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カテゴリー: greater india

  • サムダーイク・ホームステイ(コミュニティ・ホームステイ)

    サムダーイク・ホームステイ(コミュニティ・ホームステイ)

    「Bandipur Samdayik Homestay」のバナー

    上の画像にある大きなバナーには「バンディプル・サムダーイク・ホームステイ」と書かれているのだが、バンディプルの町の中、あちこちでこうしたポスターや看板が目に付く。

    てっきり周囲の村の子どもたちがバンディプルで学校に通うための下宿のスキームかと思ったら、中には英語でもこれが掲げれている家屋があり「Free wifi」などとも書いてあるので、どうやらそうではないようだ。

    例外的に英語の表記のある家もあった。

    この表示がある家屋のひとつで尋ねてみると、観光客を家に宿泊させるプログラムとのことで、1泊700Rsで朝夕2食付きと言われた。他の家で質問してみると返事が900Rsだったり、1000Rsだったりするので、どれが本当なのか、あるいは料金設定は個々の家庭に任されているのかはよくわからない。

    先日の一部の例外を除けば、ネパール語のみで表示されているので、主にネパール人のみが対象なのだろうが、観光旅行を楽しむ層のネパール人が民家に宿泊するのだろうか?と、後から疑問が浮かぶが、うっかり聞きそびれた。

    せっかくの良いスキームなので、英語でも表示すれば良いと思うのだが、当地に多い宿泊施設やレストランと競合してしまう可能性が高いがゆえの配慮なのかもしれない。

    上に貼った画像にあるようなホテルがバンディプルには多いが、安旅行者はおそらくホームステイのほうに流れるだろうし、そうでなくとも家庭に泊めてもらうのは楽しそうだ。

    また、こちらはまた別のホームステイプログラム登録家庭らしい。(青色の表示板)せっかくのスキームなのに、ネパール語のみの表示であるのは同じ。(「ビンドゥバースィニー・サムダーイク・ホームステイ」と書かれている。こうしたプログラムに加わる家庭は様々だが、ここはとりわけ新しく立派な家屋で、快適さを求める向きには良い選択かもしれない。

    「Bindubasini Samdayik Homestay」というプログラムに参加しているらしい。
    こうしたみやげものを制作している家庭もホームステイプログラムに参加したりしているのだろうか。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ネパール語の風景(新)

    ネパール語の風景(新)

    7月に「ネパール語の風景」と題してかいてみたが、その内容にこのたび少し書き加えてみた。

    欧州におけるローマン系語彙のおかげでイタリア語を知らずとも、ローマン系語彙を含む欧州語を知っていれば、書かれていることがある程度推測できるが如く、ネパール語もヒンディー語の知識で字面からくみ取ることが出来ることもありがたい。

    欧州諸語におけるローマン系語彙にあたるのが、南アジアのサンスクリット語やパーリー語由来の語彙ということになる。

    興味深いのは、こうした古語からくるボキャブラリーについては、ヒンディー語におけるそれとネパール語におけるものが、綴りや長母音短母音の位置に一貫性があるのだが、外来語については、両者のあいだで大きな揺れがあることだ。

    街中の看板や広告などを目にすると、主に英語からの借用語のデーワナーガリー文字での表記例がたくさん目に飛び込んでくる。

    前者(ヒンディー語)で「व」(va)をもって音写されるものが、後者(ネパール語)では、「भ」(bhaつまりbaの有気音)であることが多い(英語のtravelをようで、後者で「स」(sa)をもって記すものが「ष」(sha)を当てられることが多いように見えることだ。

    よってtravelが「ट्रभल」、guestが「गेष्ट」となるのは、とても新鮮に見える。また、षがサンスクリットやパーリー起源の語の「sha」音に限られ、その他の起源の言語からの借用語内の「sha」は「श」となることなく、英語からの借用語内の「sha」音表記にも積極的に「ष」が用いられるのも興味深い。

    先述のとおり、古語においても、現代ヒンディー語においても、長母音・短母音の区別は厳格だ。

    よって古語由来のボキャブラリーについて、ネパール語でもヒンディー語と同様に、そのあたりの綴りには忠実に踏襲されているように見えるのだが、英語からの借用語についてはそのようなことはないようだ。例えば英語のseatが、ヒンディーにおける「सीट」(seet)ではなく、「सिट」(sit)と短く表記されるのも面白い。

    古語から入ってきた語彙の表記の一貫性に対して、欧州語(歴史的にほぼ英語に限られるがおそらくファッション関係その他でフランス、イタリアその他からの借用語もわずかにあるはず)におけるブレブレの自由闊達さ(?)の違いは、一体何に由来するものなのだろうか?

