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カテゴリー: life

  • インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    国鉄が発行しているTRAINS AT A GLANCEには、主だったルートの列車は網羅されているので便利だ。

    しかしながら比較的短い距離を移動する際、急行列車が停車しない駅から移動する場合など、各駅停車の情報が欲しいということも多々あることだろう。そうした場合に参照できるサイトはいくつかあるのだが、最も活用しやすいと思われるのが、etrain.infoだ。

    乗車駅と下車駅を入れてみよう

    利用可能な列車が表示される。

    長距離移動の場合でも役に立つのはもちろんだが、とりわけ直通列車がない場合には有用だ。接続可能な経由地が提示されて、出発地から目的地までのルート、列車名、経由地から先の列車名などを例示してくれる。

    これらふたつの駅には直通する列車はないが・・・。

    利用できる経由地が表示される。これらをクリックすると先に進むことができる。

    さらに嬉しいことに、列車の編成も表示されるため、予約した車両が先頭の機関車から何両目に接続されるかについても表示される。下の例示した列車の場合はともかく、もっと長大な大型編成の急行で、しかも停車時間が短い駅から乗車する場合には助かることだろう。(当然のことながら実際に駅でも再度確認しておいたほうが良いことは言うまでもない。)

    利用する列車番号を入れると車両編成が表示される。

    予約した列車が満席で、WL(Waiting List)あるいは、RAC(Reserve Against Cancellation)であった場合に、現状どうなっているのかPNRを入力して確認できるのはもちろんのことだが、もうひとつ、このサイトで非常に便利な機能がある。画面左側のTrain Route / Running Statusというところ任意の列車番号を入れると、運行スケジュールとともに、ルート上の各駅における実際の到着・出発時間、現在地、今後通過していく駅の予想発着時間まで閲覧することができるのだ。

    この列車の運行状況を確認してみよう。

    このような具合に時刻表上でのスケジュールと実際の運行状況を並べて表示される。

    冬の霧の時期やモンスーンによる大雨の時期といった天候不順の際に、運行が乱れがちだ。自分が乗車する駅に果たして何時くらいに列車がやってくるのか、現在乗車している列車がどのあたりまで来ているのか、自分の目的地にはあと何時間くらいで到着できそうなのか、といったことが一目でわかるありがたいサービス。あまりに甚大な遅れとともに運行されていることが判ったならば、即座に予約をキャンセルして他の列車のブッキングをトライするなり、バスその他の手段に切り替えるなりといった判断が出来ることになる。

    当日の運行状況を確認するだけであれば、Running Train Statusのほうが手軽でいいかもしれない。こちらも同様の内容を参照することができる。

    こちらは列車の運行状況確認専用のサイト

    インドで国鉄を利用するにあたって、こういうサービスを利用できることを心得ておくと、何かと役に立つことがあるだろう。

  • ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラーを訪れた。ちなみにこの「ソーンプル」は、ローマ字では「SONEPUR」と綴るため、「ソーネープル」と読みたくなるかもしれないが、「ソーンプル」というのが正しい。メーラーの期間のみ直行する臨時バスも出ているらしいが、どこから発着しているのかよくわからなかったため、乗合オートでパトナーからハージープル、そこで乗り換えて再び乗合オートでソーンプルまで行くことにした。

    ずいぶん昔からあるメーラーで、マウリヤ朝の王、チャンドラグプタがここで象を購入するのが習わしであったのだとか。つまり紀元前3世紀には、すでにこの祭りが行われていたことになる。気が遠くなるような話だ。現存するこうした催しの中では、世界最古の部類に入るだろう。特に大型の動物の売買がなされてきたことで有名だが、その伝統は今の時代にも引き継がれている。

    往時は、ソーンプル近くのハージープルで開かれていたものが、ムガル朝でアウラングゼーブが帝位にあった時代に、開催地をソーンプルに移したとのこと。ハージープルは、パトナ―からソーンプルに移動する手前にあり、シェアオートで向かう場合に乗り換える町がそれだ。

