インド国鉄のウェブサイトにて、最新版の鉄道時刻表(2013年7月から2014年6月まで)が公開されている。同時に夏季特別列車の時刻表もアップロードされている。
時刻表改定は、毎年この時期に行われるものではあるものの、イン鉄ファンとして注目すべきは、ダブルデッカーの列車の運行だろう。
India’s First Double Decker Train Gets The Green Signal (daily jag)
ぜひ乗車してみたい。
インド国鉄のウェブサイトにて、最新版の鉄道時刻表(2013年7月から2014年6月まで)が公開されている。同時に夏季特別列車の時刻表もアップロードされている。
時刻表改定は、毎年この時期に行われるものではあるものの、イン鉄ファンとして注目すべきは、ダブルデッカーの列車の運行だろう。
India’s First Double Decker Train Gets The Green Signal (daily jag)
ぜひ乗車してみたい。

先日発行されたナマステ・ボリウッド誌の第36号、特集記事はホラー映画。Kaun (1999)、Bhoot (2003)といったボリウッドにおけるホラー作品の先駆けから、こうしたカテゴリーの作品が定着したゼロ年代、そしてこれがさらにヒートアップしている2010年代という流れを踏まえると、制作される映画のタイプが変化していく背景には、作品の受け手である観衆側の変化があることも当然ながら見えてくる。
これは近年のインドの実社会で起きる凄惨な事件の増加と歩調を合わせているかのようでもあり、映画というものは世相を如実に反映するものだと改めて感じ入る次第。過激な描写への許容度が広がっていくことについては、それらを好んで観る層の人々の感性が鈍化することによって、より強い刺激を求めるようになっているという部分もあるので、ちょっと危ういものを感じずにはいられない。
さて、特集記事以外にもOm Shanti Om (2007)の日本公開にあたって来日したファラー・カーン監督へのインタビュー記事、ボリウッドのスターたちが出演したマラーティー語映画のDVD紹介、インド舞踊家の佐藤雅子さんによる「カタックを語る」や早稲田大学の高橋先生による「ボリ映画とインド古典の秘かな愉しみ」など、ボリウッドファンにとっては見逃せない記事が満載だ。
ところで、同誌のウェブサイトに嬉しいニュースが掲載されている。
3 Idiots(2009)#136「きっと、うまくいく」7/12まで続映決定!(Namaste Bollywood)
日本のメディア等における反響から、この作品の質の高さが正当に評価されているのもまた喜ばしい限りだ。

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ペンタックスのQマウントの三代目がついに7月5日に発売となる。
現行機のQ10とサイズ、重量、バッテリーは同一ながらも、センサーのサイズが1/2.3から1/1.7型へと大型化し、交換レンズの画角も35mm判換算で5.5倍相当から4.6倍相当へと変更となる。
廉価版コンパクトカメラと同等のサイズの小さなセンサーを搭載している割には、思いのほか写りは良好であるとして評判であったQ10ならびにその先代のQだが、センサーが大型化することにより、画質が向上することが期待できるし、暗所にも強くなることだろう。もちろんメーカー側としても群を抜く小型軽量さ(機動性)と表裏一体の関係にあるセンサーの小ささ(画質面の不利)についていろいろ検討した結果、こういう選択をすることになったのだろう。
画角の変更により、標準ズーム(F2.8-F4.5)の広角端が35mmの判換算で約27.5mmから83mmであったところが、Q7では23mmから69mmとなり、望遠ズームの望遠端(全域でF2.8というのは特筆すべき!)については、Q10までは83mmから249mmであったものが、Q7では69mmから207mmとなる。単焦点(F1.9)のレンズについては、47mmであったものが39mmに変更となる。
総体として広角側に寄ることになり、私としてはそちらのほうが好みではあるものの、人によっては不満に感じる場合もあるだろう。新型機で使用した際の画角変更に伴い、さらに望遠側に特化したズームレンズも近い将来Qマウントのレンズのバリエーションに追加されることもあるかもしれない。
もともと小型で軽いことがウリのこのカメラなので、Q10あるいはさらにその先代機のQと合わせて二台持ちで出かける人も多いのではないかと思う。異なる画角であるがゆえの使い手がある。
これまで7種類レンズが発売されており、魚眼やトイレンズといったチープなテイストの面白レンズもあり、総じて通常のデジタル一眼カメラの交換レンズに比べるとかなり安価である。サードパーティーのレンズは発売されておらず、レンズのバリエーションに限りがあることから、アレもコレもといろいろ物欲が生じないのはいいかもしれない。
そんなわけで、数量限定(公称1,000セット)のコンプリートキットというのはなかなかいいと思う。このセットで用意されているボディの色はブラックのみだが、Qマウントのレンズ7種類すべて用意されていて、おまけに本来は別売りとなっているレンズフードも付いてくるし、このすべてを収納できるというカメラバッグも含まれている。これらをすべてバラバラに量販店で買う場合と比較すれば、2割くらい安く済むようだ。
すでにQやQ10を使用している人たちは、こうしたレンズの多くを所持していることだろうから魅力は感じないことだろうが、初めてQシリーズに手を伸ばして使い倒してみようという向きには最適だ。
ペンタックスにとって、Qマウントのユーザー層の拡大は、同社のデジタル一眼の主力であるKマウントの売り上げにも貢献するものである。マウントアダプターを介して、Kマウントのレンズを装着して使用できるためである。
Kマウントのカメラが採用しているセンサーのサイズは1/1.7型であることから、Kマウントのレンズを使用すれば、500mm、1,000mm以上といった物凄い超望遠に相当することから、通常のデジタル一眼を使っていては望むべくもない体験をすることが「安価に」可能となるのがミソ。
そんなわけで、「もともと他社のデジタル一眼を使っていたが、携帯用にペンタックスのQシリーズに手を出してみたら、いつの間にかペンタックスのKシリーズも使うようになっていた・・・」という例も少なくないのではないかと思う。
まだ実機に触れていないため、正直なところ何とも言えないのだが、久々に「インドでどうだろう、この一台??」ということで取り上げてみることにした。