    いや、自由闊達なわけではなく、外来語表記に一定の法則があり、それに従って表記しているはずだ。

    そのいっぽうで、policeのことを口語ではたぶんヒンディー同様にपुलिसと呼んでいるのではないかと思うが、警察署などに「प्रहरी」(プラハリー=警備の意)という古語起源の言葉で存在を示していたりする。

    また、ヒンディー語に較べるとペルシャ語やアラビア語からの借用語が占める割合は少ないと推測できることから、なおさらのこと古語(サンスクリットやパーリーなど)に由来する語彙は日常的にたいへん豊富なのではないかとも想像できる。

    まちなかを散歩していても、宿のフロントに置かれた新聞をボ〜ってめくっていても、ネパールというのは文字の字面だけ眺めているだけでも、様々な事柄が理解できる(程度の度合いはあっても)文字情報として入ってくるのは、いろいろと便利だ。

    旅行が終わって日常生活に戻ると、仕事や雑事に追われて、それどころではなくなるのだが、ネパール語というものを学んでみたくなった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルの町並み

    バンディプルの町並み

    カトマンズからドゥムレーに到着した。バンディプル行きのバスはしばらくなかったので、タクシーで移動することにした。斜面を上っていくとともに、目の前に開けてくる緑豊かな山並みの様子が素晴らしい。

    町はずれのバスストップに到着し、宿に荷物を置いてから散歩に出る。伝統的なネワール建築のバクタプルとはまた違った良さの洋館風の町並み。ネパールと西洋の折衷建築の数々が面白い。こうした建物の多くが食堂や宿泊施設などとして現在は使用されている。

    もともと交易の中継地として栄えた町だが、プリトヴィー・ハイウェイ建設時にルートから外れてしまったため、寂れてしまい現在に至っているパンディプル。商取引で大いに栄えた時代の建物や屋敷などが多く残っており、この景観こそがこの町最大の宝である。

    こうした建物の保存と修復のための寄付の貢献をした人々を記念する塔や石碑の類いがいくつも見られる。洒落た館を多数残してくれた先人たちの功績もさることながら、こうした文化遺産の維持のために貴重な財源を寄附してくれている人々の意識の高さに負う部分もとても大きいことは言うまでもない。

    寄附等の貢献をした人々の名前を記した記念碑

    靴屋の軒先にて
    マオイストのプロパガンダ
    バンディプルの町からの眺望も素晴らしい。
    レストランが多いため、いろんな食事を楽しむことができる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルへ

    バンディプルへ

    空調の効いた車内

    ポカラ方面行きの「マイクロ」に乗り、ドゥムレーで降りてバンディプルを訪問したのだが、こうしたバス移動がずいぶん快適になっていることに感心する。クッションは効いているし、リクライニングはないものの、背もたれに多少の傾斜は付いているし。昔々のオンボロバスと違って、これなら子連れ旅行も楽勝だ。

    2019年のネパールの定番ルートはずいぶん良くなっている。道路もとても良くなっていて・・・といっても、比較対象が1980年代後半の話なので、進化していて当然のことではあるのだが。

    当時、ポカラとカトマンズを結んでいた「ラグジャリーなバス」とやらがあった。たしか「スイスバス」と呼ばれていたもので、とても窓が大きくて眺望の良い車両だった。ただし道路が悪かったので、ポカラを早朝に出てカトマンズの夕方遅くに到着するような感じだったように記憶している。

    もっとも今は、この幹線道路が渋滞したりするので、複数車線化しなければ、移動速度は頭打ちかと思うが。この日も事故による渋滞がひどかった。

    マナカマナーのケーブルカー乗り場の前にニセ日本企業のMINISOが出店しているのでビックリした。中国企業だが、名目上の登記を東京で行っており、「日本企業」を名乗っているとはいえ、置いてあるモノは良い品が多いため、個人的にはかなり好感と信頼感を抱いている。

