認知させること、こうした修復活動を通じて、技術が伝承されることなどから、決して悪いことではないだろう。















    現在、間借人たちが居住しているハヴェーリーは、そこに住む人との何かしらのコンタクトを取る機会でもないと、なかなか内部を見学することはできないし、オーナーがテナントに貸し出すことなく、ケアテイカーを置いて管理させているようなところでは、いくばくかの謝礼を渡して建物内を見せてもらうことも出来たりはするものの、そうのんびりと見学できるわけではない。そうした点からも、宿泊施設として転用されている場合、誰に遠慮することもなく、建物内を闊歩できるという大きな魅力がある。

    ホテルに転用されるところが次第に増えているのは、近年の傾向のようだ。1990年代に幾度か訪れた際に「こうしたハヴェーリーがホテルに生まれ変わっていたら、どんなに素敵な宿泊施設となることか」と思ったことを記憶している。地域の領主の館、豪商たちのハヴェーリー内部を模した装飾が施された宿泊施設はあったものの、このような形態のホテルはまだ存在していなかった。

    ただし、今回の宿泊先の近くで、ふたつ、みっつほど営業しているハヴェーリーから転用された宿泊施設については、内装の修復が素人目にも相当いい加減なものであったり、「コンクリート造りの別棟」に客室があったりと、あまり良い印象を受けなかった。伝統的なハヴェーリーを謳う宿泊施設の粗製乱造が懸念されるところである。

    〈続く〉

  • 週刊エコノミストのインド特集

    週刊エコノミストのインド特集

    現在発売中の週刊エコノミスト(10月27日号)は、「インドびっくり経済」と題して、インドに関する特集を掲載している。
    日本の経済誌で、時折こうした記事が組まれる。「インド入門」のようなありきたりな記事もあるものの、日本大手企業のインドにおける活動、日本のビジネスマンたちがインドの市場をどのように捉えているかという、日本を軸にした経済やビジネスという側面から眺めたインドについて読むことは、なかなか興味深いものがある。
    リンク先はその概要だが、エコノミストの各号は紙媒体以外に、電子版も購入可能である。

    特集:インドびっくり経済 2015年10月27日号 (エコノミスト)

    ※「シェーカーワティー地方へ2」は後日掲載します。

  • シェーカーワティー地方へ 1 〈デリー出発〉

    シェーカーワティー地方へ 1 〈デリー出発〉

    昼を少し回ったあたりで、デリーのサライ・カレー・カーンISBTからシェーカーワティー方面行きにバスに乗車。このバスの終着地ジュンジュヌーまで距離にして220km程度だが車掌は「6時間半かかる」と言う。かなり迂回しながら進んでいくということもあるが、とりわけラージャスターン州に入ってからの路面状況があまり良好ではないという部分もある。

    首都圏から遠く離れているわけではないのに、そのあたりのインフラが整っていないということに、「ゆえに地域特有のものが保存されてきた」という面もあり、近世以降のインド経済で現在に至るまで、重要な役割を担ってきたマールワーリー商人たちの主要な故地であるにもかかわらず、このような状況であるがゆえに、「すっかり見捨てられてしまった過去の繁栄の地」という印象も受ける。このシェーカーワティー地方については、私がずいぶん前にこのブログに掲載した記事があるのでご参照願いたい。

    シェーカーワティーに行こう1 華麗な屋敷町

    長距離バスに乗るときにしばしば思う。同じ街の始発点から乗車すれば座席を確保できるにもかかわらず、なぜそこまで行くことなく、途中の路上から乗車しようという人が多いのかと。自宅がよほどそこから遠かったり、荷物が多いので市内移動さえも困難というケースを除けば、そのわずかな労と時間を惜しまなければ、車内に入り切れずに次のバスを待たなくてはならないとか、何とか乗り込んだものの、物凄い混雑でにっちもさっちもいかない状況は回避できたりするのだが。とりわけバスターミナルを出て、わずか500mなり1kmなりの地点でバスを待ち構えてドカドカと乗車してくる人々を見るとそのように感じる。

