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カテゴリー: travel

  • 霧

    窓の外のふんわりした景色を眺めながら、お茶やコーヒーでも楽しむのには、なかなかムードがあって良かったりする。普段の鮮やかな色彩が霧に包み隠されたモノクロームな風景。モワモワした中から、人影や自転車などがジワッと現れてはスッと消えていく様子は幻想的でさえある。

    だが、そんな中で、土地の人たちはのんびり休んでいるわけではなく、慌ただしく仕事に出かけなければならなかったり、運転して移動しなくてはならなかったりする。
    路上の往来といえば、大きな音を立てて走る馬車以外は、私たちが徒歩で進むのと同じ程度のヒューマンなペースであったころには、霧によって視界が遮られることについて、それほど大きな問題はなかったことだろう。

    だが、今の時代は話が違う。霧の中から突然、自家用車やトラックが飛び出してきては、アッという間に姿を消していく。ごく手近にあるものさえも強いソフトフォーカスがかかり、5m先も見えないような日の路上は危険極まりない。外出している限りは、霧が晴れるまでの間、命に関わる一大事がずっと続くことになる。

    濃い霧により、運転者たちは普段よりもかなり速度を抑えているとはいえ、道路では事故が多発する。鉄道のダイヤは乱れ、とりわけ長距離をカバーする列車は、遅れを蓄積しながらノロノロと進んでいく。視界不良から空の便も遅延や欠航が相次ぐ。同じ機体が便名と発着地を変えて全国を飛び回っているので、霧の出る北インド地域外にも、その影響が及んだりする。

    この冬は暖冬とのことで、霧の出る日が例外的に少ないという。こういう天候であることが本当にその地域の環境として良いのか、そうではないのかはよくわからない。だが、旅行している身にとっては、交通の大きな乱れがないことはありがたい。同様にここで暮らす人々にとっても、あまりひどい寒さを感じることなく、霧で不便かつ危険な思いをすることが少ない冬というのは、そう悪いことではないだろう。

  • ルンビニーの華人宿

    ルンビニーの華人宿

    ルンビニーの華人宿「Sunflower Travellers Lodge」

    ルンビニーでの滞在先は、Sunflower Travelers Lodge。安徽省出身のご主人と台湾出身の奥さんと娘、そしてその下で働く中国人の青年が切り盛りする宿である。

    海水の至るところ華僑ありと言うが、海の無いネパールにもこうして華人がいる。開業してから5年とのこと。カトマンズにはすでにかなりの華僑が商売しているが、ルンビニーでもこうやって稼いでいる人たちがいるというのは大したものだ。

    しかしながら、これがインド側であったとすると、中国の人がこうやって仕事することができるかどうかはともかく、中国に対する感情が悪いので、時に危険でもあるだろう。中国と関係が良好なネパールならではのことと言える。

    宿の中には中国語による表示や飾りなどがいろいろあるが、門の外にも中文による看板がいくつかある。簡体字と繁体字が混じっているのはご愛敬だ。また手書きの看板なので、なんだか不格好であったりするが、ここの人が手作りしたものなのだろう。今後、他の華人たちもここに進出するのかどうかは知らないが、推移を見守りたい。

    宿泊客は私とアメリカか来た日系人の年配女性のみであった。今のネパールの問題(昨年の大地震と現在も続く憲法問題)が発生するまでは、大勢の中国人客が出入りしていたとのことだ。早く平常に戻るといいのだが。

    宿に到着して、荷物を部屋に置いてから、まずは腹ごしらえと、昼食を注文したのだが、これが大変美味であった。写真は「牛肉麺」で、肉は水牛肉だが、麺もスープも本場そのものの味わいでおいしい。さすが本場の中国人が調理しているだけに、インドやネパールの人たちが作るものとはまったく別物だ。

    大変美味しい牛肉麺

    夕飯は「宮保鶏丁」を注文した。カシューナッツではなくピーナツを使っているけれども、山椒が効いていて、これまたとても旨かった。「料理がとびきり美味しいね。」と褒めると、宿の人は「本当はもっと大きなメニューを用意していて、他にもいろいろあるのですが、インドによる封鎖が始まってからは、満足に物が入らなくなったので、やむなくこの簡略版にしているのですよ。」とのこと。

    宮保鶏丁も大変旨い。

    ここでかいがいしく働き、ネパール語も流暢、お客の世話から調理や雑用までなんでもこなす中国人の青年と話していて判ったのだが、彼は経営者家族の身内ではないが、ご主人の郷里である安徽省から働きに来ているそうだ。両親は農民で、「若いうちに海外で頑張ってみろ」と送り出してくれたとのこと。

    宿のオーナーは、経営者である安徽省出身の男性と台湾人の奥さんとはまた別人であるとのことで、台湾人でここに在住しているわけではないが、年に数回様子を見に来るのだそうだ。経営者家族の身内で赤ん坊のいる女性もいて、お客はほとんどいなくても、なかなか賑やかな様子。ロビーはそのまま彼らの団欒の場となっており、アットホームな感じもなかなかいい。

    どういう経緯があって、ここで商売を始めることになったのか気になるところだが、「ホテル運営とボランティアをしているのです。」と言う。彼らはキリスト教系の団体に所属しており、早朝からロビー経営者家族とスタッフが集まって、中国語で何か暗誦しては、「アーメーン」「アーメーン」と呟いている。

    そして中国語による讃美歌が始まるのだが、手や顔をリズミカルに動かしながら歌っている。ここにしじゅう出入りしているネパール人も1名いるのだが、中国語も出来るようで、彼らとの会話は中国語であったりするし、中国語の讃美歌も歌う。同様に宿側の人たちがネパール語で讃美歌を歌ったりもしていた。