    MINISOの店舗

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 新築のネワール建築風物件

    新築のネワール建築風物件

    世界遺産指定されているバクタプルに滞在して、伝統的な建築が豊かに残されている街並みを楽しんでいると、こうした新築のネワール建築風物件が、かしこに見られるのもまた面白い。

    バクタプルがユネスコの世界遺産登録されている関係上、建物の改築や新築等にはいろいろ条件が課されているところからくるのだろう。伝統建築とは違う工法や素材で建てられていても、ちゃんと周囲と調和する建物に仕上げてあるのが良い。こうした努力は街並み保存には不可欠だ。

    この薄型ビルもまたそんな中のひとつ。もう少し頑張ってほしかった気もしなくもないが、まあ及第点なのだろうか。これもまたネワール建築を模した今どきのネパールの建造物建築作業進行中。こうしたエクストラな仕様にかかる費用は、果たして行政から支出されているのかどうかは知らない。そうであったとして、原資には外国人が支払うバクタプル市街地入域料も貢献しているだろうか、それともこうした費用は住民の自己負担なのだろうか?

    ヘリテージ地域に踏み込むだけで、日本円にして約1,500円ってどうなのか?と、料金徴収されるときには思った(観光ヴィザと同様に10歳以下の子供は無料。)のだが、こういうのを見かけると、「いい仕事してますね」と、応援したくなったりもする。

    新築のネワール建築風物件

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ・バクタプル間を結ぶトロリーバス

    カトマンズからバクタプルまで中国の援助で建設されたトロリーバスが運行されていたことを思い出した。

    カトマンズのカンティ・パトを南下してトリプラー・マールグと交差するあたりから出て、バクタプルの南側、道幅が拡張される前で細い道に過ぎなかったアルニコー・ハイウェイ沿いのスーリヤー・ビナクまでを結んでいた。都市化が進んだ現在と違い、カトマンズとバクタプル間の道路の左右に田園風景が広がっていたことを記憶している。

    2001年末にカトマンズからバクタプルまでを結ぶ運行は終了。2003年からは、カトマンズからバクタプル行きの通過点となるコテーシュワルまでの運行となり、2009年にはトロリーバスの営業自体が終了となっている。

    トロリーバスなるものに乗車したのは、カトマンズが初めてだったので、その後中国を訪問した際、上海や北京などで利用して、そのネットワークの広さと、スケジュールの過密さには大変驚いたものだ。当時の中国はずいぶん貧しかったとはいえ、大都市における公共交通機関ネットワークの充実ぶりは見事なものであった。

    KATHMANDU TROLLEY BUSES IN 1979 (Youtube)

    NEPAL KATHMANDU TROLLEYBUSES 1998

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • キールティプル

    キールティプル

    11世紀から続くキールティプルの町はリングロードを外れて坂を上っていった先の丘の上にある。途中に大学のキャンパスがあり、そこで学生たちが降りていく。このあたりから見えるキールティプルの斜面に複数階の家屋が貼り付いている眺めは、ありし日の九龍城を連想させるものがある。

    在りし日の九龍城を思わせるものがある。

    丘の頂上を中心に広がる町並みのようだ。その頂上部分にあるヒンドゥー寺院からの眺めは素晴らしい。首都圏なのに田舎の雰囲気が味わえるし、それでいて眼下に広がる首都の風景が楽しめる。

    カトマンズ首都圏の眺め

    バクタプル、カトマンズ、パータン、キールティプルとひと続きになったのは、人口増加、宅地化の進行のためだろう。今やカトマンズ首都圏は巨大都市化しつつある。

    「キールティプル(कीर्तिपुर)」か「キルティープル(किर्तीपुर)」か。町中での表記に妙な揺れがある。宿の人によると前者が正しいとのこと。

    「キールティプル」か?
    それとも「キルティープル」か?

