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カテゴリー: travel

  • チャット高

    チャット高

    とりあえず両替と食事のためにダウンタウンのボーヂョー・アウンサン・マーケット界隈へ向かう。

    以前は引く手あまたであった外貨両替だが、今回はかなり事情が違っていた。普段ならば随時ドル買いをしている貴金属や宝石等を扱う店で尋ねてみると、両替はしませんと即座に断られたり、レート調べると言ってどこかに電話してから「今日はやめておきます」などと言われたりもした。

    昨年以前は1米ドルあたり1,000 ~ 1,100チャット台であったと記憶している。それ以前は1,200 ~ 1,300チャット台の時期もあった。ところが現在は820 ~ 840前後くらいで推移しているようだ。

    あまりドルを歓迎するムードではないことにいささか驚きながらも、とりあえずまとまった金額のミャンマー通貨チャットを手にした。

    ところで両替のヤンゴンにおける市中レートを日々更新して伝えているウェブサイトもあり参考になる。

    Today’s Market Rates

    このチャット高については、宿にガサッと置いてあった週刊英字紙ミャンマータイムスのひと月近く前の古新聞に興味深い記事を見つけた。今年に入ってから、ミャンマーでは空前のドル余り状態にあるのだという。

    旧英領ながらも、英語で読めるきちんとした現地メディアがほとんど不在といえるミャンマー(New Light of Myanmarという英字日刊紙はあるものの、中身は政府広報紙プラス新華社通信からの配信記事とインターネット上に掲載の各種メディアからの転載)で、唯一の英文によるクオリティ・ペーパーである。

    政治、経済、エンターテインメントその他各方面につき、なかなか興味深い記事と分析が掲載されている。日刊紙ではなく週刊というのは寂しいところだが。

    『ドル余り』といっても、常時外貨準備高不足および加えて先進国による経済制裁という苦難を強いられてきたこの国である。是非については色々取り沙汰されている昨年11月に実施された総選挙結果により『文民政権』が発足したことを受けて、近々経済制裁が解除されるのではないかという期待から、国外からの投資が急増しているらしい。

    加えて、今年1月から2月にかけて国有資産の大規模な売却があり、これについて海外から9億ドル近い大量の資金の流入があったと書かれていた。これが本当であるとすれば、外貨準備高20億ドル少々の国に、いきなりそれの半分近くの外貨が雪崩れ込んだことになる。

    具体的にどの国のどういった方面の資金が流入しているのかについては触れられていなかったものの、近年のドル安という外的要因に加えて、ミャンマー国内へのドル流入の急増という内的要因が作用していることはわかった。チャット高により、輸出関連産業は打撃を受けており、とりわけ10%の輸出税が徴収される国外市場向けの製造分野への投資には急ブレーキがかかっている状態であるとのことだ。

    そんなわけで外国人旅行者を宿泊させる許可を得ている宿や観光地の入場料、入域料といったものは原則ドル現金払いであるのだが、自国通貨ベースにすると著しく目減りしてしまうのを避けるためか、チャット払いを選好するところもある。従前の逼迫した外貨事情によるものであるものとはいえ、本来ミャンマー国内での支払いは、同国通貨チャットでなされるべきものなのだが。

    ここしばらく毎年ヤンゴンを訪れているが、旧市街で植民地時代に造られた建物の取り壊しと新しいビルの建設が続いており、街並みは確実に変化してきている。

    昔は苔むしたコロニアル建築が多い河港の街であることから、コールカーターのそれを連想させるものがあったが、今はそうした景観にシンプルなコンクリート仕上げのビルが多く混じり、中国ないしはタイ等の東南アジアの他の国々の街を思わせるものがある。

    かつて英領インドの一部を成していたこともある植民地時代の残滓を、今の時代になってようやく脱ぎ捨てようとしているかのようである。また今のミャンマーに影響を与えている国はどこであるかを示しているともいえるだろう。

    現在のチャット高には、各国の経済界から『東南アジア最後のフロンティア』市場としての大きな期待感があるのだろう。果たして経済制裁が解除される日が近いのかどうかについては何とも言えないものの、それでもこの国が大きな節目を迎えつつあることは間違いはずだ。

  • 放射能検査

    バンコク出発から1時間ほど経つと、ヤンゴン到着の機内アナウンスが流れる。郊外を旋回しながら高度を下げていく中、地上には燦然と黄金色に輝くいくつかの仏塔が見えてくる。まもなく飛行機はヤンゴン国際空港に着陸する。2007年に完成した国際線ターミナルビルは、バンコクのそれとは比較にならないほど規模は小さいものの、きれいでモダンな造りである。

    イミグレーションの列に並ぶ。ヤンゴンに乗り入れている航空会社は近隣国のものばかりであり、機材も大きなものは使用されていない。発着便数も少ないため、そう長く待たされることもなく、実に気楽な空の玄関口だ。

    出迎え等の人々がたむろする待合室からは、大きなガラス張りになっている室内がすべて見渡せる。入国審査、機内預け荷物が出てくるターンテーブル、カスタムズ等を通過して出口にやってくる人々の姿がよく見える。すぐ横に隣り合う旧態依然の国内線ターミナルとはずいぶんな違いだ。

    私の順番が来て係官にパスポートを差し出すと「向こうに戻って放射能検査を受けてください」とのこと。今年3月11日に発生した東日本大震災により、福島第一原子力発電所で深刻な事故が起きたことを踏まえての措置である。

    白衣を着た係員が私の身体全体をなめまわすように測定器を当てる。もちろん何の反応も出ないのだが。もし放射能の高い数値が出たら入国できないのかと尋ねると、「どうなんでしょうねぇ。ちょっと私もわかりません」と屈託のない笑顔を見せてくれる。