    現在のパトナ―もまた、古くからある街。紀元前5世紀ごろにマガダ王国か築いた拠点を中心に発展してパータリープトラという街になった。これが現在のバトナ―の前身。古い割には、あまり見るべきところが残ってはいないが。

    メーラーでは、古くからの習わしどおりに、象や馬をはじめとする家畜の市が立つ。私が訪れた本日は、開催最終日まであと2日残すところ、つまり24日に終わるため、すでにこれらは撤収した後であった。だが例年ならば、11月中旬から12月上旬までのこのメーラーが、今年はヒンドゥーの暦の関係か、この時期まで開かれているため、見ることが出来ただけでもありがたい。

    ソーンプルの小さな町から周辺部にまで広がる巨大なメーラーだが、普段はいろんな作業に使われたり、野菜等の物売りが路上で商っていたりすると思われるところまで、すべてメーラーのために徴用されている。星の数ほどありそうな仮説の露店の割り当てなども含めて、おそらく地元のヤクザが取り仕切っている部分もかなり多いのではないかと思ったりする。

    こちらはサーカス小屋

    巨大なテントの中では、夕方からステージが開催される。付近で商っている人によると「最高にセクシーなステージ」だとのことで、あるテントでそのリハーサルか何かが行われているときに、若者から中高年の男性までが、その隙間から覗いていた。中では色黒で小柄の女性が踊っているようであったが、そんなにいいものであるとは思えなかった。夕方の5時だか6時だかに始まるらしい。昨日、宿で働いている人が「昔はそんなでもなかったけど、今では子供連れて行けるようなものじゃありませんよ。ああいうのはどうもいけませんな」などと言うオジサンがいたが、このことを言っていたようだ。

    こういうテントが沢山ある。

    私が訪れたときには、最終日まであと2日を残すのみというタイミングであったため、象や馬を扱う市はすでに撤退していて見られなかったが、小鳥や犬、ガチョウや鶏、そして牛が売られている場所は見物できた。

    メーラーの感想としては、田舎でよくあるメーラーがやたらと巨大になったものという印象。クルマやバイクが樽状の壁の中をぐるぐる駆け上がる出し物や遊園地的なものがいろいろあったりしたが、私たちが楽しいと思うようなものではないし、露店にしても他のところのメーラーと変わらない。安物が大量に販売されているマーケットである。期待したほどのことはなかったが、それでも前々から訪れてみたかったものなので、行くことができたこと自体で満足である。

    メーラーの書入れ時に路上で商う露天商も多い。

  • ボドガヤーからパトナーへ

    ボドガヤーからパトナーへ

    オートでガヤーまで移動する。ガヤーの鉄道駅に着いて尋ねてみると、パトナーに向かう次の列車が出るのは1時間半後とのことなので、バスを探してみると、ちょうど駅前から30分後に出発するとのことなので、これを利用することにした。

    スマホの電波状況を確認すると、ボドガヤーでもそうだったが、LTE接続だか4G接続だかになっている。速くて実に快適だ。少し前までは、インドの田舎では3Gどころか2Gであったはずだが、こうした分野での変化の進展は凄まじい。もちろん高速通信網の普及がなければ、スマホの普及はあり得なかったので、さほど驚くに値するものでもないのかもしれないが。

    まもなくバスがやってきた。後ろの席では中年男性と若者の間で、こんなやりとりがなされている。
    車内に乗り込んできた男性が、窓際席に座っている若者に言う。
    「15番は私の席だよ。」
    若者が返答する。
    「何、子供みたいのことを。オレが子供の頃には、大人は子供に窓側席に座られたものだ。それをあんたは、自分が窓際がいいなんて。その年になっても窓際がいいのか?」
    これですっかり喧々諤々のケンカが始まってしまった。かなり迷惑である。

    バスはすぐに満席となり、定刻ちょうどくらいに発車した。有効なSIMが入ったスマホがあると、今どこを走っているのか、あとどのくらいなのかが一目でわかっていいものだ。沿道に何か気になるものを見つけて、あとから戻って見学したこともあるし、バスがターミナルに着く前に、利用しようとしている宿の近くを通過しようとしているのが判れば、そこでサッサと下車することもできる。ちょっと面白い人と知り合ったら、その場でメールアドレスを交換して、FB友達になって、その後も連絡取り合ったりできるのもいい。もっとも、こんなことは、子供の頃からネット環境に馴染んでいる若者たちにとっては当然のことなのだろうけれども、こうしたものがなかった時代から旅行している私みたいな世代にとっては、非常に画期的なことなのだ。