    私が利用したバスもそんな具合であった。始発のISBTを出るあたりでは、乗客の誰もが着席している状態であったが、バスターミナル近くやデリー市内の経由地でバスが客集めしているうちに、出入口のドアから乗客があふれて、しがみつく状態となる。

    バスは、デリー首都圏を出てから、しばらくの間はハリヤーナー州内を進んでいく。人口稠密で、クルマの多い地域なので、工事中の場所やトールゲート手前などで、ひどい渋滞となる地点がいくつもある。ハリヤーナー州といっても、デリーと較べるとかなり田舎であったり、貧し気であったりする地域も少なくないようだ。バスはやがてレーワーリーという街に到着。ここは交通の要衝となっており、ラージャスターン州やUP州の各方面への乗り換えのために降りていく人たちは少なくない。

    だが、こちらとしては「まだレーワーリーか!」と大変ガッカリしたりする。デリー近郊のグルガオンからパタウディーを経て少々進んだあたりに過ぎないからだ。

    車内が一時空いたと思いきや、ここからまた大勢乗り込んでくるので、さきほどまでと変わらない満杯状態となる。

    やがてバスはラージャスターン州に入った。スマホが機能していれば、どのあたりを走っているのかわかるのだが、まだアクティベートされていないため、少し大きな町に差し掛かったときに地名を確認してguidebookの地図を見る。それでどのあたりまで来ているかわかる。すでに午後4時になっているが、先はまだまだ長い。車内でよく人々が電話しているが、それがなにやら羨ましく思える。やはり今の時代、旅行中でも携帯がないと不便に感じてしまう。

    シーズンではないので大丈夫かとは思うが、予定地到着が遅い時間になることがわかっている場合、やはり前もって宿に電話して空きを確認できると安心だ。とりわけ「ここに宿泊したい」というところがある場合には。
    ガタガタと走るバスの車窓から外を眺めていると、やがて陽は西に大きく傾き、大きな大地を朱に染めていく。こうした時間帯のインドはとりわけ美しいと思う。

    いつしかシェーカーワティー地域に入っているようで、この地域特有の2本ないしは4本のミナレット状の塔がある井戸がしばしばみられるようになってきた。私の近くに座っている青年はバンガロールから36時間かけて鉄道でやってきたというITエンジニア。ジュンジュヌーの近郊に実家があるとのことだが、家族や友人たちに幾度も携帯電話から連絡しては、通過している場所を伝えている。バイクで誰かが迎えに来てくれることになっているとのこと。久しぶりの帰省で大変嬉しいことは満面の笑みからもよくわかる。

    すでに陽はとっぷりと暮れてしまった。午後7時近くになったあたりで、ようやくジュンジュヌーのバススタンドに到着。下車してから今度はマンダ‐ワー行きのバスを探す。バスのチケットカウンターで、地元の学校で英語の教員をしている人と出会った。この人は実におしゃべりで、英語教員だけあって大変に流暢な英語を話す。インドで起業しているというネパール人にも会った。生まれもインドだそうだが、父母の祖国ネパールでの不安定な様子がいつも気がかりとのこと。

    ジュンジュヌーから1時間ほどでマンダーワーのバススタンドに到着。商店がいくつか並ぶ一角スバーシュ・チャンドラ・ボースの胸像があるところが「バススタンド」ということになっている。

    降りたところから宿が遠くて、途中の路地の暗がりに犬がいたりすると嫌だなと思ったが、ここからすぐ近くに目的の宿があったので良かった。

    この日の宿泊はHotel Madawa Haveli古いハヴェーリーをホテルに転用したもので、部屋によって広さや形、装飾等は異なり、料金設定も違う。照明が暗いのは難だが、きれいで快適な部屋だ。

