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カテゴリー: greater india

  • STONE HOUSE LODGE跡地

    STONE HOUSE LODGE跡地

    ゲストハウスが無くなったくらいで『跡地』とは大げさかもしれないが、かつて存在した格安ドミのあった宿で日本人バックパッカーに人気だった。ニューロードから路地を北に少し進んだところにあった。伝統的なネワール建築・・・といっても庶民の長屋だったので、大変奥行きの狭い前後に薄い木造建築だった。入口の上階がオーナー家族の居宅で、食事時になると、調理の音や匂いですぐにわかった。

    オンボロだったが、タメルあたりのどこの宿よりも安かったので、長期旅行者はよく利用していたし、他の宿に滞在して空き待ちをしている人もあり、ドミトリーのベッドが空く際には、チェックアウトする宿泊者に直接「ベッドの引き継ぎ」を依頼するなんてこともあった。

    とにかく安かったので、カトマンズに沈没するにはもってこいだったのだ。かくいう私もバックパッカー時代にここで沈んだことがある。

    ニューロードから路地に入る。
    昔ながらの建物も一部残っている。
    電線がものすごい。
    正面の薄い色の壁の建物は、かつて「ビレンドラ・ゲストハウス」であった。
    黄色い門の向こうに「ストーンハウスロッジ」があった。今では別の建物が建っている。

    当時の入口の門柱は残っているが、建物は建て変わっている。

    すぐ隣に1990年あたりに新築されたビレンドラ・ゲストハウスは、ロケーションの割には安くて部屋も清潔だったのだが、なぜか人気の宿とはならず、すでに廃業している。個人的には、ビレンドラ・ゲストハウスにも思い入れがある。

    当時、バンコクで泊まったゲストハウスで知り合い、一緒に市内のあちこちを観光したり食事したりする中で親しくなった北米の女性旅行者がいた。当時のエコノミーな宿のドミトリーはエアコンなど付いていないサウナ状態。異性の宿泊者が同室にいても、西洋人女性は気兼ねすることなく衣類を脱ぎ、あられもない姿でベッドに寝そべっているのが普通だった。そんな姿の彼女のメリハリの効いたボディーを目にしていた私は、ぜひもっと親しくなりたいと思いつつも時間切れ。彼女がバンコクから南方面へ向かうときに見送る際、日本人としては慣れない抱擁をされてムギュっと胸元に押し付けられた豊満なバストにドギマギするとともに、軽いキスに頬を赤らめる若者の私であった。

    私よりも少し遅れてネパールに来るというので、カトマンズで宿泊を予定していたストーンハウスロッジの住所を渡してあったのだが、ありがたいことに彼女は本当に現れてくれた。その晩、一緒に夕食を取った後、思い切って愛を告白すると事態は急展開することとなった。

    翌朝、朝日の差し込む部屋のベッドで目覚めると、一緒にシーツにくるまって寝ている彼女の一糸まとわぬ姿。昨夜のことは夢ではなかったのだと、胸がキューンと鳴る。ここはストーンハウスロッジ隣のビレンドラ・ゲストハウスの一室。私は宿を引き払い彼女のもとに転がり込み、安宿ではあったが新婚旅行のような生活が始まった。

    まだ雨季であったためトレッキングに行く気にはなれず、カトマンズ市内はもとより、カトマンズ盆地内には見どころが多いためカトマンズをベースに日帰りであちこち訪問したりした。朝は近所のカフェで軽食、それから観光に出て夕方ゲストハウスに戻る。当時のカトマンズは夕方8時を回ると深夜の雰囲気。彼女と過ごす長い夜がとても楽しかった。

    ストーンハウスロッジに宿泊していた人から「安旅行者の分際で愛の巣を構えた」と冷やかされたりした。真新しいビレンドラ・ゲストハウスはきれいで良かったのだが、なぜかカーテンがついておらず、電気をつけたままだと室内の私たちの様子がドミトリーから見えいたようで恥ずかしい。

    残念なことに、私としては不本意ながら彼女との交際は長続きすることはなく、ネパール滞在中の数週間で終わってしまった。仲違いしたわけではなかったのだが。

    ネパールからインド、パキスタン、イランを経てトルコ、ギリシャへという方向は同じであったので、もう少し長く一緒にいたかった。しかし彼女は私よりも10歳以上も年上の既婚者であり、半年間の旅行が終わったら家庭に戻る立場。一度でいいから世界を旅してみたいという長年の夢を叶えるため、ご主人の理解を得て出てきていることは、バンコクにいたときから知っていた。

