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  • マニプルへ6  マニプリー・ターリー

    マニプルへ6  マニプリー・ターリー

    市内中心に戻り、カングラー・パレスに行く。1891年のアングロ・マニプリ戦争で破壊されるまでは、マニプルでマジョリティを占めるメイテイ族の王の宮殿であったのだが、今は特に見るべきものは残されていないようだ。

    背後はただの廃墟であった。

    民族文化の象徴的なものであるはずのこの場所だが、荒れ放題の宮殿跡地、近年造られたらしいコンクリート造の寺・・・。あまりの無頓着ぶりに、地元の歴史や文化に対する政府(中央政府も地元政府も同様に)の姿勢が垣間見えるような気がする。インドにしても、中国にしても、突出して巨大な文明圏の周辺地域の文化は、往々にしてかように軽視されていくことになるのだろうか。市井の人々にも、それらを保護して育てていく力も経済力があるはずはないので、仕方ないことかもしれない。

    マニプルに来るまで知らなかったのだが、メイテイ族独自の文字がある。私たちにとって見慣れない文字だ。インドにあっても、州外でこれらを目にする機会はまずないだろう。

    本日の観光とはあまり関係ないのだが、インパールではガソリン等の燃料の供給が不足しているらしく、ガソリンスタンドはどこも長蛇の列であった。

    ガソリンスタンドは長蛇の列

    夕方、ホテルのレストランでマニプリー・ターリーを食べた。通常の外食では、地方料理はあまり出していないようである。ここでも前日から注文しなくてはならなかった。どんな食事かといえば、結局は品数がターリーである。遠目にはインドでよくある料理風なのだが、近寄って眺めるとこの地方独自のアイテムが沢山あることに気が付く。汁物が竹の葉を折って作った容器に入って出てくるのも風雅な感じで良い。

    見た目美しく、味わいもまた美味なマニプリー・ターリー

    特徴的なのは、料理に使われている油の量が少ないこと、味付けに豆や魚を発酵させたものが使われていることである。乳製品はおそらくあまり使用されていないのではないかと思われる。インドらしからぬ味覚で、東南アジア的、あるいは東アジア的ともいえる臭みのある食事については、韓国人のL君と日本人の私にとっては判りやすい味であったが、地域外からやってきたインド人や西洋人は苦手かもしれない。ともあれ、私たちにとってはグルタミン酸たっぷりの素晴らしい味わいであった。

    あまりに美味であったので、これからインパールを訪問される方があれば、ぜひお試しいただきたい。レストランは、インパール一番高級、すなわちマニプル州でも最高級(それでも二人で宿泊して3,000Rs)と思われるHotel Classic内のClassic Caféというレストラン。サービスもとても良いが、午前中から夕方までの時間帯には、『ミス・ノースイースト』と形容したくなる絶世の美女がフロアに出ている。

    マニプル発のニュースは、インド国内でも州外ではほとんど見かけないので、日々どんな事柄がトピックになっているのか、なかなか知る機会がない。それでも、やはりインドなので英文メディアには事欠かず、インターネットでも日々発信している。

    以下、マニプルの英語メディアの代表的なものである。

    E-PAO

    The Sangai Express

    HUEIYEN LANPAO

    Imphal Free Press

    Kangla Online

    マニプル州に多少なりともご関心のある方は、時々覗いてみるといいかもしれない。

    <完>

  • マニプルへ5 インパール戦争墓地

    マニプルへ5 インパール戦争墓地

    インパール市内に戻り、インパール戦争墓地を訪れる。ここは英軍(ならびに連合軍)側の墓地だ。中国国民党軍への援蒋ルート遮断のため1944年に実行に移されたインパール作戦は、あまりに杜撰かつ無謀なものであったということが後世の評価として定まっている。

    だが1941年から1942年にかけての旧日本軍によるマレー作戦、シンガポール攻略、同時期にビルマへの強襲といった立て続けの攻撃により、これらの地域から駆逐されるという辛酸を舐めてきたイギリス側にとっては、非常に強い恐怖を持って迎え撃つことになったことは想像に難くない。

    強敵の旧日本軍による侵攻であることとともに、彼らがスバーシュ・チャンドラ・ボース率いるINA(インド国民軍)とともに進軍してきたということは、当時独立機運が頂点に達しつつあったインドの内政面でも大変憂慮されるものであったはずだ。

    そうしたこともあり、当時の英軍は各地から兵力を増強して、総力戦で当たったことが墓石に刻まれた墓標からもうかがえる。埋葬されている兵士たちは、地元インドの様々な連隊所属のインド兵、グルカ兵たちとともに、遠くマレーシア、ローデシア、東アフリカに駐留する連隊からやってきたイギリス兵、各地植民地軍の地元兵の名前もある。