    マンダーワー行きバスに乗り換える前、ジュンジュヌーに到着する少し前あたりで、スマホにシグナルが入っていることを確認していた。宿の屋上で食事を注文してから早速ボーダフォンに電話してSIMをアクティベートする。しばらくすると開通した。これだけでずいぶん気分が違う。宿のWi-Fi頼みは心もとないが、ネットが常時接続、そして電話がいつでもかけられる、受けられるという安心感は実にいい・・・というより、今やどこにいても必須である。

    〈続く〉

  • The Last Mughal (William Dalrymple著)のヒンディー版

    The Last Mughal (William Dalrymple著)のヒンディー版

    The Last Mughalのヒンディー版を見つけた。英語で書かれたこの作品をすでに持っているのだが、この時代に中心的な役割を担う人物たちの名前等のヒンディーでの綴りを確認する意味でもちょうど良いと思い購入した。

    もともとの英語版よりも、わざわざ翻訳した本のほうが、かなり低価格ということは往々にしてある。だが、なぜそういうことになるのかよくわからない。The Last Mughalのヒンディー版आख़री मग़लもまた同様であった。同じ書店に並んでいる英語版は699Rsで、ヒンディー版は半額の350Rs。どちらも同じサイズのペーパーバックで、インド国内での販売のため、インド国内で印刷製本されたものだ。

    ヒンディーしか読めない人がこぞって読むような本ではないので、販売部数は英語版のほうがはるかに多いはずであることを思うと、なおさら不思議である。

    まさかインド国内でのヒンディーによる読書普及のために補助がなされているわけではあるまいし。
    のヒンディー版を見つけた。英語で書かれたこの作品をすでに持っているのだが、この時代に中心的な役割を担う人物たちの名前等のヒンディーでの綴りを確認する意味でもちょうど良いと思い購入した。

    もともとの英語版よりも、わざわざ翻訳した本のほうが、かなり低価格ということは往々にしてある。だが、なぜそういうことになるのかよくわからない。The Last Mughalのヒンディー版आख़री मग़लもまた同様であった。同じ書店に並んでいる英語版は699Rsで、ヒンディー版は半額の350Rs。どちらも同じサイズのペーパーバックで、インド国内での販売のため、インド国内で印刷製本されたものだ。

    ヒンディーしか読めない人がこぞって読むような本ではないので、販売部数は英語版のほうがはるかに多いはずであることを思うと、なおさら不思議である。まさかインド国内でのヒンディーによる読書普及のために補助がなされているわけではあるまいし。

    書名:आख़री मग़ल
    著者:विलियम डैलरिंपल
    出版社:ब्लूम्सबरी
    ISBN:978 93 8489 823 6

  • Lonely Planet INDIAの新版をKindleで購入

    Lonely Planet INDIAの新版をKindleで購入

    今年9月にLonely Planetのガイドブック「INDIA」の新版が発売となった。従前はPDF版を購入して、その都度必要部分だけプリントアウトしたり、スマホに入れて閲覧したりという具合だったが、今回はKindle版を購入してみた。

    スマホやタブレットのキンドルで使っている20代の欧州人は、「コレ、いいっすよ」と言っていたが、実際に使ってみると、ちょっと変なところに触れるとでたらめなところに飛んでしまうし、いろいろリンクが張られているので、知らず知らずにGoogleマップが立ち上がってしまったり、読んでいた誌面をふさいでしまったりと、不便なこと極まりない。

    普段、キンドルでよく読書しているが、ゆっくりと同一方向にページを進める読書と違い、あちこち参照するために行ったり戻ったりするガイドブック用にはまだよくこなれてない感じがする。多少慣れてきたら、Kindle版の使い勝手について誰かに質問されて、「ああ、なかなかいいよ」などと返事しているかもしれないが。少なくとも、荷物が多少なりとも減ること、複数のデバイスで閲覧できるということは間違いなく大きな利点だ。慣れるように努力するしかないか・・・。