    坂を下っていくと、まったくつまらないゴミゴミした市街地となるが、頂上付近には伝統的なネワールの町並みが残っていて、ここもまた魅力的なスポットである。

    キールティプルは坂の町

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 遠いところ

    パータンの王宮広場で休憩していると話しかけてきた女の子。ヒンディーで返すと、けっこう上手いヒンディーでいろいろ話してくる。なかなかおしゃべりだ。

    「テレビ番組で覚えた」と言うが、まだ小学校低学年くらいだろう。

    家族のことを尋ねると、「毎日お母さんは夜8時くらいにならないと帰ってこない」のだとか。家にはお姉さんがいて、食事その他しろいろやってくれているそうだが、「お父さんは?」と質問すると、「他の女の人と出て行ってしまい、帰ってこない」そうで、悪いことを聞いてしまった。

    どこに住んでいるのかと問うと、「とっても遠いところ」と言うが、どこかと思えばここから少し進んだ先にあるバススタンドやラリトプル・モールのあたりらしい。

    そんな「距離感」が子供らしくて笑いを誘う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • パータンの宿

    パータンの宿

     

    ネワール式建築の家屋を宿泊施設に転用した「Newa Chen」に投宿。もともと裕福な一族の屋敷であったものなので、窓枠の彫刻飾りや建物内外の意匠など、眺めていて楽しい。

    ただし天井がとても低く、中肉中背の私でも天井の高さは頭頂部ギリギリで、欄干をくぐる際には少ししゃがみこまないと、頭をぶつけることになるのが、伝統的なネワール家屋のサイズ感。背丈190cm近い大男たちがゴロゴロいるスカンジナビア半島の人たちが訪問したら、天井の低さに音を上げそうだ。

    前日には、このような建物が食堂に転用されたところで夕食を摂ったが、上階から階段を降りきったところで、額をしたたか打ちつけてしまい、一瞬意識が飛んだ。一般的に小柄な人たちが多いネパールだが、これらの建物が出来た頃には、おそらく男性でも背丈は概ね160cm前後だったと思われる。

    近年の建物はこうした規模感で造られることはないようだし、若者たちも私たちからみて、そんなに小柄なということもない。おそらく食生活や生活スタイルの変化により、体格が飛躍的に向上したということなのだろう。言うまでもなく、日本でも私たちの祖父祖母世代では、かなり小柄な人たちが多かった。

    また、日本よりもずいぶん早くから豊かだったアメリカでも、第二次大戦あたりまでは、それほど長身の人たちがたくさんいたというわけではなかった(当時の日本人はとても小さかったので、この頃のアメリカ人たちは相対的に大柄ということにはなるが)ようだ。たぶん、幼い頃から毎日、肉など高タンパク質な食材を充分摂取できるようになっていることが寄与する部分は多いにあるのだろう。

    つまり食肉生産の「工業化」により、ブロイラーのごとく、まるで工業製品であるかのように大量発生生産できるようになったこと、同様にそうした生産物の大量輸送量と長期にわたる大量保管が可能となったため、いつ何時でもこれらが入手出来て、家庭においても保管できるようになったことだ。もちろん肉類だけでなく、農業生産の分野でも品種改良や栽培技術が進んだため、大量生産によりふんだんに市場に配給されるようになっている。

    日本の私たちの世代は、生まれた頃にはすでにこのプロセスが完了していたので実感することはないのだが、国によってはある時期を境に人々の体格が著しく向上している地域がある。

    ネパールの都市部もたぶんそうなのだろうけれども、インドのパンジャーブ州などは、その典型だろう。もともとアーリア系の形質を濃く受け継いだ人たちが多いことも関係している (大きく逞しくなる潜在力が大きい) かと思うが、今の30代前半くらいまでの若い人たちの中には、とても長身な人たちが多い。彼らの親世代も体格に恵まれた人たちは少なくないとはいえ、それほどデカい人たちは多くはないのに。

    おまけにマッチョな地域柄、尚武の民スィク教徒が多いという背景もあり、格闘技は盛んだし、お手軽に強そうに見せるためのボディービルも盛んなお土地柄。そのためちょっと暮らし向きに余裕のあるエリアでは、どちらに目をやってもデカくてムキムキのバカマッチョたちがふらふら出歩いている。

    伝統家屋の天井の低さから話は飛んでしまったが、そこからいろいろ思いが及ぶところがあるものだ。

    「Newa Chen」ウェブサイト

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ビシャール・バーザール

    ビシャール・バーザール

    ニューロードのビシャール・パーザール (Bishal Bazar)。かつてはネパールの首都随一の高級マーケットでインド人たちがよく買いに来ていた。インドが「マッチから人工衛星まで」と言われるほどの「自力更生型」経済の国であったころ、国内マーケットに溢れる粗悪な国産品と対照的な位置にあったのが貴重な舶来製品。洋酒、時計、カメラ、テレビその他、ありとあらゆる外国から輸入された品物がここで売られており、インドの都市部から大勢の人たちが買い出しに来ていた。

