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投稿者: ogata

  • アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    デリーのラージパトナガルのアフガン人地区で、ナーンを焼く店。様々な顔立ちのアフガニスタン人たちが、それぞれの郷里式のナーンを商う。

    はなはだザックリとした言い方をすれば、小麦食文化圏、アーリア系人種、啓典の民、etc.・・・、アーリア人発祥の地とされる中央アジアのフェルガナ盆地からイランを経て欧州までの人々の先祖の基層にある部分は、非常に共通するものがあることを感じる。

    少なくとも、私たちの東アジア文化圏から見ると、彼らはまさに遠縁の親戚同士という気がする。

    それにしてもこの地域、行き交う人々の間にアフガニスタン人の姿が実に多く、商店の看板にもダリー語での表記があちこちに見られる。

  • 味の都、国際都市デリー

    味の都、国際都市デリー

    昼食は、ラージパトナガルのアフガニスタン料理へ。ホウレンソウの炒め物とケバーブ。とても上品な味わいだ。そして甘い緑茶にはカルダモンが効いていて、これまた美味である。この地区では、いろいろな顔立ちをしたアフガン人たちのナーン屋が、様々な種類のナーンを焼いて売っている。この料理屋で出てきたのは丸くて厚いウズベク式ナーンであった。おかずを注文すると自動的にナーンも出てきて、何枚頂いても良いというのがアフガニスタン式らしい。サイズが大きく、かなりお腹に溜まるので、そんなに大量に食べられるものではないが。

    若いインド人カップルが店に入ってきてプラオを注文した。料理とともにナーンも出てくると、「これをおかずにナーンを食えというのか?」などと難癖をつけている。とりあえず食事を注文すると、これも同時に供されるのが習わしのようなので、勘弁して欲しいものだ。ここではナーンの料金は取らないし、食べなければ次のお客に回すのだろうから。

    上品な味わいのアフガン料理

    ラージパトナガルのアフガニスタン人地区のナーン屋店頭

    様々な顔立ちのアフガニスタン人たちを目にする

    焼きたてで実に旨そうな香りが漂う

    ウズベク式ナーン

    そしてデリーメトロのR.K.アーシュラム・マールグ駅近くにあるウズベク料理屋で夕食。店内にはウズベクのポップスが流れていて、それらしい雰囲気がある。注文したのはウズベク式のプラオ、サフランの色がとても濃くなったビリヤーニーのように見えるが、あっさりと薄味の脂ごはんという印象。これにスパイスやトウガラシを足すと確かにビリヤーニーになるという感じがする。このプラオがインドで現地化されたものがビリヤーニーなので、まさに同類の食べ物である。

    ウズベク式プラオ

    翌日はマージヌー・カー・ティーラーのチベット人居住区でチベット料理を食べる。本場チベットから移住してきた人たちが営む店が軒を連ねており、食事を出す店も少なくないが、人気の店はいつ訪れても常にお客で一杯だ。トゥクパと揚げたモモを注文する。中華料理の影響を強く受けてはいるものの、やはりチベット料理には独自の味わいがある。

    トゥクパと揚げモモ

    デリーにて、ムグライ料理、パンジャービー料理も素晴らしいのは当然だが、こうした近隣地域の料理屋もまた非常に美味なものを出すところが多い。とりわけ、そうした料理の本場の出身の人たちが大勢集う店では、決してハズレることなく、とても旨いものにありつくことができる。さすがは国際都市デリーだ。

  • Ansal Plaza

    Ansal Plaza

    久しぶりにアンサル・プラザに出かけてみることにした。
    開業したのは1999年。デリーで最初のショッピングモールであるとされる。当時、かなり素敵な店が多数入っていて、音楽関係にしても、衣類やアクセサリー類等にしても、実にセンスの良い品物が揃っていた。

    それまでは街中のマーケットの中に、ポツポツと洒落た店が点在していても、こうした大きな空間の中すべてがこうした気の利いた店であるということについては、どこか異国的なものさえも感じたものだ。

    その後、こうしたモールがデリー各地に林立するとともに、これらがひとつの地域に複数並ぶようになったり、少し郊外に出ると破格の規模の広大なモールが見られるようになったりした。同時に、北インドの中規模の都市においても、こうした施設を見かけることは珍しくなくなるなど、時代は変わったものである。

    変わったのは時代だけではなく、このアンサル・プラザも然りである。2002年11月に、ディーワーリー直前の買い物客で混雑していたこの場所がテロの標的となるほどのものであったのだが、市内各地に新しいモールが次々に出来てくる中、次第にじり貧になってくる様子が感じられていた。入居している店舗のレベルが下がってくると、客足はもとより客層にも変化が生じてくる。

