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カテゴリー: life

  • 生業 2

    話はバーンチラーに戻る。マディヤ・プラデーシュ州で指定カーストのカテゴリーに入っているこのコミュニティでは、伝統的に農耕と売春を生業とする人が多いという。家庭を経済的に支えるために、最初に生まれた娘が娼婦となるのが長らく続いてきた習慣であるとのこと。

    奇妙なことに、バーンチラーの人々の中には、自らをラージプートだと自称する例も少なくないとのことだ。この地を諸侯が群雄割拠していた時代、自らが仕える王家のために身内の女性を娼婦に仕立て上げ、敵方の要人のもとにスパイあるいは刺客として送り込むことをためらわない忠誠心を持つ武人階級であったという言い分だ。

    彼らが今のマディヤ・プラデーシュの北西部に多く住むことになったきっかけは、当時イギリスがその地に駐屯させていた兵士たちの慰安目的で娼婦たちを必要としたことによるものであるという説があったり、ムガル帝国が領土拡大のために各地に遠征を繰り返していた時代、バーンチラーの女性たちを多数同行させていたとする伝承があったりするなど、性を生業としてきた歴史はかなり長い。

    近年、そのコミュニティの中では自らの身内の女性が娼婦となる以外に、外部の女性とりわけ幼い子供たちを売買するブローカーとしての役回りをする者が出てきており、同州周辺地域はもちろんのこと、遠くは中東方面にまで手を広げているケースもある。

    インディア・トゥデイの3月30日号にもその関連の記事が出ていたのだが、当のバーンチラーのコミュニティの中から、先祖伝来の悪しき習慣を改めようと努力する人たちの動きについても取り上げられていたのは幸いである。

    だがマディヤ・プラデーシュ州内では、バーンチラーの他にもベーリヤー、カンジャル、サーンスィーといった、やはり売春が盛んなコミュニティがある。長らく続いてきた因習の連鎖を断ち切るべく行政は働きかけているそうだが、あまり効果は上がっていないという。

    <完>

  • 良き仲間たち

    良き仲間たち

    4月17日(日)に東京豊島区の池袋西口公園にて『第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が行なわれた。

    3月に発生した東日本大震災の影響で、様々なイベントや催し等の中止や延期が相次いでいる中、地震による被災者支援チャリティを全面に打ち出しての開催である。

    在日のバーングラーデーシュ人と日本人との交流の機会であるとともに、前者にとっては毎年開かれているこの集まりで『同郷の友人・知人がやってくるから』とわざわざ東京から離れた地方からも長距離バスや新幹線等で駆けつける人も多い。

    そんなことから自粛という選択肢ではなく、地震による被災支援という姿勢で臨んだということもあるかと思うが、何も生み出すことのない後ろ向きの『自粛』ではなく、能動的な形で取り組んでくれたことは高く評価できるだろう。

    ともあれ地震、津波はもとより、福島第一原発の事故による放射能に対する懸念から、3月中旬以降、東日本在住の外国人たちは大挙して国外に出て行った。

    たまたま仕事その他の都合で一時的にこの地域に居住している人たちにとって、帰国あるいは第三国にも収入の途あるいは就業機会が容易に得られる見込みのある状態にあれば、わざわざこの地に残らなくてはならない理由というのはあまり見当たらないはずだ。日本からの出国は至極当然の行動なのではないかと思う。

    そんなわけで、今年のボイシャキメーラーではバーングラーデーシュの人たちの姿はかなり少ないのではないかと想像していた。昼ごろまでは人出もまばらであった池袋西口公園だが、午後になると急速にベンガル系の風貌の人たちが増えてきて相当な混雑となり、昨年以前とその様子は変わらないようである。眺めた感じ、 会場内の群衆の三分の一くらいはバーングラーデーシュの人々であったと思う。

    家族連れも多く、ステージで順次繰り広げられる詩の朗読、音楽の演奏、舞踊といったプログラムの中で、バーングラーデーシュ人と日本人を両親に持つと思われる少年が日本語訛り(・・・と思われる)ながらもベンガル語で立派にスピーチをこなし、ステージ周辺ではベンガル人の両親に連れられてやってきた小学生が複数の日本人同級生とおぼしき子供たちと一緒に遊んでいる姿も見られる。

    日本人と結婚した人が多い(主に夫側がバーングラーデーシュ人)ということもあるが、在日のバーングラデーシュ人たちは日本での定住・永住志向が強い人が多い。そんなわけでこうした子供たちが通う学校は普通の公立学校であったりする。同様の傾向が最初は同国から留学生としてやってきた人たちにもいえる。例え結婚相手は故郷の両親が決めた自国の女性であっても、就職後は日本に定住するというライフプランを描いている人が多く、前者と同様に日本国籍を取得している例も少なくなく、日本社会への同化の度合いはかなり高い。

    主にバブル期に来日して日本に定住した後に日本で家庭を持ったバーングラーデーシュ人の子供たちの中で年長の部類の中からそろそろ実社会に出る者が出てくるころである。

    新規来日組では、留学・就労その他の目的での男性の単身者の来日が多いコミュニティではあるが、経済的にはあまり楽ではないと思われるそうした若い人たちの中でも、募金箱に千円札をソッと入れてくれている人がけっこういることに気が付いた。