  • デリーのアフガニスタン人地区

    デリーのアフガニスタン人地区

    ラージパトナガルⅡに出かけてみた。フェイスブックにて、ある方がここにあるアフガンレストランのことなどについて書かれていたので、せっかくデリーに来たので立ち寄ってみることにした。

    地下鉄のラージパトナガル駅で降りて、しばらく東に歩いたあたりで、アフガニスタンの人たちが歩いているのを見かけるようになってくる。アフガニスタンといっても様々な民族が住んでおり、見た目はインド人と同じような感じの人たちも少なくないのだが、タジク人やパシュトゥン人たちは、「やや日焼けした白人」といった風貌の人たちが多く、私が聞き取ることのできない美しい響きの言葉をしゃべっている。

    しばらく進むと、ペルシャ文字の看板が目立つようになり、そのエリアには、アフガニスタン人が経営している店あり、アフガン人顧客が多いインド人の店あり。そんな中にあったアフガンケバーブハウスというレストランに入ってみることにした。

    店内で働いているのはアフガニスタン人、出入りするお客も同国の人たちが多かった。店内に踏み入れたときにいたのは、すべて男性で、揃ってやたらと整ったイケメン揃いである。女性はさぞ美しかろうと思っていたら、ちょうどアフガン人カップルが入ってきて、ふたりともまさに眉目秀麗という感じ。一日中、ああいうキリリとした顔をしていてくたびれないのか?思うくらいだ。

    店主はタジク人。スタッフはタジク以外にもいろいろな民族の人たちが働いているそうだ。
    「カーブルのレストランで出しているようなものを用意していますよ」とのこと。注文したプラオもコフタも大変上品な味でおいしかった。メニューを眺めてみたところ、やはりペルシャ風のアイテムが多いようだ。インドのムスリム料理に取り入れられたアイテムの原型といった感じで興味深い。

    どれも美味であった。

    界隈には、アフガンによるアフガン式のナーンを焼いて売る店、アフガン食材屋、アフガンのスナック屋台、各国の通貨を扱う両替屋、航空券他を扱う旅行代理店が多く目に付く。Safi Airwaysというアフガニスタンの航空会社のオフィスまであり、それらはペルシャ文字の看板を掲げている。このあたりでアフガン客を相手にするインド人たちには、多少のダリー語(アフガニスタンで広く通用するペルシャ語)が出来る人も珍しくはないようだ。

    脇道から、色白で大変見目麗しい三人連れの女性たち出てきた。洋装なのでどこの人たちかよくわからないが、サイクルリクシャーを呼び止めて、行き先と料金のことをやり取りしている声が、さきほどアフガンレストランで耳にしたような訛りのヒンディー。尋ねてみると、やはりアフガニスタン人たちであった。

    デリーではアフガンから来た人たちが多い(一説には1万人程度はいるとか)のは知ってはいたものの、ここに集住していることやレストランなどもあることは把握していなかったのは不覚であった。かなりアップマーケットな地域なので、レストラン等で雇われている人はともかく、ここで商売を営んでいるアフガニスタン人は、暮らし向きの良い層が多いようだ。ラージパトナガルⅡのアフガンレストラン出入りする人々の多くはアフガン人。けっこう可処分所得の高い人層が少なくないように見受けられる。

    界隈には立派な身なりのアフガン紳士の姿もあるし、金余りのボンボンみたいなのも少々。どんな仕事をして稼いでいるのかはよくわからないが、昔から母国での不都合が生じた富裕層や政治家などが、デリーに逃れてきていたことを思い出した。最たる大物関係では、社会主義政権最後の大統領、ムハンマド・ナジブッラーは、ターリバーンが首都カーブルを制圧してから逮捕、処刑されたが、それに先だって家族をデリーに送っている。主人が処刑されて歎き悲しむ遺族のことがインドの新聞に出ていたことを、ふと思い出した。