    現場の人たちにしてみれば「わからないけど、上のほうからそういう指示が出たからやっています」というわけなのだろう。居住地ではなく国籍で検査の有無を決めているのがおかしい。たとえ米国在住で長らく自国に戻っていない日本人が「あなたは日本人だから」と検査させられたり、千葉県在住のカナダ人はチェックされなかったりという具合なのだ。

    ともあれこれほどの規模の原発事故を経験した国は他には旧ソビエトのみ。世界中で大きなパニックを呼んだチェルノブイリの事故と同じレベル7という最大級のカテゴリーに区分されていることもあり、不安に思われるのは仕方ないだろう。

    バンコクを出るときに買ってみた週刊の邦字新聞『バンコク週報』には、在タイの日本食レストランの客離れによる苦戦が伝えられている。また食品のみならず工業製品等も検査のため海港や空港等で長いこと留め置かれるという事例が多々あることが伝えられている。

    今や日本産、日本製という『ブランド』が安心と品質のシンボルではなく、『放射能にまみれている・・かも?』と、かなりの疑念を持って見られるようになっているのははなはだ残念である。

  • MAI (Myanmar Airways International) 成田空港に乗り入れる日はそう遠くない?

    MAI (Myanmar Airways International) 成田空港に乗り入れる日はそう遠くない?

    1996年から2000年まで関空からヤンゴンまで直行していた全日空のフライトが休止となって以来、日本からミャンマーへダイレクトの便は長らく存在しなかった。

    そんな中、この春先にカンボジアのスィアム・レアプ、そしと中国の広州へと新規乗り入れを果たしたMAI (Myanmar Airways International)が近い将来ヤンゴンから成田への乗り入れを計画しているそうだ。

    同社は長らく国営航空会社として知られていたが、同国を代表する民間銀行のひとつKANBAWZAが昨年2月に80%の株式を取得し、残りの大半を政府が保有という形になっている。

    昨年11月に実施された総選挙により『民政移管を果たした』として、先進国による経済制裁の解除を熱望するミャンマー政府だが、同国が加盟するASEAN自体も同国の国際社会復帰を期待している。そうした中で、ミャンマーは2014年にASEAN議長国となることを希望する意志を表明している。これによって政権の正統性を示すとともに積極的な外交への足掛かりとしたいのだろう。

    ミャンマーの『民政移管』については、軍人が制服を脱いだだけとの批判もあるものの、ともすればいくつもの『小さな国々』に分裂しかねなかった独立後の歴史の中で、同国の統一を維持するために国軍が果たしてきた役割は大きかったことは無視できないため、そのすべてを否定することはできないと私は考えている。どこの国にも独自の事情や歴史背景があるものだ。

    インドの北東諸州の延長上にある(ナガ族のようにインドとミャンマーにまたがって暮らす民族もいる)民族と文化のモザイクといえる地域だ。東南アジア、南アジアそして中国といった三つの異なる世界がせめぎ合う土地であるだけに、ASEANの他国とは比較にならない固有の不安定な要因を抱えている。

    それはともかく、国際社会への飛躍を画策しているのは政府だけではない。1946年にUnion of Burma Airwaysとして設立され、1972年にBurma Airwaysに改称、そして1993年にMyanmar Airways Internationalとなって現在に至るまで、ナショナル・フラッグ・キャリアとしての長い歴史を持つ航空会社も同様だ。

    同国を代表する航空会社でありながら、これまで国外の乗り入れ先といえばシンガポール、クアラルンプル、バンコクといったASEAN近隣国首都に加えて、週一便でインドのガヤー(こういうフライトがあるのは面白い)のみという寂しいものであった。

    それが先述の最近就航したスィアム・レアプ便、広州便に加えて、今後は東京、ソウル、デリー、ドゥバイ、ジャカルタ、デンパサールといった街への乗り入れという積極的な攻勢をかけようと画策しているというから只事ではない。『民政移管』をテコとしてなんとか飛躍を図りたいという政府とビジネス界双方の強い意志の表れのひとつだろう。今後ミャンマーはこれまで以上に大きく変わる予感がする。

    それが同国の国際舞台への復帰と多国間での盛んな経済交流を生むことになるのか、それとも先進国不在の間に積極的に進出してきている中国の草刈り場のままでいることになるのか、それは日本を含めた先進諸国の足並み次第ということになる。

  • 自前の電気

    自前の電気

    3月11日に発生した東日本大震災の津波の影響により起きた福島第一原発の事故はまだ先行きが見えないが、これにより東京電力管内の地域では、長期間に渡る電力需要に対する供給の不足が明白となっている。

    とりわけ夏のピークの時期にどう対応するかということで、計画停電に加えて電力利用の総量規制あるいは使用制限といったところにまで踏み込んでの様々な議論等がなされているところだ。

    生活や医療への影響はさることながら、従来からの不況に加えて震災による総体的な落ち込みから回復を目指さなくてはならない産業界への影響も大きく懸念される。

    不幸にして、電力不足に対する様々な策が功を奏さなかった場合、当局がコントロールできない大規模停電が発生することになるわけだが、そうでなくとも電力使用の制限がかかることにより、地域的に時間帯をずらして電気の利用ができなくなることは避けられないのだろう。

    停電といえば、インドやその周辺国では珍しいことではない。計画停電であったり突然の停電であったりするが、電気がストップした人々の動きが一瞬止まるものの、そのまますぐに自前の発電機や灯をつける動きが始まり、さきほどまでと比べて格段に暗い照明の中で、何事もなかったかのように物事が進んでいく。

    経済制裁下でエネルギー事情がとりわけ逼迫しているミャンマーでは、最大都市のヤンゴンでさえも一般市民の居住する地域では、計画停電どころか限られた時間帯にしか電気は来ない。給電されているはずのタイミングでも停電が頻発する。地方都市ではなおさらのことだ。そのため『常時電気が使える』ことが中級クラスのホテルの売りとなるほどだ。そうしたところでは常時自前の発電機が唸りをたてて稼働している。国軍は優先されていることから、カントンメント地区周辺ではレギュラーに電気が来ているのだが。