    震災後、世界各国から寄せられた様々な支援についての報道を目にするが、日本社会に根付いて暮らすバーングラーデーシュ出身の良き仲間たちからの温かい善意も決して忘れてはならないと思う。

    ※『生業2』は後日掲載します。

  • 生業 1

    このところインドのメディアの人身売買にまつわるニュースにて、バーンチラーというコミュニティのことが取り上げられているのをしばしば目にしている。マディヤ・プラデーシュ北西部からラージャスターン南東部あたりに分布しているコミュティである。

    インドにあまたあるコミュニティには、それぞれ特有の習慣を守り、固有の生業で生計を立ててきた人たちが多い。もちろんそうした古い社会の枠組みは現代においてもそのまま存続しているというわけではないし、あるコミュニティの特徴的な部分にて、それを構成する人々すべてを一般化してしまうのも誤りだ。

    ただし特定のコミュニティがある業種において特殊な技術、知識、既得権を握っていたり、部外者が新規参入するのが困難であったりということがないとは言えないし、何かとそうした縁がものを言う分野もあることだろう。

    それとは逆にいわゆる賤業とみなされる分野においては、その職域を外部から敢えて侵すことにより、新規参入者にとって何か経済的に大きな利益が上がるということでもなければ、社会から賤しまれて収入も少ない生業が世代を越えて連綿と受け継がれていくということもあり得る。

    現代インドでは、そうした出自によるハンディキャップによる格差を是正するために指定カースト、指定部族に対する留保制度が用意されている。­そうした措置のおかげで特に出自の低い人たちの生活や教育の水準が上昇し、次第により公平な社会が実現されるのが理想だろう。

    留保制度によって一流大学に入学できたり、さらにはその後IAS(インド高等文官)その他ステイタスの高い職業に就くことができたりといった具合に、底辺で苦学してきた人たちがインドという大きな国を動かす側に回る例は決して珍しいことではない。能力とやる気がありながらも生活苦で野に埋もれようとしている人々を数多く救済している。

    しかしながら、留保制度という逆差別は、憲法に謳われている万民の平等と矛盾する部分もある。留保の対象となる指定カースト(SC)、指定部族(ST)、加えてその他後進諸階級(OBCs)以外の人々の機会を奪うことにもなる。

    所属するコミュニティによって秩序だった教育、所得、生活水準があるわけではなく、『留保対象以外の人々』が必ずしも『留保対象の人々』よりも恵まれた境遇にあるとは限らないことに留意が必要だ。

    留保制度は長らく政争の具ともなっており、年月の経過とともに新たに留保対象として指定されるコミュニティが増えるとともに、留保の割合もことあるごとにいじくられてきた。

    果たして留保制度が現行のままで良いのかどうかについて、誰もがいろいろ意見のあるところではないだろうか。それでもインドにおいて、政策のツケは広く民意を問う選挙という公平な手段により、国民自身が審判を下す民主的なシステムが徹底している国であるだけに、難しい匙加減のもとでそれなりにバランスが取れていると見ることはできる。

    かつてと違い、今のインドのとりわけ中央政界においては、大政党が過半数を得られることなく、大小含めた主義主張の異なる様々な政党の寄合所帯となっている。それがゆえに右派勢力が政権を取ろうとも、中道左派の国民会議派が支配しようとも、連立政党や閣外協力政党にも配慮した運営が求められる。結果として極端な方向に舵を切ることなく、穏健でバランス感覚に富んだ政治が続いているように見受けられる。

    <続く>

  • デリー発ブータンツアーの価格

    デリー発のブータン行きのツアー(パロー・プナカー・ティンプー)が手頃であることに気が付いた。7泊8日で33,333Rsである。同時期の同じく7泊8日のタイ行きのツアー(バンコク・プーケット・パタヤー)が39,999Rsであることと比較すると、ずいぶん値ごろ感がある。

    Amazing Bhutan (makemytrip.com)

    Fun-tastic Thailand (makemytrip.com)

    上記の金額はインド国籍の人向けのものであり、私たちが利用できるわけではない。ブータンは独自の鎖国政策の関係で、外国人の入国を大幅に制限している。観光目的で訪問する場合も通常はツアーのみとなる。

    そして3人以上のツアーの場合、各々の滞在費用が1日当たり200米ドルとなる。モンスーンの閑散期には165米ドルに下がるようだが、それでもまだずいぶん高い。これらはツアー・オペレーターを問わない公定価格となっているようだ。加えて物価上昇と米ドルの価値が漸減していることにより、2012年1月から250米ドルへと値上げが予定されている。もちろんのことながら、これらの金額にはブータン出入国にかかる国際線チケット代は含まれていない。

    外交上、ブータンと特別な関係にあるインドの国籍を持つ人たちについてはこうした『外国人料金』は適用されないことから、こうした価格でのパッケージツアーが実現している。

    ただしブータンという国について、私たち外国人が憧れるのと同じようなイメージをインド人観光客たちが抱いているかということについてはちょっと疑問がある。すぐ隣の国であることに加えて、自国の広大なヒマラヤ地域とひと続きの位置にあるということもある。