  • ターンセーンからルンビニーへ

    ターンセーンからルンビニーへ

    ターンセーンのバススタンド

    朝8時発にターンセーンを出発するバスを利用する。来るときと違って、バイラワーに直行するバスを利用するため、ブトワルで乗り換える必要がない。部屋の鍵をオーナーのシュレスタさんに渡して外に出る。朝起きたあたりから外では箒で路上を清掃する音がしていたが、町中のどこでも同様のようだ。この町は本当にゴミが少なく、とりわけ朝の時間帯にはゴミひとつないという印象。

    バンクロードに出てから、斜面の長い坂道を下ったところがバススタンド。8時出発のバスはすでに来ていた。出発時間までしばらくあるので、ヒマそうにしていた運転手にバイラワー到着のおおよその時刻を尋ねると、午前10時半くらいとのこと。到着時間を本日宿泊予定のホテルにスマホで伝える。タクシーを差し回してくれることになっている。

    こちらはブトワルまでしか行かないバス

    こちらがバイラワーまで直行するバス

    バスの表示には、国境のスナウリーまで行くように書かれているが、このバスの終点はバイラワーのバススタンドであるそうだ。出発時刻直前くらいになって、乗客がどかどかと集まり、定刻にバスは発車した。

    マハーバーラタ山脈の山あいの景色を目にしながら、バスはスィッダールタ・ハイウェイを南下して、平地に向けて走って行く。途中で朝食休憩の時間があった。沿道でダーバーがいくつか軒を連ねている場所で、いくつものバスが停車している。

    朝食休憩地
    朝食休憩
    可愛い同乗者たち

    やがて山地から平地に出ると、すぐにブトワルに出た。目抜き通りが国道であるためもあり、ずいぶん立派な街に見える。建物も大きく、新しくて見事な家屋も多いようだ。総体的に裕福なところであるようにも思える。交通の要衝である以外に、何で栄えている街なのかよく知らないが、固有の産業でもあるのだろうか。

    ブトワルの町

    ブトワルの街を出たあたりで沿道にはバイクの長い列が連なっている。ガソリンスタンドの給油待ちの行列だ。インドによる封鎖の影響だが、こんな具合だと、給油するだけで1日がかりになってしまいそうだ。

    給油待ちの非常に長い行列

    たいていの乗客はブトワルで下車。バイラワーまでは閑散とした車内であった。

    ここまで下ってくると、もうネパールにいるという気はあまりしない。入国したときに感じた、「インドでは見かけない企業の広告がある」ということを除けば、インドに戻ってきたかのようだ。

    あと異なるのは、当然ここはインドではないため、地元の人とヒンディーで話すことについて、何がしかのうしろめたさを感じることである。相手もネパール語ならともかく、見るからにインド人ではない第三国の人がヒンディーで話しかけてくる、ということついては、ちょっとした意外感があるようだ。あまり胸を張って話しかけられるという具合ではない。かといって遠慮しなくてはというほどでもないようにも感じられる。

    ネパールの人で、ヒンディーについてはふだんからごく近しい関係であり、日常的に露出が多いため、理解する人、たいへん流暢な人が多いが、そのいっぽう、理解するけれども話すとかなり妙な間違いがあるという人も少なくない。だが、そういうベースがあるので、インドにしばらく暮らすと、インド人と対等に話すことができるようになる。やはり近い関係にある言語というものは有利だ。

    ブトワルを出てから40分ほどでバイラワーに到着した。バススタンド(ここでは「バスパーク」と呼ぶ)に近づいたあたりで、宿から差し回しのタクシーの運転手から電話が入った。もうじきに着くと返事して、少しバススタンドで待ってもらうことにした。

    バスパークに到着。降車口にタクシー運転手が来てくれた。ここまで来ると、あたりの人々の顔立ちはすっかりインド人だし、景色もインドと同じだ。バイラワーの北郊外にあるバスパークから少し南に下ると市街地に入る。このあたりまでは、かなり交通量が多いのだが、右折してルンビニー方面に向かうタウリハワー・ロードに入ると、片側二車線の立派な道路であるにも関わらず、バイクと自転車しか走っていない異様な光景となる。地元政党によるバンドのためで、四輪車は緊急車両、スクールバス等を除き、通行することが許されない。公共バスの往来は、もう4カ月以上も止まっているとのことだ。

    そうしたバスも収益あってのことなので、オーナーや運転手、車掌のようにそれで収入を得ている人たちもそうだが、地元の住民たちも大変である。早くこうした状況が終わるといいのだが、これもやはり9月に制定された憲法問題の決着を見るまでは、そのまま続いてしまうのだろう。この10日間だけ、ルンビニーで開かれる仏教関係の祝祭のため、「外国人ツーリストのみ」を乗せたタクシーは、通行できるようになっているとのこと。

    交通の遮断はさておき、インドによる封鎖については、これによって燃料代が2倍、3倍にもなっていると運転手の話。

    空っぽになっているルンビニーのバススタンドのところで左に折れて、ルンビニーの集落までしばらく走る。遺跡地域はレンガ積みの壁で囲われている。道路右手が遺跡地域だが、左手には宿、食堂や店などが並んでいる。今シーズンは大変なスランプで、どこも困っていることだろう。

  • ターンセーン滞在2

    ターンセーン滞在2

    ネパールで販売されているタバコのパッケージが大変なことになっている。癌になった肺の解剖写真が表裏両面に大きく印刷されているのだ。インド、タイその他でも、パッケージにこのような写真が印刷されるようになっているが、タバコを締め出すのは世界的な流れであり、ブータンのように10年以上も前から国内でタバコの売買自体を非合法とする「禁煙国」さえある。日本のように「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」と書く程度では甘すぎるといったところだろう。

