カテゴリー: economy
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インドと中国を結ぶ「しがらみ」
第三国を経由することなく、インドから中国両国のキャリアによる二国間の直行便が飛ぶようになったのは確か2003年あたりのことであったと記憶している。中国東方航空が中国の首都北京からインドのデリーを結んだのが最初だ。いっぽう、エアインディアのほうはムンバイーからデリーを経て、バンコクを経由して上海に到着といった具合で、途中で乗り換えこそないものの、隣り合う国の二都市を直接結ぶという感じではなかったのは、途中タイの首都バンコクでのストップが入ったからだろう。だが今では状況は大きく変わった。現在は、デリー・上海、デリー・杭州、デリー・北京、デリー・広州、ムンバイー・成都、コールカーター・昆明、バンガロール・成都といったノン・ストップのルートがあり、エアインディア、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空が両国間を運行している。これらに最近加わったのが、インドのLCCのひとつであるスパイスジェットによるデリー・広州の路線だ。そんな具合なので、インドあるいは中国で国内線への乗り継ぎを含めれば、両国各地への乗り継ぎはずいぶん良くなった。印・中両国は4,000 km余りの長い国境線を分け合っているとはいえ、政治的にも地理的にも、ごく一部の例外を除けば、公式に行き来できる環境にはない。インドにおいて、1949年以降の中国によるチベット侵攻、さらに1962年に勃発した中印紛争により決定的に悪化した対中感情の背景には、中国という国や中国人という人々に対する知識等の欠如という要素も否定できない。また当時はまだ貧しかった中国ではあるが、同様に経済的には苦しかったインドにとっては、とても拮抗できない強大な敵として浮上してきたこともあるだろう。反対に、中国からしてみれば、インドはさほど怖い相手ではないため、インドにおける対中感情と比べて、中国における対インド感情は悪くなかったりする。歴史的なしこりや感情的な好き嫌いは、そう簡単に克服できるものではないかもしれない。だが人やモノの行き来が盛んになることにより、相手国における自国資本の投資、自国企業の操業その他さまざまな交流が盛んになるのは安全保障上も決して悪いことではない。「絆」を結ぶことはできなくても、活発な経済活動によって生じるしがらみが、外交面で両国が衝突するような事態になったとしても、お互いに利益をもたらす二国間の経済活動を犠牲にしてまで、軍事衝突を起こすには至らない安全弁として働くことは、尖閣諸島問題を抱える日中両国が、緊張の度合いを高めることはあっても、また一時的にデモや不買運動等で経済活動が冷え込むことはあっても、そうした異常な状態が決して長続きはしないであろうことからも明らかだ。今のところ、中国系メディアが大げさに報じているほどには、インドで中国語学習がブームになるような具合にまでは至ってないようだ。Indians to learn to speak Chinese (CHINADAILY.com.cn)だが中国語学習の需要が高まってきていることは驚くに値しない。インドと違って英語が非常に通じにくく、現地の言葉が不可欠の中国において、中国語が判るということは計り知れないメリットになり、それを習得した個人にとっても語学そのものが貴重なスキルになるからだ。Demand to learn Chinese increases among businessmen (hindustantimes.com)インドと中国の間で、さまざまな「しがらみ」が今後ますます増えてくることを期待したい。それは将来の両国の繁栄のためになるだけではなく、アジア全体の安全保障にも繋がることであるからだ。 -
白馬村の奇跡
タイ国際航空のフライトの中で、あるドキュメンタリー番組を観たのだが、これが大変興味深い内容であった。インドとは関係ないもので恐縮ながらも取り上げることにいたしたい。
そのドキュメンタリーとは、中国の重慶市(いっても北海道並みの面積があるため、「市」という理解よりも、中央政府による直轄地域と捉えるほうが適切)の巫溪县にあった白馬村が、如何にして、わずか4年間で都市化したのかについて追ったもの。
その映像の製作とセットでなされたらしい記事(BBC)があり、こちらには先述のドキュメンタリー映像も含まれているので、ご参照願いたい。すでに2年以上前に書かれたものだが、先日のフライトで映像を目にするまでは、白馬村という場所の名前さえも知らなかったことを不覚に思う。
A portrait in miniature of China’s transformation (BBC NEWS ASIA- PACIFIC)