    だいぶ時間が空いて、このたび訪れてみたのだが、今回の様子はまず外観からして異様だった。ずいぶん煤けて汚くなっており、こうした施設が与えてくれるワクワク度が感じられない。

    敷地入口から入って左右対象のふたつのウイングの建物から構成されているのだが、向かって左側では、空いてしまったままのテナントも目立つことにショックを受けたが、右側では、空きになっているところのほうが大半であることに唖然とした。店舗が入居しているスペースにおいても、旅行業らしき看板は掲げているものの、中で数名がウダウダしていて、何の事務所かわからないようなところはあるし、ガラの悪い連中が出入りする酒屋などが入っていて、もう惨憺たる状態。

    トレンドで売っていた施設は、その流れについていけなくなると、その役目を終える。もうこんなところに出店したいという業者はないだろう。そう遠からず廃墟となりそうだ。残念ながら、デリー最初のモールは息絶えつつある。

  • 元旦からデリーで新しい交通規制

    元旦からデリーで新しい交通規制

    デリーでは、今年1月1日から新しい交通規制が敷かれている。原則として、奇数日にはナンバープレートが奇数番号のクルマ、偶数日には偶数番号のクルマのみが走行できることとなった。

    もはや「北京よりもひどい」とまで言われるデリーの大気汚染の主要な原因のひとつとして、走行するクルマの排気ガスの占める割合が高い(30%以上)ことが指摘されていた。これに加えて、これまた深刻な交通渋滞への対処という狙いもある。

    こうした施策がスムースに実行に移すことができた背景には、市民意識の高いデリーで、良識ある市民たちの高い支持を得て、デリー準州の政権に就いたAAP (Aam Aadmi Party:庶民党)による措置であること、同党を率いるアルヴィンド・ケージリーワル氏に対する期待の高さなどもあるのだろう。また公休日である1月1日、同2日、3日は土曜日、日曜日であったことも、スムースな導入に繋がることとなった。

    この規制がなされる時間帯は、午前8時から午後8時まで。対象外となるのは、VIPや緊急車両の類はさておき、一般人の間では以下のようになる。
    ・女性が運転し、女性あるいは12歳以下の子供のみが乗車しているクルマ
    ・二輪車
    ・CNGあるいは電気によって動くクルマ
    ・障碍者が運転するクルマ
    ・救急診療のために病院に向かうクルマ

    内容については今後必要に応じて変更を加える場合もあるとされ、実施から15日経過したときに検証を加えて判断することとなっている。

    デリーにて1月1日と2日に道路の状況を眺めてみたが、さすがに祝日と土曜日であったため、市民は規制対象となるナンバーのクルマによる不要不急の外出を避けることは容易であったらしく、奇数日(1月1日)に偶数番号、あるいは偶数日(1月2日)に奇数番号のクルマが走行しているのを見かけることはほとんどなく、例外的に走っていても、それらは女性がひとりで運転しているか、小さな子供を乗せた母親が運転しているものであった。交通量も普段の週末よりもかなり少ないように感じられた。

    もちろんとりわけ込み合う地域の合流点などでは、普段と変わらないように見える渋滞もあったが、総体的に交通の流れはかなりスムースであるように感じられた。

    総体的に交通量は少なくなっても、やはり込み合う地点では渋滞する。

    こうした規制により、人々がマイカーから公共交通へシフトするであろうことへの対応として、当局はバスやメトロの運行数を増加させるなどの処置を取ることなどが新聞等で報じられていた。

    しかしながら冬のこの時期、気温が低くて空気が停滞気味であることなどから、大気の汚染レベルについては期待したほどの効果は上がっていないようだ。つまり汚れた空気がまだそのまま市街地に溜まっているということなのだろう。モーンスーン期のように天候が荒れる時期であれば、これらを一気に流し去ってくれるのかもしれないが。

    インドではこの類の交通規制は初めてであることから、全国の都市部から注目が集まっているようだ。大気汚染と渋滞に苦慮する大都市は多く、デリーにおけるこの措置の結果次第で、他地域でも同様の措置が導入されることが予想される。

    Odd-even day 6: Weather conditions keep pollution levels high (livemint)

  • ACクラスの車両でもご用心

    インドの列車の中で睡眠薬入りの飲食物を勧められて・・・という話を耳にすることは少なくないが、ACクラスの車両でも同様の事件が多発するのが最近の傾向らしい。
    アッパークラスを利用する人が増えたことにより、大衆化が進んでいることの証とも言える。
    しばらく前の記事ではあるが、以下のような具合で悪事が行われているそうだ。高価なモノを身に付けたりして、いかにも暮らし向きの良い富裕層を装って接近してくるようだ。
    ご用心を。