    アッサム連隊所属の兵士
    ガルワール連隊所属兵士
    パンジャーブ連隊所属の兵士
    ハイデラーバード連隊から来た兵士
    亡くなった兵士がヒンドゥーであったことを示すシンボルが彫られている。
    ユダヤ教徒の兵士
    マレーシアのカメロンハイランド連隊所属兵士
    ケニア連隊兵士
    東アフリカ出身の黒人技術者
    北ローデシア(現ザンビア)連隊の兵士
    イギリス本国兵士
    イギリス本国兵士

    墓石は亡くなった日付ごとに並べられていることから、どの日に大きな戦闘があったのか、おおよそ判るようになっている。その中で所属連隊ごとに配置されているのだが、中には中国人の名前もあった。どういう経緯で戦闘に参加することになったのかわからないが、香港の植民地軍出身か、あるいはビルマで英軍と共闘していた中国国民党軍関係者だったのか?

    中国人の名前が刻まれている。
    無名戦士の墓標。クリスチャンであったことを示す十字架だけがアイデンティティだ。

    この墓地は英連邦戦争墓地委員会(CWGC: Commonwealth War Graves Commission)が管理しており、見事なまでに美しく整備されている。

    <続く>

  • Galaxy Tabその後

    Galaxy Tabその後

    Galaxy Tab

    先日、コールカーターでGalaxy Tab GT-P1000を購入したことについて書いてみたが、その使用感について触れてみたい。

    タブレットPCとしての機能・動作については、同じアンドロイドOSを搭載している他機種との違いといえば、せいぜいハード面でのスペックの差による動作感の違いくらいしかないだろう。また日本国内で購入したものと異なる点として、定評のある電子ブックリーダーのi文庫など、いくつかのアプリケーションがインストールできないといった点はあるものの、基本的には同じである。

    これを購入した理由として、タブレットPCとしての機能に加えて、SIMフリーの携帯電話機として利用できることと、3G回線が利用できることにより常時ネットが利用可能であることあった。これらの役割を兼ねて、画面が電子書籍を読みやすく、携帯しても邪魔にならない7インチ程度となると、韓国のGalaxy Tab以外にはインドのReliance社の3G Tabくらいしか思い当たらないため、選択の幅はかなり狭かったのだが、結局前者を選択して充分満足している。

    3Gで使用できるマップ機能はとてもありがたい。ガイドブック等に地図のない街を訪れた場合、歩いたり自転車を借りたりして回れるような小さなところならば構わないのだが、郊外に出かけたりする際に位置関係がわかるとそれはそれで楽しいし、人口百数十万から数百万規模の大きな街だったりすると、かなり助かる。

    これらに加えて、現時点のインドの通信環境において、こうしたスマートフォン/タブレットPCにて、3G通信をガンガン使ってしまうと費用がかなり割高になってしまうのが難ではあるが、テザリング機能とアクセス­ポイント機能があることも好ましく思える。

    テザリング設定画面
    Galaxy Tabをアクセスポイントとして、他のデジタルデバイスをWi-Fi接続することもできる。

    元々、アンドロイドOSには、こうした機能が標準装備されているのだが、スマートフォンでのデータ通信が定額で提供されるのが普通であり、これらの急速な拡大で回線がパンク寸前にある日本では、キャリアを通じて販売されているモデルの場合、これらの機能が利用できない仕様になっている。

    日本で、最近はテザリング機能を売りにするスマートフォンが出てきているが、それらはキャリアの3G回線ではなく、抱き合わせで契約させているWIMAX回線でテザリングするようにしてある。

    これが電源アダプタ。かなり大型である。

    充電方法に少々難がある。かなり大きくてかさばる専用の電源アダプタ以外からは充電できない(正確に言うと、できるのだが4倍くらい時間がかかる)ことだ。USBケーブルでPCやUSBコンセントに接続して充電しようとすると、宵の口から朝までかけてようやく満タンという具合になってしまう。

    もっともこれに対して、日本ではGalaxy Tab 充電USBアダプタというものが販売されている。これをUSBケーブルの先端に付けると、ちゃんと通常の時間で充電される。同様のものがインドでも販売されているかどうかは確認していないが、専用のアダプタがあまりに大きいので、これはぜひ手に入れたい。

