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投稿者: ogata

  • インドの高額紙幣廃止はネパールにも影響

    11月9日から、インドで500 Rs及び1,000 Rs紙幣が廃止されたことに伴い、隣国ネパールでも、これを巡る問題が起きていることが報じられている。

    もとより同国南側平原部のタライ地域では、インド経済との結びつきが強く、大量のインド紙幣が流通していること、より高い賃金と就労機会を求めて隣国インドで働くネパール人労働者たちが故国に持ち込むインドの紙幣があるためだ。

    これらの中で、今回廃止された高額紙幣が占める割合は当然高く、インド側に出なければ、これらを少額紙幣あるいは高額新紙幣に交換する手立てはなく、1日に交換できる金額も限られているため、保有する人たちに与える影響は甚大だ。

    Demonetisation hits Nepalis living near border with India (The Himalayan)

  • ヤムナ・エクスプレスウェイで戦闘機が離着陸

    11月21日にNDTVのニュースでも見たが、同日の朝6時半ごろ、ヤムナ・エクスプレスウェイのマトゥラー付近で、インド空軍のミラージュ2000が2機着陸と離陸を実施したとのこと。

    事前に道路を封鎖して、政府高官たちも見守る中での実施であったそうだが、付近住民に詳細は知らされておらず、さぞ驚いたことだろう。

    最近のインドの主要幹線国道には、片側3車線のものが少なくないので、こうした演習が可能となる。昔ながらの片側1車線あるかないかの幅の国道で、両側に背の高い木が連なっている環境(・・・という具合に、英領期に整備されたものが多い)では想像することすら出来なかった。

    Fighter plane Mirage 2000 lands on a road in Mathura (ABP News)

  • タバコがない?

    禁煙したい人は、このあたりに1週間ほど滞在するといいかもしれない。
    パンジャーブ州のアーナンドプル・サーヒブでもパティヤーラーでも、タバコを売る店をひとつも見かけていない。
    街中で、タバコを吸う人の姿も皆無。例外的にビーディーに火を付けているリクシャー引きは、ひとり、ふたりほど目にしたかもしれないが。
    こうした環境はやはり、タバコをタブーとするスィク教徒が人口に占める割合が高いこと、中産階級から社会上層部にかけて、彼らの存在が大きいことから、他の人たちの模範となったり、模倣される対象となったりすることが大きな理由のひとつとして挙げられるだろう。
    手持ちのタバコがあるので、今すぐ困るわけではないが、こういう環境だと自然に禁煙できるかもしれない・・・と思ったりする。
    ちなみに、パンジャーブ州では、タバコのバラ売りも禁止されている。これもまた禁煙志願者にとっては、踏ん切りがついて良いのではないだろうか。

    Punjab: Smaller Cigarette Packs Creates Big Problem (mynahcare.com)

  • パンジャーブは水路の賜物

    パンジャーブは水路の賜物


    「緑の革命」で内外によく知られるパンジャーブ州は、インドの穀倉地帯。社会的インフラ、所得や教育水準などの観点から、インドにおける先進州のひとつでもあり、各種商工業も盛んだが、やはり農産物からの収益が豊かな経済を支える最も大きな柱。



    農業の成功を可能にしているのが、州内に張り巡らされた大小の水路。パンジャーブ州の農業の隆盛を可能にしたのは、効率的な灌漑施設の普及だ。

  • パティヤーラー5

    パティヤーラー5

    シーシュ・メヘル近くにあるグルドワラー・モーティーバグ・サーヒブへ。ここもまた名刹として知られるグルドワラーだが、敷地内にある大変立派で快適そうなダラムシャーラーがスィク教団の富を象徴しているようで印象的であった。

    その後、Neemrana’s Baradari Palaceに行ってひと休み。ここは現在も王家が所有する宮殿だが、ニームラーナー・グループが運営しているヘリテージ・ホテル。お茶だけ飲みに立ち寄ったが、なかなかいい感じ。ただしお客が宿泊している雰囲気は感じられず、かなり空いているようであった。

    「パティヤーラー・ペッグ」にちなんでThe Pegと名付けられたバー兼カフェ

    〈完〉

  • パティヤーラー4

    パティヤーラー4

    地図をもらおうと、パティヤーラーのパンジャーブ州政府観光局に行ってみた。不在だったが、職員の携帯番号が書いてあり、ダイヤルしてみたが、「1時間くらいしたらオフィスに行く」とのことで、「じゃあいいです。」と電話を切った。