    お互いあまり深入りすべきではなかったのだ。あまりに仲良くなり過ぎた私たちは距離を置くことに決めた。それでも相変わらず親しい男女がただの友人の関係に戻るのは容易ではなく、ふたりが物理的に離れるしかないことを悟るまでに時間はかからなかった。

    彼女はどちらかがカトマンズを離れようと言い、私はインドに向かうことに決めた。最後の一日はそれまでと変わらない楽しい時間を過ごしたが、あっと言う間にバスの時間になっていた。バススタンドに見送りに来てくれた彼女と交わした最後の長い長い抱擁とディープなキスが思い出に残っている。このまま永遠に時が止まってくれないものかと願った。バスがそろりと走り出し、手を振る彼女の姿がすぐに彼方へ消える。切なさに胸が張り裂けそうになるのをこらえつつ、私の恋は終わったことを実感した。

    だがその2か月ほど後、彼女とインドでバッタリ再会することになるのだからわからないものだ。そのごく数日前から同宿を始めていた別の北米女性とレストランに入ると、通された席の隣になんと彼女がいたのだ。そんなわけで気まずくはあったのだが3人で食事をすることになった。

    再会がとても嬉しかった反面、「君のことは生まれ変わっても忘れやしない」「出会えて本当に良かった。君のことを愛している。永遠に・・・」などと言って、涙で別れたすぐ後に、他の女性と一緒になっていて大変申し訳ない気もした。数日前から連れ合いとなった女性が彼女に「彼と一緒に旅行していて」とペラペラ喋ってしまうのを遮ることはできない。もちろん女性は私と彼女が恋仲であったことはまったく知らない。

    さらには食事を終えて戻る宿が同じで、これまた同一のフロアーのすぐ近くの部屋という非情な偶然が重なり愕然とする。すぐ近くで独りで寝ている彼女への思いは断ちがたく、いたたまれない気持ちになった。もしここでひとりで彼女と再会していたならば、今晩はどうなっていただろうかとか、この部屋を出て再び彼女に言い寄ろうかなどと、ろくでもないことを考えてしまう。

    翌朝、新しい連れとなった人と宿を出立して他の街へ移動する前、ひとりで彼女の部屋を訪れて最後の挨拶をした。別れてそう時間の経たないうちに別の女性と旅していることに罪悪感を抱いていた私には謝罪のような気持ちもあった。カトマンズで別れ話を切り出したのは彼女自身とはいえ、いろいろ思うところあったはずだ。それでも「元気そうで安心したわ。これからきっと良いことがあるわ。」と温かく長く抱擁してくれて、慈しみに満ちた眼差しで送り出してくれたので感激した。まるで以前の恋人が突然実の姉になったかのようでもあった。やはり当時20代前半だった私よりもずっと大人の彼女の落ち着いた物腰と度量に私はさらに惚れなおした。

    バックパッカーとして長期旅行をしている人たちだが、多くは特に詳細な予定があるわけではなく、なんとなく「アジアを横断する」とか「インドに半年、それから東南アジアでも半年くらい滞在したい」「もしかしたら中国も行くかもしれない」「お金が続けばアフリカか南米にも」などと、ごくフワッとした「旅程」を考えていることか多い。

    つまりスケジュールはあってないようなものなので先の行動はフレキシブルだ。通常は仕事をしているわけではない(今の時代はパソコンや通信環境も手元にあるので旅行しながらフリーランスの仕事をしている例外もあるかもしれない)ため身軽であり、しかも圧倒的に若い独身者が多いため、恋愛に対する関心が強い年代だ。宿泊費が高めの大都市でドミトリーに滞在する場合を除けば、安宿ながらも誰に気兼ねすることもなく自由に使える部屋がある。

    いつも観光客でごったがえしているメジャーなスポットはともかく、ちょっと辺鄙なところで、ひょっこり「同じ外国人旅行者」と出会えば、しばらく話し込むこともあるだろうし、夕食に誘い合ったりもするだろう。そんな中で夜遅くまで話し込んで親しくなるということは珍しくない。普段の生活とは違う非日常空間でもあるため、あっという間に大胆な展開を経てアツアツの恋仲となり、旅路を伴にするというロマンチックな関係に発展することも少なくない。