中国がこれまで経てきた成長と変化を象徴している事例とも言えるし、工業化が進展するとともに、活発な商業活動と合わせて、一足飛びに発展してきた地域とは裏腹に、今なお非常に貧しい内陸農村部の現状脱却のためのプロパガンダに格好の革命的モデルケースでもある。
やはり中国共産党という、強力なリーダーシップのもとで、人もカネも集中的に投下できるがゆえのことであり、かつ行政区分的には重慶市内(先述のとおり、面積は北海道に匹敵することに留意が必要)であり、中央政府の直轄地であるがゆえに実現できたものであり、どこの寒村でも可能というわけではない。また記事中でも指摘される負の側面も少なくない。
それでも、少なくとも今までのところ、インドにおける「世界最大の民主主義」よりも、中国における共産党の一党独裁体制のほうが、国力の向上ひいては民生の向上に寄与した度合いが高いことは否定できない。もちろん中国という国の体制については、いつものことながら「良くも悪くも」という表現抜きに言及することはできないが。
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成田からのヤンゴン行きに新たなオプション アシアナ航空
12月19日から、アシアナ航空のソウル・ヤンゴン便が週2便就航する。これにともない、成田からソウル経由ヤンゴン行きが可能となる。
ソウルからヤンゴンへの出発は水曜日と土曜日、ヤンゴンからソウルへは木曜日と日曜日。行きの成田出発のソウル便同日接続、帰りのヤンゴン発ソウル着便から成田便への同日接続ともに可能だ。
今まさにブームとなっているミャンマー。商用や観光その他、多くの需要が見込めることだろう。訪問客の急増により、客室数不足からホテル代も急騰していることが伝えられているヤンゴンだが、おそらくこの分野についても国内外からの積極的な投資がなされていくことだろう。
街のたたずまいも急速に変わっていくことが予想される。そういう意味でも、ミャンマー観光はまさに今が旬かもしれない。
アシアナ航空、仁川/ヤンゴン線に就航へ 3月まで週2便 (Ly Team)
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インドで高速鉄道計画
2017年までに、インド西部で最高時速200キロの高速鉄道を導入することが計画されている。
Railways looks to run Delhi-Mumbai trains at 200 kmph (The Times of India)
これにより、たとえばムンバイー・デリー間の列車移動にかかる時間が相当短縮されることになるらしい。プネー・ムンバイー・アーメダーバード間については、日本の新幹線システムを採用する方向にあるという点にも注目したい。
インド、日本の新幹線システム採用軸に協議 両首脳合意 (asahi.com)
現在のインドの「高速鉄道」といえば、ラージダーニー急行、シャターブディー急行といったところだが、どちらも最高速度は時速120キロ程度。ゆえに日本の新幹線システムや他国の高速鉄道技術の導入が計画されているわけだ。
インドの場合、どの分野にあってもシステムとしては良いものであっても、現場のクオリティ・コントロールが粗雑であるがゆえ、いろいろと問題が生じているケースが多い。鉄道についてはどうだろうか?
ときに、同じ線路の上を両方から走ってきた列車が正面衝突したり、古い橋梁が崩壊して車両が落下したりといった、信じられない惨事が起きたりするのもインドの鉄道。
輸送の高速化はもちろんのこと、安全管理についても飛躍的な向上が見られることを願ってやまない。
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Kingfisher Airlinesの危機は続く
2005年の創業以来、スーパーモデル級の超美形のフライトアテンダントを揃え、派手でカッコいいブランドイメージで人気を集めてきたキングフィッシャー・エアライン。2008年に当時インドのLCC最大手であったエア・デカンを吸収してからは一気にルートも拡大、同年後半からは国際線にも進出を果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。2011年12月に同社の債務危機が明らかになるまでは、インド第2位の規模を誇る航空会社であり、すべてが順風満帆・・・と部外者の目には映っていた。
その後、同社の財務状況をめぐる様々な記事がメディアで報じられ、それまで築き上げてきた名声が地に堕ちることになるとともに、不採算ルートの整理が進められるようになった。そのため以前運行していても今では撤退してしまった路線は少なくない。また同社をめぐる様々な状況のため、昨年までのような安定した運行は必ずしも期待できなくなっている。