    そこからリクシャーでQila Chowkへ。ここはQila Mubarakの出入口前のバーザール。壮麗な建物なのだが、いかんせんメンテナンスがなっていない。現在、Patiala Heritage Walk と呼ばれる一連の見どころがあるのだが、それらの修復工事が一斉に行われている。

    キラー・ムバーラク手前の大きなゲート
    キラー・ムバーラクの外壁部には、商店が多数入居

    キラー・ムバーラク内部

    キラー・ムバーラク内の博物館

    外壁は荒れ放題のところが多い。

    門をくぐって入り、右手が博物館になっている。中にはこのパティヤーラー藩王国の武器その他が展示させていた。

    博物館見学していると、さきほどの番号からコールバックがあった。「あ、もういいです。」と再度断ったが、「あると便利ですから、博物館まで地図お持ちします。」と言われ、しばらくすると、本当にその人が現れた。

    たかが観光地図一枚のことで、とっても恐縮であった。生の日本人を目にして話をするのは初めてだとかで、さんざんヨイショしてくれたが、なんだか申し訳ない。

    キラー・ムバーラク界隈を散策。この城塞はキラーチョウクとその左右の壁は立派だが、裏手の部分はまったく飾り気がないし、場所によっては人の倍くらいの高さしかない壁もある。

    キラー・ムバーラクから南下すると、旧王家の火葬場、シャーヒー・サマーダーンがある。

    シャーヒー・サマーダーン入口
    シャーヒー・サマーダーン内の壮麗な建築
    上の画像の上層部
    亡くなった王族への記念碑的な意味合いで建てられたチャトリ

    そこからシーシュ・メヘルへ向かう。ここは、1847年に当時のパティヤーラー藩主、ナレーンドラ・スィンによって建てられた宮殿で、その名のとおり鏡やステンドグラスを多用した美しいパレスであるという。だが、ここも修復工事中のため建物内には入ることが出来ず、中庭から眺めるのみ。

    シーシュ・メヘル
    吊り橋の下は満々たる水をたたえる池であったという。
    工事中のため、残念ながら中庭から眺めるのみ。
    工事進行中

    敷地内には、建立が1905年と記されたヴィクトリア女王の立像があった。他には藩王の像など。敷地内のチャーイなどを出す休憩場にやってきた5人連れの男たちはバングラデシュ人であった。インドで働いているそうだが、ときどきこうして小旅行をするのだとか。

    ヴィクトリア女王の像。Moga Tehsilとは、パンジャーブ州のルディヤーナーとファリードコートのほぼ中間点にある地域。

    パティヤーラー市内では、前述のとおり、Patiala Heritage Walkの一連の見どころの修復工事のため、ことごとく工事中のため入場できなかったり、入ることができても「カメラ使用禁止。スマホ、ケータイ撮影OK」という、無粋な措置がなされていたりするのには困った。機密であるはずはないし、質の悪い写真だけ手元に残させて、訪問者をガッカリさせようという意図があるとは思えないし、なんともいただけない。パティヤーラーの街自体は、かなり見どころがあって面白いのだが。

    ファウンテン・チョウクにある有名店のGOPAL’sへ。1Fはスイーツ、2Fはレストランとなっている。食事してから〆で甘いものをと思ったが、疲れて食欲がないので、ミターイーだけにした。どれも香り高く、品格ある極上スイーツであった。後方左から時計回りに、それぞれサフラン、ドライフルーツ各種、マンゴー、バラをフィーチャーしたもの。

    〈続く〉

  • 高額紙幣の廃止

    11月8日の夕方、日付が9日へと変わるまで、あと4時間というタイミングで、モーディー首相が、現在の高額紙幣(500ルピー札および1,000ルピー札)を廃止することを発表したことは、ニュース等で伝えられているとおりだが、当然のごとく本日のインドでは各所で混乱が起きている。

    これらのお札の廃止を受けて、新たな500ルピー紙幣と2,000ルピー紙幣が導入されるとのことだが、いつから流通するのか、全国各地に行きわたることになるまで、どのくらいかかるのかは今のところはっきりしない。今週の金曜日からATMで引き出すことができるようになるという報道はあるのだが、ごく限られた大都市の中心部にあるメジャーな金融機関に限られたことではないだろうか。

    New currency notes to be available at ATMs from Friday (INDIA TODAY)

