ボーヂョー・アウンサン博物館

ボーヂョー・アウンサン博物館は閉鎖中

ヤンゴンでボーヂョー・アウンサン博物館に行ってみた。ダウンタウンの北側のカンドーヂー湖の北側にある。

建国の父アウンサン将軍が1947年に暗殺される前に居宅としていた屋敷という歴史的な価値からヤンゴン市の文化遺産に登録されている。

父親が亡くなったとき、まだ2歳だったアウンサンスーチーさんは、幼少時をしばらくここで過ごしている。

2009年に訪れたときには閉まっており、改装工事でもしているのかと思ったが、残念ながら今回もそうであった。付近の住民に尋ねてみると「なんだかずっと閉まってますねぇ」とのことであまり多くを語らないが、どうやら政治的な理由であるらしい。

政権にとって長年の懸案となっているスーチーさんの存在があるため、彼女の父親ゆかりの場所というのは、国内政治的に憂いをはらむものなのだろう。

そういえば昔のミャンマーの紙幣にはアウンサン将軍の肖像画があしらわれていたものだが現在はまったく見当たらなくなっている。

旧25チャット札のアウンサン将軍肖像

私の邪推に過ぎないが、現在、学校で子供たちに自国の歴史を教える際でのアウンサン将軍の功績についての説明もかなり省かれているのではないかと思う。

将軍の娘のアウンサンスーチーさんは、オックスフォード大卒、ロンドン大でPh.D取得、国連や各国研究機関(日本の京都大学を含む)等でのキャリア等々、華やかな経歴を持つが、インドとのゆかりも深い。駐インド大使として赴任した母親とともにデリーに移った彼女は、デリー大学のレディ・シュリー・ラーム・カレッジで政治学を学んでいる。

政治学を学ぶ学生として見つめたインドの政治システムへの想いは格別なものがあったようで、NLD(今年5月に政党としての活動に終止符)を率いて1990年の総選挙で大勝(これを受けて軍事政権は議会を召集せず、本来政権与党となるはずであったNLDを弾圧)した彼女は、自国の将来にふさわしい新しい憲法の理想的なモデルとして、インド憲法を思い描いていたとされる。

あれからはや20年。今年、ミャンマーでは軍事政権主導の翼賛政党を中心とした総選挙が実施される。投票日は10月10日になる見込みだ。

かつて圧倒的な支持を集めたNLDの指導者たちは高齢化が進み、当時からの幹部の中で最も若いアウンサンスーチーさんも今年6月19日の誕生日で65歳。

今年実施される予定の総選挙のボイコットを決めたNLDは、5月6日の政党登録の期限までに手続きを実施せず政党としての機能を喪失。政治団体としての機能について事実上終止符を打つこととなった。

1988年8月8日に始まった民主化要求運動に参加した世代や当時のことを知る人たちも中年以降となっており、1990年の総選挙とその後の一連の出来事は確実に風化しつつある。

「ボーヂョー・アウンサン博物館」への2件のフィードバック

  1. 私も何度かここに行きましたが、確かにいつも閉まってますね。
    ただ、指摘されているように学校でアウンサン将軍の功績を省いていると言うことはないと思います。
    複数のミャンマー人の知人から確認していますが、今でもアウンサン将軍は国民の中で圧倒的な人気を得ています。
    あなたもミャンマーを訪れているならアウンサン・マーケットやアウンサン将軍通り、ガンドージー湖のアウンサン将軍の銅像を目にしませんでしたか?
    アウンサン将軍が政治的にタブー視されているなんてことはまったくありません。

    1988年にスーチー女史が墓参りのため帰国したとき、共産党の大会で演説をしました。その際、圧倒的に支持されたのは「アウンサン将軍の娘」という点です。
    確かに彼女は演説が上手いです。しかしこの二十年間でスーチー女史やNLDはミャンマーのために何もしていないのも事実です。ミャンマー国民はこの事実を知っているためNLDの支持者は少なくなっています。
    そもそもスーチー女史は1990年の選挙の時点でイギリス人と結婚し、かつての植民地宗主国であるイギリスの国籍を持っています。すでにイギリス人となった彼女が選挙に参加できないのは当然ではありませんか?

    1. そうですね。この国を独立に導いた立役者なのでもちろんタブー視されることはないと思います。
      ただスーチーさんがその人物の娘であるということは、当局にしてみればちょっと厄介なことではあるのでしょう。
      それがゆえに、政権側はこの20年以上の長きに渡り、ずいぶん辛抱強い対応をしてきたという思いもしています。

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