そこにきてこんな話もあるため、敢えて同社のフライトの予約を入れる場合、とりわけそれがしばらく先の日付の場合は特に気を付けたほうが良いだろう。
India May Cancel Kingfisher License (WallStreet Journal)
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平凡社新書 インド財閥のすべて
書店店頭で見かけたこの書籍、新書版の一冊で「インド財閥のすべて」とは、なんと大げさな!と、少々憤慨しつつ手に取ってみた。
ところがどうして、ページを開いて読み進んでいくにつれて、インド経済史に通じた人物が、綿密なリサーチと膨大なデータを背景から丁寧に抽出されたエッセンスであることがわかる。
著者が経営する株式会社ネクストマーケット・リサーチのウェブサイトにアクセスしてみると、インド関係その他で興味深い経済関係の記事がリンクされている。
19世紀に阿片貿易によって大きな富と力を蓄えたインド商人は少なくなかったが、ターターやビルラーといった財閥もこの例外ではない。インドから上海や香港といった中国大陸のビジネスの拠点を経て多国籍化していったユダヤ系資本もまた同様だ。
個人が興したビジネスが財閥として発展していく中で、事業が時流に乗って拡大していく中で、当然のことながら政治との結びつきは重要ではあるものの、やはり時代とともに浮き沈みは激しい。
親類縁者で中核をガッチリと固めた財閥が多いものの、その内部では身内同士での骨肉の争いは日常茶飯であり、しばしば組織の分裂をもたらすこともある。
経済の自由化以降、事業の整理ないしは新規分野への積極的な進出、外資との合従連衡が不可欠となり、流れに乗り遅れた財閥はかつての栄華の見る影もなくなっていたりする。
インドで、こうした財閥について書かれた書籍は少なくないが、日本語で「インドの財閥」を広く俯瞰した本は多くない。また内容が新しい(2011年9月発行)こともあり、現在のインド経済や財閥系企業の歴史について多少なりとも関心のある方には必読の一冊である。
インド財閥のすべて (平凡社新書)
著者:須貝信一
ISBN-10: 4582856047
ISBN-13: 978-4582856040
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紅茶スパイ
中国からインドに茶の木と栽培法を伝えた功績で知られる植物学者ロバート・フォーチュンの試行錯誤を軸に描かれた、紅茶をめぐるノンフィクション作品。
イギリス東インド会社の依頼により3度中国に渡った彼だが、その中で2度目の中国行き(1948年~1951年)での任務は、当時の中国において門外不出であった茶の秘密を得ること。茶の木と栽培技術を密かにインドに移すことであった。
折しも、ウォードの箱の発明により、植物の長期間に及ぶ輸送が可能となっていたという背景がある。観賞用としてシダやラン、工業用の作物としてのゴムの木等々の苗の大陸間での移送が可能となり、当時海外植民地を持っていた列強国にとって、新たな富の創造を可能とするものであった。
インドに持ち込まれた茶の木は、当初U.P.のサハラーンプルの植物園で栽培されていたが、当時スィッキム王国から割譲されたばかりであったダージリンが、茶の生育には天恵といえる好適地であったことにより、質・両ともに本場中国を凌ぐ茶の生産の一大拠点として発展していくことになる。
1957年に発生したインド大反乱により、イギリス東インド会社がインドで得ていた特権は剥奪され、本国の君主が英領インド帝国の皇帝となることにより、それまで250年間もの間に亜大陸の貿易港の商館での取り引きから、この地域のほぼ全土を掌握するに至っていたこの「会社」による支配は終焉することになったが、その「会社」がこの地に残した最後の大きな遺産のひとつが茶の生産であった。
インドでの茶の栽培の進展は、それまでの茶葉の貿易事情に大きな変革をもたらし、茶をたしなむ習慣の大衆化を推し進めることにもなった。イギリスにおける磁器産業の発展も、まさにこうした茶器需要あってのことでもある。
フォーチュンは、日本との縁も少なからずあり、東インド会社とは無関係な仕事で1860年から1862年まで中国と日本に滞在している。植物学者として、またプラント・ハンターとしても当時第一級の知識と腕前を持つ人物であったが、同時にビジネスマンとしての才覚も人並み外れたものがあったようで、この時期の極東滞在で大きな財産を築いたとされる。
この本のページをめくりながら、休日の午後のひとときを過ごしてみると、手にしたカップの紅茶の味わいがことさら愛おしいものとなることだろう。
書名 : 紅茶スパイ
著者 : サラ・ローズ
訳者 : 築地誠子
出版社 : 原書房
ISBN-10 : 4562047577
ISBN-13 : 978-4562047574
