久美子ハウス

四半世紀以上も前のことになるが、バナーラスの久美子ハウスに宿泊したことがある。日本人宿というものに特段の興味や関心があるわけではないのだが、当時は泊めてもらう前に「面接がある」だの、その面接で「落とされる人がいる」だのといった噂を耳にしていた。落とされた人というのは、当然そこに宿泊させてもらえず、他の宿を当たらなくてはならない。観光客の多い街で、界隈には他の宿泊施設も多いので困ることはないのだが、お客に対してそんなに居丈高な宿が本当にあるのかと不思議であった。

当時大学生であった私は、友人と初めての海外旅行で訪れたインドであり、目にするものすべてが物珍しく、迷路のようなバナーラスの街はどこか異次元の世界のようでもあった、昼間はどこまでも人々でごった返している小路を進んでいき、ようやくたどり着いた先に「久美子ハウス」と日本語で書かれた看板が目に入るにあたり、ホッとした気分になった。

「面接」といっても何を聞かれたのかは今となってはまったく記憶していないが、確かにそれらしきものはあった。久美子さんの夫でヒゲ面のシャーンティさんが流暢な日本語でいろいろと質問、といった具合であったのではないかと思う。

料金はいくらであったかも記憶していないが、ドミトリーで朝晩の食事が付いていて、バックパッカーが利用する宿としても最安クラスであったはずだ。食事というのは、かすかに醤油の味がするようなしないような汁の中にブツ切りの人参と大根がプカプカ浮かんでいる鍋のようなもの?と大きな器にドカ盛りされたご飯を各自好きなだけ取り分けて食べるといった具合。

思えばちょうどホーリーの時期であった。着替えが一揃いしかないので、衣服をダメにすると、なけなしの旅行資金から捻出して新しい服を買い求めなくてはならなくなるので、屋上から通りの下を眺めているだけであった。そういう日とは知らずにバナーラスの鉄道駅に降り立ったという人たちは、全身物凄い色になって宿に転がり込んできていた。

安旅行者を相手にしている宿であるだけに、面倒な問題を起こす旅行者が少なくなく、中には警察沙汰になったり、時には行方不明になったりしてしまう滞在者もいるなど、なかなか大変であったようだ。それに加えて宿が多くて過当競争になっている地域にありながらも、客引きに頼むこともなくしじゅう宿泊客の日本人たちが出入りする、経営環境としては非常に恵まれた立場にあるだけに、周囲の同業者から妬まれるということも耳にしていた。そういう事情があったため、宿泊者への「面接」というのが行われていたのだろうと思う。

こうした環境でもまれてきたからなのだろうが、久美子さんといえば、やたらと眼ヂカラのある豪放磊落な感じがする女性、肝っ玉母さんという印象がある。元来世話好きでもあるようで、ときには「口うるさいオバハン」と疎まれたりすることもありながらも、朝夕の料理のときには長期滞在者の誰かしらが手伝っていることが多かった記憶があるし、久美子さんもそうした人たちを気軽に「使い走り」に駆り出していたりもしていた。なかなか普通の宿ではありえないことだろう。

数か月単位の長期で滞在している人たちも少なくなく、安ホテルというよりも、賑やかな下宿屋といった風情の久美子ハウスであった。ガートに面した建物の屋上からのガンジス河の景色は良かったし、月夜に照らし出された河面の眺めも最高だった。当時はまだ幼かった可愛い子供さんたちも、とうの昔に成人してコテコテのインド人になっていることだろう。

その後、久美子ハウスに逗留したことはないのだが、幾度かバナーラスを訪れてガートを散歩中にこの宿のあたりを通りかかると、当時のことを思い出したものである。

そうした記憶もすっかり遠くなってしまった今、FB上で複数の方々が久美子ハウスについての記事を取り上げられていて、とても懐かしい思いがする。久美子さんもお元気そうで何よりである。なんでも今では久美子ハウス2号館というのもあるとかで、商売繁盛のようである。

-次期経営者募集?!-久美子さん(ウッタル・プラデーシュ州バラナシ在住)(LIVE INDIA)

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