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カテゴリー: society

  • 電気式オートリクシャー

    電気式オートリクシャー

    インドで、デリーをはじめとする大都市圏を中心に、環境への配慮により電気式のオートリクシャーが導入されて久しい。最初はピカピカで物珍しく見えた車両もすっかり煤けてきて、街の風景に馴染んでいる。

    一度フル充電すると80km走行が可能とのことなので、通常のオートリクシャーよりも走行可能距離の面で不利なので、主に街中で短距離間の往来に用いられる。まさにそうしたエリアこそが排ガス等による汚染がひどい地域なので、電気式オートリクシャーが活躍するのにふさわしいと言える。今後、バッテリー容量の改善が進んでいくであろうことを期待したい。

    加速や最高速度はCNGやガソリンエンジンのオートに対して見劣りはするものの、エンジンによる振動や騒音なしで、スス~ッと滑るように進んでいくので乗車していても心地よい。

    デリー等の路上とは関係ないが、alibaba.comにて、いろいろな電気式のオート三輪が販売されており、こうした中から1台購入して、街乗りに使ってみたいものだと思ったりもする。

  • 朗報 インド国鉄機関車にACとトイレ導入

    通常、インド国鉄の機関車にはトイレがない。長距離を走る列車の場合、途中で運転士の交代はあっても、腹具合が悪くなることもあるだろう。鉄道の運転士はかなりの激務で、40歳を越えたあたりで、続かなくなるケースも少なくないと聞く。

    もう何年も前から、「もうじき機関車にトイレを導入」「機関車内にトイレを設置することとなった」という記事はしばしば目にしていたものの、ここにきてようやく実現することとなった。

    さて、このたび貨物列車用の機関車に空調とともに備えられたトイレだが、安全上の理由から、機関車が停止してブレーキがかかっている状態でのみ、トイレのドアを開けることができるようになっているのだという。

    鉄道予約や上級クラスの客車内の設備等に比較して、運行に直接関わるハード面での整備はまだまだ遅れているので、このような面からも少しずつ改善がなされていくことは、イン鉄ファンとしては喜ばしい。まずは乗客全員の命を預かる運転士に、万全の体勢で職務に臨んでもらうのは当然のことである。

    Railways launches first diesel locomotive with AC vaccum toilet for train drivers (The Financial Express)

    After 163 Years, Indian Railways To Finally Install Bio-Toilets In Train Engines For Drivers (indiatimes)

  • 燃える土地 ジャリヤー

    ジャールカンド州の州都ラーンチーから東に位置するダンバード地区の西ベンガル州境附近のジャリヤー(झरिया)は英領期から長きに渡って炭鉱で栄えてきた土地。最寄りの鉄道駅はダンバード・ジャンクション。ここはシャターブディー・エクスプレスその他のメジャーな列車が停車する大きな駅だ。

    現在、インドでは製鉄業を中心に、燃料の2/3は石炭が使用されるという。インド自身、世界第三位の石炭産出量を誇るが、実にその3/4はここから採掘されている。ここではCoal India Ltd.やBharat Coking Coal Ltd.といった、この分野ではインドを代表する大きな政府系企業が操業している。

    400平方キロメートルの面積に75もの炭鉱があるというほど集中しているが、そのエリアには100万人超の人口を抱えていることも特筆される。この地域では、石炭の埋蔵量が豊富であることだけではなく、地表近くに鉱脈があることでも知られており、それがゆえに採掘が容易である。ゆえに違法採掘が絶えないだけではなく、住民たちの中で炭鉱労働に従事してはない人たちも簡単に石炭を採取しては売りさばくといった形で、家計の足しにしていたりする例も数多いという。

    この地域に住む人たちは部族民が中心だ。しかしながらこれを取引するのは地域外の人たちである。地下資源に恵まれながらも、外界から搾取される存在であるという矛盾がある。
    こうした土地なので、政治で暗躍する人たちや炭鉱マフィアたちのパワーゲームが常時展開する暴力的な風土もあるらしい。