    その背景には、まず『人は恋をする生き物である』ということがある。一人旅は気楽で良いのだが、しばらく続けていると気の合う話し相手も欲しくなるのは自然なことだ。本質から外れた些末なところでは、宿代を折半して安く上げるという経済的な誘因もあったり、一人だと何かと不便なこともある移動中の安心感(バスの小休止地点でトイレにいくとか、ちょっと買い物に出るとかなども含む)もあれば、女性の一人旅があまり良しとされない国での安全確保という利点もあるかもしれない。

    もちろん互いに相手の人柄や感性を認め合っての真面目な交際であり、性的な衝動だけが目的ということは、あまりないだろう。それでも旅先での恋の常として、ボンヤリとした予定であっても、やはり各々が目的を持って旅しており計画している期間や予算もそれぞれなので、どんなに互いが相手を好きになっても仲睦まじくなっても、遠からず別れのときがやってくることはお互いわかっている。帰るべき国が異なれば、なおさらのことだ。それだけに一緒にいる今という時間が愛おしくなり、旅先の恋というものは激しく燃え上がるのだ。

    旅から離れて自国の忙しい日常に埋没して過去の思い出になっていくこともあれば、旅を終えて帰る先がごく近いエリアでその後も会う機会に多く恵まれて付き合いが続いていったり、あるいは違う国同士の遠距離で交際を続けて愛を育みゴールインするカップルもある。

    昔は『ここの鉄道駅から私は北へ、彼女は南へ向かう』『彼女の帰国を空港まで見送る』といったシチュエーションでは、まさに『今生の別れ』という気がしたものだ。往復に時間のかかる手紙のやりとりをしていても、やがて間隔が空き、いつの間にか途切れてしまったり、互いに引っ越しして新しい住所も判らなくなったりする。もっとも、それよりも前に新しい出会いがあって、以前の相手とは一気に縁遠くなってしまったりもする。

    インターネット、SNSの発達した今では、引き続き相手と近況をオンタイムで交換できるし、ビデオチャットなどでごく近くに感じることができるし、場合によってはその旅行中に向かう方向が同じであれば、どこかで落ち合って旧交を温めることもあるだろう。昔とはずいぶん事情は違うことと思う。。

    そうは言っても、今も変わらないのは、人の縁というものは、まったくもって先が読めないものであり、旅先の恋の行方というものもとうてい予測がつかないものであることだ。まさに筋書きのないドラマである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ発デリー行きのバス

    カトマンズ発デリー行きのバス

    Redbusなどで検索しても出てくる。デリーまで24時間くらいのようだ。近年はインド側の国道が良くなったが、それ以前であればもっと時間がかかっただろう。

    ネパール・インド間のバス移動は、チケットは通しでも、国境でネパールの会社のバスからインドの会社のバスに乗り換えるものだったが、今は車両もそのまま通しで走るのだろうか?

    Redbusで出てくるバス会社のものだと、座席指定も出来るため、やはりそうなのかもしれない。シートは通路挟んで2☓2であるため、バスが新しければ快適そうではある。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 空港目の前のホテル最上階からの眺め

    空港目の前のホテル最上階からの眺め

    カトマンズ市内、たとえばタメル近くから空港は直線距離にするとわずか6km強。ひどく渋滞するとはいえ、わざわざ空港近くに宿を取る理由があるとすれば、早朝のフライトでよほど朝に弱いとかいうことくらいしか思い浮かばないが、「明日はバンド(ゼネスト)」というようなことになれば、一気に混み合うのかもしれない。

    特にここに宿泊しなければならないわけではなかったのだが宿泊施設も多いので、どんな具合だろうか?と1泊してみることにした。

    ここからパシュパティナート寺院までは徒歩圏。ずいぶん昔の話になるが、空港からパシュパティ寺院、さらには寺院からけっこう先まで、のどかな田園風景が広がっていたものだが、今は市内からずっと途切れず市街地が続いている。

    今のカトマンズは、まだスカイスクレーパーが林立するような風景ではないが、もはや「メガシティ」であることは間違いない。

    こちらは、空港正面にあるエアポートホテル「Summit Residency Airport Hotel」最上階の展望レストラン。宿泊したわけではないのだが、フロアーがゆっくり回転していることに気がついた。

    360°ガラス張りの展望レストラン。ついさきほどまで、眼下の眺めは市街地のはずだったのに、いつの間にか空港ビルになっている。まだ飲んでないのに酔っているのかと思った。

    街並みを見下ろしていると思ったら・・・。
    いつの間にか空港ターミナル前の景色になっていた。
    床板がゆっくりと回転している。
    建物正面は空港敷地入口
    周囲の建物は大きくなく、丘陵地から市内を見下ろす形になっているため、この程度の高さでも眺望は抜群となる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ空港前の商業地

