本に描かれたコルカタ華人たち 1 いつどこから来たのか?

 コルカタの華人コミュニティについて概説した書籍がないものかと思って探してみると、ほどなく見つかった。「BLOOD, SWEAT AND MAHJONG」(Ellen Oxfelda著)というコーネル大学出版から出た本である。
 1980年代に同市の華人地区に住み込んで調査をした著者による同地の中華系コミュニティの成り立ちや構成などについて興味深い記述がなされている。
 ただ内容がやや古く当時と現在のインドの経済事情、中国との外交関係などは大きく変わっているため現状と合わない部分もかなり出てきているのではないかと思われるのだが、執筆当地の華人社会の概況を知るために役立つ好著である。
 コルカタの中国系コミュニティのあらましについて、この本から抜粋して簡単にまとめてみたい。
 1770年代からベンガルには中国人たちが来ていた記録があるのだという。当時、中国の広東地方から英国船に乗ったあるキリスト教徒の中国人船乗りが上陸した。彼はサトウキビ農場、精糖工場、砂糖を原料とする酒作りで大いに稼いだがその繁栄は長く続かなかった。そして中国人たちの活躍の場はコルカタへと移り、1780年代にはすでに中国人コミュニティが同市内に存在していたという。以来華人たちの人々の活躍の場は主に都市部となる。
 東南アジア地域に比べれば地理的に遠いインドだが、コルカタはその最東部のメトロポリスは極東地域とも航路で結ばれていた。英領時代、デリーに遷都される前までは南アジアを動かす権力の中心地であったこの街は、この地を選んだ中国出身の人々には無限の可能性を秘めた商都として魅力的に映ったのだろう。


 他の移民先でもそうだが、当初中国からやってきた人々のほとんどが男性であったため、婚姻する相手は地元の女性となったのはごく自然な成り行きであった。中国人男性と結婚する地元女性たちの多くはクリスチャンのインド人とアングロインディアンが多かったということも、うなずける話である。
 ご存知のとおり父系社会を営む華人たち。中国出身の父親と地元の女性との間に生まれた子供たちは、当然のごとく中国人として育てられることになる。
 1870年代半ばに、コルカタの華人人口は800人を越えるようになっていたが、それでもこの中に占める女性の数はわずか60人あまり。極端に女性が不足していたことから、中国人男性たちは当時もまだ多くが地元女性たちと通婚しており、こうした状況はしばらく続いていた。
 華人たちの「婚姻」について転機が訪れたのは20世紀初頭以降のことである。地元生まれの中国系(中国人の父とインド人の母との混血)の女性が増えてきて、1930年代には女性は二割を占めるようになっていたことに加えて、中国国内での状況の悪化から海外に出る人々が増え、その中にはインドに向かう人たちもあった。
 中国大陸の混乱に比較してインド国内は安定しており、華人コミュニティも経済的な繁栄を享受するようになってきた時期でもあり、インドで成功した華人男性が一時帰国して郷里の女性と結婚してインドに戻るというケースも増えてきたことから、華人人口における男女比の不均衡が是正されていくことになった。
 それとともに華人たちがコミュニティの外の人々、つまりインド人女性と結婚するケースは急速に減っていくことになった。
 1950年代初頭には、華人人口は9200人を越えるようになる。そして中印紛争(1959年〜1962年)直前には、その数は1万5千人近くまで拡大していた。(最盛期の華人人口については、全インドで5万人、そのうち2万人がコルカタに住んでいたという説もある)
 しかし紛争の勃発とともに「敵性外国人」として華人たちへの風当たりと監視が強くなった。1962年後半には、当局による外国人抑留令が発布され、対象となった2000人に及ぶ華人たちたちが、ラージャスターン州に設置された収容所へ送られている。この時期は親大陸派の中国系住民たち、中華人民共和国の国籍保持者たちにとって受難の時期であった。
 中国政府は問題解決の交渉に乗り出した結果、翌年には中国帰国を希望する2500人ほどがマドラスから船で祖国(ないしは父祖の故郷)中国へと出国している。
 こうした世相の中で、幸い逮捕や抑留を逃れた華人たちの中からも中国へ帰国あるいは欧州、オセアニア、北米などへの移住する人たちが増えてきた。先進国の中ではカナダへ出国した人たちが飛び抜けて多いそうだ。コルカタの商業的な地位の下落もあり、国内でもボンベイのような都会に移住する人も2000人前後あったらしい。1971年にはカルカッタの華人は1万1千人にまで減っている。
 現在、コルカタ華人の中で客家系が圧倒的なマジョリティとなっているが、かつては広東系もそれに匹敵する規模を誇った時期があったらしい。しかし彼らのコルカタから流出するペースは客家人よりも速かったのだそうだ。
 中印紛争前までは、カルカッタ華人たちの中には、他国の中華系コミュニティ同様に、大陸支持派と台湾支持派が拮抗していた。その頃までは『帝国主義的』な台湾よりも『人民中国』のほうに勢いがあったらしい。また当時この街では『中国銀行』が支店を構えており、地元で商売をする華人たちに盛んに融資を行なっていたというから、単に信条ないしは感情的なものではなく、どちらの側につくかということは多分に実益を伴うものであったのだろう。
 しかしながら中印紛争後、当然のことながら大陸派は急速に勢力を失い、台湾派が支配的となる。それまでは大陸派が取り仕切っていた中華学校も台湾派の影響下に入った。
 現在、華人たちはコルカタに5000人、ムンバイーに1000人、デリーには500人程度在住しているといわれる。

Blood, Sweat and Mahjong
BLOOD, SWEAT, AND MAHJONG
Family and Enterprise in an Overseas Chinese Community
ELLEN OXFELD著
Cornel University Press
ISBN:0-8014-9908-9

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