    Galaxy Tab 充電USBアダプタ

    こうしたデジタル製品の世界で諸事情の変化は急速だ。私が購入した直後にリリースされた後継機Galaxy Tab 7.0 Plusは、発売当初から先代機の販売期間末期と同程度の価格設定となっているのが少々悔しい。すぐに出てくる新型機はかなり高価であろうと踏んだため、すでに生産終了になった型落ち機種を購入したのだが。タブレットPCの価格競争が激しさを如実に反映しているのだろう。

    インドでこれよりもはるかに低価格にて、同様の環境(タブレットPC+通話機能及び3G通信)を手に入れることも可能だ。そのひとつが以前書いたReliance社から出ているReliance 3G Tabであり、もうひとつがSpice GlobalのSpice Tab Mi-720だ。これらインド製のものは、安いなりに造りがチャチではあるものの、『どうせデジタル製品なので末永く使うわけではない。もっといいモノが出ればそのときに買い替えるのだから。』と割り切ってしまえば、これらを選択するのも悪くないかもしれない。

    当然のことながらどちらも初期状態では日本語環境はないが、SamsungのGalaxy Tab同様にAndroid Marketから日本語のIMEをダウンロードして組み込めば、普通に日本語での入力等できるようになるはずだ。だがGSM通信環境下、つまりCDMAの通信環境での利用も視野に入れている場合、SamsungのGalaxy Tabならば問題ないのだが、RelianceとSpice Globalの場合は対応していない可能性が高いので、購入される際には店頭等でご確認願いたい。

    ※『インパールへ5」は後日掲載します。

  • マニプルへ4 Japan War Memorial

    マニプルへ4 Japan War Memorial

    モイランの町の食堂で簡単な昼食を終えて外に出るとクルマがいない。運転手の携帯にかけてみると、『警官に移動を命じられまして・・・』などとブツブツ言いながら、店の前に戻ってくる。どうせ小一時間くらいはヒマになるとみて、テキトーにフラついていたのだろう。

    ともあれ、携帯電話の普及は、こうした運転手たちにとって、得意先(ホテル、旅行代理店その他手配師等)から話がダイレクトに飛び込んでくる効果があったり、私たちのような一見の客が「それじゃあ明日もよろしく」と依頼したりすることもありえるなど、より多くの仕事の機会を得ることを可能にしたといえる。同時に、運転手としての仕事の中での空き時間の自由度が増したという副次的な効果も生んだということにもなるだろう。

    Japan War Memorialの記念碑

    国道150号線でインパールに戻る途中にあるJapan War Memorialを見学。この場所にあるのは、気まぐれでも地価が安い(市街地から遠く離れている)からでもなく、まさにこの場所が戦跡であるからだ。War Memorialのすぐ裏手に通称「レッド・ヒル」と呼ばれる丘があるが、往時の日本軍はここに一時的な拠点を構え、道路と反対側のより小さな丘には英軍が集結していた。この狭いエリアで両軍入り乱れる熾烈な戦闘が展開された。両軍の大勢の兵士たちが血を流したことから、レッド・ヒルと呼ばれるようになったのだという。

    「レッド・ヒル」と呼ばれる背後の丘

    比較的新しい現代的なモニュメントは平成6年に造られたものだ。日本の建築会社が施工したことを示すプレート等がはめ込まれている。清掃は行き届いているものの、おそらく建造されてからきちんとしたメンテナンスはなされていないのだろう。かなり荒れている印象だ。

    「レッド・ヒル」から見て道路を挟んだ向こうにある丘に英軍が陣取ったのだとか。

    その背後には、モニュメント建造以前からの慰霊塔があり、日本軍の残した砲身も残されていた。砲身に刻まれている文字は錆で消えかかっているが、それでも何とか「大阪・・・昭和16年・・・」と、部分的に読み取ることはできる。

    慰霊塔
    旧日本軍が使用していた重機
    「大阪・・・昭和16年・・・」とかすかに読める。

    ここの管理人は話好きな人で、いろいろ話してくれた。もちろんこの人は戦時を知る世代ではなく、人々から伝え聞いた二次情報、三次情報なのだが、当時の戦闘の事柄はもちろんのこと、ここを訪れる日本の戦友会の人々のこと等について、いろんな予備知識を披露してくれた。

    後世の私たちから見れば、無益な戦争のため、不幸にして往々にして若い年齢で亡くなった兵士たちに善悪の区別はない。出身国の異なる同年代の人々が、戦場という場所でたまたま敵味方に分かれて対峙したばかりに、上官の命令に従って殺戮を繰り広げるという理不尽さ、戦争という国家による愚かな過ちが今後繰り返されることがないように願うばかりである。