    またインドといっても広いので地域にもよるが、北インド都市部とりわけ東側地域に滞在・在住しているブータン人たちはけっこういる。西ベンガル北部では、商用・観光・買い物その他の目的でやってきたブータンの人たち、そしてブータンのナンバーを付けたクルマもよく見かける。

    同様にブータンに仕事のために在住しているインド人も少なくない。下は土木作業の労働者から上は様々な分野の専門家まで、広い分野に関わるインド人たちがいる。

    ブータンのテレビ放送のネットワークはインドの技術援助によって実現したものであるし、通信網も同様だ。現在、ブータンで国語であるゾンカ語関係を除き、たいていの科目は英語を介して教えられている。政府の意志で教育の英語化が推進されたためであり、1970年代以降に教育を受けた人々ならば、流暢な英語を話すようになっているようだ。だがその『英語環境』をブータンの教育現場にもたらした人々とはインド人教師に他ならない。

    先述のブータンとインドの間の特別な外交関係と繋がりでもあるが、ブータンが独自に在外公館を持たない国にあっては、現地のインド大使館がその部分の役目を担う。

    そんなわけで、在インドのブータン王国大使館は、在日本の業務も兼轄しており、担当官が毎年一定の時期に来日して東京の在日本インド大使館にて執務することになっている。

    それらはともかく地理的に近いこと、人の往来も盛んなことなどから、インドの人々とりわけブータンからあまり遠く離れていない地域に住んでいる人たちにとっては、日本人が抱くような『秘境』といった印象、『鎖国政策』を続けている閉ざされた国という印象はあまりないかもしれない。

    それよりむしろチベット系仏教徒たちの見慣れたイメージ、自国にもある景色や眺めの延長線上にあるように、地味に捉えている部分のほうが大きいのではないかとも思う。

    インドの人々にとってのブータンは、ヴィザや高額な滞在費といったハードルがなく、経済的にも時間的にもちょっとゆとりのある人ならば、いつでも訪れることのできる国である。ブータン通貨ニュルタムはインドのルピーに対して等価で固定されており、ブータン国内でインドルピーはそのまま通用するという環境でもある。

    そんなわけで、気安く外国旅行に出かけることができる層の人たちの間では、ブータンという国に対して文化的な興味関心でもなければ、南アジアとは明らかに違う世界であるタイ、美しく開放的なムードのビーチのほうがエキゾチックで興味をそそるものであることと思われる。

    私たち外国人にしてみれば、同じ時期で同じ期間のもので『ありきたりのタイのツアーよりもブータン訪問のプランのほうが安いなんて!』とビックリすることになるのだが。

  • マンフロットの卓上三脚 MP1-C & MP3-D

    マンフロットの卓上三脚 MP1-C & MP3-D

    3年ほど前に『カメラと一緒にいつでもどこでも』と題し、カメラの三脚メーカーとして知られるマンフロット社製のMODOPOCKET 797を取り上げたことがあったが、最近この路線の新型モデルのMP1-CMP3-Dという小型テーブル三脚が登場した。

    MP1-C  コンパクトデジカメ用
    MP3-D   一眼レフにも利用可能

    前者は自重30gで、MODOPOCKET 797と同じく最大耐荷重は500gでコパクトデジカメ用だが、後者については自重70g、最大耐荷重は1,500gまでとなっており、このタイプのものとしては珍しい一眼レフ用となっている。両モデルとも色は黒とグレーが用意されている。

    どちらも折り畳んだ状態では平べったく軽量であるため、カメラに付けっ放しにしておけるのがいい。通常、こうした小型テーブル三脚は脚部が貧弱であることはもちろんのこと、雲台が華奢であること、重心が高くなってしまうこともあってごくごく小さなカメラにしか使えないのだが、そのあたりはうまく考えて作ってあることに感心させられる。

    画像左側に見えるヒモ付きの金具のようなものは、カメラの三脚取り付け用の穴に取り付けるネジを回すための工具。MODOPOCKET 797の場合はポケットからコインを取り出して回していたが、こういうささやかな心遣いはちょっとうれしい。加えてMP3-Dはカメラネジ用の溝が3本あるのが目を引くが、これはカメラにより三脚用の穴の位置が違ったり、カメラそのものの形状もいろいろであることに対応したものだということで、実に汎用性が高い。

    MODOPOCKET 797の発展形であるどちらも魅力的だが、とりわけ後者、一眼レフに使えるMP3-Dについては、他に同じようなものがほとんど見当たらないため、ひとつ購入してポケットの中にでも忍ばせておけば、何かと役に立つことがありそうだ。MP1-Cの日本での販売価格は2,300円前後、MP3-Dは3,300円前後といったところだ。

  • 第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    4月17日(日)午前10時から午後5時まで、東京都豊島区の池袋西口公園にて、第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラが開催される。

    このところ日本国内、とりわけ東日本においては何かにつけて自粛ムード一色。こういう時期なので、普段行なわれている行事等の開催を手控えるという形で、被災地と気持ちを分け合うという考え方もわからなくはない。だが個人的にはそうした萎縮した思考こそ避けるべきだと考えている。

