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カテゴリー: travel

  • 11年間の旅路の後、妻のもとへ戻るカナダ人男性

    ベビーカー(西欧のものは往々にして大型で頑強な造り)を押しながら世界徒歩旅行を敢行してきたカナダ人男性。すでに11年間の行程は自国カナダ横断の終了直前で、間もなくスタート地点であったケベックの自宅に到着するとのこと。

    Jean Beliveau, Canadian Man, To Finish Walk Around The World (GLOBAL PULSE)

    Global 11-year trek coming to an end for Canadian Jean Béliveau (DIGITAL JOURNAL)

    Canadian nears end of 11-year walk (CBCnews)

    事業に失敗した後、いわゆる『ミッドライフクライシス(中年の危機)』に陥ったのを機に、世界徒歩放浪の旅に出たとのこと。詳細なルートはよくわからないが、インドも歩いたのだろうか。

    出発当時45歳であった彼も今は56歳となり、老境も目の前。毎年、妻から4,000ドルを送金してもらい、あるいは出会った人々の好意にも支えられて、歩きとおしてきたそうだ。

    その妻との再会もすぐ目の前のところまで来ているらしい。インターネットの普及により、メールやチャット、スカイプ等による相手の顔を見ながらの通話も安価に可能となったこの時代ではある。それでも、放浪中の主人と自宅を守りながら日々仕事に出かける奥さんが、11年間も夫婦関係を維持できているというのは実に大したものだ。

    無事帰宅した後、夫婦仲睦まじく、末永く元気に暮らして欲しいと思う。

  • キングフィッシャー・レッド ローコスト路線廃止へ

    キングフィッシャー・レッド ローコスト路線廃止へ

    Kingfisher Airlines

    ちょっとビックリする反面、やはりそうかという思いもする。

    Kingfisher Red to shut operations: Mallya (DAILY NEWS & ANALYSIS)

    After Kingfisher Red’s exit, no-frill carriers to expand operations (DAILY NEWS & ANALYSIS)

    キングフィッシャー・エアラインといえば、2005年に運行を開始した、まだ新しい航空会社ではあるが、もはやインドを代表する航空会社のひとつとして、内外に広く知られている。

    ご存知『キングフィッシャー』ブランドのビールを製造するユナイテッド・ブルワリーズ・グループが親会社の企業だが、今ではそれとは逆に『あのビールも造っている航空会社だね』などとアベコベなことを言う人もいるくらいだ。

    垢抜けたイメージとともに急激に路線を拡大していったが、2007年にインドにおける格安航空会社の先駆けであったエア・デカンを買収したことに負う部分も大きかった。旧エア・デカンは、キングフィッシャー・レッドとしてその後もインドの格安路線市場で、その他後発の格安航空会社や既存航空会社の格安料金と競い合い、同国の航空チケットの低価格化に果たした役割は相当なものである。

    個人的には、料金が安いもののウェブサイトでインド国外で発行したクレジットカードでは予約できなかったエア・デカンがキングフィッシャーに買収されてからは問題なく使用できるようになったのがありがたかった。

    ここ数年来の燃油代やパイロットの人件費の高騰により、どの格安路線も経営は決して楽ではないが、キングフィッシャー・エアライン自身も、華やかなイメージとは裏腹に様々な筋から経営難が伝えられていた。

    国内路線の伸長とともに、国際線にも積極的な進出を行なっており、他社と一線を画したカジュアルながらもスタイリッシュなブランドイメージとスタイルが良くてセクシーな制服を着た美人揃いの客室乗務員たちで人気を集めている同社は、利幅が薄くブランドの印象維持が容易ではない格安路線の切り捨てに舵を切ることになった。

    総体的には格安航空会社が従来型のキャリアに移行したように見えるが、実のところこれまでなかったちょうど両者の中間といった具合の新しいタイプのエアライン、つまりお役所的ではなく使い勝手の良い航空会社として今後も更に発展していくことと思う。

    この10年ほどで、インドの空の交通機関のありかた、ネットワーク、料金は大きく変化している。もちろんインドに限らず、中国、アセアン、ガルフその他のアジアの多くの地域で同様だ。

    だが便利になった、と感心ばかりしてもいられない気がする。人手不足で給与が高騰しているパイロットはともかく、その他の職種で航空業界に務める人たちの労働条件は、この間にどのように変化していったのかということも気になる。

    新規参入した会社が多数あり、業界全体の事業規模が飛躍的に拡大した結果、雇用者数が急増したことは容易に想像できるのだが、旧来からの航空会社に勤務の大多数の人たちにとっては、年々条件が厳しくなる苦難の10年だったのかもしれない。

    便利になるということは、往々にしてそのサービスを生業にしている人たちにとっては、当然の帰結として従前よりも重いノルマ等が課せられるわけで、同じ一続きの世の中で暮らしている以上、顧客たる私たちにとっても対岸の火事ではない。回り回って我が身にも降りかかってくることなのだ。

    キングフィッシャー・エアラインスの『レッド』部門切り捨てにより、これまで同社の路線拡大に大きく貢献してきた、切り詰めたコストの中でいろいろ使い回しされながらも頑張ってきた人たちが、今後どのような処遇を受けるのかということにも思いが及ぶ。

    現場で汗をかいて働く人たちはもちろんのこと、ホワイトカラーの間でも、エア・デカンの買収により、キングフィッシャー・レッドに移行した人たちには、厳しい処遇が待ち構えているのではないかと思うと、同じ生活者として非常に気の毒である。

  • インドにとってネパールは『第二のパーキスターン』となるのか?