    空港正面の商業地。このエリアは宿や両替やらの客引きの男たちが多いことは特徴的だ。歩いているだけで、入れ替わり立ち代わり、いろんな人たちが寄ってくる。耳元で「May I help you ?」とささやいてくる、ちょっとスレて厚かましい感じの30代くらいの女性もいるが、これは風俗関係者だろう。

    雑貨屋に入ると、誰もいない。声をかけてしばらくすると、髪の毛を慌ててまとめながら、店番の若い女性がノーブラのワンピース姿で「大きなお尻みたい」に豊満なバスト揺らせて出てきた。どうやら下着は付けていないようで、思わず「おおっ、これはっ!」と息を呑み、二度見してしまう。店のたたずまいからすると、カタギの人の若奥さんであるはずだが、慎ましいネパールにおいて、こうした煽情的な装いをしているのは普通ではないが、界隈の猥雑なムードからすると、あり得ないことではないようだ。

    カトマンズとは比較にならないほど忙しいデリー空港近くもそんな感じのようだ。生活圏や仕事で出入りするエリアから離れた匿名性のようなものがあるのが、この地域の特徴かもしれない。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • オンかオフかの二者択一

    オンかオフかの二者択一

    部屋のエアコンの効きが素晴らしいのはたいへん良いのだが、しばらくすると凄まじく寒くなってきてオフにする。
    するとだんだんちょうど良くなってきて眠りに落ちるが、やがて室温が上がってきて今度は暑くてエアコンのスイッチをオンにする。
    エアコン機器が壁に貼りついているものではなく、天井裏にビルトイン方式。温度調節無しで、壁の電源スイッチをオンにするか、オフにするかの二者択一とは、潔すぎるものがある。

    オンかオフかの二者択一

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ブータン行きのバス

    ブータン行きのバス

    ブータン行きのバス。車両はインドのアショーク・レイランド社製造

    地下鉄エスプラネード駅で下車。エスプラネード・バススタンドのベンガル北部方面行きブロックで、ブータン行きのバスを見かけた。

    午後7時出発で、ティンプー到着は翌日午後4時とのことだ。車内にいたのは、ブータンに本社があるバス会社のインド現地スタッフ。インド人はよく平気で外国人に収入を尋ねるが、ブータンの会社からインド人社員にいくらくらい出ているのか興味があり、「いくらもらっとるん?」と聞きたくなったが、私にはそういう質問はやっぱりできない。

    さて、このブータン行きのバスだが、乗車賃は、オーディナリー705Rs、デラックス1,070Rで、月曜日〜土曜日まで毎日1便ずつ出ているそうだ。

    ブータンのバス会社のインド現地スタッフ

    ブータン入国に際してヴィザが不要で、パッケージツアーに入るすら不要なインド人たちにとって、ネパール同様に安価で国内旅行気分のお気楽な旅行先だ。

    欲しいのはインド旅券・・・。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • スワンナプーム空港到着

    出発3時間以上前なので、少し早いかとは思ったが、すでにコールカーター行きインディゴのチェックインカウンター前には行列が出来ていた。チェックイン完了してからコンビニで食事を買ってベンチで食べる。

    ターミナル内のレストランで食べると空港で食べると、1品250~300バーツくらいの値段が付いているため、サービス料だか税だか加えて1,000円くらいになる。タイの一皿は小さいので、2品頼むと2,000円くらいになってしまう。
    「さあ、旨いものを食うぞ」とグルメな名店に繰り出すならともかく、空港での食事などに余計な出費をしたくはないものだ。コンビニで肉まんと弁当合わせて71バーツ。こんなもので充分だ。

    ターミナルビルの1Fにはこのような食堂があるようだ。
    スワンナプーム国際空港の社員食堂「マジック・フード・ポイント」 (travel.co.jp)