    停電が日常茶飯事の国々において、給電が突然停止することが物理的な破壊につながってしまうような機器類を扱うところでは、自前のバックアップ電源が用意されており、安全に継続運転ないしは停止させることができるようになっている。『電気が来なくなる』という状況に慣れているため、日本で計画停電が実施されるときのようなパニックが起きることはない。

    ある国々ではごく何でもないことが、こちらでは『危機』になってしまうことについて、経済発展とともに私たちの足元が実は脆弱になっている面もあることに気が付かされたりもする。興味深いことに、停電への対応の経験により蓄積されるノウハウというものはかなりあるようだ。

    2003年に北米の広い地域で発生した大停電のことを記憶されている方は少なくないだろう。あのときに停電によって生じる社会の様々なシステム等のトラブルに対応するため、米国政府の要請により、インドから専門家たちが派遣されている。

    ・・・とずいぶん前置きが長くなったが、生活の中でも旅行先でも、一市民として停電で困ることはいろいろあるが、とりわけ個々の『通信インフラ』である携帯電話のバッテリー切れ、そして日没後には目の前が見えなくなることがまっさきに頭に浮かぶ。

    ところで、最近こんな機器が発売されている。

    アウトドアライフを彩るポータブルバッテリーPES-6600 (ナビポタ.com)

    消費電力の多いスマートフォンを複数回充電できる大容量の充電池は他にもいろいろあるが、フル充電で最大240時間点灯可能というLEDライトが付いているのが頼もしい。対応する電圧は100-240Vのユニバーサル仕様なので、電源につなぐコネクタープラグを用意すればどこでも使用することができる。

    日常生活でも旅行先でも、この一台をカバンの中に放り込んでおくといろいろ役立つ機会が多いことと思われる。

  • デリー発ブータンツアーの価格

    デリー発のブータン行きのツアー(パロー・プナカー・ティンプー)が手頃であることに気が付いた。7泊8日で33,333Rsである。同時期の同じく7泊8日のタイ行きのツアー(バンコク・プーケット・パタヤー)が39,999Rsであることと比較すると、ずいぶん値ごろ感がある。

    Amazing Bhutan (makemytrip.com)

    Fun-tastic Thailand (makemytrip.com)

    上記の金額はインド国籍の人向けのものであり、私たちが利用できるわけではない。ブータンは独自の鎖国政策の関係で、外国人の入国を大幅に制限している。観光目的で訪問する場合も通常はツアーのみとなる。

    そして3人以上のツアーの場合、各々の滞在費用が1日当たり200米ドルとなる。モンスーンの閑散期には165米ドルに下がるようだが、それでもまだずいぶん高い。これらはツアー・オペレーターを問わない公定価格となっているようだ。加えて物価上昇と米ドルの価値が漸減していることにより、2012年1月から250米ドルへと値上げが予定されている。もちろんのことながら、これらの金額にはブータン出入国にかかる国際線チケット代は含まれていない。

    外交上、ブータンと特別な関係にあるインドの国籍を持つ人たちについてはこうした『外国人料金』は適用されないことから、こうした価格でのパッケージツアーが実現している。

    ただしブータンという国について、私たち外国人が憧れるのと同じようなイメージをインド人観光客たちが抱いているかということについてはちょっと疑問がある。すぐ隣の国であることに加えて、自国の広大なヒマラヤ地域とひと続きの位置にあるということもある。

    またインドといっても広いので地域にもよるが、北インド都市部とりわけ東側地域に滞在・在住しているブータン人たちはけっこういる。西ベンガル北部では、商用・観光・買い物その他の目的でやってきたブータンの人たち、そしてブータンのナンバーを付けたクルマもよく見かける。

    同様にブータンに仕事のために在住しているインド人も少なくない。下は土木作業の労働者から上は様々な分野の専門家まで、広い分野に関わるインド人たちがいる。

    ブータンのテレビ放送のネットワークはインドの技術援助によって実現したものであるし、通信網も同様だ。現在、ブータンで国語であるゾンカ語関係を除き、たいていの科目は英語を介して教えられている。政府の意志で教育の英語化が推進されたためであり、1970年代以降に教育を受けた人々ならば、流暢な英語を話すようになっているようだ。だがその『英語環境』をブータンの教育現場にもたらした人々とはインド人教師に他ならない。

    先述のブータンとインドの間の特別な外交関係と繋がりでもあるが、ブータンが独自に在外公館を持たない国にあっては、現地のインド大使館がその部分の役目を担う。

    そんなわけで、在インドのブータン王国大使館は、在日本の業務も兼轄しており、担当官が毎年一定の時期に来日して東京の在日本インド大使館にて執務することになっている。

    それらはともかく地理的に近いこと、人の往来も盛んなことなどから、インドの人々とりわけブータンからあまり遠く離れていない地域に住んでいる人たちにとっては、日本人が抱くような『秘境』といった印象、『鎖国政策』を続けている閉ざされた国という印象はあまりないかもしれない。

    それよりむしろチベット系仏教徒たちの見慣れたイメージ、自国にもある景色や眺めの延長線上にあるように、地味に捉えている部分のほうが大きいのではないかとも思う。

    インドの人々にとってのブータンは、ヴィザや高額な滞在費といったハードルがなく、経済的にも時間的にもちょっとゆとりのある人ならば、いつでも訪れることのできる国である。ブータン通貨ニュルタムはインドのルピーに対して等価で固定されており、ブータン国内でインドルピーはそのまま通用するという環境でもある。

    そんなわけで、気安く外国旅行に出かけることができる層の人たちの間では、ブータンという国に対して文化的な興味関心でもなければ、南アジアとは明らかに違う世界であるタイ、美しく開放的なムードのビーチのほうがエキゾチックで興味をそそるものであることと思われる。

