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カテゴリー: economy

  • JETROのインド

    世界各地域の経済・ビジネスに関する情報収集を行っているJETRO(日本貿易振興機構)のウェブサイトで、海外の経済関連情報が提供されている。

    もちろんインド関係のものもいろいろ公開されているが、調査レポートとしてアップされているPDFファイルは目下93本。インドの医療機器市場と規制インドにおける日本産農林水産物・食品のモニタリング調査インドにおける化粧品の輸入制度等々、それぞれの分野を概観するのにちょうど良い、数十ページから百数十ページくらいの文書が提供されている。また、動画レポートとして、小売業の外資規制を一部緩和インド農村にあるビジネスチャンスといった報告もある。

    これらの情報は無料で提供されている。多少なりともご関心のある方はぜひご一読をお勧めしたい。

     

     

  • 「半インド製」三輪EV日本国内で組立・販売へ

    今年10月から、日本エレクトライクがインドから輸入したバジャージ・オートの三輪車両をベースにした三輪EVを、日本国内で組立・販売するとのこと。

    日本エレクトライク、 3輪EV 「エレクトライク」 投入-インド社製を改造(日刊工業新聞)

    エンジンを外してバッテリーモーターと交換した電動車両で、デリバリー用としての需要を見込んでいるとのこと。日本の狭い道路にはちょうどいいサイズかもしれない。

    機会があれば試乗してみたいものだ。

  • Jetstar日本国内線就航

    Jetstar日本国内線就航

    今年7月3日からオーストラリアを本拠地とするJetstarが就航する。

    現在、日本を代表する格安航空会社といえば、今年3月に就航したPeach Aviation。我が国初の本格的なLCCという売り込みで注目されており、関空から札幌、福岡、長崎、鹿児島へ乗り入れている。今後、5月から関空・仁川線を飛ばすことにより国際線にデビューし、その後7月に香港、9月に台北へと路線を伸ばすことを予定している。

    ここにきて、日本の国内線に外資系のJetstarが参入することにより、今後着実に日本国内の空のネットワークに大きな異変が生じることになりそうだ。今世紀に入ってから、アジア各国で急速にLCC各社が台頭している中、日本国内では相変わらず既存の航空会社による支配が続いていたものの、5年後、10年後にはずいぶん異なる様相となっていることだろう。

    今までのところ、Jetstarは南アジア方面には就航していないため、Air Asiaのように、バンコク、クアラルンプル、シンガポール等で乗り継いでインドに向かうのには使えないが、今後ネットワークの拡大に期待したい。

    Jetstarが打ち出している日本国内線の単一路線についての最低価格保証はともかく、国際線を乗り継ぐ場合は、LCCを利用しても、行先、予約時期や方法によっては、必ずしも既存の航空会社より安くなるとは限らなものの、移動の選択肢が増えること自体ありがたく思う。

  • BB AIRWAYS

    ある方がフェイスブックに書かれていたことによって知ったのだが、在日ネパールの方でこんな試みに取り組んでいる人物があるとのこと。

    「日本とネパールを結ぶ直行便を実現します」 BB AIRWAYS

    BB AIRWAYSとは聞き慣れない名前だが、上記ウェブサイトによると、「2012年の運航に向けて準備中」であるとのこと。ネパールの首都カトマンズのトリブヴァン空港と結ぶ予定とされるのは、なんと茨城空港。9月の運航開始を目指しているのだという。

    しかしこれまで名前さえ聞いたことのない会社なのでまったく見当もつかなかったのだが、ネパールのウェブサイトにはいくつか関連の記事が出ていることに気が付いた。

    BB Airways gets ministry’s green signal (The Himalayan)

    NEW AIRLINE: BB Airways Gears up for September Launch (Routes Online)

    BB Airways acquires int’l operation licence (THE KATHMANDU POST)

    BB Airways (ch-aviation)

    日本在住のNRN(Non Resident Napalese)による航空会社だが、本拠地は母国ネパールとなるようで、就航先はデリー、バンコク、クアラルンプル、香港、東京(成田空港同様、茨城空港も便宜上「東京」?)、カタール、シンガポールとなっている。すでにネパール当局のライセンスは得ているとも書かれている。

    これらの記事は、今年1月から2月時点のものであり、その後の進捗はよくわからないが、茨城空港への乗り入れはともかく、ネパールを本拠地とする新しい航空会社がスタートしていることは間違いないのだろう。