    とりわけ自らの価値観によるものではなく、『周囲がそうだから』『そういう空気だから』と思考停止した状態で、そうした流れに同調してしまうのはもっといけない。日本人の長所として『規律』と『団結』が挙げられることが多い。もちろん今回の震災での人々の対応についてもそういう書き方をしたメディア等は多かった。

    だが、そうした美点と表裏一体であるのが、主流派と異なる考え方、価値観を持つ人を受け入れがたい『強い排他性』と自己の意見を殺して周りの流れに任せてしまうという『主体性の無さ』という短所と表裏一体であることを忘れてはいけない。

    自身が被災したわけではないのに、テレビ映像で悲惨な映像等を繰り返し見ることにより、仮想体験として刷り込まれてしまうことと合わせて、被災地のために頑張らなくてはならないそれ以外の地域が、元気を失ってしまうわけにはいかない。

    実施できる状態にあるのに、予定されていることを取りやめたり、先送りしたりすることによって得られるものは何もない。それとは裏腹に個々の精神的にも群集心理的にも、後ろ向きになってしまうこと、加えてその周辺で動くはずのおカネやモノも停滞してしまうことによる社会全体の経済的な損失につながり、復興に寄与するどころかかえって悪い影響を及ぼしてしまう。

    このところ様々なイベントやプログラム等が中止あるいは無期限延期となる例が多い中、このイベントは先の地震被害に対するチャリティプログラムを看板に実施される。今の私たちにはそういう前向きな姿勢が必要だ。私たちひとりひとりが、それぞれ被災地に対してできることを行なうこと、そしてずっと立ち止まっていたり、必要以上に内省的になったりすることなく、自らの場所では普段どおりの仕事や生活の中で活発に動き続けることが、みんなの利益につながることを信じていきたい。

    自粛ムードの中で例年のイベントを実施してくれることに感謝したい。私たちもぜひ彼らに続こう!元気なニッポンを取り戻すために!!

  • 東日本大震災 インドからの救援チームも被災地入り

     日本の東北地方太平洋沿岸を中心に大きな被害を出した東日本大震災の被災地にて、イスラエルの医療チームが現地入りして診療活動を開始している。 

    被災地域の方々の医療受診機会の不足が伝えられている中、日本における医師資格を持たない(外国の医師資格を持つ)医療従事者によるこうした活動は、我が国では初めてのことであるとのことで、今回の震災被害の深刻さがうかがわれる。 

    その他さまざまな方面での救援活動についても、世界の多くの国々から様々な形で支援の手が差し伸べられているが、インドからも救援隊が現地入りして活動を始めている。 

    India sending 45-member search and rescue team to Japan (hindustan times) 

    インド 救援隊を日本に派遣へ (NHKニュース) 

    インドの隣国パーキスターンからも食料や飲料水その他の救援物資が到着しているとともに、在日パーキスターン人の有志の方々が支援物資の配布や炊き出し等を現地で行なってくださっているとも伝えられている。 

    世界各地の国々、様々な地域の方々による暖かい支援と励ましに感謝いたしたい。

  • パキスタン・バザールと桜チャリティバザールともに中止

     3月26日(土)と27日(日)に東京都渋谷区の代々木公園での開催が予定されていたパキスタン・バザールと4月上旬に同千代田区にある在日インド大使館敷地中にて予定されていた桜チャリティバザールが、ともに中止となった。 

    桜の開花も間近で、少しずつ春らしくなってきているこの時期、今年の屋外イベントのシーズンに入ろうかというあたりではあるものの、先の震災の関係のため他にもこうした決断をした催しものはいろいろあったようだし、今後もこうしたイベントの中止や延期等が続くことと思われる。 

    中止された催し物それぞれに独自の理由があるのだろうが、仮にこういう時期なので開催を手控えるという風潮だからという、『今の空気』による後ろ向きの姿勢によるものであるとすれば、ちょっと危ういものを感じる。 

    開催が危ぶまれていた春のセンバツ高校野球についても、その実施が最終決定された際には、残念なことに「何もこんな時期にしなくたって」という街の声も少なからずあったようだ。 

    殻の中に閉じこもっていても何も始まらない。こういう時期に世間を覆う重苦しい空気を追い払うべく、人々が元気に動くことは良いことだ。イベントでもスポーツでも何でもいい。そうした機会を利用して被災地支援の輪を広げるという積極的な取り組みがあってもいいだろう。人々が前向きな姿勢でいてこそ、ニッポンは再び元気を取り戻すことができることと思う。

  • 地震・津波そして原発 2

    地震・津波そして原発 2

     現在、東日本の多くの地域が輪番による計画停電の対象となっている。買い占め等により、生活物資やガソリン等の供給に支障が生じている。沖縄県の友人によると、彼が住んでいる石垣島でもスーパーマーケットの棚からインスタントラーメンが姿を消したとのことだ。 

    被災地に立地していた工場からの供給や交通の途絶という部分もあるが、多くは一時的に需要が極端に膨張したことに対して供給が追いつかないことによるものであることから、時間とともに解消していくはずだ。 