    Your co-passenger in train may offer pill-injected water (THE TIMES OF INDIA)

  • ジョージ・オーウェル博物館

    ジョージ・オーウェル博物館

    Burmese Days, 1984, Animal Firm等々の著作で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家が博物館になったとのこと。
    彼が植民地インド生まれで、生家は現在のビハール州にあったということは知っていたが、それがパトナからネパール国境に至る途中の田舎町モーティハリーであったことは知らなかった。
    彼の父親が働いていたのはオピウム関係の政府機関というのが、いかにもその当時らしい。オピウムは主に中国(および東南アジア方面)へ輸出する商品作物であり、これをきっかけとしてアヘン戦争が勃発することとなった。

    George Orwell’s birthplace in India set to become a museum (The Guardian)

  • ビカネール10 Bhanwar Niwas

    ビカネール10 Bhanwar Niwas

    さて、本日目指すのはコーターリーのコミュニティーから出た豪商たちのハヴェーリー。途中で道を尋ねた相手の初老の老人が、実はコーターリーの出で、この地域のハヴェーリーについて、かなり詳しい方であったのは幸いであった。機会があれば、屋敷の中を見学する機会があればいいのだが、あいにくそういう知己はこの地の商人コミュニティーにいない。

    ゆるやかな坂をしばらく下りたところには、ラームプーリヤーのコミュニティーの商人のハヴェーリーのひとつが、Bhanwar Niwasというホテルになっている。ハヴェーリーの中を見学したいと思っていたので、しばらく拝見させてもらう。

    ゴミゴミした旧市街にあるのだが、敷地に一歩踏み入れると全くの別世界となる。今も所有しているのはラームプーリヤーの人物であるとのこと。屋敷というよりも宮殿と表現したくなるような華やかさだ。私はここに宿泊してはいないが、一泊4,500Rsくらいからのようだ。

    屋敷と呼ぶには壮麗過ぎる。

    クラシカルなベッドと床のタイルが魅力的な客室

    この部屋はお客がチェックアウトしたばかりでベッドメイキングはまだ。
    浴室はこんな感じ
    ダイニングルーム

    こんなホテルが無数にあると言って差し支えないのが、ラージャスターンからグジャラートにかけての地域である。また地域ごとに独自の特徴やカラーに溢れているのも素晴らしい。

    〈完〉

  • ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    前回、ハヴェーリーを飾る彫刻を造り上げるスタールという職能コミュニティーについて触れたが、今でもそうした仕事をしている人たちが少なからず存在している。そのスタール出身で、しばらくは家業ではなくエンジニアの道に進んだラジェーシュ・クマールさんだが、ここ数年は伝統技術を伝える職人(彼はその人たちを「アーティスト集団」と呼ぶ)を率いるリーダーとしてのプライドを胸に、自らの先祖伝来の技とコミュニティーの人々の活力を生かした事業に専念中。元々は石工集団だが、木材を用いて、先祖が代々伝えてきたスキルを展開。スタールの職人たちを集めた工房では窓飾りなどを作成中。私が訪問したときには、5、6人くらいが作業中であった。隣の敷地では、ショールームを建設しているところだ。

    職人さんたちが働く工房

    出来映えを確認するラジェーシュさん

    工房はヴィシュワカルマ・コロニーという郊外のエリアにあり、ここにスタールの人たちが固まって住んでいる。昔からの居住区ではなく、郊外に出来たごく新しい新興住宅地なのだが、それでもコミュニティー特有の場所というものが形成されるのは興味深い。同族の長たる人物がリードしてこういう地域を形成するのだろうか?

    この地域の名前となっているヴィシュワカルマだが、ブラフマー神の息子であるヴィシュワカルマのことであり、スタールの人たちにとって、これが氏神となっているとのことだ。ビカネールにはこの神を祀るヴィシュワカルマ寺院もある。

    ラジェーシュさんは言う。
    「昔、私たちは、富裕な商人コミュニティーに頼って生きてきました。彼らの屋敷の壁を飾る彫刻について、今の時代でも高い評判を得ていますが、評価されるべきはこれらを注文した彼らではなく、この技を代々受け継いで育んできた職人たちです。今後も技術を継承していくには、自分たちで仕事を創り出していかなければならないのです。私はこの技術を生かした事業を計画しています。」

    ラジェーシュさんは、元々は電気関係のエンジニアで、職人としての修練を積んできたわけではないという。アフガニスタンで、インドが同国で関わる復興事業に関係して、カーブルで仕事をしていたことがあるという。国会議事堂の電装関係の仕事を任せられ、「アフガニスタンという国の歴史を刻む建物の建築に関わる仕事が出来て良かった」とのことだ。