    私たち外国人にしてみれば、同じ時期で同じ期間のもので『ありきたりのタイのツアーよりもブータン訪問のプランのほうが安いなんて!』とビックリすることになるのだが。

  • マンフロットの卓上三脚 MP1-C & MP3-D

    マンフロットの卓上三脚 MP1-C & MP3-D

    3年ほど前に『カメラと一緒にいつでもどこでも』と題し、カメラの三脚メーカーとして知られるマンフロット社製のMODOPOCKET 797を取り上げたことがあったが、最近この路線の新型モデルのMP1-CMP3-Dという小型テーブル三脚が登場した。

    MP1-C  コンパクトデジカメ用
    MP3-D   一眼レフにも利用可能

    前者は自重30gで、MODOPOCKET 797と同じく最大耐荷重は500gでコパクトデジカメ用だが、後者については自重70g、最大耐荷重は1,500gまでとなっており、このタイプのものとしては珍しい一眼レフ用となっている。両モデルとも色は黒とグレーが用意されている。

    どちらも折り畳んだ状態では平べったく軽量であるため、カメラに付けっ放しにしておけるのがいい。通常、こうした小型テーブル三脚は脚部が貧弱であることはもちろんのこと、雲台が華奢であること、重心が高くなってしまうこともあってごくごく小さなカメラにしか使えないのだが、そのあたりはうまく考えて作ってあることに感心させられる。

    画像左側に見えるヒモ付きの金具のようなものは、カメラの三脚取り付け用の穴に取り付けるネジを回すための工具。MODOPOCKET 797の場合はポケットからコインを取り出して回していたが、こういうささやかな心遣いはちょっとうれしい。加えてMP3-Dはカメラネジ用の溝が3本あるのが目を引くが、これはカメラにより三脚用の穴の位置が違ったり、カメラそのものの形状もいろいろであることに対応したものだということで、実に汎用性が高い。

    MODOPOCKET 797の発展形であるどちらも魅力的だが、とりわけ後者、一眼レフに使えるMP3-Dについては、他に同じようなものがほとんど見当たらないため、ひとつ購入してポケットの中にでも忍ばせておけば、何かと役に立つことがありそうだ。MP1-Cの日本での販売価格は2,300円前後、MP3-Dは3,300円前後といったところだ。

  • 旅行向け三脚

    旅行向け三脚

     三脚といってもいろいろあるが、コンパクトカメラを使用している方ならば手軽に旅行先に持参しているものといえば、通常はいわゆるテーブル三脚、つまり小型の三脚なのではないかと思う。 

    こうした類もピンキリだ。見るからに華奢なものから、なかなかしっかり造ってあり、小型の一眼レフと単焦点の標準レンズ程度の重量ならば充分に使えそうなものまでいろいろある。 

    ただ置いて撮影するだけでなく、石突三か所を壁に当てて安定させてスローシャッターを切るという応用もできるし、あるとなかなか便利である。 

    だがあくまでもテーブル三脚である。高さがまったくないため、地面に置いて使うのは毛現実的ではないし、使いたいところで適当な台があって高さを稼ぐことができるとは限らない。 

    どうしてもシャッタースピードが遅くなってしまう場面、とりわけコンパクトデジカメの場合はセンサーが小さく、画面が荒れるので感度を上げたくない。かといってある程度の長さの三脚を持参するとなると、それなりの荷物になるため、わざわざ一眼レフを家に放っておいて、コンパクトデジカメ一台で、荷物に振り回されることなく身軽に出かけるというメリットが削がれてしまう。手軽なカメラを使うのにわざわざ三脚の出し入れやセッティング等をするのも面倒ではある。 

    そんなわけでテーブル三脚以外のものを旅行先に持ち歩くという考えはまったくなかったのだが、昨年12月に発売されたVelbonのCUBEという、コンパクトデジカメ専用の三脚はかなり気になっている。 

    重量は390g。やや大きめのコンパクトデジカメと同じくらいだが全高は940cm。しかも畳んだ状態は三本の脚と雲台がフラットに並ぶので小さなカバンの中でも邪魔にならない。さらには『世界最速』を謳う脚の出し入れのスピーディーさがスゴイ。 

    世界最速セッティング – ミニ三脚「CUBE」(Youtube) 

    これならば面倒などと思うことなく気軽に使う気になるだろう。3本の脚がフラットになっている状態で引き出すので杖のような形で持つこともできる。つまり一脚的な利用もできるだろう。常時カバンの中に潜ませておくと、野犬に囲まれたときの威嚇用にも使えそう(?)な気もする。 

    もちろんコンパクトかつ軽量というのがウリなので、堅牢さを期待してはいけない。あくまでもコンパクトデジカメ専用ということもあり、脚を最大限に伸ばすと頼りなくグラつく。荷重は400g以内ということになっている。 それでもリコーのGRDやシグマのDP1といった軽量カメラを使う分には申し分ないし、収納性とスピーディーさという点からも唯一無二の存在である。 

    日常的に持ち歩くのはもちろんのこと、旅行先に持参するにも非常に具合の良い三脚である。価格は5,000円以下、概ね4,500円前後といったところのようである。

  • サートパダー 2

    サートパダー 2

    ホテルから湖をボートで回るOTDCのツアーに参加する。周囲に他のホテルはないため、ここの宿泊客だけを対象するものだと思っていたのだが、ちょっと勝手が違った。もちろん同じOTDCによるものだが、プリーからやってくる日帰りツアーグループに合流することになる。

    ツアーグループは、朝9時半にホテルに到着。まず最初に埠頭近くにあるビジター・センターでチリカー湖の成り立ちや生態系等についての基本的な説明を聞いたり、展示物を見たりする。