    タバコの過激なパッケージ

    ポーカラーからインド国境に至る途中にあり、長いバス旅を途中でブレークするのにちょうどいいロケーションのターンセーン、地元の人は往々にしてパルパーと呼ぶが、カトマンズ等から来たネパール人観光客の姿が多い。同様に、本日からの自転車のレースに参加するというネパール人サイクリストたちの姿もある。最近はそういう若者もいるようで頼もしい。だが外国人の姿は想像していたよりもかなり少ない。

    今年5月の大地震、9月から施行となった新憲法の内容に異議を唱えるタライ地域の政治問題、インドによるブロッケード等の問題がその理由なのだろう。地震については、このあたりは影響なかったのだが。空路の出入り口はカトマンズとなるし、やはり敬遠されてしまうこと、カトマンズ盆地その他のメジャーなスポットを訪問したついでにターンセーンを訪れることはあっても、この町が単体で集客できるんけではないので、やはりこういうことになるのだろう。

    近年、日本に留学するネパールの若者が急増しているが、ここもまたそれを斡旋する業者のようだ。

    「安く酔える酒」として人気があるのかどうかは知らないが・・・。
    トラック野郎

    観光業というのは実に水物だ。日本で、今年5月以降の箱根が火山活動の活発化により閑散としていたが、こうした仕事に従事している人たちにとってはとんだ災難だろう。火山活動の鎮静化しているようなので、今ごろは客足が回復していることであろうが。

    昼食は昨夜夕食同様にNanglo Westに行った。

    チキンシズラーを注文

    町を歩いていると、近年の背の高い建築については、壁をチョンと押すと、ただちに崩壊するのではないかという気がする脆弱そうな建物をよく見かける。壁に漆喰が塗られていたり、その上からペンキで処理してあると、まるでしっかりしたコンクリの壁のように見えるが、実際はごくわずかに鉄筋入った柱で組んだフレームと、壁はすべてレンガ積み。重量はあるし、フレキシブルさもないため、地震が発生したならば非常に危険だ。

    少し揺れたら崩壊しそう・・・。

    だが、ターンセーンはいい町だ。ネワール建築が数多く残る落ち着いた町並み、斜面からの眺め、背後の山に囲まれた景色等々、ゆったりとした気分にさせてくれる。町の一角では、真鍮細工を生業にする人たちが集住している地域があり、彼らの仕事ぶりを拝見することができる。

    ターンセーンのカレッジ。立派な建物だ。
    山の斜面に位置するターンセーンは坂の町
    町から南側を見下ろすとこんな具合
    町の北側には山の景色が広がる。
    伝統的な真鍮加工を生業とする人たちのエリア
    真鍮加工の職人さんの手仕事

    ターンセーンにやってくる際、先に訪れるつもりであったルンビニーに行くことが出来なかったので、スマホからルンビニーの宿2、3件に交通について質問メールしてみた。すると直後にひとつの宿から返信があったので電話してみた。ルンビニーからクルマをアレンジするとのことだ。現在、タライ地域の政治問題により、バイラワーからルンビニーへ公共バスは運行していない。地元の人々は日々大変困るだろうが、どうしているのだろうか。

    夕食もNanglo Westに行ってしまった。

    チキンのソテーと水牛肉の炒め物
    キッチンを「魅せる場」として演出しているのもさすがだ。
    満腹になって宿に戻る。
  • ターンセーン滞在1

    ターンセーン滞在1

    こちらは、ターンセーンでの滞在先、マンモーハン・シュレスタ氏のCity View Homestay。外が明るくなってきたので、さっそく町歩きに出ることにする。

    ターンセーンでの滞在先

    昨日夕飯を食べた人気レストラン「Nanglo West」併設のベーカリーで買ったココナツたっぷりのビスケットとマフィンをかじりながら坂道を歩く。

    左手の建物がNanglo West

    Nanglo West併設のベーカリーで買ったココナツクッキー

    ネパールに長くお住まいの日本の方によると、この町の出身で繊維業で財を成した一族の御曹司がアメリカ留学を経て、カトマンズ中心部にレストランとベーカリーをオープンさせたのが、このNangloというチェーン店の始まりであったとのこと。スマートで洗練されたサービス、豊富なメニューと上手な味付け等々、とにかく素晴らしい。飲食業以外にもリゾートも展開しているようだが、このターンセーンには、「Nanglo West」以外にも、「Palpali Chhen」という、このグループが経営するホテルとカフェがある。

    Palpa Chhenのカフェ

    ここで朝食を済ませて外に出ると、上階からカッコいいマウンテンバイクを下ろして来る若者たちのグループがあった。彼らに尋ねてみると、首都カトマンズからやってきたそうだが、本日この町からスタートするレースに参加するのだとのこと。ネパールでも中産階級のこうした年代の人たちは、様々なアクティヴィティーに活発なようである。その他、ネパールの首都圏から普通に観光旅行で来ている人たちも少なくない。

    私が訪れるよりも前に開催されたものだが、こちらもマウンテンバイクによるレースだ。



    どういう料理に使うのは知らないが、ずいぶんカラフルな麺が売られている。

    こんな色合いの麺もあった。

    インド国境からそれほど遠くはないとはいえ、山地に入ってしばらく進んだところにある斜面の町ターンセーンには、中世を思わせる沢山のネワール建築が良い状態で維持されている。町中がきれいに清掃されているのも良い。インド世界の延長線上にあるタライ地域とは別世界である。16世紀にはカトマンズ盆地を窺うほどの勢いの在地勢力の中心地であったというだけに、なかなか見どころは多そうである。だが、もしここがインドの一部になっていたならば、このあたりにもUPやビハールからの人々が多数移住して、すっかりインドになっていたのだろうか、などということも思ってしまう。