    だが過ちであったということ自体が風化してきて、日本が過去にかかわった戦争やそれにまつわる犯罪行為を美化するかのような風潮が高まりつつあることについて、懸念を抱かずにはいられない。

    日本で、原爆記念日、終戦記念日といった時期にさしかかると、テレビでは戦争にかかわる記念番組が放送されるのは毎年のことだが、今や戦争体験を自らのものとして一人称で語ることのできる人がとても少なくなった。こうした世代が社会の第一線から退いて長い時間が経過していること、その体験を伝える声が世の中の人々に届かなくなって久しいことも大きな要因のひとつだろう。

    慰霊塔の碑文
    慰霊塔の碑文
    慰霊塔の碑文

    インパールのJapan War Memorialには、かつてインパール作戦に従軍した兵士たちの様々な思いが詰まっているに違いない。この地で無為な戦闘のために大切な命を失った両軍の関係者たちに黙とうを捧げたい。

    慰霊碑

    <続く>

  • ネパール映画上映「बाटोमुनिको फूल」邦題「道端の花」

    ネパール映画上映「बाटोमुनिको फूल」邦題「道端の花」

    बाटोमुनिको फूल 邦題:道端の花

    2月26日(日)に、埼玉県川越市の市民会館大ホールにて、ネパール映画が上映される。

    映画タイトル:बाटोमुनिको फूल (BATOMUNIKO PHOOL) 邦題「道端の花」(2010年公開)

    地理的にも文化的にもインドの強い影響を受けてきたネパールらしく、この作品もインドの娯楽映画的なカメラワーク、演出、サウンド等々を駆使したものであり、亜大陸の映画文化圏の広さと懐の深さを感じさせるものがある。

    内容は、幼馴染の男女ふたりをめぐるラブストーリーをベースにしているが、カースト差別による苦しみ、それを長年に渡り人々に強いてきた社会、変革を訴えてきた上位カーストの「活動家」の欺瞞等々を様々な角度から描いた社会派的な作品でもある。

    ネパールは、小さな山国ながらも多民族・多文化・多言語が共存し、豊かな多様性に満ちた小宇宙のような広がりと奥行を持つ国だ。そうしたリッチな文化環境を育んできたのは、この社会を構成する沢山のコミュニティであり、それぞれの伝統が引き継がれてきたがゆえのことだろう。だが同時にそうした個々のコミュニティの確固として存在するがゆえに、差別というネガティヴな面も生み、その違いを固定化することにもつながる。

    製作者は、ダリットをはじめとする低位カーストの人々に対する差別を、異なるカーストの男女の悲恋という形で映画に表現したが、これを持って言わんとしているものは、この国の社会に対するもっと大きな訴えであるように思える。

    低カースト救済を看板にした欺瞞、カーストをベースにして社会を分断してしまう政治、あるイデオロギーのもとに低カーストの支持を集めて、そのイデオロギーの根源たる外国に対して自国を売り払おうとしているかのように見える勢力、混迷を極めて出口の見えない政争の世界・・・。

    ダリット役の青年やその家族が、風貌も暮らしぶりも、とてもそれらしくは見えないとか、ストーリーの展開にやや唐突なものがあるとか、いろいろ感じることはあるかもしれない。これもまた、独自の事情や背景があってのことと受け入れて、じっくり鑑賞したい。

    美しい映像を楽しむのもよし、悲恋のストーリーに涙するのもよし、胸の中で製作者の意図や社会的背景を思うもよし。私たちそれぞれが、個々の感性でこの作品を鑑賞したい。ネパール映画で初めて、日本語字幕スーパー付きでの公開であるとのことだ。

    チケットについてのお問い合わせは、Asia Friendship Associationまで。

    ※『インパールへ4』は後日掲載します。

     

  • マニプルへ1   インパールに飛ぶ

    マニプルへ1 インパールに飛ぶ

    コールカーターから飛行機でマニプル州のインパールへ飛んだ。一般の日本人の間で、この州都の名前は、具体的にインドのどのあたりにあるのか知らなくても、第二次大戦末期の旧日本軍による『インパール作戦』によって広く記憶されているが、長らく観光目的の訪問先としては認知されていなかった。

    以前は、マニプル、ナガランド、ミゾラムの三州について、RAP (Restricted Area Permit)を取得する必要があった。ちゃんと手間かけて準備すれば取得可能なものであったが、申請に際しては何人以上のグループでないといけないとか、RAPを取得した全員が一緒に行動しなくてはならないなどといった面倒な条件があった。必要な人数を揃えることができなくても、現地のツアーに参加するという手もあったのだが、これがまた金額の張るものであった。加えて、RAPは各州ごとに取得する必要があったこともあり、ちょっと思いついてこの地域にフラリと出かけてみるという具合にはいかなかったのだ。