    こうした物を求めてインドからわざわざカトマンズまで人々がやってくるというのは、今では考えられないことではあるが。

    当時は高級感溢れる商業ビルに感じられたが、今はそのようなムードはない。別に建物が老朽化したとかいうわけではないようだが、周囲のレベルがそれなりに向上すると、相対的にそういうことになる。

    Bishal Bazar in Kathmandu, Nepal (Youtube)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ネパール語の風景

    ネパール語の風景

    カトマンズのタメルで見かけた看板。混雑回避のための措置について書かれている。

    ネパーリーで「खाली ट्याक्सी प्रवेश निषेध Khali tyaksi pravesh nishedh」と書いてあれば、ヒンデイーを理解する者であれば誰であろうと、ネパール語を学んだことがまったくなくても「空車のタクシーは進入禁止なのだな」とわかる。

    サンスクリット等からの借用語については、古典に忠実であることからヒンディーとのブレはないように見えるのだが、英語からの借用語については、その限りではないため、オリジナルなカラーが出るのが興味深い。ヒンディーでは「टैक्सी taeksi」と綴るが、ネパーリーでは「ट्याक्सी tyaksi」と綴ることが見てとれる。たぶんネパールの人々の耳にはそう聞こえるからなのだろう。

    ネパールにおけるこうした外来語の表記で気になるのは、「v」が「bh」に置き換えられることが多いことだ。例えば旅行代理店やバス会社などで「なんとかトラベル」というのがあると、「travel」が「ट्रेवल treval」ではなく「ट्राभल trabhal」となるのはなぜだろうか?ネパール語にはちゃんと「v」があるのに「bh」で置き換える理由がよくわからないのは、私はネパール語を学んだことがないからだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 増殖するOYO

    増殖するOYO

    カトマンズでもOYOが増殖しており、例の赤いロゴ入り看板が目立つ。このチェーンに加盟する宿はロクなものではないのだが、やはりこの国でも当然のごとく勢力を伸ばしている。

    話はネパールから逸れるが、インドのデリー訪問時の常宿としているところは、エコノミーな宿の割には、午前2時とかに着いてもちゃんと対応してくれるし、メールで予約しても、ちゃんと部屋は取れているし、前金も要求されない。

    なんだ、そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないが、実はそうではないのだ。このあたりがちゃんと対応しているエコノミーな宿というのはあまりない。

    深夜過ぎに着くと、玄関が閉まっていて、背後でワアワア吠える野犬にビビって冷汗かきながら扉をガンガン叩いて大声を上げると、ようやく眠い目をこすりながら使用人のお兄ちゃんが開けてくれるとか、予約のメールをしても、催促のメール出してもなしのつぶてで、遅い時間帯に到着してみると、満室とのことで断られるというようなところは、エコノミーな宿では多いのだ。そうした宿は、カイシャ的な経営ではなく、家族経営あるいは雇い入れたマネージャーに任せっぱなしのところが多いため、自然と容易なほうに流れてしまい、ルーズになっているケースが多い。

    エコノミーな宿からロイヤリティをせしめて、包括的なノウハウとマーケティングを提供するOYOのようなビジネスが急伸した背景には、そうしたエコノミーな宿泊施設におけるマネジメント能力の欠如がある。うまいところに目を付けたものだと思う。

    booking.comなど予約サイトを利使って予約してもいいのだが、クレジットカード情報を入れたり、前払いする必要があったりするため、メール予約で現地決済のほうが気楽に決まっている。そうでなければ、前金やクレジット情報を入れずに予約できるところがあると気が楽だ。OYOはちょうどそんな感じ。前払いにすると、少し宿泊費が安くなったり、朝食が付いたりといった具合で、前払いもしくはクレジット情報入力へ誘導しようとするが、それらなしでも予約はできる。

    また加盟施設が急伸しているためか、ネパールではどうだか知らないが、インドにおいては大手予約サイトではカバーしていないような田舎町にもOYOの施設があったりもする。

    勝手のよくわからない小さな町に夜遅く到着するような場合、OYOのサイトにアクセスして予約しておくと安心かもしれない。もっともそんなケース以外では、決して利用したくないのだが。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。