    価格の割に高性能な中華スマホHuaweiはネパールでも人気が高いのだろう。

    宿近くのお寺、ビームセン・マンディルはこじんまりしているが優美な姿。いかにもネパールらしい寺院だ。境内では女性たちが鳩に餌を与えていた。

    ビームセン・マンディル


    坂道を下ったところにあるやや大きな寺院、木造で三層になっているアマルナラヤン・マンディルも見応えがある。

    アマルナラヤン・マンディル




    パールパー・ダルバールはマオイストに破壊されたものを修復したとのことだが、この中には入ることはできない。全国各地で内戦を繰り広げたマオイストとの和解と政府への取り込みについては、人類のひとつの快挙と言ってもよいのではなかろうか。もっとも、その後のネパール政局の迷走ぶりは、広く知られているところではあるのだが。

    パールパー・ダルバール敷地への入口

    パールパー・ダルバール

    パルパー・ダルバールの脇に警察署があり、門の前で歩哨に出ている女性警官が可愛らしかったので声をかけてみた。ヒンディーで話すと、にこやかな表情で、すべてネパール語で返事が返ってくる。こちらが尋ねていないことまでいろいろしゃべるので、なかなかおしゃべりらしい。ネパール語なので、ちょこっとだけわかるような、あまりわからないような・・・。

    羽根飾りが素敵な女性警官

    山あいに広がる斜面の町、暖かい陽射しを浴びながら、今日はのんびりと散歩を楽しむことにする。伝統的で落ち着いた佇まいの町並みが素晴らしい。





    「ターンセーン・ダーント・ウプチャール・ケーンドル」という歯医者さん

  • ターンセーンへ

    ターンセーンへ

    ネパールに入国してからネパールのNcellという通信会社のSIMを購入したが、国境越えてからすぐにインドのボーダフォンから、「ネパールでのローミングにようこそ」というSMSが入った。

    国際ローミング(インドの通信会社のネパールでのローミングは割安ではあるが)では、すぐに残高がなくなってしまうので、ネパールのSIM購入したわけであるが、境目のエリアにいるとインド、ネパールどちらのSIMを利用していても、勝手に国際ローミング扱いになってしまう可能性があるはずだが、この地域に住んでいる人にとって、問題はないのだろうか?

    インドからネパールに入国してから、ルンビニーに行くつもりであったが、客待ちしているタクシーに尋ねても、「行けません」との回答しか返ってこない。ツーリストバスならばその方面に行くことが出来るとのことだが、しばらく待ってもそれらしいものはやってこない。ここで言うツーリストバスとは、観光客相手に地域間を運行しているバスも含むが、ここからルンビニー方面にはツアーバスしかないようなので、要はそうしたクルマに便乗させてもらえということだ。

    国境から東方面あるいは西方面に向かうルートは、地域政党がオーガナイズするバンド(ゼネスト)によるチャッカージャーム(交通封鎖)の対象となっていることから、公共バスを含めたクルマの往来は出来なくなっている。(前述のツーリストバス、スクールバス等を除く)

    ネパール南部の政治問題により、ただでさえ外国人越境者がほとんどいないこの場所、時間がもったいないので、バスでターンセーンに行くことにした。地図などでは「ターンセーン」と書いてあるのだが、一般的には「パールパー」と呼ばれているようだ。

    こちらもかねてより訪れたかった場所である。国境から北に向かうルート(ポーカラー方面)については、燃料不足の問題はあるものの、きちんと運行しているのも幸いだ。

    ターンセーンに直行するバスは見つからなかったが、経由地のブトワルに行くバスに乗車。車内には、山岳地から来たと思われる顔立ちの人々が多く、ゴーラクプルからこちらまでのバス車内とは、かなり違った印象がある。

    山の民と思われる風貌の人たちが多い車内

    1時間強でブトワルに到着。よく整備された印象の大きな街で家もきれいなものが多いようだ。ふと思いだしたのだが、インドとネパールの間には15分の時差がある。この時点で4時20分。ブトワルから北は、「山岳の景色が広がっている」というよりも、「壁として立ちふさがっている」という印象を受ける。

    ブトワルから北側は山地

    ブトワルでバスを待っていると、ターンセーン行きのバスはほどなくやってきた。座席確保できて一安心。国境からターンセーンまでは、「ごく当たり前に」高速通信の4Gレベル。今どきは、どこの国でもそうした通信環境が標準になっている。

    ターンセーンを出て山岳地に入ると、かなり電波が切れてネットは使えないものの、微小な電波でGPSは動作するようで、現在位置は逐一確認できる。周囲の山間の景色を眺めながら、バスは進んでいく。眼下はるか下の川に目をやりながら過ごす。日は暮れなずみも車内は家路を急ぐ人々。もはや車内に会話は私が知らない言葉になっている。遠くに来たな、という感じがする。

    間もなく日が暮れる。山道をガタゴト走るバス車内にて。

    ターンセーン到着は午後7時過ぎ。国境からバスで出る際に、今晩の宿の主人、マンモーハン・シュレスターさんに電話しておいたのだが、ここで彼から電話が入った。さきほども一度かかってきたのだが、電波の具合で話すことができなかった。

    バススタンドから徒歩でバンクロードのほうに上がっていく。坂道の町である。かなり古いものが良い状態で残されている町らしく、明日の町歩きが楽しみだ。坂道ではまだ店はいくつも開いており、歩いている人々の姿もある。