    インド人の不動産屋から「あの、お住まいはもうお決まりでしょうか?」と声をかけられる。モンゴル系のハザラ族アフガン人かと思ったとのこと。この人は、アフガン人が大切な顧客なのでこまめにチェックしているらしい。

    翌日にもう一度この地域を訪れてみて、他のレストランで食事をしてみた。メニュー下部に「マントゥー」とあるのは餃子。メンズ豆の煮物とヨーグルトがかけてある。上の写真左側。
    このマントゥーという名前だが、漢字の饅頭(韓国でいうところのマンドゥー。漢字で饅頭と書くが、日本の餃子のこと)と符号しているみたいなのは、何かの偶然なのだろうか、あるいは歴史的な背景が含まれているのか?それはともかく、まんま蒸し餃子であった。

    左側が「マントゥー」

    このアフガニスタン人地区、なかなか面白そうなエリアだ。今後もまた折を見つけて訪れて観察してみようと思う。

  • 映画「ルンタ」

    池谷薫監督による映画作品「ルンタ」が東京都中野区東中野のポレポレ東中野にて、11月13日まで公開されている。

    朝鮮戦争とほぼ同じ時期に始まる中国によるチベット侵攻以降、現在に至るまで続く占領下にあるチベットでは抵抗の歴史が続き、2000年代に入ってから市民や僧侶による焼身抗議がメディアで報じられることが多いが、そうした行為の背景にあるものを探っているのがこの作品。

    インドのダラムサラで、チベットにおける苛烈な弾圧から逃れてきた人々を支援する活動をしている中原一博氏に密着する形でストーリーが進んでいく。

    チベットにおける焼身抗議とは、中国による圧政に対して中国人を殺める暴力に訴えるものではなく、自らの身体を灯明として国や民族に捧げて覚醒を促す自己犠牲の行為であるとのこと。

    かつて、イギリスが植民地支配していたインドにおいて、ガーンディーが率いた活動もまた、大変な自己犠牲を要する実に「過激な」行動であったが、チベットにおいても展開される非暴力不服従の活動もまた、なんと激しいものだろうか。

    作品中でカメラが追っていく中原一博氏がチベットにおける人々の抵抗運動を伝えるブログ「チベットNOW@ルンタ」では、チベットの情勢、中国当局による様々な弾圧、焼身抗議を実行するに至った人々の背景、占領下チベットから逃れてきた人たちへのインタビュー記事などが刻々と綴られている。

    同ブログでは僧侶が町中で「一人デモ」を実行して公安に取り押さえられる現場の動画なども取り上げられており、その後本人が受けたであろう苛酷な拷問、長期に渡る獄中生活などを思うと、非暴力不服従運動という活動は大変大きな自己犠牲を必要とするものであることがひしひしと伝わってくる。

    私たちがごく当たり前のこととして享受しており、その大切ささえもすっかり忘れ去られているが如き自由と民主主義だが、これがいかに尊いものであるかを思い知らされるようだ。

    チベットは決して中国の一部ではない。焼身抗議を実行する人々が、自らを灯明として差し出して覚醒を促している相手は、中国当局やチベットの同胞だけではなく、中国による占領の継続を黙認している国際社会に向けられたものであることについて、私たちは自覚しなくてはならない。

  • 上海経由デリー行き3

    上海経由デリー行き3

    さて、いくら時間が空いているとはいえ、浦東空港でのチェックインに遅れてしまっては元も子もない。多少の時間の節約ということもあるが、せっかくこのあたりまで来たら、ぜひとも2003年12月に開業したリニアモーターカー(上海磁浮列車)にも乗ってみたいものだ、と欲張ってしまう。

    地下鉄2号線車内

    地下鉄2号線の龍陽路で下車、リニアに乗り換えてわずか一駅・・・というよりも、もともとこの一区間しかない。乗車券は50元と高価だが、当日出発する航空券を提示すると40元になる。