    ヒマな車内で、家族や友人とのやりとりもあったりして、日本にいるのとさほど変わらない環境ともなる。だが遠くの人たちとしっかり繋がっていながらも、せっかく目の前にしている風景や人々と縁遠くなってしまうようなことがあってはいけないので、こういうモノの利用はほどほどにしなくてはいけないな、とも思う。

  • ボドガヤー 2

    ボドガヤー 2

    ナムギャル寺院
    中国寺院
    中国寺院

    マハーボディー寺院を出てから、チベットの名刹のボドガヤーにおける別院であるナムギャル寺院、そして中国寺院等を訪れてから朝食取っていないことを思いだす。中国からインドに亡命してきたカルマパが建てさせたことで知られるテルガル寺院へオートで向かう。この寺院の境内には軽食を出す店があり、そこでインスタントラーメンのワイワイを頼む。出来上がってくると、これが想像以上に辛くて閉口した。

    テルガル寺院
    テルガル寺院のマニ車

    テルガル寺院はなかなか立派だが、やはりレンガ積みとコンクリで建てて、外見だけをチベット風にした建物であるがゆえに、他国が出している寺院もそうだが、あまり慈しみを感じるものではないが、場所が場所だけに仕方ない。各国のお寺の見本市さながらの様子は見応えがあるし、いろいろ訪れてみるのは楽しい。

    そこからさらにオートでブータン寺院に行く。入口のところにトラ柄に塗られた白い野犬がいた。奇妙で面白いといえばそうなのだが、なんだか気の毒でもある。お堂の中には前国王と現国王の写真も飾られていた。

    ブータン寺院
    ブータン寺院
    トラ??

    ブータン寺の隣は日本山妙法寺。日蓮系の教団だが、日本ではあまりその名前さえも聞かないのに、海外ではやたらと存在感がある。海外での活動は、どこも現地での自力更生型であるため、ここの僧侶たちには大きなビジネス感覚、政治感覚が求められる。物凄く仕事が出来るバリバリのデキる男たちの集団というイメージがある。境内は日本の飛び地のような雰囲気だが、プレスクールの施設が出来ていて、幼稚園くらいの子供たちが授業を受けている。先生や子供たちの声が聞こえてくる。このお寺の正面には何もない空間が広がっていたと記憶しているが、今はいろいろと建て込んでいる。

    日本山妙法寺
    日本山妙法寺境内の日本的な空間
    日本山妙法寺が運営する学校

    妙法寺の向かいには、太生山一心寺という教団が構えていた。中に入ってみると、岡山から来て11月から駐在しているという若い尼さんがいて、いろいろ話を聞くことが出来た。
    この人はデリーとプネーに留学したことがあり、サンスクリットを専攻していたとのこと。※ネットでこの教団のホームページにアクセスしてみたが、ずいぶん小さな教団らしい。また尼寺らしく、代表者も女性のようだ。このお寺も日蓮系とのことだが、いわゆる新宗教に相当するような教団なのかもしれないがよくわからない。日本山妙法寺もそういう括りになるようだ。

    一心寺

    一心寺はNGOのAMDAとボダガヤーで共同しているそうだ。宗教団体が海外で活動する際には、こうした民生型のNGOと協力して事業を進めていくことが多いと尼さんは言っていた。どちらも単体ではなかなか入っていくのが難しいことがあるが、布教と援助事業を掛け合わせるとうまく行くことが多いのだという。ボダガヤーではもう、新しい寺院の建築は出来ないことになっているとのことだ。政府が制限しているとのこと。

    寺を辞して、大仏に行く途中で、仏心寺というお寺があった。こちらも日蓮系だそうだ。本堂でお参りさせていただく。ここには宿坊があり、こういうところに宿泊しても良かったなと思う。そこから大仏へ。バブルの頃に建築が始まり、円高の時代で日本経済も好調だったころだからこそ出来た事業だろう。今後はこうした規模での建築は日本の教団にはできないように思える。