    そんなエリアだが、十数年前くらいまでは、ある目的でナガランドやマニプルを訪れる日本人年配者はかなりいたらしい。かつてインパール作戦に従軍した元兵士たちによる戦友会が慰霊のために盛んに訪問していたようだ。だがそうした戦争世代の人たちも高齢化しているため、インド東部でも隣国のミャンマーでもこうした人たちの姿を見ることはほとんどなくなっているのだが。

    RAPの取得が義務付けられていていた背景には、インド独立以来長らく続いてきた活発な分離活動が背景にあるわけだが、そうした状況もかなり落ち着いてきてようやく恒久的な和平が期待できるムードになりつつあること、中央政府・州政府ともに内乱時代には、ほぼ存在しなかった観光業の振興を画策していることもあり、2011年1月1日からとりあえず試験的にRAP無しでの入域を認める運びとなっている。このまま特に問題がなければ、アッサムやメガーラヤなどのように、いつでも自由に訪れることができるようになるのだろう。

    今回の旅行は、韓国の親友L君と同行である。コールカーターからIndiGoのフライトを利用。新興のLCCキャリアの割には、かなり地味なイメージのある会社だが、フライトアテンダントは、ボンドガールのような派手な美人であった。機内誌の片隅に機内スタッフ募集の求人広告が出ている。LCCのこうした現場スタッフというのは、若くて魅力的なうちにコキ使われるだけの仕事だろうから、旧来からの航空会社の社員と違って、自身がキャリアを積んで長く務められるようなところではないような気がする。

    ともあれ飛行機は離陸した。インパールまで1時間程度のフライトだ。コールカーターを出てからバーングラーデーシュ上空を通過して東へと向かう。平原部を過ぎるとようやく山並みが見えてきた。インドのトリプラー州あたりに入ったのだろう。

    機内から眺めるトリプラー州(?)上空の風景

    機内では、私とL君の隣の席の女性が声をかけてくる。アーンドラ・プラデーシュ州在住であるとのことだ。インパール近郊にある実家に帰郷するところであるとのこと。

    インド北東地域のモンゴロイド系の女性に限らず、在インドのチベット系女性にも共通して言えることだが、化粧がインド式であるため、同じモンゴロイド系である私たちから見ても、かなりエキゾチックな風貌に見える。後者については、中国で見かけるチベット女性たちとずいぶん違った印象を受けるくらいだ。まるで人種そのものが違うかのように。

    乗客の大半は風貌からしてマニプル州の人々のようだ。男女ともに総じてかなり小柄の人たちが多い。そのため身長170cm台前半の私もL君も、この中ではかなり大柄ということになってしまう。スウェーデン、デンマーク等、スカンジナビア半島の人々が日本を訪れるとこんな具合なのだろうか。

    眼下にかなり規模の大きな街が見えてきた。上空を旋回して少しずつ下降していき、国道150線沿いにあるこの空港に着陸した。荷物を受け取る前に、専用のデスクで外国人は形式的な登録手続きをさせられる。パスポートに入域の証のスタンプも押された。

    空港では大勢の出迎えが来ていた。地元スポーツ選手団の出迎えだ。機内に非常に体格が良く、揃いのジャージ姿の女性たち数人組みが乗り合わせていたのだが、彼女たちはウェイトリフティングの大会から帰郷した選手たち。翌日の新聞で彼女たちが写真入りで取り上げられていた。

    こじんまりしたターミナルの外に出ると、そこにいる大半の人たちはモンゴロイドの風貌だ。動作もゆったりとしていて、のんびり落ち着いた感じを受けるのだが、空港敷地内でかなりの人数のインド兵(マニプルの人たちも『インド人』だが、ここで言う『インド兵』とは北東地域外出身の軍人のこと)が厳しい表情で警戒している様は、ちょっと信じ難い気がする。

    武装した兵士たちは、いつでも銃弾を撃つことができる体勢で警備しており、軍用車両の上から上半身を突き出して警戒に当たっている姿もある。いかつい装甲車も辺りを走り回っており、ずいぶん物々しい雰囲気であることにちょっと驚きながら、オートリクシャーで市内へ向かう。

    <続く>

  • レストラン兼美容室

    レストラン兼美容室

    幾世代もこの街で暮らしてきた華人たちの姿が珍しくはないコールカーター。多くは個人事業主であり、レストラン、靴屋、ドライクリーニング屋、美容室と理髪店、皮なめし工場、醤油その他中華系食材製造業等の業種が多い。