    それにしても、この航空会社をスタートさせるというネパールから来たビジネスマン、ウェブサイトにあるように、最初は留学生として来日、その後日本で起業したということだが、BB AIRWAYSのリンク先を覗いてみると、いろいろ手広くやっているようだ。そこに来て今度は航空会社の設立と、ずいぶんやり手の人物のようだ。近々、日本の経済誌等でよく見かけるようになるだろうか。

    どうなるのかまだよくわからないが、茨城・カトマンズ直行便就航計画の進捗を伝えるニュース等があれば、今後フォローしていくことにしたい。

  • ミャンマーのE visa

    近ごろ何かとニュースで取り上げられることが多くなったミャンマー。『上からの民主化』の進展により、経済制裁の緩和が近いことが予想されるため、経済面からの注目を浴びるようになっているからであることは言うまでもない。

    国際社会からの孤立が長く続いてきたことによる経済や各方面インフラの立ち遅れの中で、今まさにどん底にあるにもかかわらず、初等・中等教育は広く普及しているため、識字率は約90%と意外なまでに高い。加えて一大農業国であるとともに、地下資源大国としても広く知られている。石油・天然ガスなどに加えて、鉄、錫、銅その他の鉱物資源にも恵まれている。

    それらと合わせて、人口6千万を抱える大国であり、先述のとおり一定水準の教育が行き届いた人材豊富な国家でもあることから、多くの国々にとって将来有望なマーケットであるとともに、製品加工基地としての役割も期待されることになる。

    大きな潜在力を抱えつつも、政治的理由によって、これまで極めて低い水準にあっただけに、経済制裁が緩和ないしは解かれることになれば、今後急激な成長が見込まれるだけでなく、その伸びシロは限りなく大きい。

    従前から、そうした将来性を見込んで同国に投資している企業や個人等はあったものの、長く続いてきた軍事政権による圧政と、これに対する先進諸国等による経済制裁下での先の見えない停滞が続く中、一部のASEAN諸国やインドによる投資や交易、加えて海外進出意欲旺盛な韓国の企業や個人による進出を除けば、同国での外資といえば、ほぼ中国による寡占状態にあった。

    たとえ旅行者として同国を訪れても、アメリカやEUによる経済制裁の影響はごく身近に感じられるものである。古色蒼然とした街並みや市内を走るあまりに旧式の自動車の姿はもとより、ヤンゴン市内の一部の高級ホテル(自前のルートによりシンガポールなど海外で決済)を除いて、トラベラーズチェックもクレジットカードも使用できず、基本的に米ドル現金を持ち込んで使うしかないという状態は、初めて訪れる人の目には、あまりに奇異に映ることだろう。経済制裁により、海外との金融ネットワークから遮断されているがゆえのことである。また同国自身の厳格な外貨管理により、基本的に『普通に店を構えた両替商』は存在しなかった。そのため主に宝石、貴金属類、みやげもの等を扱う店を回り、交渉のうえでミャンマー通貨に両替するのが普通であった。

    そうした状況も近々変わっていくようだ。ヤンゴンの国際空港等にちゃんとした市中レートで両替カウンターが出来ていると聞く。おそらく市内の繁華街や国内のメジャーなスポット等に、今後『ちゃんと店を構えた両替屋』が続々出てくることだろう。

    それにミャンマー国内から正規のルートによる海外送金サービスが開始されるという話も耳にする。商取引はもとより、同国から海外留学を希望している若者たちにはとっては朗報だ。たとえば日本に留学しようとする場合、現在までのところミャンマーから日本へ正式な送金ルートが不在であったため、ミャンマー国外つまり日本ないしは第三国に留学経費を支弁することが可能な立場(経済的に裕福な近親者)がなければ、たとえ若者自身の親がミャンマーでそれなりに高い経済力を持っていても門前払いであったからだ。

    インドでは、経済政策の大きな転換により、1990年代から2000年代にかけて、とりわけ都市部が大きく様変わりし、その動きは衰えることなく続いているが、自国内での規制その他のみならず、経済制裁という大きな足枷をはめられてきたミャンマーにおいてはおそらくそれ以上の速度で多くの物事が変化していくことだろう。もちろん人口がインドの足元にも及ばない程度のものであり、人口密度もあまり高くない。『スピード感』ではこちらのほうが勝ることになると思われる。またASEANというひとつの大きな経済圏の枠組みの中にあることも有利に働くことだろう。あくまでも経済制裁の大幅な緩和あっての話ではあるが。