    電力不足のため、鉄道も便数を減らして運行している。商店も夕方早く店じまいするところが多くなっており、企業その他も普段よりもかなり早い時間に職員を帰宅させるようになっている。 

    このたびの震災により、身内の安否を心配したり、家にいる時間が長くなったりしたことにより、家族との絆、自分にとって一番大切なものは何であるかに気付かされたという人は少なくないことと思われる。 

    今回の災害に関する一連の報道において『未曾有』『想定外』という表現が頻出しているが、そもそも気象その他に観測史というものは決して長くないし、数十年という短いスパンの生涯を送る人間と違い、地球のそれは比較にならないほど長い。そのため自然界で起きる事象について、私たち人間が知らないことはあまりにも多い。ゆえに『想像を絶する』現象は今後もしばしば起きるはずだ。 

    普段は『あって当たり前』であった電力の供給が不足することにより、被災地でなくとも交通や物流等で大きな混乱を生じることとなっている。被災地の外であっても、東日本地域で暮らしていれば、ここしばらくは今回の地震による影響を忘れることは片時もないだろう。 

    今回の地震にから教訓を得て、新たな天変地異に備える心構えは大切だし、災害により強い街づくりも必要だが、これを機に私たちの暮らしのありかたを見直す必要もあるのではないかと思っている。生活や仕事のインフラがいかに脆弱なものであるかということが明らかになるとともに、これまで『地震に強い』『絶対に安全である』とされてきたものへの信頼感は完全に崩壊してしまった。 

    同時に日本という国への信用という点でも大きく傷ついたことは否定できない。良好な治安状況は変わらないにしても、地震という固有のカントリーリスクが今後さらに重く意識されることになる。 

    ただでさえ危機的状況にある国の財政事情だが、これからは甚大な被害を出した地域への復興支援という重圧がのしかかる。これを機に衰退してしまうということはないにしても、将来へ明るい展望を抱くことができるようになるには、当分時間がかかりそうだ。 

    だがここが私たちの国である。不幸にも被災された方々に手を差し伸べることができなくとも、何か自分のできることを行ないたいし、同様に日本人である自分たちが日々取り組んでいる仕事が、間接的ではあるものの何がしかの形でこの国の復興に貢献していると信じて一日、一日を大切に過ごしていきたいものだ。 

    <完>

    ※サートパダー2は後日掲載します。

  • 地震・津波そして原発 1

    地震・津波そして原発 1

    このたびの地震による災害により亡くなられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われた方々の一日も早い回復と被災地の復興を切に願いたい。 

    未曾有の災害を引き起こした巨大地震、震源地は東北地方の沖合であったことから、言うまでもなく地震そのものによる建物の倒壊等の被害はさほどでもなかったようだが、その後この地域の太平洋沿岸を襲った大津波が主たる原因である。もちろんそれを引き起こしたのが、複数の震源地が連動する形で起きた巨大地震だ。 

    地震発生当初は、電話等の通信手段の途絶、交通の遮断等により、被災地の様子がよくわからなかったものの、やがて現地から刻々と伝えられる情報から、地震大国日本であってもこれまで経験したことのない規模の災害であることがわかってくるまで時間はかからなかった。 

    被災前の福島第一原子力発電所

    そのあたりまでは被災地の状況、被害者の現況等々に集中的にスポットが当たっていたのだが、まもなく福島県の原子力発電所が危機的状況であることが明らかになるにつれ、こちらに軸足を移した報道が多くなってきた。 

    やや押さえたトーンで伝えていた日本国内のメディアと違い、とりわけ日本国外のメディアの中でとりわけ影響力の大きなものが率直な意見を述べると、原発事故関係の報道は一気に加熱した。 

    日本語による報道でも『東日本大震災』であったり『東北・関東大震災」であったりと一定していないが、海外への伝わり方は報道や単なる伝聞を含めてさらに混乱している模様。メディアといっても、その質や信頼性は様々であるため、流言蜚語の類も少なからず見られた。インターネットの掲示板等による伝聞ともなるとなおさらのことだ。とりわけ地震発生直後、そして原発の異常が伝えられた直後には、ずいぶん飛躍した噂の類が広く流布したケースもあったようだ。 

    そんなわけで、ある国々では日本の東北地方太平洋沿岸で起きた地震と津波の災害について『東京に大津波来襲、市街地大半壊滅状態』とか、原子力発電所の建屋の中で水素爆発が起きたことについて、日本国外では『自衛隊基地に格納されていた水素爆弾の破裂により大惨事』といった、事実と異なる認識をした人も少なくないことに気がついた。その後、様々なソースから現状が伝えられることにより、そうした明らかに誤りである伝聞を信じている人はほとんどいなくなっているはずだが。 

    確かに地震の規模や津波被害、そして大地震が連鎖するかのように長野県、静岡県で異なる震源による大きな揺れを記録するなど不穏な状況にあるが、それよりもかなり高いレベルの放射能漏出と、立て続けにあまりにも多くの不安材料が表出したことが重く受け止められているようだ。これに対する各国の対応、在日外国人たちの反応も素早かった。