    おそらく、レストランを経営しつつ、家族が美容室も営んでいるといった例はけっこうあるだろう。だがひとつの店舗(?)で、異なる業種を同時展開されるというのはあまりないように思う。向かって左側がレストラン兼バーである。

    Jimmy's restaurant & Grace Beauty Parlour

    ぎっしりと建て込んだ場所にあるため、果たしてレストランと美容室が本当に同居しているのかと不思議に思う方もあるのではないかと思う。ひょっとして、向かって右側の美容室で働いていることになっているキレイな女性が淫靡なサービスをする風俗店ではなかろうか?といった具合に。

    だが、実のところはれっきとしたレストランで、味やサービスもけっこう評判がいい。同居している美容室もちゃんとしたもののようだ。

    中印紛争前、この街に華人たちがまだ大勢住んでいて、先日取り上げた中華朝市が毎日開かれているエリアが丸ごとチャイナタウンであった時代のことなど想像もできないが、インドの他の街にはない華人たちの個性と活気に満ちた街角がそこにあったことだろう。

  • J-one  (2012.1 第2号)

    J-one (2012.1 第2号)

    J-one (2012.1 第2号)

    『これからの生き方と未来を探る支援型新雑誌』をうたうJ-one(ジーワン)第2号である。先日取り上げたNamaste Bollywood #31と同じくスタジオ・サードアイが発行している。

    巻頭の特集は、『音楽から世界へ祈りを』と題して、チェルノブイリ原発事故での被曝体験を持つウクライナの歌姫、そして福島と日本にエールを送るため、私費で来日したエジプトのウード奏者。

    ラダックで活動するNPO法人ジュレー・ラダックによる持続可能な生活支援とスタディ・ツアーに関する紹介に続いて、和光大学の村山先生と当ウェブサイトindo.toウェブマスターの矢萩多聞氏による寄稿、加えて自然エネルギー(太陽光)の活用例等々、内容の詳細について触れるわけにはいかないが、読み応えのある記事が並んでいる。

    『いろいろ読んでわかったこと』と題する記事には、昨年3月11日に発生した震災直後の原発事故による放射能の影響について、問題発生直後から問題をできるだけ小さく見せようという政府の動きに対して、まさに呼応するかのようにこれまた控えめな報道を続けてきた日本の大手メディアが伝えてこなかった事柄を取り上げている。ここでは、参考となる書籍についても挙げられており、放射能に対する認識を深める良い機会となるはずだ。

    誌面の後半部分では、『福島と生きる』というタイトルにて、福島県で暮らす大学講師、ミュージシャン、画家、自衛隊員といった様々な人々の声が伝えられている。

    首都圏に暮らしている人たちの中で、昨年3月に起きた福島第一原発事故の後、都会で自分たちが使う電気の供給に関わるリスクを遠く離れた県、市町村、ひいてはその土地に暮らす人々に負わせていたということに改めて気が付いた人は少なくないようだ。

    同様に、事故後から生鮮食品の産地表示が厳格に行われるようになっているが、ここでも同様に福島県やその周辺地は、首都圏に供給されている野菜、果物類、精肉、海産物といった生鮮食品の需要をまかなう役割を担ってきたことを改めて実感したことと思う。こうした地方が、市場としての首都圏を必要としているのと同じく、首都圏もまたこうした物資の供給がなされることによって成り立っているひと続きの社会であることは言うまでもない。

    3.11以降、これからの私たちの生き方や世の中のありかたについて大きな問いが投げかけられているわけだが、さりとて単純に時計の針を巻き戻して昔の生活に戻るというわけにもいかない。不便だというだけではなく、多くの場合仕事だって成り立たなくなるだろう。

    このあたりについては、結局のところ私たちのひとりひとりが問題意識を抱いていくことが必要だ。一朝一夕で物事が大きく変わるものではないが、世の中の人々が意識を共有することによって、きっと変化が生まれてくることと信じたい。私たちにとってより良い明日のために。その変化を模索しているのが、このJ-one誌であると私は思う。

  • A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    A Jaywalker's Guide to Calcutta

    地元等の出版社からコールカーター市内のガイドブックはいろいろ出ているが、2年ほど前にその中でも特に秀逸なものを見つけた。著者は生まれも育ちもコールカーターのジャーナリストだが、版元はムンバイーの会社である。

    書名:A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    著者:Soumitra Das

    出版社:Eminence Designs Pvt. Ltd.