    埠頭からはふたつのボートに分乗して出発。この湖にはイラワディ・ドルフィンという種類のイルカが棲んでいる。もちろん船からは彼らの頭やフィンがときどき見られる程度だが。船頭たちはイルカがどのあたりに多くいるのか知っているので、彼らが多数出没する水域に向かう。

    イラワディ・ドルフィンの背中

    規則では50メートル以上接近してはいけないことになっているようだが、そんなことはお構いなしのようで、往々にして10メートル、しばしば数メートル先でイルカたちが回遊している様子を見ることができた。

    通りがかりの他の船。お客を満載で窮屈そうだ。

    次に向かうのは、ラージャンサーという60キロほどもある長い砂州である。これがベンガル湾とチリカー湖を仕切っている。もともと湖から海への出口はもっと北のほうにあったとのことだが、これが自然に堆積して閉鎖されてしまった。その結果、水質の劣化が著しくなり、今の出口になっている部分はその対策として近年になってから人工的に開けたものであるという。

    広大な砂州。左手はチリカー湖で右手奥はベンガル湾

    砂州といってもかなり幅が広く、優に一キロほどはある。小高い砂地の丘に登ると、ベンガル湾とチリカー湖が左右に見える。

    このエリアに定住している人はないが、観光客相手の「海の家」がいくつもある。それらではチャーイや簡単な食事を出している。特にチリカー湖特産の魚介類とりわけエビ、カニの料理が人気だ。

    旨そうなカニ料理
    こちらもまた食欲をそそるエビ料理

    それらを注文すると、裏手で薪を燃やして鍋をかけて炒めた料理を作ってくれる。いかにも『オヤジの手料理』といった感じだが、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。私は、数年前から甲殻類でアレルギーが出ることが多く、試してみることがためらわれるのが残念である。

    大きなたらいに入ったハマグリのような貝の殻を割り、中から真珠を取り出してみせている男たちがいる。真珠は白いものが大半だが、ときたま黒いものもある。面白いことに、たいていの貝にそうしたものが入っていた。何か仕掛けがあるのか、アコヤ貝ではないのだが、貝の幼少期に真珠が出来るように細工をしてあるのかもしれない。

    真珠?
    こうしたハマグリのような貝の中に『真珠』

    昼間に湖を行き来する船はかなり多い。漁師たちが仕事をする時間帯ではないため、通りかかる船はほぼすべて観光客用のものばかりである。多くはプリーに宿泊して日帰りでここを訪れている。チリカー湖のクルーズは楽しいが、サートパダーについては特に宿泊するメリットはなかったように思う。とても静かではあるものの、船に乗らなければ周囲に見るべきものはないし、とにかく蚊が多い場所である。

    <完>

  • サートパダー 1

    サートパダー 1

    大きなチリカー湖のどこを訪れてみようかとあれこれ考えたが、岸辺に立つとただの湖でしかないことは容易に想像がつく。やはり海と砂州で仕切られた地形を目にしてみたい。

    そんなわけで目指すのはサートパダー。今回最初にプリーを訪問した際に向かえば良かったのだが、まあ仕方ない。

    プリーのバススタンドでサートパダー行きのバスを待つ。外から見るとバスが丸く膨れ上がっているのではないかと思われるほどの超満員である。それでもこれを逃すと次はいつになるかわからないので、なんとか身体を捻じ込んで乗り込む。

    プリーから終点のサートパダーまでの沿道に暮らす住民たちにとって、数少ない公共交通手段であるため、それこそ5分か10分ごと、あるいは一キロごとに停車して人が乗り降りするような具合なので、窮屈なのを我慢して貴重品に気を配りつつ耐えていると、やがて脇の席が空いたので、乗り込んだときと同じく、混雑の中で身体を捻じ込んで着席する。

    あまりに頻繁に停止するので、平地でわずか50キロ程度の距離であるにもかかわらず、目的地まで4時間近くかかってしまう。サートパダーの少し手前の比較的大きい集落グプタープルでほとんどの客が降りてしまい、そこから先はガラガラである。

    そろそろ終点か?と思われたあたりで、車掌が『ここで降りるんでしょ?』と声をかけてきた。サートパダーで唯一の宿、OTDC(オリッサ州政府観光公社)のホテルの正面であった。

    すっかり日が落ちて暗くなってしまったが、部屋に荷物を置いてタバコや水を買うついでに散歩してみると、ホテルの少し先が行き止まりになっており、さきほどのバスも停車していた。明日早朝にプリーへ折り返すようだ。

    <続く>

  • SCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)のトライバル博物館

    SCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)のトライバル博物館

     先日、コーラープトでジャガンナート寺院関係の団体が運営しているトライバル博物館について触れてみたが、オリッサ州の部族に関する博物館といえば、ブバネーシュワルにあるものが秀逸である。 

    ここはSCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)という、指定カーストと指定部族の人々に関する民族学的な見地による研究ならびに各コミュニティの社会的・経済的な発展等を図るといった活動をする機関によって運営されている。 

    敷地内は研究施設、博物館、実物大の各部族の家屋の屋外展示などからなる。指定カースト・指定部族に関わるワークショップや会議なども活発に開催しているようだ。ブバネーシュワル郊外のCRPスクエアというエリアにある。 

    入場料は無料、展示物は見応えがあり、しかも各コーナーで専属のスタッフたちが詳細な説明をしてくれるうえに、こちらから投げかける様々な質問にも丁寧に答えてくれる。だが休日であってもガラガラだ。訪問者は必ず入口で記帳することになっているが、一日に訪れる人数は一桁だったりする。テーマがテーマだけに、多くのインド人たちの興味の対象外であろうことは想像に難くない。 

    館内には四つの大展示室があり、中庭には各部族の信仰の祭壇がしつらえてある。戦術にとおり、建物の裏手には主要なマイノリティの家屋が再現されている。館内は撮影禁止であるのが惜しい。 