    前置きが長くなったが、ミャンマーで観光客向けにE visaというシステムが月内にも導入されるという。事前にインターネット上で所定の手続きとクレジットカードによる査証代金の支払いを行ない、それと引き換えに数日以内にメールで送られてくるレターをプリントアウトして、入国時にパスポートとともにイミグレーションに提示し、その場でヴィザを発行してもらうというシステムだ。

    MYANMAR E Visa “How To Apply” (myanmarevisa.gov.mm)

    本日4月10日現在、まだ運用は開始されていないようだが、申請手続きはこちらの画面で行なうことになるらしい。証明写真のデータをアップロードするかカメラ付きのPCあるいはウェブカメラにてその場で撮影することもできるのだろう。

    現在、東南アジアの中で私たちが観光による査証取得必要なラオス、カンボジア等で国境到着時に簡単なフォームを記入して現金で代金を支払えば即座にヴィザが発行されるような具合になると良いのだが、まだまだ『敵が多い』国であるだけに、このあたりが最大限の譲歩なのだろう。それでもこうした動きは大いに歓迎したい。

    今後10年、15年の間に、ずいぶん旅行しやすい国になっていくことだろう。道路その他交通網の整備に多額の投資がなされるはずだし、観光という分野も主要な産業の柱のひとつとして位置づけられることは間違いないので、宿泊施設その他の面でも大きく改善されていくことと思われる。

    そうした中で、まだわずかに残っている、かつて『英領インド』の一部であったことの面影や残り香も急速に失われていくことも必至だ。人々の暮らしが向上し、今よりも自由に物を言える社会になること、民意が反映される国になっていくことについて、諸手を挙げて応援したいことは言うまでもないが、他のどこにもないこの国であるからこその味わいに関心がある向きには、まさに今が旬なのかもしれない。

    もうひとつ期待したいことがある。各地で民族運動が盛んであることから、まだまだ外国人が入域できなかったり、自由に立ち入ることができなかったりする地域が多いミャンマーだが、このところ各反政府勢力との和解が進んできているため、陸路で入国して他の地点から陸路にて出国という旅行も、やがて容易にできるようになってくるのではないだろうか。

    とりわけインドとの間については、インドのナガランド州のMorehからミャンマーのチン州のTamuのルートが外国人に対して開放されるようになるとありがたい。現在、インドのナガランドは私たち外国人がパーミット無しで入域できるようになっているが、ミャンマー側はそうではないようだ。

    南アジアと東南アジアの境目の地域が広く自由に旅行できるようになれば、いろいろ新たな発見があることと思われる。また、これまで隅に置かれてきたエリアの文化・伝統の価値やこれまで影で果たしてきた歴史的な役割が人々に再認識されることにもなるのではないかと思っている。

  • サッカーボール Made in Pakistan

    サッカーボール Made in Pakistan

    ADIDAS、DIADORA、PUMA、NIKE等々、ブランドを問わず、サッカーボールに表示されている生産地は、パーキスターンとなっていることが多い。世界に出回っているこれらのボールのおよそ8割は同国で製造されているという。もちろんサッカー以外の種目においても、とりわけ縫いボールの場合はたいていそんな具合らしい。

    だがパーキスターン各地で広くこれらが生産されているわけではなく、パンジャーブ州のスィヤールコートに集中しているのは興味深い。縫いボールの工程が機械化されているところもあるらしいが、やはり主流は手縫いであるため、極めて労働集約的であることから、低賃金で作業する労働力が豊富にあるところということになる。するとパーキスターン全土はもとより、南アジア地域で普遍的にこの産業が盛んであってもいいように気がするのだが、そうではなく、一極集中しているのには何か理由があるに違いない。

    パーキスターン以外にも、サッカーボールを大量に生産している国は他にもいろいろある。中国製のボール、南米で作られたボールもあるし、価格帯は非常に高かったがかつては日本製も公式試合球(市場はほぼ日本国内に限られていたようだが)として販売されていた。

    パーキスターンでサッカーボールの生産が飛び抜けて多いことについて、歴史的な経緯という観点からは、サッカーの母国であるイギリスの海外領であり、家畜の屠殺が盛んであったということがある。ボールの外皮として使われる牛皮はもちろんのこと、現在使われているゴムチューブが普及する前までは、牛の膀胱が使用されていたため、ボール製造の材料の有力な供給地であった。