    建物とストリートに視点を据えて、個々の建築物や往来にまつわる人々の歴史に焦点を当てている。それらの中にはメトロポリタン・ビルディング、エスプラネード・マンション、ダルハウジー・スクエアといったメジャーなものも含まれているものの、数々の通りの由来、現在の姿からは想像もつかない過去、アングロ・インディアン地区と往時の彼らの屋敷、元欧州人クラブ、元不在地主やかつての富豪たちの忘却の彼方に押しやられた荒れ放題の豪邸、この街を舞台にしたマールワーリー商人たちの繁栄の面影、地元ベンガル人不在のオリッサ人労働者たちの居住地域その他、実に様々なものが沢山取り上げられている。

    著者は、この本を手にした者を、旅行者たちにとって『月並みでないコールカーター』へと誘う。その内容たるや、とても数日で見て回ることのできるようなものではない。ここで取り上げられている建物や場所を訪れても、それを楽しんだり味わったりするためには、もちろんそれなりの予備知識が必要となってくる。

    この本を通じて、コールカーターという街のとてつもない奥行きの深さを思わずにはいられず、このガイドブックの誌面の向こうには、様々なワクワク、ドキドキする新たな発見に満ちた街歩きが待ち構えているであろうことを感じる。

    市内各所、路地裏まで精通した地元の知識層が書いた都市ガイドブックは、通常の観光案内とは、視点も取り上げる背景の厚みもまったく異なる。こうした内容である割には、カラーの写真や図版も多くて非常にわかりやすいのは、こうしたスタイルで、他の都市の紹介本も今後出てくるとうれしい。

  • Namaste Bollywood #31

    Namaste Bollywood #31

    Namaste Bollywood #31

    今年最初の号となるNamaste Bollywood#31は、日本がインド、パーキスターン、スリランカの三国と国交を樹立して60周年ということにちなんで、巻頭特集は『日梵六十年の軌跡』だ。

    戦後の日本での最初の公開となった1950年代の『AAN』から始まり、60年代、70年代、80年代・・・と、ボリウッド映画で日本にちなんだ作品、日本で公開されて評判となった作品等が取り上げられている。

    ボリウッド作品ではなく、隣国ネパールの映画が字幕付きにて、東京都内で公開されるとのありがたい情報も。ただし、これは1月28日の16時と19時からのみという極めて限定的な上映。記事のネタバレになってしまうが、時間が迫っていること、日本においては非常にレアな機会でもあることからこの場でぜひご紹介させていただきたい。下記リンク先には、上映スケジュールとともに予約方法も記されている。

    ネパールの映画「道端の花」(アップリンク・ファクトリー)

    イベント関係では、福岡アジア美術館にて開催されている(会期:1月21日~3月11日)『魅せらせて、インド。―日本のアーティスト/コレクターの眼』という企画展のことも取り上げられている。個人的には、この記事の中にグレゴリ青山氏のマンガが挿入されていたのが嬉しかった。昨年末の号で休刊となった雑誌『旅行人』に書いていらしたころからのファンなのである。

    さて、2012年にはどんなボリウッド映画が上陸してくるのか、どの作品が高い評価を得るのだろうか。日本全国各地で『Don 2』のようなヒット作が劇場公開されて、それなりの評判と興行成績を収めることができるような環境になってくれるとありがたいのだが。

    まさにそのためにも、日本国内で日本語とグラビアを用いて、ボリウッド映画の魅力と最新のトピック等を伝えるNamaste Bollywood誌が担う伝道師としての役割は大きい。

    同じく今年1月に、Namaste Bollywood誌と同じくスタジオ・サードアイによる「これからの生き方と未来を探る支援型新雑誌」J-one 2が発行されている。こちらについては、後日ご紹介することにする。

     

  • コールカーターの老舗洋菓子店

    コールカーターの老舗洋菓子店

    NAHOUM & SONS

    創業1902年から数えて今年で110年目となるナフーム(Nahoum & Sons) は、1911年にデリーに遷都されるまで、英国によるインド統治の中心地であったコールカーターでも、現存する最古の洋菓子屋であるとされる。

    店の名前が示すとおりユダヤ系の商店で、経営者は三代目のディヴィッド・ナフーム氏。ずいぶん前には彼が店に出ているところを見かけた記憶があるのだが、今や90代という高齢のため、滅多に店に顔を出すことはないらしい。

    昨年の今ごろ、『コールカーターのダヴィデの星1234』で取り上げてみたとおり、今や見る影もないものの、コールカーターはユダヤ系コミュニティが繁栄した場所でもある。

