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カテゴリー: food & drink

  • マジヌーカーティーラーで夕食

    マジヌーカーティーラーで夕食

    マジヌーカーティーラーでマジヌーカーティーラーのチベット人居住区の食堂にて夕食。シャプタとテントゥクを注文した。
    宿泊施設に事欠かず、食事も楽しいのでデリーでの投宿先としては有力候補なのだが、私自身がなかなか泊まることがないのには理由がある。
    非常に建て込んでいるため、路地がとても細く、ひとりがやって通ることができるような奥まった通路の先に素敵なレストランがあったり、お得なホテルがあったりする。
    ここは他のエリアにも増して野犬がやたらと多い。昼間や宵の口の時間帯は特に問題ないのだが、犬が嫌いな私としては、夜出歩いて、辺りがすっかり寝静まった中、こうした犬たちの群れと対峙するのが嫌なので、それを思ってついつい敬遠してしまうのだ。

    チベット人地区の「メインストリート」はこんな具合
    美味なるシャプタ
    具沢山でうれしいテントゥク
    用事は済んだのでメトロ駅「ヴィダーン・サバー」へサイクルリクシャーで向かう。
  • ゴールカー

    ゴールカー

    バンディープルからドゥムレーに出て、ゴールカー行きのバスに乗り換える。所用時間は前者が30分、後者が1時間半程度。ゴールカーまでの最後のバスで乗り会わせた若い男性は、ヒンディーを話す人で、なかなかおしゃべりであった。決して上手ではないし、言い回しの間違い等も私さえ判るくらいだが、インドに暮らしたことがないというのに、これだけ話せるとはたいしたものだ。

    さすがに山のほうに入ってくると、とりわけ女性であまり裕福ではなさそうな層では、ヒンディーを理解する人は多くないようだ。しかしながらインド国内のタミルナードゥやケーララに比べると驚くほど広く通用するといえる。

    こちらが言うことはある程度理解しているようで、返事がネパール語で返ってくることはよくある。すると、こちらは知っている言葉を拾って、推測で理解したような、そうでもないような気分になる。

    部屋に荷物を置いてから、昼食は宿の階下の食堂にて済ませる。ここの主人の娘たちはふたりとも美人だ。

    宿階下の食堂では、一日中、ヒンディーのエンターテインメント番組かニュース番組を流しているようだが、それでヒンディーが普通に通じるかといえば、そうでもない。とはいえ、やはりある程度は理解しているから観ているのであり、返ってくるのがネパール語まじりだったりするが、一応のコミュニケーションはとれる。

    ゴールカー・ダルバールはけっこう離れているとは聞いていたが、長い石段を30分ほど登った先にある。途中の斜面からはゴールカーの町の眺めが素晴らしい。

    ゴールカー・ダルバールへと続く石段

    ゴールカー・ダルバール入口

    ゴールカー・ダルバールは、少しかしいでいたり、壁が湾曲していたりする部分もある。2015年の地震による被害だ。現在は修復作業が進行していて、建物内部を見学することは出来なくなっている。

    ゴールカー・ダルバール

    ひどく崩壊している部分もあった。

    先の大地震の震源地はここからすぐ近いところであったのだが、その割には町の様子からは被害の影響はほとんど見当たらない。

    町中では、小さな寺をいくつか見物。そうこうしているうちに、午後4時を回ると、たいていの商店が扉を閉じる。どうやらこのあたりの「定時」は午後4時らしい。下のほうにあるバスの発着場では、もう少し遅くまで開いているのだろうか。最後のバスで乗り会わせた若い男性が言うには、午後3時までは、カトマンズに直行するバスが出ているとのことだ。

    午後4時を回るとほとんどの商店が閉まってしまう。

    本日、夕食をしているとスペイン人男女ふたりずつのグループが食堂に入ってきて、少し話をしたのだが、スペインからの旅行者たちは感じの良い人たちが多い。彼らはバルセロナから来たとのこと。

    昔は、旅行中のスペイン人といえば、英語がほとんどわからないひとが多かったように思うのだが、現在はそうでもないように感じる。とりわけ若い人たちは流暢な英語を話す人が少なくない。英語、英会話は、かつてよりも更に広く普及していると言えるのかもしれない。

  • バンディープル

    バンディープル

    山の斜面にある小さな町。古い家並みがよく残っており、中世の雰囲気を今に伝えている。陸上交易時代の宿場町で、バクタプルから移住したネワーリーの人々の末裔が暮らしているという。古い町並みは、時代が下ってから建設された国道のルートから外れたがゆえに残ったとのこと。郊外にはノートルダム修道会の学校があり、長年、日本人シスターが教えているそうだ。