    詳細に説明してくれるスタッフたちは、この機関で調査・研究をしている若手のリサーチャーたちである。この中には自身が指定部族の出身という人も少なくないようだ。 

    部族の人たちの地位向上とともに言語や文化の保存に力を入れているこの機関としては、彼らの経済水準の向上も目指しているものの、彼らが「オリッサ人化」「インド人化」されることなく、自身が誇りを持って民族の伝統や価値観を維持することを目指しているとのことである。 

    そのために特に女性の地位向上のために伝統的な手工芸品を振興させているという。各民族の文様の意味等をまさにその人々に理解させ、同時にそれを商品化することにより、市街地でのマーケットにそれらの品物が並ぶようにして、現金収入を得る、ともに民族の伝統や価値に目覚めてもらうというようなプロジェクトも展開しているのだとか。 

    留保制度により、政府職員となる人もあれば、大学等に進学したりする部族の人々も多くなってきているそうだ。さらには地域の政治に進出する人もかなり出ているようで、まだまだ厳しい環境にある人が大半であるものの、確実に変わりつつあるとのこと。

    『私なんかもその一例ですよ。こういう機関で部族の人々についてリサーチする専門家になっているのですから』と、コーヤー族出身のスタッフの一人はにこやかに語る。 

    オリッサ西部は丘陵地が多いが、地形は決して急峻なものではない。それらの地域の高度だってさほどではないのに、他の地域と較べて格段に多くのマイリノティコミュニティ、しかも独特な文化を持つ人たちが存在してきた。 

    ひとつの理由はやはり人口密度が比較的希薄であったこと、そして経済的に後進地であったこともあり、地域に道路が引かれたのはだいぶ時代が下ってからのことらしい。それ以前は部族地域においては外部との行き来があまりなかったため、そうした民族や文化が維持されてきたとのことだ。 

    2001年のセンサスに基づけば、総人口の22%、人数にして81,45 lakhsもの人々が部族。実に62ものトライバルが住んでおり、そのうち13の部族はPTGs (Primitive Tribal Groups)というカテゴリーのものである。 

    だが部族の人々の大半は、ヒンドゥー文化と無縁の存在であったわけではなく、その外縁部に位置づけされる。しかしクリスチャンの宣教活動も盛んで改宗者も多いことから、そうした部分で衝突がしばしばあるとのがこの地域である。 

    比較的近い時代まで、部族の人々の間で生贄に習慣があったとのこと。他の村から誘拐してきた人にその晩豪勢な料理を振舞い、酒を飲ませて女性も抱かせて一晩過ごさせ、翌朝所定の生贄を捧げる場所に連れて行き、斬首あるいは刃物で突き刺すなどにより殺害して神に捧げたという。 

    今の私たちにとっては野蛮な習慣でしかないが、英領期に当時の政府がラージャスターン等でサティーの習慣を廃止させたりしたのと同様に、この地域でもこうした風習を廃止させるように動いたとのこと。それでもかなり時代が下るまで行われていたらしい。 

    ほとんどの部族社会では飲酒が盛んで、男女一緒に酒飲む習慣のある部族もあるそうだ。米や穀類から造られることが多いが、中には花から作るものもあるとのことだ。醸造酒以外に蒸留酒も造っているとのこと。 

    沢山のコミュニティがある中で、サンタル族は居住地域が最も多岐に渡り、人口規模が大きいだけではなく、豊かで開明的なコミュニティという印象を受ける。 展示品についてもかなり精緻に造られたものが多く目に付く。

    漁労に関する展示もあった。日本のハヤ採りビンに相当する仕掛けの竹細工製品、酒や水を入れるひょうたん、畑仕事で頭に被る笠といった、日本のそれとそっくりなモノがいくつかあり、とても親しみを感じた。場所はまったく違うし、互いの接触もないのだが、人々は同じものを考案して使ってきたのだ。 

    人々が金属の装身具を付けるのは、それにより身体の動きがスムースになると信じている場合、また銅や銀といったメタル類が体によい作用をもたらすと考えられている場合などがあるそうだ。彼らの装身具のデザインには、他のインドの人々の中にも相通じる柄なども多々あり、彼らが古い時代のインド文化に与えた影響、また反対にインド文化に影響されたことも少なくないことが感じられる。 

    女性の装身具、髪をまとめる長い棒状のクシのようなもの等には、ずいぶん長くて尖っているものもある。ちょっと危険ではないかと思い質問してみると、それらは山の中での護身具も兼ねているそうだ。確かに山の中では自分の身は自分で守らなくてはならない。 

    この博物館については当初あまり期待していなかったのだが、展示物の質の高さと学芸員の人たちの懇切丁寧な説明のおかげでとても興味深く見学することができた。半日くらいとってじっくり見学してもいいくらいだ。 

    オリッサ州内の部族地域を見学するならば、事前にここに立ち寄っていろいろ予備知識を仕入れておくと良いだろう。とにかく情報が豊富である。この団体は部族に関する出版活動も行なっている。館内で販売されている書籍等については、こちらを参照願いたい。

  • 部族の人々の木曜市 2

    部族の人々の木曜市 2

    帰り道では、さきほどの日本人グループのクルマが道路脇に停めてある。乗客である年配の人たちが木立の中に集まっているのを見かけた。私も興味を覚えて運転手に停車してもらいそこに行ってみると、ちょうど彼らはクルマに戻るところであった。

    横に太いストライプが入った民族衣装の女性たちがいる。彼らはガダバーという部族である。女性は20人くらいで、男性が5名。彼らはタブラーに近い形をした楽器を地面に置いている。

    彼らの中の親分格らしき風采の男性に声をかけてみると、毎週木曜日にオンカデリーで市場のある日、村人たちがこうして集まって、通りかかる観光客たち相手に音楽を演奏して踊りを披露しているのだという。もちろん現金収入が目的で、一回100ルピーなのだとか。 『ネパールでもそうでしょう?各地でいろんな衣装や踊りあるでしょう。ここでは私たちガダバー族のものをみなさんに披露しているんですよ』と言うからには、彼は私をネパール人だと思っているらしい。