    インドにおいて、こうした廃札は初めてではない。ずいぶん昔のことになるが1946年と1978年にも実施されている。前者では1,000ルピーと10,000ルピー紙幣、後者では1,000ルピー、5,000ルピー、10,000ルピー紙幣がそれぞれ廃止されている。

    ルピーの価値は今とはまったく異なった当時のインドとしては、相当な高額紙幣ということになる。1978年には、1USドル=8.5ルピー(1USドル=190~240円程度)であったので、1ルピーが最大25円ほどの価値があったことになる。つまり1,000ルピーは約2万5千円、5,000ルピーは10万円、10,000ルピーは25万円もの価値があったことになり、もっぱら大きな商取引で用いられるものであって、日常生活では見かけたり、用いたりすることは滅多になかったことと思われる。当時のインドの1人当たりのGDPは、わずか200USドルであった。

    今回の廃札と同じく、ブラックマネーや脱税への対策として実施されているが、前回2回と大きく異なる部分がある。まずは、最高額紙幣が1,000ルピー(約1,500円)であること、そして昔とは通貨価値が異なり、所得も向上しているため、500ルピー、1,000ルピーといった額面の紙幣は、一般市民の日常生活で頻繁に用いられる。

    これらが廃止となったことで、社会に与えるインパクトは非常に大きく、たとえこれがブラックマネーの追放や不正蓄財への打撃であるという目的を説いたところで、前回2回に較べて一般市民にも及ぶ不都合は甚だしいため、こうした施策が理解を得られるかどうかについては、かなり大きな疑問だ。

    今回廃止となった紙幣については、一定期間はATMで預け入れたり、銀行窓口でフォームを記入して交換したり出来ることになっている。昨日、本日流れていたニュースによると、その期間は今年12月一杯、1日に交換できる金額は20,000ルピーまでとのこと。

    だが先述のとおり、市民生活に及ぶ影響が甚大であることから、市民自身からはもとより、野党からの激しい批判等により、次第に緩和されていくのではないか?とも想像している。初めはかなりキビシイことを求めていても、反発を受けて、それが次第に緩くなってくるということは、インドではよくある。良くも悪くも民主主義の国である。

    ※「パティヤーラー4」は後日掲載します。

  • パティヤーラー3

    パティヤーラー3

    ブーピンダル・スィン

    19世紀初頭にパティヤーラー藩王国の王位に就いたブーピンダル・スィン。46歳で逝去するまでに、国際連盟インド代表、円卓会議のメンバーなどを歴任した。現在も営業しているパティヤーラー銀行の設立者でもあり、現在はデリーの鉄道博物館で車両を見ることができるパティヤーラー・モノレールの創設者でもあった開明的な君主。

    インド代表クリケットチームをキャプテンとして率いたことから、Captain Sahibとして現在も広く記憶されている。彼の孫で、現在国民会議派の議員で、州首相を務めたこともあるアムリンダル・スィンも同様にCaptain Sahibと呼ばれるが、彼は軍人としてパキスタンとの戦争を戦った経験があり、当時の軍での階級がCaptain(大尉)であったことによる。

    大変な功績があった人でありながらも、現在、人々の間で共有されるプーピンダル・スィン伝説は、これとは違った側面らしい。

    それは「絶倫王」だ。

    10名と言われる正妻以外に25名とも言われる側室を持ち、判っているだけでも80名ほどの子供をもうけている。王というものは、スポーツ新聞ネタになるような部分でも、常人の域を大きく凌駕してこそ、人々に長く記憶されるものなのだろう。

    ブーピンダル・スィンの像

    〈続く〉

  • パティヤーラー2

    パティヤーラー2

    何か特定のご利益があるということになっているスィク教寺院もあるようだ。パティヤーラーにあるグルドワラー・ドゥク・ニルヴァーラン・サーヒブは、「グルドワラー鎮苦院」といった具合の名前で、様々な病気にご利益があるということになっている。最近、物忘れがひどいので、私もちょっとお願いしてみた。

    右下は沐浴者が掴まるための鎖。水の中では鯉が泳いでいた。

    寺院内にある沐浴地には、壁で外界の視界を遮る女性用の場所もしつらえてあった。池には等間隔で鎖が伸ばしてある。池の中はガートになっているのだが、数段下ると足が付かないほど深くなるようだ。泳ぐことができず、浮くことすらできない人が大半なので、溺死防止だろう。まさに命綱だ。