    坂道を上がり、右手に折れて、ナングロ・ウエストというレストランが見えたあたりで声をかけてきたやや年配の男性が宿泊先のシュレスタさんであった。良かった。宿はここからすぐ。シュレスタさんは、自宅の一部に旅行者を宿泊させるとともに、彼自身もボランティアの観光案内書を運営されている。

    宿に来る手前で見かけたレストラン「ナングロ・ウエスト」でダルバートの夕食。
    宿の窓から眺めるすっかり静まり返った町。ネパールらしい建物がいくつも見える。
  • Lonely Planetのガイドブック「The World」

    Lonely Planetのガイドブック「The World」

    一昨年10月にロンリープラネットからこんなガイドブックが出ていたことを今日になってようやく知った。単一の国(「India」や「Thailand」など)あるいはひと続きの地域の案内(「Middle East」や「Africa」など)ではなく、その名も「The World」という大胆なもの。

    ISBN: 9781743600658
    Authors: Lonely Planet Publications
    960 pages, 250 maps | Dimensions: 128mm x 197mm

    この本のインデックス部分が公開されているが、これではコンテンツについてよくわからないので、amazonの「なか見!検索」でサンプルを閲覧あるいはKindle版の無料サンプルを試してみると、イメージを掴むことができるだろう。

    私自身は購入していないので何とも言えないのだが、250の地図を含む960ページ、「世界ガイドブック」というのは、同じくLonely Planetの「India」が256の地図を含む1248ページであることを思うと、実用的なガイドブックとしてではなく、「今度の旅行はどこに行こうかな?」と自宅でぼんやり考えるときに良さそうだ。

    書籍版はかなり嵩張るし重量もあるので、日常の隙間の時間にまだ見ぬ異国の地に思いを馳せるため、Kindle版を手に入れて、スマホやタブレット、あるいはKindle端末でページをめくりながら、世界各地のおおまかな名所や旅行事情を把握して、今後の旅行計画の参考にしておく、何か大きな出来事や事件が報じられたときに、「どんな土地だろうか?」と開いてみる、といった使い方をするのに便利だろう。あるいは世界各地の主要都市に煩雑に出張する機会が多いビジネスマンにとっても役に立つものであるのかもしれない。

    案内の対象が「世界」というガイドブックは、これまで目にしたことがないので、はなはだビックリした。当然、実用性には大きく欠けるであろうことから、それほど売れるものではないように思うのだが、こういう形で「浅く広く」というスタンスで、世界の有名どころをカバーするというのは、なかなか意欲的で楽しい試みであると、私は肯定的に捉えている。

  • ネパール国境へ

    ネパール国境へ

    昨夜(というより今朝がた)寝たのは午前4時くらいであったが、もう7時半過ぎには起きてしまった。昨日は窮屈ながらも列車内で少し寝たこと、このホテルの外が騒々しいことなども理由だが、それ以上に本日の予定があるので、のんびりしていられないということが大きい。
    昨日はほぼ絶食状態であったので、宿の並びにある食堂にて、本日の朝食、トースト、オムレツ、チャーイが、ことさらおいしく感じられる。出来立ての温かい食事はいいな、と思う。

    Gorakhpur Junction駅前の食堂
    朝食

    宿に戻り、荷物を持ってチェックアウト。駅前から出発の国境行きのバスに乗る。ここからネパールとの国境、スナウリーは3時間ほど。

    隣の席の青年は、ムンバイーに働きに出て、ホテルのエレベーターボーイをしていたそうで、久々に帰郷するのだという。こういう人たちが多くこの国境を出入りしているのだろう。同様にネパールからインドへの人身売買もここを通してなされているという黒い話もよくメディアで報じられている。

    車窓左側はインドによる封鎖により留め置かれた輸送車両の長い行列

    国境までまだ10数キロはありそうなところで、道路左側に長い車列が止まっている。これらはすべてインドによる封鎖により留め置かれているものだという。昨年の夏あたりに、ネパールで制定しようとしていた新憲法の内容が、マデースィーの人たちに対して不利な内容となっていることが明らかになったことにより、彼らが暮らすタライ平原部では、地元政党による抗議活動が盛んになっていた。これが現在も続いているのだが、インドもまたこうした状況に鑑み、ネパールに対して独自に制裁を加えることとなったのは昨年9月に新憲法が制定されて以降。ずいぶん長く続いている。

    これにより、ネパールでの燃料や生活物資の不足などが伝えられているとともに、昨年4月と5月に起きた大地震からの復興に影を落としているというが、あまりに強大なインドという隣国との関係で悩まされるのは今に始まったことではなく、同じく国境を接する中国との関係を強化するのは無理もないことだろう。

    これは、南アジアへの影響力強化とインド周辺の国々の囲い込みを着々と進めている中国にとっても好都合なことであり、ネパールに対して様々な経済援助を惜しみなく与える関係となっており、大型の案件のひとつとしてルンビニーの遺跡公園の整備が進められるとともに、運輸関係でも西蔵鉄道をネパール国境まで延伸させるプランや、さらにはカトマンズまで鉄路を伸ばしてリンクさせる計画まである。

    こうした状況はインドにとって看過出来るものではない。新憲法を制定したネパール政府と、これに反対するマデースィー(北インドのビハールやUPの人たちと民族的・文化的背景が共通する人たち)の政党との間の軋轢は、インドにとって自らの影響力を行使する良い機会ということにもなる。

    ネパールへは、モーティハーリーから近いビールガンジから入ることを考えていたのだが、その地域での反政府活動がまだかなり激しいようであるため、予定を変更してこちら側の国境から入ってみることにした次第。

    話は戻る。留め置かれた無数のトラックやトレーラーの長い長い車列。荷主も受け取り手も非常に困っていることだろう。運転手たちに至っては、身動き取れず、さりとて日銭も入らないとあれば、一体どうやって過ごしているのだろうか。彼らが養う家族もいるわけなので、あまりに気の毒というしかない。