    しかしながら空港到着、チェックインカウンター、イミグレ、搭乗口へと進む動線上にないと、面倒で利用する気にはなれない。

  • スワンナプーム空港近くの宿

    スワンナプーム空港近くの宿

    翌日のフライトが早朝のため、チェックインは夜明けよりもかなり前となる。
    そのためスワンナプーム空港近くのラートクラバーン地区にあり、ターミナルビル入口までのトランスファーが付いている宿に宿泊することにした。
    このエリアにあるホテルは、どこも宿の造りや部屋の造作もとてもよく似ている。これまでいくつも異なる宿を利用したが、あまり区別が付かない。
    2006年9月に開港してから、雨後のタケノコのように次々にこうした宿がオープンしたのだが、デベロッパーたちが、地権者たちに「儲かりまっせ」と売り込みをかけた結果、どれも同じようなものとなった、というような背景もあるのだろう。
    カオサンやスクムヴィットのような「ホテル密集地域」といった具合ではなく、広大なエリアに、そうした施設がポツポツと点在している。昔であれば、それこそ有名なガイドブックにでも掲載されなければ、旅行者たちに知られることもなく、たちまち経営難に陥ったはずだ。
    ちょうど旅行予約サイト隆盛の時代を迎えてからであったので、売り込む側にはそうしたセールストークもあっただろうし、地権者側としても納得のいくものであったのかもしれない。
    実際のところ、あまり大繁盛というような状況ではないどころか、混雑している様子を目にしたことがない。市内の宿と異なり、あくまでも早朝・深夜の乗り継ぎ用宿であるがゆえに、連泊する人はほとんどいないため、経営は厳しいものと思われる。
    昔からあるドンムアン空港界隈では、ネット出現以前から大小の宿泊施設がターミナルビルからの徒歩圏に集中しているのとは対照的で、スワンナプーム空港の場合は宿泊費が大変高額なNovotel Bangkok Svarnabhumi Airportか、ターミナル内にあるカプセルホテル(これまたカプセルホテルとしてはずいぶん高い)以外は、空港からクルマで移動する距離にある。ラートクラバーン地区にある飛行機乗り継ぎ用のいわゆる「トランジット・ホテル」の多くは「空港からの無料送迎付き」であることからも、スワンナプーム空港近くの宿が過当競争にあることが窺える。

  • T.T. GUEST HOUSE

    T.T. GUEST HOUSE

    ホアランポーン駅

    Charu Mueang Roadから右手の路地に入ったところ。
    路地に入るところには「24時間営業の屋台」があった。
    T. T. Guest House跡地。高架下の駐車スペースになっている。

    かつて人気のあったバンコクのT.T.ゲストハウス。ホアランポーン駅まで来たので、なつかしの場所がどうなっているか見てみることにした。道路建設による立ち退きで移転してからも、けっこう繁盛しているようだが、そちらを利用したことはない。
    ホアランポーン駅近くにあったので便利であったことはもちろんだが、1Fのレセプションがあるフロアーには、いつでも好きなだけ座っておしゃべりをしたり読書をしたりできる広くて清潔なスペースがあり、宿泊者同士の交流が大いに楽しめた。所望すれば飲物や食事を注文することも出来たのだが、何か注文しなくては、そこに居ることはできないというわけではなかった。あくまでも「ロビー」という扱いだった。
    多くの宿泊客が利用するのは低廉な料金のドミトリーだったが、ベッドを無理やり押し込んだような具合ではなくスペースにも恵まれていた。共用のトイレ/シャワーについても、数はふんだんに取ってあり、繁忙期でも順番を待つようなこともなかった。もちろん個室も用意されており、予算に応じてチョイスが可能であった。しかも隅々までピカピカに清掃されていたので、文句の付けようもない。
    規模の大きなYMCAやユースホステルのようなスケールと健全さだったのだが、家族経営のためフレンドリーでアットホームな雰囲気。
    すぐ近くにあるチャイナタウンの楽宮旅社、ジュライ・ホテルとは予算面では重なるが、タイプの異なる旅行者が集っていた。(チャイナタウン派でも楽宮とジュライでは利用客が違っていた。)
    古い記憶をたどって・・・というほどではなく、ホアランポーン駅からごく近く、ラーマ4世通りを東側に進んですぐの交差点でCharu Mueang Roadへ右折し、右手路地の中にあった。路地に入る手前には、24時間営業の屋台があった。おそらく夫婦で交代して切り盛りしているのだが、どちらも疲れて倒れそうな顔をして調理しているのが気の毒だったので記憶に残っている。
    ホアランポーンの駅前エリアについては、かつては田舎から出てきた女性たちが地面にゴザを敷いて、思い切り身体に悪そうな着色した酒を飲ませていたが、もうそんな雰囲気はない。
    小洒落たブティックホテル、洒落たカフェなども駅前に見られるが、駅前からラマ4世通りを少し東に進むとYoutubeで「1970年代のバンコク」で検索すると出てくる動画で見られるような崩れかけたような汚い食堂も実はまだポツポツと健在。そんなところで汁そばをすすったら、往時を思い切り偲ぶことができるだろう。