    地表近くに鉱脈があることによる利点と同時にデメリットも大きい。河川や土地の汚染はもちろんのことだが、住宅のすぐ脇から火が噴いていたり、100年以上も続いている燃焼により、地下が空洞となることから地盤が陥没したり、その上にあった建物が崩壊したりなどしているとのことだ。これによって廃線となった鉄道路線もあるとのこと。参考記事のリンクを以下に付しておく。

    India’s Jharia coal field has been burning for 100 years (CNBC)

    健康被害もまた甚大なようで、石炭で潤うことにより、田舎の部族中心の社会としては例外的に栄養問題がほとんどないとされるようだが、採掘と地下の燃焼による大気汚染による呼吸器疾患を抱える人々の割合が異常に高いとされる。

    観光で訪れるような場所ではないが、街から少し出ると石炭採掘現場があり、蔓延する違法採掘現場はマフィアが取り仕切っているため、カメラやビデオなどを回すとかなり高い割合でトラブルに巻き込まれるという話もある。

    ジャリヤーを取り上げたドキュメンタリー番組はいくつもあるが、下記リンク先が特に秀逸なので閲覧をお勧めしたい。

    INFERNO: JHARIA’S UNDERGROUND FIRES (PSBT INDIA)

  • ジャナクプル鉄道

    BBCは亜大陸の鉄道に関する番組で数々の秀作を世に送り出しているが、これもまたそれらの中のひとつ。

    Janakpur Railways – BBC Documentary (Youtube)

    隣国インドで鉄道が社会のインフラとして格別の存在感を示しているのとは裏腹に、ネパールはインドと国境を接する南側で、ジャナクプルからインドのビハール州のジャイナガルまでを結ぶローカル線くらいしかないのは、山国であるだけに仕方のないことだ。もっともこの状況については、近年ネパールに接近している中国が青蔵鉄路のネパール国境までの延伸、そして首都カトマンズまでの接続という、いつになったら実現するのか容易に想像さえできない壮大なプランを示しているので、遠い将来にはこの国における鉄道の地位が飛躍的な向上を見せることになるのかもしれない。もちろんインドはそうした状況を座視しているわけにはいかないのだが。

    それはともかく、上記リンク先の番組では、ジャナクプルの鉄道のもとに展開する人々の様々な暮らしぶりが取り上げられており興味深い。施設も車両も老朽化が進み、しばしば運休となったりするなど、かなりキビシイ状況のようだ。私自身もだいぶ前にジャナクプルを訪れた際、インド国境手前まで行ってみようとしたのだが、その時は洪水の関係で運休していた。駅構内をしばらく散策してみたが、タライ平原の街であることもあり、眺めた感じはインドの片田舎の鉄道駅という印象であった。

    この路線のインド側の終着駅であるジャイナガルは、元々はメーターゲージの軌道の路線が乗り入れていたが、現在ではブロードゲージ化されており、ここからインド各地に直行できるようにもなっている。そんなわけで、タライ地域の人々、とりわけジャナクプルやその周辺部に暮らす人々にとっては、就労や進学その他で隣国インドの大都市に向かう際には、以前よりも使い勝手の良いものとなっているに違いない。

  • インドのケータイ電話

    有名ブランドのショールームに立ち寄ると、ずいぶん高価で高性能なスマートフォンが並んでいるし、知人たちの中にはかなり頻繁にこうしたモデルを買い替えている人たちもある。単価が高いだけに、さすがに都市部では購買力の高い人たちが多いものだなと感心したりもする。バスやメトロ車内で着席していても立っていても、液晶画面に目を落としている姿は万国共通のものとなっている。

    安価なモデルも広く出回っていること、もともと中古品の取引も盛んであることなどから、さほど所得が高いと思われない層にも広く浸透していて、若い年代のオート運転手たちもフェイスブックなどに投稿していたりする。加えて、廉価なプリペイドのプランも多いがゆえに、インドのケータイ市場は非常に民主的?であったりもするし、デュアルSIMつまりSIMを2枚挿入して使い分けることができるモデルもまた多い。

    そんなインドのケータイを価格、OS、各種スペック別に俯瞰することができるサイトのひとつにこういうものがある。

    snapdeal

    当然のことながら、価格帯ごとに各メーカーの主戦場が分布している。インドのように携帯電話のランニングコスト(新規回線契約や通話にかかるコスト)が廉価な国であれば、普段の通話用にガラケー、データ通信にスマホと、2台持ちしても負担にならないのがいい。ガラケーについては、使いやすそうなモデルが1,000Rs前後で豊富に用意されており、まさに庶民の味方という感じがする。

  • 鉄道でデリーからレーに移動することできる時代がやってくる?

