メトロが変えるか? 街の風景

メトロ
 先日、ムンバイー・メトロのことについてアップした後、インディア・トゥデイ(10月4日号)に各地で広がるメトロ建設計画について書かれた記事が掲載されていることに気がついた。
 それによると、アーメダーバードとコーチン以外にも、バンガロール、ハイデラーバードでもこうしたプランがあり、コルカタでも市街東部にネットワークを広げることが構想されているとある。都市部の過密化が進む中で、交通渋滞の減少およびスピード化というふたつの相反する効果が期待できるうえに、公害と交通と減らすことにも貢献するため、まさに時代の要請にマッチするといったところらしい。
 
 個人的には既存のバス等の交通機関に較べて安全性と質も格段に高く、公共交通機関というもののありかたについて大きな指標となりえることからその存在意義は極めて大きいと考えている。ちょっと想像してみるといい。インドでクルマもバイクといった自前の足を持たず、でも運良く自宅も職場もそれぞれメトロの駅近くにあったとすれば、毎日それで通勤できたならどんなに楽なことだろう。たとえすし詰めの満員だって他の交通機関よりもずっと安心だ。
 メトロのネットワークが広がるにつれて、また他の交通機関と競合する部分が多くなるに従い、既存の交通機関のクオリティの向上もある程度期待できるだろう。またコルカタで検討されているように利用者たちの利便を図るため、市民の足として相互補完するためバスとメトロの走行ルートや停留所などの調和や共通チケットやパスといった構想もやがて当たり前のものとなるのかもしれない。
 渋滞、長い信号待ち、事故などによる遅れなどもあり、時間的にあまりアテにならない都会の路上交通よりもずっと正確に動くメトロは、ときに細い道を通ったり複雑なルートを取ったりするバスにくらべて、同じ時間かけて進む距離も長い。そのため人々の通勤圏も広がり都市圏をかつては思いもよらなかった遠い郊外へと拡大できる。
 人々はそこにマイホーム取得の可能性を感じ、需要をアテこんだデベロッパーが開発を進める。それまで二束三文にしかならなかったような土地の資産価値がグンと上がり・・・といったお決まりのパターンとともに、周辺の小さなタウンシップを呑み込む形で市街地が拡大していくことになる。こうした動向の副産物として、いつしか都心部(デリーに限らず)の旧市街などからより条件の良い地域に流出する人々や店などが出てくるといった、いわゆるドーナツ化現象が起きることもあるのだろうか。
 それはともかくこうした動きの中で、インドの街にありがちな極端な過密さも多少緩和される・・・といいのだが。
 ただしメトロ建設の問題は、インドのような途上国にとって実に高い買い物であることだ。先述のインディア・トウデイの記事中には、世界中のメトロで経営的に成功しているのは香港と東京くらいと書かれているのだが、果たして本当だろうか。
 でも極端な話、車両と人員と運行ルートさえ確定すればすぐにでも開始できるバスのサービス(しかも前者ふたつは往々にして民間業者による請負が多い)に比較して、メトロというものは都市交通機関としては初期投資も維持費もケタ違いに高いことを思えば、あながちウソではないのかもしれない。
 こうした夢が描けるのは、もともとのスタート地点が低いため発展の成果が視覚的に認知しやすいこと、地域的にはいろんな問題を抱えつつもマクロな視点から眺めた経済が好調続きであることに尽きるだろう。しかし総人口の6割以上を20代以下の若年層が占めるこの国で、多くの人々が『今日よりも良い明日』を期待できるのは実に喜ばしいことではないだろうか。

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