    しばらく前から、北京に事務局を置く中国政府筋と関係の深い基金によるネパールのルンビニーにおける大規模な開発計画が各メディアによって取り上げられている。

    Nepal to build £1.9 billion ‘Buddhist Mecca’ (The Telegraph)

    China plans to help Nepal develop Buddha’s birthplace at Lumbini (Reuters)

    The Lumbini project: China’s $3bn for Buddhism (ALJAZEERA)

    このことについては、最近では朝日や読売といった日本のメディアによっても書かれており、記事を目にされた方は多いだろう。ちなみにその基金とは、亚太交流与合作基金会である。

    調達予定の資金額は何と30億ドルで、ネパールという国自体の年間の歳入の合計額に比肩するほどのものであるという。上記リンク先のロイターの記事によれば、計画には寺院の建築、道路や空港の建設、コンヴェンション・センター、仏教大学の設置等が含まれるとのことで、これが実行に移されることになれば、今は静かなルンビニーの町の様子が、近い将来には一変していることだろう。

    人類共通の遺産、とりわけアジアにおいて広く信仰されている仏教の聖地が整備されること、観光産業への依存度が高いネパールにおいて、観光資源が開発されること自体は大いに結構なことではあるものの、小国の年間歳入に匹敵するほどの資金を提供しようというプランの背後には、スポンサーである中国の国家的な戦略があることは無視できない。

    ちょうど昨年の今ごろ、ネパールは『中国の時代』を迎えるのか?』と題して、中国によるネパールへの積極的な進出について取り上げてみた。また一昨年には『ネパールにも鉄道の時代がやってくるのか?』として、中国の占領地チベット(中国は西蔵自治区を自称)からの鉄道の延伸計画等について触れてみたが、今度はインド国境から数キロという場所であることに加えて、ネパールでマデースィーと呼ばれる人たち、ネパール南部でインドの隣接する地域同様に、マイティリー、ボージプリー等を母語とする人々が暮らす地域に打って出た。

    インドにとっては国境すぐ向こうに『同族の人々』から成る『親中国の一大拠点』7が出来上がってしまうことを意味する。対外的には、特にインドにとっては大いに憂慮されるものであるが、ネパール政府にとっても、この計画は一方的に利を得るものとはならない可能性もある。

    同国で不利な状況下に置かれているマデースィーの人々の地域である。自治権拡大等を求めての活動が盛んで、中央政府に対する反感の強いマデースィーの人々のエリア。そこに外国による国家の歳入に比肩するほどの投資がなされるというのは尋常なことではない。

    現在までは、インドと中国を両天秤にかけて、うまく利益を引き出しているように見えるネパールだが、将来的には対インド関係においても、また内政面においても、同国が『パーキスターン化』するのではないか?と危惧するのは私だけではないだろう。決して好意的なものばかりではない様々な思いを抱きつつも、ときには関係が冷却したこともあるとはいえ、伝統的には特別な互恵関係にあった『身内』のインドとの対立と緊張、自国内でのさらに新たな摩擦と軋轢といった事柄が生じる可能性を秘めており、それらが現実のものとなる時期もそう遠い将来ではないような気がする。

    中国によるネパールへの数々の援助のオファーは純粋な善隣外交の意志からなされているものではなく、まさに自らの国益のためになされているということに対して大いに警戒するべきなのだが、目下、同国議会の第一党にあるのは、インドと一定の距離を置くいっぽう、中国寄りの姿勢を見せるネパール共産党毛沢東主義派である。

    以前、あるジャーナリストの方に話をうかがった際、手を替え品を替えといった具合に矢継ぎ早に繰り出す援助プロジェクト等のオファーにより、中国側に引き寄せられつつあるネパールのことについて、こんな風に表現されていたのを思い出す。

    『ネパールは、南側のインドという比較的ゆるやかな斜面と北側の中国という急峻な崖の間に位置する国。南側に転がれば怪我は軽いけど、北側の崖に転落したらどうなることか。けれども当人たちはそれがまだよくわかっていないようだ。』

    ネパールの空には、ネパール・インド双方に不幸を呼び込む暗雲が、北の方角からじわじわと押し寄せているように感じている。これが杞憂であればよいのだが・・・。

  • ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールに到着前から宿泊先を決めてあったので、駅には出迎えに来てくれていた。Hotel Tokyo Palaceという昨年11月に開業したホテルだ。経営者は日本在住のインド人の方で、現場で指揮を取っているのはその弟さんである。