    地下鉄2号線の龍陽路駅改札を出たところ
    リニアモーターカーの駅への階段
    シンプルな印象のプラットフォーム

    ワクワクしながらプラットフォームに進んだが、意外なほどに乗客は少ない。地下鉄に較べてあまりに料金が高いこと、龍陽路からしか発着していないこともあり、利用客のほとんどは外国人、あるいは懐具合に余裕があるおのぼりさんといった具合。

    リニアモーターカーが入ってきた!
    あまり利用客は多くない感じ
    まばらな乗客の中で目立つのはやはり西洋人

    ドイツの技術を導入して導入され、当初は杭州その他への延伸の構想もあったようだが、現在はそうした話はトンと聞かない。いかに優れた技術であっても、収支が見合うものでなければ、拡張されることはあり得ないのはいずこも同じ。

    車内はガラガラ

    ガラガラの車内に乗り込むと間もなく発車した。さすがはリニア!と感心させてくれるのは、その加速力だ。車両内の電光掲示板に速度表示がなされるのだが、航空機に近い爆発的な勢いでスピードを上げていく。時速300kmを越えて、400km超になると、周囲の景色が流れる速度が速すぎて、気持ちが悪くなりそうだ。ちょうど録画番組を32倍速で早送りしているような・・・。

    最高速度もさることながら猛烈な加速感に圧倒される。
    最高時速431km到達!

    現在開発中で、2027年に営業運転開始を目指す日本のリニアモーターカーは最高時速550kmとなる予定。ハード的には万全でも、乗車しているのは生身の人間であることから、やはりこの「車窓酔い」が問題となることと、私は予想する。

    ちなみに、運行時の最高時速については、時間帯によって異なるそうだ。最高時速431kmを出すのは、午前は9時から午前10時45分、午後は3時から3時45分の間のみ。その他の時間帯の最高時速は301kmである。あまり実用的な路線ではなく、国威発揚のためのデモンストレーション的な路線ではあるものの、利用する外国人に「世界に先駆ける中国の偉大さ」を印象付けるべく、すべての時間帯で最高時速431kmをノルマとしてもらいたいものだ。

    浦東空港駅到着
    わずか7,8分という短い乗車時間がちょっと残念かもしれない。
    浦東空港

    乗車した龍陽路駅近くには、リニアモーターカーこと上海浮磁列車博物館がある。もう少し時間があれば訪れてみたいところだったが、またいつか機会があるだろう。それにしてもたかが飛行機の乗り換えで、ちょっとした市内観光も楽しめるとあれば、上海経由でデリーに向かうのも悪くないと思った。

    〈完〉

  • Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    今年もIFFJ (Indian Film Festival Japan)の時期がやってきた。東京(10/9~23)と大阪(10/3〜22)にてそれぞれ開催され。上映スケジュールについては、こちらをご参照いただきたい。

    Namaste Bollywoodの今号の巻頭特集は、このIFFJ。今年も選りすぐりの素晴らしい作品が目白押しだ。特集記事で紹介されている上映作品の紹介をじっくりと読みながら、どれを観に行くかとあれこれ検討してみよう。また、IFFJと時期が重なるが「マルガリータで乾杯を!(原題:MARGARITA WITH A STRAW)が、10月からシネスイッチ銀座を皮切りに、全国で順次ロードショーが予定されるにあたり、主演女優カルキ・コーチリンのインタビュー記事もあり、こちらも注目だ。

    さて、この号に掲載されている、同誌主宰のすぎたカズト氏による「ボリウッドにおける性描写の変貌」という記事は、IFFJでの鑑賞予定を考える際に大変参考になることだろう。また、1990年代の「インド映画ブーム」でフィーチャーされた作品群、当時いくつも出版されたインド映画の案内書に記されている内容とは、ずいぶん印象が違うことに気付かれるに違いない。