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LEH 1990 & 2012
手元に1990年の2月に撮影したレーの町並みの写真が2枚ある。そしてもう2枚は2012年の夏に撮ったもの。季節はもちろんのこと、レンズの画角やアングルは少し違うのだが、どちらもレーの町を見降ろす王宮脇からの眺めである。王宮は、1990年当時は廃墟といった状態で、内部はあちこち崩落していたため公開されていなかった。撮影したネガは紛失しており、すっかり退色してしまったポジをスキャンしたものだ。
レーの王宮入口 1990年 
レーの王宮入口 2012年 レーの町の中心を成すメイン・バーザール界隈の大きな建物や政府機関等を除けば、大半の家屋は伝統的なラダック式の日干しレンガを積み上げた構造のものが大半であった。宿もそのような家屋に手を入れたようなものが多かったように記憶している。

レーのメイン・バーザール 1990年 
レーのメイン・バーザール 2012年 レーの市内も主だった通りを除けば、大半は未舗装であったため、やたらと埃っぽかった記憶がある。他にもいろいろ撮っておけば良かったと思うのだが、フィルム時代であったため、低予算のバックパッカーにとっては、コスト面から一枚一枚がなかなか貴重であったため、今のように枚数を気にせずに撮りまくるようなことはできなかった。加えて、愛用していたニコンの機械式のカメラが故障したため、撮影数が少なかったということもある。
当時のティクセの寺院の画像もある。かなり荒廃した感じに写っているが、その頃は実際そういう具合であった。僧侶たちの多くが携帯電話を所持していたり、その中の若い人たちの中にはスマートフォンを手にしていたりするような時代が来るとは想像もできなかった。

ティクセ 1990年 
ティクセ 2012年 今回のラダック訪問で、20年もの歳月が過ぎているので当然のことではあるが、レーや周辺の町並みの整備が進んだこと、主だった寺院その他の建築物が非常にいい状態にあることが印象的であった。やはりインドという国の経済が継続的に右肩上がりで推移していること、観光業もまた順調に振興していること等々の効果もあるのだろう。加えて、1990年当時には、外国人にとって完全に地域が、ILPを取得することにより訪問可能になっていることについて驚かされるとともに、大変嬉しく思った。電気を使えるのは午後7時から午後11時までというのは相変わらずであるし、夏季以外は陸路が閉ざされるという状況は変えようもないのだが。
電気はともかく、まさに夏季以外の厳しい気候やアクセスの面での不都合があるがゆえに、外部からの人口流入も限られていることも、ラダックらしさが保たれているひとつの要因に違いない。とりわけ北東インドのアッサム州やトリプラー州のように、隣接するベンガル州はもとより、ヒンディー・ベルト地帯からの移住者が多い地域と比較すると、その差は歴然としている。経済的な理由により、ラダック地域内での人口の移動は相当あるのかもしれないが。
地理・気候的に厳しい条件があるがゆえに、今後もラダックらしさが失われることはないのではないかと思われる。それとは表裏一体ということにもなるが、ラダックの今後については、「インドの中のJ&K州のラダック地域」としての位置付けではなく、ラダック独自の特別な扱いが必要ではないかと思うのである。それは、以前から要求のある州に格上げという行政区分上の事柄で片付くものではないように思う。
外部から訪れる人々があってこそ成り立つ観光業を除き、いまだにこれといった産業があるわけではない。しかしながら戦略的な要衝にあるため軍施設は多いので、これに関連した雇用やビジネスのチャンスは少なくない。だが電力は圧倒的に不足しているため、これを必要とする産業の育成は難しく、人口密度も少ないためマーケットとしての魅力も薄い。それでいながらも、限られた条件の中で日々やりくりしながら過ごしていく余裕はあるというところが興味深い。他者に従属しない気高さが感じられる。
蛇足ながら、個人的にはラダックでのヒンディーの通用度の高さには大変驚かされた。ヒンディー・ベルトとは、これほど地理的に離れた地域であり、民族的にも文化的にも大きな乖離があるにもかかわらず、農村のご婦人たちもごく当たり前に喋ることができる。J&K州の公用語がウルドゥーであるということもあるにしても、言語的にも文化的にも全く異質なコトバをこれほど広範囲に受容しているということは、ラダックの人々の柔軟さによるものであるとともに、中国を目の前にするインド最果ての地という地理条件によるものであろう。
インドにあって、インドではないとも言えるラダックについては、あまり多くを知らないのだが、極めて独自性の高いこの地域で、将来に渡って持続可能な発展とは、どのような形のものなのだろうか。