    これとは別の話になるが、市内には、カーリー寺院がある。それは元々、パティヤーラーの藩王が建てさせたものであるとのことなのだが、その由来は後継ぎが生まれず、困っていた藩主が夢で神託を受け、「カルカッタまで徒歩で赴き、地元のカーリー女神に祈りを捧げること、そしてその別院をパティヤーラーにも建てること」などを告げられたのだとか。

    藩主が本当に徒歩でそんな遠くまで旅をしたとは思えないし、後付けで出来た逸話か、あるいは俗説なのかもしれないが、なかなか面白い話ではある。

    そうした由来あってか、カーリー信仰の本場でインド東部のベンガルとはまったく反対の西部にありながらも、けっこうにぎわっている。

    パティヤーラーは旧藩王国の面影を残すエリアもあり、緑地にも恵まれた美しい街で、滞在するには心地好い。

    鉄道施設の写真を撮ると警官から煩いことを言われかねないが、パティヤーラー駅舎もまたパティヤーラー藩王国時代そのままではないか?(たぶん・・・)と思われる趣のあるものだ。駅前道路との立地の兼ね合いもあるが、鉄路と並行しない駅舎というのは珍しい。

    〈続く〉

  • パティヤーラー1

    パティヤーラー1

    アーナンドプル・サーヒブのバススタンドから10時のバスで出て、午後1時半にパティヤーラーに到着した。

    どうせ寝るためだけなので、バススタンド近くの500から700Rsくらいの宿に泊まるつもりだったが、パティヤーラーが近くなったあたりで、宿泊施設をスマホで検索してみると、ちょっといいホテルがインドの旅行予約サイトで結構安く出ていること、新しくアカウント作るともらえるクーポンみたいなのを利用すると得なことを知った。普段は予約サイトで宿を予約などしないのだが、中級クラスのホテルの場合は、こういうものを利用したほうが有利なことがあるということが判った。

    可笑しいのは、連泊する場合、そのままチェックイン日とチェックアウト日を入れてしまうよりも、一泊ずつで取ったほうが安くなる場合もあること。

    バスを降りてから、サイクルリクシャーでそのホテルに向かった。室内も外見に相応しい感じで快適。全館改装したばかりのようだ。これで税サ込で2000Rsを切るというのは、いまの時代、けっこうお得だ。もし連れがいれば、二人でも同じ料金なのでもっと得になる。リュックを背負ってホテルのフロントまで来ていながらも、そこでスマホを操作して予約するというのも間の抜けた話ではある。

    〈続く〉

  • 80年代後半の「ネコババ事件」

    パンジャーブ旅行にきて、ふと思い出したことがある。カリスターン運動が激しく燃え上がっていた80年代後半、インドのパンジャーブは、外国人にとって、事実上オフリミットとなっていた時期があった。

    「事実上」というのは、内務省発行の入域許可書があれば、「3の付く日」つまり、毎月3日、13日、23日に国境近くのアムリトサルの街に直行するバス(基本的にはデリー発、場合によってはハリヤーナー州のアンバーラーから出ることもあったように記憶している)が出ていた。乗車することができるのは、降車してからすぐに国境を越えてパキスタンに行く人たちのみ。そんな具合だったが、状況によっては運休となることもときどきあった。

    今の平穏なパンジャーブの様子からは想像も出来ないが、スィク教徒の分離活動家たちによる要人誘拐、殺害その他の乱暴狼藉が日常茶飯だったのだ。州の政治家、州政府役人、パンジャーブ警察、軍人の中にスィク教徒が占める割合が高く、同じスィク教徒の親インド派と先鋭化した分離独立派の抗争という側面もあった。

    個人的な話になるが、そんな時代に「猫ババ事件」は起きた。

    当時、ニューデリー駅前のパハールガンジ地区にあったハニーゲストハウスのドミトリーに泊まっていた私に、同じ大部屋に宿泊していた1人が声をかけてきた。
    「俺、これからすぐに出てアムリトサル行きのバスに乗るんだ。○○号室の✕✕に渡さないといけないお金があるけど、奴は今部屋に居ないんだ。だからよろしく頼む。絶対渡してくれよな、頼んだぜ!」

    私は一度は断った。確か50ドル相当のインドルピーだったと思うが、当時のバックパッカーにとっては、ちょっとした大金だ。ちょっと節約すれば、100ドルでひと月滞在することが可能だった時代だったので、半月分の生活費ということになったからだ。そうでなくても、よく知らない相手のお金を預かり、これまたよく知らない相手に渡すというのも実に困る。当時、駆け出しの旅行者(笑)であった私は、旅慣れた年上の男の押し出しの強さにすっかり腰が引けていた。