    着いてみると、想像していたよりもずいぶん立派な建物であった。黄砂岩が多く取れるこの地域、城砦はもちろんのこと、市内の建物もこれをふんだんに用いたものが多く、風景に統一感があるのだが、このホテルもまた同様にこの石材を建物の内外にあしらっている。

    Hotel Tokyo Palace

    壁には手の込んだ彫刻も施されており味わいがある。客室の出窓部分には休憩用のマットと枕もしつらえてあり、小柄な人ならばそこで寝ることもできるくらいだ。室内のスペースが充分取ってあり、ゆったりと快適。中も外も城砦のイメージとマッチしており、ジャイサルメールらしいムードを醸し出している。

    バスルームの内装も頑張っている。水周り関係、例えば水道栓等はずいぶんグレードの高いものを使っている。部屋の内装だけではなくロビーといった共用部分についても先述の黄砂岩と彫刻が施されており、現在ではプールも完成しているなど、客室の料金帯を越えた投資がなされていることがうかがえる。他の多くのホテルでもそうであるように、広々とした屋上では大きな日除けの下で食事ができるようになっているが、ここから見上げる城砦の眺めも素晴らしい。

    ロビー周囲ではWIFIを利用できる。ソファその他腰掛けるスペースがいくつかあるため、自然と宿泊客たちが集まっておしゃべりが始まる良い環境だ。細かい事ではあるが、チェックアウト時間が午前11時という常識的な時間帯であることもありがたい。ジャイサルメールの他のホテルでは、何故か午前9時というずいぶん早い時刻に設定されているところが多いのだ。周囲は小さな家屋が建ち並ぶ住宅地。エリアはヘリテージなロケーションではないものの、ここから城砦の入口へは充分徒歩圏内である。

    オーナーの方は日本在住のインド人。そして日本人女性の方がウェブサイト構築、宿泊問い合わせメールへの応対等を手伝っているなど、この街の他のホテルが持ち合わせない感覚が窺える。エコノミーな料金帯を越えたスタイリッシュさとご当地感覚をうまく掛け合わせて、居心地の良い空間を創り出しており、今後ジャイサルメールで、日本人を含めた外国人たちの間でとりわけ人気の宿となることと予想している。

    秋から初春にかけてのシーズンに、夕方遅く予約無しでここを訪れて満室で断られたとしても、隣に同じようなクラスでこれまた新しいホテルがある。あるいは、すぐ近くに規模の小さな宿が開業準備中であったため、そのあたりで何とかなるだろう。ジャイサルメールの城砦からこれまで特に何もなかったと思われるこの一角は、新たな旅行者ゾーンになるのかもしれない。近隣の他の新しいホテルとも上手に共存共栄していくことを願いたい。

    切に願いたいのは、それまでは他の同クラスの宿泊施設と比較して優れていた点が、年月の経過とともに色褪せていき、結局は他の多くの同業者と変わらなくなってしまう『標準化現象』が発生しないことである。この『標準化現象』のリンク先を参照願いたいが、料金帯に応じた宿泊客のモラルの問題もあるため、経営側にとっては要注意だ。

    Good Valueで人気な宿であり続けることには、日々相当の努力と自己管理が必要だが、当然の習慣となっていれば、それに対する見返りも大きいことは言うまでもない。そうした宿泊施設では、他のホテルが閑散としているオフシーズンでもコンスタントに宿泊客たちが滞在している。今後ますますの発展を期待したい。

    <完>

  • ジャイサルメールの宿 1

    午前8時過ぎに列車はポカランの駅で停車。軍の大きな駐屯地があるので、外の道路では軍関係車両の行き来が多い。近郊では1974年と1998年に核実験が行われたことでも広く知られている。平坦な荒野が広がる土地だが、線路はここからスイッチバックしてジャイサルメールへと向かう。

    これまで最後尾であった車両に牽引する機関車が連結されることになるため、他の列車の通過待ちがあるわけではないのに停車時間は長い。おかげで貨物車を除けば、旅客列車は日に数えるほどしかない駅ながらも、ごく限られた時間ながらもこうした急行列車が停車する時間帯ではプラットフォームの売店では乗客たちが殺到し、店の人は大わらわである。

    ポカランを発ってから2時間半ほどで、終着駅のジャイサルメールに到着。出口のところでは市内各地のホテルからの出迎えやその他客引きたちが大勢待ち構えている。ジャイサルメールで宿泊施設を運営するのは決して楽なことではないだろう。観光客の占める割合が非常に多いため季節性が高い。加えて閑散期でインド有数の高温地帯となる暑季には訪問する人は極端に減る。夏の西ラージャスターンはどこも非常に暑いが、近郊の砂漠を除けば他のメジャーなスポットから距離があるというロケーションにも、容易ならざるものがある。そのためシーズンに集中して稼いでおく必要がある。