    スナウリーに到着。ごみごみした粗末な商店が軒を連ねる中にあるインドのイミグレーションへ。出国印をもらってから、ネパール側に越える。インド人とネパール人はチェックがないので、国境両側は、事実上ひとつの街である。

    だがネパール側に入ると違うのは、インドでは見かけない会社の広告があったり、デーヴァナーガリーで書かれた看板が、ヒンディーではなくネパーリーであったりすることだ。デーヴァナーガリーによる外来語の表記も異なり、例えばVに対してVではなく、BHを当てることなどがある。すると外来語について、Vの字はどう使用しているのか?ということになるが、私はネパール語のことはよく知らない。

    ネパール側でヴィザ代25ドル支払う。Guidebookでは米ドルのみと書かれているのだが、タイ人のグループを率いるインド人ガイドがパスポートをまとめてイミグレーションに持参していたのだが、その会話からインドルピーでも支払いできるらしいことが判った。もっともいつもそうなのかどうかは知らない。

    昨年の大地震とともに、現在進行中のタライ地域の政治問題等により、外国人観光客が非常に少ないため、国境両側のどちらの国のイミグレーションも待ち時間ゼロであった。

    ネパールでは、物資不足により、インドルピーの需要が高まっているという。地元通貨では購入できない燃料等がインドルピーならば買えるという話をネパール側で耳にした。インドルピーのことをネパールでは俗にIC(Indian Currencyの略)と呼ぶようだ。前述のとおり、国境を挟んだ両側は事実上ひとつの町であり、両国の人々は出入国手続き無しで自由に往来できるため、利ザヤの大きい燃料類をインド側で購入して、ネパール側で売りさばくという商売が盛況とのこと。こうした商売に従事する人たちにとっては稼ぎ時ということになるのだろう。

    取り急ぎドルからネパールルピーに両替、そしてネパールのNcellのSIMを購入。インドの場合と異なり、購入してスマホに挿入すると、即座に通話もネットも利用できるのがいい。インドの場合は、それほど迅速ではないのは、セキュリティの関係でそういう措置になっているのではないかと思う。

  • モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    Bapudham Motihari Station

    列車が入線してくるまで、プラットフォームでしばらく話をしたムスリムの紳士は、インドではなくネパールのタライ地域から来た人であった。ネパール側では「マデースィー」と呼ばれるインドの平地から移住した人たちの子孫だが、国境を接する地域では現在に至るまで、ネパール側とインド側での通婚は多いし、人々の往来も盛んだ。

    日が暮れてから列車がゆっくりと入ってきた。人々でぎっしりすし詰め状態であることを想像していたが、案外それほどの混雑ではなかったのは何よりの救いだ。とりあえず座る場所だけは確保することが出来たのは幸いである。人々が乗り込んでしばらくすると、反対側からの列車が駅に入ってきた。やがて私が乗っている各駅停車は、車輪が軋む音を立てながら動き始める。

    ゴーラクプルへ出発

    時折、各種夜行列車が通過していく中で、最も優先度が低い鈍行のため仕方ないのだが、走行している時間よりも、停車駅で行き違いを待つ間のほうが長いように感じられる。出発してからだいぶして、夜11時くらいになって停車した駅の表示を見ると、ゴーラクプルまでの道のりの中間点よりも少し先のベーティヤー駅なので、がっかりしてしまう。席は確保できたとはいえ、座席は直角シートなので楽ではない。それでもしばしうたた寝していると、誰か席の無い者が、突然私の膝に座ってきて、痛くて飛び起きる。思い切り怒鳴りつけてやったが、まったく困ったものだ。

    それにしても感心するのは、こうした片田舎を移動していても、線路両側にないもないところなのに、ちゃんと高速でネットが繋がることだ。ときおり圏外になったり、2G環境になったりするものの、概ねちゃんと高速通信だ。目が覚めてしまうと、とにかくヒマなので、こうして時間を潰したりするしかない。こうした中で、パソコンを取り出して日記を書くのは不用心でどうかと思うが、スマホならばフリック入力しながらその日の出来事をしたためることが出来る。

    この時期の北インド平原部の夜はかなり冷え込む

    少し大きな駅に着くと、乗客の入れ替わりがかなりある。周囲を見渡すと、モーティハーリーから乗車した人たち、乗車したときにすでに居た人たちの姿はほとんどなくなっている。車内の誰もがとても疲れている感じなのは時間が時間なので、こんなものだろう。だいぶ前に深夜を回っているのだ。

    車内の皆さんはお疲れの様子・・・。

    列車は夕方5時過ぎに出発したのだが、終点のゴーラクプルに着いたのは午前3時半。モーティハーリーからの距離は180km程度と思われるが、10時間もかかったことになる。各駅での停車時間を含めてのことだが、平均時速18km。やれやれ・・・。先日発表されたムンバイーからアーメダーバードまでの高速鉄道計画に新幹線の採用決定とは、いったいどこの世界の話?のインド国鉄である。

    外に出てみるとかなり冷え込んでいる。疲労困憊している身体を引きずりながら、ゴーラクプル・ジャンクション駅の正面にあるホテルをいくつか当たるが満室と言われるが、ようやく新しめでキレイな宿があった。一泊800ルピー。朝からのひどい下痢とバス移動のため朝食はスキップ。宿が見つからなかったおかげで、遅い昼食と兼ねた夕食も抜くことになった。鉄道駅でビスケットを買って、車内で多少かじった程度だ。どの時間帯にも発着する列車がある大きな駅の目の前なので、こんな妙な時間帯でもお客が出入りしている食堂はいくつもあるのだが、さすがに疲れているし眠いしで、食べに出る気にはならない。ベッドに横になると、そのまま眠りに落ちていった。