    在京のドイツ大使館が機能の大半を大阪・神戸の領事館に一時的に移転させたように、西日本の都市に大使館業務を『疎開』させた国はすでにいくつもある。また在日の自国民に退去勧告を出したり、帰国のためのチャーター便を用意したりした国も多い。アラブ首長国連邦、サウジアラビア、タイ等から政府派遣留学生として日本に来ている学生たちにも早々に帰国指示が出て、多くはすでに自国に戻っている。 

    外資系企業では、社員を国外や西日本方面に退避させたり、自宅勤務させたりしているところもかなり出てきている。また日本に出稼ぎに来ている外国人たちについても、相当数が急いで出国したり、今後速やかに帰国することを予定したりしているようだ。そうした人々の多くは、チケット代金に糸目を付けず、席が確保できるならば何でもと買い求めるケースも少なくないと伝えられることから、彼らの緊張感がうかがわれる。 

    もちろん放射能漏れに対する認識や考え方による相違はある。だが一昨年の新型インフルエンザ流行初期における日本国内の激しい動揺ぶりを思い起こせば、もし同様の事故が他国で起きたとすれば、日本政府はその土地に在留する邦人たちに対する『速やかな国外退去』へと動くことは間違いない。ただ今回はその事故が日本国内で起きた。それがゆえに逃げようにも行く先がないため、抑制した反応をするしかないというのが正直なところだろう。 

    これまで『安全である』とされてきた日本。国土や周辺地域に多数の活断層を抱える地震の巣のような面があるため、ときおり大きな地震が発生して局地的に相当規模の被害を出すことは珍しくなかった。それでも今回のように外国人住民たちが大挙して国外へ脱出するような『危険な状態』と認識されるようなことが起きるなどとは、想像しがたいものであった。

    現在、様々な国々で日本から輸出される食品について、放射能汚染の検査が実施されるようになっている。

    Radiation checks stepped up on Japanese food imports (asahi.com) 

    同様に日本から到着する旅客についても同様にチェックがなされるようになっているところが多い。そうした中でやはり検出される放射線レベルが高い乗客が見つかっている。 

    Radiation trace found on Japan air passengers to S.Korea (REUTERS) 

    Tokyo passengers trigger off radiation detectors at Chicago airport (YAHOO ! NEWS)

    今のところ公衆衛生に支障を来たすような数値が検出された乗客の存在は認められていないものの、そうしたケースが生じた場合にどういう対応がなされるのかはよくわからない。 

    インドでもすでにデリーならびにチェンナイの国際空港にて、日本からの乗客や荷物に対する放射線のモニターが開始されている。 

    Radiation counter opens at airport but yet to hear a bleep (THE TIMES OF INDIA) 

    そうした中、ムンバイーの国際空港はこれに関する対応が遅れていることを憂慮する記事もあった。

    Is city exposed to radiation? (MID DAY) 

    被爆した人物と接触することにより、どれほどの影響があるのかはよくわからないが、人の行き来はさておき、今後は世界各地で日本製品・産品に対する買い控え等の影響が出ることは想像に難くない。 また日本から帰国したインド人の談話を掲載したメディアもある。

    Nightmare in Tokyo: Indians tell tales of horror (Hindustan Times) 

    またフェイスブック等でも、このたびの一連の騒動の中で帰国あるいは第三国へに出た人たちによるコメント等が書き込まれているのを目にすることができる。

    今回の一連の騒動を受けて、各国で原子力発電事業そのものを見直そうという動きさえ出ている。インドでも同様の懸念の声が一部から上がっている。 

    Japan nuclear meltdown raises concerns in India (ZEE NEWS)

    原子力発電所における地震や津波による被災と同様に懸念されるのは、テロあるいは他国による攻撃といった人為的なファクターだろう。たとえそれにより最悪の事態を引き起こすことがなくても、その国のイメージを著しく損ない、大きな社会不安を引き起こす。 

    2001年にアメリカで起きた同時多発テロでの標的がツインタワーやペンタゴンではなく、原子力発電所であったとすれば、また違った次元の恐怖を引き起こすことになったはずだ。

    <続く>

    ※サートパダー2は後日掲載します。

  • SCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)のトライバル博物館

    SCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)のトライバル博物館

     先日、コーラープトでジャガンナート寺院関係の団体が運営しているトライバル博物館について触れてみたが、オリッサ州の部族に関する博物館といえば、ブバネーシュワルにあるものが秀逸である。 

    ここはSCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)という、指定カーストと指定部族の人々に関する民族学的な見地による研究ならびに各コミュニティの社会的・経済的な発展等を図るといった活動をする機関によって運営されている。 

    敷地内は研究施設、博物館、実物大の各部族の家屋の屋外展示などからなる。指定カースト・指定部族に関わるワークショップや会議なども活発に開催しているようだ。ブバネーシュワル郊外のCRPスクエアというエリアにある。 

    入場料は無料、展示物は見応えがあり、しかも各コーナーで専属のスタッフたちが詳細な説明をしてくれるうえに、こちらから投げかける様々な質問にも丁寧に答えてくれる。だが休日であってもガラガラだ。訪問者は必ず入口で記帳することになっているが、一日に訪れる人数は一桁だったりする。テーマがテーマだけに、多くのインド人たちの興味の対象外であろうことは想像に難くない。 