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パーキスターンの名門マリー・ビール復活へ
気温も湿度も高いこの時期、幸せ気分にさせてくれるのは夕方のビール。休日であれば仲間や家族と昼間の一杯も心地よい。
インドではいくつかの禁酒州(グジャラート州と北東部の一部の州)があり、その他のところでも聖地となっているような場所ではおおっぴらに酒が手に入らない場所もあるものの概ねどこに行っても幸福な黄金色の一杯が手に入るのはありがたい。
さて、隣国パーキスターン。かねてより訪れてみたいと思っているのが、名門マリー・ブルワリーの醸造所。1860年創立で、ビール醸造所としてはアジアで最も歴史があるもののひとつで、「マリー・ビール」のブランドは昔から大変有名だ。同社ウェブサイトでは、創業から現在までに至る歴史を簡潔に紹介されている。
この醸造所の様子については、ウェブ上でもいくつかの動画を見つけることができる。Hope in the hops (The Economist)
The World: Inside Pakistan’s Murree Brewery (Youtube)
5年ほど前にカサウリー ビールとIMFL(Indian Made Foreign Liquor)の故郷と題して取り上げてみたインドのヒマーチャル・プラデーシュのヒルステーションのひとつ、カサウリーにある醸造所も起源は同じ。パンジャーブ地方(当時はヒマーチャルもパンジャーブの一部)で手広く商売をしていたイギリス出身のダイヤー一族が始めたものである。1919年にアムリトサルのジャリアンワーラー・バーグで起きた悪名高き虐殺事件の指揮を執ったレジナルド・ダイヤー准将も彼らの身内である。
カサウリーではアジア最古のビール「ゴールデン・イーグル」が生産され、現在パーキスターンとなっているマリー地区のゴーラー・ガリーでは「マリー・ビール」が生まれた。現在はどちらも創業当時と経営母体は異なっているが、血を分けた兄弟の関係にあるといえる。
現在、マリー・ビールの醸造所はパーキスターンの首都イスラマーバード近郊のラーワルピンディーにあり、ビール以外にもウイスキー、ジンなどの蒸留酒に加えて、ペットボトルのジュースなども生産している。
1977年に、ズルフィカール・アリー・ブットー首相の政権が国内での酒類の流通を原則禁止しており、現在でもごく限られた場所で非ムスリムだけが入手できるという状況だ。同国の人口1億8千万人の中でムスリム以外の人々が占める割合は、わずか3%強(これらに加えて軍の将校からの需要)しかないことを思えば、あまりに小さなマーケットである。長らく日の目を見ることのなかったマリー・ブルワリーだが、最近、パーキスターン政府が自国からの酒類の外国への輸出を認める方向へと舵を切ったことは名門復活の好機到来といえるだろう。
同社ホームページによれば、チェコの酒造会社との提携を締結したとのことで、やがてイギリスその他の欧州にも販路を広げることになるらしい。ダイヤー一族がイギリスから導入した醸造法で生産を開始したマリー・ビールが250年以上の時を経て「里帰り」することになる。
さらに大きな話もある。隣国インドがパーキスターンからの直接投資を認める方向に動いていることから、マリー・ビールがインド企業との合弁で、インドでの生産を始めることになるというニュースが流れたのは今年5月のことだった。
Pakistan and India start new era of trade co-operation with a beer (The Guardian)
歴史的なブランドを引っ提げた古豪復活への期待はもちろんのこと、インドの飲兵衛たちにも高く評価されることになれば、なおのこと嬉しい。
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遠からずミャンマーでクレジットカード、ATMの利用が可能に
経済制裁のため、クレジットカード(ヤンゴンの外資系の一部のホテルを除く)もATMも使用することができず、トラベラーズチェックを使うこともできないため、頼りになるのは米ドル紙幣のみといった具合が長く続いていたミャンマーだが、そうした不便は遠からずに過去のものとなりそうだ。
欧米先進国による制裁緩和(一部解除、期限付き停止等)が順調に進む中、もっぱら経済面で注目を集めている同国だが、当然のごとく金融・外国為替の方面での大幅な改善が見込まれている。
少し前に、ヤンゴン在住の方がFacebookでリンクをシェアしておられたが、近いうちにクレジットカードが利用できるようになったり、外貨送金も可能となる見込みのようだ。
Visa, Mastercard on the way, says banker (THE MYANMAR TIMES)
三井住友銀、ミャンマーに営業拠点 外国の銀行として初(日本経済新聞)