    牛皮といえば、今では本革のサッカーボールはほとんど見かけなくなった。かつてはサッカーボールといえば、当然のごとく革製品であった。皮革という性質上、同じメーカーの同一品番の製品であっても、かなりバラつきがあった。同じように使用していても、かなり寿命が異なった。動物の皮である以上、部位により厚みや硬軟にどうしても差異が出てくるため、ボールに空気が充満して表面が緊張した状態で放置すると、ゆがみが生じてくる。そのため、練習や試合で使う際にポンプで空気を入れて、使い終わったら空気を抜いて保存するというのが常識であった。これを怠ると、とりわけ安価なボールの場合、楕円形になってしまったり、縫い目が広がってチューブが外にはみ出してきたりすることがよくあった。

    主流であった本革から人工皮革へと素材が切り替わる大きな転換期は、1986年メキシコで開催されたワールドカップであった。サッカー選手としてピークにあったマラドーナが大活躍して母国アルゼンチンを優勝に導いた「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」として広く記憶されている大会だ。彼の「神の手」によるゴール、伝説の5人抜きなど、後々に語り継がれるプレーを連発した大会だった。この大会で公式球として採用されたのは、ADIDAS社のAZTECAというモデル。ワールドカップ初の人工皮革製のボールだった。

    人工皮革のボールが普及し始めた当初、高級品を除けばまだまだ本革製品と質感が異なり、あまり積極的に手を出す気にはならなかったものの、クオリティの向上には目覚ましいものがあり、耐久性の面はもちろんのこと、サッカーの全天候型競技という性格からも、雨天でも水を吸収して重くなって反発性が失われるという本革特有の欠点とは無縁で、濡れた後の手入れの面倒もなく、素材の普及とともに高級品が低価格化していくという非常に喜ばしい展開が進んでいく。その結果、本革製品を市場からほぼ駆逐することになった。

    サッカーボールの人工皮革化は、テニスコートほどの広さのコート(体育館あるいは人工芝)で行う5人制の競技、フットサルの普及にもつながっている。もともと「サロンフットボール」ないしは「インドアサッカー」として知られていたものだ。これのラテン式名称の略語フットサルが定着した結果、競技の正式名称として採用されるようになった。このスポーツで使用されるボールのサイズは、成人のサッカーで使用される五号球であるのに対して、四号球とひと回り小さいだけでなく、外皮には低反発素材を含む人工皮革が使用されており、狭い場所での競技に適した反発性に仕上げてある。人工皮革素材の発展と普及なくして、この競技が現在のように広まることはなかっただろう。

    話はスィヤールコートのボール生産に戻る。3月24日(土)と25日(日)に東京渋谷区の代々木公園で開催された「パキスタン・バザール」に、日本の外務省招聘により、スィヤールコートの工場関係者たちが出展していた。ブースには工場の経営者とともに工員2名が詰めており、サッカーボールの手縫い作業を実演していた。初めて外国を訪れたという工員たちとも少し話をしたのだが、作業はなかなか時間がかかるもののようで、一個縫い上げるのに2時間くらいかかるとのこと。そのため1人が丸1日かけても、せいぜい4個か5個程度しか作ることができないらしい。世界の生産量の8割を担うというスィヤールコートで、どのくらいの人々がこうした作業に従事しているのか、ちょっと想像できない。

    一針一針丁寧に縫い上げていく慣れた手さばきはお見事!

    スィヤールコートという街自体は、人々の平均年収が1,370米ドルと高く、パーキスターン全土の平均値の倍ほどの収入を上げていることから、地域経済におけるボール生産業の貢献度は非常に高いものと思われる。

    とはいえ、こうした製品はMade in Pakistanとして消費者からの需要があるわけではなく、あくまでも生産委託元の外国ブランドの名前で輸出されるがゆえのことであり、内外の市場で通用する地場ブランドが存在していないことについては憂慮すべきものがある。同様に、スィヤールコートなくしてサッカーという世界的な競技が成り立たなくなっている現状にもかかわらず、相も変わらずパーキスターンはサッカー不毛の地であることについても、なんだかお寒い限り・・・としか言いようがない。

  • Grameen UNIQLO

    近年、新たな『世界の工場』として注目されてきているインドの隣国、バーングラーデーシュにて、UNIQLOを展開するファーストリテイリングが興味深い取り組みを行なっている。

    GRAMEEN BankグループのGrameen Healthcare Trustとの間に合弁会社を2011年8月に設立し、Grameen UNIQLOブランドでのソーシャルビジネスの展開だ。

    About the Social Business of Grameen UNIQLO (Grameen UNIQLO)