    この人物は、彼らの中の取りまとめ役のような具合なのだろう。ある程度の教育があり、それがゆえに目先も利くため、村人たちを木曜日に集めてこういう風にして収入を得ることを画策したものと思われる。

    ただし、彼らがこうしていることを知っているガイドは帰りにここに立ち寄り、観光客たちを喜ばせて、村人たちに現金収入をもたらすのだろうが、そうと知らなければ道路から少し先の木立でそんなことをしているとは気がつかないだろう。そのあたりはこれからやり方を学んでいくのだろう。

    男性の話によれば、みんな普段は田畑で農作業をしているとのことだ。彼はけっこう正直な人で、尋ねてもいないのにこんなことを言って笑う。

    『こうした格好をしているのは、観光に来たお客さんたち相手に稼ぐためです。普段はこういう服を着ていませんがね』

    観光化されつつあるとはいえ、まだまだ素朴である。

    ここに集まっていたガダバーの女性たちは端正な風貌の人が多く、その中にとんでもない美人も幾人か見かけた。撮影を断られたため写真はないのが残念である。コーラープトの町中で野菜売りたちの中にもガダバーの人の姿があるが、この部族には見目麗しい人が多い気がする。都会の人のそれとは違う、豹のようにしなやかで凛とした野性的な美しさと力強い輝きがある・・・としては言い過ぎだろうか。

    いつごろからこうした部族民見学ツアーが静かに広がってきたのかは知らない。だが向こう5年、10年くらいでオリッサ観光のひとつの目玉となることは確実だろう。一部を除いて比較的観光資源が少ないと認識されがちなこの州だが、これだけ個性的な少数民族がかなり固まって住んでいること、定期的に開かれる市があるということは、なかなか魅力的なことである。オンカデリーの他にもチャティコーナー、クンドゥリーなどが知られている。

    おそらく今後、ロンリープラネットを初めとする旅行ガイドブックでオリッサの部族が取り上げられることが増えてくるのではないかと思う。同様に隣接州チャッティースガル州東部も同様に部族が多い地域である。

    ただしネックとなるのは、交通機関だろう。バス等の交通機関でアクセスできないため、クルマをチャーターするしかない。ある程度の人数がいればいいのだが、単独で行くとなるとかなり割高になる。開催日が異なる複数の定期市等を回るつもりならば、なおさらのことである。こうしたツアーを組む地元のオペレーターも少なくないが、メジャーな観光地を訪れるパッケージと違ってかなり高額なものとなる。

    部族の村々を訪れたり、トライバル地域でキャンプしたりといった行程も組まれていることから、なかなか面白そうではあるが、かなり経済的に余裕のある層の人たちが対象といった感じだ。

    もしかすると同時にインドの他の地方の部族たちのことについてもスポットライトが当たるようになるかもしれないが、このあたりのアーディワースィーたちは周囲の「インド社会」の影響が比較的少ないようで、その独自性また魅力なのかもしれない。

    ただしオリッサとチャッティースガル両州の部族地域は、同時にマオイストの活動が盛んでもあることには留意が必要だろう。”Koraput” “Maoist”とふたつのキーワードでGoogle検索してみるだけで、マオイストによるずいぶん沢山の事件のニュースが引っかかってくる。

    このあたりの村では稲藁を木で組んだ簡素な梁と柱の上に屋根のごとく積み上げる。そんな「東屋」の下で昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。ゆるやかな山あいの土地で緑と豊か水にも恵まれた大地。そうした環境であるがゆえに、様々な部族の人々が自給自足の環境下で独自の暮らしを営んでくることができたのだろう。

    インドの中では後進地とされるオリッサ州の中でもとくに発展から取り残された地域とされる内陸部だが、そこで独自の生活様式を築いてきた部族たちの存在は、これとは裏腹にこの国の奥行きの深さと文化的な豊かさを感じさせるものがある。

    <完>

  • 部族の人々の木曜市 1

    部族の人々の木曜市 1

    オンカデリーという集落で定期市が開かれる日である。

    簡単な朝食を済ませて、昨日約束しておいたクルマに乗り込んで出発したのは午前8時。緑と水に恵まれた美しい丘陵地の中を通る州道をひた走る。途中の町で右折すると、そこから先はクルマ1台が通れるくらいの幅で路面もガタガタの田舎道となる。

    このあたりからは丘陵地というよりも、山道といった感じになってくる。傾斜はさほどでもないが樹木が多い。そうした中にところどころ耕作された土地が見られる。この地域を含むオリッサ州の内陸部は、インド有数のトライバル・エリアとして知られている。

    地形としては「ゆるい山間部」とでも形容しておこうか。他の地域とそれほど隔絶した世界というわけでもなさそうなのに、どうして様々な部族が多く残されているのだろうか。このエリアが発展から取り残された地域であることと、州自体の人口密度が高くないため、人口圧力もあまりないということがあるかもしれない。

    ただしオリッサ州は地下資源が有望な地域でもあり、そうした資源開発と先住民の権利との間に生じる摩擦も絶えない。近年話題になっているものとしては、インド系英国資本(ムンバイーで創立され現在本社をロンドンに置いている)の ヴェーダンタ社によるオリッサ州のニヤームギリーでの操業は、元々ここに暮らしてきたドングリヤー・コンド族に対する『迫害』ということになり、深刻な人権侵害として複数の市民団体等から告発されている。

    The Story of a Sacred Mountain (Tribal International)

    Niyamgiri and Vedanta (Environmental Protection Group, Orissa)