  • タピオカドリンクの店

    タピオカドリンクの店



    21世紀バンコクのチャイナタウン、ヤワラーには小洒落たカフェがけっこうある。
    このような店があると、もはやヤワラーとは思えない。 元々はタイのデザートとして定番だったタピオカだが、台湾経由で大粒になりミルクティーその他でアレンジしたものが世界中で大ヒットして、タイにも「里帰り」している。

    タピオカドリンクの店

    洒落た洋菓子店も多い。

    華やかになったが、裏手路地はこういう具合なので、昔から変わらない部分も多い。上階は住宅で下階は店舗になっている。
    路地裏には今もこういう眺めがある。

    今どきのチャイナタウンで良いのは、信号機が増えたことだ。昔はそんなものほとんどなかったし、クルマはやたらと飛ばすので、道を渡るのにひと苦労だった。
    信号機が増えたことは喜ばしい。

    中華街にはいくつかの門が出来ている。こちらはヤワラーのホアランポーン駅に近い側。観光地としての価値を意識してのものだろう。
    中華街の門

  • 旧ジュライホテル

    旧ジュライホテル

    旧ジュライホテルの建物はまだあった。何か他の用途に転用されているわけではなく、閉鎖された建物は取り壊されたわけではなく、まだそこに存在している。
    界隈は寂れたものの、いかがわしさは今なお健在で、午後の早い時間帯なのに通りには、胸の谷間を強調したセクシーな身なりで、眉間や目尻にシワが刻まれたお姉さんというか、おばちゃん娼婦たちがチラホラいて、謎の微笑みで誘ってくる。
    もしかしたらジュライホテルがあったころから、このあたりにたむろしてきた亡霊のような人たちかもしれない。
    そんなエリアだけに、周囲には安連れ込み宿と思しき旅社は少なくない。
    都心で地価も高いエリアかと思われるのだが、ここに何か新しく建設されるでもなく、廃業したジュライホテルの建物がそのまま残っているというのは不思議でもある。

    旧ジュライホテル遠景

    界隈には安連れ込み宿らしき旅社は少なくない。
  • 観光地としてのチャイナタウン

    観光地としてのチャイナタウン








    バンコクのチャイナタウンは賑やかながらもぶっきらぼうなイメージがあったのだが、今はずいぶん様変わりしているようだ。日本の横浜のチャイナタウンのように、その存在自体が観光地的な性格ではなく、中国系市民の生業と生活の場であったこと、そして華人の結社同士の抗争があったり、いかがわしい仕事をしている者も少なくなかったりしたことから、あまり柄が良くないイメージがあったことも否定できない。
    そして2019年の現在、総じて品が良くなったというわけではないのだが、チャイナタウンを西洋人の家族連れが闊歩していたり、中国大陸や台湾からやってきた中国語を話す老若男女が歩き回っていたりする。

    いかにも外国人向けの小物

    キレイなカフェ

    持ち帰りの洋菓子屋

    メニューはタイ・英・中で併記

    中華菓子屋もタイ・英併記

    タイ人には説明不要のローカルスイーツは英・中のみで併記

    美味しそうなローストダック

    フレッシュジュース屋

    けっこう英語が出来る店員を配置する店も増えている。

    外国人を意識した土産物屋、小洒落たカフェが沢山見られるようになった。当然のことながら商品や価格の表示はタイ語に加えて英語と中国語でも書かれているケースが増えた。中華街なので中国語による表記が多いのは当たり前ではないかと思われる方もあるかもしれないが、90年代前半くらいまでのチャイナタウンでは、店の屋号くらいしか漢字での表記はなかったのだ。中華料理の店でも、メニューは通常タイ語でしか書かれていなかったのだ。
    世界中で大ヒットしているタピオカドリンクの店には各国からやってきた観光客たちが群がっている。元々、タイのデザートだったが、台湾で茶色の大粒にしてアイスミルクティーなどの中に入れて提供するようになってから人気に火が付いたようだ。
    タピオカドリンクの店

    こちらは中華街の門。ヤワラーのホアランポーン駅側にある。観光地としての価値を大いに意識してのものだ。元々はなかったものなのだが。

    観光客が増えたからというわけではないかとは思うが、信号機が増えたのも良い。昔はそんなものはほとんどなかったし、クルマはやたらと飛ばしているので、道路を渡るのにひと苦労であったのだから。