    これまでに幾度かメディアで話題になっているヒマーチャル・プラデーシュからラダックのレーへの鉄道建設。かなり本気の計画のようだ。2年近く前のものになるが、下記の記事を見る限りでは、軍事的な要素が強いようだ。つまり中国との有事を視野に入れた高速大量輸送を可能にするという点だ。

    ヒマラヤの急峻で険しい地形のもとで、技術的にも費用面でも本当に可能なのか。実現できるとしても何年かかるのだろうか。そして建設工事や維持にかかる環境負荷も相当大きいのではないかと思われる。この地域を訪れて雄大な山々を目にしたことがある人ならば、このようなプランを耳にしても、とうてい信じられないだろう。

    Nod for Bilaspur-Manali-Leh rail line heartens Himachalis (THE TIMES OF INDIA)

    Leh to be connected with rail line with Delhi via Bilaspur (DAILYEXCELSIOR.COM)

    パンジャーブ州境に近いヒマーチャル・プラデーシュ州のビラースプルから同州のマナーリー、ケイロンを経て、さらにはタグラン・ラを越えてラダックに至るというルート。

    さらにはこれに留まらず、レーからカルギルを経てスリナガルへと鉄道を繋ぐ計画もあり、現在カシミールにて建設中で、すでにバーラームッラーからバーニハール間で走行しているカシミール鉄道と接続するという壮大なプラン。

    もしこれが完成すると、このようなルートとなる。

    このカシミール鉄道は今後ジャンムー・ターウィー駅まで延伸されるため、デリーから時計回り、反時計回りでこれらの地域へ鉄道でアクセスすることが可能になるとされる。

    ラダック地方やその周辺地域の文化的特殊性は、夏季の限られた期間にしか外部からアクセスできないという地理的な閉鎖性による部分も少なくないと思われるので、こうした鉄道敷設により、これが年中可能となると、このエリアにおける文化的な影響も相当大きなものとなることだろう。

    その反面、ラダック地方においては、ほぼ夏季に限られる観光業の収入以外にも現金収入の機会が増えること、季節を問わずに陸路でインド各地と往来できるようになることから、他の産業の育成にも繋がることになるのかもしれない。

    ただしそれがラダックの人々を利することになるのか、そうではなく外の人たちがラダックで稼ぐ機会だけを増大させることになるのかは、まだ建設が始まってもいない現時点では何とも言えないだろう。少なくともラダックの美しい景観を損なうことになるのは間違いないように思われる。

  • 第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    どんなイベントであっても、毎年継続して行われていると、「恒例」となり、広く知れ渡るようになってくる。

    野山を切り拓いて住宅地が造成されたとする。新聞の広告や電車内の吊り広告などで目にしたことをきっかけに、現地を見に行ったら気に入って購入した人たちが順次引っ越してくる。土地に何のゆかりもない人たちが集住することになるが、そんな中でも○○町内会、××商店会といったものが構成されていく。最初はよそよそしい間柄であっても、やがて見様見真似で盆踊りや秋祭りといった行事を始めるようになってくる。

    はじめのうちはすべてがぎこちなかった運営側も、勝手わからずというムードだった参加者側も、回数を重ねるごとにこなれてくる。日常でも、両隣から同じ通りの人たち、さらには商売や子供幼稚園、保育園や学校の繋がりといったチャンネルが増えていくとともに、人付き合いは広がっていく。