    本日(とうに日付が変わってしまっているので「昨日から」だが)は、すべてが裏目に出てしまった。収穫もなかったが、まあこういう日もあるというものだ。

  • モーティハーリーへ

    モーティハーリーへ

    パトナーの宿で、朝5時あたりで腹具合が良くなくて目覚めた。嫌だなと思ったら、やはり腹を下しており、再び寝てから7時くらいに起きるともう大変なことになっている。今日はバス移動なので思いやられる。

    こういうときにはてきめんに効いてくれるインド製の黄色い大きめの下痢止めがいい。Nflox-TZという商品名で、どこの薬局にも置いてあるが、これまでもしばしばこの薬に救われてきた。私はこれを「救世主」と呼んでいる。これで少し落ち着いてから、食事を抜けば、バス乗車中に窮地に陥ることはないだろう。

    9時くらいまで部屋で様子を見てから、ホテルから徒歩でバトナ―駅の反対側に出る。そこから乗合オートでバススタンドへ。バススタンドはやたらと広大なのだが、建物はなく、バスも無数に滅茶苦茶に停車しているので、一見するとどこに行けばいいやらよくわからない。それでも当事者たちにとってはちゃんと整理されている?ようで、モーティハーリー行きのバスはすぐに見つかった。

    モーティハーリー行きバスに乗車

    モーティハーリーは、これといって見どころがありそうな町ではないのだが、「1984」や「ビルマの日々」等で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家があるところだ。植民地官僚の父親の元に生まれた彼は、長じてからは同じく英領であったビルマ(現ミャンマー)の警察官となった。父親は、オピウムを取り扱う政府機関で働いていた。当時はインドにおける合法的な作物で、主に中国(および東南アジア方面)へ輸出されていた。これを背景としてアヘン戦争が勃発することとなったのは、よく知られているところだ。その生家が現存していること、これが博物館となっっていることを最近知ったため、せっかくビハールに来たので、ついでに立ち寄ってみようと思った次第である。

    モーティハーリーまでの距離は160kmほどだが、到着したのは2時半くらい、いや3時近くなっていた。サイクルリクシャーで、ロンリープラネットに書かれているゲストハウスに向かう。部屋を見せてもらい、荷物を置いて早速ジョージ・オーウェル博物館に行くつもりであった。しかし、チェックインでIDを提示するように言われて、パスポートを出すと、なんと外国人は泊めることができないとのこと。

    ガイドブック(2015年後半に出たLonely Planetの最新版)に掲載されているではないか、というと、「それが、2カ月くらい前から許可を更新できなくなっていて・・・」などと言う。とにかく泊めればお金になるので、これは本当のことなのだろう。その「許可」とやらをどうやって取得するシステムになっているのか知らないが。

    そんなわけで、宿も手あたり次第当たってみた、なるべく高そうなところ、といってもせいぜい800Rsくらいまでしかないようだが、どれもダメ。安い割には感じのいい宿もあったので残念である。以前、アッサム州都グワーハーティーなどでもこんなケースはあったが、こういうケースは少し上のクラスの宿ならば問題なく宿泊できるものなのだが、特に見どころもない田舎町なので、これよりも下はあっても、よりアップマーケットのところは無いようだった。

    宿探しでそうこうしているうちに、通常の博物館が閉まる時間になってしまった。これはいけない。明日の朝に見学するという手もあるが、そもそも宿泊できるところがなければ、明日の見学はあり得ない。するとここに居る理由はないし、宿泊できなくて困るので、鉄道駅に行ってこの町を出ることにした。あるいは役人が出張等で利用するサーキットハウス(もしあれば・・・) を当たってみるとか、「民泊」を画策するとかいうことも考えられるのだが、ここでの見学を本日中に済ませることができないと、今後予定している訪問先がいろいろある。せっかくモーティハーリーまで来たのに、という思いもあるが、スキップしてしまうことにした。

    ゴーラクプル方面には直行するバスはなく、ベーティヤーという州境に比較的近い交通の要衝と思われる町で乗り換えると行けるようなことを聞いた。もう夜になることだし、下痢は止まっているものの腹具合の不安もあるので、乗り換えなしで、トイレも心配もいらない鉄道がいい。ネットで参照してみると、ちょうどこの時間帯にゴーラクプル行きの各駅停車がある。急行は夜9時頃まで待つことになるので、乗車時間は長くなるのだが各駅停車で行くことにした。

    鉄道駅に行く。列車は遅れているとのことで、想定していた列車よりも一本前のものに間に合うらしい。

  • インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    国鉄が発行しているTRAINS AT A GLANCEには、主だったルートの列車は網羅されているので便利だ。

    しかしながら比較的短い距離を移動する際、急行列車が停車しない駅から移動する場合など、各駅停車の情報が欲しいということも多々あることだろう。そうした場合に参照できるサイトはいくつかあるのだが、最も活用しやすいと思われるのが、etrain.infoだ。

    乗車駅と下車駅を入れてみよう

    利用可能な列車が表示される。

    長距離移動の場合でも役に立つのはもちろんだが、とりわけ直通列車がない場合には有用だ。接続可能な経由地が提示されて、出発地から目的地までのルート、列車名、経由地から先の列車名などを例示してくれる。

    これらふたつの駅には直通する列車はないが・・・。

    利用できる経由地が表示される。これらをクリックすると先に進むことができる。

    さらに嬉しいことに、列車の編成も表示されるため、予約した車両が先頭の機関車から何両目に接続されるかについても表示される。下の例示した列車の場合はともかく、もっと長大な大型編成の急行で、しかも停車時間が短い駅から乗車する場合には助かることだろう。(当然のことながら実際に駅でも再度確認しておいたほうが良いことは言うまでもない。)