    その観光客にしてみたところで、多くは無数の一見の客たちである。他の産業に乏しいため観光への依存度が極端に高く、ライバルたちが多数乱立して競争の激しい中、四方に手を尽くして集客を図るしかない。そんなわけで鉄道駅やバススタンドに到着するお客たちを文字通り『一本釣り』せざるを得ない。ある意味狩猟採集生活に似ているかもしれない。事前に電話で予約してきたお客については鉄道駅ないしはバススタンドまで出向いてピックアップするのが当然のノルマになっている。その分、ジャイサルメールの多くのホテルでは、朝のチェックアウト時間はたいてい朝9時とずいぶん早い時間帯に設定されており、宿泊客にとって早朝に街を出発するのでない場合ちょっと辛いものがある。

    幸いにして人気のあるガイドブックに掲載されていたり、大都市の旅行代理店との提携関係があったりするようなところならば、かなりまとまった利用客が見込むことができるため、あちこち徘徊することなく、デンと構えてお客の到着を待つ『農耕生活』的なスタイルに移行できるのだが。

    それとてお客たちからのクレームが掲載ガイドブックの発行元や取扱い旅行代理店に相次ぐようになれば、掲載や斡旋が取り消されてしまうことにもなるので、宿泊客たちには良い印象を与え続けられるよう、接客はもちろんのこと客室や施設のメンテナンスやアップグレードにも心がけなくてはならない。ごく当たり前のことではあるのだが、これがなかなか難しいようだ。『新築のときには良かったけれども、数年したらボロボロ』『流行りだしたら横柄かつぞんざいになった』等々により、メジャープレーヤーの立場から転落していく例は数限りない。

    全国でチェーン展開していてノウハウの蓄積もあり、マネジメントもしっかりしている中級以上のホテルグループならともかく、個人営業の宿泊施設の場合はオーナーや現場の人たちに自己管理力とスタッフに対する規律と動機付けがなければ、宿泊施設としての質の向上はもちろん、開業当時のコンディションの維持さえ決して容易なことではない。もちろんインドに限ったことではないが、往々にして『オープンしたてがベスト』ということになってしまう傾向があることは否定できない。

    <続く>

  • 旧くて新しいホテル4

    旧くて新しいホテル4

    また、近年になって新築された『宮殿風』ホテルも各地でしばしば見られるようになっている。これらを『ヘリテージホテル』と呼べるものかということもあるかもしれないが、ずいぶん前に『築浅の宮殿風ホテルもいいかも?』として、マッディヤ・プラデーシュ州のオールチャーにあるAmar Mahalというホテルについて触れてみたことがある。

    インドの人々の間で90年代に起きた旅行ブーム以前は、農地と荒蕪地の間に崩れかけた遺蹟が点在している状態だったオールチャーだが、今では地域のメジャーな観光地のひとつになっている。これについて『再訪1寒村からリゾートへ』で述べたことがある。この記事中にある「ペルシャ庭園風の見事な中庭を備えた同クラスのホテルも2003年6月に開業」とは、先述のAmar Mahalのことだ。観光資源の存在と同様に、こうした宿泊施設の存在も観光による地域振興に寄与するところは大きいだろう。

    Shahpura House

    ラージャスターンのジャイプルの閑静な住宅地、バニー・パーク地区では近年観光客向けの宿泊施設が増えている。特に1952年築の建物をホテルに改築したShahpura Houseは評判が高いようだが、個人的には以下のふたつのホテルがとても印象深かった。

    Umaid MahalUmaid Bhawanである。どちらも近年になって建てられた新しい施設だが、上手にヘリテージ風に仕上げてある。どちらも同じ退役軍人が所有している。

    Umaid Palaceのエントランス

    華麗な外観が目を引くとともに、ひとたび足を踏み入れれば、ラージャスターンならではの絢爛な装飾とクラシックな装いがマッチした空間にすっかり参ってしまう。料金は1800~3000 Rs超といった程度の中級レベルで、このクラスの料金帯の部屋ないしは施設自体が『宿泊する人を魅了する』ということは、他ではまずあり得ないことだ。

    Umaid Bhawanの道路に面したゲート
    Umaid Bhawanのスイートルーム(ソファ背後のカーテンの奥は寝室)

    こうした味わいのある『ご当地ホテル』が増えてきている中で、当たり外れもあるだろう。また他のインドの宿泊施設同様、ノウハウの欠如か意識の問題なのかはさておき、経年劣化が著しいところも今後出てくることと思う。それでも泊まって楽しいヘリテージホテルが増えていくことは、宿の選択の幅が広がるという観点からも喜ばしい。

