スィク教徒 インドへの回帰

政治的混乱が続くネパールにおいて、バンドやストは日常茶飯事となっているが、望まない休業を強いられて収入が落ち込むビジネス経営者はもちろんのこと、日銭で稼ぎ家計が自転車操業の人々もとても困っていることだろう。
そうした中、ネパールでの商売に見切りをつけて引き揚げてしまう投資家も少なくないようで、先日ネパールのメディアにこんな記事があった。
Chronic banda displaces Sikh community (eKantipur.com)
ビジネスチャンスを求めて、今から遡ること43年前くらいからビールガンジに定着して運輸業に従事し、当地のみならずネパール全国でこれを操業してきたスィク教徒たちが、昨今のネパールの政治状況を嫌ってインドへ回帰する流れになっているということだ。
古来、テライ地域、インド国境に面したネパールの平原部には深いジャングルが広がり、人口密度は希薄であったとされる。しかし開墾が進むにつれてこの地域は農業に適した肥沃な大地であることに加えて、人口圧力の高い国境の反対側、つまりインドのビハールやU.P.の人々の移住・定着などもあった。
今ではネパールの総人口のおよそ半分を抱えるようになっているテライ地域において、インドに起源を持ち、人種的、言語的、文化的に国境の向こうにより強い絆を持つマデースィーと呼ばれる人々が占める割合は高い。彼らは長年不利な立場に置かれていたが、近年は活発な政治活動を通じて政治的な立場を強めているのは各メディアで伝えられているとおり。
初代副大統領パルマーナンド・ジャー氏はマデースィー出身で、就任の宣誓をヒンディー語で行ない大きな非難を浴びることとなったが、彼の母体政党であるマデースィー人権フォーラムは、ヒンディー語をネパールの公用語に加えるべきであると主張している。
ネパールという国自体が、インドとの間のある意味特別な関係から人々の行き来は頻繁で、国境の反対側に雇用機会を求めたり、起業したりという人々は非常に多いが、隣国インドと接するテライ地域での人々の行き来は頻繁なようで、仕事関係はもちろんのこと、国境を越えた通婚や親族訪問なども少なくない。
この地域に、私たち外国人が越えることのできる地点もいくつかあるが、インドとの間に時差 (ネパールのほうが15分早い)があること除き、埃っぽい田舎町や農村風景に国境の手前とこちら側での視覚的な違いはほとんど感じないだろう。
先述の記事中には、『6年前までビールガンジにはスィク教徒の452家族が暮らしていたが、今ではわずか29家族になってしまっている』とある。明らかに隣国インドからやってきた外来の人々であることが不利に作用していることもあるかもしれない。
だが昨今続いてきた混乱により、国の基幹産業である観光業の不振、加えて世界的な景気後退による追い討ちなどもあり、地元のビジネスマンたちにとっても明るい先行きが見えないことには変わりがないだろう。
輸送業界からのスィク教徒の引き揚げは決して無視できるものではないようで、これがその他各産業界に与えるインパクトを憂う形で記事は結ばれている。

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