    大仏

    そこからさらに先に進むと、中国系の寺院があったが、門が閉まっていて入ることはできなかった。その近くにはカンボジア寺院がある。実にいろいろな国がお寺を建立しているものだ。最後にカルマ寺院へ。ここではチベット仏教系の寺が実に多い。お堂は扉が閉まっていて、拝観することはできなかった。

    中国系の寺院だが台湾の教団と思われる。
    カルマ寺院

    ここを最後に、ボドガヤーを出てパトナーに向かうことにした。

  • ボドガヤー 1

    ボドガヤー 1

    仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

    しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

    「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

    現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

    2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

    ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

    裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

    参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

    他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

    ミャンマー人団体
    ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

    境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

    五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち
    バターと小麦粉を練ったものから出来ている。
    ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。
    ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経

    インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

    後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。

  • Kindle版のLonely Planet India

    Kindle版のLonely Planet India

    今回の旅行にて、初めてKindle版のLonely Planetガイドブックを持参した。
    根がアナログ派なので、これまではPDF版を購入して必要部分のみ印刷して持参していたが、Kindle版も慣れてみるとなかなかどうして使いやすい。コンテンツやレイアウトは、慣れ親しんだ製本版やPDF版と同一だ。

    Kindleの書籍というと、一定方向に読み進んでいく分には、紙の書籍と変わらない使い心地だが、ガイドブックのように、しばしばいくつかの項の前後を行き来して参照するような使い方をするのには向いていないのではないかと予想したが、これはまったく杞憂であった。製本版のように、必要な部分に折り目を入れたりすることはできないが、豊富なブックマーク機能、電子書籍内に仕込んであるリンク等により、自由にガイドブック内を行き来することができるようになっているため、これまた慣れると製本版と使い勝手は変わらなくなる。

    製本版だとかなりデカくて重たいし、PDFを印刷すると、すぐにビリビリになったり、暑季にリュックに放り込んでおくと、背中から流れた汗で、文字が滲んで読めなくなったりするので、目下のところはこのKindle版がとても気に入っている。最近、液晶画面が大ぶりなスマホも増えてきたので、電子書籍を読むのに目に負担が大きくなるようなこともないし、読物用に常時携帯しているKindle端末でも当然利用できるので、バッテリーの心配は無用。

    製本版だと、しばしば余白に書き込みなどしたりするものだが、Kindle版においてもそれほど手軽ではないとはいえ、ちゃんとメモ機能はある。それが自分のアカウントの別の端末でも共有されるのはもちろんのことだ。私自身、もう今後は、ロンプラのガイドブックで、キンドル版以外を使うことはないと思う。

  • アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    デリーのラージパトナガルのアフガン人地区で、ナーンを焼く店。様々な顔立ちのアフガニスタン人たちが、それぞれの郷里式のナーンを商う。

    はなはだザックリとした言い方をすれば、小麦食文化圏、アーリア系人種、啓典の民、etc.・・・、アーリア人発祥の地とされる中央アジアのフェルガナ盆地からイランを経て欧州までの人々の先祖の基層にある部分は、非常に共通するものがあることを感じる。

    少なくとも、私たちの東アジア文化圏から見ると、彼らはまさに遠縁の親戚同士という気がする。

    それにしてもこの地域、行き交う人々の間にアフガニスタン人の姿が実に多く、商店の看板にもダリー語での表記があちこちに見られる。

  • 味の都、国際都市デリー

    味の都、国際都市デリー

    昼食は、ラージパトナガルのアフガニスタン料理へ。ホウレンソウの炒め物とケバーブ。とても上品な味わいだ。そして甘い緑茶にはカルダモンが効いていて、これまた美味である。この地区では、いろいろな顔立ちをしたアフガン人たちのナーン屋が、様々な種類のナーンを焼いて売っている。この料理屋で出てきたのは丸くて厚いウズベク式ナーンであった。おかずを注文すると自動的にナーンも出てきて、何枚頂いても良いというのがアフガニスタン式らしい。サイズが大きく、かなりお腹に溜まるので、そんなに大量に食べられるものではないが。

