サウス・パーク・ストリート墓地 3

動物愛護家の『先駆者』だろうか? 
あくまでもこの墓地に埋葬されているのはイギリス植民地当局の中でもかなり上のほうの人々ということになろう。それ以下のクラスの人々つまり鉄道建設時代にイギリスから多数渡ってきた技師や機関士といった技術職の人々、比較的小さな商売を営んでいた民間人たちなどは含まれていないようだ。
往時の時代をリードしていた人々の名前や業績は歴史の中に刻まれて後世の人々にも伝えられるものだが、そうした人々のプライベートな生活となるとなかなかそうはいかない。どういう家庭生活があったのか、親子関係はどうだったのか、子供の教育問題はどうしていたのか、貯蓄は、引越しは・・・・となるとトンとわからないものである。欧州人たちが長い旅行や調査に出かけるなど特別な機会に記した旅行記、歴史的な大事件例えば大反乱のときに書かれた個人的な記録といったものは今でも出版されているが、ごく平凡な日常を綴った個人的な日記というのはまず耳にしない。往時は何の変哲もない日々であっても、時代がまったく変わった今にあっては、当時の世相を知るための大変貴重な資料であろう。


だからそれよりも下のクラスの人々による『××の日記』や特に大衆の日常生活を詳細に記したものが出版されたものは私が知る限り存在しないようだ。人々の日々の悲喜こもごもの毎日はどんな具合であったのだろうか。東インド会社の若いライターたちが希望に胸を膨らませて到着したインドでの戸惑い、悩み、結婚、子供の誕生、昇進、娯楽、帰国・・・といった事柄を綴ったダイアリーでもいいし、インドの大都会で欧州からの輸入品を扱う店を経営する親戚を頼って渡ってきた青年の手記みたいなものでもいい。 
 
当然のことながら商売などを手がけて幾世代もこの地に暮らしてきたイギリス人たちも少なくなかった。そうした人々にとって20世紀に入りその半ばにかけてインドの独立機運が高まり、先行きの不安を抱えながらの生活ぶり、やがてインドに主権が渡されることが明白になってからこれまで暮らしたこともなかった本国に『帰還』することへの戸惑い、ごく少数ながらもインドにそのまま残ることを選択した人々・・・。旧支配層にして少数派のイギリス人といっても彼らは決して一様ではなく、実に色々な人間模様があったことだろう。市井の人々の日記ではないのだが、植民地時代のインドに暮らしたイギリス人たちの風俗習慣などについて書かれた図書類の復刻版はここコルカタでもいろいろ手に入るようだ。
古い墓石が立ち並ぶ南パーク・ストリート墓地では朽ち果てて雑草が生い茂っていることを除けば、敷地内の風景は当時からあまり変わっていないのではないだろうか。大通りの喧騒から離れて、18〜19世紀の帝都の様子をチラリと垣間見たような気分になった。

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