当然、トラベラーズチェックの換金も出来るようになるはずなので、滞在中の資金として持ち込むのが米ドル現金のみという不安も解消できることになる。
同様に、ミャンマーの人たちが海外に出る際にも利するところが大きい。少しまとまった金額の外貨となると、国外への持ち出しに制限がかかる現状は変わらないのかもしれないが、少なくとも正規の送金ルートが出来るということで、外国に留学する際などにも大変便利になることだろう。
ミャンマー在住の親御さんの支弁による日本留学はあり得ず(いかに裕福な両親であったとしても)、国外ないしは日本に住む身内が経費を支払うという前提でないと、ヴィザ取得不可という現状の不便さは解消されることになるはずだ。
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インパールからマンダレー行きのバス
5月27日から本日29日まで、ミャンマーを訪問したインドのマンモーハン・スィン首相は、首都ネーピードーにて同国のテイン・セイン大統領との間で、二国間関係の強化、とりわけ貿易や投資といった分野に加えて資源開発等に関する話し合いを持った。この場において、インドにからミャンマーに対する5億ドルの借款供与も決定している。首相の訪緬に合わせて、インドの産業界の代表団も同国を訪問するなど、今やブームとなったミャンマー進出について、まさに「乗り遅れるな!」というムードなのだろう。
両国間を結ぶフライトの増便その他交通の整備も予定されているのだが、とりわけ注目すべきはインドのマニプル州都インパールと、ミャンマーのマンダレーを繋ぐバス路線の開設。当然のことながら、旅客の行き来だけではなく、様々な物資の往来のための陸路交通網の整備も下敷きにあると見るべきであるからだ。インドにしてみれば、自国の経済圏のミャンマーへの拡大はもとより、その他のアセアン諸国へと繋がる物流ルートの足掛かりともなる壮大な構想が可能となる。
同時に、現在までのところあまり注目されていないが、ミャンマーとのリンクにより、これまでインドがなかなか活路を見出すことができなかった自国の北東州の経済振興にも大きな役割を果たすであろうことは誰の目にも明らかだろう。長らく内乱状態を抱えてきた地域だが、近年ようやく沈静化しつつあるが、特に期待できる産業もなく、中央政府にとっては何かと負担の大きな地域であったが、ここにきてようやく自力で離陸させることができるようになるかもしれない。
インドとアセアンという、ふたつの巨大な成長の核となっている地域の狭間にあるミャンマーは、これまで置かれてきた状態があまりに低かっただけに、今後の伸びシロは非常に大きなものであることが期待できる。
先進国による経済制裁が長く続いてきたミャンマーに対する諸外国の直接投資の中で、中国によるものがおよそ半分を占めていたが、隣接するもうひとつの大国インドが急接近することによって、ミャンマーは漁夫の利を得ることになるのだろうか。
ヒマラヤを挟んで、印・中両国がせめぎ合うネパールと異なり、自らが所属するアセアンという存在があることも、ミャンマーにとっては心強い限りだろう。今後、経済制裁の大幅な緩和、いずれは解除へと向かうであろう欧米諸国のことも考え合わせれば、地理的な面でもミャンマーは大変恵まれている。
本日、5月29日には、ヤンゴンにて野党NLDを率いるアウンサン・スーチー氏とも会談している。スーチー氏は、学生時代に母親がインド大使を務めていたため、デリーに在住していたことがあり、デリー大学の卒業生でもある。当時、インドの首相であったネルー家とも親交があった。彼女自身の政治思想に対してインドが与えた影響は少なくないとされる。
印・緬両国の接近は、双方にとって得るものが大きく、周辺地域に対するこれまた良好なインパクトも同様であろう。今後末永く良い関係を築き上げていくことを期待したい。インパールからマンダレーへ、マンダレーからインパールへ、バスは人々の大きな夢と明るい未来を乗せて出発しようとしている。
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バンガロールからマイソールまで30分で駆け抜ける!
チェンナイからバンガロール経由でマイソールまで繋ぐ高速鉄道建設計画があるのだとか。バンガロールからマイソール間には、なんと30分で到着してしまうものだというから驚きだ。
最高時速は350kmというから、速度もまさにワールドクラス。だが気になるのは、それが実現した際の安全性か。どうも中国の新幹線のことが脳裏をよぎる。
Bullet train may connect Mysore-Bangalore in 30 mins (YAHOO ! INDIA FINANCE)
上記リンク先に出ている画像は、世界各国の高速鉄道の車両。インドの新幹線構想のプロトタイプではないので念のため。