    若いインド人カップルが店に入ってきてプラオを注文した。料理とともにナーンも出てくると、「これをおかずにナーンを食えというのか?」などと難癖をつけている。とりあえず食事を注文すると、これも同時に供されるのが習わしのようなので、勘弁して欲しいものだ。ここではナーンの料金は取らないし、食べなければ次のお客に回すのだろうから。

    上品な味わいのアフガン料理

    ラージパトナガルのアフガニスタン人地区のナーン屋店頭

    様々な顔立ちのアフガニスタン人たちを目にする

    焼きたてで実に旨そうな香りが漂う

    ウズベク式ナーン

    そしてデリーメトロのR.K.アーシュラム・マールグ駅近くにあるウズベク料理屋で夕食。店内にはウズベクのポップスが流れていて、それらしい雰囲気がある。注文したのはウズベク式のプラオ、サフランの色がとても濃くなったビリヤーニーのように見えるが、あっさりと薄味の脂ごはんという印象。これにスパイスやトウガラシを足すと確かにビリヤーニーになるという感じがする。このプラオがインドで現地化されたものがビリヤーニーなので、まさに同類の食べ物である。

    ウズベク式プラオ

    翌日はマージヌー・カー・ティーラーのチベット人居住区でチベット料理を食べる。本場チベットから移住してきた人たちが営む店が軒を連ねており、食事を出す店も少なくないが、人気の店はいつ訪れても常にお客で一杯だ。トゥクパと揚げたモモを注文する。中華料理の影響を強く受けてはいるものの、やはりチベット料理には独自の味わいがある。

    トゥクパと揚げモモ

    デリーにて、ムグライ料理、パンジャービー料理も素晴らしいのは当然だが、こうした近隣地域の料理屋もまた非常に美味なものを出すところが多い。とりわけ、そうした料理の本場の出身の人たちが大勢集う店では、決してハズレることなく、とても旨いものにありつくことができる。さすがは国際都市デリーだ。

  • Ansal Plaza

    Ansal Plaza

    久しぶりにアンサル・プラザに出かけてみることにした。
    開業したのは1999年。デリーで最初のショッピングモールであるとされる。当時、かなり素敵な店が多数入っていて、音楽関係にしても、衣類やアクセサリー類等にしても、実にセンスの良い品物が揃っていた。

    それまでは街中のマーケットの中に、ポツポツと洒落た店が点在していても、こうした大きな空間の中すべてがこうした気の利いた店であるということについては、どこか異国的なものさえも感じたものだ。

    その後、こうしたモールがデリー各地に林立するとともに、これらがひとつの地域に複数並ぶようになったり、少し郊外に出ると破格の規模の広大なモールが見られるようになったりした。同時に、北インドの中規模の都市においても、こうした施設を見かけることは珍しくなくなるなど、時代は変わったものである。

    変わったのは時代だけではなく、このアンサル・プラザも然りである。2002年11月に、ディーワーリー直前の買い物客で混雑していたこの場所がテロの標的となるほどのものであったのだが、市内各地に新しいモールが次々に出来てくる中、次第にじり貧になってくる様子が感じられていた。入居している店舗のレベルが下がってくると、客足はもとより客層にも変化が生じてくる。

    だいぶ時間が空いて、このたび訪れてみたのだが、今回の様子はまず外観からして異様だった。ずいぶん煤けて汚くなっており、こうした施設が与えてくれるワクワク度が感じられない。

    敷地入口から入って左右対象のふたつのウイングの建物から構成されているのだが、向かって左側では、空いてしまったままのテナントも目立つことにショックを受けたが、右側では、空きになっているところのほうが大半であることに唖然とした。店舗が入居しているスペースにおいても、旅行業らしき看板は掲げているものの、中で数名がウダウダしていて、何の事務所かわからないようなところはあるし、ガラの悪い連中が出入りする酒屋などが入っていて、もう惨憺たる状態。