    中国の河北省鄭州から来ている馬興という女性としばらく話をした。彼女は、ごく最近までカトマンズで活動している中国系のNGOで仕事をしていたとのことで、来月、中国に戻るとのこと。昨日サファリであった中国人女性もそうであったが、最近の若い世代で個人旅行をしている人は快活で、とても感じの良い人が多い。

    マーケットで夜の眺めを撮影してしたら、ドゥムレーからのバスで一緒だったスペインのマドリードから来た夫妻、アルベルトとマリアを見つけたので一緒に夕食。旅行先では、このようにいろんな国から来た人たちと食事したりするのが楽しい。

    バンディープルでの宿泊先は、伝統的な家屋がそのまま宿になっており、オーナー家族の歴史が感じられるようなたたずまい。煉瓦作りの古い家屋で、外側はちょっとコロニアル風〈これを撮影するのを失念してしまった・・・〉、中は典型的なネワール式。ここに限ったことではないのだが、ある一定の時期に建設されたと思われる建物で、洋館風のファサードを持つもの見かけることが多いが、そういうスタイルが流行した時期があったのだろう。

    レンガ剥き出しの壁で、正直なところ快適ではない。

    町中はきれいに掃き清められており、ゴミひとつない。調和のとれた古い建物の町並みとあいまって、まるでスイスにでも来ているかのような感じだ。

  • チトワン国立公園1

    チトワン国立公園1

    ジャナクプルから早朝のバスで出発。カトマンズ行きの便だが、ナーラーヤンガルを経由する迂回ルート。国境と並行して平原部を走り、いくつかの河を超えるが、いずれもこの時期には水がほとんど流れていない。雨季には、広い川床となっている部分の端いっぱいまで水が来るらしいことは、そうした流れの跡から見て取ることができる。

    午前11時ごろ、少し早めのランチ休憩を取ったダーバーのあたりからは丘陵地となり、その背後に山脈が見える。

    ランチ休憩先

    サウラハーの少し手前にあるラトナナガルでバスを下車してミニバスに乗り換えるが、すでに通路まで満員であるうえに、天井が私の背よりも低いので、大変窮屈な姿勢となる。

    あとひと息でサウラハーの町に着く。

    幸い、最終目的地のサウラハーはここから15分程度。あまり広がりのない町だが、かなり良さそうなホテル、ちょっとアップマーケットなレストラン、両替屋やATMもある。さすが世界的に良く知られた国立公園訪問のベースとなる場所だけのことはある。

    このあたりではハチミツが特産とのことだが、本日の宿泊先では、部屋すぐ隣の建物の窓辺に生きたサンプルが見られるという、これまた幸運なロケーションだ。蜂が『クマのプーさん』に出て来そうな見事な巣を築いており、忙しく働いている様子を眺めることが出来る。

    翌日朝のジャングルウォークと午後のジープサファリを予約すると、食事以外にはすることがない町だが、さすがに国内外から大勢の観光客が訪れるところだけあって、いろいろ美味しいものには事欠かない。昼から夕方近くにかけて、数軒ハシゴして食べ歩いてみた。

    米を潰したカジャのセット
    左上はタースという水牛の焼肉

    水牛のビリヤーニー

    〈続く〉

  • コイル式電熱ヒーター

    コイル式電熱ヒーター

    昔、バックパッカーだったころ、これで毎日お湯(ペットボトルの水を買うお金なかった)沸かしてから水筒に入れたり、朝食用にゆで卵やインスタントラーメンを作ったりするなど、旅行中の必需品だった。タイ製のものはしっかりした作りで長持ちしたのだが、インド製はすぐにコードが断線してダメになった。壊れても、すぐに代わりのヒーターが街中で手軽な値段で入手出来るのは便利で良かった。ときどき感電して痛い目に遭うこともないではなかったが。
    あれからずいぶん長い歳月が過ぎたが、この商品はまったく進化することなく、昔のまんまであることが可笑しいような、嬉しいような・・・。

  • Meggi Restaurant

    Meggi Restaurant

    フリークストリートのMeggi Restaurantは、ずいぶん昔とから営業している。もしかすると、このエリアに70年代初頭、伝説のEden Hashish Centreがあった頃から営業していたのかもしれない。
    私はヒッピーの時代は知らないし、当時の雰囲気はフリークストリートのどこにも残っていないであろうことから、往時の様子は想像も出来ないが、ここで自由を謳歌していた当時の西洋の若者だった人が、青春時代を懐かしんで訪れたりすることもあるのかもしれない。

  • 中国のフシギ

    中国のフシギ

    カトマンズのタメルで、写真正面の中国人宿が道路に投影した広告。
    頭上含めてあちこち見渡してみたが、どこに光源があるのか、結局わからなかった。
    なかなか面白い技を利かせてくれる。