    始まりはまったくの「無縁社会」であった新興住宅地に「地元感」が溢れるようになってきて、そこで育った二代目以降の世代にとっては、紛れもない地域社会そのものとなる。

    ただ、新興住宅地が、昔ながらの土地と大きく違うのは、一気呵成で開発・売り出しがなされた地域に移ってくるのは、たいてい子育て世代が中心の似たり寄ったりの年齢層から構成されることだ。時間の経過とともに年齢層に幅が出てくるものだが、それにしても移り住んできた親世代が老境に差し掛かり、子供世代が結婚して子供をもうけてという具合に、地域の住民全体がひと回り、ふた回り年齢が上がっていくという特徴がある。

    同様のことが日本に定住した南アジア系の人たちの社会についても言えるだろう。バブルの頃に出稼ぎでやってきたバングラデシュやパキスタンの人々だ。彼らの子供たちが成人する時期に差し掛かっているとともに、すでに長年日本に定住しているおじやおばをツテに日本を留学先に選んだ若者たちがやってくる。

    これとは異なる流れとして、2,000年以降、中国や韓国からの留学生数が頭打ちとなったことにより、危機感を抱いた日本語学校の多くが、生き残りをかけて他の国々を模索した。現在もその努力は続いている。関係者の開拓により、スリランカやネパールから日本語を学ぶために来日する若者が急増している。

    バブルの頃から現在に至るまで、四半世紀ほどの時間が経過したが、いつの時代も様々な志を抱いて日本に渡ってくる南アジアの人々がいた。もちろんそうした人たちの間では一時的な滞在先でしかないというケースも多かったし、日本に腰を据えて住み着いた後に第三国に渡ったり、帰国したりする人もまた少なくない。とかく人の出入りは盛んではあるものの、決して少なくない数の人たちが日本に根を下ろして定住している。

    そうした中で、とりわけバングラデシュの人々については、日本での定住志向がかなり強いケースが多いようだ。子供たちを日本の公立学校に通わせて、家庭内での会話も日本語になっているということはまったく珍しくない。

    今年で17回目となる「カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」に参加するバングラデシュの人たちには、家族連れの常連客の姿が大変多いが、その子供たちもすでに成人していたり、そういう年齢に達しようとしている人たちが少なくない。こうした「日本生まれのベンガル人」にとっては、物心ついたころからすでにあった年中行事となっている。あと数年すると、バブルの頃に移住した世代に孫が生まれたりもする時期に差し掛かっている。

    イベントを立ち上げて、長年に渡りこれを育て上げてきたバングラデシュの人たちに敬意を表するとともに、今後ますますの発展をお祈りしたい。

    今年は4月17日(日)に開催される。時間は午前10時から午後6時まで。場所は例年どおり東京都豊島区の池袋西口公園だ。


    カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ (JAPAN BANGLADESH SOCIETY)

  • ビハールが禁酒州に

    昨日からビハールは禁酒州に移行。しかしU.P.州では酒税率の削減により、酒類が安くなる。生活習慣が大きく異なるわけではなく、隣り合う州なのに。アルコールに起因する社会や生活の問題、酒という個人の楽しみと製造・販売の利権、どちらも票になるので、政権が社会のどのあたりの歓心を買おうとしているかによって転ぶ方向が違う。州ごとの自治性の高さからこうしたコントラストが生まれてくる。

    Complete ban on alcohol in Bihar from today (The Indian Express)

    Liquor prices come down in UP after state govt slashes excise duty on alcohol (India Today)

    禁酒となっても、闇であちこち流通していることだろう。インドでは、他にも禁酒州はいくつかあるが、ブラックマーケットではかなり高い値段で取引されているかといえば、そうとも限らないようで、政府に税を払わずに売りさばくので、酒が合法な州よりも安く手に入るということもなきにしもあらず、のようだ。

    こちらは2007年にindo.toにアップした記事だが、これはグジャラート州の酒に関するもの。当時、禁酒を見直す動きがあったものの、現在までのところ、この情勢には変化なし。

    グジャラート州 酒類解禁への道 (indo.to) ※2007年2月の記事

  • 手書き文字の訛り

    手書き文字の訛り

    東京都内のインド料理レストランにて。日替わりカレーのメニューを書いたのは、注文とレジ担当のAさん(ネパールの方)だな、と判ってしまうのは、やはり手書き文字の調子から。