    同国への進出は、UNIQLO製品の生産地として依存度が非常に高い中国における高騰する人件費と頻発する労働問題に対するリスクヘッジという面が否定されるものではない。

    だが、上記リンク先を読んでみると、どうやら日本その他先進国等向けに販売する衣類の生産基地としての進出だけではなく、ソーシャルビジネスという位置付けにより、現地に根付いて、地元の人たち向けの製品を展開していることがわかる。また委託販売請負者となる『グラミンレディ』や『グラミンメンによる対面販売という点からも、また地場市場向けに、バーングラーデーシュ現地の素材を用いて、現地の縫製工場で仕上げた衣類は、これまで日本その他のUNIQLO店舗で販売されているものとは異なり、他国での展開の様子とはずいぶん違った形態での展開だ。

    男性の襟付きシャツ類、女性にはサーリーやその下に着るペチコート、加えてサニタリー用品まである。ウェブサイト(ベンガル語)には掲載されていないが、子供用のカラフルなプリントTシャツ類もある。

    取り組みが始まってからまだ日が浅く、紆余曲折もあるのではないかとも思うが、今後の展開にぜひ注目していきたい。

  • ハジョーとスアルクシー

    ハジョーとスアルクシー

    ポビットラ国立公園を後にして、ハジョーとスアルクシーに向かう。国立公園から見て、グワーハーティーを挟んだ反対側にこれらの地域があるため、一旦ゴミゴミした都会に戻ってから向かうことになる。

    市内を抜けて、ブラフマプトラ河にかかる大きな橋を渡り、グワーハーティー北部、つまりブラフマプトラ河の北側の市街地を通り、ハジョーに向かう。途中、片側二車線の見事な道路がある。高速道路並みにスピード上げたクルマがグングン流れていく。

    グワーハーティー出てから1時間くらいでハジョーに着く。ここにはヒンドゥーと仏教徒の巡礼が崇める五つの古い寺がある。その中で最も代表的なものはハイグリヴ・マーダヴ 寺だ。本堂への階段の下方にあるタラーブとその向こうの緑豊かな景色が美しい。扉を閉め切ったお堂からは、ドンドンドンと鳴り物の音が響いてくる。建物の造りとしては、さほど魅力を感じないが、本尊は6,000年もの歴史がある(?)ということになっているらしい。

    小高い丘の上にあるハイグリヴ・マーダヴ 寺から周囲を見渡す。
    建物自体はあまり興味を抱かせるものではなかった。
     
    スヤスヤと眠る仔犬3兄弟。ナガランドではなくて良かった・・・と思う。

    続いてスアルクシーに向かう。ここはムガーシルクと呼ばれる野蚕の織物生産で有名な町。どこに織物作業場があるのかと、通りかかった壮年男性に尋ねてみると「どこの家にもある」との返事。その男性、シャルマー氏は、自らの家の中に招き入れてくれた。彼は8人の職人を雇い織物を作らせているとのこと。機織機には、木で作られた沢山の穴が開いたプレートが上のほうに付いている。これはデザインのパターンのプログラムだ。こうした機織りの作業場はどこも同じように見える。基本的には彼と同じように小規模な家内工業として生産しているのが普通のようだが、大きなところでは100人ほど使って生産しているところもあるとのことだ。

    シャルマー氏自宅敷地内の機織り機

    シャルマー氏の家の作業場では、すでに職人たちは仕事を終えて帰宅しており、作業そのものを見ることはできなかった。すでに午後遅い時間帯に入ろうとしているため、近所にも作業をしているところはないようだ。ここでは午後3時くらいには、その日の仕事は終わり、みんな家路に着くのだともいう。朝は何時から働いているのか知らないが、まだ日が高いうちに家族との時間が充分持てることについては、ちょっと羨ましい気がする。

    『定時は午後3時』のスアルクシーの町

    ちょうどこの日の新聞記事に出ていたが、アッサムのムガーシルクの生産を機械化する試験プロジェクトが開始されたとのことだ。今のところ、昔ながらの手作業の機織機でギッコンバッタンと作業しているのだが、これを機械化するとどういうことになるのか。生産性の向上、そこからくる収入の向上は図られることはずだが、これまで育まれてきた匠の技は失われてしまうだろう。また現在生産に関わっている職工たちが、そのまま機械化された職場に雇用してもらえるのかどうかも疑問だ。利するのは生産手段を持つ立場にあり、かつ機械化に伴う投資をするだけの財力を持つ者だけということになりそうだ。

