ビカネール8 精緻な細工のハヴェーリー(屋敷)群

ふたたびオートで市内に出る。旧市街に入ると藩王国時代の城壁が連なる様子は壮観。今の時代、交通の妨げになるので撤去したほうが何かと具合はいいのかもしれないが、貴重な歴史遺産なので、そうはいかないのだろう。

旧市街の奥にあるラームプーリヤーの人々のハヴェーリー(屋敷)があるところで降ろしてもらう。このハヴェーリー群はどれも規模が大きく、外壁の砂岩にあしらわれた彫刻が素晴らしい。赤砂岩に施された彫刻だ。ビカネールには、隣接するシェーカーワティー地方のタイプのハヴェーリーはなく、このような様式となる。距離はそんなに大きく離れていないのに、地域ごとに異なる特徴があるのはインドらしく、ラージャスターンらしいところでもある。ここの屋敷は建て込んだ街区にあるのだが、それでも巨大さと壮麗さには目を見張る。ここからしばらく旧市街を歩き回ってみると、いろいろなコミュニティーの大小様々なハヴェーリーが良い状態で残っているのを目にすることができる。

話は逸れるのだが、インドの地名についての表記については、こうして書いていてちょっと迷うことがある。「シェーカーワティー」と綴るいっぽう、「ビーカーネール」ではなく「ビカネール」と綴ってしまって良いのかと。

「シェーカーワティー」については、元々のデーヴァナーガリーの綴りでそうなっており、そのように発音するのだが、「ビーカーネール」とすべて長母音で綴ると日本語ではあまりに冗長になってしまうように感じられて、「ビカネール」とした。同様に、以前はindo.toの記事で、「バーングラーデーシュ」としていたものを、最近はこれと同じ理由から「バングラデシュ」と表記するようにしているのだが、全体として統一性がなくなってしまうのが難だが、個人的なブログであるということで、ご容赦願いたい。

地名や人名の長母音部分を便宜上、短母音で代用してしまうというのもひとつの手かもしれないが、ずいぶん舌足らずな感じになってしまうという短所がある。しかしながら、すでに日本語のメディアやガイドブックなどで定着した表記になってしまっているが、短母音であるものをわざわざ長母音化してしまうのは明らかにおかしい。
「ジャイプル」「ウダイプル」とすべきところを「ジャイプール」「ウダイプール」などとしてしまっているのがその例だ。
・・・とはいうものの、日本語では反転音や帯気音を表記できないので、母音の長短だけに拘泥する必要はないのかもしれないが。

話は戻る。ビカネール旧市街では、藩王国時代にイギリス当局の買弁として栄えたラームプーリヤー、コーターリー、ダーガー、カジャンチー、ドゥッガルといった商業コミュニティーのハヴェーリーが沢山残っている。こうした建物を飾り立てる装飾を制作してきたのは、スタールと呼ばれる職能コミュニティーの人たちなのだが、イギリスという大きな後ろ盾をインド独立によって失ってしまった商業コミュニティーが、活動の拠点をムンバイーやコールカーターのような商都に移していく中で、多くは父祖伝来の仕事を失うことになっていった。

独立後のインドでは、独立運動時の反英活動は、たとえ暴力に訴えたテロ活動でさえも積極的に肯定され、むしろ神聖化されているとも言えるが、当時彼らを取り締まる公安関係者の大半はインド人であるとともに、こうした商業コミュニティーによる買弁的な経済活動、さらにはそこを通じて日々の糧を得ていた層も少なくなかった。いつの時代も当然ながら、政治に無関心な層もある。

反英闘争は必ずしも全国民を挙げての活動とは言えない部分もあったこと、親英的なそうもまた存在していたことについて語る人は多くない。どこにあっても世の中は勝てば官軍、勝者の都合によって歴史は描かれることになる。

また独立要求運動の中途で浮上してきたイスラーム国家建設運動により、同じインド人として志を同じくしてきた現在のパキスタンとインドで、こうした運動の立役者たちがそれぞれの歴史の定説の中から恣意的に消されてしまったり、新たに加えられていったりということもある。歴史は様々な方向から検証することなしには、事実や本質を見誤ることになりかねない。

〈続く〉

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