    人によって程度の差こそあれ、外国語を話すときにアクセント等で母語の影響が見られるのは当然のこと。日本語が大変流暢でも、少し会話するだけで出身国が中国だな、とかミャンマーの人だろうなどと判るものだし、在住歴20年を越える日本生活ベテランの韓国人でも、ひょっとしたところで韓国人らしいアクセントが出たりすることが少なくない。

    幼い頃から日常に用いているのではなく、大人になってから習得した言語の場合はたいていそういうものだ。そこで生まれ育った人と違うアクセントであることは決して恥じるようなものではなく、自身の文化背景のひとつでもあるので、わざわざネイティヴのアクセントを真似る必要もないと私は思う。

    実は手書き文字でも書き慣れた母語の痕跡が見られるということはしばしばある。タイの人が書いたもの、アラビアの人が書いたものなど、一目でそうと判ることは決して少なくないし、英文などでもそうした傾向が見られるもので、バングラデシュの人が書くローマ字には、なんだかベンガル文字風の重厚な雰囲気が醸し出されていたりすることもある。そうした「手書き文字の訛り」例のひとつが、この画像にある黒板上のデーヴァナーガリー文字風手書きメニュー。

    また母語の文字の影響とはまた別の部分で、表記の慣習の違いなどもあったりする。通常、私たちが、数字の7を書く際に、縦棒の真ん中あたりに短い横棒を入れないのは、日本語の表記慣習のためであろう。日本人が「和式」で手書きした「7」を何の疑いもなく「なな」と認識できるようになると、かなりの「日本通」ということになるかもしれない。

  • 80年代イランの切手

    80年代イランの切手

    初めてイランを訪れたのは、ホメイニー師が亡くなってからすぐあたりであった。別に切手を集める趣味があるわけではなく、旅先で記念切手?を購入するということは、後にも先にもなかったのだが、この類の切手だけは有名であったので手にしてみたかった。

    1979年に発生したアメリカ大使館占拠記念

    1988年に起きた米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾
    交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難

    当時のイランでは、大きな役所等の壁に「アメリカを打ち倒せ!」みたいなスローガンと勇ましいプロパガンダ画などが描いてあるのを目にした。

    最初の切手はアメリカ大使館占拠記念、次は米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾、三番目は交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難。
    ・・・といっても、イラン政府による「官製反米姿勢」とは裏腹に、イランの一般の人々の間で、こうした反米感情が渦巻いているわけではなく、極めて穏健かつゆったりとした人たち。

    急進的な近代化を推し進めたパフラヴィー朝に対する宗教勢力を中心とする保守勢力に、これとは異なる側面、つまり王朝による強権的な支配、利権構造、腐敗などを苦々しく思っていた市民たちが、変革を期待して肩入れした結果、革命が成就することとなった。

    しかしながら、王朝が倒れてからは、大多数の市民が期待したような方向に向かうわけではなく、今度は宗教勢力が大衆を強権支配するようになった。きちんと教育も受けていないならず者みたいな者たちが、政府の治安機構で用いられ、新しい政権が示したコードに従わない者をどんどん処罰していく。

    さらには「革命の輸出」を警戒する中東近隣国との関係も悪化し、「ペルシャ湾岸の衛兵」的な立場にあった王朝が倒れることにより、欧米からも強く懸念される存在となり、大産油国でありながらも経済は悪化していったのがこの時代。

    そのため、市民の多くは「王朝時代は悪かったが、今もまたひどいものだ」と呻吟する社会が当時のイランであったわけで、それなりの資産とツテのある人たちはアメリカその他に移住していくこととなった。

    東に隣接する南アジア社会に較べると格段に高い生活水準と立派な街並みなどから、当時の私なぞは、あたかも東ヨーロッパに来たかのような気分にさえなったものだ。イランの人々の風貌はもちろんのこと、当時の地味な装い、イスラーム革命により、1979年に王朝が倒されてからは、経済面では社会主義的政策を取っていたこともあり、そんな雰囲気があったともいえるかもしれない。