    「今日の夕方に出て、鉄道でネパール国境に行くので・・・」と言っても、「いや、俺は今の今すぐに出なきゃならないから。よろしくな!」とベッドに現金を放って出ていってしまった。

    そのとき、ドミトリーには私しかいなかった。すでにチェックアウトしていたのだが、出発の時間まで、空いているベッドに寝転んでいても何も言われないという、実に鷹揚な宿であった。実際のところ、宿泊者が何人いるのかマネージャー自身が定かではなく、ドミトリーに「点呼」しに来ることもあるといういい加減さであった。

    さて、私は✕✕という男の顔さえも知らない。しばらくしてから、彼が滞在しているという部屋をノックしてみたが、やはり不在だった。私が宿を出る時間まで、ドミトリーには誰もいなかったので、後を託すこともできなかった。

    仕方がないので、ネパールに入ってからは、ネパール通貨に両替して、自分の旅費の足しにしたのだが、カトマンズにあったストーンハウスロッジのドミトリーに滞在していたとき、同宿の人たちと食事に出ると、こんな話が出た。

    「俺なぁ、日本人にネコババされたでぇ。」
    彼が言うには、デリーで泊まっていた宿で、どういう経緯なのかよく判らなかったが、同宿の日本人から返してもらわなければならないお金があったものの、相手の男は彼が宿に戻る前にドロンしていたのだと言う。

    場所はまさにハニーゲストハウス、時期もだいたい同じくらいなので、どうやら私に無理やりお金を押し付けたあの男のことのようであったが、金額は私が預かったものの倍くらいのことを言っている。彼が話を膨らませているのか、それともあの男が半分の金額だけ私に預けたのかは知らない。

    ここで「あぁ、僕が預かったのはその半分だったけど」などと口にすると、ロクなことにならないのは明らかなので、黙って相槌を打ちながら話を聞いていたが、たいそう居心地が悪かった。

  • アーナンドプル・サーヒブ

    アーナンドプル・サーヒブ

    アーナンドプル・サーヒブは、スィク教第9代目のグルーであるグルー・テーグ・バハードゥルによって、1665年に開かれた町で、アムリトサルに次いで、スィク教の2番目に重要な場所であるとされる。

    宿泊先のホテルの目の前にある公園にそびえる巨大な記念碑は、カールサーのマークを頂いており、いかにもスィク教の町に来たという気がする。広がりの割には密度が低く、ガランとした印象を与える町だが、民家のひとつひとつの敷地は広めで商店などもかなり大きく、田舎町の割には暮らし向きもちょっと良さそうなのは、インドにおける先進州のひとつ、パンジャーブらしいところだ。

    公園の記念碑にははカールサーのシンボルが・・・。

    ケースガル・サーヒブの門前町には銃刀店のように見えるものがあるが、これはシンボルとしてのキルパーンを売る店。よくスィク教徒がベルトのようなものに差して斜めがけにしているものだ。なかなか精巧に出来ているものもあり、記念にひとつ購入してみたくなる。

    銃砲店のように見えるが神具ならびにスィク教グッズの店
    ミニチュアのキルパーン
    名刹 グルドワラー・ケースガル・サーヒブ

    沐浴地は寺の敷地の外にあり、それがちょっと今ひとつという部分はある。おかげでドラマチックな視覚効果はない。

    沐浴地

    町には、他にも大小のグルドワラーが沢山あり、ターバンを巻いたスィク教徒がマジョリティ?であるかのように見える。アーナンドプル・サーヒブ一番の名刹、ケースガル・サーヒブでは、敷地内に巡礼宿もずいぶん立派な建物がいくつもあり、快適そうだった。信徒ではない外国人でも泊めてもらえる。

    立派で快適そうな巡礼宿

    ただしスィク教施設ではタバコはご法度なので、喫煙者の私にはハードルが高く、市内のホテルに泊まった。

    こちらはケースガル・サーヒブの別院

    ヴィラーサテーカールサー(Virast-e-Khalsa)というスィク教博物館(あるいはスィク教のテーマパークというべきか・・・?)は、月曜なので休館だった。インドにおける博物館は月曜休館という法則は、教団施設も同様らしい。

    さて、ケースガル・サーヒブとその別院を参拝したので、アーナンドプル・サーヒブを後にする。パンジャーブ州の道路は素晴らしいが、町と町を結ぶ路線バスも、なかなか良かったりする。