続 劇場『雑踏』 1

しばらく前に、The Trainという映画を観た。
妻子とともにバンコク在住、広告会社に勤める演じる主人公ヴィシャール・ディクシト(イムラーン・ハーシミー)が、通勤時にBTS車内で知り合った人妻ローマー・カプール(ギーター・バスラー)と恋に落ち、連れ込んだホテルの客室でふたりは暴漢に襲われる。ヴィシャールが殴打されて気絶している間にローマーは暴行されてしまう。
その後、ヴィシャールの連絡先や家族構成などを知ったトニーという名の犯人にたびたび金を要求される。ドナーさえ現れれば、すぐにでも臓器移植を必要とする一人娘のため夫婦で蓄えてきた貯金にまで手を出すことになってしまう。
しかしここにきて、実は不倫相手のローマーという名は彼女が勤めていた職場の別人のもので、しかも彼女と暴漢はグルで同様の手口で様々な男たちから現金を巻きあげる常習犯であることが判明し、ヴィシャールは娘の手術費用と妻から失った信用を回復すべく立ち上がるというもの。
イムラーン・ハーシミーがよく出演する不倫のもの映画のひとつで、半月もすれば観たことさえも記憶からキレイに消え去ってしまう程度のものではあった。近年インド映画の撮影でよく利用されるタイだが、街中の色彩豊かな盛り場風景はこういう作品中でなかなかサマになってカッコいいと改めて感じ入った次第である。同時に、その場限りではなくこのようにして後から後から脅されるような目に遭ったら恐ろしいなぁと思っていたら、昔初めて海外旅行に出たときの記憶が、ふとよみがえってきた。


当時まだ大学生だった私、春先でも汗ばむ気候のバンコクの空港に降り立った。鉄道でホアランポーン駅へと向かった。当時の日本人学生旅行者は、今のようにほとんどがカオサンに直行というわけではなく、チャイナタウン方面に投宿する者が半分くらいいたように思う。
何しろ初めての海外旅行、宿泊先の安ホテルには日本人旅行者が多く、旅先の珍しい話を聞くことができて楽しかったし、いろいろ参考になることもありそうだった。
宿のラウンジでたむろする彼らの輪の中に入り耳を傾けていると、こんな話が聞こえてきた。
「Sのやつ、どうした?」
「なんだか手続きとかに忙しく駆けずり回っているみたいだな。まぁ自業自得だろ」
美人局に引っ掛かってしまい、現金、旅行小切手、パスポートなどすべて盗られてしまったという旅行者がここの宿に滞在しているという話だった。
しばらくすると、そのSさんという男が階下に降りてきて私たちの輪に加わった。そんな目に遭ったばかりであるがゆえに、あまり元気な印象は受けなかったが、とりあえずパスボートとトラベラーズチェックの再発行のメドが立ち、ホッと一息ついた状態だという。
事の顛末をよく知らない一人が、Sさんに不躾な質問をしていた。
「お兄さんエッチやなあ。ずいぶん高くついたんとちゃうか?」
すでに同様の言葉を投げかけられているようで、彼は情けない表情をしつつも割と落ち着いた受け答えをしていた。
「いや、誓って何もやましいことはなかった。ただ部屋に入ってコーラ飲んだら気を失って、目が覚めると何もなくなっていたんだ」
つまりこういう具合であったらしい。街を歩いていたら地図を持った女性が声をかけてきた。マレーシアから来た旅行者だという。「あなたはタイの人かと思った」という彼女としばらくその場で雑談、ちょうど昼ごろだったので「じゃ一緒に食事でも」ということになった。さきほど彼女が行先を尋ねていたスポットにも同行することになり、店を出たところやはりまだ暑い時間帯。「気分が悪くなったからホテルに戻りたい」という彼女の「私の部屋で休んでいったら」という言葉に鼻の下を伸ばしながらついていったSさん。部屋に入るなり、彼女が「冷たいコーラでもいかが」と差し出したコップの中身をグイグイッと飲み干したところまでしか記憶がないらしい。
Sさんに質問した男が言った。
「そうか、俺はシャワー浴びたけど、その後やっぱりコーラが出てきて、なーんもせぇへんうちに眠らされたわ。あ〜悔しい!」
その場に居合わせた皆が腹を抱えて大爆笑。なんのことはない、この人もその前年あたりに同類の事件に遭遇したのだという。居合わせた皆で近所のタイスキ屋で鍋をつつきに出かけることになり、そこで再びこの話の続きとなった。
「ま、日本でモテないやつが海外に来たからって急にモテるはずはない。これが結論や」
この人によれば、その後幾つも似たようなケースを耳にしたという。しかしどれも似たようなシチュエーションで、女性は20代前半くらいで、とても感じの良い美人、マレーシアなど近隣の国からやってきた旅行者と自称しているが実はタイ人らしい。最後に獲物を仕留めるのは部屋に入ってからの睡眠薬入りコーラというおきまりのパターンであったとのこと。
彼は「いきなり男が乱入してきて締め上げられる話がないのは幸いかもしれん」とはいうものの、女性ひとりで全部こなしているとは思えないから、背後には男性がひとりやふたりはいるだろうし、何かの組織もバックにいるかもしれないというのがそこに居合わせた人たちの大方の意見だった。
〈続く〉

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