  • カトマンズのタメルに溢れる中文看板など

    カトマンズのタメルに溢れる中文看板など

    トリブワン空港では中国人客が多く、空港の携帯SIMを売る店では流暢な中国語を操るネパール人スタッフもいた。
    旅行者ゾーンのタメルでは当然、中文の看板も多く、山東賓館、江蘇飯店といった前の宿泊施設も多い。また「清真料理(イスラーム料理)」を謳う食堂もいくつかある。
    土産物を売る店では、客寄せのために中文での案内を掲げているところが少なくないが、本当に中国人が経営している店には、レストラン、宿泊施設、配送業者等が多い。旅行代理店には、クルマやツアーをアレンジする案内が出ていて、ポカラ、チトワン等々、ネパールの地名にはそういう漢字を当てるのか、と思ったりする。
    華人経営の宿に宿泊して、話を聞いてみても面白いかもしれない。
















  • カトマンズのUTSEで食事。

    カトマンズのUTSEで食事。

    ここで初めて食事をしたのは1987年のことだ。その後もカトマンズ訪問時には幾度も足を向けて、『あ〜、おいしいなぁ』と感激していた。安食堂のダルバートよりもかなり高かったので、当時の私は、そうしょっちゅう出入りするべきではなかったのだが、旨いものの誘惑の前には為すすべもないのであった。ここの食事は本当に素晴らしかった。

    最後に訪れたのは四半世紀前。当時の小さな食堂は、客席の多い立派なレストラン(かつての場所からは少し移動したようだ)となり、上階はホテルになっている。
    それだけの時間の経過があるので、当然ながらオーナー氏も年を取られたが、お元気そうでなにより。

    UTSEのオーナー氏

    今回、私が注文したのはチベット定食。バフの煮物、豆腐と青野菜の炒め物、モモ、揚げ物、スープとご飯が付いている。四半世紀前、これは出してなかったはずだが、相変わらずどれもとてもおいしい。

    チベット定食

    アイデアや機知も大切だが、まずは『凡事徹底』することが大切であることが重要だ。お客の大半というよりも、ほとんどが外国人旅行者のエリアにあっても、いつも温かい微笑みとともに、心を込めた美味しい料理を提供し続けて、ちょっとアップマーケットかつ素敵なお店になった。

    創業は1971年なので46年の歴史。大したものだ。UTSEがオープンしたころ、タメルにはカトマンズゲストハウスしかなかったという。

  • インディアン・コーヒーハウス

    インディアン・コーヒーハウス

    コールカーターのカレッジストリートで書籍漁りをした帰りに、インディアン・コーヒーハウスに立ち寄ってひと休み。数々の文化人たちや一般社会の人々たちはもちろん、幾多の革命家たちからも世代を継いで愛されてきた、アジアきっての名門カフェだ。
    コーヒーやお茶はもちろんのこと、けっこうちゃんとした食事も楽しむことができる。
    常に多くの人々が出入りし、賑やかな会話が各テーブルから聞こえてきて、どこからかタバコの煙がゆっくりと流れてくる。
    近ごろ流行りの洒落たカフェにはない重厚さがなんとも素晴らしい。

    Indian Coffee House (zomato.com)

  • NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    以前、コールカーターの老舗洋菓子店と題して取り上げたNAHOUM & SONS。カルカッタに現存する最古の洋菓子屋。『ナフーム』という名の示すとおり、ユダヤ人家族による経営で、創業1902年の老舗。

    先日、欧州飯店再考で取り上げた「コールカーターに現存する最古の中華料理屋」のごとく、植民地期には洋菓子店はいくつもあったはずなのだが、この土地を離れたり、廃業したりしている中で、店を続けていくと最も古くなってしまう。冷蔵庫の無いころのケーキはこんな感じだったのだろう。ユダヤ人店主はもう高齢なので、店には出てこないようだ。

    植民地期の欧州人地区に隣接していたニューマーケットにあるが、サダルストリートからは目と鼻の先なので、すぐに買いに行けて便利だ。

    Nahoum店内
  • 香港飯店

    香港飯店

    サダルストリートのすぐ近く、フリースクールストリートの香港飯店へ。
    コールカーターの他の華人経営の店の多くがそうであるように、ここも客家系華人による経営。インド人も雇用しているが、厨房で指揮を取るのは客家人の店主兄弟なので、いつ来てもおいしい料理が出てくる。
    ウェイターのベンガル人ムスリム、ヌール君はずいぶんここで長く働いているが、近年はちょっとオジサンが入ってきた。
    界隈では、料理店以外に、美容室、大工、靴屋などをやっている人たちが多い。華人が作る靴については、「とにかく履きやすい。そして長持ちする」と昔から評判がいいらしい。