    トレンドで売っていた施設は、その流れについていけなくなると、その役目を終える。もうこんなところに出店したいという業者はないだろう。そう遠からず廃墟となりそうだ。残念ながら、デリー最初のモールは息絶えつつある。

  • 元旦からデリーで新しい交通規制

    元旦からデリーで新しい交通規制

    デリーでは、今年1月1日から新しい交通規制が敷かれている。原則として、奇数日にはナンバープレートが奇数番号のクルマ、偶数日には偶数番号のクルマのみが走行できることとなった。

    もはや「北京よりもひどい」とまで言われるデリーの大気汚染の主要な原因のひとつとして、走行するクルマの排気ガスの占める割合が高い(30%以上)ことが指摘されていた。これに加えて、これまた深刻な交通渋滞への対処という狙いもある。

    こうした施策がスムースに実行に移すことができた背景には、市民意識の高いデリーで、良識ある市民たちの高い支持を得て、デリー準州の政権に就いたAAP (Aam Aadmi Party:庶民党)による措置であること、同党を率いるアルヴィンド・ケージリーワル氏に対する期待の高さなどもあるのだろう。また公休日である1月1日、同2日、3日は土曜日、日曜日であったことも、スムースな導入に繋がることとなった。

    この規制がなされる時間帯は、午前8時から午後8時まで。対象外となるのは、VIPや緊急車両の類はさておき、一般人の間では以下のようになる。
    ・女性が運転し、女性あるいは12歳以下の子供のみが乗車しているクルマ
    ・二輪車
    ・CNGあるいは電気によって動くクルマ
    ・障碍者が運転するクルマ
    ・救急診療のために病院に向かうクルマ

    内容については今後必要に応じて変更を加える場合もあるとされ、実施から15日経過したときに検証を加えて判断することとなっている。

    デリーにて1月1日と2日に道路の状況を眺めてみたが、さすがに祝日と土曜日であったため、市民は規制対象となるナンバーのクルマによる不要不急の外出を避けることは容易であったらしく、奇数日(1月1日)に偶数番号、あるいは偶数日(1月2日)に奇数番号のクルマが走行しているのを見かけることはほとんどなく、例外的に走っていても、それらは女性がひとりで運転しているか、小さな子供を乗せた母親が運転しているものであった。交通量も普段の週末よりもかなり少ないように感じられた。

    もちろんとりわけ込み合う地域の合流点などでは、普段と変わらないように見える渋滞もあったが、総体的に交通の流れはかなりスムースであるように感じられた。

    総体的に交通量は少なくなっても、やはり込み合う地点では渋滞する。

    こうした規制により、人々がマイカーから公共交通へシフトするであろうことへの対応として、当局はバスやメトロの運行数を増加させるなどの処置を取ることなどが新聞等で報じられていた。

    しかしながら冬のこの時期、気温が低くて空気が停滞気味であることなどから、大気の汚染レベルについては期待したほどの効果は上がっていないようだ。つまり汚れた空気がまだそのまま市街地に溜まっているということなのだろう。モーンスーン期のように天候が荒れる時期であれば、これらを一気に流し去ってくれるのかもしれないが。

    インドではこの類の交通規制は初めてであることから、全国の都市部から注目が集まっているようだ。大気汚染と渋滞に苦慮する大都市は多く、デリーにおけるこの措置の結果次第で、他地域でも同様の措置が導入されることが予想される。

    Odd-even day 6: Weather conditions keep pollution levels high (livemint)

  • ビカネール10 Bhanwar Niwas

    ビカネール10 Bhanwar Niwas

    さて、本日目指すのはコーターリーのコミュニティーから出た豪商たちのハヴェーリー。途中で道を尋ねた相手の初老の老人が、実はコーターリーの出で、この地域のハヴェーリーについて、かなり詳しい方であったのは幸いであった。機会があれば、屋敷の中を見学する機会があればいいのだが、あいにくそういう知己はこの地の商人コミュニティーにいない。

    ゆるやかな坂をしばらく下りたところには、ラームプーリヤーのコミュニティーの商人のハヴェーリーのひとつが、Bhanwar Niwasというホテルになっている。ハヴェーリーの中を見学したいと思っていたので、しばらく拝見させてもらう。

