コールカーターから日帰りでアチプルへ。とりあえず地下鉄でエスプラネードに出る。
アチプルには、18世紀にフーグリー河岸に上陸した最初の中国からの移民とされる人物を祀った寺と彼の墓があり、コールカーター華人の始祖として、当地の華人コミュニティ全体から崇められている。いつか訪れようと思いつつも果たせないでいた。
エスプラネードバススタンドから77番のバスで出発し、チャリヤル(Charial)で下車する。このエリアはマーケットになっており、橋の手前くらいで下してもらう。カルカッタ市内から30km。その割には市内の交通渋滞に加えて、ほぼ100mごとに乗客の乗り降りがある路線(笑)であるため、下車すべきチャリヤールまでは2時間半くらいかかった。
バスは橋を渡ったところで左折して違う方角に行ってしまうのだが、アチプルへは直進しないといけない。商業地なのでオートリクシャーは見つかる。ただトン・アチューのお寺と墓は離れているし、帰りのオートはアチプルからは見つからないと思うので、見物中の待ち時間を含めた往復で依頼すると良い。
さて、アチプルの寺に祀られている最初の中国移民トン・アチュー(Tong Atchew)だが、姓の「トン」とは、「塘」のことらしい。現在の福建か広東から来たものと思われる。
中印紛争の勃発までは大いに栄えていたカルカッタの華人コミュニティの人たち。彼らから大変な尊敬を集めている人物だ。裸一貫で渡ってきて、財を成した先駆けだが、もしかすると彼よりも先に渡ってきながらも、病などで倒れた人、成功を収めることができず、下働きのまま生涯を終えた人もいたかもしれないと、私は想像している。
それはともかく、このTong Atchewの寺には、毎年旧正月にはカルカッタの華人コミュニティの人たちがここに集まり、お供えをしたり祈祷したりといった供養をするのである。
ベンガル語で、この寺がある地域を「チーナー・マンタラー」と呼んでいる。「中国寺院」の意味だ。ここからさらに進んだ先には、Tong Atchewの墓がある。そのあたりが、かつて彼が始めてインドに上陸した地点ということになっているらしい。通常はゲートにロックがかかっているため、塀をよじ登って越えた中の敷地にある。どうやら旧正月にコールカーター華人たちが参拝するとき以外は開かないらしく、利用したオートのオートの運転手がこのあたりの事情について詳しい人で良かったと思った。
この運転手は、こうしたカルカッタ華人が旧正月に参拝する際に乗せて行ったり来たりした経験が多いようで、華人たちから聞きかじった話を受け売りでいろいろ話してくれる。私のことも当然、華人と思っていて、「どこから来たのか?」と尋ねてくる。
「いや華人ではないのだ」と言うと、「アンタどこの人だ。なんでここに関心あるんだ?」と聞かれて面倒くさいのは目に見えているので、「シローン(メガーラヤ州都。実際に華人たちが在住している)だよ」と返事をしておく。旅行中、インド人から地元の興味深い話を聞くのは楽しいが、逆にこちらが「どこから来た?」「何の仕事している?」「結婚してるか?」などから始まる月並みな質問を浴びせられて返事するのはくたびれる。
カルカッタ近郊とはいえ、途中に大きな発電所がある以外は、農村地帯(要は昔から住んでいる人たちのエリア)であるため、コスモポリタンのカルカッタがすぐ近くにあるとは思えないルーラルな、のどかなベンガルの眺めを満喫することができる。人々の家の造りも田舎のベンガルそのままである。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。