    利用する列車番号を入れると車両編成が表示される。

    予約した列車が満席で、WL(Waiting List)あるいは、RAC(Reserve Against Cancellation)であった場合に、現状どうなっているのかPNRを入力して確認できるのはもちろんのことだが、もうひとつ、このサイトで非常に便利な機能がある。画面左側のTrain Route / Running Statusというところ任意の列車番号を入れると、運行スケジュールとともに、ルート上の各駅における実際の到着・出発時間、現在地、今後通過していく駅の予想発着時間まで閲覧することができるのだ。

    この列車の運行状況を確認してみよう。

    このような具合に時刻表上でのスケジュールと実際の運行状況を並べて表示される。

    冬の霧の時期やモンスーンによる大雨の時期といった天候不順の際に、運行が乱れがちだ。自分が乗車する駅に果たして何時くらいに列車がやってくるのか、現在乗車している列車がどのあたりまで来ているのか、自分の目的地にはあと何時間くらいで到着できそうなのか、といったことが一目でわかるありがたいサービス。あまりに甚大な遅れとともに運行されていることが判ったならば、即座に予約をキャンセルして他の列車のブッキングをトライするなり、バスその他の手段に切り替えるなりといった判断が出来ることになる。

    当日の運行状況を確認するだけであれば、Running Train Statusのほうが手軽でいいかもしれない。こちらも同様の内容を参照することができる。

    こちらは列車の運行状況確認専用のサイト

    インドで国鉄を利用するにあたって、こういうサービスを利用できることを心得ておくと、何かと役に立つことがあるだろう。

  • パトナーにて

    パトナーにて

    パトナーの駅前エリア界隈では、無料のWifiが飛んでいることに気が付いた。スマホにFree Wi-Fi Zone of Patnaと出る。タダであるだけに、セキュリティ上の配慮があるのかどうかは知らないが、接続時のパスワード設定がないので、誰でも繋ぐことができる。比較的最近、ハイデラーバードで比較的最近、こうしたサービスが提供されることがニュースになっていたが、まさかバトナ―でもこういうものがあるとは知らなかった。

    この地域のレストランにて昼食。中華料理としてではなく、「インド式中華料理」のチョプスィーは店によってずいぶん違うものが出てくるが、私の好物である。

    チョプスィー

    歴史は長いものの、これといって見るべきものがないパトナーの目玉のひとつ、ゴールガルに行ってみる。英領時代に飢饉対策のために造られた穀物貯蔵庫。ゴールガルは巨大な饅頭を置いたような形で、周囲に付いている階段で登ることができる。天井からはバトナ―市内の眺めがとても良い。ここは、ガーンディー・マイダーンのすぐ西にある。オートはそのマイダーン沿いに走るので、「ああ、ここが州首相が就任の宣誓をすることで知られるあの場所か」と、少々感慨深いものがある。

    ゴールガル
    ゴールガル頂上からの眺め。パトナーには高層建築がまだ多くないことからも、やや昔のインドの街という思いがする。
    ゴールガル頂上から

    そこからパトナー駅前までオートで戻る。バトナ―は、大きな街の割には道があまり広くないところが多く、一方通行であったりするので、ずいぶん迂回していくことになる。駅前に着いたと運転手に告げられても、そうとは判らないのは、あまりに建て込み過ぎて視界が非常に悪いため。巨大な駅舎が、正面の大通りからさえも見えないのである。陸橋を建築中で、さらに交通の流れが悪くなっているし、ずいぶん見通しが悪く、渋滞もひどい。

    バトナー駅前。陸橋を作る大きな工事が進行中とはいえ、この見通しの悪さはひどい。

    いつものことだが、ビハールは、かなり昔のインドという感じがする。田舎がとりわけ貧しいのはもちろんのこと、州都パトナーも人口200万人超の街としては、華やかさに欠けて、地味な印象を受ける。

    駅前に戻って徘徊しているうちに日が暮れた。屋台のミターイー(甘いもの)屋さんがあった。露店にしては、見た目があまりに美しいので試してみると、大変美味であった。少なくともグラーブ・ジャムーンとラースグッラーについては、凄腕の職人さんであることが判った。

    グラーブジャムーン
    ラースグッラー

    界隈で夕食を済ませ、宿への帰り道にあったソニーのスマホ販売店を覗いてみた。5.5インチや6.0インチといった大画面の機種が目玉となっている。それらの多くはデュアルSIM仕様なので、日本国内で販売されているモデルとは異なるのだろう。日本でも複数台持ちしている人たちがけっこういるので、本来ならばデュアルSIMの需要は少なくないことと思うが、やはりまだまだ回線契約とハンドセットが抱き合わせ販売が主流の日本のマーケットならではのことと思われる。

    外国ブランドのスマホ等々の販売店が見られる一角

    ビハールにおいても、スマホの普及は相当なもので、ローカルバスの車内でも、大画面の機種を手にしている人たちがけっこういる。昔と違って、今のインドの田舎の人々の購買力も相当なものである。バス車内等で、じーっとスマホに視線を落として、指をチャカチャカ動かしている人たちの姿は、もはやどこに国にあっても共通の眺めとなっている。

    宿に戻る前に、オートの販売店を覗いてみた。近ごろのオートリクシャーらしく、細部がモダナイズされていて、ちょっといい感じであった。

    夜になってもパトナー駅前の渋滞はひどい。
    ちょっと良さげなレストランで夕食後、シメでお茶を一杯。