    <完>

  • 旧くて新しいホテル3

    旧くて新しいホテル3

    メヘラーンガルを仰ぐ絶好のロケーション

    このほど、そうしたハヴェーリーから転用されたホテルに宿泊する機会を得た。場所はジョードプルである。Krishna Prakash Heritage Haveliというそのホテルは、マールワール藩王国時代の1902年に警察幹部が自宅として建築した屋敷。後にその身内で藩王国の内務大臣の職を務め、インド独立後は国会議員を務めた人物の居宅でもあった。

    この大きな建物の中には身内の複数の世帯の人々が暮らしていたに違いない。中庭を核にして周囲にいくつかの部屋が並ぶ形になっているセクションが複数あり、それなりのプライバシーは保たれていたものと考えられる。

    今のオーナーはこの屋敷をホテルに転用して現在に至っている。部屋はいくつものタイプがあり、その手前に小さな中庭があるものもある。ひとつひとつ違うので最初に見せてもらうといいかもしない。暑い時期には敷地内にある小さなプールで涼む宿泊客も多い。

    メヘラーンガルの城壁を間近に仰ぎ見るロケーション。夕方から午後9時くらいにかけて美しくライトアップされた雄大な城砦を眺めながらの夕食は実にロマンチックだ。

    最初からホテルとして建てられた施設の場合、部屋間のグレードの差はあれ、ある程度標準化されているのに比べて、ハヴェーリーの個人の屋敷であったがゆえに、部屋のサイズや居心地は様々だ。館の主やその直近の家族が寝起きしたところもあれば、どちらかといえば隅に置かれていた身内もいたかもしれない。もちろん使用人部屋だっていくつかあったはずなので、部屋に荷物を置く前にいくつか部屋を見せてもらったほうがいいだろう。

    同じ旧市街で付近にはHeritage Kuchman HaveliやPal Haveli等、古いハヴェーリーを転用したヘリテージホテルがいくつかある。ちょっと覗いてみると、きっと宿泊してみたくなることだろう。

    <続く>

  • 旧くて新しいホテル2

    そうした中、古いハヴェーリー、地域の伝統的な屋敷がホテルに転用される例が相次いでいるようだ。今からだいぶ前にシェーカーワティー地方を訪れたことがある。この記事を書いたのは2005年であったが、初めて訪問したのはそこからさらに4年前なので、今から10年くらい前のことになる。

    かつてその地方が陸上交易で栄えた時代に富を築き上げた商人たちによって建てられたハヴェーリー(屋敷)が沢山残っていることで知られている。家の内外を問わず、壁のあらゆるところがカラフルな絵や模様で飾られているため、『オープンエア・ギャラリー』として知られている。

    訪問時、地元の土豪の洋風の館の他に、ごく新しい宿泊施設で内部をハヴェーリー風に仕上げたものを見かけた。旧商家のハヴェーリーについては、博物館となっているものをひとつ見学したが、あとは今でも間借人たちが屋敷内を細分化して賃借しており、ほとんどは内部を見学できるような状態ではなかった。

    そうした現在でも人々が暮らしている住居については、『ハヴェーリーに興味がある』と話した相手がたまたまそうした家屋の賃借人だったため好意で連れて行ってくれたり、あるいは道端で少し話をした子供に『君の家はどこ?』と尋ねると連れて行ってくれて、大人の家族たちの困惑したような表情を横目に、内部をチラリと見せてもらったくらいである。

    どちらにしても、現在間借している人たちは、たいていの場合、これらを建てた人たちの子孫でもなければ身内でもない。陸上交易の時代が終わってからは商家の人々は都会に出てしまっており、血縁でもなんでもない人々が賃借しているのが普通だ。

    それだけに建物の内外は荒れるに任せているといった具合で、もう少し文化的、歴史的な価値が見直されることがあってもいいのではないかと思っていた。それらを少しでも広く知ってもらうために、こうしたハヴェーリーのうちのいくつかが宿泊施設として転用されれば、その用を足すかもしれないし、シェーカーワティー地方の魅力の内外に広める役目も期待できるのではないかと思った。当時、この地方のマンダーワーという町のあるハヴェーリーでは大掛かりな改修作業が進行中だった。

    『これからホテルになるのだ』という話を聞いて、これからはシェーカーワティーの宿泊先の目玉はこういうタイプの施設になると確信したものだ。

    ロンリープラネットのガイドブックを開いてみると、シェーカーワティーの記事にはいくつものハヴェーリーを転用した宿泊施設の紹介がある。2000年及び2001年に私が訪れた際、ここ多いカラフルなハヴェーリーをホテルに転用したらどんなに良いことかと思ったものだが、今ではそれが実現されている。 ヘリテージホテルの新しい流れである。

    ラージャスターンの北東端に位置し、デリーやハリヤーナー州から週末を利用して訪問する家族連れ、友人連れなどが多い。距離的に近いのに、ずいぶん地域色の濃い地域である。こうした建物が比較的エコノミーな料金で利用できることも、かなり喜ばれているのではなかろうか。