このところ経済界から『旬な国』とされているミャンマーだが、ついにこういった書籍まで発行されるに至っている。
これでもう迷わない!ミャンマー ビジネス・出張・駐在ガイド(週刊ダイヤモンド別冊)
コンテンツの一部をチラリと覗くこともできるようになっているが、読み物としてもなかなか面白そうだ。
私はミャンマーでビジネスを行なう人間ではないが、なかなか面白そうなので、目を通しておくことにする。


インドではなくバンコクの風景だが、路上に剥き出しのATMというのはちょっと抵抗がある。
インドではたいてい日本のそれと同じく扉の中にある場合が多く、加えて警備員も配置されていたりすることが往々にしてあるが、東南アジアではタイのみならずその他の国々でもこのように商業地の歩道脇にこのような形で設置してあることがよくある。
いくらくらい引き出したのか、少し離れていても一目瞭然であるし、すぐ近くに露店でもあれば、常にそのあたりに人の視線があるのは当たり前だ。ATMを操作する人の手の動きの観察に加えて、離れたところがデジカメのズームレンズでパスワードを盗み見ることだって難しくはないだろう。画像左上の部分には、なぜかバケツがぶら下げられているが、このあたりにスパイカメラが装着されていれば、いとも簡単なことだろう。繁華街の雑踏の中に異物があったとしても、そうそう気付くことはないはずだ。
このような場所で、さほど大きな金額を引き出すことは普通ないだろうし、人目に付く中では、案外大胆な犯行には及びにくいということもあるかもしれないが、それにしてもこのような環境で設置してあるATMというのは、やはり不用心だと思う。


ヒンドゥー寺院からの帰りに80thストリートの交差点でスィク教徒男性が路上で電話屋開いている。そのすぐ背後には政府公認の両替所がオープンしていた。少し前までは、この国での両替というば、非正規の「闇両替」ばかりであったが、最近ではこうしたちゃんとした両替商がいくつも出現している。

ふとその並びに目をやると、そこにはグルドワラーがあった。敷地内奥の事務所にいる老人、P氏は寺院の事務マネージャー。1936年生まれの77歳とは信じられないキビキビとした動きの男性である。ターバンは被らず、ヒゲも剃り落しているが、彼もまたスィク教徒である。

グルドワラーの設立は1905年とのこと。だが日本軍占領下で破壊されてしまい、再建したのは1950年代に入ってからとのこと。「基礎部分しかなくなってしまってね。土地だけ残った。」というから、ひどい状態であったらしい。「この礎石は最初に建てたときのものだよ。」