    2008年にカーブルのインド大使館で発生した自爆テロ(58名死亡、141名負傷)が発生した際には、現場から300m離れた宿舎にいたとのことで、「家族に電話して無事を知らせたものの、とても心配されてしまって・・・」という具合で大変困ったとのこと。

    スタールのコミュニティーに生まれながらも、自身は職人ではないラジェーシュさんはこう言う。
    「私は彼らとは異なる道を歩んできました。しかしながら、これまでいろんな人たちを指揮して仕事をしてきた私、自らを売り込んで仕事を獲得してきた私だからこそできる役割があるのです。」

    電気技師としてのキャリアを捨てて、父祖伝来の道に入ったラジェーシュさんの事業の本格的な立ち上げはまだこれからなのだが、今後の彼の活躍と成功を期待したい。

    〈続く〉

  • ビカネール8 精緻な細工のハヴェーリー(屋敷)群

    ビカネール8 精緻な細工のハヴェーリー(屋敷)群

    ふたたびオートで市内に出る。旧市街に入ると藩王国時代の城壁が連なる様子は壮観。今の時代、交通の妨げになるので撤去したほうが何かと具合はいいのかもしれないが、貴重な歴史遺産なので、そうはいかないのだろう。

    旧市街の奥にあるラームプーリヤーの人々のハヴェーリー(屋敷)があるところで降ろしてもらう。このハヴェーリー群はどれも規模が大きく、外壁の砂岩にあしらわれた彫刻が素晴らしい。赤砂岩に施された彫刻だ。ビカネールには、隣接するシェーカーワティー地方のタイプのハヴェーリーはなく、このような様式となる。距離はそんなに大きく離れていないのに、地域ごとに異なる特徴があるのはインドらしく、ラージャスターンらしいところでもある。ここの屋敷は建て込んだ街区にあるのだが、それでも巨大さと壮麗さには目を見張る。ここからしばらく旧市街を歩き回ってみると、いろいろなコミュニティーの大小様々なハヴェーリーが良い状態で残っているのを目にすることができる。

    話は逸れるのだが、インドの地名についての表記については、こうして書いていてちょっと迷うことがある。「シェーカーワティー」と綴るいっぽう、「ビーカーネール」ではなく「ビカネール」と綴ってしまって良いのかと。

    「シェーカーワティー」については、元々のデーヴァナーガリーの綴りでそうなっており、そのように発音するのだが、「ビーカーネール」とすべて長母音で綴ると日本語ではあまりに冗長になってしまうように感じられて、「ビカネール」とした。同様に、以前はindo.toの記事で、「バーングラーデーシュ」としていたものを、最近はこれと同じ理由から「バングラデシュ」と表記するようにしているのだが、全体として統一性がなくなってしまうのが難だが、個人的なブログであるということで、ご容赦願いたい。

    地名や人名の長母音部分を便宜上、短母音で代用してしまうというのもひとつの手かもしれないが、ずいぶん舌足らずな感じになってしまうという短所がある。しかしながら、すでに日本語のメディアやガイドブックなどで定着した表記になってしまっているが、短母音であるものをわざわざ長母音化してしまうのは明らかにおかしい。
    「ジャイプル」「ウダイプル」とすべきところを「ジャイプール」「ウダイプール」などとしてしまっているのがその例だ。
    ・・・とはいうものの、日本語では反転音や帯気音を表記できないので、母音の長短だけに拘泥する必要はないのかもしれないが。

    話は戻る。ビカネール旧市街では、藩王国時代にイギリス当局の買弁として栄えたラームプーリヤー、コーターリー、ダーガー、カジャンチー、ドゥッガルといった商業コミュニティーのハヴェーリーが沢山残っている。こうした建物を飾り立てる装飾を制作してきたのは、スタールと呼ばれる職能コミュニティーの人たちなのだが、イギリスという大きな後ろ盾をインド独立によって失ってしまった商業コミュニティーが、活動の拠点をムンバイーやコールカーターのような商都に移していく中で、多くは父祖伝来の仕事を失うことになっていった。

    独立後のインドでは、独立運動時の反英活動は、たとえ暴力に訴えたテロ活動でさえも積極的に肯定され、むしろ神聖化されているとも言えるが、当時彼らを取り締まる公安関係者の大半はインド人であるとともに、こうした商業コミュニティーによる買弁的な経済活動、さらにはそこを通じて日々の糧を得ていた層も少なくなかった。いつの時代も当然ながら、政治に無関心な層もある。