    館内には四つの大展示室があり、中庭には各部族の信仰の祭壇がしつらえてある。戦術にとおり、建物の裏手には主要なマイノリティの家屋が再現されている。館内は撮影禁止であるのが惜しい。 

    詳細に説明してくれるスタッフたちは、この機関で調査・研究をしている若手のリサーチャーたちである。この中には自身が指定部族の出身という人も少なくないようだ。 

    部族の人たちの地位向上とともに言語や文化の保存に力を入れているこの機関としては、彼らの経済水準の向上も目指しているものの、彼らが「オリッサ人化」「インド人化」されることなく、自身が誇りを持って民族の伝統や価値観を維持することを目指しているとのことである。 

    そのために特に女性の地位向上のために伝統的な手工芸品を振興させているという。各民族の文様の意味等をまさにその人々に理解させ、同時にそれを商品化することにより、市街地でのマーケットにそれらの品物が並ぶようにして、現金収入を得る、ともに民族の伝統や価値に目覚めてもらうというようなプロジェクトも展開しているのだとか。 

    留保制度により、政府職員となる人もあれば、大学等に進学したりする部族の人々も多くなってきているそうだ。さらには地域の政治に進出する人もかなり出ているようで、まだまだ厳しい環境にある人が大半であるものの、確実に変わりつつあるとのこと。

    『私なんかもその一例ですよ。こういう機関で部族の人々についてリサーチする専門家になっているのですから』と、コーヤー族出身のスタッフの一人はにこやかに語る。 

    オリッサ西部は丘陵地が多いが、地形は決して急峻なものではない。それらの地域の高度だってさほどではないのに、他の地域と較べて格段に多くのマイリノティコミュニティ、しかも独特な文化を持つ人たちが存在してきた。 

    ひとつの理由はやはり人口密度が比較的希薄であったこと、そして経済的に後進地であったこともあり、地域に道路が引かれたのはだいぶ時代が下ってからのことらしい。それ以前は部族地域においては外部との行き来があまりなかったため、そうした民族や文化が維持されてきたとのことだ。 

    2001年のセンサスに基づけば、総人口の22%、人数にして81,45 lakhsもの人々が部族。実に62ものトライバルが住んでおり、そのうち13の部族はPTGs (Primitive Tribal Groups)というカテゴリーのものである。 

    だが部族の人々の大半は、ヒンドゥー文化と無縁の存在であったわけではなく、その外縁部に位置づけされる。しかしクリスチャンの宣教活動も盛んで改宗者も多いことから、そうした部分で衝突がしばしばあるとのがこの地域である。 

    比較的近い時代まで、部族の人々の間で生贄に習慣があったとのこと。他の村から誘拐してきた人にその晩豪勢な料理を振舞い、酒を飲ませて女性も抱かせて一晩過ごさせ、翌朝所定の生贄を捧げる場所に連れて行き、斬首あるいは刃物で突き刺すなどにより殺害して神に捧げたという。 

    今の私たちにとっては野蛮な習慣でしかないが、英領期に当時の政府がラージャスターン等でサティーの習慣を廃止させたりしたのと同様に、この地域でもこうした風習を廃止させるように動いたとのこと。それでもかなり時代が下るまで行われていたらしい。 

    ほとんどの部族社会では飲酒が盛んで、男女一緒に酒飲む習慣のある部族もあるそうだ。米や穀類から造られることが多いが、中には花から作るものもあるとのことだ。醸造酒以外に蒸留酒も造っているとのこと。 

    沢山のコミュニティがある中で、サンタル族は居住地域が最も多岐に渡り、人口規模が大きいだけではなく、豊かで開明的なコミュニティという印象を受ける。 展示品についてもかなり精緻に造られたものが多く目に付く。

    漁労に関する展示もあった。日本のハヤ採りビンに相当する仕掛けの竹細工製品、酒や水を入れるひょうたん、畑仕事で頭に被る笠といった、日本のそれとそっくりなモノがいくつかあり、とても親しみを感じた。場所はまったく違うし、互いの接触もないのだが、人々は同じものを考案して使ってきたのだ。 

    人々が金属の装身具を付けるのは、それにより身体の動きがスムースになると信じている場合、また銅や銀といったメタル類が体によい作用をもたらすと考えられている場合などがあるそうだ。彼らの装身具のデザインには、他のインドの人々の中にも相通じる柄なども多々あり、彼らが古い時代のインド文化に与えた影響、また反対にインド文化に影響されたことも少なくないことが感じられる。 

    女性の装身具、髪をまとめる長い棒状のクシのようなもの等には、ずいぶん長くて尖っているものもある。ちょっと危険ではないかと思い質問してみると、それらは山の中での護身具も兼ねているそうだ。確かに山の中では自分の身は自分で守らなくてはならない。 

    この博物館については当初あまり期待していなかったのだが、展示物の質の高さと学芸員の人たちの懇切丁寧な説明のおかげでとても興味深く見学することができた。半日くらいとってじっくり見学してもいいくらいだ。 