「悪いが、日本人というといいイメージはまったくないね。もちろんあんたが生まれるずっと前の話だから気にせんでくれ。ウチはイギリス側の人間だったから、占領時代にはそりゃあ大変だったんだ。」
パンジャーブのアムリトサル近郊の村からこの人の祖父が英軍兵士として来緬し、父親は警察官であったという。その後の印・緬分離、そして日本軍の占領、ビルマの独立、インド系コミュニティに対する1962年の軍事クーデター以降、社会主義化と国粋主義化を推進した政府による外国系市民に対する冷淡な扱い等々、激動の時代を生きてきたわけである。
そうした背景に、この人の人生や家族史を書き連ねると、壮大な歴史ドラマになることだろう。ちょうどアミターブ・ゴーシュの作品、グラスパレスのように。
「またあのような戦争がないことを願っています。」と言うと、「いやいや。男子たるもの、そういう時が来たらまた戦わなくてはならない。今度は誰が敵になるのか知らんけどね。」と豪快に笑い飛ばすP氏。高齢とはいえやはり尚武の民スィク男子の心意気といったところだろうか。

<完>

食堂の向かいの家の前に椅子を出してくつろいでいたムスリムの老人に声をかけてみると、見た目どおりにインド系で、流暢なウルドゥー語を操る人であった。
「ほう、日本人と話すのは久しぶりだよ。昔々、若いころには日本人と一緒に働いたものだ。いや、会社とかではないんだ。日本が占領していた時代に2年間くらいだったかなぁ、日本軍のもとで仕事をしたことがある。やれと言われたことは何でもやった。もう忘れてしまったが、日本語も頑張って覚えたから多少しゃべることができたよ。」
個々の兵士たちとの思い出話がいくつも出てくるところからみて、駐留していた日本兵たちとは、個人的にはいい関係を築いていたらしい。
「でも最後まで理解できなかったのは、天皇が神であり、人間である神のために死ぬという精神構造だな。あんたは今の天皇を神だと思うかい?」
もちろん私はそういう時代の人間ではないし、そのような考え方も私には受け容れられるものではないと答えると、彼はこう言った。
「これぞ正義と信じて戦っていた人たちも、戦争に負けると犯罪者として扱われることになってしまう。人間が決めた正義だの真実だのっては、時代が変われば簡単にひっくり返ってしまうものなんだ。」

タミル系のファミリーが経営する食堂から81st ストリートを南下すると、次の交差点にタミル系のヒンドゥー寺院がある。
そこを左、つまり東に折れると、ネパール系の人たちの「ネパーリー・ゴールカー・ダラムシャーラー」があった。大きなコンクリートの建物だが、上のほうにネパール式の屋根のついた建造物が乗っている。




敷地に入ってみると、クリニックやネパール語教室、学生団体などが入る2階建ての建物があり、そこから奥に進むと件のネパール式建造物があるコンクリートのビルがある。ロビーでくつろいでいた人たちに声をかけると、とてもウェルカムな雰囲気であった。ダラムシャーラーという名前が付いているものの、特に巡礼用というわけでもなく、ネパール系で商用その他で訪れる人たちが利用する場のようだ。さしずめ「ネパール系人会」といったところか。あるいは英領時代にイギリス系の人々をはじめとする欧州人たちが出入りしていた大人の社交場としての「クラブ」的な性格も有しているかもしれない。
ここでいろいろと話をしたRさんという39歳の男性は、Zhulian(アムウェイのタイ版みたいなもの)に入れ込んでいるらしい。マンダレーに滞在しているのはその事務所を開くためのだという。本来居住しているのはもっと北のほうで、ルビーその他の宝石・貴石を扱う仕事をしているそうだ。
「ちょっとお見せしたいものがあります・・・。」と私を連れて行った先は彼の逗留先の部屋。狭くて陽当たりも悪いが清潔だし、地元のネパール系の人たちが格安で利用できるとあれば悪くないだろう。
なんだかよくわからない健康食品、空気清浄機をはじめとする家電製品、ミラクルパワーが生じる?ベルトなど、いろいろ怪しげな品物を扱っている。なんだかなぁ・・・。
ここに集まっている人たちに話しかけてみたが、たいていが普通にヒンディーを話すことができる。移民してから幾世代も経過していることを思えば大したものだ。また、こういう部分からもネパール系コミュニティはインド北部からの移民コミュニティと不可分の関係にあるらしいことは想像できる。
ネパール系の人々のアーシュラムを出て少し東に進むと、真新しい北インド系のヒンドゥー寺院があった。境内で涼んでいた人たちとしばらく話をする。このお寺に集まるのは多くがUP(ミャンマーのインド系移民たちの言うところのUPとは、現在のUttar Pradesh州の地域よりも広大であった植民地時代の「United Provinces」)を中心とした北インド系のヒンドゥーたちの子孫だ。