    そうは言っても、生産技術は時代とともに進化しなくてはならないということも事実。現在、職工たちが日々行なっている作業にしても、ある時代までは物凄い先端技術であったはずだ。今も使用されている機織機が広まる前の時代には、もっと古いやり方で布を織っていたはずなのである。伝統の維持と近代化はしばしば相反するものがある。

    小さな町なのに、ムガーシルクを販売する店舗は、大きなものから小さなものまでいろいろあり、この産業によって町の経済が成り立っていることが感じられる。どれも小売りと卸を兼ねているようだ。

    この町の『定時』らしい午後3時を回っているため多くは店を閉じていた。せっかくムガーシルクの産地として有名な町に来たので、記念にハンカチでも買おうとわずかに開いているいくつかの店で探してみるが、どこにもなかった。どこもアッサムで消費するサーリーその他のための品揃えをしてあり、私のような外国人が欲しがるようなものはないということに好感を覚える。今後、機械化される方向にあるとしても、観光客におもねる変な商品を手がけることなく、今後とも質実剛健な商いを続けて欲しいと思う。

  • ムンバイーでモノレール試験走行

    本日から、ムンバイーで建設中のモノレールの試験走行が実施されている。営業運転が開始されるまで、あと8~9か月ほどかかる見込みであるとのことだ。

    Mumbai: Monorail trial begins today (India Today)

    同じく、ムンバイーではメトロも計画されており、近い将来市内交通の利便性が格段に向上することが見込まれる。 またメトロのネットワークが広がったデリーでもモノレール建設計画がある。

    Monorail in Delhi by 2017 (India Today)

    継続的に高い経済成長を続けているインドだけに、長らく不況にあえぐ日本の現状を思うと、明るい話題に事欠かない躍進ぶりは非常にまぶしく見える。現状では都市交通のインフラのレベルが高くないだけに、今後の伸びしろが大きいということもあり、社会層間や地域間の大きな隔たりはあっても、総体的には着実に向上していることは間違いない。

    経済成長やそれに伴う社会や環境の変化には、同時にネガティヴな面も同居していることは否定しないが、それでも『よりより明日』を期待できることは羨ましくもある。とりわけ人口構成が若年層に厚く、高齢化問題とも当分縁がないことも、その成長を着実に後押ししているといえる。

    ムンバイーのモノレールが開業したら、すぐにでも乗り込んで『世界で一番元気な国のひとつ』の勢いを体感してみたい。

    ※ナガランド5は後日掲載します。

  • チェルノブイリは今

    チェルノブイリは今

    今年の9月に、チェルノブイリの現状を写真と文章で綴った本が出ている。

    ゴーストタウン チェルノブイリを走る

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    ゴーストタウン チェルノブイリを走る

    http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0608-n/

    集英社新書ノンフィクション

    ISBN-10: 4087206084

    エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ 著

    池田紫 訳

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    1986年に起きた原発事故から四半世紀が経過したチェルノブイリにガイガーカウンターを持ち込んで、バイクで駆ける写真家エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワがチェルノブイリの現状を伝えるウェブサイトを日本語訳した書籍だ。

    汚染地域に今も残る街や村。すでに暮らす人もなく朽ち果てていく建造物。家屋の中にはそこに暮らした家族の写真、子供たちの玩具が散乱しており、役場等にはソヴィエト時代のプロパガンダの跡が残っている。

    ソヴィエト時代、原発事故が発生する前のチェルノブイリは、中央から離れた周辺地であったが、それでも整然とした街並みや広い道路、広大な団地、病院その他公共施設、遊園地、映画館といった娯楽施設等々の写真からは、社会主義時代に築かれたそれなりに豊かであった暮らしぶりがうかがえる。

    人々の営みが消えてから久しい現地では、それとも裏腹に豊かな自然が蘇り、もう人間を恐れる必要がなくなった動物たちが闊歩している様子も記録されている。

    一見、のどかにも見える風景の中で、著者はそうした街や集落など各地で放射線量を図り、今なおその地が人間が暮らすことのできない危険極まりない汚染地であることを冷静に示している。

    これらの写真や文章は、著者自身のウェブサイトで閲覧することができる。

    elenafilatova.com

    チェルノブイリに関して、上記の書籍で取り上げられていないコンテンツとともに、スターリン時代の強制収容所跡、第二次大戦期の戦跡等に関する写真や記述等も含まれている。