    ゴミゴミした旧市街にあるのだが、敷地に一歩踏み入れると全くの別世界となる。今も所有しているのはラームプーリヤーの人物であるとのこと。屋敷というよりも宮殿と表現したくなるような華やかさだ。私はここに宿泊してはいないが、一泊4,500Rsくらいからのようだ。

    屋敷と呼ぶには壮麗過ぎる。

    クラシカルなベッドと床のタイルが魅力的な客室

    この部屋はお客がチェックアウトしたばかりでベッドメイキングはまだ。
    浴室はこんな感じ
    ダイニングルーム

    こんなホテルが無数にあると言って差し支えないのが、ラージャスターンからグジャラートにかけての地域である。また地域ごとに独自の特徴やカラーに溢れているのも素晴らしい。

    〈完〉

  • ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    ビカネール9 現代に生きる職能コミュニティー

    前回、ハヴェーリーを飾る彫刻を造り上げるスタールという職能コミュニティーについて触れたが、今でもそうした仕事をしている人たちが少なからず存在している。そのスタール出身で、しばらくは家業ではなくエンジニアの道に進んだラジェーシュ・クマールさんだが、ここ数年は伝統技術を伝える職人(彼はその人たちを「アーティスト集団」と呼ぶ)を率いるリーダーとしてのプライドを胸に、自らの先祖伝来の技とコミュニティーの人々の活力を生かした事業に専念中。元々は石工集団だが、木材を用いて、先祖が代々伝えてきたスキルを展開。スタールの職人たちを集めた工房では窓飾りなどを作成中。私が訪問したときには、5、6人くらいが作業中であった。隣の敷地では、ショールームを建設しているところだ。

    職人さんたちが働く工房

    出来映えを確認するラジェーシュさん

    工房はヴィシュワカルマ・コロニーという郊外のエリアにあり、ここにスタールの人たちが固まって住んでいる。昔からの居住区ではなく、郊外に出来たごく新しい新興住宅地なのだが、それでもコミュニティー特有の場所というものが形成されるのは興味深い。同族の長たる人物がリードしてこういう地域を形成するのだろうか?

    この地域の名前となっているヴィシュワカルマだが、ブラフマー神の息子であるヴィシュワカルマのことであり、スタールの人たちにとって、これが氏神となっているとのことだ。ビカネールにはこの神を祀るヴィシュワカルマ寺院もある。

    ラジェーシュさんは言う。
    「昔、私たちは、富裕な商人コミュニティーに頼って生きてきました。彼らの屋敷の壁を飾る彫刻について、今の時代でも高い評判を得ていますが、評価されるべきはこれらを注文した彼らではなく、この技を代々受け継いで育んできた職人たちです。今後も技術を継承していくには、自分たちで仕事を創り出していかなければならないのです。私はこの技術を生かした事業を計画しています。」

    ラジェーシュさんは、元々は電気関係のエンジニアで、職人としての修練を積んできたわけではないという。アフガニスタンで、インドが同国で関わる復興事業に関係して、カーブルで仕事をしていたことがあるという。国会議事堂の電装関係の仕事を任せられ、「アフガニスタンという国の歴史を刻む建物の建築に関わる仕事が出来て良かった」とのことだ。

    2008年にカーブルのインド大使館で発生した自爆テロ(58名死亡、141名負傷)が発生した際には、現場から300m離れた宿舎にいたとのことで、「家族に電話して無事を知らせたものの、とても心配されてしまって・・・」という具合で大変困ったとのこと。

    スタールのコミュニティーに生まれながらも、自身は職人ではないラジェーシュさんはこう言う。
    「私は彼らとは異なる道を歩んできました。しかしながら、これまでいろんな人たちを指揮して仕事をしてきた私、自らを売り込んで仕事を獲得してきた私だからこそできる役割があるのです。」

    電気技師としてのキャリアを捨てて、父祖伝来の道に入ったラジェーシュさんの事業の本格的な立ち上げはまだこれからなのだが、今後の彼の活躍と成功を期待したい。

    〈続く〉