    1990年代以降のインドは激動の時代であり、経済面における社会主義的手法から大きく舵を切っての経済自由化、それにともなう外資の怒涛の勢いでの流入、国営放送による寡占状態であったテレビ放送については、ケーブルテレビ、衛星放送などが一気に普及することにより、外国からのニュースやエンターテインメント等々の番組がお茶の間に突然大量に雪崩れ込むとともに、当時はまだ目新しい存在であった民放各社も、そうしたトレンドをうまくつかまえて、これまでにはなかった新しい番組や映像を視聴者の元に届けるようになった。

    そんな時代が唐突にやってくると、まず最初に感化されていくのは若者たちだ。とりわけ1992年、1993年あたり以降に青春期を過ごすこととなった世代と、それ以前の世代では、物事の価値観、道徳観、性に対する意識等が大きく異なってくるのは当然のことで、もちろんそうした時代の変化は映画作りにも如実に反映されることとなった。時代を代表する作品を眺めてみるだけでも、1980年代から1990年代初頭、1990年代半ばから終盤にかけて、そして2000年代に入ってから現在にかけてと、作品のテーマや映像の質感が大きく違ってくるのは、こうした時代の大きな変化を反映したものであるといえる。

    さて、1990年代の日本で沸き起こった、先述の「ブーム」はかなりバイアスのかかったもので、同じような方向性の作品ばかりが日本に立て続けに上陸していたこと、製作された地域や言語域による違いを考慮することもなく、「インド映画」と荒っぽく括られていたことに加えて、当のインドで製作された映画に関する知識を踏まえない「面白おかしな」解説が、大手メディアで堂々と一人歩きしてしまうとう弊害も少なくなかった。

    今となっては20年ほどが経過しているにもかかわらず、今なおそのときに刷り込まれてしまったイメージが後を引いていることから、ボリウッド映画をあまり観たことがない層においても、「B級以下」「なぜか音楽と踊りばかり」「単純なストーリー」というようなネガティヴな先入観を抱いている人が少なくないことは非常に残念だ。

    だが、幸いなことに、今の20代の映画ファンの多くは、そうした過去のしがらみとはあまり縁がない。インドは若年人口が圧倒的に厚い国であることから、10代後半から30代前半にかけての年齢層が大きなマーケットとなることから、ちょうどこのあたりの年代の人たちは、IFFJで上映される近年のボリウッド映画界のヒット作(今回の上映作品は2013年から2015年にかけて公開されたもの)について、先入観なしに映画を楽しむことができる感性を持っているのではないかと私自身は期待している。

    どこの国の映画も同様だが、作品が製作された国や地域の文化、固有の価値観、社会のありかたなどが色濃く反映されるものだ。これについては日本の映画ファンの多くがニュートラルな立場で鑑賞しているつもりのアメリカのハリウッド映画についても例外ではなく、銀幕の背景にあるそうした諸々の事柄を理解することなしに、ストーリーの中に巧みに張り巡らされている仕掛けや伏線を読み取ることは容易ではない。

    まさにそのあたりを理解するために、Namaste Bollywood誌では、様々な著者による異なる角度からインドの文化面を含めた解説、インドの社会現象が作品に与えた影響や反対に作品が社会に及ぼした効果、ボリウッド映画界内部の動向などを伝えており、インドから遠く離れた日本のファンが、より楽しく、そして深く作品を楽しむことができるようにと情報発信をしてくれているのである。

    蛇足ながら、私も「インド雑学研究家」として、小さな記事を書かせていただいており、今号においては、ある作品で幾度か出てきたムンバイーにある小ぶりながらも美しいモスクについて取り上げてみた。

    Namaste Bollywood誌は、IFFJの会場でも販売されるが、それ以外の購入先については、以下、同誌ウェブサイトをご覧いただきたい。

    Namaste Bollywood

    ※「上海経由デリー行き3」は後日掲載します。