    私たちにとって、チェルノブイリ原発事故といえば、今からずいぶん遠い過去に、遠く離れた土地で起きた惨事として記憶していた。事故後しばらくは、放射能が飛散した欧州の一部での乳製品や食肉などへの影響についていろいろ言われていた時期はあったものの、自分たちに対する身近な脅威という感覚はほとんどなかったように思う。まさに『対岸の火事』といったところだったのだろう。

    今年3月11日に発生した地震と津波、それによる福島第一原発の事故が起きてからは、原発そして放射能の危険が、突然我が身のこととして認識されるようになる。実は突然降って沸いた天災と片付けることのできない、それまでの日本の産業政策のツケによるものである。曲がりなりにも民主主義体制の日本にあって、私たち自らが選んだ政府が推進してきた原子力発電事業とそれに依存する私たちの日々が、いかに大きなリスクをはらむものであったかを思い知らされることとなった。

    順調な経済成長を続けているインドや中国その他の国々で、逼迫する電力需要への対応、とりわけ先行き不透明な原油価格、CO2排出量への対策等から、今後ますます原子力発電への依存度が高まることは、日本の福島第一原発事故後も変わらないようである。もちろん各国ともにそれぞれの国内事情があるのだが。

    原発事故後の日本では、食品や生活環境等様々な面で、暫定基準値を大幅に引き上げたうえで『基準値内なので安心』とする政府の元で、放射能汚染の実態が見えにくくなっている中で、今も収束にはほど遠く『現在進行形』の原発事故の危険性について、私たちは悪い意味で『慣れつつある』ように見えるのが怖い。

    事故があった原発周辺地域の『風評被害』云々という言い方をよく耳にするが、実は風評などではなく実際に無視できないリスクを抱えているということについて、国民の目を塞ぎ、耳も塞いでしまおうとしている政府のやりかたについて、被災地支援の名の元に同調してしまっていいものなのだろうか。

    これまで原子力発電を積極的に推進してきた日本の政策のツケが今になって回ってきているように、見て見ぬ振りをしていたり、『どうにもならぬ』と内心諦めてしまったりしている私たちのツケが、次の世代に押し付けられることのないように願いたい。

    同様に、これから原子力発電への依存度を高めていこうとしている国々についても、将来もっと豊かな時代を迎えようかというところで、予期せぬ事故が発生して苦しむことにならないとも言えないだろう。今の時代に原発を推進していこうと旗を振っていた人たちは、そのころすでに第一線から退いているかもしれないし、この世にいないかもしれない。一体誰が責任を取るのか。

    もっとも今回の原発事故で四苦八苦しており、原子力発電そのものを見直そうかという動きになっている日本だが、それでも他国への積極的な売り込みは続けており、すでに受注が内定しているベトナムでの事業に関するニュースも流れている。

    チェルノブイリが残した反省、福島が私たちに突き付けている教訓が生かされる日は、果たしてやってくるのだろうか。

  • レストラン流行るもシェフは人材難

    先日、日本の新聞社のウェブサイトにこんな記事が掲載されていた。

    求む、英国カレー調理人 移民規制で不足し国民食ピンチ (asahi.com)

    移民規制の厳格化によりヴィザの取得が難しくなったことで、インドをはじめとする南アジア系料理店でシェフを招聘するのが困難になっているとのことだ。こうした傾向は今に始まったものではなく、2004年にはインディペンデント紙が以下の記事を掲載している。

    The big heat: crisis in the UK curry industry (The Independent)

    また2004年にもBBCのこうした記事があり、2000年代を通じてのことのようである。

    Britain’s curry house crisis (BBC NEWS South Asia)

    チキンティッカー・マサーラーは英国の国民食・・・なのかどうかはさておき、人々の間で定着したお気に入りのひとつではあるようであり、インド料理そのものがイギリスにおける人気の外食となっているなど、需要は大きいにもかかわらず、シェフが人材難であることを原因に店をたたむ例が後を絶たないとは皮肉なものだ。

    通常、イギリスでU.K. Asianといえば南アジア系を指すように、インド系をはじめとするこの地域にルーツを持つ人々が多数居住しているとはいえ、地元にいるインド系コミュニティの中からシェフを調達するのはこれまた容易ではないようだ。

    そもそも思い切って外国に移住する勇気を持ち合わせている人々は得てして上昇志向が強いもの。単身でしばらく稼いだ後に帰国する人たちはともかく、家族を伴って来た人たちともなれば、往々にして息子や娘の教育には力を注ぐようだ。親と同じ苦労はさせたくないと。