    反英闘争は必ずしも全国民を挙げての活動とは言えない部分もあったこと、親英的なそうもまた存在していたことについて語る人は多くない。どこにあっても世の中は勝てば官軍、勝者の都合によって歴史は描かれることになる。

    また独立要求運動の中途で浮上してきたイスラーム国家建設運動により、同じインド人として志を同じくしてきた現在のパキスタンとインドで、こうした運動の立役者たちがそれぞれの歴史の定説の中から恣意的に消されてしまったり、新たに加えられていったりということもある。歴史は様々な方向から検証することなしには、事実や本質を見誤ることになりかねない。

    〈続く〉

  • ビカネール7  Royal Cenotaphs

    ビカネール7 Royal Cenotaphs

    बीकानेर राज परिवार का विश्राम-स्थल つまりResting Place of Bikaner’s Royal Family

    ホテルになっている宮殿の前をぶらりと歩いてから、オートに乗ってRoyal cenotaphsに行く。Sagar Chhatriという名前で知られている。ここはビカネールの王家の人々の火葬場であり、歴代の主要な人々を記念するチャトリが沢山建ててある。ヒンドゥーは通常、墓は作らないため、ここは亡骸や遺灰は格納されていないものの、事実上の墓所のようなものであるともいえる。

    天井に描かれた模様も見応えがある。









    当然のことながら、藩王国の当主であった人物やその正妻の記念碑はどれも大きく、それ以外のものとは規模が著しく異なる。また若くして亡くなった王女の記念碑はそれらに較べて気の毒なほど小さかったりする。男性のチャトリの内部中央には石碑が立てられており、女性の場合はこれが地面と平行に埋め込んである。
    1972年生まれで2000年に28歳で亡くなったディクシャー・クマーリーという王女のチャトリ

    また時代が下ってからのものには、大理石ではなくコンクリート造りのものもあるなど、時代とともに変遷していく様子がうかがえるのも興味深い。
    こちらはコンクリート造り

    2009年に亡くなった人物のチャトリもあり、今後も王族の直系の人たちについてはこのような措置がなされていくのだろう。
    だが歴代の王は、インド独立前には複数の妻があり、中には19人も抱えていた王もあったが、側室は対象外であるらしい。

    〈続く〉

  • VIPの皆さま、12月14日から1月8日まではミゾラム州訪問はお控えください

    ミゾラム州政府が中央政府、各州政府等関係各署に、VIP、政府高官等要人の訪問を自粛するよう要請したとのこと。
    12月25日は中央政府が定めた祝日(これらに加えて各州政府が決めた祝日がある)ではあるものの、この時期に子供たちが冬休みに入ることに合わせて、休暇を取る人々が多いことを除けば、「ごく普通のカレンダー通りの時期」であるのだが、クリスチャンがマジョリティを占める同州では、祝祭ならびに休暇の時期に当たることから、「充分な対応を出来ない可能性が高い」ためであるとしている。

    ちなみにミゾラム州の祝日を見てみると、確かに公休日となっている日付がこの時期にかなり多く、有給休暇と合わせて連休が取りやすい時期になっているのだろう。

    民族が違えば、文化や習慣も異なる共和国、インドにおいては、こうした部分についても注意を払う必要があるのだが、とりわけマイノリティーの人々から成る最果ての地においては、政府自らがこうして発言しておく必要があるのだろう。これは他地域に対するアピールであるとともに、「中央その他にこのように主張していますよ」と、政府の「働きかけ」を州内の人々に対して示すポーズであるとも言えるだろう。

    Don’t Visit Mizoram During Christmas, New Year (Northeast Today)

    ※ビカネール7は後日掲載します。

  • 2016年元旦からデリーで交通規制

    深刻な大気汚染と交通渋滞への対策からデリー準州では、来年元旦からナンバープレートの偶数・奇数による交通規制を始めるとの発表があったのは先週末。
    政府内からは、規制対象となる車両について不協和音が聞こえてきている(警察による充分な対応が可能なのか、二輪車は含むのか等々)が、各種メディアが聴取した市民の反応は、当然のことながら日常的にマイカーを利用している層からは不満が噴出しているようだ。今後、この規制を巡って喧々諤々の議論がなされることだろう。
    確かに何とか手を打たなくてはならないのだが、なかなか一筋縄ではいかない問題であるように思われる。様々な例外規定を設けることになり、結局は骨抜きになって試行・・・ということになるのかもしれない。
    今後の動向に注目したい。

    Delhi govt’s odd-even formula for traffic: Mondays, Wednesdays and Fridays for odd numbers only (delhideilynews.com)

    ※ビカネール7は後日掲載します