    当時は、観光目的で三カ月以内の滞在については、査証の相互免除協定があったので、日本人である私たちがイラン入国に際してヴィザは不要で、イランの人たちが日本に来る際にもそうであった。    
          
    つまりイラクとの戦争が終結したあたりから、イランから日本に出稼ぎに来る男性たちが急増したのは、ちょうどこのあたり。東京都内では、ヤクザみたいな恰好?したイラン男性たちをしばしば見かけて、イラン旅行中にはいつでもどこでもお世話になった紳士的かつ親切な人々の姿とのギャップにちょっとビックリしたりもした。でも、当時日本に出稼ぎに来ていた人たちの大半は若者だったので、故郷の地域社会の縛りが解放されて、ちょっとツッパッてみたい年ごろだったんだろうな、と思う。

    当時のイランではNHK連続ドラマの「おしん」が吹き替えで放送されていたようで、各地でよくそのストーリーについて質問された。だが私はその「おしん」とやらをまったく見ておらずよく知らないので、逆にイランの人たちに尋ねる始末であった。(笑)人気ドラマにしても芸能人ネタにしても、自分の興味のない部分についてはまったく知識を吸収できないので、ときに困ることがある。この部分については、今になってもまったく治っていない。

    そんなイランがこれから大きな変化を迎えようとしている。これまで長く長く続いた冬みたいな時代であったのかもしれないが、ホカホカと暖かく素敵な春を迎えるようになることを願いたい。

  • ダッカの高架鉄道建設 東急建設が受注

    かつてはサイクルリクシャーの洪水となっていたバングラデシュのダッカの往来。その頃はエンジンの付いた乗り物といえば、市内バス、トラック、シェア乗りが主体のオートリクシャーくらいのものであったのは今や昔。世界有数の渋滞で知られるようになっている。
    こうした状態は途上国のいずこの大都市も避けては通れない道だ。


    Traffic Jam at Dhaka in Bangladesh (Youtube)

    この解消策としてバイパスや立体交差の建設、車線の拡張などが実施されることになるのだが、同時に徒歩で移動する人たちの路上交通によらない運輸手段の整備が必要となってくる。それが地下鉄であったり高架鉄道であったりするわけだ。
    さて、このほど東急建設がダッカのMRT(Mass Rapid Transit)としての高架鉄道建設を受注。総延長20kmに及び市内を南北に縦断する形で敷設されるのだとか。
    工事が開始されると、完了時までは現在の渋滞に更に拍車がかかった状態になるかと思うが、2021年に予定されている全線開通以降は、今とはかなり違った様相となっていることを期待しよう。

    東急建設、バングラで鉄道工事受注 日本企業で初(日本経済新聞)

    ダッカ市に高速高架鉄道! 渋滞緩和へ向けて進む都市計画(JICA)

  • さくらフェスティバル2016のセキュリティチェック

    さくらフェスティバル2016のセキュリティチェック

    例年、桜の満開日に近い週末に開催されているが、今年は大使館の見立てが少し外れたのか、まだ三分咲きといったところの本日。
    今回ひとつ気が付いたことに、大使館敷地に入る際にセキュリティチェックが実施されるようになっていること。

    セキュリティチェック

    正門は退場専用となり、普段は閉じられている裏門からのみの入場となっていた。
    このイベントがうまく満開時と重なった年には、物凄い人出になる。インドの都市の様々なところでセキュリティチェックが厳しいこととは裏腹に、日本にあるインド大使館のイベントはずいぶん緩いと感じていた。何かあったら危険かもしれないと思うこともあったので、やはりこれがあるべき姿だと思う。
    治安が良い日本の首都とはいえ、同様にテロを起こすような輩にとっては、非常に実行しやすい環境でもある。どこにどんな人間が紛れているかもわからないものだ。
    さて、そのさくらフェスティバルだが、やはり満開日までしばらくあるためもあってか、あるいは私が訪れた時間帯が早かったためなのか、かなり閑散とした印象であった。