    もちろん、見事なハヴェーリーが残っているのはシェーカーワティーに限らない。他のところにもそれぞれの地域のテイストの興味深い屋敷が沢山残っている。だがそれらの多くは今も個人の邸宅であるがゆえに、通常私たちがそれらの中を見物する機会はあまりないのである。

    <続く>

  • 旧くて新しいホテル1

    インドでホテルといっても様々なタイプがあるが、かつて中級クラス以上のところは一部の例外を除けば、概ね洋風の宿泊施設が一般的であった。料金帯により建物、室内、接客その他サービス等のグレードが変わっていき、個人所有から大きなホテルチェーンが運営するものまで、経営母体は様々ではあるものの、宿泊施設としてはあまり特徴のあるものは多くなかった。

    一部の例外的なタイプのホテルといえば、ヘリテージホテルということになるが、大別してふたつに分けられる。植民地時代から主にイギリス人を初めとする欧州系の顧客相手に営業を続けてきた由緒ある『コロニアルホテル』あるいはインド独立時に併合された旧藩王国の地域で、王族の宮殿を宿泊施設に改装した『宮殿ホテル』がそれらの代表格だろう。前者も後者もトップレベルのものは高級ホテルチェーンが運営を担っていることが多いが、それ以下は政府系の公社や小規模な民間業者が請け負っていたりといろいろで、前述の洋風の宿泊施設と運営形態は大差ない。

    『コロニアルホテル』には欧印折衷の植民地建築を後世になってから宿泊用に転用したものも含めてよいだろう。またダージリンやシムラーのようなヒルステーションでは、植民地期に欧州人クラブであった建物ないしは欧州人が建てさせた邸宅などが宿泊施設となっているものもある。だが『宮殿ホテル』においても、ほぼ洋館といった風情の建物も少なくないため、両者の境目は判然としない場合もあるだろう。

    細密画の手法が盛んであった時代には藩王その他の貴人たちの横顔が描かれていたものだが、インドにおいてイギリスの植民地化が進むに従い植民地当局の庇護下に入ると、写真技術が伝わったこともあり、近代に入ったあたりでは肖像画が正面から描かれるようになるなど、西洋の影響が大きくなった。建物や調度品等も同様で、ある時期以降は洋風のものが多くなっている。

    ともあれ、従前はこれら『コロニアルホテル』『宮殿ホテル』を除き、地域色を感じさせるものはあまり多くなかった。

    だが90年代からの高度経済成長とともに始まったインドの人々の間での『旅行ブーム』が起きた。以降、旅行という行動は一定以上の可処分所得のある人々の間で余暇の過ごし方のひとつとしてすっかり定着している。

    災害、テロなどが起きれば、たとえシーズンであってもサーッと潮が引くように姿を消してしまう外国人旅行客に比べて、景気の変動があったり、異常気象が続いても人出にあまり影響の出たりしない国内客が増えたことは、観光業の安定的な発展には好ましいことだ。そもそもベースとなる顧客数自体が大幅に増えたことは、観光関連産業の隆盛に大いに貢献し、ひいては旅行インフラの整備へと繋がったことは言うまでもない。

    宿泊施設の数は増え、訪れる人々のタイプや好みも多様化する中で、それぞれの土地ならではの『ご当地ホテル』が次々に出てくるのはごくもっともなことであり、今後もそうした流れは続くことだろう。

    例えばゴアのパナジでは、ポルトガル時代に建てられた南欧風建築が次々に壊されて味気ない今風の建物に置き換わっているのとは裏腹に、それらをホテルやペンションに転用する例もまた増えている。

    もっともこれは建物のタイプは異なるものの、旧植民地家屋という意味で、先に挙げたヒルステーションに点在する英国的な建築物から転用されたものと性格は共通するものがある。ゴアの外から来た人たちにとっては、ポルトガル風建築自体が普段馴染みのないエキゾチックなものであることは間違いないが、これとてコロニアルホテルの一種ではある。

    <続く>

  • ロンリープラネットのガイドブックが変わる

    ロンリープラネットのガイドブックが変わる

    Lonely Planet India 第14版

    世界を旅行する人たちの間で長年親しまれてきたロンリープラネット社のガイドブック。広告類は一切掲載せず、中立的な情報を提供しており、いわば『旅行ジャーナリズム』的な存在は日本の同業者の間では見られないものだ。

    近年ではBBC(British Broadcasting Corporation)の子会社のBBCワールドワイドに買収されてからは、同社のウェブサイトで旅行情報の提供、ガイドブックの紹介と販売以外にもホテルやフライトの予約、旅行保険の販売といったサービスも提供するようになり、ガイドブック発行会社というよりも、旅行関係の総合サービス企業といった観を呈するようになってきている。

    さて、そのロンリープラネットのガイドブック。どこの国を対象とした案内書であっても、版を重ねるごとに情報が蓄積されていくことから、当然厚みも増していく。国土が広くて見所も多いインドや中国といったものとなると、それこそ辞書のように厚くなり、旅行先で日中持ち歩くのに邪魔になってくる。体格が良く、持ち歩く荷物も多い西洋人男性でさえも『この厚さはちょっとねぇ・・・』とボヤくほどになってしまっている。