「まだ出来上がってから5か月ほどしか経っていないのですが、こういう場所があると心がとても安らぎますね。」と中年の夫婦連れが言う。マジョリティの人々とは先祖の出自が異なるインド系の人々にとっては、こうした場所が存在するということは信仰そのもの以上に大切な「インド系民会」といった具合のコミュニティセンターとして機能しているのかもしれない。
<続く>







入口にはナーガがあり、シヴァ寺院であることを示しているのだが、その脇にはストゥーパがある。お堂内は仏教とヒンドゥーの神々が混淆した状態だ。ここの世話人と話してわかったことだが、驚いたことにこのお寺には祭祀を司るプージャーリーもいないのだそうだ。

仏教のお寺と見まがうようになっているのは、マイノリティであるヒンドゥーたちの寺院が地元仏教徒たちにも受け入れられるというに、ということがあるようだ。
そして世話人自身、仏教寺院に仏塔を奉納したりもしており、この寺の建立を含めてこれまで九つの寄進をしているのだそうだ。ここ以外はすべて仏教寺院であることからも、彼自身が仏教世界との融和を心掛けているらしいことが見て取れる。
その世話人、グル・ダットさんは、まるで昔の映画人みたいな名前だが、両親もそのつもりでそう名付けたのだそうだ。「おかげで、私の名前を一度聞いたら忘れる人はいないんだ」と笑う。
彼の祖父母がパンジャーブから来て定住し、彼自身は三代目でインドの地を踏んだこともないとのことだが、流暢なヒンディーを話す。
自身の子供はなく、誰かに財産を残す必要もいないので、こうした寄進を続けているともいう。彼は49歳。50歳を越えたらこうした諸般の事柄から手を引き、完全に引退生活に入るという。瞑想をしながら過ごすことにしたいと語る。
境内にいたヒンドゥーの人々の多くはネパール系。境内の木造の建物の中ではネパール語教室が開かれていた。これは毎日実施されているのだそうだ。黒板にはデーヴァナーグリー文字が書かれており、女性の先生が教えていた。私たちが教室の出入り口の前に立つと、全員起立して「ナマステー」とあいさつしてくれた。


ミャンマーのネパール系の人たちにとって、往々にしてネパールとインドは異なる国という位置付けではないようだ。ネパール系といっても、インド領の地域から移住した人たちも少なくないこともあるし、テーラワーダ仏教世界に移住した同じインド亜大陸を起源とするヒンドゥー世界の住民という意識もあるのだろう。ゆえにヒンドゥーとしてのアイデンティティとしての言語であるヒンディー語、そして民族の言葉であり、父祖の出身地域の言語であるネパール語という意識であるようだ。そんなわけで、日本人としての日本語、東北の人間としての東北弁といった関係に近いものがあるように思われる。
プージャーリー不在の寺とは不思議な気がするが、宗教施設というよりも、むしろインド・ネパール系の人々のコミュニティセンターとして機能していることは容易に理解できる。診療所も併設されていた。
スィーパウの町にはヒンドゥーの世帯は50ほどあるとのこと。寺院の収入とするための揚げ菓子を作ったり、包装したりという作業をしている人たちもあるが、ヒンドゥーのコミュニティ内で就労機会を分け与えるという意味もある。
ほぼすべてのインド系の人たちの母語は今ではビルマ語になっている。しかしながら彼らの間で、ヒンディーを理解するということだけで、ずいぶん大げさに歓迎される。民族語であるからして、他のコミュニティの人に通じることは通常ないため、自分たちの文化に対する強い関心を持っているということは伝わるのだろう。


<完>



スィーパウはミャンマーのシャン州の町だが、周囲に様々な少数民族の集落が多いことから、それらを訪れる目的でやってくる外国人は少なくない。


この町自体、ピンウールウィンやカローのような、英領時代を思わせるヒルステーションのような高貴な雰囲気はないのだが、シャン州らしい木造で味わいのある建物を多く目にすることができる。