    運転手はオンカデリーに行くのは初めてのようで、このあたりからは途中で人に尋ねながら走っている。そうした相手の中には普通のオリッサ人もあれば、見るからに部族らしき人もある。オンカデリーに着いたのは午前11時くらいであった。コーラープトから3時間ほどかかった。

    普段は静かなごく小さなマーケットであるが、毎週木曜日だけは近隣地域から部族の人たちが大勢集まって交易する場所として知られている。オリッサ西部の部族地域ではこうした場所がいくつもあり、場所により曜日は様々なのだが、こうした形で市場が開かれているらしい。

    オンカデリーの集落の入口あたりでクルマから降りるが、通りにはずいぶん沢山の人々が集まっているのに驚かされる。その中には街中では見かけない格好をした部族の人々の姿がとても多い。ボーンダー、ガダバー、ディダイその他の部族たちである。

    弓矢を持って歩くボーンダー族男性の姿が目立つ。この部族の女性たちはカラフルなビーズをあしらった頭飾りと特徴的な衣装を着ている。皆かなり小柄である。女性たちはマーケットで自家醸造の酒を売っている。大根から造ったものと米から造ったものがある。世の中に大根から出来た酒があるとは今日初めて知った。密造酒ということになるが、少数民族の生活習慣なので、定期市ではお目こぼしなのだろう。

    ボーンダー族の男性たちにしてみれば、弓矢を身につけているということは、ちょうどスィク教徒にとってのキルパーンのように、男性としての象徴的な意味があるのだろうが、武器を手にしている男たちが酒を飲んで酔うという図には穏やかでないものがある。

    ここに来てちょっと驚いたのは、外国人のツアー客らしき人たちの姿がかなりあることだ。最初に見かけたのは5名の西洋人グループ、そして7、8名の日本人グループがいた。オリッサの部族地域についてインターネットで検索してみると、地元オリッサや外国のツアー・オペレーターによる企画ものを紹介するサイトが引っかかったりするが、このようにして訪れる人々は決して少なくないようだ。

    そのためだろう、普通に市場の眺めを撮影している分には問題ないが、特定の人物を近くで撮る(もちろん相手の同意が必要)場合、10ルピーを撮影対象の人物に渡すことが習慣になってしまっている。

    都市部において、社会の周縁部から出てきた部族の人たちは、バーザールで売られているごくありきたりの衣類を着ているものだ。作るのに手間ヒマのかかる民族衣装よりも、バーザールで購入する大量生産された安価な衣類のほうが経済的に楽だろう。

    また民族独自の衣装は、自らのアイデンティティを象徴するものではあるが、そうした『記号』的なものを見に付けることにより、インド人の大海の中では差別ないしは軽視される対象としての目印ともなり得る。

    オンカデリーのような集落の外の山々はまるごと部族社会であり、彼らの普段の生活圏内であるためだろう。まだまだ伝統的ないでたちをしている人たちが多い男性たちの間では洋服を着ている人々がかなりあるが、女性は民族衣装を着ている割合がとても高い。部族の人たちにとっては、山あいの村から『町に出る』週に一度のハレの日であるため、こうして着飾りたいということもあるのだろう。

    もちろんそういう格好で各部族の人々が集まってくるがゆえに、そうした定期市を見学するツアーが企画されていたりもするわけである。そうしたツアーでは部族の村などにも訪問するようだ。

    さらに観光化が進めば、こうした場で民族衣装を纏う動機が『観光客に撮影させて報酬を得る』という具合になっていくことも考えられる。ちょうどタイ北部の山岳少数民族でそういうケースが多いように。少なくとも前述の『撮影=10ルピー』という慣習から、これを臨時収入の手段として認識していることは間違いないだろう。

    あるいは各民族の日用品等が『伝統工芸品』として販売されるようになったり、特徴的な衣装(往々にしてオリジナルをかなりアレンジしたもの)が観光客目当てに製造・販売されるようになったりすることもあるかもしれない。

    定期市が開かれるのは、オリッサ人が主体の集落の中にあるマーケットである。そのため建物の中や常設のマーケットのスペースで商うのは、主にオリッサ人たちである。それに対して路上や空きスペースなどで、部族ごとに集まって品物を広げているのは集落の周辺地域(・・・といっても山道を数時間もかけて徒歩でやってくる人々もある)からやってきたマイノリティの人々である。

    部族の人々は、酒以外には主に村で収穫した野菜や果実といった農作物を販売している。定期市は、彼らが現金収入を上げる手段であり、同時に村では手に入れることのできない工業製品を購入する機会でもある。

    ロンリープラネットのガイドブックには『Onkadelli should only be visited with a professional guide』などと書かれていたため、一体どんなところかと思っていたが、案外普通の田舎のマーケットである。

    ただ普遍的なマーケットと視覚的に異なるのは、様々な格好をした部族の人々が大勢来ていることだ。加えて密造酒が堂々と販売され、主に部族の人々がこれをおおっぴらに酌み交わしていることだろうか。

    ただしここに集まっている部族の人々の姿をいろいろ目にしても、彼らの具体的な文化背景等が皆目わからないのはもったいない。そういう意味でやはりこの地域に精通するガイドを雇って訪れたほうがいいだろう。

    少数民族目当てで定期市を訪れる外国人客がチラホラいるため、オンカデリーのマーケットでもガイドを自称する者たちが存在する。だが彼らの知識は非常に限られたものであり、ひどくブロークンな英語(並びにその程度のヒンディー)しか使えない人たちなので、敢えて雇ってみるメリットはあまりないように思う。

    ただしこの地域の住民である彼らは、少数民族の村に囲まれたこの小さな町で生まれ育っているため、幼い頃から公立学校でそうしたマイノリティの子供たちと学校で机を並べ、また現在も日常的にそうした人々と接しているという生活環境下にあるため、近隣の民族の専門的な知識はほとんどなくても、彼らの中に知己が多く生活習慣等日常的なトピックにはけっこう詳しかったりするのだが。

    <続く>