    そんな中、ついにロンリープラネットのインドの旅行案内書に対してダイエットが敢行される。今年9月に版が切り替わるインドの案内書については、用紙が変更されるのだろうか。サイズや厚みは大差ないものの、重量は半分程度になるようだ。

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    旧版

    サイズ : 197mm x 128mm

    重量 : 0.98 kg

    版 : 第13版(2009年9月発行)

    ISBN: 9781741791518

    ページ数 : 1244 ページ (カラー28ページと地図256片を含む)

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    新版

    サイズ : 197mm x 128mm

    重量 : 0.5 kg

    版 : 第14版(2011年9月発行)

    ISBN : 9781741797800

    ページ数 : 1232ページ(カラーページ256ページと地図203 片を含む)

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    また、同社のインド案内書の初版が1981年に世に出て以来、初めて新版のページ数が減ることになる。現行の第13版が1244ページであるのに対して、第14版は1232ページだ。おそらくロンリープラネット社としても、旅行先で携行するガイドブックについて、重量もさることながら厚みについてもこのあたりが限界とわきまえたのだろうか。

    軽量化といえば、近年始まったPDFでの販売はなかなか好評のようだ。旅行先を短期で訪れる人ならば、必要なチャプターのみプリントアウト、長期旅行者の場合でもウェブ上あるいはUSBのストレージ等に保存しておき、必要に応じて印刷して使う、というやりかたが広まっている。第14版のPDFでの販売はすでに開始されているため、早速これをウェブ上で購入してみた。

    これまで、申し訳程度に挿入された観光地のカラー写真を除き、地図以外は黒い文字がズラズラと羅列されているだけであった紙面は、パッと見て感覚的に把握できるようにレイアウトされるようになる。内容もカラー刷りページが28ページから256ページに増え、ヴィジュアルになってきているとともに、従来は単色刷りだった本文だが、新しい版では二色刷りになり、ずいぶん見やすくなっている。

    巻頭の総合案内部分と巻末のインデックスは無料で公開されているので、参考までにご覧いただきたい。

    今回の刷新ぶりは各々の好みによるところではあるものの、概ね好感を持って迎えられるのではなかろうか。元々は安旅行者たちに愛用されてきたロンリープラネットといえども営利企業だ。今やバックパックを背負って長期旅行する若者たちだけを相手に商売しているわけではない。そもそもバックパッカーと呼ばれる旅行者たちの間においても、ひところのようにひたすら安くストイックな旅を志向する割合が高いわけでもなくなっているようだ。同社ガイドブックの長年に渡る旅行情報の蓄積は、世界を旅する人たちのあらゆる層から支持を集めている。

    日々デジタル化の進む今日の人々は、年齢を問わず以前よりも忙しくなってきているし、せっかちでよりクイックなソリューションを求めるようになってきている。これがガイドブック掲載内容のレイアウトに反映されるのは当然のことだろう。

    電子版として、前述のPDF以外にキンドル版も出ている。これらの普及もこれらを表示させるデバイスの進化や普及と低廉化とともに、売り上げ中に占める割合を高めていくことだろう。だが今のところは製本版+PDFのプリントアウトが圧倒的多数だ。やはりまだまだ紙という媒体におけるメリットが大きい。

    乱暴に扱っても読めなくなることはないし、必要があればその場でペンで書き込むことができる。またバッテリー残量を気にする必要もない。電子ブックリーダーと違い紙の書籍は、その内容を読むことを欲しない人にとっては何の価値もないため、盗難のリスクも少ない。

    この秋から書店で新しい表紙の『INDIA』ガイドブックを目にすることになる。ぜひお手元に一冊いかがだろう?

     

  • Tourist Visa on Arrival

    過日、導入から1年半以上経過したTourist Visa on Arrivalの制度を初めて利用してみた。現在、観光、友人や親戚訪問といった目的でインドを訪問する日本、フィンランド、ニュージーランドその他11か国の人々がデリー、コールカーター、ムンバイー、チェンナイのいずれかから空路にて入国する場合に限って利用できる。(対象となる国籍の人間であっても、パーキスターン出身あるいは在住者であったり、身内にパーキスターン国籍あるいは出身者がいたりするとこれを利用不可)

    1日にどのくらいの人たちがこれを利用して空港でヴィザ取得をしているのかは定かではない。申請カウンターに人が並んでいたらかなり待たされるであろうと思い、インド行きのフライトのチェックインの際に『出口に可能な限り近い席を』と頼んでおいた。

    加えて目的地の空港に到着して、他の乗客たちとターミナルビルの中に足を踏み入れた際、早足で人々を次々追い抜いていったため、VOAのカウンターに着いたときには、今回2人で訪問している私たち以外には誰もいなかった。