    そういう点では日本にそうした具合にやってきている中国人料理人たちも同様だ。子供たちは中国あるいは日本で大学まで行かせて『もっと割のいい仕事』に就くことができるようにと頑張らせるのが常だ。日本のバブル期以降、日本の移住し条件を満たして帰化した中国出身者は多く、その中に飲食業に関わる人たちも相当数あるのだが、彼らの子供の世代で、厨房で包丁を握ることを仕事にする人はごくごく少ないだろう。このあたりの事情はU.K. Asianたちの間でも同様らしい。

    ところでチキンティッカー・マサーラー、イギリス人たちの好みに合うというのは単なる偶然ではないようだ。もともとこの料理の起源がインド在住のイギリス人家庭発祥(調理人はインド人)という説がある。その真偽はともかくとしても、主にパンジャーブ地方のアングロ・インディアン(インド在住のイギリス人のこと。時代が下るとやがて英印混血の人々のことを指すようになった)たちが好んだアイテムであったらしく、元々彼らの舌によく合うものであったため、イギリス本国で受け入れられるのは必至であったのだろう。

  • バーングラーデーシュ初の原子力発電所建設へ 果たして大丈夫なのか?

    近年、好調な経済成長が伝えられるようになっているバーングラーデーシュ。地域の他国にかなり出遅れてはいるものの、失礼を承知で言えばスタート地点が低いだけに、ひとたび弾みがつけば、今後成長は高い率で推移することは間違いないのだろう。日本からもとりわけテキスタイル業界を中心にバーングラー詣でが続いているようだ。

    これからが期待される同国だが、やはりインフラ面での不安は隠しようもないのだが、電力供給事情も芳しくない。発電電力の約4%は水力発電、他は火力による発電だが、その中の大半を自国産の天然ガスによるものが占めている。開発の進んでいる東部の電力事情はいくぶん良好なようだが、西部への電力供給の普及が課題であるとされる。

    産業の振興、とりわけ外資の積極的な誘致に当たっては、電力不足の克服は是が非でも実現したいところだろう。長らく雌伏してきた後にようやく押し寄せてきた好況の波に乗り遅れないためにも、1億5千万人を超す(世界第7位)人口大国であり、世界有数の人口密度を持つ同国政府には、国民の生活を底上げしていく責任がある。

    そこでロシアと原子力エネルギーの民生利用に関する政府間協定に署名することとなり、2018年までに二つの原子力発電所の稼働を目指すことになった。

    Bangladesh signs deal for first nuclear plants (NEWCLEAR POWER Daily)

    実のところ、この国における原発建設計画は今に始まったものではなく、東パーキスターン時代にダーカー北西方向にあるループプルに建設されることが決まっていたのだが、1971年にパーキスターンからの独立戦争が勃発したため立ち消えとなっている。新生バーングラーデーシュとなってからも、1980年代初頭に原発建設を目指したものの、資金調達が不調に終わり断念している。

    同国にとっては、建国以前からの悲願達成ということになりそうなのだが、折しも日本の福島第一原子力発電所の事故以降、原発そのものの安全性、他よりも安いとされてきたコスト等に対して大きな疑問を抱くようになった日本人としては、本当にそれでいいのだろうかと思わずにはいられない。

    同時に国内であれほどの大きな事故が起きて、その収拾さえもままならないにもかかわらず、また原子力政策そのものを根本的に見直そうかというスタンスを取っていながらも、原発の輸出には相変わらず積極的な日本政府の姿勢についても信じられない思いがしている。ベトナム政府は原発建設を日本に発注することになるのは今のところ間違いないようだ。

    『日本でさえ不測の事態であのようになったのだから・・・』などと言うつもりはないが、大変失礼ながらバーングラーデーシュという国での原子力発電の稼働は本当に大丈夫なのだろうか?

    事故さえ発生しなければ、原発稼働は同国の電力事情を大きく好転させていくことになるのかもしれないが、電力供給の分野でロシアの技術力・資金力両面において、大きく依存しなければならなくなる。

    どちらも憂慮されるものだと思うが、とりわけ前者については大いに気になる。本当に大丈夫なのだろうか、バーングラーデーシュでの原子力発電所の稼働は? サイクロンや水害といった大規模災害がよく起きることもさることながら、頻発するハルタール、その背景にあるといえる政治的な問題、不安定な政局等々、国内の人為的環境面での不安も大きい。

    決して遠くない将来に起きる(かもしれない)大惨事への序章でなければよいのだが。これが杞憂であることを願いたい。