    この街きっての老舗洋菓子屋といっても、決して敷居の高いものではなく、ここを訪れる旅行者誰もが一度は足を踏み入れる(そして煩い客引きにつきまとわれる)ニューマーケット内の雑然とした一角にある。

    Nahoum & Sons Private Limited

    F-20, New Market

    Kolkata – 700087

    店内の様子

    市内の他の場所からニューマーケットに移転してきたのは1916年だというから、このロケーションですでに96年が経過していることになる。室内の様子もショーウィンドウも時代がかっていて、なかなかいい感じだ。創業時から少し遡った19世紀のコールカーター在住欧州人向け商店の中はこんな感じであったのではないだろうか。

    朝は10時開店だが、店の一部は朝7時くらいから開けており、そこでは香ばしい匂いが立ち上る焼きたての食パンを販売している。ベーカリーとしてもかなり評判がいいらしい。

    メインの洋菓子類については、ケーキ、ドライケーキ、ペストリー、クッキー、メレンゲの類で、他の洋菓子屋に陳列されているものと大差ないのだが、いろいろ買い込んで試してみると、見た目は似ていても、味わいは標準的なレベルを大きく凌駕している。さすがは110年もの歳月を経た老舗だけのことはあり、どれも美味であった。

    時代がかった棚もいい感じ。

    果たしてナフームに陳列されている菓子類で、創業当時から同じレシピで作っているものがあるのかどうかは不明。冷蔵庫のなかった時代のことだが、今のナフームのショーウィンドウにも冷蔵装置は付いていないので、たぶん同じようなものを作っていたのではないかと思う。

    静かに目を閉じて食してみれば、あなたも20世紀初頭の味わいが体験できるに違いない。

    見た目は他店のものと同様でも、さすがは老舗の味わい。
  • 再び中華朝市へ2

    再び中華朝市へ2

    旧中華街にある観音寺

    この地域にある観音廟に行く。寺の世話人はネパール人にも見えるが中国系。おそらくインド人との混血らしきと思われる浅黒い肌の50代後半くらいの男性だ。早朝から参拝客はポツポツと出入りしている。

    旧中華街は元々ムスリム地区と隣り合っていたのだが、インドにあっては華人とムスリムは共働関係にあるようだ。19世紀後半あたりから流入してきた華人たちが従事した主要な産業、皮なめし業、皮革加工に関する製靴業等の仕事、家畜の屠殺から畜産物加工、そして『Non-Veg』レストラン等々でしばしば同業者であったり、取引相手であったり。華人たちが経済力をつけてからは、ムスリム労働者たちに就労機会を与えてくれる雇用主でもあったことから、互いに持ちつ持たれつの関係が続いていたようだ。

    コールカーターのもうひとつのチャイナタウン、東郊外のテーングラー地区でも同様だ。華人経営の大小様々な皮なめし工場があるが、労働者たちはインド人のムスリムたち。中華レストランも大きなものから小さなものまでいろいろあるが、経営者家族以外の従業員たちはやはりムスリム。豚肉無しの中華料理で、中国本土での漢族系ムスリムたちの『清真料理』のイメージと重なるような感じがする。

    ムスリム地区の中で忽然と現れる華人の同郷会館

    華人人口が非常に少なくなっている現在は、このあたりも丸ごとムスリム地区となっている。しばらく旧中華街エリアのムスリム地区を散歩する。道端の小さな店で、羊や牛を解体していたり、屋根の付いた小さなマーケットがあったりする。そんな中に突然、華人たちの同郷会館や中国寺院等が散見される。

    屋根付きのマーケットで鶏卵を商う男性

    ここから少し北に向かうとナコーダー・マスジッドに出る。1926年に落成したこのマスジッドは、密度の高い商業地域に立地している割には1万人収容という規模の大きさを誇る。敷地ギリギリ一杯まで使ったこの建物は、キブラーの方角との折り合いをつけるため、通りから見ると、かなり捻じれたような形になっており、自分の視覚がおかしくなったような気がしてしまうくらいだ。あるいは『だまし絵』を眺めているような感じともいえるだろうか。

    ナコーダー・マスジッド

    マスジッド入口向かって左側に、割ときれいな感じの床屋があったので入ってカットしてもらっているとき、店の入口にいた人が『空の具合がずいぶん妙だぜ』と店主に言う。『どんな具合だい?』と外に出てみると、まるで夜のように暗くなっていて気味が悪い。

    散髪を終えて外に出たところで非常に激しい雨となった。とても歩いているわけにはいかないので、庇のあるところで雨宿りだ。道路端は見る見るうちに冠水していく。

    <完>