マンダレーからラーショーに向かう鉄道路線の中間点であること、この地域は軍の要衝のひとつであることなどもあって、植民地時代に住み着いたインド系・ネパール系の人々の姿もよくある。
だがここで一番大きなプレゼンスを感じるのは、やはり隣国中国だろう。中国系の人々の姿も少なくないのだが、中国人が多いというわけではなく、数世代に渡ってミャンマーに暮らしている華人たちはよく見かける。それ以上に、中国製品の浸透ぶりには目を見張るものがある。
マーケットで売られている衣類や日用品といったものばかりだけではない。街道を行き交うトレーラーやトラックといった物資輸送の車両の多くは、もはや日本の中古車ではなく、左ハンドルの真新しい中国製車両だ。人々が乗り回すバイクも、価格が高い日本メーカーのものではなく、安価な中国製二輪車だ。


だがもちろん一般的な乗用車やバスは日本製の年季が入った中古車がほとんどだ。中・長距離バスとして使用されている日本の観光バスや長距離バスとして使用されてきた比較的新しい車両はもちろんのこと、古いバスの場合は「カーゴバス」と呼ばれる、前半分が乗客の座席で後ろ半分が荷物用となっているものを目にすることが多い。

パンカム村への一泊二日のミニトレッキングから戻ったばかり。空腹を満たすために出かけたのは華人が経営する食堂。中華系移民の子孫だが、慎ましい田舎町でこれほどの規模の飲食施設を経営できる才覚とは大したものだと思う。上階は結婚式その他のセレモニーに利用するホールとなっている。

<続く>

昨年12月からインドの娯楽チャンネルColorsで放映されている「クリケット版巨人の星」である『SURAJ THE RISING STAR』(全26話)は、今月で完結する予定だが、すでに再放送が決まっているようだし、続編の作成も検討されているなど、なかなか好評らしい。
インド国外からでも、日曜日の午前10時から10時半(インド時間)でColorsのチャンネルを視聴できる環境を用意できれば観ることができたかもしれないが、果たしてiPadやアンドロイドのアプリでこのチャンネルを閲覧できるアプリがあるのかどうかよく知らない。
ただしYoutubeあたりで番組名を入れて検索すれば、放送日時もクリップの長さもまちまちな一連の動画にアクセスすることはできるので、まあどんな感じのアニメなのかは知り得ることができるだろう。
さて、本日取り上げてみることにした本は、このアニメ番組の仕掛人であり、チーフプロデューサーでもある日本人著者の手による一冊。この作品の着想からそれをカタチにしていき、ついに世に出すまでのプロセスを熱く語っている。
書名 : 飛雄馬、インドの星になれ! インド版アニメ『巨人の星』誕生秘話
著者 : 古賀義章
出版社 : 講談社
ISBN-10: 4062181738
ISBN-13: 978-4062181730
通常の単行本以外にKindle版も用意されている。
2010年4月の着想から2年8か月かけて放送までこぎ着けたとのことだが、その道のりは決して平坦なものではなく、まさに山あり谷ありであったことが読み取れる。
これを実現させた著者の古賀氏は、『巨人の星』の主人公の星飛雄馬と同じか、それ以上の熱血漢であるようだ。スポ根アニメへの関心の有無にかかわらず、ぜひご一読をお勧めいたしたい。
タイ航空の子会社、ノック・エアーが今年9月からミャンマーへの乗り入れを計画している。
LCCではずいぶん前からエア・アジア、バンコク・エアウェイズがバンコクからヤンゴン便を運航させている。さらに前者は昨年10月からバンコクからマンダレーへのフライトを開始しており、後者も今年9月からこのルートに参入する。
そうした中で、ノック・エアーは、タイの地方とミャンマーの地方を結ぶ、よりニッチな市場に手を伸ばそうとしている。今年9月から、タイのメーソトからミャンマーのマウラミャイン間を結ぶようになる。
またヤンゴンへは、メーソトからのものと、現在はバンコクの第二空港となっているドンムアンからの乗り入れを年内に計画しているというのも興味深い。チェンマイからマンダレー、バガン行きの案というのも同様に面白い。
今後、ミャンマーは隣国タイとの繋がりを更に深めていくことになるようだ。国境地域は多くが政治的に不安定であるため、なかなか陸路で周辺国と自由に出入りできるようになるまではまだ時間がかかることだろうが、この先5年、10年のスパンで眺めれば、現状とは大きく異なる未来が目の前に開けてくるように思われる。
格安航空ノック、9月にミャンマー路線開設 (バンコク週報)