    渡された申請書を手早く記入し、証明用写真1枚を添付してパスポートとともに係官に提出する。料金は1人2500Rsと言われたが、持ち合わせがないと伝えると1人62米ドルの2人分として124ドルを請求された。ウェブサイト等では1人60米ドルと書かれているのだが。後から来た女性は『日本円で支払う』と言うと、6000円請求されていた。

    係官はその現金を私服で徽章等の付いていない所属不明の男性に渡し、彼は背後の入国審査台の向こうに消えていく。しばらく待たされた後に彼は5000Rsを手にして戻ってきた。後で判ったのだが、この人は到着客が両替するトーマスクックのカウンターで働いているスタッフであった。空港での両替レートは芳しくないとはいえ、少し差額が出るはずなのだがこれはどこかで宙に消えてしまうシステム(?)のようである。 件の日本円で渡した女性の分も同様であった。ともあれ、担当官から手渡された領収書に書かれた金額は、1人あたり2,500Rsであり、インドルピーによる支払いを前提にした制度であるようだ。

    係官たちの仕事ぶりといえば、非常にアンプロフェッショナルであった。カウンターの中にはイミグレーションの徽章を付けた大の大人が5人もいるのだが、皆あたかも『本官はたった今、突然異動を言い渡されてここに配置されました』といった風情で、『どの帳簿に何を記入するのか?』『どのスタンプを使うのか?』『有効期限はどうするのか?』などといったことを互いに尋ね合ったり、やれ『スタンプの押す方向が違う』だの、『出国便の日付を越えて出していいのか?』などとやりあったりしている。この制度が導入されて、はや1年半以上が経過しているとはとても思えなかった。

    そんなこんなで、私たちの前には誰もいなかったのに、手続きが終わるまで1時間半かかった。ヴィザ発給と同時に入国印も押される。イミグレーションのカウンターに行き、担当官はこれをチェックするのみ。

    荷物のターンテーブルのところに行くと、同じ便でやってきた人たちの姿はすでになかった。引き取り手のない荷物はフロアーの片隅に固めて置いてあり、その中に私たちの荷物があった。

    遠隔地に住んでいたり、多忙で査証取得に出向く時間がなく、かつ滞在可能期間が最大1か月までで結構、インド滞在中に他国に出入りするつもりもない(VOAは同一人物に対して年最大2回まで、前回出国時から2ケ月経過した後に次回のVOAが取得可能)という場合にはメリットがある。ただし繁忙期にはカウンターで相当長く待たされることになりそうだ。

    今後、この制度の対象国を広げていく方向にあるようなので、その恩恵にあずかる人も増えてくるだろう。空港でのヴィザ取得手続き自体の迅速化も期待したいところである。

  • 航空性中耳炎

    中耳炎になった。小学生だったころ以来である。当時は風邪を引いては耳もおかしくなっていたものだが、今回は飛行機に乗ったことが原因である。

    航空性中耳炎について耳にしたことはあり、航空機の乗務員の間でしばしば発生する職業病のようなものということは知っていた。機内の気圧の変化により、耳の中が痛くなることがあるが、その際にあくびや唾を飲み込むなどしてうまく耳抜きができないままになっていると生じる不具合である。

    気圧の変化といっても、上昇時つまり耳の中の気圧が周囲よりも高くなる際よりも、下降時に鼓膜の内側の気圧が、その外側よりも低くなるときに起きやすいという。

    飛行機が着陸態勢に入るというアナウンスの後、飛行機がどんどん高度を下げていく中、耳の中がツーンと突っ張った感じになった。いつものようにあくびをしたり唾を大きく飲み込んでみたりする。普段ならば耳の中が「バリバリッ」と音を立てて元に戻るところだが、今回はカゼを引いていて鼻がひどく詰まっているためか、左側の耳にはまったく効果がなかった。

    飛行機が滑走路に着陸してターミナルまでゆっくりと動いている最中もその状態は変わらず、市内に出て宿に荷物を置いてもまだ同じ状態が続き、数日経っても回復しなかった。

    プールや海で泳いでいて耳の中に水が入ったときの様子に似ている。おかげで左耳の聞こえかたが悪くなっている。障子一枚隔てた向こうからの聞いているような感じだ。

    これではいけない、と耳鼻科医に診てもらっているところだが、なかなか治らない。診察の際に左の鼻から、耳に繋がる耳管に空気を通してもらうと、かなり痛みを伴うがなんとか通気できるようになる。

    するとしばらくの間はすっきりと聞こえるようになるのだが、またすぐに塞がってしまうような感じになる。塞がっているといえば、鼻腔から耳にかけて空気がスムースに通るようになっていなければならないとのこと。そこが塞がってしまうから気圧の調整がうまくいかず、耳の中の気圧が外気よりも低くなったままになってしまう。

    すると鼓膜の内側に水が溜まってきてしまい、いわゆる滲出性中耳炎を発症する。これがいわゆる航空性中耳炎が起きてしまうメカニズムであるとのことだ。

    やれやれ・・・。