    オリッサ州内の部族地域を見学するならば、事前にここに立ち寄っていろいろ予備知識を仕入れておくと良いだろう。とにかく情報が豊富である。この団体は部族に関する出版活動も行なっている。館内で販売されている書籍等については、こちらを参照願いたい。

  • 部族の人々の木曜市 2

    部族の人々の木曜市 2

    帰り道では、さきほどの日本人グループのクルマが道路脇に停めてある。乗客である年配の人たちが木立の中に集まっているのを見かけた。私も興味を覚えて運転手に停車してもらいそこに行ってみると、ちょうど彼らはクルマに戻るところであった。

    横に太いストライプが入った民族衣装の女性たちがいる。彼らはガダバーという部族である。女性は20人くらいで、男性が5名。彼らはタブラーに近い形をした楽器を地面に置いている。

    彼らの中の親分格らしき風采の男性に声をかけてみると、毎週木曜日にオンカデリーで市場のある日、村人たちがこうして集まって、通りかかる観光客たち相手に音楽を演奏して踊りを披露しているのだという。もちろん現金収入が目的で、一回100ルピーなのだとか。 『ネパールでもそうでしょう?各地でいろんな衣装や踊りあるでしょう。ここでは私たちガダバー族のものをみなさんに披露しているんですよ』と言うからには、彼は私をネパール人だと思っているらしい。

    この人物は、彼らの中の取りまとめ役のような具合なのだろう。ある程度の教育があり、それがゆえに目先も利くため、村人たちを木曜日に集めてこういう風にして収入を得ることを画策したものと思われる。

    ただし、彼らがこうしていることを知っているガイドは帰りにここに立ち寄り、観光客たちを喜ばせて、村人たちに現金収入をもたらすのだろうが、そうと知らなければ道路から少し先の木立でそんなことをしているとは気がつかないだろう。そのあたりはこれからやり方を学んでいくのだろう。

    男性の話によれば、みんな普段は田畑で農作業をしているとのことだ。彼はけっこう正直な人で、尋ねてもいないのにこんなことを言って笑う。

    『こうした格好をしているのは、観光に来たお客さんたち相手に稼ぐためです。普段はこういう服を着ていませんがね』

    観光化されつつあるとはいえ、まだまだ素朴である。

    ここに集まっていたガダバーの女性たちは端正な風貌の人が多く、その中にとんでもない美人も幾人か見かけた。撮影を断られたため写真はないのが残念である。コーラープトの町中で野菜売りたちの中にもガダバーの人の姿があるが、この部族には見目麗しい人が多い気がする。都会の人のそれとは違う、豹のようにしなやかで凛とした野性的な美しさと力強い輝きがある・・・としては言い過ぎだろうか。

    いつごろからこうした部族民見学ツアーが静かに広がってきたのかは知らない。だが向こう5年、10年くらいでオリッサ観光のひとつの目玉となることは確実だろう。一部を除いて比較的観光資源が少ないと認識されがちなこの州だが、これだけ個性的な少数民族がかなり固まって住んでいること、定期的に開かれる市があるということは、なかなか魅力的なことである。オンカデリーの他にもチャティコーナー、クンドゥリーなどが知られている。

    おそらく今後、ロンリープラネットを初めとする旅行ガイドブックでオリッサの部族が取り上げられることが増えてくるのではないかと思う。同様に隣接州チャッティースガル州東部も同様に部族が多い地域である。

    ただしネックとなるのは、交通機関だろう。バス等の交通機関でアクセスできないため、クルマをチャーターするしかない。ある程度の人数がいればいいのだが、単独で行くとなるとかなり割高になる。開催日が異なる複数の定期市等を回るつもりならば、なおさらのことである。こうしたツアーを組む地元のオペレーターも少なくないが、メジャーな観光地を訪れるパッケージと違ってかなり高額なものとなる。

    部族の村々を訪れたり、トライバル地域でキャンプしたりといった行程も組まれていることから、なかなか面白そうではあるが、かなり経済的に余裕のある層の人たちが対象といった感じだ。

    もしかすると同時にインドの他の地方の部族たちのことについてもスポットライトが当たるようになるかもしれないが、このあたりのアーディワースィーたちは周囲の「インド社会」の影響が比較的少ないようで、その独自性また魅力なのかもしれない。

    ただしオリッサとチャッティースガル両州の部族地域は、同時にマオイストの活動が盛んでもあることには留意が必要だろう。”Koraput” “Maoist”とふたつのキーワードでGoogle検索してみるだけで、マオイストによるずいぶん沢山の事件のニュースが引っかかってくる。

    このあたりの村では稲藁を木で組んだ簡素な梁と柱の上に屋根のごとく積み上げる。そんな「東屋」の下で昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。ゆるやかな山あいの土地で緑と豊か水にも恵まれた大地。そうした環境であるがゆえに、様々な部族の人々が自給自足の環境下で独自の暮らしを営んでくることができたのだろう。

    インドの中では後進地とされるオリッサ州の中でもとくに発展から取り残された地域とされる内陸部だが、そこで独自の生活様式を築いてきた部族たちの存在は、これとは裏腹にこの国の奥行きの深さと文化的な豊かさを感じさせるものがある。

    <完>